「恋バナ、ねぇ。いったいどういう風の吹き回しかしら」
「別におかしいことなんてなくない? 修学旅行の定番だよ。姉妹で同じ人を好きになったんだから、気になることなんてたーっくさんあるに決まってるじゃん♪」
「ふんっ、何を企んでんだかわかったもんじゃないわね。あんたに話すことなんてひとつもないわ」
「そんなぁ、せっかくきてくれたのにひどくない? これでも私たち、仲良し五つ子じゃん。お姉さんの私たちがギスギスしてると、みんなも気まずくなっちゃうよ?」
「元凶のくせにどの口が言ってんのよ」
「あはっ、それもそうだね」
修学旅行二日目の夕暮れ時。一花と二乃は小学生の頃に宿泊した旅館への道をゆっくりと歩きながら、恋の火花を散らせていた。偶然にも昨日風太郎と四葉が対話した場所でもある。
少し前を行く一花は口調も振る舞いも朗らかだが、後に続く二乃は警戒心を隠そうともしない。敵視されている以上当然の反応だと一花は思う。姉妹であっても恋敵。ひとりしかいない風太郎を巡って争う、一触即発の関係だ。
「それにしても、話すことがないなんて言われると困っちゃうなぁ。私、気になってたことがあるのになー」
「あーもううっさいわね……なによ」
「あっ、乗り気になった? やった♪」
一花は立ち止まって後ろにいる二乃へと振り向き、おてんばな様を崩さないまま明るく話しかける。一花としても、嘘を知っている二乃が自分の改心したという言葉を簡単に信じるとは思っていない。そのため、まずは彼女の想像している通りの腹黒女として、一花は自分の性悪さを表現する。
「じゃあ聞くけど、二乃はフータロー君のどこが好きなの? 顔? 見た目? ルックス? それとも容姿とか、外見?」
「っ、あんたねぇ……! 私をなんだと思ってんのよっ!!」
「え? 面食いだけど……でも、まさか図星ってわけじゃないだろうし、そんなに怒んないでよ。すごい怖い顔しちゃって、フータロー君が見たら怯えること間違いなしだよ、ふふっ」
「人の恋を馬鹿にしておいて、怒るなっていう方が無理な話よ! あんた、どこまで……!」
「なんで? 私の疑問、そんなにおかしい?」
悪い笑顔で毒を吐く一花。見え見えな挑発ではあるが、本気の恋をしている二乃には覿面である。そんな二乃の怒りを一花は軽く受け流し、引き続き無邪気な様で素朴な疑問を口にする。
「だってあんなに主張がコロコロ変わる二乃の気持ちの変化を理解しろだなんて、そんなの無理な話だしね。ホント、何があったらあんな極端な手のひら返しができるの? お姉さん知りたいなー」
「……は?」
「今までの自分の態度と行動振り返ってみなよ。フータロー君のこと、あんなに嫌って敵視して、辞めさせようとまでしてたじゃん。それなのに唐突に好きとか……はっきり言って意味わかんないから」
「!」
一花は家族旅行で相談を受けた時に、隠しつつも感じていた不満を話す。先ほどまでのおちゃらけた振る舞いはどこへやら、鋭い視線で二乃を睨んでいる。
「別にそれがダメだとか、二乃の恋心を否定してるわけじゃないよ。本気で叶えたいって思ってるのはみんなの前で告白してることからもわかる。ただ私にはそこまでの過程が、どうしても疑問なんだよね。悪いけどあんな曖昧な言い回しで物思いに耽られたって、理解なんてできないの。だから教えてほしいなーって」
「……それがなによ。一花には関係ないわ。そもそもあんたに話す理由もないもの。詮索はプライバシーの侵害よ」
暗に恋の暴走機関車を突き動かす燃料となるものを話せ、と示す一花。二乃は一花の意図に気づきはするが、腹黒長女への対抗心から素直に応じず、一花を睨み返す。
しかし一花にはそんな二乃の返答の背景などお見通しだ。二乃が自分の恋に自信を持っているのは以前の相談の時の様子から見て取れる。
決着がついているとはいえど、あっさり打ち明けてそれで終わり、というような恋心を踏みにじることをするつもりはない。だからこそ引き続き一花は彼女の敵意は意にも介さず、嘲りを込めた渾身の笑みで二乃を挑発する。本心を引き出すには、煽るのが効果的だ。
「なーんだ、私にビビって言えない、その程度の想いなんだ。なら私の予想は合ってるってことでいいよね。所詮二乃はワイルドなイケメンが好きなだけで、その条件さえ満たしてれば誰でもいいんだよね。好きな理由が薄っぺらいのは予想できたことなのに、配慮が足りなかったよ。ごめんねー」
「なん、ですって……! あんたホント、いい加減にしなさいよ!!」
心底馬鹿にしたような口調で話す一花に、自分が一番風太郎を愛してやまないと思っている二乃は怒りを爆発させる。感情に身を任せ一花に詰め寄り、胸ぐらを掴む。
だが、やはり一花は怯まない。本来の性格の悪い自分を表現することは、一花の目的の達成には都合が良いのだ。見下した態度を崩さず、二乃の感情を煽ることに徹する。
「主張しないで安全圏に篭ってるくせに逆ギレしないでよ。背景がわからない以上この結論に至るのは当然じゃない? 悔しいなら反論してみなよ、面食いの二乃ちゃん。できないなら離してくれないかな?」
「……っ」
「私とは二乃とは違う。フータロー君じゃなきゃダメなわけを自信をもって言える。だって、お姉さんの私がフータロー君に恋をするのは必然なんだから」
胸ぐらを掴まれても動ずることなく、妹に侮蔑の眼差しを向ける一花。普段の彼女とは全く違う雰囲気の鋭さに気圧された二乃は手を離す。
マウントを取るような性格の悪さあふれるやり方ではあるが、一花は自分の主張は至極真っ当なものだと考えている。人を好きになるのに理由が必要か。それに関しては一花は人それぞれだとは思いつつも、今対峙している妹よりは恋人関係を抜きにしても想いの強さが負けているとは思っていない。
生徒と教師というパートナーであるがゆえの対等な関係。それだけなら他の姉妹も同じだが、唯一共に一番上の兄姉である風太郎と一花。そんな風太郎は一花にとって、唯一弱みを晒し、心を許せる存在なのだ。家族とは違う感情を抱くのは当然で、一花からしてみれば運命という言葉すら生温いのである。
「別に恋してる期間が長い方が愛が強いとか好きな理由が深い方がふさわしいとか、そんな個人で意見が分かれることを押し付けはしないよ。でもね、そもそも嫌いになったことがない人には、二乃の態度の急変に共感なんてできるはずがないの。一番最初にフータロー君を好きになった三玖だって疑問に感じてると思うけどな」
「…………」
「でも二乃にだってフータロー君と時間を共有する中で、積み重ねてきたものがあるわけなんだよね。だから知りたいんだ。二乃がフータロー君と築いてきたものをね。最初に言ったじゃん、私は純粋に恋バナがしたいんだって」
家族旅行で二乃の相談を受けた当時は自分の心の余裕のなさもあってか、一花には妹はただの恋に恋している少女にしか見えなかった。だが、今は違う。口では徹底的に否定の構えを取りはしたが、心にゆとりのある今の一花は二乃の立場になって考えることができる。
導き出した結論はいたってシンプルなものだ。当然ながら、風太郎と二人だけの時間を過ごしてきたのは一花だけなわけがない。それは三玖の姿に扮していた時にも感じていたことだ。二乃にも風太郎と時間を共有する中で自分を見つめ直し、心を動かされる出来事があったのだろう。
そして、その出会いは間違いなく、彼女の変化、すなわち成長を示したのだ。家出騒動の結末として表れた、二乃の断髪。背中まで届くロングヘアは今や跡形もない。それ以降二乃の風太郎への態度が柔らかくなったことを考えると、やはり心境の変化はあの時期にあったと考えるべきであろう。今の二乃を形づけている大きな要因であることは間違いない。ルックスが全てでないことくらいは予想できる。
「でも、たとえきっかけがなんであろうと、フータロー君への想いはずーっと前から私の方が強いって断言できるけどね。二乃相手じゃ話にならないよ」
「……なによ、今までそんな素振りちっとも見せなかったくせに。ホント姉だからって上からよね」
「なにそれ、お姉さんの私は恋もなにもかも控えめでいるのがお似合いって言いたいの? ただ二乃みたいに恋のために動いてるだけなのに、なんで私だけ文句言われなくちゃいけないのかな。お姉さんだから? その理由を教えてよ」
「……くっ……」
だが、それは所詮一花の想像でしかない。長女としての客観的な視点を備えていると、どうしても気になってしまう二乃のかつての風太郎への態度。それもそのはず、風太郎が就任してまだ日が経っていない頃は、二乃は睡眠薬を用いて排除に赴いたほどに彼を嫌悪していたのだ。
有無を言わさずに風太郎を帰らせようとした二乃を止めなかった一花に、当時の彼女の行動を責める資格はない。しかし、そこまでいくと憎悪の域に達している。そんな二乃がいきなり風太郎を好きになりましたと言ったところで、一花には納得できない。たとえ恋を叶えたいという気持ちが本気でも、都合の良いとしか思えない解釈も相まって、真剣な恋だと判断できる材料としては薄すぎるのだ。だからこそ知りたいのである。
「まぁいいや。とにかく結論を言うと、私には二乃は恋に恋してるようにしか見えないんだ。気持ちばかり先走ってるみたいなさ。最初の告白だって勢いなんでしょ? フータロー君を好きなのが事実だろうと明確なエピソードや背景がわからないんだし、私がそう思っちゃうのは仕方ないよね」
「…………」
「本気で叶えたい恋だっていうなら私に示してよ。二乃にもあるはずの、フータロー君じゃなきゃダメなわけをさ。これはただの決意表明みたいなものだよ。それに、そもそも二乃が最初に、私にあんな相談を持ちかけてきたんじゃん。私には詳細を知る資格があると思うな」
「……散々言ってくれちゃって……あんたの思い通りになるのは癪だけど、このまま私の恋を馬鹿にされたままなのも腹立つわね」
性格の悪さを全面に出しながらもなんとかまとめに入ることができたことに、一花はひそかに安堵する。これで、想いの強さと姉でない自分を思う存分アピールできた。どう感じとるかはさておき、本気の姉妹喧嘩を展開できたので一花としては及第点である。無事に目的のひとつは達成だ。
「いいわよ。私がフー君を大好きな理由、あんたに聞かせてあげようじゃない」
しかし、まだまだ一花の戦いは終わらない。二乃の想いの強さを知ることも、一花には重要なことだ。睨みつけてくる二乃にも一花は臆することなく、正面から妹の覚悟を受け止める。
「一見冷たくて自分のことしか考えてないように見えて、人の心の弱さに寄り添える、優しくて温かいところ。フー君、まだ出会って数日の段階で、私の本心に気付いてくれたのよ。……ホント、あんなに目の前から消えてほしいって思ってたのに……見抜かれて、悔しかったわ」
最初こそ二乃は鋭い視線ゆえの強い声であったが、次第に表情も声色も柔和なものへと変わっていく。彼女にとって風太郎を意識せざるを得ない出来事だったということが、一花にも伝わった。
「それでもやっぱり気に食わなくて、口では悪く言うのは変わらなくても……きっと、あの時にはもう、心から嫌ってはいなかったのよね。だから最初の試験の時も、私たちの結果次第で辞めなくちゃならないフー君を助けてた」
「……!」
一花の頭に、父親に虚偽の報告をしていた二乃の姿が思い浮かぶ。辞めるかもしれない、というのは一花には初耳だ。当時の風太郎が勉強会の時からどうにも余裕がなさそうに見えたのはそういうことだったのかと、合点がいった。つまり、二乃がいなければ今の時間はなかったのだ。一花を含む他の姉妹もまた、助けられていたということになる。
それに、その時期はまだ風太郎を良く思っていなかった段階である。わがままな面も目立つ二乃ではあるが、決して自分の好き嫌いだけで理不尽を押し通すような女ではないのだ。
「ほかにもいろんなことがあったわ。林間学校の時見せてくれた頼りがいのあるカッコいい姿。王子様みたいに私を連れ去ってくれた男らしさ。……バイクの後部座席で感じたあのおっきな背中に、トキメキを感じたの。気持ちが溢れちゃって、気付いたら好きって伝えてた。私の運命の人なんだって、確信したわ」
白馬の王子様に憧れる二乃らしく、乙女チックに咲き乱れる恋の花。風太郎への恋心に満ちているのを、一花も感じている。
「単純なのは私だって百も承知よ。でも、女心ってそういうわがままなものでしょう。たしかにひどいこともしてきたし、それについて思うことがあるのはわかるわよ。だけど、私だって恋を叶えたいの。だって、フー君は……いつまでも変わる勇気がなかった私に、きっかけを与えてくれた! フー君が自分の心と向き合わせてくれたおかげで、今の私があるのっ!!」
わがままな乙女の、恋を叶えたいという全力の想い。同じ恋をするものとして、伝わらないわけがない。
「誰が相手でも譲るつもりなんてないわ。最後にフー君の隣にいるのは、私なんだから」
「…………そっか。見抜かれた、自分の心と向き合わせてくれた、ね。やっぱ私たち、五つ子なんだ。ていうか……二乃もフータロー君を助けてただなんて思わなかったよ。……知らないで、勝手なこと言ってごめん」
「……なによ、急にしおらしくなっちゃって気持ち悪いわね」
ただ嫌いというだけで、全てを悪だと決めつけていたわけではない。敵視していた頃も、彼女なりに風太郎を認めていたのだ。一花は少しばかりの悔しさと罪悪感を感じながらも、二乃の風太郎への恋心、想いの強さを目の当たりにして素直に頭を下げる。
都合が良すぎると断じて怒りを覚えていたのは間違いだった。実の父親に見捨てられ、母親を亡くし、複雑な環境で育ってきた中野家の五つ子。そんな五つ子ひとりひとりに歩み寄り成長させてくれた風太郎を好きになるのは当然なのだろうと、一花は心の中で結論をまとめる。
「そういう一花はどうなのよ。あんたにも当然、あそこまでする理由があるんでしょうね?」
二乃の問いに一花は頷く。反省はしたが、一花は当然自分が風太郎への想いで負けているとは思っていない。今度は一花のターンだ。
「私も同じ。花火大会のあの日……作り笑いを、見抜いてくれた。私の弱い心を、厳しくも愛のある言葉で包み込んで、温めてくれたの。あの時にはもう、私はフータロー君に惹かれ始めてたんだ」
一花は想いを込めて、風太郎への感謝を紡ぐ。彼が一花に与えてくれたものもまた、両手で抱えきれないほどに多い。
出会った時にはまだ芽吹いてすらいなかった少女の恋は、共にパートナーとして認め合ったあの日から、ゆっくりと花開いていった。
「ほかにも、家での勉強会の時にはお姉さんとしてあることが当たり前だった私を、たったひとり認めて褒めてくれた。頭を撫でてくれた時に感じた心の熱さは、今でも忘れられない。ううん、一生、忘れることはない」
パートナーとしてというだけではなく、同じ兄姉だからこそわかるもの。風太郎は、一花の姉としての姿勢を立派なものとして、心に寄り添ってくれた。
姉としてある中で忘れていた、人の温もり。一花にとって唯一対等な存在である彼が、それを与えてくれたのだ。
「それにね、そもそも私が女優として開花できたのも、女としての当然の幸せを望めるようになったのも全部、フータロー君の存在あってこそなんだ。四葉の後押しもあるけど……フータロー君と出会わなければ私はいつまでも強がることしか取り柄のない女のままで、自分の素直な気持ちを大切にすることもできなかった」
そんな姿を見ていたからこそ、風太郎は姉でない一花に対しても理解を示してくれた。姉という殻を破ることができたのは、風太郎と出会えたからだ。今の中野一花という少女は、上杉風太郎なしでは語れない。
「だから、私だって自分の夢の架け橋になってくれた、心の支えになってくれた、そして……私に愛を与えてくれた、恋をさせてくれたフータロー君が大好き。たとえ自分の欲に正直でいることをお姉さん失格と思われようと、この気持ちだけは絶対に曲げない。死んでも二乃に、フータロー君は渡さないから」
「…………」
穏やかに想いを語っていた一寸前とは打って変わって、一花は絶対零度の視線を二乃に向ける。これで十分に覚悟は二乃に伝わったと判断した一花は、一旦主張はやめて反応を伺う。
一通り聞き終わった二乃は複雑な表情である。一花の話した内容に女として、彼女の妹としても思うことはあるが、あえてそこは突き詰めずに姉の仮面について指摘する。
「……怖い顔してるのは一花も同じじゃない。そんな冷たい眼差しに低い声、優しいあんたの姿しか知らないフー君が見たらドン引きされるわよ」
「なに言ってんの? 恋敵相手じゃないんだし、私がフータロー君にそんなことするわけないじゃん。当然でしょ?」
「はんっ、いくら一花の恋心が本物だろうと、好きな人の前で本性を隠していい子ちゃんぶってるような腹黒のあんたが、正面から相手と向き合えるフー君と上手くいくとはとても思えないわね」
「んー? まぁ二乃がそう思う気持ちはわかるし、腹黒なのも全然否定しないけど……ちょっと勘違いしてるよ。だって、私のフータロー君への想いはまだまだこんなものじゃないから」
「……は?」
恋愛に対してはなりふり構わない女というのが、今の一花に対する二乃の評価だ。しかしそれは一花も自分で自覚していることであり、なおかつ変化球勝負を把握している二乃にはそう思われているだろうと読んでいる。
そのためにここまではずっと、あえて二乃の想像しているであろう腹黒女である中野一花を見せてきたのだ。
「言ったでしょ? 私がフータロー君を好きになるのは必然なの。そんな相手に敵意なんて抱かないし、ストレスを感じることもないんだ」
絶対の自信を持って一花は告げる。愛を見失って暴走したこともあったが、一花は元々姉としてあり続けたために、本来は視野の広さも備えている少女だ。今でこそ姉としての優しさのかけらもない性悪女ではあるが、身についたスタンスはそうそう頭から離れることはない。上っ面しか見せていない一花の態度は本性を知る二乃の立場からしてみると不満を覚えて当然である。腹黒い一面を隠して好きな相手にのみ良い顔をする一花が好ましく映らないのは、本性を知るものに限らず誰もが思うことだろう。
だが、だからこそカウンターは効果があるのだ。性格が悪いのは事実でも、ただ恋愛において卑怯なだけでしかない女と思われたままなのは心外である。ここからが変化の見せ所だ。一花は風太郎への想いを全身全霊で表現し、学んだ愛を披露する。
「私にとってフータロー君は、長男の視点から私を見て理解を示してくれる、唯一の男の子なの。お姉さんとしての役割を意識することなく、私が自然体でいられる存在……好きな人ってだけじゃなくて、心の拠り所なんだ。フータロー君はただそばにいてくれるだけで、私の心を温かくしてくれるんだよ。大好きな人の言葉と思いやりが私の胸に響いて、好きって気持ちがどんどん溢れて……私も愛が欲しい、好かれたいって思うと同時に、そのためにフータロー君の支えになりたい、心に寄り添いたい、癒してあげたいって気持ちが湧き上がるの」
朗らかに嫌味を口にしたかと思えば、冷たい視線で決意を示していた先ほどまでの一花。だが今は、目をつむり胸の前で手を組みながら、慈愛と優しさの篭るトーンで愛を紡いでいる。風太郎をとても愛おしく思っていることが、二乃にも伝わった。とても演技だとは、嘘を口にしているようには思えない。
風太郎がデートの誘いを受けてくれたあの時、一花は自分が信頼されていることを知った。さらにそれだけではなく、今までの自分の間違いに気がついた。そこから一花は愛を学び直し、自分だけでなく風太郎のために更なる高みを目指すと決意できた。
そして一花はかつて参考書をプレゼントした時や、彼に立派な嘘つきと褒めてもらえた時に感じた、純粋に風太郎を想う、好きな人の喜ぶ姿に嬉しさを覚える自分を取り戻すことができたのだ。これまでの積み重ねによって育まれた愛を思い出したことと、それを与えてくれた風太郎への感謝と恋心が、今の一花の原動力なのである。
(一花は、何を考えているの……?)
そんな背景を全く知らない二乃は、コロコロ変わる一花の表情と声色に翻弄されるばかりである。今まで見せたことのない顔を連発する彼女に、二乃の知っている一花はどこにも存在しない。戸惑いを隠すことができず、動揺が顔にも表れてしまう。
一方で一花は二乃の様子を見て、思い通りに事が運べていると確信していた。引き続きたたみかけて、自分の愛の妥当性を示さんとする。
「人ってさ、ひとりで生きていけるほど強くはないじゃん。悩みや不安とかのマイナスの感情は、ひとりで抱え込みすぎると辛いしね。だからそれを聞いてくれる、共有できる相手がいることはとても幸せなことなんだって、最近知ったんだ。……でも、フータロー君はどうだろう」
「……何が言いたいのよ」
「二乃もさ、フータロー君がらいはちゃんを大切に思っているのはわかるよね? でも、だからこそフータロー君は、決して家族には弱みを晒せない。長男としてフータロー君は今までずっと、誰にも甘えずにひとりで戦ってきたんだ」
「あっ……!」
一花の主張に、二乃も風太郎の長男としての在り方を再度確認させられる。自宅のお風呂やホテルでの一件など、普段の風太郎とはかけ離れた姿は幾度か二乃の記憶にあるが、それは大切な家族に言えるようなことではない。二乃が促したのもあるが、だからこそ弱り切っていたあの時は、教師という導く立場であるにもかかわらず自分のことを話してくれたのだろう。
だが、それだけではない。少し前に一花が述べていた風太郎への恋心の言葉から、そのスタンスは二乃の目の前にいる姉にも一部共通していることにも気付いてしまう。二乃もまた、一花が妹たちに一切助力を求めずに、働き詰めだったことを知っている。
一花としては愛を学んだゆえに、ただ風太郎を思いやり彼を心から気遣う様を示しているだけなのだが、そうだと理解していない二乃には覿面だ。
「私だってこれでもお姉さん……長女だからわかるの。家族のために、フータロー君は自分の欲を切り捨ててきたんだって。痛みも苦しみも受け入れて、我慢を重ねて努力してきた男の子なの。だから、私は───」
たとえ最終的に姉でない自分を受け入れてもらえなかったとしてもわかる、長女であるがゆえの長男への共感理解。私こそが彼に相応しいという説得力を増すための、一花の最大の武器だ。
「今の私を形づけてくれただけじゃなくて、ずっと頑張ってきたフータロー君を支えたい。たくさんのありがとうをくれたフータロー君を優しく包み込んで、甘えさせてあげたい。好きな気持ちを押し付けるんじゃなくて、好きだからこそ思いやるの。これが私の愛だよ」
「……!」
真剣な表情で語られる、真っ直ぐで強い長女の愛。それは一花が恋愛においては卑怯な女であっても、風太郎への恋心は紛れもなく本物であることを二乃は理解させられてしまった。
妹のために努力し多大な時間を費やしたことを、風太郎は苦痛だと感じてはいなかっただろう。一方で、自分の欲を抑えてきたことは一花の想像に容易い。共感できる要素があったからこそ風太郎は一花の嘘に、その動機に理解を示し、受け入れたのである。
風太郎の愛に触れた一花は、そのことに気付いている。だからこそ甘えてほしいのだ。
「まぁこんな偉そうに愛を語っても、所詮は私の目的のため、要はただの綺麗事なんだけどね。やっぱ私だって女だし、堂々とフータロー君を独占して甘えたい、誰にも渡したくないっていう身勝手な気持ちに嘘はつけない。好きな人の腕に抱かれて寄り添って、心の底から満たされたいの。私の心を温められる存在は、この世でフータロー君だけなんだから」
これもまた嘘偽りない、一花が自分のためだけにしたいことである。姉だった頃の一花にはありえない発言だ。
「別に私の愛を嘘だと思うなら信じなくていいよ。みんなより自分のしたいことを優先する今の私はお姉さん失格で、手段を選ばない性格の悪い女なのも事実だしね。だけど、フータロー君は長男ゆえに家族を頼るってことができないのは二乃も想像できると思うんだけど、どう?」
「………………」
「私はフータロー君が大好き。だからフータロー君にはいつまでも笑顔で、幸せでいてほしい。私といる時だけでも長男としての役目を忘れて、甘えてほしい。散々寄り道してきたけど、この気持ちは間違いなんかじゃないって、絶対の自信を持って言える。私だって、愛を学習したの」
「……愛……」
姉であることを捨てたがために一度は見失った愛。だが、それを取り戻すきっかけは他でもない二乃の直球勝負に触発されたということを、中野家の次女は知るよしもないだろう。
敵に塩を送るような行為だったということを彼女は後悔するだろうなと一花は思いつつも、より説得力を高めるために打ち明ける。
「だから、私に考えを変える……愛を学ぶきっかけをくれた二乃に、感謝の気持ちはあるよ。だって私は二乃の勉強会での告白を聞いて、危機感が芽生えた。妨害や変装とかの変化球に頼るんじゃなくて、負けたくない、自分の力で恋を叶えたいって思えるようになったんだ。私は二乃の直球勝負のおかげで、フータロー君に告白する、立ち向かう勇気が湧き上がったの」
「! 一花、あんた───」
「だけど、攻め方は変わっても、私のスタンスは変わらない。私はなんとしてでも、自分の恋でフータロー君を幸せにするって決めたの。どう思われようともう妥協も遠慮も一切しないし、この考えを曲げるつもりもない。だから悪いけど、私の前に立ちはだかるっていうなら、たとえ妹であろうと───容赦しないから」
「……っ」
風太郎への愛を心に宿しつつも、本来の強い独占欲を前面に出し、退かないというなら誰であっても蹴落としてやると宣戦布告する一花。その視線はとても鋭く、家族に向けるものではない。二乃は一花の圧に怯んでしまう。
一花のこの恋愛スタイルを二乃に示すことは、逆効果に見えて必要事項なのである。変化球に頼ることをやめたといっても、一花は姉としての在り方を取り戻したわけではない。何事もなく認めてもらいたいなら、ハッピーエンドを目指すことだけを考えるのであれば、愛を思い出した姿だけを見せるのが得策かもしれないが、所詮それは一花の全てではない。
今の一花には、妹を優先できるような優しさはないのだ。それは常に二乃に示さなければいけないものである。彼女にはその上で受け入れてもらいたいのだ。
(今この流れで決着がついてることを話しても、不自然でしかない。それに告白だけじゃなくて、お姉さんでない私がしてきたことも話さないと意味はないし……打ち明けるタイミングは見誤らないようにしないと)
そもそも、一花は自分の愛を示したところで、すんなりと二乃が譲ってくれるなどとは思っていない。この後も二乃との激しい攻防が繰り広げられると考えている。
なぜならこの恋は一花と二乃にとって、お互い相手を蹴落としてでも叶えたいと思うほどの本気の戦争なのだから。そんな彼女を最終的には想いで圧倒し、負けても仕方ないと説き伏せることが、一花の目的である。何か言いたそうな表情である二乃への警戒心は緩めない。
しかし、一花は自分の予想する展開が的外れであることには気付いていない。
(……だから、一花は……)
一通り姉の主張を聞いて、一花の強い想いを目の当たりにした二乃。彼女は、一花の風太郎への真剣な想いと姉妹に嫌われてもいいという覚悟だけではなく、妹より自分のしたいことを優先するのはお姉さん失格、という姉の言葉が心に突き刺さっていたのだ。
花火大会の日には惹かれはじめていたと語っていた一花。しかし、二乃は最近まで一花の風太郎への気持ちにはまったく気がつかなかった。おそらく、三玖の存在があったからだ。彼女が早くから風太郎へ好意を寄せていたがために、一花は姉として三玖を優先し、自分の想いは隠していたのだろう。
そして二乃は、今の一花の風太郎への想いの強さとその姿勢は、ずっと姉として自分の気持ちを抑制していたからこそ表れたものなのだということを知ってしまった。好きな素振りを見せなかったくせにと口にしたが、それは一花が姉としての自覚が強かったからなのだ。
そんな長女の在り方を知った次女が繰り出すのは、彼女への反論ではない。
「……そうね、ようやく理解できたわ。長女って、とっても大変なのね」
「?」
「今まで一花はずっと姉として、私たちを支えてくれた。それになにより、フー君を私たちの家庭教師でいさせるために一花がとっても頑張ってたことくらい、私だって知ってるもの。姉だからって家族を優先して自分の恋は二の次だなんて、とても私には真似できないわね」
「なぁに、どうしたの急に」
「五つ子の次女っていうポジションが気楽でストレスなくいられるものなんだっていうことを、思い知らされたのよ」
悔しさの滲む声でゆっくりと、二乃は一花への感謝を口にする。こうして一花の本心と対峙して、二乃は彼女が姉としてのジレンマを抱えていたことを痛感した。
五つ子は五等分。だが、母を亡くしてから姉としてあり続けた一花は、ずっと妹たちを引っ張ってくれていた。その在り方は二乃にとって、とても大きな心の支えとなっていたのだ。
「自主的に料理当番をしてるとはいってもそれは使命感からきたものじゃないし、そもそも長女とか次女とかの役割なんて、今まで私は考えたこともない。……ホント、その点においては一花の姿勢を認めざるを得ないわ。あんたは五つ子の長女として、とても立派なんだなって実感したわよ」
「……ふーん、あっそう。それで?」
褒め称える二乃の発言にも顔色を変えない一花。いくら称賛してくれようが風太郎を諦めるわけでもないだろうに、そんなことを言われたところで動ずることはない。
変わらないように見える姉の態度に二乃の心は沈むも、それも当然なのかもしれないと反省を込めて言葉を続ける。
「……だけどその在り方は、私たちの弱さと未熟さが生み出したもの。一花の強さと優しさに甘えて、たくさん大変な思いや我慢をさせた。それは本当に、言い訳のしようがない事実よ」
「………………」
「自分の置かれた立場に泣き言も文句も言わないで、ずっと、一花は……だから、私───」
「ちょっと待ってよ、さっきからなんなの?」
困惑から二乃の言葉を遮る一花。彼女にとってこの展開は想定外でしかない。
一花は自分の容赦ない発言に対して、まさか恋敵を思いやる言葉が返ってくるとは思っていなかったのだ。なんといっても相手は五つ子の中でダントツで感情的な二乃である。挑発した上に敵意まで示した以上厳しい反論が来るのだと予想していたばかりに、調子を狂わされる。
「別にさ、そんな私だけが称賛されるようなことはないよ。二乃だって自分で言ってるように、私たちのために毎朝毎晩、ずっとひとりで料理当番をこなしてくれてるじゃん。みんなが働く前も私ひとりで全部こなしてたわけじゃないんだし、その主張はおかしいよ。部屋の掃除なんていつも四葉にぶん投げてるし」
後ろめたさから一花は細めていた目を元に戻し、二乃の言葉を否定する。
今の一花は姉としての在り方を捨てることは最低だと、自らの行いが悪だと自覚したうえで、自分の気持ちを第一優先に生きている。そんな自分勝手な一花にとって恋敵である二乃が弱い姿を見せているのは、戦況を有利にするチャンスだ。ここで突き詰めて追い討ちをかければ、二乃に強い罪悪感を抱かせることができるだろう。
だが、性格こそ真っ黒であっても一花は外道まで堕ちてはいない。一花には日常生活を妹たちに支えられている自覚がある。そもそも人はひとりでは生きていけないと、一花自ら口にしたのだから。罪悪感があるなら譲れなどと言える立場ではない。
しかし二乃も一花の発言に調子づくことはなく、切ない瞳を向けて言葉を返す。
「違うの、家事の役割とかそういう単純なものじゃないわ。それにもし私が本気で料理当番が嫌だって言ったら、あんたたちは絶対、料理を覚えようとしてくれるでしょう?」
「……どうかな。努力してる三玖ならともかく私は元々上手じゃないし、断言はできないよ」
「いいのよ、料理は趣味の一環でもあるわけだし、それで怒りを感じたことなんてないわ。そもそも、当たり前のことに感謝を伝えていないのは、私も、きっとみんなも同じだもの」
「感謝って……そんなこと言ったら、私だって今まで口にしたことないし……」
「だからそうじゃないのよ。……私と違って、あんたは自覚すらないのね。ホント大違いだわ」
「……?」
一花は訝しげな視線を二乃に向ける。彼女が何について話しているのかわからないのだ。
そんな何も理解していない一花に心を痛めながらも、二乃は続ける。
「あのね、一花は長女として、五つ子のまとめ役としてただ私たちのそばにいてくれるだけで、みんなの心から不安を取り除いてくれるの。だから全員、驚きもあったけど家出にだってついてきた。あんたへの信頼が、感謝があったから、唐突で強引な家賃の五等分だってみんな素直に、何の反論もなく受け入れたのよ」
「え……?」
一花は戸惑いを隠せない。そんなことは一度たりとも聞いていない。立派な姉になれるように妹を導くのは長女の役目であり、母を亡くしてからの一花にとっては当然だったのだから、知るはずがないのだ。
さらに言うなら、今の一花は優しい言葉をかけてもらえるような女ではない。家賃の五等分も、一花が自分のしたいことに時間をかけるためのものである。全ては自分の恋を有利にする手段でしかない。
だというのに、二乃の切なさの篭る温かい眼差しは変わらない。
「私たちがこうして五人でいられるのは、パパの存在やお母さんの教えだけじゃないわ。みんな、今のアパート生活も充実してると思えているのは、フー君が私たちの先生でいてくれるのは……そして」
二乃は確信しているのだ。一花が長女でなければ、姉としての姿勢を見せてくれなければ、ずっと自分を含めた妹たちは成長することもできずに燻っていたままだったと。一花の存在なくして、今の自分はないと。感謝の想いを込めて、一花に告げる。
「お母さんが亡くなった後も私たちが私たちらしく、自分に素直でいられたのは、どんなことがあっても乗り越えられるって思えているのは───一花。あんたがずっと姉として、私たちの心の支えであり続けてくれているおかげなのよ」
「………………」
真っ直ぐな瞳と信頼を受けてバツの悪さを感じた一花は、黙り込むだけでなく二乃から目を逸らしてしまう。先ほど披露したカウンター戦法を、今度は一花が喰らうこととなってしまった。
一花の心に強く刺さるのは当然である。一花は風太郎と出会いオーディションに合格するまでは、自分が姉として立派かどうか自信がなかった。だが、二乃もまた風太郎と同様に、今までの一花の姉としての姿をしっかりと見ていてくれていたのだ。悔しいことに、素直に嬉しいと感じてしまった。
「だけど、それは甘えなのよね。一花の姉であるがゆえの苦悩なんて、私は今日まで考えたこともなかった。あることすら知らなかった。ほんの少し早く産まれただけでこんなに責任感が違うものなのかと、思い知らされたわ」
「二乃……」
「五つ子は五等分って言うけど、あんたはそんなのお構いなしに、自分の在り方を驕ることも鼻にかけることもなく、長女として自分よりも、私たちのことを優先してくれていた。一花の強さに甘えることが当たり前で、そのことへの感謝を伝えようともしなかった。だから、本当に……今まで、一花の姉としての頑張りを支えてあげられなくて……ごめんなさい」
頭を下げる二乃。最初の刺々しい雰囲気とのあまりの違いに、一花自身ここが戦場だということを忘れそうになってしまう。予想外の展開という他ない。
いくら自分の恋が第一優先で妹にも非常であれと誓った一花でも、二乃の想いは心に響いている。ゆえにそれがどうしたなどと無下にすることはできず、したいとも思わない。たしかに今の一花にとって二乃は自分の幸せの前に立ちはだかる強敵ではあるが、同時に血の繋がった妹だ。愛着がない、嫌いだなんてことはありえない。そんな相手にこの状況でフォローをしない選択肢など、一花にはない。
「二乃、謝ることないよ。あのね、私は必死にお母さんとして振る舞おうとする、悲しい姿の五月ちゃんをみたくなかったの。だからお姉さんらしくしようって思ったっていう、それだけの話。ただの私の勝手なんだから、そんな悲しそうな顔しないで」
「えっ……?」
「でも、結果的に私の姿がみんなに安心感を与えられていたなら、それは本当によかったって思ってる。ホント、つい最近まで全然自信なかったからね。立派なお姉さんになるための努力が身を結んでたっていうのは、素直に嬉しいよ」
「そ、そう……」
一花は姉として二乃を慰めようと、姉になるための背景を口にする。笑みこそなくとも、表情と雰囲気は風太郎への愛を語っていたときのように穏やかだ。
初めて姉が自ら語る心境の変化を聞いた二乃は、一花と気持ちが通じ合うのを感じていた。
(……あんた、やっぱりあの時から……)
一花が姉としての自覚を宿すきっかけを知った二乃。口ではあくまで自分のためと語っているが、かつての横暴な一花の姿が影を潜めたのは、今まで一花が姉としていてくれたのは、やはり妹ありきだったのだ。
姉である一花の存在が、自分だけでなく妹たちにとってなくてはならないものだったということを、二乃は再確認する。
「何も私は、無理矢理自分を押し殺してお姉さんでいたわけじゃないの。そこに後悔なんてひとつもないし、嫌だったとも思ってない。だってお姉さんらしくしないとって、私が自分の意思で、自分で決めたことなんだから」
「……一花……」
一花はそんな二乃の心中を察して、改めて気にするなと釘を刺す。そんな一花の妹を気遣ってくれる今までと変わらない姿に、二乃は安心感を抱いていた。
(やっぱり一花は変わってない。私たちへの優しさも、消えてないんだ)
自分の不甲斐なさを姉として優しく包み込んでくれた事実が、二乃にはとても嬉しかった。一花の事情を知ったところで変わることはなく、これからも今まで通り。そのままでいいのだと示してくれる変わらない長女の存在が、二乃に居心地の良さを感じさせてくれるのだ。
しかし一花からしてみれば大層なことは何もない。そもそも風太郎への想いを自覚するまでは、姉であるがゆえの苦しみは無に等しかった。悩みを抱えることもありはしたが、すでに女優として社会に進出している一花は、責任感をしっかりともっている。誰も自分の苦悩を察してくれないからといって被害者を気取って塞ぎ込むのは間違いだということを、彼女は理解している。
つまるところ、一花の姉としての立ち居振る舞いは、文句を言いながらも家事担当をしっかりこなしてくれる二乃と同じなのだ。一花もそれを当たり前のことだとして甘えているのだから、お互い様である。
相手の心と向き合って、互いに理解を深めた一花と二乃。だが、一花は自分の目的を忘れてはいない。
(二乃の言葉は嬉しいけど……だからといってフータロー君は譲れない。それは二乃だって、同じなはず)
今の一花は違う。雰囲気に呑まれることも、優先順位を見失うこともない。だからこそ一花は、これ以上は姉として妹を気遣う言葉も送らない。すでに姉としての在り方を捨てている以上、ただ自分の行いを正当化できる理由が欲しいだけにすぎないからだ。そんなものはたったひとつで十分である。
『悪いけど、蹴落としてでも叶えたい。そう思っちゃうわ』
一花の脳に焼き付いている、二乃の強い覚悟。忘れられるわけがない。今は穏やかな様子ではあるが、その内に秘める風太郎への想いはとても強く、姉妹よりも大切で優先できる存在であるのは間違いないのだ。
そして、それは一花も同じだ。母を亡くしてからは一花にとって当たり前だった、五つ子であっても姉として妹を常に気遣うスタイル。それを最初に認めて褒めてくれたのは、風太郎なのだ。作り笑いも、心の弱さも、長女であるがゆえに家族の誰にも晒すことができなかった少女である。
そんな一花がただひとり、寄り添いたいと思える風太郎。大好きな彼を独占しつつも、お互いに支え合いながらいつまでも一緒にいたい。それが一花の女としての望みで、今や妹以上に価値を置いているものである。
いくら二乃が姉である一花に感謝しているといっても、今の一花は二乃が慕ってくれる妹想いの長女ではないのだ。ならば、引き続き姉として振る舞うことは自分を偽ることになってしまう。一花にとってこの恋は、妹を傷つけてでも、蹴落としてでも叶えたい恋なのだから。
ゆえに一花は己の本心を晒し、話の軌道修正に入る。
「うん、ホント、私を気にかける必要なんてないよ。だって今の私はお姉さんとしての役割だとか振る舞いだとか、もうそんなのどうでもいいって思ってるしね」
「……は?」
「ん、聞こえなかった? ならもう一回言うね」
一花の言葉が理解できなかったのか、きょとんとした表情の二乃。対して一花はそれは当然だと言わんばかりに、涼しい顔で告げる。
「あのね、今の私はみんなよりもお姉さんとしての役割よりも、フータロー君と恋人として一緒にいることの方が大切なんだ。恋のためなら、二乃が信頼してくれるお姉さんの私なんて邪魔なだけ。だから、切り捨てることにしたの」
「……え……」
「自分で決めたことを勝手に破ろうが、そんなの私の自由でしょ? お金は稼いでるし、みんなに大きな迷惑をかけるわけでもないんだしさ。もう五月ちゃんも自分の夢を見つけて努力できるような立派な子に育ったわけだし、私だってお姉さんじゃなくて女として、自分の恋にわがままになったっていいよね」
今の自分はこういう女だと、求めているのは風太郎だけだと、一花は平然と語る。
姉として三玖の応援をしていたために自分の恋心を素直に表現することはできなかった一花の、それでも女として欲しいと願ってしまったわがまま。今までの姉としての自分すら捨てる、本気の恋だという一花の意思表示だ。
だが、それを受けた二乃の表情は再び曇る。
「……あんた、それ本気で言ってんの」
「当たり前じゃん。私がこの世で一番、フータロー君を必要としてるの。だから絶対誰にも渡さない。たとえ、どんなことをしてでも───ね」
「……っ……」
愛を思い出した今でも、一花の強い独占欲は、風太郎と自分が全てなのは変わらない。念願叶って掴み取った幸せを手放す気など毛頭ない。
そんな一花の狂気すら感じるほどの強い信念を宿した瞳に、二乃はたじろいでしまう。
(よし、ここだ……!)
自分の覚悟を伝え切った一花は、苦しそうな表情の二乃を見て、改めて気を引き締める。
途中想定外の展開に心を乱されたとはいえど、一花はおおよそ道筋通りにことを運べたと踏んでいた。お互いに心を通わせたあとで改めて妹より風太郎を優先すると口にすることで、二乃に風太郎への想いの強さ、今の自分は姉としての優しさはないという現実を知らしめることができたであろう。
俯いてしまった二乃を尻目に一花は、まだまだ私のターンは終わらない、そう意気込んで言葉を発しようとした。会話の流れ的にも不自然ではない今が好機だ。ここで一気にたたみかけて決着をつける。
(言わないと。私がフータロー君に好きだって告白したこと。そして私がついた嘘も打ち明けた上で、受け入れてくれたことを!)
どんなことをしてでも、何としてでも絶対に実らせたい恋。だから一花は五年間ずっと貫いてきた、姉としての自分すら切り捨てたのだ。それが最低だとわかっていても、叶えたいもの。誰のためでもない、他でもない自分の幸せのために、風太郎に告白したことを───
「でも……そこまでフー君を求めているなら、なおさらよ!! 私は今の一花のこと、絶対認めるわけにはいかないわ! あんたね、いくらフー君への想いは本物だろうと、本来の一花と違う冷たい姿が彼の目に魅力に映るだなんて、そんなことあるわけないでしょう!?」
「!」
だが、煽り過ぎた弊害か一花の思い通りとはならず、二乃に先手を取られてしまう。
一花は驚きのあまり目を見開くも、二乃からしてみれば当然だ。姉としての在り方を捨てることが彼女にとってどれだけ致命的か、一花はまったく理解していない。
「一花の魅力っていうのは、姉としてある中でより確立された包容力、優しさじゃない。一花の言う姉としての自分を邪魔だから切り捨てるっていうのは、今まであんたが私たちのために姉として頑張り続けた時間が、全部無駄だって言ってるのと同じことなのよ!!」
それは一花とは違い蹴落とす対象へ放つものではなく、姉に感謝している妹としての言葉。姉としての一花は、二乃から見てもとても頼れる、信頼できる存在なのだ。
しかし今の一花は違う。妹に敵意溢れる視線を向ける姉でない一花なんて、受け入れられるはずがない。
「悔しいけど誕プレの反応とかさっきのあんたの言葉を見聞きしても、一花のフー君への理解は私より深いと思ってるわ。それだけ姉としてのあんたは私たちに優しいだけじゃなくて、他の人のこともよく見ていて頼りになる、魅力に溢れた女なのよ」
「…………」
「きっとフー君だって、今まで姉として頑張ってきただけじゃなくて引き止めてくれた一花のこと、心から信頼しているはずよ。だからこそ、私は断言するわ! 今のあんたは、フー君を裏切ってる! いくら彼の前で猫を被ってたって、いつか絶対にフー君は一花の本性に気づくわ! そして、最後には嫌われて幻滅されるのがオチよっ!!」
二乃は懸命に一花に訴える。彼女の優しさに支えられてきたことによる感謝があるからこそ、今の冷たい一花は認められないのだ。そして、その感想を抱くのは風太郎も同じだと考えている。
「一花、聞いて。私はフー君が好き。だけど、みんなとの絆だって同じくらい大切なのよ。私にとって自慢の姉である本来の優しいあんただったら、たとえ負けたとしても……一花が選ばれても、祝福したいって思えるの! だから……!」
一花の眉が反応したのを、二乃は見逃さなかった。声が心に届いている確信。姉としての心が残っているのなら、先ほどと同じように今度も伝わると信じている。
なぜなら、それが二乃がずっと見てきた、安心感を与えてくれる、大好きな一花なのだから。今までと同じように妹の気持ちを汲んで、願いを聞いてくれるはずだ。姉への思いやりを込めて、二乃は真っ直ぐに本心をぶつける。
「お願い、もうこんな、一花らしくないことはやめてっ!!」
今までの優しい姉に戻ってほしいと、必死の想いで叫ぶ二乃。今の自分が二乃にはどう見えているのか、一花には容易に想像できる。かつてはガキ大将のようにわがままだった一花。四葉曰く意地悪な姉。むしろ今の自分には優しすぎる表現だと、一花は考えている。
姉でないために、一花は二乃の気持ちを素直に受け止めることができない。だが、それでも完全に消えはしないもの。一花が姉として在り続けなければならないとして心に宿した、妹の意思を尊重し優先する遠慮がちなスタイル。二乃の言葉は、一花に姉としての自分を取り戻さんとして良心を痛めつける。
「なんで」
これが未だ平行線の状態であれば、一花は素直に二乃の言葉に謝罪と感謝の気持ちを示し、和解できていたかもしれない。姉としての使命感を捨てることも卑怯な手段を用いていたことも、今の自分の行動も発言も全て姉として失格で、最低なものだという自覚は一花にはある。
そして一花は、自分の考えていた二乃の恋愛スタイルが間違いであったことと、彼女が何よりも五つ子の長女である中野一花を求めていることを知る。今までの彼女の発言も、それが全てなのだ。二乃は一花も三玖も、他の姉妹も蹴落とせはしない。それなのに。
「なんで、恋と絆が同等なの」
「……え?」
だというのに、すでに決着はついてしまっている。妹の決死の願いとそれに応えられない苦しさから、一花は───
「だったらどうして、蹴落としてでも叶えたいだなんて口にしたの!? そもそも二乃が相談なんてしなければ……あんなこと言わなければ、私は自分の本心に気づかずにいられた! フータロー君のことだって諦められた!! あの言葉さえなければ私はずっと、二乃が、みんなが望むお姉さんのままでいられたのにっ!!」
姉としての優しさも今の己の腹黒さも何もない、感情を露わにしたただの少女としての自分勝手な言葉を振りかざす。所詮、ただの逆上であった。
「い、一花……!?」
一花の悲痛な叫びに驚く二乃。すでに一花と風太郎が結ばれていることを知らない彼女からしてみれば当然の反応で、初めて目の当たりにする一花の姿に明らかな動揺を見せていた。
一花の主張はあくまでたらればであり、自分に都合の良い話でしかない。彼女自身、八つ当たりであることも理解している。それでも、大前提として二乃が一花を頼らなければ、あの相談がなければ、一花は今のように風太郎への恋心を妹の前で示すことはなく、姉として自分より妹を優先できたまま───すなわち、風太郎と結ばれる未来はなかったかもしれないのだ。
(どうして今更、そんなこと……!)
一花は今までずっと、三玖が風太郎に好意を抱いている以上自分の恋は諦めると決めていた。誰かの特別になってほしくないとみっともなく足掻き時間稼ぎに徹する卑怯な自分には、参戦する資格すらないと思っていた。自縄自縛で苦しんでいようがそんなことは妹には関係なく、それを自分で理解している一花には姉として抱え込む以外の選択肢など存在しなかったのだ。
何があっても、一花の中野家の五つ子の長女という肩書きは消えない。長女である以上、妹に自分から風太郎を独占したい、といったわがままを言えるはずがない。一花には姉としての強い使命感があったからこそ、三玖に風太郎への想いを気づかれたあとも彼女や風太郎の前ではそれを顕著にすることなく、サポートに徹していた。
自分本位な考えだとわかっていても思わずにはいられない。あの相談さえなければ、四葉の慰めを受けても風太郎を誰にも取られたくないという、身勝手な本心に気づかずにいれた可能性は考えられたのだと。風太郎にキスするなどと言わなければ、涙を流す姿を四葉に見られることもなく五つ子の長女としての宿命を受け入れて、好きな人に気持ちを伝えることも、恋心を知られることもないままに初恋を手放せたと。
(その都度その都度主張が変わる妹なんかに、私は……!)
心に怒りが込み上げてくる。一花が最初に激しい挑発を繰り返したのは、二乃が自分と同類だと思っていたことも大きく関係している。蹴落としてでも叶えたいと語っていた以上家族だろうと誰が相手でも容赦はしない、非常なれど本気の恋なのだと、一花は今日までずっとそう思っていた。
相談の際は恋に恋しているようにしか見えなかった二乃でも、恋愛についての価値観は一貫しているように一花には見えていた。彼の隣にいられるのはひとりだけという現実の残酷さを知ったうえで、姉妹以上に風太郎を求めているのだと考えていた。そもそもそうでないとあの相談もその後の行動も成り立たない。三玖の好意に気づいているにも関わらず出し抜こうとする程度には、姉妹より風太郎と結ばれることに価値を置いているはずなのだから。
譲るつもりはない、自分の恋は自分が幸せにならなければ意味はないとまで語り、迷いなく自分で進むべき道を導きだしたにもかかわらず、今は掌を返して負けても祝福できると宣っている二乃。聞き手の一花からしてみれば、その程度の想いならば最初から恋愛相談を持ちかけるなという話である。
ゆえに一花は、目まぐるしく変化する二乃の言い分に怒りを覚えているのだ。
「半端な覚悟で適当なことばっか言って、私を蹴落とす度胸なんてないくせに! なによりそれ以上に、私と違って家族の絆も大切に思えるなら、それは他でもない二乃だけの魅力なのにっ!! なんであんならしくもない、できもしないことを言ったのよっ!!」
「そ、そんな……私……」
「答えてよ、二乃っ!! 二乃はフータロー君と私たち、誰が一番大切なの!? フータロー君はひとりしかいないの! 五等分なんてできないの!! そんな当たり前のこともわかんない甘ちゃんの分際で蹴落とすだとか叶えたいだとか、ふざけないでよっ!!」
「っ、ううっ……」
一花が姉でないことを証明する、心を抉る言葉の刃。激しい怒りと苦しみの篭るそれは普段の彼女の姿とはかけ離れていることも相まって、切れ味は抜群だ。すでに普段の二乃の攻めの姿勢は失われており、一花の剣幕にただ圧倒されるだけであった。
そんなショックを受けている表情の二乃を見て、一花もヒートアップしていた感情が乱される。考えれば考えるほどに苦しい。自分が怒りを覚えるのは当然だと考えている一花だが、一方で自分が二乃の望む姉でないせいで妹を傷つけているという自覚も持っている。今の一花が自分の行いを正当化している、最低な女であることに変わりはない。
(……やっぱりお姉さんでない私は、認めてなんて……)
心が揺らぐ。自信などない。なぜなら、心が汚いのは、妹を蹴落としても構わない恋敵と見做していたのは一花だけだったのだから。
元から一花の考え方が腐っていた。最初から二乃のブレーキは壊れてなどいなかったのだ。互いに競い合うライバルだとは思いつつも、邪魔な敵だとは思っていない。先ほどの謝罪からしても二乃は常に自分本位な考えというわけではなく、自分の間違いを認めて反省できる少女なのだ。
それに、そもそも二乃は一度も、一花のように変装などの変化球には頼っていない。所構わずに直球勝負で、自分の姿と言葉で戦う少女だ。どこまでも一花の二乃に対する評価はまとはずれであった。中野家の次女はなにも恋が全てというわけではないのである。
しかし、そんな二乃の勝ち目はすでに消え失せている。一花が風太郎に幻滅されて別れを切り出されない限り、この自己中心的な長女より遥かに姉妹を想う次女が風太郎の隣にいることは叶わない。姉でないままの自分が認められてしまったという二乃にとって残酷な真実と彼女の信頼を裏切っていた現実が、一花の心を締め付ける。
(だけど私は、フータロー君が……フータロー君だけは……!)
それでも、一花は二乃の望む姉の姿を取り戻すことを拒む。どれだけジレンマに縛られようと、いくら二乃が姉としての一花を求めているといっても、姉でない自身が最底辺の存在であることを自覚していても、一花は姉である限り、絶対に自分の恋心を素直に表現することはできないのだ。
依然として答えを示さない二乃を見て、一花は強引に罪悪感を振り払って切り替える。結局全てはあの相談が原因だ。あんなものがなければ、あんな過激な発言をしなければ、一花は姉として自分の恋心を抑制できた。自分の気持ちが知られないままに二乃の望む姉として、妹の平穏を守れたのだ。それを打ち破る要因のひとつである相談への不満は消えるわけではない。
誰が相手でも譲るつもりはないはずなのに好きな男と姉妹を天秤にかけれないというのなら、もう容赦はしない。一花は再度鋭い眼差しで二乃を強く睨む。自分にそんな資格がないことはわかっていても止められない。
「……なんだ、選べないんだ。じゃああの相談はいったいなんだったの? 蹴落としてでも叶えたいってどういうこと? 自分の恋は自分が幸せにならなければ意味がないんじゃないの? 全部祝福したいって言葉と正反対じゃん」
「……そ、それは……」
強い怒りを滲ませた一花の視線と声色に、二乃は言葉を詰まらせる。最初の挑発とはまったく雰囲気の違う明確な敵意に、声が震えてしまう。
姉妹より風太郎に価値を見出す一花や三玖とは違い、二乃にとっては自分の恋も姉妹の絆も同じくらい大切なものである。他人ならまだしも、姉妹を蹴落とすような真似はしたくない。どちらもあっさり切り捨てられるような軽いものではないのだ。
だが、それは相談とは何も関係ない。自分の恋の成就のために二乃は一花を頼った。相談した時とは事情が違うとはいえど、当時と真逆のことを口にしているのも事実だ。この矛盾を説明できないもどかしさから、二乃は何も反論できない。
「なんで答えられないの? 二乃、私の言葉なんて聞く耳持たずに迷いなく結論を出して、私にお父さんの足止めを頼んでまでフータロー君に迫ろうとしてたじゃん。……それともなに、あの一連の行動は最初から好意を示すことによる私への牽制と、サポートを断れないようにさせることが本命だったってこと? それならあっさり自己完結したのも納得だけど」
「!? ちっ、違うっ!! そんな卑怯なこと、考えてたわけないじゃない! だって私はあの旅行までずっと、あんたの気持ちは─────」
見当違いな意見に負けじと反論するも、途中で二乃の言葉は失われる。
二乃は気づいてしまったのだ。今の自分の発言は、普段の一花を碌に見ていなかったという証明になってしまうということに。
何のために一花は、自分の恋心を隠していたのか。そして、その背景に今日までずっと気づけなかったのは、誰なのか。
「……し、知らなかった……から……」
声を絞り出すのが精一杯の二乃。二乃は五つ子の中でも姉妹が人一倍好きで、自分たちには絆があると思っている。だが、一花の気持ちに気づいていなかったという事実は、絆を大切にしているという言葉を疑問視されても仕方がない。
当然これは一花が姉として勝手に感情を押さえつけていただけであって、本来であれば二乃が自分を責める道理は全くない。だが、ここまでのやり取りで一花が妹のために本心を隠していたこと、その理由を知ってしまった以上、二乃は平常心ではいられない。
自分が今までまったく一花の心に目を向けていなかったことに気づかされてしまい、二乃の精神は擦り減らされていく。姉妹が好きなのは、大切なのは本当なのに、これでは説得力がない。
「……そっか。まぁ別になんでもいいよ。結局二乃は、どんな時でも私はお姉さんとしてあり続けろってことが言いたいんでしょ? お姉さんである以上私は、フータロー君に恋をしちゃいけなかったんだね」
「っ、そんな、一花にだって、フー君を求める権利はあるわよ! ただ私は、あんたが恋のために姉としての在り方を捨てることが、間違ってるって言いたいだけで……!」
一花の主張は後半部分以外は正しい。発言の意図を理解はしてくれているようで、二乃は我に帰り姉を説得する。
そう、間違っているのだ。姉であることを捨てた、冷たくて気遣いもできない上に妹に優しくない一花は、二乃はもちろん、誰も望んでいない。彼女の性格がそんな醜いものだと知ったら、風太郎を含む多くの人が幻滅するに違いないと、二乃は絶対的な確信を持っている。ゆえに一花はいかなる理由があろうと姉としてあり続ける必要があるというのが、二乃の考えだ。
二乃からすれば、一花を思いやっているつもりなのである。それなのに、一花の態度はまったく変わる様子がない。二乃が真に求めているものを知ってしまったからだ。
「……だからそれがお姉さんでいてほしいってことでしょ。いいよ、もう私、わかってるから」
「……え……?」
嫌な予感を感じとる二乃。表情から怒りは感じられないのに、冷や汗が出てしまう。わかってるって、一体何を───
「二乃、私がお姉さんでいたからみんな自分らしくいれるって言ってたじゃん。あの言葉もそのあとのお願いも全部、これからも私はずっと変わらずに二乃の望むお姉さんであり続けろって、そう言いたいんだよね」
何を言っているのかわからなかった。だが、一花のどこか諦観しきっているように見える瞳に、二乃の思考はひどくクリアになり、心が揺さぶられる。
先ほど一花が気にするなと慰めてくれた時、二乃は一花の変化の背景を知ってもなお、何も変わらずにいられることに嬉しさを感じていた。このように、二乃は一花や自分自身を含め、必要以上の変化を望んでなどいないのだ。
それはつまり、一花はいつまでも五つ子の長女として自分より妹を優先し、その役割を全うしてくれると───
「ち、ちがう……」
そんな意図はない。あるはずがない。声が震えているのは断じて核心に迫られたからではない。二乃に一花の気持ちを無視しているつもりなどない。
数分前になって初めて言葉にしたとはいえど、一花への信頼と感謝は二乃の頭にあった。決して姉でいてくれる一花が自分にとって都合が良いから望んでいるわけではないと、あくまでこれは一花のためだと、二乃は信じて疑わない。優しい姉の一花なら祝福できると思う気持ちに嘘はなく、彼女を姉でいさせてしまったことについても謝罪したのだから。
ただし、それはそれ、これはこれ。それ以上に二乃は姉でない一花を受け入れられない。自分のこの考えは、優しい一花を知る者ならば誰もが抱いて当然のものだと思っているからだ。
「違うわよっ、一花!! 私、そんなつもりで言ったんじゃないっ! 私は本当に、本当に今までのあんたに感謝してて、だから……!」
「だからなに? 感謝してるから引き続きよろしくねって言いたいんでしょ? 何回も言わせないでよ」
「っ、それは」
「いいよ、私だって妹に甘えてる部分はあるわけだし、別に責めてるわけじゃないの。ただ単に、改めてお姉さんでない今の私は、妹の言葉を額面通りにしか受け止められないうえに期待にも応えられない、どうしようもなく最低な女なんだって自覚しただけ。……ごめんね、私がフータロー君に恋なんてしなければ、いつまでも二乃の望む私でいられたのに」
「く、うぅ……そんなこと、言わないでよ……」
だが、二乃の想いは届かない。一花に自分の言葉を信じてもらえないどころか聞く耳すら持ってくれない現実に、二乃の心は折れそうになる。
ただ元の妹を想う優しい姉に戻ってほしい、それだけだというのに、まったく伝わらない。どうして自分の気持ちを理解してもらえないのか、なぜ一花はそこまで姉としての姿を取り戻すことを拒むのか、二乃には全くわからない。
心を抉られただけでなく戦う気力までも削がれてしまい、もはや二乃は泣く一歩手前である。しかし一方で一花も、自分のどうしようもない馬鹿さ加減に失望していた。
(私が二乃の気持ちを見誤っていたせいで、こんな……)
先ほど二乃の謝罪を受けた時は罪悪感を利用したり、姉であることを盾にはしないと思っていた一花。しかし二乃の本心を知った今は、どんな感情より風太郎の彼女としてありたいという想いが勝っているために、禁じ手を用いてまで二乃を追い詰めている。姉でない自分は妹にとって無価値な存在なのだと一花自ら告げることは、今の二乃からしてみれば嫌味を口にしているとしか考えられないだろう。
だが、それは一花の本心でもあるのだ。結局一花が最後まで姉として間違えなければ、あるいは妹を優先できたままであれば、二乃が傷つくことはなかったのだから。どれだけ自分が悪いことをしているか、一花はしかと心に刻みつけている。彼女もまた苦しいのは変わらない。
それでも、一花は罪悪感を表情には出さない。妹の傷に比べれば今の自分の心の痛みなんぞかわいいものだと、理解しているからだ。一花の望みは、最初からずっと変わらない。
「だけど、そんなの私の知ったことじゃない。だいたい二乃の気遣いは杞憂でしかないしね。私はみんなにどう思われようとも、もう迷わないんだ」
「……?」
「さっき言ったでしょ、二乃の出る幕なんてないって。だってもう、フータロー君と私は、とっくに……」
辛そうな表情で一花に目線を向ける二乃。すでにメンタルで圧倒的に一花が上回っている状態ではあるが、状況は最悪なことに変わりはない。このような展開で打ち明けることにはなったのは、間違いなく一花の愚かさが原因だ。
それでも、どれだけ己の最低さで苦しもうと、一花の決意は変わらない。妹の受け売りではあるが、自分の恋は自分が幸せにならなければ意味がないのだから。発言の後の行動からしても、それは紛れもなく二乃の本心だったはずだ。
いくら周りが優しい、気が効くと称賛してくれようと、その心は見るに耐えない醜悪なもの。所詮姉でない自分は外面が良いだけの心の腐り切った醜い女なのだと戒めながらも、一花は必殺のジョーカーで勝負を決めにいく。
「彼氏と彼女。恋人同士、なんだ」
終戦を告げる一花。しかし、その表情から充実感、達成感といったものは見受けられない。
「……え? こ、恋人、同士……?」
「うん。私はどんな手を使ってでもフータロー君の彼女になりたかった。だから、私も───フータロー君に告白したの。それも合計四回」
「!?」
明かされる衝撃の真実に二乃は激しい動揺を見せる。だが、一花としては本来かなり前に話すはずだったこと。二乃が何よりも姉である一花を求めていたことを気づけなかったがために、彼女を深く傷つけた後である最悪のタイミングで打ち明けることとなってしまった。
「最初は三玖の姿で告白して、私の好意を認識させた。二回目は自分の姿でデートの誘いを持ちかけて積極的にアピールして、私の好きを知ってもらった。お互いにキスをして、気持ちを確かめあった。そして……三回目。私の全てを、打ち明けたんだ」
「へ……キス? ……すべ、て……?」
「うん。私がしたのは愛の告白だけじゃない。三玖の姿での告白もそうだし、誕プレの時の悪行とか、自分の恋のためについた嘘。そして、お姉さんでない昔の私……なにもかもね。フータロー君は私の汚い本性も、全部知ってるの」
「……!」
「嘘をついたままなんてありえないよ。大好きだからこそ隠し事はしたくない。私が今こうして自分のためだけに単独で動いてることも、全部知ってる。だってたくさんの愛と感謝をくれたフータロー君は、私にとってかけがえのない存在なんだから」
一花は恋心関係に至るまでの詳細を話す。圧倒的な情報量に二乃の脳はパンクしているようだが、当然これで終わりではない。大事なのはここからだ。
「でも私ね、最初に自分の嘘を打ち明けた時には絶望してたんだよ。フータロー君はお姉さんとしての私に信頼と感謝を寄せていたからデートの誘いを受けてくれた。そのことには気づけたのに、私は醜い自分を隠したまま好かれようとしてたんだ。それがどれだけ最低なことか、そんなことにすら気づかなかった」
「…………」
「……自分の過ちに気づいた時にはもう遅かった。話さなくちゃいけないとは思ってたけど、実際に嘘を打ち明けて自分の行動を振り返って、初めて自覚したの。私は、お姉さんとしての役割を忘れて、身勝手な欲のために三玖の姿を利用した時点で詰んでいたんだって。ホントどうしようもない馬鹿女だよね、私」
一花が風太郎についた嘘。隠していた姉でない自分。想いが溢れたゆえの行動だからだなんて、そんなのは言い訳にもならない。自分の姿で正々堂々と立ち向かった二乃とは違い、道徳を無視した最低な行いだ。
「やっぱ、二乃みたいに考えるのが普通なんだよね。私はお姉さんなんだってことを、忘れちゃいけなかった。お姉さんでいたから私を信頼してくれた。みんな私をそういう人間だと思ってくれてるんだから当然だよ。私自身は昔から、自分のことしか考えてない女なんだけどね」
「……っ」
「それでもお姉さんとしてみんなを優先できてたからよかったけど、逆に言えば私の取り柄なんてそれだけ。そんな女が自分の気持ちに素直になったって、認められるわけがない。実際卑怯な手段に手を染めたわけだし、二乃の言うことは正しいと思うよ。こんなお姉さんでない私を、誰が好きになって、愛してくれるんだって話だよね」
「……それ、は…………でも……」
一花は自虐的に笑いながら、今の自分を否定する。周りに求められているのは姉としての一花。そうでない自分は誰からも認めてもらえないと、風太郎に全てを打ち明けた時の一花は本気で思っていた。考えを改めても嘘をついていた事実は消えない。風太郎も妹たちも姉としての自分を信頼してくれたのに勝手に裏切ったのだから、一花としては当然の結論である。
実際、この場で二乃は認めないと口にしたのだ。自分の恋を諦めてでもなお、一花に姉でいることを求めた。それだけ今の一花は二乃にとって受け入れ難い、醜い存在ということだ。所詮今の姉でない一花は自他共に認める、ただの最低な嘘つき性悪女なのである。
「私はフータロー君に好かれたいあまり、愛を見失って嘘をついた。好きになってくれたのに裏切るような真似をした。フータロー君の信頼を踏みにじった。……こんな心の汚い女、フータロー君に見放されて、幻滅されて、嫌われて……当然だと思ってた。……なのに、フータロー君は……」
それでも、風太郎は。
「フータロー君は、私を……許して、くれたの」
この世で最も愛した男は、姉でない一花の愛も嘘ではないと言って、信じてくれたのだ。
最初はただ修羅場が書きたかっただけなんです…ホント万人受けするような妄想じゃないですね