覇道、壱歩を踏み締めて
トタトタと地下バ道を駆けていく背を見送った。それを見送った凱夏は、つい先ほどまで浮かべていた笑みとは裏腹に厳しい顔で嘆息を吐く。
「不安か?」
「そりゃメイクデビューですから」
隣の西崎からの言葉に、若干の呆れを混ぜながら返す。メイントレーナーはそっちの方なのに、まるで緊張の色が無い事の方が凱夏にとっては不可思議だった。
「やれるだけやったんだし、後はドンと構えるしか無いだろう。そんなんじゃ、テイオーに不安を気取られちまうぞ」
「今回はギリ隠せてましたかね?」
「ギリギリな」
「……ちょっと頭冷やします」
鈍い音が鳴った。西崎は目を見開いた。
「なに…や、って……」
「他の娘には、転んだと口裏合わせて頂ければ」
鼻から滴る血。拳にこびり付いた赤。
それにドン引きする先輩を他所に、凱夏はバ道の先の光を見据える。
「勝てよ、テイオー」
その向こうに駆ける、華奢な双肩に希望を託して。
〜〜
ゲートが開いた。
テイオーのデビュー戦が始まった。
(コレがトウカイテイオー……)
(多分、私達の中で一番強いウマ娘…!)
スタートは上出来、先頭集団に躍り出たテイオーに向けて各ウマ娘の意識が集中する。選抜レースから2ヶ月強、既に彼女の見せた強さは同世代には広まっていた。
このウマ娘を超えない限り栄光は無い、と。
(みーんなボクの虜。ま、これも悪くないけど……っ)
観客の視線を独占する事に一定の悦楽を感じていたテイオーだったが、レース中にライバルからの視線を集中されるとなると些か話は別だ。なんせ敵意も敵意、その切れ味はナイフのようにテイオーの精神を削ごうとしてくる。
1人、2人と追い縋ってくる後続。外側に付けて様子を窺う姿勢。明確に、テイオーを内側に封じ込める気満々だった。
現在1位のウマ娘に前を、2位のウマ娘に左を塞がれる。4位に斜め後ろも。
テイオーを籠に閉じ込めるようにして、レースは中盤に差し掛かる。
(自由になんてさせないんだから!)
1人のウマ娘がそう思うが、その思いは皆同じだ。勝たなければ先に進めない、未勝利で燻りたくない。なればこそ、初戦たるメイクデビューは絶対に落としたくない。
ならば、その一番の障害を全力で封じるのは最早テンプレートだった。テイオー当人以外の全員がそう考えていた。
最初にテイオーが飛び出したペースに、それに追い付いた時のペースのまま、進む。進む。絶対に逃したりしないよう、置いて行かれる事の無いよう。
その中で、テイオーは甘んじて燻り続ける。
(抑え込めてる…?)
先頭のウマ娘が訝しげに後ろを見た。
目が合った。
「ッ……!!」
ーー
「ほう」
展望席にて、ルドルフは感嘆の声を上げた。
「もうそんな技まで仕込んだか」
ーー
『お前の基礎能力は既に同世代の中でも飛び抜けてる。そんじょそこら相手じゃ、タイマンで負ける訳が無い』
凱夏の言葉を反芻する。
『だがレースは集団戦、そして皆お前を警戒するだろう。多対一だ』
うん。その通りになった。
『だがレースは個人戦の延長、所詮は団体戦じゃない。談合でもしない限り、そしてしたとしてもデビュー直後の身じゃ出来る連携なんて
うん。
『テイオー、逃げウマに着いて行け。余裕があれば、相手が後ろを見て来た時に軽く見つめ返せ。意識するのは精々それだけで良い』
うん。
『そして、最後に』
うん。
『テイオーステップ、
ーー
(こういう事だね、凱夏!)
テイオーが跳んだ。
横に。
「「「なっーーー?!」」」
ウマ娘達の包囲網が前提から崩壊する。いや、最初から成立すらしていなかった事に今更気付かされる。
最終コーナー、スパートが入ったその瞬間。あるウマ娘は加速で外にブレ、またあるウマ娘は疲労で失速した瞬間。
その瞬間に出来た間隙を、テイオーがスルリと抜け出したのだ。
(テイオーステップか!?)
後ろから追い立てて、標的の脱出の一部始終を目撃したウマ娘は勘付く。
テイオーステップは、関節の柔らかさを基盤にした超前傾・超ストライド走法だと記憶していた。だが違ったのだ。
前に向ける力を、横に向けれないと誰が言った。
小柄な体を活かし、まるで直角に曲がり続けるかのようにライバル達の間を縫うように駆ける。包囲は無意味だと、お前達の頑張りは無価値だとでも嘲笑うように。
自由自在にバ群を突き抜けるその軌跡は、まるで稲妻のようだった。
「ふざっ……けるなぁぁぁ!!」
怒りと悔しさに吠えたウマ娘は、更なるスパートを掛けようとして愕然とした。
末脚が、出ない。
テイオーへの意識。プレッシャー。
彼女を抑え込もうと、序盤のハイテンポに追随した事。
抑え込み“続けよう”と、そのハイテンポを維持した事。
その疲労が、この最終局面に入って足枷となる。
「むりぃ〜〜…!」
同じ状況だったのだろう誰かが悲鳴を上げた。それを皮切りに、次々と脱落していった。
そしてそれは、唯一テイオーへの意識が薄かった筈の先頭ウマ娘も何故か同様で。
「なんっ、で…!?」
おかしい。なんで心がこんなに削れている。
先頭で自由に走ってた筈なのに……。
「じゃあね…!」
横を通り過ぎていくポニーテール。その瞳を見た瞬間、彼女は全てを悟る。
(ああ、“見られてた”んだ)
深淵を覗く者は、また同じように深淵に覗かれる……とは誰の言葉だったか。
彼女はレース中、チラリチラリとテイオーを見ていた。見てしまった。
その度に見返されてしまった。
その経験が、“一番の強敵に狙われている・捉えられている”という自覚を齎らした。
蛇に睨まれた蛙になってしまったのだ。知らず知らずの内に萎縮していたのだ。
『トウカイテイオー、抜けて3馬身のリード!』
根性の尽きた相手を置き去りにし、テイオーは最終直線を突っ走った。
実況を含む観客の誰もが、テイオーの勝利を夢見る。確信する。
しかし。
「〜〜〜……っ!!」
当のテイオーの顔色は冴えない。
だが、誰も追いつかない。だから、殆ど誰も気が付かない。
「それでも…ォォオオオ!!」
それでもテイオーは、ゴール板を最初に駆け抜けてみせたのだった。
3馬身差の《まま》で。
〜Side:テイオー〜
「テイオー!」
初めての公式レースでもうクタクタ。そんな状態のボクを真っ先に出迎えてくれたのは、ボクの一番大事な人だった。何故か鼻にティッシュ突っ込んでるけど。
倒れるようにその胸に飛び込むと、強く抱きしめ返されて頭を撫でられる。えへへ、なんだかとっても嬉しいや。
「よく頑張った。本当に、よく頑張ってくれた!!」
「も〜、苦しいよ凱夏ぁ」
「……あっ、スマン」
って、急に離されちゃった。勿体無い。
「テイオーステップ、前方向はちゃんと我慢したよ。偉いでしょ〜」
「偉くない訳無いだろ。お前ホント凄いよ。流石テイオー。さすテイ」
「うむ!もっと褒め称えたまえ!!」
「その分、最後は少し詰められてましたけどね」
「……むぅ」
何だよぅマックイーン。今良い所なのに。
………でも、彼女の言う通りだ。最後、ボクはテイオーステップを使わなかったから思うように加速出来なかった。
ちょっと苦しい顔付きになっちゃったのも、今クタクタなのも大体その所為。
「ライバルとして、貴女にはあの程度で満足して欲しくないから言ってるのですよ」
「分かってるって。次はもっと上手くやるさ!!」
「そうでなくては」
大丈夫、もう経験は積んだ。ボクはこの道で、無敗の三冠を目指す。その為の一歩目だ。
だから、次は君の番だよ?
「それは良いけど、ボクの事を煽りに来てる暇なんてあるの?明日はキミのデビューでしょ、不甲斐無い走りして泣いちゃわないでよ〜?」
「んなっ…良いでしょう。そ・ん・な・に私が心配で仕方ないなら、半分の力で圧勝してあげますわ。それを見て絶望しても知りませんわよ!」
「なにおう!!それならボクだって今日は1/4ぐらいしか力出してないし!」
「そんなに汗ダラダラかいておいてですか?」
「凱夏に抱き付かれて暑いだけだもん!!!」
売り言葉に買い言葉。でもこの瞬間が、レースの後の安心感も相まってなんだかとても気持ち良かった。
「まぁなんだ。とっとと西崎さん達と合流して身体休めるぞ。控え室で待っててくれてるんだろ、マックイーン?」
「っと、そうでしたわ。ほらテイオー、行きますわよ」
「うん!…ってなんで手を引っ張るのー?」
「貴女こうしてないとフラッとどこかに行きそうなんですもの」
「なんかやだ、離してよ。ボクはマックイーンの姉妹じゃないよ」
「いやぁ、テイオーはクソガキ妹って立場が似合い過ぎてなぁ」
「凱夏までぇ!」
3人で来た道を戻る。こういう日々が、ずっと続くと良いなぁ。
ーSide:桐生院葵ー
「1分53秒2」
記された数字は、今出された記録の物。
「想定値は1分52秒9」
その上に記された値は、レース前に予想していた物。
「0.3秒の遅れ。主因は例の走法を使わなかった事」
事実を暴き、理屈を赤裸々に綴る。
それが出来るだけの能力が、彼女にはある。
「しかし、バ群に囲まれても削られない精神力は驚異的。一因として考えられるのは、度々目撃されていた根性トレーニングと、先頭ウマ娘に対しスリップストリームを取って体力を温存していた事。これらの事から同チームのスペシャルウィークの影響が大きいと見られる。ピッチ走法も会得している可能性大」
なぞり、辿り、現実を識る。
「バ群から抜け出す際の足捌きを見るに、選抜で見せた例のステップは死んでない。なのにスパートで使わなかった事には、必ず理由がある筈。要考察」
そこまで書き終えて、桐生院葵は漸く顔を上げた。競技場はもう観客もまばら、日も傾き始めていた。
「ミーク、イメージではどうでしたか」
「テイオーステップ。使わないテイオーとなら互角、使われると不味い」
ターフを見据えて呟く相棒。ピョコピョコ動くのその耳を撫でて、桐生院は微笑んだ。
「なら、使われても勝てるようにしましょう。貴女と私なら出来ます」
「うん…勝つ」
「テイオーさんに宣戦布告しに行きますか?」
「ううん。まだ良い」
「分かりました。じゃあ帰りましょう」
「うん」
白無垢は牙を砥ぐ。その刃先を、獲物へと突き立てる日の為に。
キラキラしてますなぁ、と彼女は観客席で呟いた。
その瞳に羨望と、消し切れない執念を燃やしながら。