「何ですか、トレーナーさん」
「お前、ちょっと前まで時折先行の走りを自主練してたじゃん」
「え゛っ」
「……すまん、実は一回見かけてから心配でずっと影から見てた。でも本来の走りに影響は無かったから黙ってたんだ」
「いえ、その…謝るべきはこちらですし。ご迷惑をおかけしてすみません」
「いや、俺の方が悪かっ…ってコレじゃ収まりがつかんな。話を戻すけど、あの走りって今も出来るか?」
「出来るか出来ないかで言えば出来ますが…」
「じゃあさ」
「いっちょ、凱夏君を驚かせてやろうぜ?」
あの日曜日
あの日曜日、東京レース場は大歓声に包まれた。ある逃げウマ娘を、一度は置き去りにされた筈の同じ逃げウマ娘が渾身の末脚で差し返したレース。
ハナ差で勝利を掴んだ彼女を、観衆は盛大な応援と拍手で讃えた。死闘を演じた2着の彼女も同様に褒められた。それだけ互角のレース展開だった。
だが後日、民衆は思い知ったのだ。アレは互角の勝負などではなかったのだと。
朝刊1面に彩られた“骨折”の2文字。1着の少女は、遥か先の背中を捉える為に己の
夢を叶えた代償として、1着の少女は二度とターフに立つ事は叶わなかった。少女が満足げだった事が、この騒ぎを平和に終わらせた一因だったと言える。
2着の少女。皐月を獲った名ウマ娘ですら何かを捨てなければ至れない境地に、何も捨てずに辿り着いていたウマ娘。“豪運”すら捻じ伏せかけた、“最速”の更に先。“異次元”の存在。
その名を、サイレンススズカといった。
「逃げのスズカは最強なんだ」
暗い部屋で青年は呟く。その瞳に光は無い。
「おかしいと思った。そりゃそうだ、“普通の状態”であの差しが出来る訳無い。単独でやり合うなら、何かを捨てて始めて対等なんだ」
投げ捨てた新聞を見遣り、嘲笑う。その対象は、生涯を棒に振って勝ちを選んだ1着のウマ娘。
……ではない。
「逃げを得たサイレンススズカは最強なんだよ」
彼女から逃げを奪おうと
牧路凱夏は嗤う。あの日、スズカに涙を流させた自分を憎むが故に。
〜Side:テイオー〜
今日の練習は、宝塚記念を踏まえたスズカ先輩がメインの模擬レース。
…なんだけど、ボクとマックイーンは外された。なんでさ?
「入部時に相手をしてくれただけありがたいくらいですわ。スズカさんは現在シニア級で活躍している先輩方の中でもトップクラスの実力者、その練習にデビューしたての私達が混ざって邪魔になってしまえば、それこそ本末転倒ですもの」
「何それつまんないー!ねぇ凱夏なんとかしてよー!!」
「俺はもうスズカに関連する事ではほぼ一切口出ししないって決めてるからなぁ」
「いくじなしー!」
「なんとでも言え」
もうもう、やっとスズカ先輩の逃げを間近で見られるチャンスだってのに!惜しいよ、逃したくないよ!!
…って、そういえば。
「凱夏、その頬の痣はどうしたの?」
「これか?ちょっとハメ外したしっぺ返しって所だな」
「いやそれだけじゃ意味分かんないけど」
「ムキムキ筋肉ゴリラ爺さんと接敵して殴打された、って言って納得出来るか?」
それどこのジャングルに生息してる生物なの?
「ムキムキのお爺さんと言えば、いつも私を送迎してくれるじいやもあの年で鍛えていて、実は筋骨隆々なんですわよ」
「嘘だぁ!風吹いたら飛んじゃいそうじゃんあの人」
「ふふっ。実際目にしてひっくり返っても助け起こしませんからね」
(実際ヤバかったわあの拳…マックイーンが自慢するだけあるけど、メジロ家は戦闘民族か何かで?)
「何を頷いてますの?」
「あ…?いや、もう直ぐ始まるなって」
そうだった、レースにちゃんと集中しないと。
スタート地点には既にスズカ先輩、逃げで競り合う役のスカーレット先輩、先行で後ろから狙う役のスペ先輩、差しでついていく役のウオッカ先輩、追い込みで全体を追い立てる役のゴルシ先輩が並んでいる。一方、ゴール地点で待つのはストップウォッチを持ったトレーナーだ。
参加できないボク達にできるのは、じっと注目して問題点を炙り出す事。そして、イメージの自分をレースに投影して勝ち筋を探す事。
「スズカから目を逸らすなよ」
凱夏の言葉に、ボクとマックイーンは気を引き締めた。
「視線すら置き去りにされるからな」
結果から言うと、凱夏の言う通りだった。
スズカ先輩に追いつけるウマ娘はいない。少なくとも、まだ今は。
心から、そう思わされた。
〜Side:エアグルーヴ〜
あの日曜日。私がスズカに勝てたのは
皐月賞後にリギルからスピカに移籍したスズカは、それまでの不調が嘘かのような本格化を見せた。特に日本ダービーや神戸新聞杯で見せた底知れなさに、当時多くの同期ウマ娘とそのトレーナーが一斉に戦慄。彼女を徹底的に警戒した結果、偶然にも彼女に対する包囲網が出来上がっていた。
情けない話だが、結果的に私もその中に加わっていたと言える。スズカの才覚を信じ、リギルへと誘ったのは他ならぬ私なのだから。後方から圧力を掛けてマークし続けるつもりだった。
そして本番、複数に先頭を塞がれそうになり後ろからも囲まれたスズカは失速。スズカの逃げに無理やり先んじて・付いて行って妨害したウマ娘達も疲弊で失速。全員が消耗した泥仕合で、なんとか底力が残っていた私が先頭になる事が出来た。昨年10月26日の日曜日、その時行われた天皇賞秋の真相がこれだ。スズカへの包囲網が無ければ私は勝てなかった。
だが今回それは望めない。包囲網に拘りすぎて泥仕合と化した反省から、スズカへマークする作戦を取るウマ娘は激減している。スズカを負けさせても、自分が勝てないと意味が無いからである。
そして、自由になったスズカはそんな思惑を千切って勝利してきた。
「エアグルーヴ、大丈夫?オーバーワークは体に毒よ」
「問題ありません…っ」
仮想スズカとして、練習に付き合って下さっているマルゼンスキー先輩。その慮りを敢えて無碍にして、でも私は立ち上がる。
スズカの逃げは他のウマ娘の破滅的逃げと等しく、しかし破滅には繋がらない。だからそれについて行く為には、これしきの疲労も飲み込んで進まねばならない。
だから、せめて後もう一本…!
「エアグルーヴ」
そんな私を呼び止めたのは、私の理想だった。
思わず視線を向ければ、そこに夢が立っていた。凛とした視線が、私に向けられていた。
「会、長…」
「マルゼンスキーの言う通りだ、君は明らかに限界を超えている。その域に踏み込むのはレース中だけで良い、日常からそうするとまず保たない」
「しかし、これでは足りないのです!私はスズカが追いかける背中で無ければならない、それがリギルに彼女を巻き込んだ私の責ーーー!」
「マルゼンスキーを見ろ」
鋭い声音に頭が覚める。そうして視界に捉えたのは、私と同じく汗まみれな先輩の姿。
いつもの余裕綽綽な立ち姿は影も無く、荒い息で膝に手を突いていた。
何故忘れていた。同じ逃げウマ娘だからって、歴戦の先輩だからと言って、型の違うスズカの想定を彼女に押し付ければどうなるか……
「…あーあ、バレちゃった。後輩の気概に応えられないなんて、これじゃ先輩失格ね。エルちゃんに顔向け出来ないわ」
「君の問題ではない。エアグルーヴ、自分だけでなく他人まで拘りに巻き込むのは、君の本懐に沿うのかい?」
「…申し訳ありません」
完全に私の落ち度だった。それでも付き合ってくれた先輩への感謝と、そして申し訳なさで頭が一杯になる。自らの愚かさに頭が沸騰する。
だが、それ以上に。
「2人とも今日は休んでくれ、おハナさんと桐生院さんへの報告も私がしておく。何より友人に、そして頼りになる右腕に倒れられようものなら今度は私が八方塞がり、重なる課題で四面楚歌になってしまうからな」
頼りになる?
本当に貴女はそう思っているのか?
「会長」
「どうした?エアグルーヴ」
「ブライアンが相手でも、同じ事を言いますか?」
気付けば、口を突いて出ていた問い。こんな下らない問いかけをした自分を即座に後悔するものの、もう遅い。
「…?言うが、それがどうかしたか?」
嘘だ。
そう思ってしまった。その事で更に自己嫌悪が溢れ出した。
満ちる苦い思いを噛み潰し、「何でもありません。ありがとうございます」と頭を下げる。分かっている、嘘じゃない。この人はブライアンが同じ愚行をしていても確かにそう言うのだろう。
でも、違うんだ。
だって貴女は。
去って行く背中に伸ばす右手を、左手で必死に抑えた。唇を噛み締めて、そうするしか無かった。
「エアグルーヴ」
マルゼン先輩の声で我に返る。同時に、感情が抑えきれなくなった。
「先輩。私は会長に頼られているでしょうか」
「勿論よ。さっき本人が言ってたじゃない」
「私はそうは思えません」
失礼だと分かっていても、女帝を目指す身としてあまりにも無様だと分かっていても、もう歯止めが効かない。
「私は併走を頼まれた事がありません。ブライアンと違って」
「それは……」
「“皇帝”であるあの人と、釣り合いが取れてないと。そう思われているからです。違いますか?」
相応しいと心の底から思っているなら、頼って欲しかった。でも彼女が自身を戒める時、助力を乞うのはいつも私ではなくもう1人の副会長の方だ。
舐めるな、と叫びたかった。その胸ぐらを掴んで目に物見せてやりたかった。
それをしないのは、出来ないのは、一重に私が
「太陽でありたいのに」
母との約束だった。私の夢だった。
「私は友の笑顔に影すら落とし、憧れの背中も照らせない」
情けない。こんな自分を変えたい。
だからまず、あの背中を追い越したい。どこまでも前を行く栗毛の髪の、その前へ。せめて、彼女が走る目標に。
俯いていた視界が赤に包まれる。抱き締められたと分かったのは、一瞬遅れての事。
「納得は出来ないだろうけど、ルドルフにとって貴女は既に唯一無二で不可欠な存在よ。自信を持って」
「唯一無二?その他大勢の“被庇護者”とは違うと?」
「えぇ。実感は湧かないでしょうし、ルドルフ自身も分かってないと思うけど……とにかく、貴女の在り方は間違ってないわ。その先できっと、あの傍若無人な皇帝サマを見返すチャンスは来る」
「でも私は、たった今から変わりたい」
「その為に、まず貴女自身を大事にしなさい。スズカもそう思ってる筈よ」
敵わないな、と私は目を閉じる。この人の包容力には昔から勝てた試しが無い。
その証拠に、納得し切れてないのに彼女の言葉を受け入れている自分がいる。目の前の暖かさに惹かれ、私もまた彼女を強く抱き締め返したのだった。
〜〜
夕日が沈む。また今日という1日が終わる。
「スズカさん、今日はありがとうございました!」
隣を歩くスペちゃんはそう言った。本来なら、感謝をするべきなのはレースに向けた特訓に付き合って貰った私の方なのに。
「お陰で今日は充実したトレーニングが出来たわ。此方こそありがとうね」
「いえいえ!私も色んな事を学べましたし、いつか追いついてみせますから!!」
「ふふっ。楽しみよ」
…でも、その機会はいつになるかしら。
秋の天皇賞が終わったら、私は……
「牧路さんに相談してみようかしら」
「…へ?」
あら、どうしたのスペちゃん。こんな所で立ち止まって。
私、何か変な事言ったかしら?
「スズカさん、牧路さんとはもう大丈夫なんですか?」
「え?…あぁ、思ってたよりは大丈夫だったみたい。心配かけちゃったかしら?」
「はい……じゃなくて!それなら良かったです!!」
スペちゃんは私が苦しんでた最後の時期の事を知っている。牧路さんとテイオーさんが入部する直前には、その事でテイオーさんと少しギクシャクしてしまった事もあるようで。
私の悩みが招いたその事態に申し訳なさを抱きながらも、私の心は私が思っていたよりもどこか晴れやかだった。
「あの人は、私の人生を真剣に考えてくれてたんだと思うの」
「えっ…でも」
「うん、だから
ルドルフ先輩から聞いていた人物評。
エアグルーヴに聞いた指導内容。
私自身が彼と過ごした日々。
移籍した後から流れてきたリギルでの彼の動向。
どれも彼なりに、私達ウマ娘への配慮があったように思える。だから、私に突き付けた
ただ私は“今”走りたかった。そこの擦り合わせが、どうしようも無く足りてなかった。
…って事を伝えたつもりだったけど、スペちゃんは納得しかねた様子だった。何か言い方が不味かったかしら?
「…それにしたって、
複雑な表情を浮かべて頭を抱えるスペちゃん。ウンウン唸るその愛らしい姿に、思わずクスリと口角が上がってしまう。
「大丈夫よ。だって今はトレーナーさんがいるもの。 」
私に走る楽しさを思い出させてくれて、今も牧路さんを導いてくれているトレーナーさんへの感謝を胸に秘めて私は歩き出す。あの人がいたから私はまた走り出せた。
『走って、確かめて来たらどうだ?』
あの日、緑の風景の中で彼が言ってくれた言葉を思い出す。それだけで、胸の奥が爽やかな風に吹かれたように軽くなる。
彼の期待に応えたい。きっとその事が、牧路さんの想いを叶える事にも繋がると思う。
次のレースがその第一歩になれば良いなと思った。クラシック期は存在感こそ示せてたらしいけど、成績としてはあまりパッとしなかったから。
(宝塚記念。エアグルーヴに、勝つ)
私を受け入れてくれた友人。私を送り出してくれた大切な親友。
その瞳に、成長した私を見せつけたい。
そして。
(
私の為に、私を想う人達の為に私は走る。
「そういえば、練習後にトレーナーさんと何話してたんですか?」
「うーん…内緒」
「えぇ~!」
他陣営「ファッ!?ダービーであの大逃げとかマジかよスズカ、よく1着の娘は差せたな…」
↓
他陣営「1着の娘、無理した結果引退かい!自由にさせたら怪我を覚悟せんと勝たれへんってマ?集中デバフして減速させよ…」
↓
ウマ娘「デバフしたらスズカを負けさせる事は出来ても自分が勝てないんですけお!というかそもそもが強過ぎてデバフに割く労力と消耗がエグいんですけお!!」
他陣営「ほなデバフやめるかー」
↓
スズカ「なんか走るの楽やわー(大差勝ち連発)」
他陣営「」←今ここ
シニア期に移籍したアニメと違い、クラシック期に凱夏が手放したが故の事態ですね。マイルChSまでデバフ包囲陣が続いたので、成績こそ上がったけど実は勝ち数は殆ど増えてなかったりするんですが