「……っ、はぁ……!」
スタミナ度外視で風太郎は走る。体力の有無なぞ関係ない。自分たちの抱えている葛藤より、失恋した少女の苦しみの方が遥かに大きいことを理解しているからだ。
風太郎は全員が笑顔で卒業できるハッピーエンドを諦めてはいない。たしかに一花とのやり取りで、二乃の心はひどく傷ついただろう。しかし、それを一花のせいにしていないことはすでにわかっている。一花からのメッセージを再生し終わった後、二乃が電話をかけてきたのだ。
『っ、ひぐっ……ごめんなさい……フー君、一度でいいから……私の話を、聞いて……』
通話口から聞こえた、弱り切った二乃の声。彼女が感じているのは悔しさなどではなく、失意と悲壮だ。これならば十分にチャンスはある。弱ってる時に攻め込むのはどうかとは思うが、間違いなく怒りよりは説得はしやすいだろう。
そのまま限界まで全力疾走を続けると、道端の芝生で体育座りをして俯いている二乃の姿が視界に入った。
「二乃……!」
「! フー君……」
風太郎の声に、二乃は顔をあげる。
「……来てくれたのね。早いわね」
「……そ、そりゃあな。俺たちにとって、この修学旅行は青春をエンジョイするだけのものじゃねぇ。決着を、つけにきたんだ」
「…………座って」
息切れを起こしながらも、風太郎は二乃から視線を逸らさずに成すべきことを告げる。
二乃は風太郎に隣に座るように促すも、その声は弱々しい。目元は赤く、泣いていたことがうかがえる。
そんな彼女に何から話したものかなと思っていると、二乃が質問を投げかけてきた。
「そのね、まず……聞きたいことが、いくつかあるわ。……フー君、一花と恋人関係なのって、ホントなの?」
「あぁ、そうだ。俺は一花に告白されて、それを受け入れた。だから、お前とは付き合えない」
「…………」
迷いがないがゆえの即答に、苦しそうな表情の二乃。風太郎の心は締め付けられる。慣れない、慣れたくもない。自分の口から伝えなければならないことではあるが、すでに一花が恋人関係を打ち明けた以上、これは彼女の心に追い討ちをかけるような行為なのだ。
だが、それでもしなければならない。全員が笑顔で卒業できる、ハッピーエンドのために。
「……わかったわ。もう、私の恋は終わっているのね」
「……悪い。だけど、俺の答えは変わらない。俺はなによりも、一花の笑顔を守りたいんだ。姉として戦い続けたあいつを、支えたい」
怠け癖をそなえつつも基本的には優しく、勉強も仕事も全力で取り組んでいた一花。たとえ風太郎と恋人関係でなかったとしても、彼女が姉でないとしても、信頼を重ねている以上その姿勢が失われることはないと確信している。
風太郎は、そんな努力をし続ける一花の心の支えになりたいのだ。三玖や四葉にも提示した、自分の答えを口にする。
「一花から昔の自分のことも全部聞いたっていうのも、ホントなの?」
「あぁ。昔のあいつは意地悪な姉で、今はその姿も垣間見えてるわけだな。俺へのプレゼントをひとりだけ贈ろうとしたり、三玖に変装して一花自身の俺への好意をアピールしたりとか、全部聞いたよ。あいつにあんな一面があったとは驚いた」
「……そう。本当に、全てを打ち明けたのね」
やはり先刻の一花とのやりとりもあってか、疑問はあれど反論はない。スムーズに話が進むのは悪いことではないが、二乃の表情が晴れるわけではない。これではまだ赤点だ。彼女を消沈させたままでなく、心から納得させられる満点の回答を出せるかは風太郎次第だ。
「……フー君は、一花のそういう悪いところも受け入れてるの? 好きだっていうの?」
「そうだな……魅力と言われると違うかもしれないが、少なくともマイナスにはならない。一花が昔に戻ったっていうなら、あいつの行動の理由に共感できる部分があるんだよ」
欠点がない人間などいない。そういった部分とも向き合って時には本心をさらけ出して、人はより関係を深めていくのだ。
「その……金太郎の写真、見ただろ? 実はあれは、小六の頃の俺なんだ」
「えっ……? あのやさぐれヤンキーが、昔のフー君、なの?」
「あぁ、そうだ」
落ち込んでいることもあって控えめではあるが、驚いた表情の二乃。どこかで見かけた記憶のある少年が今好きな人だということに運命的なものを感じるも、それによってもうひとつ気づく事実。
(だから一花は、会った時から……)
四葉が一日を過ごしたと語っていた少年と、旅館で遊んでいたのは一花だった。一花が初めから風太郎を気にかけていたことには気づいていた二乃。この出来事が関係しているのだろう。
「妹のことは大切に思ってたけど、俺だって最初から今みたいな勉強第一の男だったわけじゃねぇ。昔の俺は勉強嫌いで傍若無人で、自分が楽しいと思うことだけにエネルギーを注いでたんだよ。トランプで負けた友達にトラウマものの罰ゲームしたりとかな。昔の横暴だった一花と似たようなもんなんだ」
「そう……なのね。驚きだわ」
「そりゃそうだよな。その……バレるのが恥ずかしくて、嘘ついてすまなかった」
「そんな、謝らなくていいわよ」
「……そうか」
昔の馬鹿だった自分を打ち明ける風太郎。ゆえに、昔の一花を知ったところで風太郎の彼女への印象が悪くなることはない。そもそも当時はまだ小学生で、価値観もまだ完全には形成されていない時期だ。
それに、たとえかつての一花がいくら横暴でわがままだったといっても、本当に大事なものは見失っていないことは、彼女の変容を見れば明らかである。
「そんな俺たちだけど、転機が訪れたんだ。いつまでもこのままじゃいられないってわかって、長男として長女として、俺も一花も妹のために変わろうとしたんだ。だからあの時の一花にも、そして今の一花も、妹を想う気持ちはあるんだって、俺は信じている。お前たちが今までずっと仲良くできていたのは、一花の変化があってこそなんだって、お前もそう思ってるんだろ」
「…………」
少し間を置いて、二乃は頷く。
「実際、生まれ変わった姉であるあいつは、俺にとっても頼もしい存在だ。仕事の合間に勉強するくらいには、立派な努力家だしな。些細な気配りとかができる優しさは俺とは違う。成績の心配もないし、すでに働いて自分の夢を叶えつつある。だから、教師として俺があいつにできることなんて、そうないと思ってた」
風太郎自身、一花の気遣いに支えられたことが何度かある。それは姉としてある中で身についたスキルであり、勉学一筋で人間関係の構成を無駄と断じていた風太郎にはないものだ。自分にないものを持つ一花の支えは、頼もしくもありありがたくもあった。二乃が頼りにするのも納得である。
だが、やはり初めからそうであったわけではない。長男、長女としての使命感。戦わなければならないという、強い意志。それを得るために、風太郎も一花も切り捨てたものがある。
それが、自分の欲。自分を甘やかしてしまっては、家族が、妹が大変な思いをすることになる。妹のために、誰かに甘えることは許されない。風太郎はずっとそう戒めていた。
一花も同じだ。自分で決めた道を自分の足で進む。長女として戦う決意を瞳に宿し、変わる決心をして立ち上がったのだ。そうしてお互いに確立したスタイルが、妹を優先する、というものである。一花も風太郎も、その決意を自分の都合で覆したことは、多くの人からすると悪と思われるのだろう。しかし。
「でも……俺は忘れちまってた。人間である以上、ほとんどの人が持つ欲求……信頼できる誰か、心の拠り所である存在に甘えたいという心。そして、それは……長女であるあいつもまた、封じ込めていたものなんだ」
「!」
姉である一花は、基本的に冗談半分でしかわがままを口にしない。常に妹の存在が頭にある以上、彼女たちを気遣うのが当然なのだ。
そういった一花の在り方が妹たちの支えになっていたのは事実だろう。二乃が相談相手として頼った以外にも、一花は陸上部とのいざこざが会った際には姉としての姿を見せて、四葉の本心を引き出すことに成功したのだ。これは五つ子の中で、一花だからこそできたことといえるだろう。このように一花が姉としてある限り、妹たちは彼女に甘え、頼ることができる。
だが、これでは一花は誰にも甘えられない。風太郎はその事実に気付いてしまったのだ。
「実の両親がいない以上、お前たちが親からの愛情を十分に受けられなかったのは想像がつく。大変だったのはみんな一緒だと思うが、そんな状況での一花の姉であるがゆえの葛藤は、きっと実の父親がいる俺とは比べものにならないものだ。あいつの我慢や作り笑いも、姉としてある中で自然と現れるようになったんだろう」
「…………」
「だけど……俺といると、一花は本当に幸せそうに笑うんだ。初期にあいつの無理した作り笑いを見てしまったせいか、俺も嬉しくなっちまうんだよ」
なぜか見抜けた作り笑い。決してそれは偶然などではなかった。この場において不相応だとは思いつつも、最初から気にかけてくれていた一花の姿を思い返し、風太郎の声には喜びが滲む。
「あの時一花に誘いをかけられなければ、俺はあいつの抱えるものに一生気づかなかったと思ってる。やり方は俗にいう抜け駆けってやつだが、それに応じたのは俺だ。そして、俺は……もしお前たちに同じ提案をされても、その誘いには乗らなかった。俺は長女として頑張り続けたあいつの努力を知っているから、一度は誘いを断った時に浮かべたあいつの作り笑いが見ていて辛かったから、一花のわがままに応えたんだ」
「……っ……」
「引き止めてくれたあいつへの感謝の気持ちとして、俺は自分の一日を差し出した。その結果、まんまとやられちまった。一花の真剣な気持ちに、俺は心打たれた。そして、ずっとあいつは、俺を心のどこかで必要としてくれていたことに気づいたんだ。姉として頑張ってきたあいつの気持ちに応えたい、あいつがいつまでも笑顔でいられるようにそばにいてやりたい、そう思ったんだ」
風太郎は、一花の心の弱さを垣間見てきた。長女であるがゆえの作り笑い、林間学校でのダンスを一方的に断った時の涙。彼女は五つ子の長女である以前に、普通の女の子なのだ。実際に見た当初はそれが一花の弱さだとはわからなかったが、今は違う。家族ではないゆえに対等なパートナーである風太郎は、一花にとって弱さを曝け出せる存在と思ってくれているのだと理解できた。
「今の一花の在り方はお前にとって、受け入れ難いものだったんだろう。昔みたいに自分のことだけを考えてる一花に、お前は抵抗を感じているんだと思う。あいつのしたことに驚いたのは俺だって同じだしな。でも……俺も一花と同罪なんだよ。嘘をついたこともそうだが、自分の幸せを一番に願うのは、人として当然のことだ」
「ぁ……」
「俺は長男だから、長女として頑張ってきた一花の気持ちがわかるんだ。本当はそれがいけないことだってわかってても、止めることができなかった。それが、恋ってやつなんだろ」
「!」
今まで姉としてあり続けた、三玖とは違うベクトルで控えめな一花。そんな彼女が自分の恋のために、覚悟を決めて立ち上がった。一度は卑怯な手段に手を染めはしたが、たとえ誰が否定しても、風太郎は彼女の変化を姉失格だと断じることなどしない。
「さっきも言ったが、俺も二乃と同じように姉としての自覚が強いあいつは頼りになる存在だと思ってる。だけど、だからこそ───姉としてあり続けたあいつの心からの信頼が、たまらなく嬉しいんだ。お前には悪いと思うが、俺はあいつがサボりの提案をしてくれてよかったと思っている。一花の心の内を知ることができて、必要としてくれてることがわかったからな」
「…………」
「だから、たとえどんなにお前が認めたくない、納得できないと思ったとしても……俺は一花への愛を貫き通す。俺は一花が、あいつの心からの笑顔が大好きなんだ。申し訳ないが、二乃の気持ちには応えられない。本当に、すまない」
風太郎は再度頭を下げる。この心は変わらないという意思表示だ。
「……ううん。いいのよフー君、頭を上げて」
風太郎が二乃の言葉で頭を上げると、彼女は切なげな笑みを浮かべていた。
「あんた、気付いてたのね。一花が最初に出会った時からずっと、フー君を気にかけてたこと」
「! ……いや、まぁ……気づいたのは一花と一緒に過ごした時だから、自信を持っていえることじゃねぇけどな」
「……それでも、まだ半年程度なのに、すごいわよ。私、謝らないといけないわ」
「……二乃?」
だが、その表情はすぐに沈む。辛い感情が表に出てきたのだと、風太郎にも理解できた。
「……ごめん、なさい。あんたたちの、邪魔ばかりして」
瞳から涙をこぼし、二乃が謝罪する。今までの己の行動を悔やんでいるのだ。改めて風太郎の気持ちを聞いて、二乃は自分がいかに自分本位であったかを自覚してしまった。
一花と仲直りしたい気持ちがあったのに、もう心は折れてしまった。こんな最低な妹が、受け入れられるわけがない。
「一花はずっと、私たちのためにお姉ちゃんでいてくれた。一花の強さに、優しさに甘えてた。私たちが自然体でいられるのは一花がいてくれたからなのに……それが普通すぎて、今日までずっと気付かなかったわ」
「……」
「さっきまで私、一花と会って話してたの。私たちのことなんてどうでもよさそうな言動が、態度が嫌で、元の優しいお姉ちゃんに戻ってって説得したんだけど……一花、すごく怒っちゃったの。一花のあんな姿、初めて見たわ。それは長女として自分の気持ちを抑え込んで、我慢していたからなのよね。なにもかも全部、私のせいだわ」
「! いや、全部お前のせいだなんて、そんなことは……!」
やはり、一花の激怒は二乃にとっても初めてだったのだ。風太郎も目の当たりにしたわけではないが、怒声を聞いた時は驚いた。
妹ですら見たことのない、一花の激しい怒り。風太郎はその背景にあるものを把握してはいるが、二乃は自分が全ての元凶だと信じて疑わない。
「違うわ、悪いのは私なの。一花もフー君も私のことを姉妹思いだって言ってたけど、そんなことないわ。だって私、一花がフー君のことを出会ったころから気にかけてたの知ってたのに、あんたのことで相談を持ちかけたの」
「!」
「私は一花が力になってくれるのが、当たり前だって思ってた。だから私の恋を手助けしろって、妹の立場を盾にしてお願いしたの。私は一花の恋心に気づけなかった。それは、私が一花は変わらないと思ってたから。私はずっと、一花を支えずに五つ子の姉としての責任を全部押し付けていたから、それで一花が苦しんでるなんて知らなかったから、こんな最低なことができたのよ……」
偏見や差別をほとんどせずに誰にでも優しくあれるその在り方もあって、多くの人から好かれる一花。しかし、だからといって一花は遊んでばかりということはなく、広く浅くと言うべきか、波風立てずに誰とでも程よい関係を築いていた。
そんな一花が、風太郎のことを他の人とはどこか違う目で見ていることを二乃は認識していた。姉妹のことをろくに把握していない二乃でもわかったことである。自分の風太郎への好意が一花に知られていることに気付いていなかったとはいえど、あの相談と一花へのお願いは彼女の心に深い傷を負わせていたのだ。
最初から心を開いていたというわけではなくとも、一花にとって風太郎は他の人とは違うどこか特別な存在だったのだろう。
「ずっとお姉ちゃんでいてくれた一花は、そんな自分を捨てて初めて、恋心を素直に表現できるのよね。それなのに、私は、自分が安心感を得られるから、一花にお姉ちゃんでいろって……これからもずっと、恋心を殺して、私たちのそばで支えろって、勝手な理想を押し付けて……!」
「二乃……」
「振り返ってみればいつもそうよ。私は自分のことは棚に上げて、人の心には見向きもしない。今日まで私は一花の心の内を何も知らなかった。知ろうとも思わなかった。髪を切れた今も変化を拒んでいるのは、変わらなかったのよ。私の一花への理解度は今どころか半年前くらい前のフー君以下なんだって、ようやく自覚したわ」
「……っ」
「一花はただ長女ってだけで恋心を我慢して、苦しんでいたのに。私は自分に都合が良いからって私が理想とする一花が全てだと思い込んで、一花の心に、抱えるものに目を向けようともしなかった。私は一花のことを、聞き分けのいい、自分に都合の良い道具としか思ってなかったのよ……」
涙を流しながら自分を責め続ける二乃。悲しい背中を見せて立ち去った三玖の時にも感じたもの。違う。心から納得して欲しくとも、こんな傷ついたまま受け入れてほしいわけではない。
「私は、お姉ちゃんでいてくれる一花を望んでた。変わっていくみんなが嫌だったから、一花だけは変わってほしくなかった。そんな一花が好きだったし、それ以外の一花は求めてなかった。一花のことをなにひとつわかってないのに姉妹の絆が大切だとか、笑わせるわよね。こんな愚図で最低な女、一花にもフー君にも、見放されて当然よ」
「…………」
「一花、私が恋なんてしなければよかったんだよねって言ってたの。三玖は恋をして変わったのに、私も恋をして、四葉には変わりなさいって言えるようになったのに、私は一花の変化は拒絶した。つまり、姉として自分を押し殺す一花以外を求めてなかったっていうことよ。これが最低じゃなきゃ、なんだっていうのよ……」
「…………………」
「ようやく、目が覚めたわ。私は自分が嫌だからって一花に変わらないでいてくれることを望む、そのために一花の全部を否定するような、どうしようもない妹なんだって。……フー君も、ごめんなさい。私みたいな女に告白されても、迷惑でしか、なかったわよね。ごめんなさい、もう今日限りで、最後にするから……今後一生、一花とフー君には近寄ったりしな───」
「そんなことあるわけないだろ!!」
声を荒らげて風太郎は否定する。所詮は自己満足。そもそも告白を拒絶しているのに傷ついてほしくないだなんて、勝手にもほどがある。一花と触れ合う中で客観的な視点を身につけつつある風太郎は、それを強く自覚している。
だけど、それでも。友達として、教師として、男として。二乃を傷つけたままというのは許せない。彼女もまた、時には助けてくれたひとりの大切な生徒だ。
一花の五つ子マニュアルを思い出すまでもない。二乃には、負けないくらい強く。要は心の持ちようだ。同情するのではなく、二乃を思いやる心に魂を込めるのだ。
「え……フー君……?」
「確かに今の一花は姉じゃないかもしれない。だけど、だからって下の妹がかわいくないだなんて、嫌いだなんて絶対ありえねぇ。一花だって、本当はお前たちと仲良くしたいに決まってる。俺だって長男だ。あいつの苦悩なんて、たとえ恋人でなかったとしてもわかる」
「……? どういう、こと……?」
「あいつには罪悪感があったんだ。お前の言葉が心に染みているからこそ、苦しかった。だからあいつは、わざと突き放すような言い方をしたんだよ。自分が勝ったくせに苦しむ資格なんてない、ってな。それに二乃の姉妹想いだって、俺は嘘だとは思わない。本当に一花の想いが響いてなかったら、お前はあいつを信じることなく、感情に任せて怒りをぶつけていたはずだ」
「……っ」
二乃の性格は風太郎もよく理解している。頑固で感情的で、わがままで反抗的。風太郎も譲れないものがある以上、幾度となくぶつかりあった。
それが彼女の根本である以上、一花の心に目を向けることができず、そんな彼女をありのままの姿と思い込むのも当然なのかもしれない。それでも、二乃が一花に怒りを抱くことはなかった。そこには深い意味がある。
「だけどお前は一花を責めることなく、自分の未熟さを責めた。あいつの本気の想いと向き合って、それを否定しなかったんだ。それはお前に一花を想う気持ちがあるからだって、俺は絶対の自信を持って言える。お前は決して、わがままなだけの女じゃない」
「え……?」
これが二乃が、一花が大好きだという所以。彼女への感謝があるから、大好きだからこそ、一花が抱えるものを知らなかったことが許せなかったのだ。
姉である一花だからお願いを聞いてくれる、という考えが少なからず二乃にはあったように、どこか信頼に歪みがあったのは事実だろう。だからこそ予想外の大喧嘩になってしまった。
そのような一花への期待、認識といったものは改めなければならないところだ。長女だから妹を優先しなくてはならないなんて、そんな決まりはどこにもないのだから。だが、二乃の考え全てが間違いというわけではない。
「誰だって自分が一番大切で当然なんだ。四葉みたいに自分の心を傷つけまいと自己保身に走ったり、一花や三玖のように、自分の幸せのためにわがままになる。最初の頃の俺やお前のように、目的のために手段を選ばないことだってある。俺たちは、みんな公平に馬鹿なんだよ」
「ぁ……」
「だから、これ以上自分を傷つけないでくれ。一緒に反省して、成長していけばいいんだ。俺もお前も、もちろん一花もな。少しずつ、相手のことも考えてあげられるようになっていこうぜ」
結局のところ、一花の言う通りだ。風太郎も彼を巡る姉妹も、全員自分勝手なのである。誰もがみんな、自分を優先するのは当たり前だ。
「二乃、お前とは衝突が一番多かったな。お互いに譲れないもの、守りたいものがあって、何度も対立した。俺自身、お前が一番わがままで姉妹馬鹿だと思っている。今でもその印象は変わんねぇ」
風太郎は出会った当初の二乃を振り返る。二乃には二乃なりの強い信念があって、かつては風太郎を拒絶した。そして、今の彼女はそれをあっさりと捨て置いて、自分の恋の成就のために猪突猛進し続けた。自分の気持ちにいつでも素直であれることは、二乃の強さだ。
「それでも、どういうわけか最初の試験の時は俺を助けてくれた。顔も見たくない相手だろうに、俺が落ち込んでいた時は話を聞いてくれた。そして、俺に真剣な恋心を言葉でぶつけてくれたのは───二乃。正真正銘、お前が一番最初だ」
「!」
「恋を下らないものと思ってた俺でも、二乃の真っ直ぐな告白は本気の想いなんだって伝わった。だってお前は何事も遠回りなんてせずに、正々堂々正面から立ち向かうやつだって知っているから。お前のその強さがなければ、今でも俺は愛がなんなのか理解できていなかったかもしれない」
そんな彼女がくれた、愛の告白。他人を遠ざけてきた風太郎にとって、一生忘れられないものだ。
彼女にとっては皮肉かもしれない。振った人間が口にしていいものかは評価に困るところだろう。だが、それでも伝えたい言葉。一花だけではなく他の姉妹の存在もあってこその、今の人の心に寄り添える風太郎なのだ。
「だから、二乃。俺のことを好きになってくれて、ありがとう。お前は本当に、俺なんかにはもったいないくらい、強い女だ」
愛をくれたことへの、感謝の気持ち。嫌うことなどありえないという、信頼である。
「……なによ、それ……ひどいわ、フー君。いっそ冷たくしてくれれば、嫌ってくれれば楽になれるのに。そんなに優しいと、私、諦めたくなくなっちゃうじゃない。その腕で抱きしめて欲しいって、思っちゃうじゃない……」
「……悪いが、俺はもう一花の恋人だ。お前がどんなに辛くても悲しくても、抱きしめることはできない。だけど」
風太郎は二乃の頭に手を乗せる。そして、その頭を優しく撫でた。
頑張った人は褒めるべきという、一花の教え。思えば二乃にはしたことがない。彼女もまた家事全般を担当し、一花とは別の形でずっと五つ子の日常を支えていた。褒美と言えるかわからないが、二乃も大変に思うことがあっただろう。
「俺と二乃の関係が悪くなることは絶対にない。二乃はもっと強くなれる。だってお前も、俺の自慢の生徒……いや、パートナーなんだからな」
「っ、ううっ……!」
風太郎の真心が伝わって、二乃はまたしても泣きじゃくる。一花の心と対峙して、二乃は彼女の葛藤を知った。人の心の痛みを知ったことで、自分が未熟であることを学んだ。わがままな次女もまた他の姉妹と同じように自分を見つめなおし、愛を学ぶことができたのだ。
「……そうね。もう私に勝ち目はないんだもの。受け入れる他ないわね」
一呼吸おいて、二乃は涙を拭う。そして───
「フー君、来てくれて、お話聞いてくれて、ありがとう。悲しい思いもしたけど……こうして一花のことを知れて、私、良かったって思ってるわ。フー君のおかげよ」
満面の笑みというわけではないが、結末を受け入れてお礼を口にする二乃。だが、それは二乃が一花への感謝が残り続けているからこそ成し遂げられたものだ。風太郎はそれを理解している。
そして、そのような気持ちを素直に表現することの大切さ。これも、一花だけではなく中野家の五つ子と出会って学べたことだ。彼女たちへの感謝は、言葉だけではとても足りない。
「俺はたいしたことはしてねぇよ。二乃が一花のことを大切に思ってるから、目標との両立ができるんだ。俺だって感謝してる。だから……これ、受け取ってほしい。誕生日プレゼントだ」
「!」
だからこそ、風太郎も自分の気持ちを示すのだ。
風太郎はリュックから二乃への誕生日プレゼントを取り出して、彼女に手渡す。
「これ……タロットカード?」
「あぁ。趣味とは違うかもしれんが、料理関連は三玖と被っちまうし……なんか占いとかお前の雰囲気にあってそうだなって思って、選んだんだが……」
「もう、そんな自信なさげにしないの。私、嬉しいわよ」
イメージ先行で選んだ感は否めないものではあるが、二乃は受け取ってくれた。立ち直りつつあるのか声にも幾分か活気が戻ってきていることに、風太郎は安堵する。
「こういうのは気持ちが大事なのよ。真心が伝わってくるんだし、嫌に思う理由がないわ」
「! そうか、ならよかった。気が向いたら使ってみてくれ」
「そうね、私のプレゼントしたアロマをちゃんと使うなら検討するわよ」
「お、おう。今度改めて教えてくれ。疲れが取れるならぜひ使いたいわ。らいはも喜ぶかもだしな」
「なら今度フー君の家で実践ね。一花と妹ちゃんも一緒なら問題な───って、そうよ」
会話に花を咲かせていたが、思い出したかのように二乃は雑談を中断する。
「フー君、ごめんなさい。もうひとつだけ頼みたいことがあるの。私、一花に謝りたい。場を整えるのだけでも、お願いできないかしら」
「ん、わかった。じゃあ俺から一花に連絡───ん、メールだな」
携帯電話を取り出す風太郎。ちょうどメールを受信したようで、その内容を確認する。
「二乃。それならすぐ叶うと思うぞ」
「え?」
疑問符を浮かべる二乃。少し大きな声で風太郎は近くにいるだろう彼女を呼ぶ。
「一花、いるのかー?」
「!」
風太郎の声に反応を示し、茂みから姿を表す少女。
「えっ、一花!?」
「……先生が、うちの班だけ人数揃ってないっていうから。だから私が代表して、探しにいくことになったの。ただそれだけだよ」
一花も気まずさを感じているのか、二乃から目を逸らして淡々と話す。だが、気にかけている気持ちがあるのは明らかだ。当然、二乃にも伝わっている。
「一花……」
「…………」
初めてと言っていい大喧嘩。本音をぶつけあった。今の一花に聞く耳を持ってもらえるのか、二乃は不安を感じている。
それでも弱気な自分を振り切って、二乃は自分から一花に言葉をかける。絶対に、伝えなければならない思い。
「ごめんなさい。今までずっと、一花の気持ちに寄り添えなくて。自分のことばかりで、私、周りのことも……あんたのこともなにひとつ、わかってなかった。本当に、ごめんなさい」
「……別に、気にしなくていいっていったじゃん。納得した上でやってたことなんだから。私だって当たり前のことに感謝してなかったんだし、二乃が悪いだなんてことはないよ」
「ううん、私たちは全然違う。どれだけ自分の考えが幼稚だったか、いかに自分本位で人として未熟だったか、一花とぶつかって思い知ったわ」
お互いに別の形で姉妹を支えてきた一花と二乃。しかし、一花のそれは使命感からきたものだ。五つ子の長女としての責任があった。
だからといって、一花と二乃、どちらが偉いとか正しいとかは関係ない。ただ、自分の価値観を押し付ける権利はないというだけだ。
認めてあげないといけない。一花も自由でいいのだと。姉だからといって、妹を優先する必要はないのだと。
「私、本当に、一花にすっごく感謝してるの。だから……ありがとう。自分のこと、話してくれて。今までずっと、お姉ちゃんでいてくれて。どうか……フー君と、幸せに、なってください」
「……二乃……」
心は震えている。あれだけ泣いた後だというのに、瞳は自然と潤んでしまう。だがそれでも、二乃の本心だ。知らなかったことによる罪の意識ではなく、支えてくれた姉への心からの祝福である。
「ありがとう。……私の方こそ、たくさん傷つけてごめんなさい。ホント、お姉さんとしては失格だと思ってる。でも、もう私は───」
「いいのよ、言わなくたってわかってるわ。それに、今なら私にも必要なことだったんだって思えるもの。一花の本心を知れたことが、嬉しく感じているのよ」
「……そっか」
二乃は変わらない彼女を心の拠り所とし、いつまでもそのままでいてくれることを望んでいた。でも、今は違う。それが一花の重荷になるのなら、改めなくてはならない。
「ありがとう、二乃。私、絶対にフータロー君と一緒に幸せになる。女優として活躍するだけじゃなくて、もっともっと輝ける私になって、フータロー君のこともたっくさん愛して……そしていずれは絶対、世界で一番、幸せなカップルになってみせるよ」
「……そう。それが一花のしたいことなのね。もう、ひとりじゃないんだものね。フー君がいるんだもの。安心よ」
姉としてではなく女として、決意を示す一花。姉でなくなってしまうことに悲しい気持ちがないわけではないが、二乃もようやく一花の変化を受け入れられた。大好きだからこそ、感謝があるからこそ、笑顔で見送るのだ。
「おう、俺が一花を、ずっとそばで見守ってる。こいつが二度と無茶しねぇように、な」
ふたりのやり取りを見守っていた風太郎の心も、とても晴れやかなものだ。信頼を寄せてくれる彼女が、友達が、とても大切に感じる。優先順位は揺るがないが、それでも慕ってくれる存在を蔑ろにするつもりはない。
「でも、俺と二乃の関係だって変わらない。だからなんかあったら、言ってくれよな。教師として、友達として、俺にできることなら力になるからよ」
「フー君……ありがとう。一花、これくらいはいいわよね?」
「拒否する理由がないよ。フータロー君が言ったこととか以前に、私たちは姉妹なんだから」
一花からの絶大な信頼。一花が、彼女である自分には事前に確認を取ってくれると信用してくれているのだと、風太郎には伝わっている。
「じゃあ……そろそろ戻ろっか。先生もみんなも、心配してるだろうしね」
「そうだな。三人仲良く怒られようぜ」
「ごめんなさい、ちょっと待って」
「ん、どうした?」
「なーに、怒られるの怖くなった?」
「そうじゃないわよっ。今の私の気持ち、大好きなふたりに、聞いてほしいの」
長女とその彼氏を呼び止める次女。伝えたいのは謝罪だけではない。
「私、強くなる。絶対絶対、強くなる! 自分のことだけじゃなくて、相手のことも大切にできるように、ひとりでも頑張るから……!」
それは姉妹にひとり置いていかれることを嫌がっていた少女の、姉妹に自分の期待を押し付けていた次女の、真っ直ぐな自立宣言。
「だからお願い、そばにいなくたっていい。私を心に留めておいて。私の成長、どうか心で、見守ってて」
そして、大好きなふたりに誇れる自分になりたいと願う、二乃の決意と覚悟だ。
「あぁ、二乃ならできるって信じてるぞ。お前には姉妹の中でトップレベルの積極性と、負けん気があるんだしな」
「フータロー君に同じ。だって二乃は、私の一番のライバルなんだから。おイタしないように、私が目を光らせてないとねっ」
「一花……フー君……! っ、ふたりとも、本当に、ありがとう! 大好き! 私、自分のために、みんなのために……絶対、素敵で魅力的な、良い女になってみせるわ!」
「……そっか」
一花と風太郎の言葉に笑顔を見せる二乃。恋の暴走機関車はようやく、愛を理解した。信頼が嬉しいのだ。
「ほら、戻るよ。みんなが待ってる」
照れ臭そうにしながらも、手を差し出す一花。二乃は一花に駆け寄り、姉の手を取る。
「フータロー君も、その……いい?」
「おう」
「えっ……」
三人で手を繋いで、ホテルへの道を行く。一花と風太郎で、二乃を挟む形だ。
「……なんか、親子みたいだな」
「そうだね。私たちに子どもができたら、こんな感じなのかな」
「……悪くないわ」
「……っと」
「ひゃっ」
手に少し力を込めて、ふたりを引き寄せる二乃。一花と風太郎、両者ともに驚くも、目配せですぐに意思疎通する。
「ホテルに、着くまででいいから……」
「もう、甘えん坊さんなんだから」
呆れたような一花の声。それでも表情は穏やかだ。彼女にとっても、妹は風太郎より優先度が低いというだけで、大切な家族なのである。そんな彼女たちの絆を見て、風太郎の心も穏やかなものになる。
(やっぱりこいつらには、なんだかんだ絆があるんだな。歪な部分はあっても、全員に相手を思う気持ちがあるから、こうして今一緒にいられるんだ)
風太郎が掲げてきた、教師としての目標。まだまだ卒業までの道のりは長いが、成し遂げられると確信できた。
恋に決着をつけて、進むべき道を自分で見つけ出した生徒たち。彼女たちと一緒なら、絶対に乗り越えられる。五つ子と出会った頃とは別人の、愛と友情を学んだ風太郎。一花が、その妹たちがいる限り、少年は自分を見失うことはない。
(受け入れてくれたあいつらに、絶対後悔なんてさせたくねぇ。これからも頑張んねぇとな)
気合いを入れる風太郎。これからも続く、一花と、彼女の妹たちと過ごす日々。
彼女たちの、自分の将来のために風太郎は気を緩めることなく歩み続ける。もうひとりではない。躓いても、支えてくれる彼女と友達がいるのだから。
これにて、長女と次女の恋愛戦争は幕を閉じた。姉は唯一甘えられる存在と共に己の自己実現を目指すことを決意し、妹は大好きな人のために、自分のために強くなりたいと、いずれは独り立ちし成長したいと思えるようになった。
二乃にとっては失恋という形ではあるが、一人でいることの寂しさから抜け出せなかった彼女にとって、風太郎と結ばれた場合にはこの価値観は生まれなかったであろう。対象が姉妹から風太郎へとシフトチェンジするだけというのは、成長という点では不十分なものだ。
そんな二乃自身の変化の受け入れと成長があって、初めて成り立つ物語のハッピーエンド。嵐は過ぎ去ったが、六人の高校三年生としての歩みは、まだまだ始まったばかりだ。
ホテルが見えてくる。心配してくれていたのか、外で待機していた姉妹の姿も彼らの視界に映る。
自ら繋いでいた好きな人と姉の手を離し、姉妹の元へ駆け寄る二乃。その姿を見て、長女も長男も安心できた。
(二乃。受け入れてくれて、本当にありがとう)