スタイルチェンジ   作:きゅーぴー(ないんぴーす)

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#4

 

 

 ───思い出すのは、転校した学校で出会ったあの日。少女は後に知ることではあったが、初対面ではなく、再会だった。

 旭高校への転校二日目、昼休みの食堂にて。

 

 真面目だけど意地っ張りな末っ子。そんな彼女に話しかけようとしていた少年は、最初は末っ子を狙っているものかと思っていた。五つ子の長女であり妹思いの少女ではあるが、少年に対して警戒心を抱くことはなく、むしろ彼に興味を持った。

 少女が初対面の異性に話しかけるのは珍しい。今まで特別気になる男性など存在しなかった少女なのだ。頻繁に男性に告白される彼女にとって、男性とは話しかけずとも相手から寄ってくるものなのである。

 

 実際に少年と話してみると意外と男らしい一面もあって、悪い人でないことはすぐにわかった。からかいがいがあって見ていて面白いと感じ、素直に仲良くできたらいいなと思えた。

 しかし、少女から見た少年の性格は真面目なガリ勉くんである。どう見ても少女とは正反対なその在り方は、仲良くなるのは難しいとも感じさせた。

 なのに、なぜだろう。背は高くとも第一印象は地味目でパッとしない感じだというのに、どういうわけかあの少年の存在は少女の目に焼き付いている。もうその姿を忘れることはなさそうだ。

 

 今なら、その理由はわかる。面白そうだとか、そんな軽いものではない。彼の姿を一目見た、あの時からきっと。心のどこかで感じていたのだろう。

 

 

 

 もしかしたらこの男の子は、私の───

 

 

 

 

 公園を後にした風太郎と一花。二人は電車に乗って移動し、今は見慣れた風景の映る通学路を歩いている。現在の時刻は十四時半であり、一般的な高校生はまだ学校で学生としての本分を全うしている時間だ。運命のいたずらなのかここまではかわし続けていたが、二人が警察に見つかったら即座に補導コース一直線である。

 だが、一花は絶対に離さないと言わんばかりに風太郎の腕をホールドしており、風太郎も落ち着いた表情でそれを受け入れている。誰もがこの二人組を学校をサボってイチャイチャしているラブラブ高校生カップルと認識し、呪いの言葉を紡ぎたくなるであろう。

 そんな美少女の彼女を得てリア充街道まっしぐらの風太郎。しかし、彼は表情こそ普段通りを装っているが、その心中は全くもって穏やかではなかった。

 

(……やってしまった)

 

 風太郎は隣で腕に抱きついている一花を横目で見る。本当に幸せそうに、風太郎に身を寄せている。変装用の眼鏡こそ装着しているが、もし通行人に見破られたら大変なことになってしまう。

 確かに、この少女は今や風太郎にとってかけがえのない存在といえるものだ。ゆえに、自分の行動を後悔しているというわけではない。

 だが欲に流されてはいけなかった。教師である上杉風太郎から、生徒である中野一花へのキス。それは完全に彼女と関係を持つ、ということに他ならない。公園でのダンスの前までは、一花以外ともじっくり向き合っていかなければならないと思っていたというのに。彼女たちの父親には、適切な距離感を保てと釘をさされていたのに。気持ちが、愛が抑えきれず、自分から決着をつけてしまった。

 

(一花はともかく、あいつらはどうしたら……)

 

 風太郎は一花と恋人関係になることが嫌なわけではない。彼が懸念としているのは、今後の家庭教師の仕事だ。生徒の一人と関係を作ってしまった以上、今まで通りに五つ子全員に教えようとしても、絶対にどこかで綻びが生じてしまうだろう。他にも好意を寄せてくる生徒がいるのだから、トラブルになるのは容易に想像できる。

 せっかく給料を再びもらえるようになったというのに、一花と付き合うとならば再度退任の覚悟を決めなければならないかもしれない。自分の未来のためにも二人の関係を隠し通すのか、打ち明けるのか、一花と話し合う必要がある。

 

(……一花は一体、どう思っているんだろうか。こいつだって女優の仕事があるんだから、ちゃんといろいろ整理しねーと……)

 

 あれこれ考えているうちに、とうとう教師とその生徒は目的地である教師の家に到着してしまう。妹も父親もいない二人だけのこの家で、一体何が起こるのか。一花は、何を期待して風太郎の家に来ることを望んだのだろうか。

 いくら恋愛初心者の風太郎でも、この程度の問題は楽勝だ。解答は、おねだりをしてきた時の一花のトロンとした表情を思い返せば簡単に───

 

(……………………いや、ダメだダメだダメだ! いくらなんでもそれはマズい!)

 

 煩悩を振り払い、風太郎は心を落ち着かせんとする。確かに風太郎は一花への愛を完全に自覚し、彼女の想いに答えた。とはいえど、そんな初日から一戦交える気はさらさらない。ただでさえ借金返済やその手段の消失の危機で頭がパンクしそうだというのに、これ以上の不確定要素は風太郎の許容範囲外だ。

 しかしここまで来て彼女を追い返すわけにもいかない。拒絶したら一花が悲しむことは風太郎でも容易に想像できる。良い案が思い浮かばないまま、風太郎は慣れた手つきでドアの鍵を開け、一花とともに自宅へ入る。

 

「……ただいま」

「お邪魔しまーす……」

 

 まだらいはが通う中学校の授業も終わっていない時間なので、返事をする者は存在しない。風太郎は居間まで歩き、腰掛ける。一花も後に続くが、彼女も緊張を感じているのか、風太郎から少し離れた位置で正座をしている。

 長い時を過ごした家だというのに、全く持って落ち着かない。以前家出した五月が来た時以上の緊張が風太郎の心を覆う。気まずい雰囲気が部屋中に充満するのを感じるが、この時間を無駄にしてはいけない。風太郎は脳をフル回転させ、この局面を無事に乗り切る方法を考えようとする。このまま流されるのは確実にお互いの将来にとってマイナスでしかないだろう。

 だが、愛を学んだとはいえど風太郎は恋愛は赤点のド素人なのだ。すぐに解決策など思い浮かぶようならとうの昔に彼女いない歴=年齢の方程式は崩壊している。そもそも、強い緊張で頭が冷静になりきれないこともあって思考は上手くまとまらない。

 

「ねぇ、フータロー君」

 

 この場所は今は風太郎だけの世界ではない。長い沈黙についに痺れを切らしたのだろうか、思考を巡らせていた風太郎の脳に、すでに眼鏡を外し、生徒から彼女へとクラスチェンジを遂げた一花の言葉が届く。風太郎へ距離を詰めてきているあたり、少し緊張がほぐれたようだ。

 未だ解決策は閃かないが、二人しかいない空間で彼女の言葉を無視するわけにもいかない。風太郎は一花の方を向き、返事をする。

 

「……なんだよ」

「その……しないの?」

 

 上目遣いで頬を赤く染め、期待の篭る眼差しを風太郎に向ける一花。みるみるうちに風太郎の顔は赤く染まる。彼女が何をご所望かなんて考えるまでもない。

 

(本気……なのか……!)

 

 正直なところ、風太郎はどこかで期待していた。こんなお約束な展開はありえないと。こういうものは自分の勘違いで終わり、こちらが悶々としたまま次の展開に移行するのだと。そんな風太郎に都合の良い流れは、今日の一花を見る限りありえないというのに。

 中野一花という少女は五つ子の中でも大人の雰囲気を漂わせており、男の欲を刺激するような小悪魔的な言動も多い。一花が性に関心があるような様子も風太郎には心当たりがある。それに加えて一花の風太郎への大胆なアプローチの数々を考えると、性に積極的なその姿勢にそこまで違和感は感じない。さすがの風太郎でも、好きな相手とひとつになる行為に全く何も意識しないということはできず、心拍数は跳ね上がり冷静ではいられない。

 しかし、風太郎にも為さねばならない目的がある。ここで誘惑に負けて猿になってしまっては今後の生活がどうなるかわからないのだ。いくらヘタレと罵られようが、ここは折れてはいけない場面である。風太郎は強い意志を持ち、一花を説得する。

 

「ちょ、ちょっと落ち着こうぜ。俺たち、まだ初日なんだぞ」

「なんで? 今まであれほど時間を共有した私たちに、そんなの関係ないよ。私は愛してるフータロー君と一緒に、いろんな初めてを経験したいの。もちろん───エッチなことだって」

「……!!」

「フータロー君はこんな私のことは、嫌い? 私と、シたくないの……?」

「うっ……」

 

 場所が変わっても一花の攻めの姿勢は変わらない。上目遣いのまま瞳を潤ませて、求めてくる一花に風太郎は陥落寸前だ。恥ずかしさはあるようだが、その目に迷いはない。

 そんな一花を相手にして、この流れを覆せる上手い言葉が風太郎の頭に浮かぶはずもない。

 

「き、嫌いだなんて、そういうわけじゃねぇよ。だけど、その───」

「ていうかフータロー君、私の裸見たことあるんだし、今更恥ずかしがらなくてよくない?」

「……へ?」

「それなのに、二乃とも裸の付き合いなんでしょ? 私だってまだフータロー君の裸、見たことないのに……」

「は、はぁ!? ちげーよお前、あれはただの言葉の綾だ! 大体、一花のだって全部見たわけじゃねーだろ!」

 

 しかし、打って変わって風太郎への不満を口にする一花。いつのまにか表情も懇願するような上目遣いから愛嬌を感じる頬を膨らませているものに変わっている。あまりに予想外な一花の返答に、風太郎は驚きを隠せない。

 だが、大胆な発言に変わりはなくとも、表情と釣り合わないせいか風太郎の緊張は若干薄れていた。勢いよく、彼女の言葉を否定する。それを受けた一花は全く動じることなく、おふざけ混じりのいたずらっぽい笑みを浮かべている。

 

「まぁまぁ、フータロー君。これはいつもの家庭教師と変わらないよ。ただ授業内容が保健体育ってだけっ! ということで……せーんせっ、私にいろいろ、男の人のコト、教えてぇ♡」

「無茶言うな! 保健体育は専門外だ!」

「そっか、じゃあ今回は私が先生だね! 体育は四葉ほど得意ってわけじゃないけど、まかせて! 手取り足取り、教えてあげるよっ♡」

「体育は赤点なんだ! 授業は拒否する! そもそも授業料は払えないからな!」

「そう? じゃあ保健にしよっか! ……こほん。それでは風太郎君、保健の授業を始めます」

「は? お前急に、何言って───」

「今日の内容は女性の身体についてです。私が自分の身体を用いて、ご説明しますね」

「待て、真面目な雰囲気のまま脱ごうとするなその手を止めろ! まだ睡眠時間には遠いだろ!」

「むっ、確かにこれじゃ五月ちゃんと相違ないね。眼鏡かければ変わるかな? ……よっと、どう、フータロー君? それっぽく見える?」

「確かに担任はかけてるけどそんなのどうでもいいわ! こだわりなんざねぇよ!」

「あとは……そうだね、服装かな? フータロー君のブレザーと、ネクタイを借りよう! 普段してないけど、どこに閉まってるの?」

「ぜってーお前には教えねぇ! つーか形から入ったって振る舞いのせいで効果ゼロだっつうの! 最初が一番教師感あったわ!」

「えっ……それはつまり、私の演技力が上がってるってことだよね。褒めてくれて嬉しいっ! ありがと、フータロー君!」

「へ!? ま、まぁ、それは……」

「ホント、出会ったころより私の扱い方がうまくなってるよね。さっすがー♪」

「お、おう……」

 

 繰り広げられるのは一花無双と言わんばかりの過激な発言のオンパレード。表情をコロコロ変化させながらもまくしたてる一花は、とても楽しそうだ。顔を赤らめてこそいるが、風太郎の彼女の称号を得たせいだろうか、その口振りは絶好調である。

 だが、押されてこそいるが風太郎も負けてはいない。一花の数多の甘言を風太郎は冷静にとはいかずとも、どもることなく、しっかりと彼女の目を見て返せている。風太郎にそんなつもりはなくても、夫婦漫才が成立してしまっているのだ。

 

(あれ、俺……さっきまでの、緊張が……)

 

 一花とおふざけをしているうちに、自分が抱えていた緊張がなくなっていることに気づく風太郎。普段の調子を取り戻しつつあることを、ようやく自覚する。

 そして、落ち着いてきた風太郎の脳に浮かぶ疑問。なぜ、今の自分がこんなにも自然な状態なのか。言葉による一花の誘惑というものは公園でもあったものだが、さすがに慣れてきたということなのだろうか。はたまた話が脱線し始めていたからだろうか。

 

(いや、違う。だって、授業が保健体育云々の時から、俺……)

 

 帰宅直後は緊張に思考を妨げられていた風太郎だが、今は違う。疑問に対する回答が瞬時に浮かんだ。先程公園で一花と向き合って、自覚したもの。

 

 

 

 間違いない。愛を、知ったからだ。

 

 一花の愛に触れて、そして、一花への想いを、自覚したから───

 

 

 

「どう? フータロー君、少しは落ち着いた? ただの冗談だから、安心していいよっ」

「!?」

「何はともあれ、ようやくフータロー君もいつもの調子に戻ったみたいだね。よかったー♪」

「いっ、一花……?」

 

 ひとり思考の海に溺れかけていたところに一花の言葉が飛んできたため、風太郎の返答は辿々しいものになってしまう。

 すでに眼鏡を外している一花は舌をチロリと出して笑うが、そんなお茶目な笑みはすぐに安心感を与える柔和なものに変わる。

 

「ふざけちゃってごめんね。もっと上手くフォローできればよかったんだけど……大丈夫? 気持ち、リセットできた?」

「……? ……まぁ、ある程度は……」

「そっかそっか! それなら一安心だよー」

 

 どうやら、一花の狙いは風太郎の緊張を解くことであったようだ。最初の過激なセリフはともかく、これ以上風太郎の動揺に付け込まないあたり、本気で風太郎を求めて発言したわけではないことは確かであろう。

 どうにもしこりが胸の中に残ってはいるが、一花のこの手の空気を読む力というのはさすがだなと風太郎は思う。他人との関係を築くことを無駄と断じていた風太郎には持っていないものだ。

 しかし、これで話が終わりというわけではなさそうである。一花は不安の入り混じる瞳で風太郎を見つめ、問いかける。

 

「でもね、フータロー君……私、どうしても知りたいの」

「な、何をだよ」

「私、嬉しかったんだ。まさか返事が、フータロー君からのキスだなんて思わなかったから」

「…………」

「……あのキスは、OKの返事みたいなものだと思ってたんだけど……違うの? 私を家に連れてきちゃったこと、後悔してる?」

 

 一花の疑問はごもっともである。自分たちの関係を明確にする言葉を、風太郎はまだ口にしていない。

 

「いや、そんなわけねぇよ」

 

 だが、気持ちはすでに固まっている風太郎。返答に迷うことなく一花と瞳を合わせ、偽らざる本心を言葉にする。

 

「あの瞬間、間違いなく俺はお前に見惚れていた。……恋愛なんて、くだらないと考えていたのに。お前の優しさと愛に触れて、想いに、必要としてくれていたことに気づいてからは、一花の全てが、愛おしくて、たまらなくって。唇に触れたいって、思ってしまった」

「……!」

「……だから。お前の考えてることは、間違ってない。俺は、一花が好きだ。……ああくそっ、死にてぇ……」

「フータロー君……」

 

 好意を素直に言葉に乗せることの恥ずかしさ。ダンスの時に頭を撫でた時とはわけが違う。下着戦争の時にも味わったこの感覚を、またしても風太郎は経験してしまう。鏡はないが、今の自分の顔は赤く染まっているのは間違いないだろう。

 それでも風太郎は、自分の言葉で素直な好意を伝えて一花が喜んでくれることに少なからず嬉しさを感じている。相手の幸せに価値を感じる心。風太郎は改めて、これこそが愛なのだと再確認する。

 

「嬉しいな、ありがとう。私も、フータロー君のこと、すっごく大好き。これから先どんなことがあっても、この気持ちは変わらないよ」

「一花……」

 

 穏やかな笑みを浮かべる一花。彼女の愛と笑顔は、風太郎の心を温かくしてくれる。いつまでも、見ていたいと感じている。

 

「……本当に、ありがとう。また、背中を押してもらっちゃったね」

「は? べつになんもしてないと思うが……どうした?」

「んー……その、とりあえず……お話を、しよっか。私たちの、これからについて。話さなくちゃいけないこと、たくさんあるから」

 

 しかし、風太郎を癒すその笑顔は長くは続かず、一花は表情を真剣なものに変える。本日風太郎が幾度となく見たお馴染みのパターンだ。

 風太郎はその度に緊張を感じていたが、今回はそこから好意の直球のコンボが繋がることはない。自分たちのこれからについてというのは、風太郎も考えなければならないと思っていた事柄である。

 心は依然として温かいままなのだが、ここは切り替えなければいけない場面だ。風太郎も冷静に、正面から一花と向き合う。

 

「まず、ひとつめ。私たち、今日いろいろあったけどさ。いろいろ整理し終わるまでは、私たちの関係は秘密にしよう。君は、何があっても私たちの家庭教師を辞めちゃダメ」

「……!」

「フータロー君の家の事情、私忘れてないんだから。私との関係がどうであれ、せっかくまたお給料をもらえるようになったんだから、変わらず私たちみんなの先生でいて。私だけじゃなくて、みんなもフータロー君が必要なの」

 

 関係を明かさずにいよう、という一花の提案。正直なところ、風太郎が一番望んでいた答えである。上杉家の家計を大きく支えているこの破格の条件のアルバイトは、そう簡単に手離したくはない。

 風太郎としてはありがたくはあるが、一花は本当にそれでいいのか疑問だ。それはふたりでいる時間が極端に減る、ということを意味しているのだから。一花が姉であるがゆえに遠慮しがちなのは風太郎はよく理解している。無理をしていないか、確認はしっかり取る必要がある。

 

「……今まで通り、全員に授業をしろってことか……俺は助かるが、本当にお前はそれでいいのか?」

「当然だよ。君のためにも、私たちのためにも、約束して。フータロー君が私なんかのことを生徒でいていいと思ってくれるなら、私はもう、絶対にその信頼だけは裏切らない。赤点なんて二度と取らない。これだけは信じてほしいの」

「お、おう」

 

 教師と生徒の壁を超えてしまった風太郎と一花だが、それは普段の日常においては解消、ということで落ち着いた。こちらの事情を汲んでくれる、一花の思いやりを感じる提案に風太郎は素直に感謝している。だが、何か───

 

「あと……そうだ。出世払いって、言ってたよね。これから先、私たちの関係がどうなろうと。年末から三年生になるまでの、授業料は絶対に払う。私だってみんなと暮らす中で、改めてお金の大切さを学んだんだから」

「……ま、まぁそこは遠慮するつもりはないが……さっきからなんなんだよ、一花。どうしてそんな言い方をするんだ」

 

 風太郎が感じていた違和感はあっさり判明した。私なんかを生徒でいていいだとか、関係がどうなろうとだとか、この関係が壊れてもおかしくはないと考えている一花の物言いである。

 体力のない風太郎には、男らしい力というものはない。だが、今の風太郎は彼氏として一花を思う心がある。大切な存在と化した一花が自分を卑下るようなその言い方に、風太郎は少なからず不満を感じていた。

 

「それはすぐわかるよ。そして……ふたつめ。……私にとっては、こっちが本題かな。君のことが好きだからこそ、受け入れてくれたからこそ、打ち明けたいんだ。私の、隠し事」

 

 風太郎はモヤモヤした気持ちを拭えないままだ。一方一花は自分の話したいことは決まっているのか、真剣な表情を崩さないまま次の話題に切り替えようとする。

 風太郎が懸念していた自分たちのこれからということについてはひとまず結論が出たわけだが、一花にとって自分の隠し事とは、それよりも重要なことなのだろうか。

 

「私は、フータロー君に嘘をついてるの」

 

 まるで自分に戒めるかのように口にする一花。その様子は真剣というよりは重苦しい。

 

「……嘘?」

「そう。今日は道具持ってきてないんだけど、この言葉聞けばわかるんじゃないかな」

 

 一花の雰囲気が変わる。彼女の演技の練習に付き合った時の、女優としての顔を見たあの時間を風太郎は思い浮かべる。しかし、そこから繰り出される言葉は───

 

 

 

「一花、フータローのこと好きだよ」

 

 

 

 

 人間はそう簡単には変われない。生まれ育った環境の中で形成された価値観や性格を変えるには、大きな理由や動機が必要となる。

 他ならぬ一花自身がそうなのだ。かつてガキ大将のように横暴な性格であった一花は、母親が亡くなって五月が母親の真似事をするようになったのをきっかけに、長女としての自覚をしっかり持つようになった。しかし、自覚が芽生えたところで、自分の根本的な性格の悪さというものは何一つ昔から変わっていないことを一花は今更ながら理解する。

 

(……当然の、反応だよね。でも……!)

 

 一花の言葉を聞いた風太郎の表情は驚愕に満ちている。せっかく両思いになれたのに、これから話す自分の言葉で彼に拒絶されてしまうかもしれないことが、一花にはとてつもなく恐ろしい。

 所詮、これは一花の自己満足でしかない。彼女もそれは重々承知である。だけど、それでも。

 心から愛している彼に、嘘をついたままというのは許せない。こんな嘘つきの自分でも、風太郎にだけは誠実でいたいのだ。

 

「一花、お前……なんで、その言葉を知って……」

「単純な話だよ。あの時の三玖、私なんだ。三玖の姿を利用して、私は自分の恋を有利にしようって、考えてたの」

「! ……やっぱ、三玖は……一花、どうしてそんなまわりくどいことを……」

「ただの嫉妬だよ」

「……………………は?」

「これは嘘じゃないよ。ホントにそれだけ。たとえ妹であっても他の女の子のことなんて話さないでほしい。私だけを見てほしい。そんなくだらない理由で、嘘をついたの」

「…………」

 

 一花の心の中では恐怖と後悔が蠢いている。もともと恋愛を学業から最もかけ離れた愚かな行為と断じていた風太郎だ。間違いなく一花の馬鹿な行動に呆れ、幻滅していることだろう。しかし、それでも一花は続ける。

 

「私、本当はとても性格の悪い女なんだよ。フータロー君はたくさん私のこと褒めてくれたけど、私は君に褒めてもらう資格なんてないの。お母さんがいなくなるまでの昔の私は、ただの意地悪な女だったし。四葉のおやつ横取りしたり、集めてた大切なシール勝手に奪っちゃったりさ。四葉に指摘されるつい最近まで、忘れてたんだよ? どんだけ幸せな頭してるんだって話だよね」

 

 たとえ、彼に嫌われたくなくても。

 

「あと、修学旅行の班決めの時。あの時、四葉の様子変だったでしょ? あれも私のせいなんだ。君と一緒の班になりたかったけど直接アプローチする勇気はなかったから、四葉のお人好しな性格を利用して、フータロー君と一緒の班にするように強制させたの。……私、あの子のこと道具かなんかだと思ってるのかもね」

 

 誰にも、彼の隣を譲りたくなくても。

 

「……それだけじゃない。フータロー君に好かれるのは私だけでいいっていう独占欲から、みんなが君のために用意して誕生日に渡そうと思ってたプレゼントを取りやめさせて、私だけが送ろうって画策してたの。二乃にバレて結果的に失敗で終わったけど……考えてたことに変わりはない」

 

 それでも、彼と本当の意味で結ばれるために。

 

「これが、私のついていた嘘。今の私は四葉たちに意地悪してた、昔の私と同じ。君が信頼して褒めて、好きになってくれた、お姉さんの私じゃないの。……私はずっと、優しいお姉さんの仮面を被って、フータロー君を騙してた」

 

 自分の嘘から目を背けることは、許されない。

 

「…………」

 

 一通り話終わったものの、自分でも本当に性格の悪い女だと一花は思う。こんな人間だと知って、真面目な風太郎がまだ自分のことを好きでいてくれるとは、一花には考えられなかった。

 強い決意を持って暴露した嘘だが、一花の心は沈みつつある。後悔の念はとどまることを知らない。二乃みたいな真似は絶対無理だと決めつけずに、最初から今日のように素直に好意を伝えていれば、こんなことにはならなかったはずだ。

 どうして、こんなにも好きになってしまったのだろうか。妹を思う姉であり続けた一花がその役割を投げ出してでも、妹の姿を利用してでも、絶対に誰にも渡したくない。そんな黒い感情に正直になり、卑怯な手段に頼ってでも手に入れたいと思ってしまった存在。

 

 理由なんて、考えなくてもわかっている。決して、昔少しだけ一緒の時間を過ごしたから、などというちっぽけな運命だけではない。

 風太郎が一花にくれたものは、両手では抱えきれないほどに大きなものなのだ。

 

 

 

 ひとつ。

 

 どこまでもまっすぐな飾らない言葉で、正面から私の心と向き合ってくれた。

 

 ひとつ。

 

 お姉さんでいることが当たり前だった私をたったひとり、努力を認めて褒めてくれた。

 

 ひとつ。

 

 あくまで家庭教師なのに、自分の時間を犠牲にしてまで、私たち姉妹のためにお節介を焼いてくれた。

 

 ひとつ。

 

 不器用ながらも気遣いを見せてくれるその優しさで、そっと私を支えてくれた。

 

 

 

 

 

 ひとつ。

 

 作り笑いを、見抜いてくれた。

 

 

 

 

 

 きっかけは妹ありきとはいえど、一花が姉としての自覚を得てからは唯一自分のためだけにしたいと思えた、女優の仕事。それでも一花は、姉として一人前になるまでは話せないと妹たちには内緒にしていた。オーデイションに合格できなかったらどうしようという不安でいっぱいになり、臆病になって仕事から逃げ出していた。

 そんな時に一花を勇気づけてくれたのが、家庭教師の上杉風太郎である。当時の一花に自覚は無くともずっと心の底で求めていた、自分の弱さと向き合ってくれる、そして姉ではなくひとりの少女として自分を見てくれる、一花にとってたったひとりの対等な存在。

 

(フータロー君がいなければ、今の私は……)

 

 一花は確信している。もし、風太郎が家庭教師を始めて自分の前に現れなければ。花火大会のあの日、作り笑いに気づいてくれなければ。絶対にオーディションに合格することは叶わなかったのだと。

 自信の無さを拭えないままオーディションに挑んだところで、心から笑うことはできなかったに違いない。まだ付き合いがそう長くはない社長ですら、風太郎の存在が一花の最高の笑顔を引き出したと語っていたのだ。あの日にはもう間違いなく、一花にとって風太郎は特別な存在と化していた。

 風太郎は、一花に愛を、自分と向き合わせる勇気を与えてくれたのだ。

 

(それなのに……私……!)

 

 だからこそ、 一花は強い自責の念に駆られている。風太郎が背中を押してくれたからこそ、女優として成功し、夢を叶えることができたのに。そんなたくさんのありがとうをくれた彼に対して一花がしたことは、信頼を、好意を裏切り傷つける、姉以前に人として最低の行いなのだ。一花の心は自身への嫌悪感と風太郎への罪悪感が混ざり合い、ぐちゃぐちゃになる。

 すでに一花は自分が何がしたかったのかを見失いつつある。結果だけ見れば今日の一花の行動は、自分のわがままで風太郎の貴重な時間を奪ったうえに、彼の愛を踏み躙っているのだから。散々振り回して疲れさせて、それでも好きになってくれたというのに、最終的に失望させている。自作自演の末に自滅という、頭の悪すぎる結末。こんな馬鹿で最低な女に貼られるレッテルは、まさしく愚者の二文字がふさわしい。

 

(本当に、最低だ。いつも頑張ってるフータロー君が疲れてること、わかってたのに……)

 

 溢れ出る己への嫌悪感は自己否定へとつながる。何が学校をサボっての秘密のデートだ。ラストを一花自ら台無しにしている以上、風太郎にとっては無駄以外の何物でもない。疲労が溜まっていることがわかっていたのにもかかわらず、風太郎を自分の欲のために連れ出して、なんて自分勝手な女なのだろうか。

 

(…………そっか。やっと、わかった。なんで、こんな簡単なことにも気づかなかったんだろう)

 

 そして、ここまで自分を否定して、ようやく一花は理解することができた。

 

 

 

(私は、何があっても、いつまでもずっと、お姉さんなんだ。そうでないと、いけないんだ。なのに……)

 

 

 

 いくら四葉が肯定してくれようが、我慢できないことがあろうが、一花は自分が姉であるという大前提を忘れてはいけなかったのだ。

 なぜなら、妹たちはもちろん、一花が愛する彼も。全員が「姉」である中野一花を信頼し褒めて、好きになってくれたのだから。そうでなければ、こんな性悪女を好いてくれるわけがない。そもそも今日の風太郎も、一花の姉としての姿を認めてくれたからこそ誘いを受けてくれたのである。

 こうして自分の行動を振り返り嘘を暴露するまで、一花は自分が風太郎にふさわしいと思い込んでいた。今ならまだ間に合うと、自分に都合の良い解釈をしてしまった。姉としての役割を放棄し嘘をついた時点で、勝者の資格が消えたことに気づけなかった。

 こんな簡単な矛盾にも気がつかない自分の都合の良い頭に、心底嫌気がさしている一花。ネガティヴになるのも当然といえる。

 

(そうだよ、お姉さんでない私なんて自分のことしか考えられない、汚くて、醜くて、性格の悪い、最低な女なんだ。だから私はずっと、お姉さんのままでいなくちゃいけなかったのに……)

 

 今の一花は優しい姉の一花ではなく、ただの欲に忠実で卑劣な手段を用いる女だ。そんな一花は、誰も求めていない。自分の本心を隠して良い顔だけを見せて好かれようとする悪女を、誰が認め、受け入れてくれるのだろう。

 家族旅行から今日まで、およそ一月に渡って一花が犯し続けた過ち。姉ではなく女として身勝手に独り占めしたいと願ってしまったがゆえに、風太郎からの愛も、共に築きあげた絆も、全て失うこととなった。風太郎は、真面目で妹を心から大切に想う兄の鑑のような人間だ。姉失格である少女の風太郎からの好感度が底に堕ちることは想像に容易い。

 

(……もう、終わりだ。こんなお姉さんでない最低な私なんて、フータロー君が好きでいてくれるわけない)

 

 愚かとしか言えない自分の行動と救いようのない頭の悪さに、もはや一花は絶望することしかできない。

 姉でない一花は自己中心的で、ただの性格の悪い嘘つきでなのである。風太郎が褒めてくれた、立派な嘘つきとは違うのだ。その事実は一花が風太郎を諦めるには、あまりにも十分すぎた。

 

 

 

 結論。こんな心の汚い女には、風太郎の隣で笑顔でいる資格はない。

 

 

 

「……フータロー君。ここまで聞いてさ、今の私のこと、どう思うかな? 君を独り占めしたくて妹たちの心も姿も利用するだけじゃなく、汚い自分を隠して好かれようとする卑しい女、フータロー君が好きになる理由なんてなくない?」

 

 自虐的になった一花は今の醜い自分を否定する。自分勝手な欲のために躊躇いなく身内を利用する人間なんて、嫌われて当然である。いくら勉強の苦手な一花でも、これは道徳の問題なのだ。自分の行動がただの自業自得であることは理解できている。

 だけど、痛い。本心を隠すのなんて、そんなの慣れているはずなのに。

 

「嫌いに、なったよね。軽蔑、したよね。……ほんの少しの時間でも私なんかを好きだと思っちゃったこと、後悔、してるよね。本当に……私の勝手で、嘘をついて……無駄な時間を過ごさせてしまって、ごめんなさい」

 

 いたい。いたい。こころが、いたい。それでも一花は耐えるほかない。どれだけ心が辛くても、この場面で涙を流すことは絶対にしてはいけない。

 なぜなら、被害者は騙されていた風太郎なのだから。嘘をついた一花は加害者であり、そんな彼女に悲劇のヒロインを気取る資格などあるはずがない。ただでさえ下がり切った評価を覆すことは無謀だというのに、ここで嘘つきとして強がることすらできなくなったら、生徒でいることすら許してもらえないかもしれない。

 一花は頭を下げつつも拳を作り、折れそうな心を強く持つ。普段通りを装えば、彼も気兼ねなく拒絶できるという判断からだ。作り笑いは見抜かれても、口調と声色さえ明るくできれば、きっと風太郎を騙せるだろう。

 

「だからさ、今日の出来事は全部なかったことにしよう。フータロー君はうっかり風邪ひいちゃって、私は仕事で学校行けなかった。今日はそういう日だったんだよ。私たちは今まで通り、教師と生徒。それ以上になんて、なっちゃダメなの。ねっ、フータロー君」

 

 悲壮を悟られないために、至って何事もないかのように一花は告げる。心に鍵をかけて、この恋は終わる。

 これからはずっとお姉さん。家族旅行以前の誰もが求め信頼してくれる、模範的な優しい姉の中野一花に元通りである。でも、何もかもが遅すぎたのだ。いくら自分の行動を後悔し反省しても、風太郎の信頼を裏切った一花は、二度と彼から愛をもらうことは叶わない。

 それでも、再会して間もないのに自分の弱さを見抜いてくれて、背中を押してくれたこの世でたったひとりの男の子。そんな風太郎を、一花は愛している。これほどまでに夢中になってしまった恋は、これから先一生訪れないという確信が彼女にはある。だからこそ、辛い。初恋は実らないという現実は、一花の心を打ち砕く。

 

「そうか。嘘を、ついていたのか」

 

 完全に失意のどん底にある一花の元に、風太郎の言葉が届く。その声に怒気はない。ぶっきらぼうでも節々に優しさを感じる、一花も聴き慣れたトーンである。あるいは風太郎は一花に理解を示し、彼女の嘘を許そうとしているのかもしれない。そんなわずかな期待が、一花の心を少しだけ灯す。

 だがそれ以上に上回る罪悪感。一花は、彼の優しさを利用し甘え続け、挙句心のどこかで嘘を受け入れてくれることを期待してしまっている醜い自分を、許すことができない。

 ゆえに一花は自分に鞭を打ち、ぐちゃぐちゃな己の心を更なる嘘で塗り固める。

 

「そうだよ。私ね、本当はフータロー君のことなんて好きじゃないし、愛してもないんだ。さっきまでの私は全部演技なの。どう? 見事な悪女っぷりだったと思わない? ホントいい役作りになったよ」

「……一花」

「君の心を弄んだのは悪いと思ってるけど、謝罪はしたし別にいいでしょ。演技に付き合せたお詫びとして謝礼は払うよ。それに、私の愛は偽物でも二乃や三玖の愛は本物。妹たちは君を愛してくれるんだし、それでいいよね」

「…………」

「ていうかさ、そもそも私とフータロー君じゃ住む世界が違うのに、君なんかを好きになるわけないじゃん。少し考えればわかるでしょ? 私は女優として演技力を上げて、更なる高みを目指したいの。所詮フータロー君は、私の夢のための踏み台でしかないんだから」

 

 自分の恋心も何もかも全て嘘にしてしまえば心置きなく嫌ってくれるだろうという判断から、一花は冷たい瞳で風太郎を突き放す。

 発言が支離滅裂なのは一花自身理解している。主張が先ほどの謝罪と一致していない以上、誰がどう見ても頭のおかしい女でしかない。だが、優しい風太郎のために一花ができることは、このように嘘をついて嫌われることだけなのである。

 結局一花のこの恋は、自分はおろか風太郎の心も傷つける、最低最悪のバッドエンドであった。二乃と三玖の好意を持ち出してフォローはしたが、もし自分のせいで風太郎が再び恋愛を嫌悪するようになってしまったら、一花にはもう償う術はない。せいぜい彼の記憶から中野一花という存在が完全に消えるまで、永遠に姿を消すことくらいであろう。

 

(ごめんなさい、フータロー君……でも、どうか、ひとつだけ……)

 

 愛を見失った一花の行動は、到底許されることではない。だが、そうだとわかっていても、わがままな少女は願ってしまう。確かに存在した、今日という一日。

 

(もう、一生嫌われたままでいい。フータロー君が望むなら、君の生徒でいることも諦める。顔も見たくないなら今の学校からもいなくなるから、今後一生、君の前には現れないから! だからお願い、この思い出だけは……!)

 

 

 

 

 

 どうか、私がお姉さんとしてではなく、中野一花というひとりの女の子として君に甘えることができた今日の幸せだったひと時を、胸にしまっておくことだけは許して───

 

 

 

 

 

「それがどうした。一花がどう思おうが、俺は一花が好きなんだ。だからお前との一日をなかったことにするだなんて、そんなの絶対に認めねぇぞ」

 

 

 

 

「……え……? 今、なんて……」

「あんだよ、聞こえなかったのかよ」

 

 何を言っているのかわからない、と顔で語る一花。彼女が何を考えて突き放す発言をしたのか、愛を知った風太郎は理解できる。それゆえに、本心を隠す一花に風太郎は苛立ちを抑えきれない。

 

「俺は一花が好きだから、今日のお前と過ごした時間をなかったことにするのは嫌だって言ってんだよ。見え見えの嘘つきやがって、今の俺には丸わかりだ。作り笑いを見せてないからって、俺を欺けると思うなよ」

「っ……」

 

 真っ直ぐに一花を見据え、風太郎は愛の言葉を語る。

 確かに、一花の振る舞いは善か悪かで言えば間違いなく後者だ。三玖の気持ちを知っておきながら三玖に扮して自分の恋を有利にするために都合の良い発言をした彼女の行動は、誰がどう見ても卑怯と感じるものであろう。

 しかし、何も自分のためだけに他の姉妹の姿を利用したのは、一花だけではない。

 

 

 

『この関係に終止符を打ちましょう』

 

 

 

 思い出すのは春休みの家族旅行での特殊な状況を利用し、五月の姿で風太郎を拒絶しようとした三玖の言葉。彼女が何を目的としてそれを口にしたのか、今の風太郎にはわかる。三玖の想いは、それほど本気ということなのだろう。

 だが、五月以外の他の姉妹は、自分の知らないところで三玖が姉妹全員を巻き込んで風太郎との関係をリセットさせようとしていたことを知っていたのだろうか。また、知っていたとして、三玖の考えに同意したのだろうか。そんなの、するわけがない。

 

(そうだ。そんなこと、あるはずがないんだよ。だって、あいつらは。そして、一花は───)

 

 なぜなら彼女たちは、家庭教師を辞めようとした風太郎を家出をしてまででも引き止めてくれたのだから。五つ子全員が風太郎の生徒である以上、風太郎が教師を辞めるということは三玖以外の姉妹全員とも教師と生徒の関係を解消するということになる。つまり、学校以外での五つ子と風太郎のつながりはなくなる。

 三玖としてはそれでいいのかもしれない。しかし、それでは家を手放してまで風太郎に教えを求めた他の姉妹の覚悟は。ずっと風太郎を必要としていた少女の想いは。自分のためだけでなくみんなのために、勉強も仕事も必死に頑張っていた一花の努力はどうなるのか。

 

(頑張ってたのはあいつだけなわけじゃねぇ。だけど、一花の努力が全部水の泡と化すだなんて、そんなの、あんまりだろうがよ……)

 

 家庭教師を解消させられるかもしれないという焦りで余裕がなかったとはいえど、当時の自分の考えの浅はかさに風太郎は歯噛みする。あの時の家族旅行での偽五月の正体は、消去法で一花か三玖まで絞り込むことができた。しかし、一花の愛を知った今だからわかることではあるが、絶対的な確信が風太郎にはある。

 

(適当なこと言いやがって、何が仕事が忙しくなったから家庭教師解消だ。一花は学年末試験の頃から、ひとりだけずっと仕事と勉強の両立をしていて、結果を残していたじゃねぇか。それに、あいつは、俺を……!)

 

 ずっと風太郎を気にかけて、家出の決意までしてくれた一花が。ひとりでずっと、戦い続けていた彼女が。自分の弱さに負けて風太郎を拒絶するだなんてことは、天地がひっくり返ってもありえない。

 もし仮に風太郎があのまま三玖を見抜くことができずに関係が解消になってしまったとしたら、風太郎を必要としてくれて家出を提案した一花は当然のこと、他の姉妹も強いショックを受けてしまうだろう。姉妹の想いを無下にしようとした三玖の振る舞いを一切咎めていないのに一花の行動は許さないだなんて、そんな理不尽な話はない。

 

(だけど、三玖だって本当は自分が間違ってることくらいわかってるはずだ。だって、あいつも一花に感謝していたんだから)

 

 それでも、風太郎が三玖を嫌うことはない。彼女は五つ子の中でも比較的初期から風太郎に心を許して積極的に勉強に取り組み、学年末試験の際には早くから勉強を教える側に入り、風太郎を支えてくれたのだ。五つ子全員の赤点回避という偉業に、三玖が大きく貢献していたのは紛れも無い事実である。

 そんな心の優しい三玖があそこまで思い切った行動に出たのは、自分の望みを叶えるためにしなくてはならないことだったのだろう。彼女もまた、別件で悩んでいたというわけだ。

 風太郎は、そんな三玖の助けになってあげることができなかった。距離を置こうと判断して三玖に親身に接してあげられなかった風太郎にも全く問題がないとは言えない。

 

(ったく、これじゃ俺も教師……いや、友達としてまだまだだな)

 

 五つ子は一人を除いて、風太郎にとって大切な友達なのだ。ゆえに、二人の行動やその動機に驚きこそあれど、風太郎の中で彼女たちの評価が悪くなる理由は全くなかった。

 結論が出たことで、風太郎は意識を切り替える。ただひとり、五つ子の中で特別な一花。そんな大切な彼女の罪の意識を、取り除かなければならない。

 

「な、なんで? フータロー君……私、君を騙してたんだよ? それなのに、まだ好きだなんてありえないよ」

「何言ってんだよ、俺だってお前たちに嘘をついたことがある。だからただのおあいこだ」

「全然おあいこなんかじゃないよ! 私の方が三玖や四葉を利用している分、よっぽど悪質で最低なのに……」

「そんなの関係ねーよ。別に三玖を傷つけたわけでもないんだし問題ないだろ。そんな気に病むなって」

「どうして……フータロー君、裏切られたとか、思ってないの?」

「……なんでだよ。確かにお前の行動に何も疑問を感じないわけじゃねぇ。だけど、たった一度の過ちでそんな理不尽なこと、あるわけねぇだろ」

 

 風太郎が彼女に怒りを覚えることが当然だ、というような一花の疑問。愛をくれる一花ですら、風太郎に対して偏見を抱いているという事実。それは、風太郎の心に刺さる。今までの自分の態度に問題があったのは理解しているが、それでも悔しさを覚えてしまう。

 

「所詮俺だってお前と同じだ。不用意な発言や失礼な行動で相手を傷つけたり怒らせたこともあれば、自分のためだけに嘘だってついた。一花を責める資格はないし、責めようとも思わん」

 

 そもそも、目的のためなら手段を選ばないというのは、家庭教師を始めたての頃の風太郎にも当てはまるスタンスである。家の借金返済という目標のために。らいはにお腹いっぱい、美味しいご飯を食べさせてあげるために。そのためならば利用できるものは全て利用するという決意のもと、中野家の五つ子の家庭教師を始めたのだ。

 当然その中で、風太郎も嘘をつくことがあった。二乃や三玖、五月に授業を受けさせるためだけに三玖の趣味を否定しなかったり、仮病を使ったりもした。人の道を外れるような行いに手を染めることこそしなくても、自分を正当化し目的の達成のために嘘をつくことに躊躇いはなかった。

 他にも、勤労感謝の日には一花や三玖の誘いを断っておきながら四葉と出かけたこともある。結果的に誘ってきた二人に嘘をつく形になってしまった。もし二人がこの真実を知ったら、一花も三玖もいい気分ではないだろう。結局、風太郎も嘘つきであることに変わりはない。

 

「それにお前、昔の自分がどうとか言ってたけど……べつに、ガキのころなんざやんちゃしてて当たり前だろ。俺なんて小六の頃にはもうピアスあけてたんだぞ」

「あ……」

「トランプの罰ゲームで友達にトラウマを植え付けるようなやべーことだってしたし、本気で人生に勉強なんて必要ねぇって思ってたしな。昔の俺は問題児以外の何者でもなかった」

 

 黒歴史というわけではなくとも、積極的に話そうとは思わないかつての自分。それでも風太郎は積極的に自分の過去を晒す。一花の罪悪感を取り除くためなら、できる限りのことをしてあげたいという思いからだ。

 昔話に関心を持ってくれたのか、一花の声のトーンは少し平常に戻る。

 

「……そ、そうなの?」

「そうだ。まぁ……確かにお前のやり方は褒められたものじゃない。だけど、少なくとも旅行の時からずっと、一花も悩んでたんだろ。いくら俺でもお前の様子が変だってことは気づいてた。悩みの検討がつかなかった上に三玖が誤魔化したから、てっきり解決したのかと納得しちまってたが……」

「……何の話? そういえば前も三玖の変装がどうとか言ってたけど、旅行で三玖となんかあったの?」

「……まぁ、ちょっとな。とにかく……お前の一連の行動は、今まで我慢してた分、ブレーキが外れたってことなんだろ。お前も、大変だったんだよな。今までよく頑張ったよ」

 

 ずっと風太郎のような存在を必要とし求めていた一花だが、彼女は妹のために自分の気持ちを抑圧していた。それでもなお、時を重ねるにつれ膨れ上がる想い。そうして募りに募った想いが溢れ出て暴走した結果、卑怯な手段を用いてでも戦う道を選択したのだろう。

 だが、一花は考えを改めた。風太郎には何がトリガーになったのかはわからないが、一花は勇気を振り絞り、自分の姿で、言葉で戦うことを選んだのだ。

 そして、その想いの強さはしかと風太郎に伝わっている。彼女の今日一日のアプローチとここで告白した嘘が、何よりの証明である。一花には嘘を話さないという選択肢もあったはずなのに、それでも玉砕覚悟で己の全てを打ち明けたのだ。風太郎と、本気で向き合うために。嘘自体を隠し、闇に葬ろうとした風太郎とは違う。

 

(これは一花の真剣な気持ちなんだってこと、俺にだってわかるさ。だから───)

 

 風太郎は知っている。成功は失敗の先にあるのだと。一花も自分の失敗から学んだからこそ、今日という充実した一日を共に過ごすことができたのだ。

 そんな一花の精一杯の勇気を、拒絶するだなんてありえない。

 

「あのな、一花。俺にとっては妹、らいははとても大切な存在で、あいつの願いは全て叶えてやりたいと思っている。だが、全ての長男長女が俺みたいな考えってわけじゃねぇんだし、こうしろだなんて価値観を押し付けようとは思わん。一花は一花のままでいい」

「…………」

「だから、お前が長女だからって、妹のために気持ちを押し殺して我慢する必要なんてないんだ。無論善悪の判断はつけるべきだが、五つ子なのに一花ひとりだけずっと我慢するだなんて、そんなのは公平じゃないだろ」

「……フータロー君……」

「つーわけで、もうこの話は終わりにしていいと思うぞ。俺も人のことは言えないけど、あいつらだって一時の感情に任せて優先順位がわからなくなって、暴走するやつらばっかじゃねぇか。だから、そんなに自分を責めないでくれよ」

「……でも、私は……」

 

 二乃と五月の家出、四葉の明らかに無謀な勉強と部活との両立や、三玖の一方的な家庭教師解雇宣告。彼女たちにも様々な葛藤があったとはいえど、当時の風太郎にとって絶対であった家庭教師のアルバイトの継続の危機に、風太郎も幾度となく頭を悩ませた。贔屓じみた発言だと思いはするが、それらと比較したら一花の嘘はかわいい方だと風太郎は考えている。

 だいたい、風太郎はもちろんのこと、控えめな三玖でさえも自分の望みがあり、それを叶えるために生きていて、あのような行動を起こしたのだ。ひとりだけそうは考えていないように思える例外が五つ子の中に存在するが、基本的に人間誰だって自分が一番大切で当然である。自分のために嘘をついたくらいで、風太郎が一花を嫌いになることはない。今まで風太郎のために一花がしてくれたことが、帳消しになるわけがないのだ。

 しかし、依然として一花の表情は晴れない。

 

「ううん、やっぱ、ダメだよ。私、自分を許せない。だって、醜い自分を隠したまま君に好かれようとして、ずっと騙していたんだから。私のことを好きになってくれれば、受け止めてくれるんじゃないかっていう打算があったんだよ。そんなの、ただの卑怯者でしかないよ」

「…………」

「フータロー君が私のことを嫌わないでくれることはとても嬉しい。でも、だからってこれ以上を望むのはダメ。こんなお姉さんでない、人として、女として最低な私に、君の愛を受け取る資格なんてない。私なんかと一緒にいたら、性格の悪さが伝染しちゃうよ」

 

 先ほど公園で遊んでいた時とは正反対の、悲壮感漂う姿を見せている一花。自分なりにではあるが優しく、しかし嘘偽りない本心を述べた風太郎ではあるが、まだ一花の心の壁を崩すには至らないようだ。

 そんなわからずやの一花を見て、とうとう風太郎の声色には怒気が宿る。

 

「……あぁ、そうかよ。ここまで言っても、お前は俺の気持ちをちっとも理解してねぇんだな。本当に、呆れるほどに馬鹿なやつだ」

「…………そうだよ、幻滅したでしょ? だから、こんな馬鹿で最低で性格の悪い、嘘つきの私じゃなくて、もっと頭の良くて優しくて性格の良い、素直な女の子と───」

「そうじゃねぇよ。いいか、一花。自分の言葉で伝えろって言ったのは他でもないお前だ。それを否定なんてさせないからな、よく聞けよ」

 

 俯き、徹底的に自分を否定する一花。風太郎が気にしていないと言ったところで、一花の心に掬う罪悪感は消えない。ならば、どうすれば一花に気持ちは伝わるのか。

 

 答えは、ただひとつである。

 

「俺がお前のことを、隠し事や嘘のひとつやふたつ……いや、いくらでもあろうが、嫌いになることなんざありえねぇんだよ」

 

 

 

 その強固な心の壁を、突き破るまで。愛を込めた直球勝負で、一花の心に響かせてみせる。

 

 ───今度は、俺が一花に愛を与える番だ。

 

 

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