スタイルチェンジ   作:きゅーぴー(ないんぴーす)

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#8

 

「フータロー! もしよかったら……私と、一緒にまわろっ!」

「あぁ、いいぞ」

 

 一花の予想通り、三玖はアプローチを仕掛けてきた。決着をつけたい風太郎にとって、これは好都合な展開である。風太郎と三玖はゆっくりと石段を上っていき、雑談をしながら山頂を目指すことにした。

 

(この際だし、ダメ元で聞いてみるか)

 

 場所的に話のネタとしても違和感はない。遠回しに正体を探ろうと、風太郎は三玖に質問する。

 

「なぁ三玖、お前たちは京都って初めてじゃないんだっけか」

「うん、小学六年生のときに修学旅行で来たことあるよ」

「そうか、俺と同じなのか。偶然仲良くなった子と御守りを一緒に買ったのがいい思い出だな」

「そうなんだ。私も四葉が御守りを買ってきてくれたのは覚えてるんだけど、まだ残ってたかな?」

「……!」

 

 ビンゴだ。あっさりと回答が見つかったことに驚くも、風太郎はそれを顔には出さないように努める。

 嘘が苦手な四葉ではあるが、そんなことはないのかもしれない。なぜ隠していたのか、昔と違い相手の行動の意図を考えることが身についている風太郎には想像できる。初めから自分に協力的だったのはそういうことだったのかと、合点がいった。

 考えをまとめたいところではあるが、今は三玖との決着をつけることが最優先である。なにより、今は集中力が途切れている状態だ。

 

「……長いな」

「うん……これは、しんどい……」

 

 スローペースで石段を上りはするが、そこは圧倒的スタミナ不足の風太郎と三玖。登るにつれて口数は少なくなり、当然のごとく山頂にたどり着く頃には両者共にヘトヘトであった。

 

「ダメだ……散策は後回しにして、休憩しようぜ……」

「賛成……とりあえず、休める場所、探そっか……」

 

 息切れを起こしてしまった風太郎と三玖は、ベンチに座り休息をとる。水分を確保し一休みすることで、ようやく会話する余裕ができた。

 

「ふぅ……疲れたな。三玖、大丈夫か?」

「……うん、しばらく休めば回復するよ。ところでフータロー、その……お腹、空いてない?」

「あー……そうだな。飯にはいい時間だ」

「! そ、そうだよね」

 

 といっても懐事情が寒い風太郎は観光地の名物などを嗜む余裕はない。風太郎は一花と一緒なら堪能できただろうかなどと思いつつ、それは男として情けないなどと考えていたところ、三玖が鞄から袋に包んだあるものを差し出してきた。

 

「あのね、私……今日バイト先で作ってきた、パンがあるの。フータロー、もしよかったら……食べて、ほしい」

「そうなのか。おぉ……すごいな。見た目の精度がすげー上がってやがる……」

「見た目だけじゃないよ。ちゃんと、味も……保証できるから」

 

 三玖の表情は自信たっぷりというものではないが、彼女の言葉に風太郎は強い意志を感じ取っている。三玖はこの日のために、多くの時間を費やして努力してきたのだろう。これをぞんざいに扱うだなんて、そんなことはできない。

 風太郎はあんパンを手に取り、口に運ぶ。果たして、そのお味は───

 

「ん、美味いぞ」

「! ホントっ!?」

 

 素直な感想を述べる。それを受けた三玖の緊張まじりの表情は、途端に晴れやかな笑顔へと変化した。

 

「まぁ、俺は味音痴らしいからな。明確にこれが美味いものなのかっていうとちょっとズレがあるかもしれねぇけど……それでも、これがお前の努力の結晶なんだってことは伝わる。何度も三玖の料理は口にしてきたんだからな。別に前から味に問題があるとは思わなかったが、見た目も完璧なら、もう最高だろ」

「……!」

 

 ぐっ、と両手で小さくガッツポーズをする三玖。風太郎も三玖を微笑ましく感じ、自然と笑みがこぼれる。

 風太郎にとって三玖は恋人ほどに大切な存在ではない。だが、生徒でもあり、友達である彼女の成長は素直に嬉しいのだ。風太郎は苦手を克服した彼女への、心からの賞賛の言葉を口にする。

 

「だから自信を持ってほしい。お前は立派に成長してるんだ。三玖、よく頑張ったな」

「フータロー……! ありがとう!」

「……そんな礼を言われるようなことじゃねぇよ。ほら、一緒に食おうぜ」

「うんっ! でもその前に……私、やりたいことがあるの」

 

 すっかりテンションがあがり無敵モードに入った三玖。ウキウキ度満点の笑みを浮かべ、今度はクロワッサンを取り出して風太郎に差し出す。

 

「フータロー、あーん」

「……」

 

 一時的に彼女たちの父親の病院に入院していた時にもあった、三玖からのあーん。思えば一花も便乗していた。あの時一花が退学に踏み切らなかったのも、自分のことを特別視していたからなのだなと、風太郎は今更ながらに思う。

 先月までの風太郎であれば普通に何も考えずにそのまま餌付けされていたであろうが、今は彼女がいる身だ。安易に流されるわけにはいかない。ゆえに、風太郎は三玖の持つパンを奪い取り───

 

「ふっ、食らうのはお前だ!」

「!?」

 

 三玖の口にクロワッサンを雑に押し付ける。三玖は驚いた表情を浮かべるが、もきゅもきゅとパンを食す。しかしその表情は不満げだ。

 

「フータロー、強引……」

「いつぞやの入院した時のリベンジだ。美味いだろ?」

「なんでフータローが偉そうなの……でも、うん! 美味しいっ!」

 

 だが、風太郎の言葉ですぐさま笑顔に逆戻りする。風太郎も彼女と出会った頃と比較して、三玖の表情が豊かになったことに感慨深さを感じている。

 

「しかし、ここまで見た目が改善されるとはな。仕事熱心なのが伝わってくるが……お前、そんなにパン好きだったか?」

「ううん、正直調理関係ならなんでもよかったかな。お金を稼ぐだけじゃなくて、自分の糧となる仕事にしたかったの」

「そうか。そこまでお前が料理にこだわりがあったとはな」

「ずっと苦手だったから、上手になりたかったんだ。……ところで、フータローは食べ物なら何が好きなの? フータローの好み……ううん、フータローのことなら、なんでも知りたい」

「ん? 俺はカレーが好きだぞ」

「もう、それらいはちゃんが得意なやつだからでしょ。……でも、私も作れるようになりたいな。カレーパンから始めてみる」

「カレーパンの方が難しそうな気もするが……そうだな、お前ならきっとできるぞ。まぁ、なんであれらいはの味には程遠いだろうがな」

「むっ、今にみててよ。私だってやればできる。いつかきっと私のオリジナルカレーで、フータローを唸らせてみせるから」

 

 先ほどとは違い、表情も自信たっぷりに宣言する三玖。自分への恋心がその勇気の源となっていることを、風太郎は理解している。

 しかし、同時に湧き上がる罪悪感。心が痛い。これから彼女を傷つける以上、これは残酷な行いなのかもしれない。いっそ、期待させないように冷たく接した方がいいのかという思いに駆られそうになる。

 

「ごちそうさん。食った食った、満腹だわ」

「おそまつさまでした。フータロー、ありがとう」

「俺の方こそありがとな。食費が浮いて、助かったわ。あと……ホントに、美味かったぞ」

「ふふっ、どういたしまして」

 

 だが、そんなことはできない。一花が一番大切ではあるが、風太郎は三玖にも幾度となく助けられたのだ。だからこそ彼女の想いはしかと心に刻みつける。それが、真摯に向き合うということなのだから。

 

「フータロー、お願いばっかりでごめんね。その……今日、ここで、私……どうしてもフータローに伝えたいことがあるんだけど……聞いてくれる?」

「……おう、言ってみろ。俺は逃げも隠れもしねぇよ、ちゃんと聞くさ」

「…………うん」

 

 ついに、この時がきた。意を決したような三玖の瞳を正面から見据え、風太郎は優しく促す。

 

「私、フータローが───フータローのことが、好きっ! 私の趣味を笑わないでくれた、私の心に寄り添ってくれた、私を見つけてくれたフータローが、大好き! 友達としてじゃなくて、異性として! フータローと恋人になりたいのっ!!」

「……あぁ、知ってたぞ」

「……えっ……!?」

 

 好意に気付いていたという風太郎の返答に、三玖は驚きを隠せない。彼女からしてみれば風太郎はバレンタインのチョコレートにも気づかない程度には鈍感なのだから、当然の反応だろう。だが、恋愛を真剣な気持ちだと知った、家族旅行での三玖の行動の真意を理解した今の風太郎にはわかることだ。

 

「なぁ、三玖。さっきお前、俺のことを知りたいって言ってたよな」

「へ? う、うん。好きな人のことは、なんだって知りたい。フータローに好きになってもらえる女の子に、私はなりたいんだ」

「……そうか、なら教えてやるよ。俺の秘密と……お前の気持ちに気づいた、そのわけを。でもまずは、お前の告白に返事をしないとだな」

「……!」

 

 息を飲む三玖。冷静に話す風太郎の心は決して穏やかではない。だが、いずれやらなくてはならないことなのだ。そもそもどんなに先延ばしにしようと、風太郎の答えは決まっている。

 

『雑に振って終わらせるのではなく、誠心誠意向き合って答えを出して、最後には更なる成長に繋げてくれると、私は信じています』

 

今や風太郎が一番守りたいのは、一花の笑顔だ。だが、五月の信頼だって踏み躙るつもりはない。

 

(誠心誠意、向き合う……そうだよな)

 

 最愛の彼女を守るため、友人の信頼に応えるため、風太郎は自分の良心をも貫く、強烈な弾丸の引き金を引いた。

 

「三玖。実は、俺は……少し前に一花に告白されて、それを受け入れたんだ。だから、たとえどんなにお前に懇願されようと、俺はもうお前だけの特別にはなれない」

 

三玖の想いを拒絶する意思を示す風太郎。さらに、それだけではない。

 

「そして……今までお前に、話してなかったこと。俺の家には、借金があるんだ。その借金を返すために、お前たちの家庭教師を始めたんだよ」

 

 

 

 

「─────」

 

 情報量が多いこともあって、三玖の頭の整理は追いつかない。だが、自身の告白に対して肯定的なワードは何一つなかったことは認識できた。

 

(いち、か? 告白、したの?)

 

 まさか、すでに勝負がついていただなんて想定していなかった三玖。頭が真っ白になる。しかし、彼が思い切って告げた言葉はそれだけではない。

 

(フータローの家に、借金……?)

 

 断じて内容に引いたということはない。三玖にとって風太郎は大切な存在であり、自信の持てなかった自分に勇気をくれた、愛する男である。この気持ちは揺るがないものであり、三玖だけの大切なものだ。だが三玖の頭の中では、パズルのピースが繋がってしまう。

 

(そんな。じゃあ、私は、あの時)

 

 そんな大好きな想い人に対して、三玖がしたことは───

 

 

 

 

 

『この関係に終止符を打ちましょう』

 

 

 

 

 

(あ────────)

 

 自分が満たされたいがために好きな人に何をしでかしたか。その事実を受け止められず、三玖の視界は真っ暗になる。

 

「だから、正直辞めてくれと言われた時は焦りと戸惑いでいっぱいだった。でも、お前と向き合って見抜くことができてからは違う。だって、それだけお前は俺を求めていたってことに、あの一件で気づけたんだからな。そして、三玖は今までずっと態度と行動で俺への気持ちを示してくれたんだって、理解できた」

 

 だが、三玖を責めるような厳しい口調ではない。少女の気持ちを汲んでいることが伝わる、穏やかなものだ。

 

「苦手な科目の勉強にも一生懸命取り組んでたり、二乃たちの家出の際には率先してサポートしてくれた。それに、バレンタインのチョコだってくれた。本当に、こんなに三玖は感謝を伝えてくれていたのに、俺は全然気付けなかった。お前が痺れを切らすのも当然なのかもな」

 

 今までの三玖との思い出を振り返りながら、風太郎は好意が伝わっていたことを示す。三玖への嫌悪感がないことは確かだが、だからこそ彼女には辛い。

 風太郎の事情を知らなかったとはいえど自分が起こした行動は、間違いなく良いことなわけがないだからだ。彼への裏切りといってもいい。

 

「間違いなく、三玖は五つ子の中で一番の成長株だ。引っ込み思案で暗かったお前が、笑顔をよく見せてくれるようになった。それは、あの時屋上で心を通わせてからだ。お前は俺を、信頼できるパートナーと思ってくれたんだよな。三玖の真剣な気持ちは伝わってるし、本当に、本当にすごく感謝している。……でもそんなお前に、俺は謝らないといけない。俺は……」

 

 三玖の成長を称える風太郎だが、次第にその表情は重苦しいものになる。そして───

 

「俺はずっと……お前に嘘をついていた。借金返済のためだけに、三玖の趣味を否定しなかったんだ。肯定することで勉学に前向きになるだろうという、思惑があったんだよ。正直、こいつ変なやつだなって思ってた。本当に……すまなかった」

「…………」

「……何を言っても言い訳でしかない。俺は自分の目的のために、お前の弱さに漬け込んだ。思い通りにいったぜって、陰でほくそ笑んでいたんだ」

 

 風太郎もまた自らの嘘を打ち明けて、頭を下げる。三玖が嬉しいと感じたあの言葉には、そのような意図があったのだ。

 内容を理解することはできても、三玖は何も言えない。未だ三玖は自分の行動の非道さに強いショックを受けていた。どうあれ三玖に風太郎を責めることなんてできるはずもない。自分の欲のために五月の姿や一花を装い、利用したのは三玖も同じなのだ。

 

「それに……そもそも最近まで俺は、自分でついた三玖への嘘を忘れていた。そのことについて、悪いとも思っていなかった。隠し通せばいいっていう、甘えた考えがあったんだろう。本当に、最低だと思う。でも、あいつは……」

 

 出会った頃からは考えられない、自分を卑下する風太郎。表情も深刻なもので、深く反省していることが伺える。少年は語り続ける。

 

「一花がつく嘘は違う。相手に心配をかけさせまいと、自分の心に嘘をつくんだよ。本心を隠して作り笑いを浮かべる、それが一花の嘘なんだ。間違えてた頃の俺だけど、あいつの作り笑いだけは不思議と最初から見抜けるんだ」

「ぁ……」

 

 彼の心を射止めた少女の名前に、三玖の眉が反応する。一花。風太郎の、好きな人。三玖にとっても、尊敬できる大切な姉だ。

 

「そんな一花も心境の変化があったのか、最近になって自分のために人に嘘をつくようになった。普通に見れば褒められるようなことじゃないだろう。内容も悪質なもので、聞いた時は驚いた。けど、俺だって嘘をついていた。自分のことを押し付けるばかりで、お前たちのことを考えようともしなかった。責める資格なんてあるわけがない」

 

 三玖には一花の嘘の内容はわからないが、風太郎の発言の意図は伝わる。責めるなら一花ではなく俺を責めろ、と言っているのだ。一花を守りたいという、風太郎の愛を感じてしまう。

 

「恋を叶えたいと幸せのために動く。時には良心を捨てて嘘をつく。きっとこれは、誰だってそうなんだよな。姉としてあり続けたあいつも、また同じだ。だけど、そんな一花の誘いを受けて、一日を共にして……俺は気づいたんだ」

 

 最近の一花は昔のように横暴な一面が垣間見えていることに、三玖は気がついている。風太郎の言葉から察するに、一花も恋を叶えるためになりふり構わず、三玖のように間違いを犯したことがあるのかもしれない。

 

「一花は姉としての親切心で俺たちに気を配る一方で、実のところあいつはずっとひとりだった。本当は、お前のように俺からの愛をすごく求めていたんだ。だから辞めた時も率先して俺を引き止めてくれたり、姉としての自分を捨ててでも自分の幸せのために俺に近づいて、最後には───自分の醜い部分や嘘、全てを晒してくれたんだ」

「!」

「一花と心を通わせた今ならわかる。あいつはずっと、最初から心のどこかで俺を必要としていてくれたんだ。だから一花は初期の馬鹿な俺にも、他の人と変わらずに親しげに接してくれた。俺が作り笑いを見抜けたのも、きっとあいつとの心の繋がりがあったからだと思っている」

 

 風太郎の言葉に、三玖は心が激しく揺さぶられる。風太郎からの愛をすごく求めていた一花。一花は風太郎が好きということに、三玖は林間学校の時点で勘づいていた。一花は一度も言葉にはしていなかったが、ずっと一緒に過ごしてきた家族だからわかるのだ。

 

「ある日、一緒にサボろうだなんて唐突に言いだしたあいつを、最初は拒絶したが……その後一花が浮かべた、作り笑いに気づいちまった。あいつにもうあんな顔をしてほしくないのもあったけど、すでに夢を叶えつつある一花に対して、教師として俺ができることは勉強しかないことが悔しかった。だから俺は引き止めてくれた、今までの感謝の気持ちを示すために、教師としてではなく友達として一花の誘いを受けたんだ。声をかけてきたのが一花だからこそ、俺は初めて自分の信念を曲げたんだよ」

「…………」

「俺を必要としてくれて、そして助けてくれたのは、何も一花だけじゃない。三玖だってその一人だ。だが、一花と過ごしてその気持ちと向き合って、あいつの本心を知ってから、俺の心はただひとつだ。なによりも一花の笑顔を守りたい、いつまでも笑顔でいてほしい……そう思うようになっちまった。自分の本心や弱さを誤魔化そうとして作り笑いを浮かべる一花の姿を、俺は何回も見てきたから」

 

 自分の心に嘘をつく、本心を誤魔化す長女の姿は三玖としても思い当たる点ばかりである。特に林間学校以降は顕著なものであった。にもかかわらず、姉だからという理由だけで妹の恋を応援してたくさん手助けをしてくれていたことを、三玖は身をもって実感している。

 それがどれだけ苦しいことなのか三玖にはわからない。あまつさえそんな彼女の葛藤など知ったことではないと言わんばかりの家族旅行での自分の行動に、三玖は心が締め付けられる。どれだけ自分が最低なことをしたかを思い知らされる。

 

「でも一花は、俺の前だけでは姉でない素直な自分でいられる。そうありたいって、思ってくれている。俺の心を温かくしてくれる、心からの笑顔を浮かべられる。俺は姉妹の誰よりも一花が、あいつの笑顔が大好きで、そして今まで姉として頑張り続けたあいつの心の拠り所として、一花を支えたいんだ」

「……っ」

「もう何があっても、たとえ周りにどう思われようと、俺の勝手で目標が達成できなくなったとしても……俺は一花が一番大切なんだ。この考えを曲げるつもりはない。だから……すまない。お前の告白には、応えられない」

 

 深く頭を下げる風太郎。改めて彼から伝えられる、拒絶の意志。これが現実だ。一花を心から案ずる風太郎の愛が、伝わってしまった。

 好かれたいと思うばかりで、最近の三玖が完全に見失っていたもの。その真実の愛に、敵うはずがなかった。

 

「……そっか。私、一花と違って、フータローに、すごくひどいこと、してたんだね。今日まで全然、知らなかったよ。ごめんね、フータロー……」

「! 三玖……」

 

 ようやく少女が発することができた言葉は、謝罪であった。一花と自分の行動を比較するあまり、三玖の心は沈み切っていた。

 頭を上げた風太郎は苦しそうな三玖の謝罪を受けて、心を乱される。三玖が自分の過ちを自覚していなかったことを、ここで初めて知った。だが、そんなことはどうでもいい。この状況は良くない。

 告白を拒絶しておいて虫がいいのは承知だが、それでもこのまま三玖が落ち込んだままというのはあまりにも後味が悪い。三玖を責めているつもりなど、風太郎には全くないのだ。

 

「違う、一花と比べて三玖に落ち度があるだとか、そういうことを言いたいわけじゃない! だってそれ以上に俺は、お前に感謝しているんだ。俺の言葉に耳を傾けようとしてくれたこと。俺を信じて自分で立ち上がって努力して、時には支えてくれたこと。そしてなにより、俺を好きになってくれたこと───」

「いいの、気を遣わないで……本当に、ごめんなさい……」

「!!」

 

 三玖は言葉を遮り、ふらふらとした足取りでその場を立ち去る。あまりにも悲しいその背中と自分が致命的な失敗を犯してしまったという事実が突き刺さり、風太郎は何も言葉をかけてあげられなかった。

 

 

 

 

「…………」

 

 三玖はベッドに横たわる。謝罪をして風太郎の前から立ち去った記憶はあるが、どうやってホテルまで戻ったのかは三玖自身覚えていない。確かなのはひとつ。この恋は終わってしまった。だが三玖の心を覆うのは、失恋の虚しさよりも圧倒的な罪悪感であった。

 

(私、最低だ……)

 

 三玖は解雇宣告を告げた時の風太郎の様子を思い返す。肩を掴み、必死に理由を問いただす風太郎。あれほどに取り乱していた風太郎は三玖の記憶にはない。彼の家族の生活を支えているアルバイトを、自分の欲のために解雇しようとしたのだ。心の通じあっていなかった初期ならともかく、今は信頼を重ねているというのに。

 本来ならば軽蔑されていてもおかしくはない、己の過ち。彼もバレンタインのお返しをしなかったという後ろめたさがあったとはいえど、風太郎は三玖の行動を咎めもせずに変わらず接してくれた。謝ることはないと風太郎は言っていたが、そんなことはできない。

 日々の生活が苦しい風太郎が貴重な収入源である家庭教師を辞めた時の、一花の行動。それは───

 

「あぁ、そっか」

 

 必然としか言えない結末に、思わず声が漏れてしまう。あれこそが、愛だ。風太郎だけでなく、彼がいなくなることに悲観することしかできなかった妹たちすべてを救う、正真正銘の一花の愛だ。当時から仕事をしていた一花にしか贈れない、ありったけの感謝の気持ちだ。

 風太郎は一花の愛に対して返したいものがあったからこそ、彼女のわがままを聞いたとも言っていた。それはつまり、他の姉妹の場合は応じなかったということを意味している。それほどまでに、一花の提案は風太郎にとって救いであったのだ。

 一方三玖は、好きな人との教師と生徒という関係を変えるために、風太郎を解雇させようとした。自分が上り詰めるのではなく、彼を引き摺り下ろすという形を選んだ。唯一のアドバンテージであった成績で一花に敵わない以上、この方法を取ることに躊躇いはなかった。独断で関係を断ち切ることが風太郎や一花だけでなく他の姉妹の想いも踏み躙る最低な行為だということに、今日までまったく気づけなかった。

 

(……みんな、ごめんね。私、本当に自分勝手がすぎた)

 

 自分のためだけでなく妹のため、そして風太郎のために彼を引き止めた長女。反対に自分の恋のためだけに家庭教師を解消させて、姉や妹の想いや夢を無下にしようとした三女。比較しない方が無理な話だ。元々誰もが魅力的な一花に惹かれると思っていた三玖ではあるが、ここにきてそれを自らの過ちで思い知らされてしまった。

 自分の行動原理の醜さに、三玖は一層ブルーな気持ちになる。失恋したというのに、強すぎるショックのあまり涙さえ浮かばない。今の時間があるのは、風太郎の生徒でいられるのは一花のおかげだと三玖は理解していた。自分で口にしていたことも、確かに記憶している。

 それに、三玖が本命チョコを、手作りのパンを食べてもらえたのも、全て他の姉妹のサポートがあってこそだ。一花に至っては自分も渡したい気持ちが少なからずあったであろうに、姉として妹の気持ちを汲んで自分はチョコを渡さずに、三玖の手助けをしてくれた。それなのに。

 

(こんなに自己中心的なの、私だけだ……)

 

 あれほど、妹たちを優しく包み込んで、自分の気持ちをひた隠しにしてまで応援してくれた一花。そんな長女としてあり続けた彼女の愛。そして、それに賛同してくれた他の姉妹の想い。

 自分の一方的な風太郎解雇宣告は、それらをすべて無に返すような行為だったということを、三玖は理解してしまった。こんな女より、風太郎が一花を好きになるのは当然だろう。

 

(私が、あんな最低なことしなければ……もっと自分に、自信を持てていれば……)

 

 後悔ばかりが三玖の心に残る。五つ子のなかでひとりだけ、年明けから勉強と仕事の両立を頑張っていた一花。貯金があるから心配しなくていいと口にしていたが、疲労が溜まっていたことは日々の生活に表れていた。それでも何一つ弱音も不満も漏らすことなく、ひとりで一花は戦い続けていた。大変だったことは三玖もわかっていたはずなのに、彼女の優しさに甘えるだけで、自分からは何もしようとしなかった。

 あろうことか、三玖はその状況で自分の恋のことしか考えていなかったのだ。五月は生活が苦しいことに気づいて食事の量を抑えていたにもかかわらず、三玖は風太郎に毎日のようにチョコレートを渡していた。なにより、そのチョコレートの出費は一花が稼いだお金と彼女の貯金だ。一方三玖は本命のチョコ作成に取り掛かるばかりで、姉妹に買い出しも押しつけていた。

 さらに、仕事もしている一花が圧倒的に不利な状況で彼女に試験の成績で勝負をしかけ、風太郎に想いを告げようとした。それだけならまだしも、負けたら負けたで独断で風太郎への解雇宣告。こんな酷い振る舞いがあるだろうか。

 

 そして、三玖の頭に浮かぶ、ひとつの疑問。

 

(……これが、公平? そんなわけない。結局は、手段なんて選ばずに早い者勝ち。私はただ、それを正当化したかっただけなんじゃないの? 私の言う公平って、いったいなんなの?)

 

 一花にも素直になってほしいという三玖の想いは、紛れもなく本心だ。全員公平に早い者勝ち。林間学校で三玖が風太郎への想いを自覚してから、ずっと一花に言い続けていたことである。どちらが先に風太郎を射止めるか、三玖は素直になった一花と公平に競争して、勝ち取りたいと思っていた。それでもし負けたとしても、三玖は決して一花を妬んだりしない。一花のことは大好きで、尊敬できる長女なのだから。

 だが、何度言っても一花は自分から動くことはなかった。どうしてなのか今までずっとわからなかったが、今の三玖には理解できる。

 

(……そうだ。一花は、お姉ちゃんなんだ。ただ、それだけなのに、ずっと……)

 

 結局のところ、公平と言っておきながら、一花と三玖で公平なものは最初からひとつもなかったのだ。

 

(一花に素直になってほしいだなんて、無理して気を遣わないでなんて、本心であっても同じものを求めている私が言ったところで効果はないんだ。だって一花はずっと私たちのことを、自分のことより優先すべき大切な妹だと思ってくれていたから)

 

 今でこそ三玖は自分の好きなものを好きと自信を持って言える強さを手に入れたのだが、風太郎と出会うまでの三玖はずっと、自分が五つ子で一番の落ちこぼれだと信じて疑わなかった。

 そんな三玖の変わるきっかけは、風太郎が与えてくれた。他人だった風太郎に認めてもらえたから、自分に自信が持てるようになったのだ。仮にこれが自分より優れていると感じている姉妹に同じ言葉をかけてもらえたとしても、当時の三玖が抱いていた劣等感は消えないだろう。

 つまり、かつての三玖と同じだ。妹を思う長女であるがゆえの苦悩、五つ子ゆえのジレンマが一花にもずっとあったということだ。だから一花は、素直になっていいという三玖の言葉もなかなか受け入れられなかったのである。

 

(自分の辛い感情を誰にも話せずに抱え続ける苦しさは、私も知っていたはずなのに……!)

 

 一花も三玖も、姉妹に自分の葛藤を隠していたのは同じだ。だが、三玖のそれは早い段階で風太郎によって取り除かれた。一方、一花の長女の肩書きは一生付き纏うもの───すなわち、三玖と違いコンプレックスではない。

 心の迷いが振り切れている者とそうでない者、後者が前者に遠慮するのは明らかだ。責任感の強い一花が五つ子の長女である以上、それこそ人生を左右するほどの大きなきっかけがない限り、彼女の妹たちへの姿勢は変わることはないだろう。

 

(結局私は一花のこと、なんにもわかってなかったんだ……)

 

 そんな一花に対して三玖がしたこと。あの家族旅行で三玖は変装をして風太郎を困らせて、最後は一花に自身の行動を擦りつけて、自分の正体を明かさずに話を終わらせようとした。

 これは、結果的に一花の風太郎からの好感度を下げようとしていたことにつながるだろう。三玖にそんなつもりはなかったとはいえど、風太郎の視点から見れば厄介な女が自分を惑わしたという話でしかない。自分の好感度が下がることが嫌だったがために、三玖は正体を打ち明けなかったのだ。その一連の行為を正当化し今日まで彼女に対しては罪悪感すら覚えてなかったというところに、自分の性格の汚さが滲み出ている。

 こんな卑怯な手段を用いておいて、よく公平にいこうなどと口にできたものである。結局自分の恋はどこまでも自分本位で、公平という言葉は自身に都合よく用いているだけだったという事実に、三玖の心は打ちのめされる。

 三玖はしばらく、己の行動を悔やんだまま動くことも出来ずにいたが、やがてドアが開く音が耳に届いた。二乃に謝罪を終え、ホテルに戻ってきた四葉だ。

 

「……四葉」

「三玖……戻ってたんだ。話したいことがあったからよかったよ。でも、その前に……どうだった?」

「……振られちゃった。フータローは一花が好きで、もう二人は恋人なんだって」

「えっ」

 

 三玖は簡潔に結末を述べる。呆気にとられた四葉の反応。その反応で、三玖はまたひとつ自分が馬鹿なのだと思い知る。

 

(……そっか、四葉も……)

 

 本心を隠していたのは一花だけではなかった事実。如何に自分が罪深いことをしたのか、謝罪をしなければならない。

 好きという気持ちの大きさは違うかもしれなくとも、風太郎に敬愛の念を抱いているのは五つ子共通だ。四葉も間違いなく、風太郎を信頼している。そんなこと深く考えなくても、わかっていたのに。

 

「う、うそ……一花が……? 三玖、それって……」

「ねぇ、四葉。頼ってばかりでごめんね。私の話……ううん、罪を聞いて欲しい。みんなに、四葉に……謝らなくちゃ、いけないの」

「? 罪……?」

「……そう。自分の恋のために私がしでかした、最低なこと」

「三玖……」

 

 心の整理が全くできていない四葉。しかし、尋常でないほどに深刻な表情で沈んでいる三玖の様子に、さすがの四葉も自分の主張は二の次にすべきかと考えて心を落ち着かせる。

 

「う、うん。わかった。お話、聞くよ」

「……ありがとう。私ね、ずっと考えてたんだ。学年末試験で一番の成績を取れたら、自信を持ってフータローの生徒を卒業して、告白しようって」

「……そうなんだ。でも、あの時は……」

「うん。成績が一番良かったのは一花。ひとりだけ仕事もしてて圧倒的に不利なのに、負けちゃって。とっても、悔しかった」

「で、でも三玖はみんなに勉強を教えてくれたじゃん。一花が頑張ってるのは確かだけど、三玖だって───」

「それは一花も同じ。だって私たちの中で数学が一番できるのは一花───ううん、それはいいの」

 

 本当に結果は関係ない。努力が足りなかったのは受け入れる他ない。その後の自分の行動が、どうしようもなく罪深いのだから。

 

「私の目標は叶わなかったけど、それでもフータロー、私を褒めてくれた。教わる側じゃなくて、最初にみんなに教える側に入ったことを。フータローは、私に助けられてるって、感謝の気持ちを正面から伝えてくれた」

「そうだよ。三玖がいなかったら、間違いなく私も赤点のままだったよ」

「……ありがとう。でも、私はそれを素直に受け止められなかった。一花に負けたことで頭がいっぱいで、このままじゃ永遠にフータローとの関係を変えられないって焦ってた。だからね」

 

 俯いたまま、三玖は告げる。愛を見失った女の、愚かな末路。

 

「家族旅行でみんな五月の姿をしているのをいいことに、陰でフータローに言ったの───家庭教師を辞めろって。もう私たちだけで卒業できるから、フータローはいらないって、みんなの気持ちを無視して一方的に突き放したの」

「!?」

 

 驚愕に満ちた四葉の表情。少なからずショックを感じているようだ。当然の反応といえるだろう。

 

「ごめんね、四葉。私、四葉に応援してもらう資格なんてない。本当に、自分が許せない」

 

 四葉の反応を見て自分に対する怒りが込み上げてきているのか、三玖の言葉の怒気が強くなる。

 

「だって、一花は自分のためだけじゃなく、みんなのためにフータローを引き止めてくれたのに。私はそれを自分の手で壊そうとした」

「三玖……」

「それだけじゃないっ! 五月には、教師っていう夢があるのに。フータローに勉強を見てもらわないとその夢が遠のくことはわかりきっているのに。四葉だって、フータローに教えてもらいたいって言ってたのに、私は……!」

 

 困惑しながらも、三玖の行動を止めも咎めもしなかった五月。一方三玖は自分の恋ばかりで、五月がどんな気持ちでいたかなんて、考えもしなかった。もしかしたら本当は、そんなことは止めてほしいと言いたかったのかもしれないのに。

 

「私のしたことは、みんなの想いを、夢を踏みにじる最低の行為だった。ホント、どうしようもないよ。だって、今日フータローに振られなければ、私は自分のしたことの最低さに、全然気づかなかったんだから」

「……!」

 

 教師と生徒の関係は変わらなくとも、中野三玖という少女は生徒というカテゴリでまとめられているわけではなく、ひとりひとりひとつの色を持つ少女だと、風太郎は認識してくれていた。だから、あの時自分を見つけてくれたのだと、三玖は今日までずっとそれを自分だけの強みとしてきた。

 愛があれば見分けられるゆえに、過ごした時間は決して嘘ではない。だが、三玖は風太郎の言葉を受けて自分の行動を振り返って、気づいてしまったのだ。

 

 自分の風太郎への発言は、行動は。間違いなく、一花の愛とは、違う。

 これが姉妹や風太郎への恩を仇で返すような行動だと今日まで自覚していなかった三玖は、風太郎の特別になる資格を失ったのだ。

 

「ねぇ、四葉。私がこんな卑怯な女だって知ってたら、私のこと応援してくれてた? 私はみんなだけじゃなく大好きなフータローの想いすらも踏み躙って、自分の幸せだけを求めてた女なんだよ」

「っ……」

 

 依然として三玖は俯いたまま、愚かな自分を嗤いながら四葉に問いかける。

 卑怯な女。その言葉を聞いた四葉もまた、心がざわつく。自分を責め続ける妹に、四葉は自分が家族旅行の終わりに風太郎にしたことを、思い出さずにはいられない。誰にも知られないならいいだろうと、影で彼に接近し、口付けを交わしたのだ。

 指摘されて、初めて自覚する己の過ち。三玖がどんな気持ちで自分の愚行を打ち明けたのか、好きな人相手にも後ろめたいことを隠してばかりの四葉にはわからない。

 

(っ……違う、今は三玖を……)

 

 無理矢理思考を中断する四葉。とにかく今は、姉を慰めることに専念するまでだ。

 

「……三玖、そんな顔しないで。卑怯なのは、私も同じだから。心が迷子になって自分の気持ちがわからなくなることは、誰にだってあるの」

「え……?」

 

 四葉のとても重苦しさを感じるトーンに、三玖は顔をあげる。愚かなのは自分だけだと思っていた。だが、慰めようとしてくれる四葉の表情も非常に痛々しいものだ。

 

「おバカな私が言うのもなんだけど、完璧な人間なんていないんだよ。上杉さんも一花も、昔からずっと正しくあったわけじゃない。間違いを繰り返して、反省して学んだからこそ、今の二人があるんだと思う」

「あ……」

 

 四葉の言葉を聞いて、三玖の頭に先程の風太郎の言葉が浮かぶ。自分の間違いに気づくのが遅かったことは間違いない。しかしそれは風太郎も、そして一花も同じだ。風太郎自ら、一花は自分のために悪質な嘘をついたと語っていた。その内容はわからないが、彼女もまた愛を見失って、三玖のように過ちを犯したのかもしれない。

 だが、彼の様子から、最後にはその嘘を肯定していた。嘘をついた、過ちを犯した事実は消えなくても、風太郎はその意図を汲みとろうとした。一花への今までの感謝、与えてくれた愛に対して返したいものがあったからこそ、風太郎は安易に否定せずに一花を受け入れたと言っていた。

 そして、それは先程告白を拒絶された三玖にも当てはまることだ。今日まで自分の過ちを自覚していなかったことが許せなくて、三玖は自分を責め続けていた。確かに風太郎は三玖の発言に困惑したと言っていたが、最後にはそのおかげで気持ちに気づけたとも口にしていた。何も三玖だけが間違えたわけではないと、彼は示してくれていたのだ。

 

「一花も昔はわがままだったし、上杉さんだって出会ったばかりの頃は他人なんてお構いなしって感じだったじゃん。でも、私たちと接してからは少しずつ変わっていって。今では私たちのために、あれほどこだわっていた仕事を自分から辞めようとまでしたんだから」

「!」

 

 出会った頃の風太郎を三玖は思い返す。辛辣で自己中心的な初期の風太郎を、三玖は邪険に扱っていた。

 風太郎に、弱みに漬け込もうとした邪な考えがあったのは事実だろう。だけど、三玖にとって風太郎は隠していた趣味を笑わないでくれた初めての人だ。

 ひとりで抱えていた五つ子ゆえのコンプレックス。それを風太郎は、正面から受け止めて励ましてくれた。

 

(フータローは嘘だって言って謝ってたけど、違う。私にはわかる)

 

 なにより、あれほど傲慢だった、学力の高さを鼻にかけていた彼は、三玖に認めてもらうために日本史を勉強し直したのだ。そこには、絶対に負けたくないという本気の意志が感じられた。息切れするまでしりとりを続けた。そして最後には三玖の心を、強く温かい言葉で包み込んでくれた。言葉で、行動で誠意を示した男だ。

 三玖が風太郎に好きになってもらうために自分を磨くよう努力できるようになれたのは、風太郎の言葉があってこそなのだ。風太郎のおかげで今がある。彼に恋をして苦手だった料理を克服し、自信をもって振る舞えるようにまでなった。

 

「あ、あぁ……ううっ……うぅ……!」

 

 堪えていた涙がついにこぼれる。ようやくわかった。これが、愛だ。

 

(あの時のフータローの言葉は、込められた想いは、嘘なんかじゃ、ない……!)

 

 目的があったとはいえど、出会って間もないのに自分の心に歩み寄ってくれて、ずっと心で求めていた言葉をくれた風太郎を、三玖は好きになったのである。風太郎もまた三玖の可能性を信じて、自信のなかった少女に勇気を、愛を与えてくれたのだ。

 それは決して、一花と恋人になってからも変わるものではない。パンを美味しいと言ってくれた風太郎の姿。目一杯の賛辞とともに、努力を讃えてくれた。

 

「でも、上杉さんと一花は自分で決めたことを曲げることなく、ひとり突き進む強さがあらかじめ備わってたのかなって気はするかな。だから、二人とも自分の夢や目標を見失わなずに堂々としていられるんだと思う」

 

 教師として導いてくれた風太郎と、長女として導いてくれた一花。三玖を含む四人の妹は、己の価値観こそ確立していても、基本的にはその後ろ姿をついていくことしかできなかった。二人が惹かれ合うのは当然なのかもしれない。

 

「だけど、全員が最初から二人みたいにできるなら苦労はしないよ。誰にだって、できないことはあるんだから」

「……そっか……そう、だよね。大丈夫、伝わってるよ」

 

 三玖は涙を拭い、四葉に礼を言う。自分を見失って周りが見えなくなり、間違いを犯すことは誰にでもある。人間は感情に左右される。常に適切な行動を取れることなどできるわけがないのだ。心ではいけないとわかっていても、割り切れないものもある。

 家出したときの二乃や五月も同じだ。そこから学んで成長し、次につなげることができるかどうかが、人として一人前になれるかの分岐点なのだろう。

 

(そうだ、成功は失敗の先にあるんだよね。思い出したよ、フータロー)

 

 心に響く、教師の教え。己の愚行に対する後悔の念と罪の意識は完全に消失したわけではないが、三玖は恋の結末を受け入れるだけの心のゆとりを取り戻すことができた。

 ここで腐るわけにはいかない。三玖は風太郎を家族以上に求めているが、一花のことも当然好きだ。彼女にもたくさん、感謝の気持ちがある。

 

「フータロー、言ってた。一花は愛を求めてるって。一花はずっと私たちのお姉ちゃんでいてくれたけど、それが辛いって思うこともあったんだよね。……私はそれに気づいていたのに、自分の恋を優先して見て見ぬ振りをしてた」

「……私もだよ。実際に一花が泣いているところを見て、苦しんでたことが初めてわかった。一花はずっと、我慢してたんだなって。そんな一花を励ましたかった。自分の気持ちに、素直になってほしかった。だけど、その結果、三玖は……」

「四葉は間違ってないよ。一花もずっと、フータローが好きだったのに。自分の気持ちを押し殺して、私の恋を応援してくれてた。フータローと二人きりになれるように誘導してくれたり、チョコを渡せるように二乃に話をつけてくれたり、他にもたくさん。一花の心を温めることが、悪いわけがないよ。私にはできなかったことなんだから」

 

 女である以上、恋愛において隙を見せてはいけない。一花が姉として遠慮していようとお構いなし。自分がそう思っているからこそ、三玖は一花にもお好きにどうぞと言っていた。

 一花の姉としての使命感が強いために効果はなかったが、今の三玖はそんな自分が嫌いではない。三玖が許せないのは公平を語っておきながら家族旅行での解雇宣告を正当化した自分であって、そこまでの恋を叶えるために全力で努力した、誰相手でも妥協はしないと考えていた自分は間違っていないと、自信を持てるようになっているのだ。

 これが内向的だった三玖の、ある種の成長なのである。

 

「もちろん、失恋のショックはあるよ。だけど、落ち着いた今は納得できる。一花は、誰よりもフータローを必要としていたんだなって。ずっとお姉ちゃんだった一花の心の拠り所は、私たちよりフータローと仕事だったのかもしれないね」

「三玖……」

 

 母を失くしてから髪を切り、生まれ変わった一花。それ以来かつてのわがままな姿は鳴りを潜め、姉として三玖たちの心の安息としてあれるように導いてくれた。

 だけど、そんな一花は誰に甘えられるのだろう。どこでなら休めるのだろう。五つ子なのに、家族なのに、今まで考えたこともなかった。それこそ風太郎と出会うまでは、仕事と自室くらいのものだったのかもしれない。

 

「四葉、ごめんね。そして……ありがとう。フータローのこと、好きだったのにサポートしてくれて。苦しかったかも知れないけど四葉のおかげで、私は成長できた。手作りのパンをフータローに、食べてもらえたんだから。すっごく、褒めてもらえたんだよ」

「…………うん」

 

 改めて謝罪をする三玖。彼女もまた一花と同じように、自分の心を殺してサポートしてくれた。申し訳ない気持ち以上に、感謝の気持ちも溢れている。

 三玖の恋は終わってしまった。けれど、得たものだってある。全てが無に帰すわけではないのだ。

 

(私はフータローが一番好き。だけど、やっぱり一花のことも好き───だから、こんな馬鹿な私でも、二人の幸せを祈るくらいのわがままは、許してほしいな)

 

 まだ、気持ちに完全に整理をつけるのには時間がかかるだろうけど。それでも、風太郎と共に過ごした時間は、教わったものは、きっとこれからの人生の糧になる。風太郎と出会わなければ、三玖は劣等感を抱え続けたまま、自分の殻を破ることができなかったのだ。

 

(でも、全部一花が一番だなんて認めない。私だって、フータロー絡みじゃなくても努力できる。もっともっと、高みを目指せる)

 

 恋は終わっても、三玖の人生は続く。風太郎はきっと信じてくれている。なんといっても教師お墨付きの、一番の成長株なのだから。

 

「四葉、本当にありがとう。私、一花に伝えてくる。悔しいけど、おめでとうって。そして───」

 

 三玖はベッドから起き上がる。今すぐ一花に、風太郎に、話したい。伝えるのは謝罪だけではない。感謝の、気持ちを───

 

「今までお姉ちゃんでいてくれて、ありがとうって!」

 

 

 

 

 あれからどれほどの時間が経っただろうか。告白を断ってからというもの、風太郎は全くベンチから動くことができなかった。

 感謝、本心、謝罪。伝えるべきことはすべて伝えた。そして三玖は風太郎の言葉を聞いて、失恋を受け入れた。しかし、風太郎に達成感などあるわけがない。彼もまた強い罪悪感を抱え、自分の不甲斐なさを責めていた。

 

(くそっ……ちくしょう……)

 

 握り拳を作り、自分を殴りたい衝動に駆られる。風太郎は己の発言を撤回しようとは思っていない。仮に認めない、諦めないなどと言われていても、風太郎は一花至上主義を曲げるつもりはない。自分で口にして、意思表示したのだ。しかし。

 

『ごめんね、フータロー……』

 

 涙を流すことこそなかったが、悲しげな表情を浮かべていた三玖。三玖の哀愁漂う後ろ姿は風太郎の脳裏に焼きついて離れない。三玖はおそらく、自分の行動にショックを受けているのだ。

 風太郎は家族旅行で三玖が起こした行動を彼女自身が自分で間違いだと認識しているとばかり思っていたため、その可能性を考慮していなかった。どうあれ事情を知らなかった彼女に、借金の件について話してはいけなかったのだ。三玖の立場からしてみれば比較して当然であろう。責めていると捉えられてもしかたがない。

 

(三玖の告白を断って傷つけた俺に、何が言えるっていうんだ。いくら気休めを言ったって、あいつの想いには応えられないのに)

 

 沈み切った三玖と今後どう顔を合わせたものか、想像もつかない。心のケアが必要だとは思うが、五月には手出しは無用と言った以上、頼ることはできない。だが、自分の幸せのために三玖を傷つけた風太郎には当然、慰める資格などあるわけがない。

 これからも友達でいようなどと言うことが、どれだけ残酷で自己満足なことか、選ぶ立場の人間にわかるはずがない。特別ではなくとも友達である三玖を傷つけることしかできなかった、無力な自分が風太郎は腹立たしかった。

 そんな落ち込む風太郎の元に、現れる人影がひとつ。

 

「フータロー君、ここにいたんだ。遅くなっちゃってごめんね」

「……おう、一花。俺の方こそ悪いな、来てもらって。前田と武田はどうした?」

 

 声の主は愛する彼女。まだ全員と決着をつけたわけではないのに、こっそり密会するのは誠実ではないと風太郎は理解している。

 それでも心の整理をつけたかった風太郎は、一花に話を聞いてもらいたいと思い、連絡をとっていたのだ。このままでは、他の姉妹の時にも同じ間違いを犯す可能性がある。なんとしてもそれは避けないといけない。

 

「二人ともとっくにホテルに戻ってるよ。私の質問攻めに、ヘトヘトだったみたい」

「? 何話してたんだよ」

「まぁ去年のクラスでの話もしたけど、メインはそりゃあフータロー君のことだよー。特に武田君は一年の頃のフータロー君も知ってるみたいだったから、いろいろ聞いちゃった♪」

「そ、そうか……恥ずかしいな」

 

 恋人との何気ないやり取りは、今の風太郎にとって心の安息だった。男として恥ずかしさがありながらも、いつぞやの甘えて欲しいという一花の言葉を胸に、風太郎は問いかける。

 

「……なぁ、一花。ちょっと、話を聞いてもらってもいいか?」

「んっ、どうしたの?」

 

 風太郎の様子から一花は楽しげな表情を一変させ、話を聞く姿勢に切り替える。一花の思いやりが風太郎の心に強くのしかかる。だからこそ、話したい。五つ子と会うまでの一匹狼だった風太郎からは考えられないことだ。

 

「一花の予想してた通りだ。お前が去った後三玖と二人きりになったら、告白された」

「!」

「もちろん俺は断った。だって、三玖が悲しむより、一花が悲しむことの方が、俺にとって辛いから。そこは……その、彼氏として当然だ」

 

 告白の拒絶を即座に伝える風太郎。相談しておいて変な話だが、風太郎は一花に不安を与えたくなかった。

 

「そ、そっか。……なんか、あったの?」

「あぁ。……俺は告白を断る際に、一花と三玖がそれぞれ犯した過ちを、比較するような言い方をしちまったんだ。もちろん三玖への感謝も伝えたし、その上で一花が好きな理由も話したけど……結果は最悪だ。あいつはただ悲しそうに謝って、去っていったんだよ。間違えていたのは俺も同じなのに……俺はそれ以上、何も言えなかった」

「…………」

 

 三玖は一花が自分の恋のためだけに三玖の姿と恋心を利用し、彼女を貶めて恋を有利にしようとしたことを知らない。一方で一花もまた、三玖が自分の恋のためだけに風太郎を解雇させようとして、最後に一花にその行為を押し付けようとした事実を知らない。五つ子は常に一緒というわけではなく、各々が風太郎と個別に時間を共有し、心を通わせてきたのだ。

 ゆえに、たとえ他の姉妹が知らないところで心を揺るがす出来事があったとしても、風太郎はその点について一花を責めないでほしいという考えがあった。抜け駆けが勝負を決めるきっかけになったからといって、一花に怒りの矛先が向くことは避けたかった。一花を守ることを、風太郎はなによりも優先すべきことだと考えていた。

 そのため、まず風太郎は三玖の家族旅行での行動について話した。それに加えて一花のアプローチに応えた理由、三玖についていた嘘も打ち明けて、自分も一花も間違えた人間であることと、全員等しく完璧ではないことを伝えたのだ。人はみな自分が一番大切だ。時には私利私欲のために他者を利用し、嘘をつくことは誰にでもある。風太郎も一花も通ってきた道だ。

 

 だが、風太郎の発言は結果的に三玖に罪悪感を植えつけてしまった。風太郎も嘘をついていたというのに、最初に三玖の行動を指摘したこともあってか、責め立てることさえなかった。

 痛み分けのはずだったというのに、一方的な口撃を繰り返していた。悪意がないのが返って最悪である。風太郎の家庭の事情は嘘を打ち明けるためには必要なことだったとはいえ、これでは三玖に問題があると暗に告げたのと同じである。自分の行動が間違えていたことに気付いていなかったショックと失恋のダブルパンチで、ひどく落ち込ませてしまった。

 三玖を意気消沈させたまま受け入れてもらっても、まったく達成感はない。三玖の真意を見抜けなかった、風太郎のミスだ。

 

「とにかく俺は、三玖をひどく傷つけちまった。……本当に、最低だ。わがままなのはわかってても……そんな、傷ついたまま認めて欲しいわけじゃ、なかったから───へ?」

 

 ガシッ、と肩を掴まれただけでなく突然視点が傾いたことに、風太郎は間抜けな声を上げてしまう。

 頬に伝わる肌触り。スラッとしている肌色のそれは間違いなく、一花の足だ。またしても膝枕である。

 

「い、一花……? なんでまた、いきなり……」

「んー? そんなの、ただ私がこうしたいだけだよー。頑張ったフータロー君を、癒してあげたいの」

「は、離してくれ……俺は何も成し遂げてない。そんな資格は……」

「いいからいいからっ。私、これでもフータロー君の彼女なんだよ? 君が辛い思いをしてると、私だって辛いの。少しでもフータロー君の痛みに寄り添いたいんだ」

 

 落ち着かない。一花のふとももの感触はどうにもシリアスムードを和らげてしまう。だがそんな風太郎のモヤモヤはどこ吹く風と言わんばかりに、一花は語る。

 

「……それにしても私たち、やっぱり馬鹿なんだよね。人の、フータロー君の温かさに触れないと、全然間違いに気づけない。五つ子であるがゆえのジレンマ……私たちはずっと姉妹だけの閉ざされた狭い世界で生きてきたんだなーって、今すごい実感してる」

「……一花?」

「あのね、五つ子として生まれた以上、私は何をするにしてもみんなの存在を意識してた。それはきっと私だけじゃない。だけど、お母さんの教え……五つ子は五等分だから、それを表面に出すことはなかったの。だからかな、お互いに腹を割って話すことも、みんなの心に踏み込むこともほとんどなかった。正直私たちは、みんなのことを知ってるようで全然知らないんだと思う」

 

 話の内容は軽いものではなく、一花の声のトーンも重い。実際に彼女の言う通り、姉妹に心を晒していたものはそう多くない。

 一花は妹のために姉としてあらんとして、自分の弱さを隠していた。二乃は姉妹に追いつきたいという気持ちから無理矢理巣立とうとした。三玖は姉妹だからこそ打ち明けられないとして、武将好きを知られまいとしていた。四葉は今も姉妹を退学に巻き込んだことに罪悪感を感じている。そして、そのような個人個人のジレンマを把握しているのは風太郎だ。

 一花は下を向き、風太郎を見下ろす形で話し続ける。

 

「でも、フータロー君と出会ってからは違う。時には対立したけど、みんなと心を通わせて……君とだけじゃなくて、お互いをより深め合うことができた。君もみんなの変化を、前より明確に感じてるんじゃない?」

「……それは、まぁな」

「私だってお姉さんだけどみんなのことを完璧にわかってるわけじゃないしね。もしかしたら私より君の方が、みんなの内面には詳しいかも」

 

 一理あるな、と風太郎も思う。出会った時から一転して好意を伝えてくる二乃、生き生きしている三玖。夢を見つけられた五月。一花も自分のことだからか言葉にはしないが、最近まではずっと姉として妹を優先していた。

 もうひとりはまだ発展途上といったところだろう。過去に出会ったことを隠しているその理由に答えがあるのかもしれない。

 

「……話を戻すけど、正直私が三玖の立場でも、同じように落ち込んで立ち去ったと思う。だけど逆に、あのまま間違いを指摘せずに君が三玖を肯定したとしたら、あの子は自分の過ちを自覚することはなかったんじゃないかな。変わっていく、自信をもって自分の幸せを一番に考えて、そのために努力できるようになった三玖の姿を、私はずっとそばで見てきたから」

 

 勉強を見てもらえるのは一花のおかげと語り、姉に感謝していた三玖。だが、そんな彼女は家族旅行では一花を利用するような、感謝など知ったことではないと言わんばかりの行動をとった。たしかに想像もできないようなことで、これもまたある意味では成長といえる。

 風太郎と出会わなければ、おそらく控えめなまま、遠慮の姿勢を姉妹に示していたであろう。

 

「まぁ、だからって三玖のことは気にしなくていい、なんていうのは酷だよね。私も、告白されたことは何回かあるけど、やっぱ断るのも心にくるし。振った立場としては、好意を示してくれた相手へのせめてもの礼儀として、戒めなくちゃいけないものだとも思う」

「……そうだよな」

「うん。でもね、フータロー君。そもそも恋を叶えたいっていう気持ちはどこまでも自分勝手なもので、必ずしも愛とイコールで結びつくわけじゃないんだ。私も三玖もなかなかそれに気づかなかった。自分の恋に夢中だったがゆえに、ね。時には相手を傷つけてでも、蹴落としてでも叶えたいって思っちゃうものなんだよ」

「…………」

 

 恋をすると周りが見えなくなるというのは、もはや人類共通とも言えるかもしれない。一花も三玖も、そして風太郎も。あれほど語っていた全員笑顔で卒業という目標以上に、一花の笑顔を守りたいと思ってしまっているのだから。

 

「だけど、君と触れ合うなかで三玖は本当に変わった。すっごくたくましくなったんだから。助けはあったみたいだけど、自分で自分を見つめなおして、立ち直る強さを持ってるの。三玖にそれを与えてくれたのは、紛れもなく君の功績なんだよ。それだけ私たちとフータロー君は、信頼を積み重ねてきたの。だから、教師として、友達として……あの子の強さを、信じてあげて」

「……でも俺は、あいつを……」

「むー、フータロー君のわからずやめー」

 

 頬を膨らませ顔を覗き込み、ご機嫌ななめといった様子で風太郎の頬をぷにぷにつつく一花。しかし、簡単には納得できない。

 三玖の成長は、風太郎も強く感じている。だが、三玖の心は依然として沈んだままだ。恋を叶えるための彼女の努力を、風太郎が無駄にしたのだから。

 しかし一花は三玖が復活できると確信しているのか、不満はそのままに、優しくも力強さを感じる声色で風太郎に話しかける。

 

「もうっ、他でもないフータロー君が言ったんじゃん。私たちはついつい自分の感情を優先して、周りが見えなくなって暴走しがちだって。ホントに、すっごくその通りだよ。三玖も私と同じように愛を見失って間違いを犯したって聞いて、びっくりした。私、全然知らなかったな」

「えっ……? なんで、それを……」

「言ってなかったけど私が遅くなっちゃったのはね、ここに来るまでに三玖に呼ばれてお話してきたからなの。四葉が励ましてくれたのかな、詳細はわからないけど……でも、ひとつだけわかる。三玖も、フータロー君がくれた愛を思い出したんだよ。成功は失敗の先にあるって、自信満々に言ってたんだ」

「あ……」

 

 それは勉強ができなかった風太郎が、志としてきた信念のひとつ。なにも三玖個人に直接伝えたわけではない。

 だが、今まで風太郎が教師として、友達として指し示してきたものは彼女の心に響いていたのだと、一花は自信を持って口にする。

 

「だから、あの子は……最後にはありがとうっていう感謝の言葉とともに、私を認めてくれたの」

「! ほ、本当か……?」

 

 風太郎は驚きのあまり起き上がる。あれほどまでに落ち込んでいた三玖が立ち直っていることが、とてもではないが信じがたい。

 しかし一花は風太郎の右手を両手で握り、熱心に訴える。

 

「うんっ! 確かにフータロー君は私たちの過ちを比較するようなことを言って、三玖を傷つけたかもしれない。そこは反省が必要なところだと思う。でも、相手の間違いや心の弱さを指摘して正そうとする姿勢は、悪いことじゃないと思うの。きっとそれが、成長のきっかけに繋がるはず。だって他でもない私がそんな君の言葉に勇気づけられて、今こうして女優として、花を咲かせられているんだから!」

「……!」

「フータロー君、元気を出して。君は今までずっと、そのやり方で私たちを導いてくれた。フータロー君は私たち全員に、等しく愛を与えてくれたんだよ。そこには家族のために働くっていう大義名分があって、君に自覚はなかったかもしれない。だけど、私たちには必要なことだった。君に教えられて自分の弱さと向き合うことで、私たちひとりひとりの価値を見つけてくれたの」

 

 大好きな彼氏を思いやる一花の愛が、風太郎の心を優しく包み込む。心が温かくなるのを感じる。

 何も風太郎は、三玖の成長を期待して彼女の過ちを指摘したわけではなかった。それでも三玖が立ち直れたのは、今までの風太郎の頑張りがあったからこそだと、一花は確信しているのだ。

 

「気持ちのすれ違いや、対立だってあった。君だけじゃなくて私たちも、お互いに身勝手な言動や行動で、相手を怒らせたことも、傷つけたことも多かったと思う。それでも、今の私たちはそんな困難を乗り越えて信頼を積み重ねてきたの。君が私たちにしてくれたことに無駄なことなんてひとつもないって、私は信じてるよ」

「あ……」

「だから……ありがとう、フータロー君。私を……ううん、みんなを、五つ子の檻から連れ出してくれて。本当に、言葉だけじゃ私の感謝は表しきれない。何があっても、私は君の味方だよ」

「……っ……」

 

 少し切なさの篭る、優しい笑みで風太郎に愛を伝える一花。風太郎は瞳の奥からぐっとくるものをなんとか堪えようとするも、目頭が熱くなるのを止められない。それでも目元を拭い、一花に礼を言う。

 

「……ありがとう、一花。救われたって、心から思える。俺、お前を好きになってよかった。一緒にいられるこの時間が、すごく幸せだ」

「フータロー君……そう言ってもらえて、私、すっごく嬉しいな。私も君と過ごす一分一秒が、全部ぜーんぶ、宝物だよ」

「ま、またお前は……」

 

 心からの笑顔で紡がれる一花の愛で顔を赤くする風太郎。声が震えているのを自覚してしまうが、それでも目は逸らさない。恋人への感謝の気持ちは、風太郎も負けているつもりなどないのだ。

 

「本当に、お前に相談してよかったよ。一花には助けられてばっかりだな」

「そんな、助けられてるのは私の方だよ」

「いや、俺の方が助けられてる」

「私の方が助けられてるもん!」

「…………」

「むー……」

 

 無言で軽く睨む風太郎と、頬を膨らませ不満を訴える一花。お互いに譲る気は一歩もない。

 

「いくら一花相手でもこれは譲れねぇぞ。それとない気遣いに、俺がどれだけ助けられたか」

「私だって曲げないよ! だって、私の夢、自分のためだけにしたかったこと……今私が女優としていられるのは、フータロー君の支えがあったおかげなんだから!」

「っ、そんなの俺だって───」

 

 夢。言い返そうとするも言葉が止まる。場所が場所なだけに、どうしても連想してしまう。風太郎はかつてこの地で出会った少女と、お互いに夢を叶えようという約束を交わした。風太郎の隣にいる恋人は、その相手ではない。

 だが、風太郎は気づく。この地で出会った彼女が理想として思い描いた将来像は、一花が果たしているに等しいという事実に。

 

「……夢、か……」

「そうだよ、夢。あのオーディションは、フータロー君に活を入れてもらわなかったら絶対合格できなかった。それに、私にお姉さんとして我慢するんじゃなくて、女として当たり前の幸せを求めさせてくれたのも、与えてくれたのもフータロー君。君と出会わなければ、私はきっといつまでも、自分の心に嘘をついて強がることしかできない、馬鹿な女のままだったんだよ」

 

 恋をしてたかもわからないけどね、と照れ臭そうに話す一花。一花は変わるために、姉として胸を張れるようになるために努力していた。妹たちに負担をかけまいと自分の貯金と稼いだお金だけでやりくりを重ね、空き時間で勉強もこなしていた。

 家族のためにお金を稼ぐという目標。それは、まさしくここで出会った少女がそうありたいと願った姿だ。一花は決して驕らず、長女としての役目を全うし続けた。約束を知らずとも、妹のために姉として頑張り続けた一花。そんな彼女が必要としてくれたからこそ、気持ちに応えたい、支えたいと思ったのだ。この少女を好きになったことを風太郎は誇らしく思っている。

 

「だから、私からも改めて伝えさせて。たとえこの先何があっても、君からもらった愛だけは絶対に見失わない。それが、私に愛をくれたフータロー君への、何よりの恩返しだと思ってるの」

「一花……」

「フータロー君ひとりだけに大変な思いなんてさせない。君の苦しみは私の苦しみ。どんな小さなことだって、私にも背負わせて。君の笑顔は、私の幸せなんだよ」

「……そうか。本当に、馬鹿みてぇな失敗ばかりだったけど、それでもお前たちの支えになれていたなら、よかった。ありがとな、一花。俺だって、お前のために少しでも男として一人前になれるように、頑張るから」

 

 先ほど一花が述べたように、風太郎は家族のためにお金を稼がまいと、ただがむしゃらに走り続けていただけだ。その過程で時には嘘をついたり、人としてどうなのかと問われるような間違いも犯した。彼女たちに愛を与えた自覚などない。

 だが、風太郎も家庭教師として五つ子たちと接していく中で愛を与えられた。家族以外では初めてだ。かつてはやり方を間違えていたと落ち込んでいた風太郎だが、全てが無駄ではなかった。それを教えてくれたのは、引き止めてくれた一花の、生徒であり友達でもある五つ子のおかげだ。

 

「とりあえず……その、なんだ。四葉に、お礼を言わないとだな。それだけじゃない、三玖にもだ。四葉と話し終わったらまた連絡するわ」

「うん。あの子もいろいろ思うことがあるだろうから……ごめんね、フータロー君。お願いね」

「そうだな。……よし、それじゃあさっそく───」

「あっ、ちょっと待って」

 

 一花は風太郎の制服の袖をつまみ、立ち上がろうとする彼氏を制止する。

 

「ねぇフータロー君、行く前に私の話も聞いてくれない?」

「ん? いいぞ、話してくれ」

「私、フータロー君が話す前に二乃とお話させてって頼んだじゃん? それには私が個人的に、したいことがあるからなの」

「? なんだよ、それ」

「あのね、私───」

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほどな、わかったよ。その辺はちゃんと、しっかりしておく」

「うん、私も充電はしておくよ。ありがとね、フータロー君」

「気にすんな。誠心誠意想いを込めれば、二乃にはきっと伝わるはずだ」

「そうだよね。私も頑張るよ」

 

 一花のやる気に満ち溢れた顔に、風太郎も気が引き締められる。ベンチから立ち上がり、戦う決意を胸に歩き出す。

 

「じゃあ行ってくる。四葉には、話したいことがたくさんあるんだ」

「うんっ! ファイトだよっ、フータロー君!」

 

 

 

 

 風太郎が去った後も、一花はまだ彼と一緒にいたベンチに座っていた。膝上にわずかに残る彼の温もりを感じながら、三玖との会話を思い返す。

 

 

 

『……三玖、どうしたの? 急に話がしたいだなんて……なんか、あったの?』

『もう、とぼけちゃって。一花、フータローと付き合ってるんでしょ』

『! ……そっか。告白、したんだ』

『うん、ずっと伝えたかったから。だけどもう決着がついてるなんて思わなかった。一花、隠してたんだね。四葉も驚いてたよ』

『……悪い? すぐに打ち明けたところで、絶対みんな納得しないでしょ。前から私たちは、この修学旅行で決着をつけるって決めてたの。勝負をしかけるのは入念に準備をしてから。三玖だってそうでしょ? ずっとバイト頑張ってたもんね』

『…………』

『黙ってたことは悪いと思うけど、だからって譲るつもりはないから。フータロー君は私の告白を受け入れて、彼女として認めてくれたの。抜け駆けして射止めた私を嫌うのも恨むのもいいけど、フータロー君に怒りをぶつけるのだけは許さない。納得いかないっていうなら、私だって───えっ』

 

『いいの。無理しないで、一花』

 

『一花とフータローの間に何があったのかはわからない。でも、私は知っちゃった。一花はずっと苦しんでいて、フータローからの愛を求めていたんだよね。家族旅行の時に泣いてたんだって、四葉から聞いた』

『え……』

『あのね、私、愛を履き違えてた。フータローとの関係を変えたい一心で、最低な間違いを犯したの。自分のためだけじゃなくてみんなのためにフータローを引き止めてくれた一花の想い、フータローへの恩を仇で返すような、最低なこと』

『!』

『私も、愛を求めるあまり自分を見失っちゃったの。そして、一花にもそんなことがあったって、自分のために嘘をついたんだって、フータローから聞いた。でも、一花は自分の間違いに気づけたんだよね。私は自分を客観視できなくて、今日まで気づけなかった。私が負けたのは当然だったよ』

『わ、私は……』

『だって私は知ってる。一花もフータローが好きだったのに、ずっとお姉ちゃんとして私の恋を応援してくれたよね。私はそんな一花に甘えるばかりで、一花の立場になって考えてあげることができなかった。だから……ごめんね。五つ子なのにずっとずっと、お姉ちゃんに甘えちゃって』

 

『そして……今までお姉ちゃんでいてくれて、ありがとう。どんな一花だって、大好きだよ』

『……三玖……』

 

『違うの、三玖。私も愛を、自分を見失って、三玖の気持ちを恋のために利用したんだ。それが私の過ち。結果的にその行動が、私の恋を有利にする……私がフータロー君からの愛を思い出すことに繋がったの。だから……その……』

『そっか、ならやっぱり私と一緒だね。私も、陰で一花たちの想いを無下にするようなことをしたから、フータローに気持ちを知ってもらえたんだよ。卑怯なのは私も同じ。全員公平でも早い者勝ちなんだから、そんなに自分を責めないで。フータローは一花の行動を、必要なことだったって思ってるんだよ』

『! ……そ、そんなこと言ったって、フータロー君が私を好きでいてくれる限り、私は譲ってなんてあげれない。私にとって、フータロー君は全てなの。フータロー君は、ひとりしかいないの、だから……!』

『うん、一花の気持ち、わかるよ。私も、家族の誰よりもフータローのことが好き。一花が好きだって知ってても、みんなと築いてきたものを捨ててでも、フータローの彼女になることを一番に望んでた。だから私たちはおあいこだよ。一花だけが悪いだなんて、そんなことは絶対ない。私も一花も、どうしようもない恋愛脳なんだよ』

『っ……三玖っ……』

『もう、そんな苦しそうな顔して……やっぱ一花は、根っこの部分からお姉ちゃんなんだね。ホントすごいよ。私はフータローに自分のしたことに言及されないままだったら、そのまま自分だけ見分けてもらえたことを強みとして、後ろめたさを感じることなく過ごしてた。今では指摘してくれてよかったって思ってる。後悔がないわけじゃないけどね』

 

『とにかく、私は大丈夫。だって、私はフータローがくれた愛を思い出したんだから。一花、知ってる? 成功は失敗の先にあるんだよ』

 

『一花の全部がフータローにとっての一番だなんて、それだけは認めない。私だって勉強も料理も、もっともっと上達するの。ふたりの隣に立つことはできなくても……今度は私が、フータローと一花の先を行けるように、羽ばたいていくんだ! 今まで一花が、フータローが、私を導いてくれたように!』

『!』

『だから、一花。フータローの彼女だからって浮かれて、ぬるま湯に浸かってちゃダメだよ? もっと魅力的にならないと、フータローがうっかり私に惚れちゃうかも知れないから。だって、私は───』

 

 

 

『五つ子一の、成長株なんだ!』

 

 

 

 五月の時と同じように、姉でない自分を見せておいてなお、受け止めて抱きしめてくれた三玖。瞳に涙を浮かべながらも祝福の言葉をかけてくれた。自分の恋に決着をつけて、ひとつの進む道を示した。

 

(……三玖、本当にありがとう)

 

 応援してくれた妹の想いを、無駄になんてしない。スマートフォンの充電はバッチリだ。これで、己の全てをさらけ出せる。一花と二乃、愛に生きる者同士、情け無用のタイマンバトル。

 

 

 

「あっ、出た出た。ねーねー、二乃。明日さ、二人だけでお話しない? 恋バナ───しようよ」

 

 

 

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