悪いヤツだね
「風船が?」
「うん。取れなくなっちゃった…」
学校帰りの公園。友達と遊んでた時、近くで泣いてる子供を見つけた。
あんまり大声で泣くものだから心配になっちゃって、話を聞いてみたんだ。そして見上げてみれば、近くの木に引っかかる赤くて丸い物が視界に入る。
「あれは取れないなぁ」
「ヒグッ……」
「ちょっと男子!変な事言わないでよ!!」
「あっゴメン!」
同級生の皆は諦めムード。そりゃそうだ、普通の人間じゃどれだけ背伸びしたって届かない。
でも、ボクは違う。
「皆、ちょっと離れてて」
「…へ?」
「テイオー、やるのか?」
「もちろん」
驚きで涙を引っ込める子供、心配してくれる皆。でも大丈夫。ボクを誰だと思ってるのさ?
「ボクは天下無敵のウマ娘だぞよ?あの程度の高さ、ちょちょいと飛び越して掴み取ってあげる!」
「お…おーっ!」
「頑張れ、テイオーちゃん!!」
「という訳で、君も離れて待っててね。風船、絶対に取り戻してくるから!」
「…うん!」
精一杯の笑顔を見せてくれた子供に、ボクもニシシと笑って返す。そう、ボクはあの“皇帝”シンボリルドルフを目指すんだ。この程度の試練、難なく乗り越えてみせないと!
「距離は…この位あれば充分かな、うん」
木までの距離を目測で把握し、また周りに人や邪魔な物が無いかを確認。うん、大丈夫。公園内にはあの子供、ボクの友達が数人、そしてベンチの近くからこっちを見てる大人が1人。全員、ボクの進行方向にはいない。
目指すは大木、その上の風船!
「よーい…ドンッ!」
そうしてボクは駆け出した。何回やっても新鮮な、飽きる事の無いこの感覚。さっきまでの風景が一瞬で背後に流れるこの感覚が、ボクは大好きなんだ。
微かに聞こえる歓声は、友達とあの子の物かな?これも聞いてて心地良くて、とても気分が良くなる。シンボリルドルフさんは、これよりもっと凄い渦の中にいるんだ。羨ましいな。ボクも同じ場所に立ちたいな。
と、気付けば木はもう目の前。よし、頃合いだね。
「ーーほっ!」
ダンッ!!という音と共に、両足が地面から離れる。横に流れていた風景が今度は縦に動き、重力がボクの体を捉えられなくなる。
視界に迫る赤い丸。それ目指して、手を伸ばしーーー
見事、掴み取って見せた。
「やったー!!」
あの子の声が聞こえる。友達の驚き、ボクを褒め称える声も。
そう、この瞬間。この瞬間が一番気持ちいいんだ、重力を振り切って褒められるこの瞬間が。
さて、後やる事はただ一つ。応援してくれた皆に向けて応えないと。
「見たか!これがボクの実りょk」
でも、出来なかった。皆の方向に向けなかった。
視界がいつの間にか真っ青な空へ捉えてて、皆がいる地面を見れない。いつしか頭が下になって、目に映る物の上下が逆さまになる。
「「「ああっ!?」」」
皆の歓声が、悲鳴に変わったのが分かった。でもボクにはどうする事も出来ない。だってそもそも、何が起こってるのか自体分からないんだから。
何かを取り戻そうとして、空中でもがくボクの姿はカッコ悪かったかな?そう思った時には、既に地面は目の前だった。
「トウカイテイオーーッ!!!」
誰かが、ボクの名前を呼んだ。それだけが分かった瞬間、視界が黒くて柔らかい物に遮られた。
地面じゃない、人の温かみを持った何か。それに全身を包まれて、運動方向が縦から横に変わる。
次に来た衝撃は、すぐに回転になってボクの頭を揺さぶった。何がなんだか分からないまま、僕はただ目の前の黒に縋った。必死で掴んで、頭を押し付けた。
そして、回転が止まる。砂埃が舞う中で、漸くボクの視界は光を取り戻した。
「……ゲフッ。危なかったぁ」
「…えっ。えっ?」
起き上がって最初に見えたのは、ボクの下で大の字に寝てる大人の男の人。その白い髪は土埃に汚れて、着ている真っ黒なスーツも砂塗れになって所々が破れている。
「おじさん、誰?」
「お兄さんって呼びなさい、まだ20代前後なんだから。しっかし、この服どうしよ……おハナさんに怒られる………」
自分の服を見て情けない声を出すおじさん。僕は訳も分からないまま視線を上げて、そして漸く理解した。
あの木の根本からここまで続く、地面が削れた後。風船があった位置、つまりボクが跳んだ高さを改めて見て、やっと何があったか分かったんだ。
「ボクを…助けてくれたの?」
「他に何がある。空中姿勢もロクに取れないまま考え無しに飛び跳ねやがって。こんな早い内から自分の身体を省みない無茶すんな」
「ぁう…ご、ゴメンって」
「…でも、風船は取れたな」
「え…?」
言われて手元を見れば、そこには赤い風船。良かった、取れてたんだ。
「テイオー!大丈夫か?!」
「皆!」
遅れて、続々と駆け付けてくれた友達たち。その中には当然、あの子もいて。
「だ、大丈夫?私の為に……」
「問題ないよ。それに…はい、どうぞ」
「わあ…!」
風船を差し出すと、目を輝かせて受け取ってくれた。良かった、これだけでやった価値はある。
でも、どうして……。
「ねぇおじさん。なんでボクの名前を知ってるの?初めて会うよね、ボク達」
「あ?ああ、そういやそうだな。でもホラ、お前有名だから」
「ふーん。そうかそうか、ボクの名前はもうそんなに知れ渡って…ってそんな訳無いでしょ小学生なのに!」
「おぅふ、無駄に聡いクソガキめ」
「なんだとぅ!?」
まだボクにウマ乗りにされてる男の人と言い争いになる。クソガキとは何だよクソガキとは。ボクは無敵のテイオー様だぞ!崇め讃えよ!!
その時、ふと気付いた。男の人の視線が、ボクの足に向けられている事に。
「……」
舐めるような視線…とは少し違う気がするけど、なんだかずっと見られてて気恥ずかしい。ボクの膝から足首までをじっと交互に見てて、どうにも居た堪れなかった。そんな気分から、ボクは思わず叫んでしまう。
「ま、まさか!助けたのはボクの体がお目当て!?悪いヤツだねキミ!」
「ファッ!?いや待て、甚だしい誤解がある」
「知ってる!それって“痴漢”って言うんだって!ママから聞いた!!」
「パパは“ロリコン”って言ってた!」
「あーコレは不味いとても不味い」
ボクの言葉に釣られるようにワイワイ言い出した友達を前に、眼下の人は顔を青ざめさせていく。
違う。疑う気持ちはあったけど、そんな顔をさせたかった訳じゃない。ただ、ちょっとパニックになっちゃっただけなんだ。
「お、おじさん。あのね」
「こんな所にいられるか!俺は自分の職場に戻る!!」
「あっ」
ボクの股からスルッと抜け出して、おじさんはみるみる内に遠ざかっていく。ウマ娘のボクが走れば追いつける、でも今は、何故か足を動かせなかった。
「ありがとう」の一言を言いそびれて、その日は終わった。パパとママには無茶した事をしこたま怒られて、晩ご飯のニンジン料理を減らされたのは悲しかった。
でも何より、あのおじさんに感謝を伝えられなかった事が、今後も伝える機会が無い事が、心の奥にしこりとして残った。
でも、機会は思ったより早く、以外な所で訪れたんだ。
それはあの日から1ヶ月後。シンボリルドルフさんの、日本ダービーの日。あの偉大な無敗二冠を達成した日。
「ボクは、シンボリルドルフさんみたいな強くてカッコ良いウマ娘になります!」
気が付いたらあの場所にいた。記者さん達を掻き分けて、シンボリルドルフさん本人に思いの丈をぶつけていた。それだけ熱いレースで、ボクの心は燃えていたから。
そんなボクの甘くて朧げな夢を、シンボリルドルフさんは笑わないで聞いてくれた。ボクの名前を聞いて、微笑んで、そして頭を撫でてくれた。
「よし、覚えておこう。トウカイテイオー」
「わぁっ…!」
天下のシンボリルドルフさんが、ボクの名前を覚えていてくれる。一瞬で頭がその幸福でいっぱいになって、ボクは背後から近付く気配にまるで無頓着だった。
瞬間、脇に通された腕が身体を持ち上げる。目の前にいたシンボリルドルフさんの顔が一気に下に下がり、足が宙を蹴る。
「えっ、あれ?」
「すまんなルドルフ。対応が遅れた」
「いや、良いよ凱夏君。その子を親御さんの元に無事返して来てくれたまえ」
「オーケーだ。ちなみにハナさんには…」
「伝えておくよ。それはそれは可愛い子ウマが紛れ込んだと」
「おぅふ…怒られる……」
この1ヶ月間、ふと思い出した時に頭の中をよぎっていた声。それが、何故か真後ろから聞こえて来る。その声が、シンボリルドルフさんとどこか親しげに話している。
抵抗なんてする間も無く、ボクはそのままシンボリルドルフさんから引き離された。記者の人混みの中からこちらへ手を振るあの人の姿は、やっぱりキリッとしていてカッコ良かった。
「……」
「……」
担ぎ上げられながら、廊下を無言で進む。その沈黙に耐えられなくて、ボクは口を開く。
「おじさん、だよね?」
「おじさん言うな。お兄さんって呼びなさい」
前と同じ会話。それを皮切りに、おじさんはボクを降ろして微笑んだ。やっぱり、あの時のおじさんだった。
「おじさん!シンボリルドルフさんのトレーナーだったの!?」
「まさか。アイツのトレーナーは別の人、俺はその補助役。俺じゃ、とてもじゃないがルドルフを支えられねぇよ」
「だよね、シンボリルドルフさん凄いもんね!」
「間違い無い。本当に凄いよ」
意見が合致して、一頻り笑い合う。それが落ち着いた後、ボクはやっと伝えたかった事を捻り出す事が出来た。
「おじさん、その…前は、ありがと」
「ほぅ。感謝も言えないクソガキかと思いきや、何だ思いの外躾が行き届いてるじゃあないか」
「茶化さないでよもー!本当に感謝してるんだからね!!」
「たは、スマンスマン。俺も素直に感謝されるのに慣れてなくてな、どうしても冷やかしちまうんだ」
そう言いながらもボクの頭を撫でるおじそんに、ボクも思わず笑い返す。全く、素直じゃないなぁこの人は。
「おじさんに言われてから、あんまり危ない事はしないようにしてるよ。ちゃんと大人の人に頼るようにしてる」
「当たり前だ。お前の身体、特に足は本当に一級品なんだから、あんな事故でオシャカになられちゃ困る。ルドルフを目指すんならな尚更な」
「…前にボクの足をジッと見てた理由って、それ?」
ボクの問いかけに、おじさんは頷きで返す。なんだ、そういう事だったのか。あの時は怖かったけど、そういう理由なら寧ろ誇らしい。
「へへーんだ。やっぱり本職の人には、ボクのこの偉大さが分かるんだね」
「え?ああ、まぁな」
「でもそれはそれとして、こんな乙女の身体をジロジロ見るなんてやっぱりデリカシー無いよ?悪いヤツだね、キミ」
「アホ吐かせ、俺にツルペッタンな幼女に興奮する趣味は無ぇよ。お前みたいなクソガキなら尚の事だ」
「また言ったなー!?このこのこのこの!!」
「待っ!ウマ娘パワーで殴るなッ!!脛っ!!!折れッ!!!!」
ポカポカと殴りつけながら、それでもボクとおじさんは笑う。なんだろう、この人となら上手くやっていけそう。この短時間で、そんな予感すら芽生えていた。
その後、ボクはパパとママとじいやの所に引き渡されて、おじさんに駅まで送られた。車に乗って別れる直前、ボクはおじさんに向き直って叫ぶ。
「おじさん、名前は!?」
「え。どうした急に」
「だから、名前は!」
「牧路凱夏だが」
牧路凱夏。そっか。そういう名前なんだ。
口の中でその単語を噛み下し、飲み込む。よし、もう覚えたぞ。
「ボク、トレセン学園に絶対入るから!」
「!!」
「凱夏なら、その時ボクのトレーナーにしてあげても良いよ!」
慌てるじいやとママに車へ押し込まれながら、それでもボクは凱夏の方を見続けた。その目が驚いたように見開かれたのを見て、してやったりと口角を上げる。
パパがボクの言葉について凱夏に何かを謝って、その後車は急発進した。その後部座席から、ボクはずっと手を振り続けた。
道路の向こうに消えていく凱夏は、一拍置いて手を振り返してくれた。今は、それだけで満足だった。
ーー
「トウカイテイオーのトレーナー、か」
凱夏は呟く。その声音に、一欠片の諦念を滲ませながら。
その意味を、その価値を、彼はよく知っていた。そして、その“責任”を
「俺じゃお前と釣り合えねぇよ。不屈の帝王さん」
青年の背は、そのまま人混みの中へ溶けていく。その運命が、彼の意図せぬ方向へ動いていく事も知らぬまま。
ウマ娘の魂と運命は異世界から来る。
それ以外が来ないとは限らない。