スタイルチェンジ   作:きゅーぴー(ないんぴーす)

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#5

 

 

「えっ……」

 

 真剣な気持ちを伝えることに勇気もなにも必要ない。今の風太郎を突き動かすものはただひとつ。自分の愛を、分からず屋の馬鹿に知らしめてやりたい。

 

「人間、誰にだって間違いはある。俺だって、勝手に家庭教師を辞めてお前たちを傷つけた。お前たちの気持ちを、想いの強さを。汲み取ることができずに、無下にしちまったのは俺も同じだ」

「な、なんでよ、フータロー君は自分の事しか考えてない私とは違う。確かにフータロー君が辞めた時みんな悲しい想いをしたかもしれない。だけどそれは、君が私たちの事を考えて……」

「それでもお前たちを悲しませたのは事実だ。だけど、そんな馬鹿な俺を……お前たちは引き止めてくれた。一花の家出の発案に、一番救われたのは間違いなく俺なんだよ。あいつらも、そんなお前の覚悟を信じてついてきてくれたんだ」

 

 風太郎の心に響いた、一花の提案。しかしこれもまた、風太郎を必要としていた一花の愛と勇気に加え、妹を思う気持ちがあったからだ。

 

「……でも、今の私はみんなに信頼されているようなお姉さんじゃない。こんな嘘まみれの私が、フータロー君の隣にいる資格なんて……」

「だからそこがわかってねぇっつってんだよ。姉として立派かどうかとかそういうんじゃない。大体俺は騙されたなんて思ってないし、俺は姉としてのお前だけを好きになったわけじゃねぇ。それ以外にも俺は一花の魅力、そこらへんの奴らより何倍も知ってるつもりだ」

「え……お姉さんじゃない、私の、魅力……?」

「そうだ。お前が納得するまで、何度だって伝えてやる」

 

 確かに、姉としての一花が頼もしい存在であるのは事実である。だけど、違う。本当に、一花は何もわかっていない。姉でない一花には魅力がないだなんて、そんなことはありえない。誰からも好かれる愛想の良さと優しさに加え、お日様のような明るさを持つ少女。それだけでなく自分の夢を持っている一花は、風太郎にとってとても眩しい存在なのだ。

 やたらと性格の悪さを主張している一花だが、ほぼ全ての人が自分の幸せのために生きている以上、常に聖人君子であることができる人など存在するわけがない。決して自分も常に余裕があるあったわけではないだろうに、それでも一花は一度も風太郎を邪険に扱うことはなかった。

 そんな魅力に溢れている心のおおらかな一花が、同じ容姿の五つ子の中でも特に人気者なのは決して彼女のビジュアル面だけではないと、風太郎は自信を持って語る。

 

「自分で自分の目指す道を決められる芯の強さ。夢のために身を削ってまでがむしゃらに突き進むことのできる向上心の高さ。そして……出会った頃の俺みたいな冷たいやつにも嫌わずに友好的に接することのできる、人を思いやる優しい心。そういった成熟さと優しさを兼ね揃えているところが、一花の魅力だと俺は感じている」

「……っ……」

「それだけじゃねぇ。お前は五つ子の中で、間違いなく一番の努力家だ。苦手な勉強にも一生懸命取り組んで、学年末試験では姉妹の中で一番の成績を取ってみせただろ。しかも、あいつらと違って仕事との両立をした上でだ。お前が俺の知らない所でどれだけの努力を重ねてきたのか、想像もつかない。一花、お前は本当にすげぇやつなんだよ。そんなお前が必要としてくれることが、俺には嬉しいんだ」

「……そんな、私なんて……」

 

 後ろめたさからか、一花は風太郎の言葉を素直に認めない。しかし、普段から一花は自分の長所を鼻にかけたりする少女ではないことは風太郎はよく理解している。妹を思う気持ちは同じでも、他人への態度は風太郎と一花では大きく違う。

一花の決して他者を見下さず、基本的に誰にでも優しくあれるその姿。一花は姉だから優しいのではない。元々人をよく見ていて気遣える優しさが備わっているからこそ、姉として認められているのだ。

 それは今の一花だけでなく、やんちゃしていたらしい昔の一花にもあったものだと風太郎は確信している。かつての悪ガキだった風太郎のように、妹を思う気持ちが心にあるからこそ、きっかけひとつで変わることができるのだ。長男である風太郎はそれをよく理解している。本人から詳細を聞いたわけではないが、一花も母親を亡くしたことをきっかけに、長女としての自覚を強く持つようになり、変わろうとしたのだと風太郎は考えている。

 そして、普段の二乃たちを見ていても、そういった一花の変化、そのための努力は伝わっていることは明らかだ。

 

「一花、馬鹿なのは、間違えていたのは俺だって同じだ。勉強しかできないのに学力を自慢げにして人の気持ちを考えようともしないやつを、誰が必要として、求めてくれるんだって話だ。こんな簡単なことにすら、全然気付けなかった。二乃や五月が辛く当たるのも当然だ」

 

 己の過ちを風太郎は語る。時間をかけて心と心を通わせることで、人は初めてお互いに理解し合え、信頼を育むことができる。一方的に自分の都合を押し付けるだけでは絶対に成り立たないものがあることを、かつての風太郎は知らなかった。

 

「それなのにお前は、最初から俺を邪険にしなかっただけじゃねぇ。試験勉強が思うように進まなかった時も、あいつらとの接し方に悩んでた時も。一花、お前は俺を気遣って、助け舟を出してくれた。どうして俺にそこまでしてくれるのか、今日までずっと、わからなかった」

 

 今の風太郎は、初期の自分の態度に問題があったことは強く自覚している。二乃や五月の反応は、本来当たり前のもののはずなのだ。

 だけど、一花は。最初から、ずっと。

 

「でも、今の俺ならわかる。姉としてのお節介だとか友達だからだとか、それだけじゃない。お前は最初から心のどこかで俺のことを必要な存在と思ってくれていたから、あんなに気にかけてくれたんだ」

「……!」

 

 最初から協力的だった四葉の存在や、学力の高さ(中野家の五つ子比)を活かして負担を減らしてくれた三玖にも風太郎は感謝している。五月も勇気付ける心強い言葉を何度も伝えてくれた。二乃も敵視していた頃でさえ家庭教師を継続させる一言を彼女たちの父親にかけてくれたりと、風太郎を助けてくれたのは、何も一花だけに限った話ではない。

 ならば、なぜ風太郎にとって一花だけが特別なのか。

 

 風太郎が思い出すのは一花と初めて出会ったあの日。同級生なのにお姉さんを気取っていて、全てを見透かしているような目を持つ少女。勉強嫌いではあっても彼女は風太郎を敵視することなく、最初から友達だと思って接してくれていた。一花に自覚はないだろうが、その瞳にはすでに少なからず風太郎への愛が篭っていたのだ。だが、その矢印は一方通行ではないと、すでに風太郎は自覚している。

 一花と出会って一月程度しか経っていないのに、花火大会のあの時、風太郎が彼女の作り笑いを見抜くことができたのは。恋だとか青春をエンジョイだとか、自分の価値感にそぐわないものは容赦なく否定していたかつての風太郎でも、一花の言葉は日常のワンシーンのものですら思い出せて、記憶に残っているそのわけは。

 

 きっと、風太郎も一花を、出会ったあの時からどこかで意識して、他の姉妹とは違う何かを感じていたからなのだ。そんな一花だからこそパートナーと認め、五つ子の中で唯一、自分から中野家の五つ子の家庭教師をする理由を打ち明けたのである。

 

「俺にはそれが、たまらなく嬉しい。俺はずっと、誰かに必要とされる人間になるために勉強してきたんだ。勉強が全てっていう考えは間違っていたけれど……それでも、そんな間違えてばかりの俺でも。お前はずっと、見放さないで俺のことを助けてくれた」

「……ダメ……」

「今日までちゃんと言葉にできなくて、本当にすまない。ありがとう、一花。ずっと俺を気にかけて、支えてくれて。俺のことを、好きになってくれて。おかげで俺も、自分の気持ちに気づくことができた」

「やめて、優しくしないで……絶対、後悔することになる。こんなお姉さんでない、嘘つきで嫉妬深くて自分のことしか考えてない私は、フータロー君もみんなも傷つけることしかできない。だから、私は、君から離れなくちゃいけないのにっ……!」

「そうだな、お前は嘘つきだ。自分の心に嘘をついて、必死に俺から離れようとしている。でもな、俺にはわかるんだよ」

 

 いくら一花が嘘で心を固めようが、風太郎にはお見通しだ。もはや大切な存在である一花の本心を汲み取ることなど造作もない。

 彼女の中には、絶対にゆるがないものがある。それは───

 

「一花が今日伝えてくれた、溢れるほどの想い。そして、俺を好きだと思ってくれる心。これが嘘だなんて、ありえねぇ。あんなに幸せそうな笑顔の一花を見られて、俺も嬉しかったんだぜ」

「お願い、もうやめて……これ以上君の優しさに甘えたら、私……!」

「問題なんてなんもねぇよ。姉は人に甘えちゃいけないだなんて、そんなの誰が決めたんだって話だ。嘘つきだろうと、俺の一花への気持ちは変わらない。だから、改めて伝えさせてくれ」

 

 風太郎への強い想い。即ち、愛だ。家族旅行の時にやたらその言葉を耳にするも、あの時の風太郎にはわからなかったもの。それでも一花は、前からずっと伝えてくれていた。

 風太郎は今日一日、心から嬉しそうな笑顔を浮かべていた、一花の姿を思い出す。あの笑顔は紛れもなく本物だ。姉とか妹とか関係のない、一花にとって唯一対等な立場である風太郎は、ただひとり彼女の心に寄り添えられる存在なのだ。

 しかし、一花が心の底で風太郎を求めているとわかっているから手を差し伸べるのではない。他ならぬ風太郎自身が一花を愛し、求めているのだ。そう思うからこそ、一花の心に届かせるまで風太郎は諦めない。この気持ちは、たとえ一花であろうと否定させない。

 

「一花。俺だって、お前のことが大好きなんだ。本当に、どうしようもないくらい愛している。お前がいいと思ってくれるなら、これからもずっと、俺の隣にいてほしい」

 

 生徒としてでも、友達としてでもない。もはやその程度では、風太郎も満足できない。自分たちにはパートナーとしての究極系の前段階、恋人こそがふさわしいと、風太郎は自信を持って一花に告げる。

 

「俺には、一花が必要なんだ」

 

 人は、決して自分の力だけでは生きていけない。一花の存在がなければ、風太郎は家庭教師を続けられなかったのだから。もはや一花の存在は、風太郎の中で大きくなりすぎている。今までずっとひとりで戦い続けてきた、強く優しくも儚い一花。風太郎も幾度となく、彼女の存在に助けられた。

 そんな頼りになる一花に必要とされていることは、風太郎にとってとても名誉なことなのだ。そして、成長の実感を与えてくれただけでなく、何度もそばで支えてくれた彼女への感謝が、風太郎には宿っている。自分の本心を隠してもなお人を気遣える優しさを持つ一花のことを、風太郎は好きになったのである。

 

「…………なんで」

 

 涙が一花の頬をつたう。ようやく、心の壁を壊すことができたようだ。一花がずっと涙を堪えていたことを、風太郎は当然見抜いていた。

 

「なんで……どうしてぇ……」

 

 顔を歪ませ、大粒の涙をこぼす一花。罪悪感で自分を責め続け嘘で風太郎を拒絶して、心はボロボロになっていたのだろう。それでも姉としてある中で身についた我慢強さで、心の奥底で泣きながらも必死に普段通りを装っていた。

 

 だけど、もう。そんな強さは、なくていい。

 

「……あんなに、ひどい嘘、ついてたのに……君の信頼も、愛も、全部、裏切ってたのに……私のこと、許して、くれるの……? 私、フータロー君の隣に、いてもいいの……?」

「許すも許さないもねーよ。もう俺たちは恋人同士で、お前は大切な彼女なんだ。俺が一花を信じる理由なんて、それだけで十分なんだよ」

 

 今にも崩れてしまいそうな一花の身体を、風太郎はそっと抱きしめる。彼女の心を守りたい。もう一度、一花が心から笑えるように。

 

「俺はどこにもいかない。一花が望む限り、ずっとそばにいるから。だから、もう俺の前では我慢なんてすんな。泣きたい時は思いっきり泣け。甘えたい時は遠慮なく甘えてこい。俺たちの喜びも、悲しみも……これからはずっと、俺と一花で二等分だ」

「フータロー、くん……! っく、ううっ……うわぁあああん!!」

 

 涙腺が決壊し、一花は風太郎の胸の中で声を上げて泣き喚く。

 

「フータローくん、フータローくんっ……!」

 

 感情を剥き出しにしている一花を見るのは、風太郎にとって初めてのことだ。

 母の死をきっかけに姉として立ち上がらなければならなくなって、妹たちを優先するようになった一花。風太郎と同じように、一人で責任を背負いこむうちに、誰にも甘えることは許されないと感じていたのだろう。

 それでも一花は風太郎の前だけでは、姉である必要はなくなる。素直にひとりの少女として、甘えることができるのだ。

 

(やっぱり、俺とお前は、同じなんだな)

 

 そして、風太郎は気づく。自分自身、甘えたいという感情を忘れていたことに。厳しい環境でずっと勉強に明け暮れていた風太郎にとって日々を生きることは戦いであり、いつしかそんな思いは頭の中から消えていた。

 思えば公園での膝枕の時、一花は言葉にしていた。いつでも甘えてくれていい、と。ずっと風太郎を気にかけていた一花は、振り回しながらもその身を案じていたのだろう。

 

(俺も、今度、少しだけ……)

 

 決して走り続けて疲れたわけではない。しかし、自分を必要としてくれる一花の存在を得て、風太郎は自己実現を成し遂げることができたのだ。

 無論、教師としてのゴールはまだ先であり、卒業の後も長い人生が続く。それでも、もう今までのようなハイペースを維持する必要はない。重りを外したような開放感。そんな精神的に余裕のできた風太郎の心に、ある思いがこみ上げてくる。

 

(一花に、甘えてみたい……なんて言ったら、笑われちまうかもな。でも……)

 

 一花からの愛をもらわなければ、風太郎には芽生えることのなかったであろう欲求。お互いに信頼し支え合い、甘えたいと思える相手ができたことを、風太郎はとても嬉しく思っている。

 すでに、風太郎の中で一花はらいはと同じかそれ以上に大切な存在だ。今まで風太郎は、らいはの笑顔をそのまま自身の幸せとしてきた。それが風太郎にとっての全てであり、彼女のために自分の時間を捧げることに何も抵抗はなく、苦だとも思わなかった。ゆえに五つ子全員を卒業へと導くことを一番に考え、今日まで風太郎は全力を注いできた。

 だが、そんな目に入れても痛くない妹も中学生になった。身体は弱くとも芯のしっかりしているらいはの心の強さに、少しだけ頼ってもいいのかもしれない。今でさえ家事担当は妹な上に、もともと風太郎が自分で縛ると決めた鎖である。なら、勝手に緩めようが誰も文句は言わないだろう。

 

(俺も、すっかりわがままになっちまったな)

 

 それでも心はとても晴れやかだ。家庭教師として生徒を卒業させることだけが風太郎の人生ではない。これからの一花と共に過ごす日常に、風太郎は胸を膨らませる。一生に一度の高校生活、してみたいことがたくさんある。彼女と見る景色は、きっとひとりの時とは違うはずだ。でも、今の風太郎の望みはただひとつである。

 たくさんの愛を与えてくれた一花を、甘えさせてあげたい。優しく、温かいこの気持ち。どうかずっと、失わずにいたい。そのためなら、今まで掲げてきた目標すら───

 

 

 

 

 

 どれくらい、こうしていただろうか。すでに一花は泣き止んだようだが、まだ顔を見せてはこない。一花がこの部屋に来た直後と同じように静寂が部屋中を包み込む。しかし、お互いに緊張を感じてはいない。風太郎も一花も、愛する人が側にいることに安心感を覚えていた。

 

「フータロー君……」

 

 一花が顔を上げる。まだ顔は赤いが、涙は止まったようだ。もう、一花が教えてくれた五つ子マニュアルを引き出すまでもない。一花には自然な態度で、なおかつ優しくが基本だ。

 

「……落ち着いたか?」

「うん、もう大丈夫! ありがとねっ」

 

 風太郎から離れ、立ち上がる一花。まだ目元は赤くはあるが、声も表情も明るいものに変わり、復活を印象づける。頑張った甲斐があったと、素直に風太郎は思えた。

 

「あのね、フータロー君」

 

 一花の言葉を受けて、風太郎も立ち上がり彼女と向き合う。今の自分たちは教師と生徒以前に、恋人で対等な存在なのだ。愛する彼女の真摯な想いを、全身全霊で受け止めたい。

 

「私、フータロー君が好き。時折見せる子供っぽい意地悪な態度も、文句を言いながらもわがままな私たちに寄り添ってくれる優しさも、口元を抑えるカワイイ照れ隠しも、全部、全部大好きなの」

 

 その表情は優しく、安らぎを覚える温かいものだ。

 

「もう、フータロー君なしの人生なんて考えられない。私にとってフータロー君は、心が迷子になっていた私を見つけてくれた、たったひとりの王子様だから」

 

 だけど、言葉に秘めた愛はとても強く、どこまでも、まっすぐで。

 

「そんなフータロー君と、私は……未来永劫、添い遂げたいの。もう私の心も体も、私だけのものじゃない。君と一緒に、お互いに支え合いながら、生きていきたい」

 

 再度風太郎の心を射止めるには、十分すぎる威力であった。今日風太郎が一花と過ごす中で理解できた、愛の形。相手から受け取るだけでなく、お返ししたいと思う感謝の心。

 

「だから……これからもずっと私の隣で、私を見ていてほしい! 女優として成長して、ひとりの女として咲き誇れるように……私、もっともっと輝いてみせる! お願いです、私の彼氏に、なってください!!」

 

 一花の告白に対し、風太郎の答えが変わることはない。愛を知った風太郎は、普段であれば恥ずかしいはずのセリフを伝えることに躊躇いなどない。後々悶えるかもしれないと思いつつも、今の風太郎は一花の前ではカッコつけたいとすら考えてしまっている。

 

「そんなの当然だ。さっきも言っただろ、俺はどこにも行かない。ずっとお前の隣にいるって。これからもよろしくな、一花」

「……! フータロー君っ! こちらこそ……ふつつかものですが、末永く、よろしくお願いします♡」

 

 上杉家に来てからは初めてである。ようやく表れた、愛に咲き乱れる一花の笑顔の花。一花の心からの笑顔が、風太郎には何より嬉しい。

 

(こんな気持ちを愛おしく思えるようになるなんて、昔は考えもしなかったな)

 

 風太郎は悪ガキだったあの頃を思い出す。毎日が明るかったようで、どこかぽっかりと心に穴が空いていたような日々。でも、あの時とは違う。風太郎は一花に必要とされていて、風太郎も一花を必要としている。お互いに胸の内をさらけ出し、全てを認め合い、ついに二人は強い絆と愛で結ばれたのだ。もう、一人ではない。

 

「うう、これで私たち、正真正銘、彼氏と彼女の関係になれたんだ……! どうしようフータロー君、私、嬉しすぎてどうしていいのかわかんないよ! もう私たち、あんなこともこんなこともエッチなことも、なんだってできちゃうんだよね……」

「落ち着けって……まぁ、改めて口にすると、なんだか、その……今までの日常とは変わるんだってのを実感しちまうな。テンションがよくわからなくなっているのは、俺もだわ」

 

 さりげなく飛んできた爆弾発言は聞こえないふりをしつつ、風太郎は一花の言葉に同意する。どうにも落ち着かない、そわそわしているこの感じと、どう向き合えばよいものか───閃いた。

 

「と、とりあえずっ! もう私、容赦なんてしない! これからはもう、ふたりっきりの時は思う存分甘えちゃうよ! 私がどれだけフータロー君にメロメロなのか、たーっぷり思い知らせちゃうんだから! 覚悟しててよねっ♡」

 

 ウインクをしつつ、一花は風太郎に直球で愛を伝える。今日幾度となく、風太郎を赤面させてきた火の玉ストレートだ。だが、もう風太郎は怯まない。受け止めたボールは、しっかりと相手の目を見て投げ返す。しかし、ここで風太郎が一花に返すのはちょっとした変化球だ。

 

「おう、かかってこいよ……と言いたいところだが、今日ばかりはそうはいかねぇ。ここは俺の家だからな。デパートや公園では散々俺をドギマギさせやがって。今度は俺のターンだ」

「! ふふっ、やっぱフータロー君も、意識してくれてたんだ……嬉しいっ♪」

「余裕ぶっこいてられるのは今のうちだぜ。やられっぱなしじゃ気が済まないんだよ。だから───」

 

 ずっと一花のペースで振り回されてばかりでは、男が廃るというものだ。やり返したいという思いは確かにある。

 だが、それだけではない。これはまだまだ一花を甘えさせてあげたいという、風太郎のわがままでもあるのだ。ビシッと一花に指差し、風太郎は宣言する。

 

「ここでは俺のやり方で、一花には俺に甘えてもらう。拒否権なんざないからな」

「…………ふえ?」

 

 今さっき絶対メロメロ宣言をかました一花ではあるが、彼女がまだ完全に罪悪感を拭えているかどうかは風太郎にはわからない。今まで姉であり続けた中で染み付いた遠慮しがちな考え方は、そう簡単には変わらないだろう。風太郎はせめて自分といるときだけでも、一花に自分の気持ちを押し殺して偽物の笑顔を浮かべるような、辛い思いをさせたくないのである。

 そのため、恋人に遠慮はいらないということを、しっかりと証明しなければならない。言葉で、行動で。何事も最初が肝心だ。

 

「えっと……フータロー君?」

「あんだよ一花、文句は受け付けねぇぞ」

「俺のやり方で甘えてもらうってのは、つまり、その……フータロー君が私を、リードしてくれるって、こと?」

「あぁ、そうだ。これでもかっていうくらい、たっぷりドキドキさせてやるよ」

「ええっ!? う、嘘、でしょ……?」

 驚きのあまり、口元を押さえて後ずさる一花。それを受けた風太郎はニヤリと悪い笑みを浮かべる。

 

「俺は本気だからな。今までいいようにやられた分、倍返しにして返してやる。平常心でいられるなんて思うなよ」

「そ、そんな……私、フータロー君に、強引に……男らしくヤられちゃうんだ……♡」

 

 だが、行動とは裏腹に一花の口から発せられる声のトーンは、歓喜と期待に満ちている。このような艶めかしい姿は、五つ子の誰にも真似できないだろう。風太郎に一花を傷つけるつもりは一切ないのに、少しばかりの嗜虐心が湧いてきてしまう。

 

「……まぁ、そういうことだ。覚悟するのは俺じゃなくて、一花、お前なんだぜ。もう逃がさねぇからな」

「やだぁ……フータロー君、こわいよぉ……♡ 私、どうなっちゃうんだろ……♡」

 

 余裕のある不適な笑みを崩さないまま、風太郎は告げる。それでも、一花の表情に怯える様は見受けられない。それどころか、うっとりとしている一花の瞳の奥には、ハートマークが見えるように感じる。

 そんな彼女の反応を見て風太郎は内心で方向性を間違えたかと考えるが、今更軌道修正は難しい。最終的にはこれくらい一花のボルテージを上げた方が遠慮なく甘えられるだろうと、風太郎は結論づけた。

 上杉風太郎と、中野一花。互いに寄り添い甘えられる存在を得た少年と少女に、怖いものなど何もない。愛を知った二人は、もう無敵だ。

 

「よし、一花。一緒に寝るぞ」

「ええっ!? ホントにヤるのっ!?」

 

 

 

 

「ど、どうした? 早くこいよ」

「うっ、うん。失礼しまーす……」

 

 二人がいる居間には先ほどまでは無かった布団が敷かれている。風太郎は左腕を伸ばして布団に寝転がりながら一花の方を向き、彼女に来るように促す。

 年頃の男女が、恋人の家で、同じ布団で、時間を共にするということ。親密な関係でなければ、できない行為。一花は緊張しているのか、ゆっくりと風太郎の大きなそれへ、身体を近づけた。そして、そのまま───風太郎の左腕に、頭を乗せた。

 

 いわゆる、ただの腕枕である。

 

「どうだ? 初めてだから、寝心地いいかわからないが……」

「ううん……すっごい、安心する……」

「そ、そうか。……ならもっとこっち来いよ」

「えっ……きゃあっ!」

 

 風太郎は勇気を振り絞り、空いている右腕で一花を抱き寄せる。ハグに勝るとも劣らない、ゼロ距離といっていいレベルの密着度である。

 

「フータロー君、大胆だね……♡」

「お、お前に甘えてもらうためだからな。これくらい余裕だ」

 

 らしくないのは風太郎も承知だが、そんな自分を見せる相手は風太郎自らキスをした一花なのだ。キスよりハードルの低いハグも、比較的初期の時点で経験済みな仲である。粘膜接触と比較したら、これくらいならまだ───

 

「うふふっ、幸せだなー……この気持ち、フータロー君にもおすそ分けしないとだよね♪」

 

 全然大丈夫ではない。一花の行動に、風太郎はあっさりと調子を狂わされる。

 

「ほ、頬をさするな。くすぐったい」

「えー……お触り、ダメなの? これくらい、恋人同士なら当然のスキンシップだよ。フータロー君もよかったら私の身体触って、甘えていいんだからね?」

「……うるせーな、大人しく甘えてろっての。俺が一花に甘えるのはまた次の機会だ。まぁ、お前が俺に触るのは、構わないが……ほどほどにしてくれ」

「はーい……♡」

 

 宣言通り容赦はない。一花は引き続き風太郎の頬に柔らかい手で触れてくる。うっとりとした表情で甘えてくる一花に、愛おしさとドキドキを感じざるをえない。目を逸らさずにいるのが精一杯だ。

 そのまましばらく頬をなすがままにされていたが、満足したのか一花は風太郎の胸へと手を移動させ、制服の上から胸元を指でゆっくりなぞる。

 

「っ……」

「……ふふっ♡」

 

 落ち着かない。むずがゆい。風太郎の狙い通り一花は幸せそうな笑みを浮かべ甘えてくれているが、彼自身も結局緊張を感じてしまっている。そして、最後は───

 

「えいっ♡」

「!」

「やったー、恋人繋ぎだー♡ フータロー君の手、おっきいね……」

 

 風太郎の手持ち無沙汰の右手に、一花は自分の左手の指を絡ませてきた。ゴツゴツした男の手とは違う、一花の柔らかい手。普通の恋人なら段階的にはキスより前に済ませているであろうそれに、風太郎は今更ながらドキドキしてしまう。

 

「うーん、満足したー! ありがとねっ♪」

「……おう」

 

 一花の手は離れるも、風太郎へのその熱い視線が止むことはない。引き継ぎ腕枕の体勢で向かい合い、とろけそうな甘い声で愛しい彼氏の名前を呼ぶ。

 

「フータロー君♡」

「なんだよ、一花」

「フータローくんっ♡」

「だからなんだよ。目の前にちゃんといるだろうが」

「えへへー♪ あのね、こんなにも人に寄り添える優しさを持ってて、それでいて頭も良くてカッコいい男の子が私の彼氏なんだーって考えてたら、すっごい嬉しくなっちゃって♡」

「買いかぶり過ぎだ。……俺も、一花にそう言ってもらえて、嬉しいけどよ」

 

 ボデイタッチから攻め方を変えて、言葉で愛を伝えてくる一花。もう怯むことこそなくとも、風太郎は照れ臭さを感じてしまう。それでも、一花の目を見てストレートを投げ返すことができるようになっているのは、風太郎の成長を表している。

 だが、朝から全力投球を続けているというのに、一花のスタミナは一向に切れる気配はない。

 

「私にとってフータロー君は、宇宙一ステキでカッコいい男の子なんだよっ♡ 君と比較したらどんなイケメンだって私には霞んで見えちゃうくらい、大好きなんだから!」

「そ、そうかよ。俺も、テレビに出てる現役女優が彼女だなんて、鼻が高いわ。……改めて言葉にするとホントすげぇことだな」

「えっへん! 全国三位の学力を誇る秀才のフータロー君と、女優の私……旭高校を代表する、すっごいお似合いのビックカップルってことだよねっ♡」

「っ……言うじゃねぇか……」

 

 言葉こそ似つかわしくないが、素直&デレデレな一花というのはまさしく鬼に金棒という表現がふさわしい、最強の美少女だ。そんな魅力に溢れた少女が彼女という事実。一花からのありったけの好意を受けた風太郎は思わず口角が釣り上がるのを自覚し、咄嗟に口元を手で抑える。最後の発言は控えめに言って致命傷だ。ニヤついているのは見抜かれているだろうが、指摘されるのは恥ずかしい。

 それでも、嬉しいという感情は完全に容量オーバーだ。満面の笑みで好意を伝えてくれる一花に、風太郎も夢中になっている。

 

(……恥ずかしいけど、素直に幸せだ)

 

 一花とのイチャイチャタイムを価値あるものと思っている今の自分に、風太郎は驚かずにはいられない。もはや完全に恋愛脳だ。

 こんな調子で翌日以降も普段通りに仕事をこなせるのか、風太郎は不安を感じてしまう。優先順位ができてしまったにも関わらず家庭教師を継続する以上、他の生徒をぞんざいに扱うわけにもいかない。ポーカーフェイスのコツを一花に教えてもらう必要がありそうである。

 

(……でも、もうこんな時間か。長いこと話してたんだな)

 

 しかし、今日はこれからどうしたものか。そんな疑問から風太郎が時計を見ると、すでに時刻は十七時に差し掛かろうとしている。いつのまにかかなりの時間が経っていたようだ。

 風太郎としてはこのままのんびりしているのもいいのだが、何事もなければ妹はとっくに帰ってきてもおかしくない時間帯である。風太郎は仮にこのタイミングでらいはが帰ってきた場合、一花との関係は口止めしなくてはなと考えていたところ、一花が風太郎の制服の袖を引っ張り、話しかけてきた。

 

「ねぇねぇ、フータロー君」

「どうしたよ。まだ呼び足りないのか」

「私たち今、すっごく良い雰囲気だよね」

「自分で言うなよ。否定はしねーけど」

「大好きな彼氏の家で、布団の上で恋人同士、愛を語り合う……こんな最高のシチュエーションのメインディッシュとして、最後にヤることは決まってるよね」

「…………」

「ずっと密着してたせいかな、なんだか、身体が火照ってきちゃって……私、このままフータロー君と、シてみたいな……♡」

「……………………」

 

 妖艶さの混じり入るうっとりとした瞳で風太郎を見つめる一花。やはり、ここに来てすぐの一花の発言は少なからず本心だったようだ。

 冷や汗が流れるのを肌で感じる風太郎。経験のない彼ですら、雰囲気的にそういう流れだと感じてしまう。

 なぜ腕枕を提案してしまったのか。しかもご丁寧に布団まで敷いて。この有様で何事もなく終わると思ってしまうなど、IQが低下したとしか思えない。恋愛脳に目覚めた風太郎の完全敗北である。

 

(もういっそ、このまま……いやいや、ダメだ!! あまりにも場所が悪すぎる!)

 

 まだ慌てるような時間ではないと、なんとか風太郎は心を落ち着かせようとする。こういう時こそ冷静にならなければいけない。風太郎が思うに、一花の次なる一手は先ほどと同じだ。

 間違いなく一花は流星群のごとく、数多の大胆な言葉を風太郎に降り注がせてくるであろう。生半可な精神では一花の甘言に乗せられて朝チュンルートへ突入してしまう。運が良いのか悪いのか、今日は父親の勇也は夜勤なのだ。

 まだ日が沈んですらいないのだから、何時間耐久なのか想像がつかない。少なくとも体力が保つわけがないのは明らかだ。無尽蔵と言っていい一花のスタミナに、ついていける気はしない。彼女の興奮を、どうにか冷まさなければならない。

 

「待て待て待て。らいははいつ帰ってくるかわかんねぇんだぞ。できるわけないだろ」

「そこはまぁ、定番だけどプロレスごっこってことで誤魔化せたりしないかな? 仲の良さもアピールできるし挨拶もできるし、完璧っ!」

「いやいや、お前は女優だろうが。そんな昨日の今日で、節操なくするわけには……」

「もー、そんなの関係ないよ。ていうか、女をここまでその気にさせておいてお預けだなんて……ひどいよ、フータロー君。これもまた、私たちの青春の一ページなのに……」

「そんな爛れた青春は勘弁してくれ……」

「そもそもさ、いつもフータロー君が寝てる布団で、こうして一緒の時間を過ごすだなんて……そんなの、夫婦以外の何者でもないよ。誰がどう見ても結婚初夜だよ。……ねぇ、あなた?」

「話が跳躍しすぎだ! そしてさりげなく呼び方変えんな! めっちゃむずがゆいんだが!」

 

 内容こそ若干違えど、まるでデジャヴを感じさせる風太郎と一花のテンポの良い夫婦漫才が再び繰り広げられる。

 女優として活動するなかで身についた表情の作り方や声のトーンなどをフル活用し、風太郎を陥落させようとする一花。口調こそ普段通りなのに色気を感じてしまい、風太郎も身体が熱くなる。

 しかし、鋼の意志で風太郎は誘惑を断ち切る。いかんせん場所が場所なのだ。家族はいつ帰ってくるかわからない。何事にも、越えてはいけないラインというものは存在する。だが、今の一花にはそんな正論など通じない。

 

「ダーリンの方がよかった? それとも旦那様とか? 私はどれでもいいよー♪」

「頼むからいつも通りにしてくれ!」

「まぁ私もフータロー君呼びの方が安心感あるけど……でも、フータロー君が言ったんだよ? もう我慢なんてするな、って」

「そっ、それは……」

「私もはじめてだけど、フータロー君のこと、絶対に気持ちよくさせてあげるから! この世でただひとり愛してる君だけに、たくさんご奉仕したいの! だから、お願い……!」

「〜〜〜!」

 

 起き上がり懇願する一花に、風太郎は心が揺らぎそうになる。

 

「いや、ダメだ! 意味合いが違うわ! 欲に忠実になれって言ってるわけじゃねぇ!」

「…………」

 

 それでも負けるわけにはいかない。風太郎は強い口調で拒絶する。それを受けた一花は表情を曇らせて、ポツリと呟く。

 

「……私、女としての魅力、ないのかな。これでも女優だし、結構スタイルも良い方だと思うんだけど。フータロー君が夢中にならないんじゃ、何の価値もないよ」

「!? いや、べつにそういうわけじゃ」

「でも、思えば普段からみんなのも見慣れてるわけだし、当然だよね……調子乗って、ごめんね」

「待ってくれ、一花。俺の言い分を聞いてくれ」

 

 落ち込んでいる一花を見て、風太郎は慌てて起き上がり、弁明を行う。

 彼氏として、男として、一花の気持ちに答えてあげたい気持ちはある。自分の考えの甘さなど風太郎は百も承知だが、理由なしに彼女を拒絶しているわけではない。

 

「いいよ、そんな無理しないで。私、本当に馬鹿だ。あんなことしておきながらまたすぐに駄々こねて、フータロー君の優しさに甘えて、困らせて……」

「違うんだ、お前に女としての魅力がないだなんて、そんなことない。甘えてくることに、抵抗なんざ感じるわけがない。ただ、俺は……」

「……?」

「……一花が、とっても、大切なんだよ……もはや、らいはと同じか、それ以上にな」

 

 弱々しい言い方になってしまったが、決して風太郎は目は逸らさない。

 不安そうな表情の一花。やはり彼女は、未だに罪悪感を拭えていないのだろう。風太郎はもう、一花に自分を傷つけるような真似をしてほしくないのだ。

 

「勉強ばかりで家族以外の人間関係を断ち切っていた無愛想な俺を、お前は最初から友達だと思って親しげに接してくれていた。俺には、そんな存在なんて必要ないと思っていたのに」

 

 孤独を貫いていたあの日々に後悔はない。最終的にはこうして、一花と共にいる時間があるのだから。だけど。

 

「でも、姉として頑張ってた強いお前が俺を最初から必要な存在だと思って支えてくれて、ずっと愛を与えてくれたことに気づいて……それがどうしようもなく嬉しくて、好きになった。そして、思ったんだ。俺も、この世でただ一人、一花だけには甘えてもいいんじゃないかって。正直この状況に、俺もドキドキしてんだよ」

 

 風太郎が不必要だと決めつけて、切り捨てた時間は人生の約三分の一に相当する。だから、これからは一花との時間を大切にしたい。今まで走り続けていた分、少しずつ、ゆっくりと。

 関係の進展を急がなくても、風太郎と一花が恋人である事実は絶対に変わらない。身体のつながりがなければ恋人ではないだなんて、そんなことはないはずだ。

 

「でも、だからこそ、ここでするわけにはいかないんだ。俺の勝手なのはわかってる。だけど、こんな気持ち、初めてで。本当に、一花の存在が、俺の中でとっても大きくなってるってことを、今日一日でとんでもないくらい思い知らされた。そんな大切なお前の女優としての輝かしい未来を、欲に任せて奪うわけには───一花?」

 

 気づけば恍惚な笑みを浮かべている一花が、風太郎の両頬に手を添えている。優しくも強い愛を秘めているその瞳に、風太郎は吸い込まれそうになる。

 

「フータローくん♡」

「なっ、なんだよ……」

「フータローくんっ♡♡♡」

「〜っ! だから、なんだ───」

 

 

 

 

 

「だいすき」

 

 

 

 

 

「ちょっ、一花───」

「んっ♡」

 

 

 

 

「むぐっ……!」

 

 驚いて目を見開いた風太郎が一花の視界に映ったのは一瞬だけだ。一花自身、しっかりと胸に刻んだつもりなのだ。この先何があろうと、たとえこの命に変えてでも。風太郎に絶対、人の心を利用するような悪質な嘘はつかないと、心に誓った。

 だがしかし、それはそれ、これはこれ。何事にも例外というものが存在する。家に来た直後の一花の誘惑は、あくまで風太郎の緊張を解くためのおふざけ混じりのものだった。自分たちの関係が明確化されていない状態で風太郎が拒絶するのは当然と判断していたため、一花も本気というわけではなかった。

 だけど、今は違う。正式に一花は風太郎の彼女となったのだ。三玖に変装した時といい、自分は歯止めの効かない性格なのだなと、一花は今更ながらに思う。風太郎に重い女だとは思われたくないし、彼に迷惑をかけるようなことはしたくない。それでも、一花がこの状況で我慢できるわけがなかった。

 

(私たち、恋人として、キスしてる……夢なんかじゃ、ない……!)

 

 姉であるがゆえに、ずっと諦めるしかないと思っていた恋。両思いになれても、自分が馬鹿なせいで離れなくてはならないと信じて疑わなかった存在。だが、そんな少女の恋は成就した。先生と生徒ではなく、念願の彼氏彼女の恋人関係に昇華できた。それだけで幸せなのに、一花の幸福はまだ終わらない。

 大好きな彼氏である風太郎が、至近距離で正面から愛を伝えてくれたのだ。愛されているという実感は、一花の想いを加速させる。こんなもの、恋する乙女なら誰だって抗えない。ただでさえ風太郎にメロメロだというのにこれ以上愛をくれるだなんて、一体どうしてほしいのだろうか。

 本日三回目のキス。だが、今回のそれは唇を重ねるだけの優しいものではない。

 

「んむっ……れろっ……」

 

 粘膜接触だけにとどまらず、唾液の交換を伴う大人のディープキス。一花は積極的に舌を絡ませて風太郎の口内を蹂躙する。

 風太郎と触れ合えることに勝る喜びなど今の一花にはない。二人だけの空間に、舌が絡みあう音が響く。炎が心の奥で燃え盛る。その勢いはとどまることを知らない。

 

「くちゅっ……じゅるっ……」

 

 絡ませるだけでは満足できず、一花は風太郎の舌を吸う。風太郎の口内の唾液を搾取し、自分の喉の奥に流し込む。身体中が、風太郎で満たされていくのを感じる。もっともっと、ひとつになりたい。しかし、キスはあくまで通過点なのだ。キスだけでこれなら、その先は───

 

(フータローくん、すき、だいすき……もっと、もっと……!)

 

 今の一花は思い立ったら一直線だ。早く次のステップへ移行したい、そんな欲が胸の奥から湧き出てしまう。

 

「ぷはっ……」

 

 名残惜しくはあるがゆっくりと唇を離す。二人の舌を繋ぐ糸は、一花と風太郎が絡み合った証だ。一花の興奮は高まるばかりである。もっともっと自分の身体を、風太郎で満たしたい。

 

「フータロー、くん……♡」

 

 一花は顔を抑えていた手を離し、左手で風太郎の右手を掴む。そして、そのまま自分の左胸に彼の手を引き寄せて、押し当てた。

 

「いっ、一花!?」

「どう、かな? 私の胸……ドキドキしてるの、伝わる?」

 

 湧き上がる幸福感とともに、またひとつ一花の身体は風太郎色に染まる。だが、触れられているだけでは刺激も快感も足りない。

 一花は風太郎の手の上から自分の手を動かし、女の胸の感触を味わせる。

 

「んあっ……♡ フータローくん、もっとぉ……」

 

 一花の豊満な胸が、風太郎の大きな手の指の感触に包まれる。歓喜で心が震え上がる。大好きな風太郎に触れられていることが、たまらなく嬉しい。それでも、わがままな一花は自分が彼に染まるだけでは満足できない。

 だからこそ、少女は乱れる。脳には、愛の嬌声を。指には、極上の感触を。中野一花という少女の全てを、上杉風太郎の脳に刻み込ませたい。服の上からでこれなのだ。直接触れられたら、どうなってしまうのか。

 もはやオーバーヒート寸前の心と体。静める方法は、ただひとつである。

 

「ダメ、フータローくん……私、もう、我慢できない……」

 

 愛して、ほしい。求めて、ほしい。もっと風太郎に、必要とされたい。はしたないと思われようが、そんなことは関係ない。

 

「お願い、私のはじめて、あげるから……フータローくんのはじめても、ちょうだい……」

 

 一花は自分の欲を抑えられない。相変わらず自分勝手な、姉でない自分。それでも、気持ちを抑圧してきた少女の、心からしたいことだ。

 そして、もうひとつ一花の心に宿る感情。風太郎を喜ばせたい。たくさん身体でご奉仕して、気持ちよくさせてあげたい。自己満足でも相手の心を満たしてあげれば、お互いに幸せになれる。

 今の私を見て、彼は興奮してくれているのだろうか───そんな一花の疑問は、すぐに解決した。

 

「……わかったよ。本当に、いいんだな」

 

 風太郎に押し倒されて、一花の視界は反転する。言葉こそ単調でも、風太郎の優しさが篭っていることは一花にも明白だ。彼の全てが愛おしい。このまま溶けて混ざり合いたい。風太郎に溺れても、後悔なんて絶対にない。

 

「うんっ♡ 私、すごく嬉しいの……だから、一緒に……気持ちよく、なろ?」

 

 風太郎に求められて、みだらながらも満たされた笑みを浮かべる一花。この状況での二人の関係は生徒でも友達にも当てはまらない。この部屋にいるのは互いに愛を与え求め合う、男と女だけだ。

 一花は制服に手を掛ける。ワイシャツのボタンがひとつ外れるごとに、一花の素肌は露わになる。羞恥心なんぞかけらもない。愛する風太郎に純潔を捧げられる幸せが、今の一花の全てを支配している。

 あぁ、やっと、大好きな彼と、繋がれる───

 

 

 

 と、その時。

 ピーンポーンという、あまりにもこの空間の雰囲気に場違いな気の抜けた音が、部屋の中に響いた。

 

 

 

「!?」

「っ! だ、誰だ……?」

 

 頭が真っ白になった。別に何も難しいことなどなにもない。上杉家に訪れようとした来客が、チャイムを鳴らしたという、ただそれだけのことだ。風太郎の家族だったら鍵を開けて家に入るため、それ以外の人間なのは確定である。

 火照っている身体に反して頭が急激に冷めていくのを一花は自覚する。文字通り水をさされた気分だ。実際に浴びたわけではないが、この状況で続けることは叶わないだろう。

 

(誰なの、これからって時に……! 私とフータロー君の邪魔、しないでよ……!)

 

 お預けを食らった一花は八つ当たりだとわかっていても不満を隠すことができず、玄関の方を睨みつける。せっかく、いいところだったのに。恋人同士が愛し合いひとつになろうという時に横槍を入れた不届き者に、強い敵意を覚えるも───

 

 

 

 

 

「上杉君、五月です。お見舞いに来たのですが、体調は大丈夫ですか?」

 

 

 

 

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