「お父様は、凄いトレーナーなんですよ」
はっちゃける事を覚えたものの、気が付いたら休憩をほっぽり出してノートや参考書と向き合うクセはそのままな桐生院。そんなポンコツ娘の勉学へのモチベーションが気になったので質問したら、そんな返答が返ってきた。
「桐生院巌か?」
担当した代表的なウマ娘は、確かかのメジロアサマを下した菊花ウマ娘、そして名高きTTG世代の天馬。またそれに限らず他のウマ娘達も軒並み優秀な成績を収め、当時のメジロ家とは天皇の盾を巡って熾烈な戦いを繰り広げた事は、他ならぬ記録が雄弁に語っている。
…という自分の持っている知識を伝えると、目の前の箱入りお嬢様は「それも誇るべき点ですが」と前置きして無い胸を更に張った。
「お父様が育てたウマ娘の皆さんは、本当に楽しそうに走るんです。今も、昔も」
「今?」
「あっ、申し遅れましたがお父様と担当ウマ娘の方々は今でも交流があって、私も幼い頃によくあってはお世話になってたんですよ。その折に走りを見せていただいた事があるんですが、時を経てなお変わらない躍動感と自由さが目に焼き付いて…まるでお父様とウマ娘さんの絆が彼女の中に長く息づいているように感じられたなぁ」
「……」
「それで私も、そんな風にウマ娘を善き方向へ導いてあげれるような、そんな立派な人になれたら良いな…って」
まぁまだまだなんですけどね、私なんて。と、そう自重する桐生院を前に俺は少し思案する。なんの事は無い、自分でも予想以上に
「…まぁ、分かるぜ。俺も爺ちゃんとウマに憧れてこの道に入ったようなモンだからな」
「えっ、牧路先輩の祖父さんもトレーナーだったんですか?もしかしたら、父や当時のメジロ家のトレーナーさんとはライバル同士だったかも知れませんね」
「かもな」
共通の
そんな自分が、俺は心の底から大嫌いだ。
「なぁ桐生院」
「なんでしょうか?」
「尊敬してる人は、大事にしろよ」
「もちろんです!」
〜〜〜
『桐生院葵 70点』
「ぐぬぬぬぬぬ」
返ってきた小テストの結果を繰り返し眺めて、自然と漏れ出た唸り声。手応えは十分というか抜群だったのに、
「あーあ。桐生院ちゃん目を付けられちゃったね」
「あの先生、偏見キツイもんなぁ」
周囲の友達から慰め主体の愚痴が飛び交う。基本こういう場合でもまず自分の非を最優先で見つめ直そうと心掛けているつもりだが、原点箇所を見て何も否定出来なかった。
ウマ娘の心神耗弱時におけるトレーナーの対応、その個人個人の考察欄。そこを徹底的に突かれて一挙に3割の減点を喰らってしまっている。
「『参考書をしっかり読み直して下さい』って言われても…ちゃんと踏まえた上で自分の考えも入れてるんですけどね」
「だよねぇ。正直示された模範解答もおかしい所あるし、普通に桐生院さんの持論の方が正しいと思うわ」
「あの本って、結局先生の自著だからなぁ。なんだかんだでギリ及第点なんだし、無視でいいんじゃね?」
周りの友人達はそう言ってくれるけど、家の矜持を示す為にも出来る限り高得点は取っておきたい。が、やはりあの先生が掲げる理論は桐生院家の教えと反してどうにも……
…いやだって、『不調でも練習のゴリ押しでなんとかする、当人の調子はガン無視』って普通に考えて効率悪いですもん!
「そんなに悩むんなら、いっそ学生部あたりに問い合わせてみたら?」
「いや、そこまでの事ではないので…でもまた次の機会に、先輩とかに相談してみます」
「えぇー、先輩って牧路先輩の事?」
難色を示す友人に、私は苦笑で返すしか無かった。なんでも牧路先輩、どうやらこの校舎内での評判があまりよろしくないそうだ。
「良い人なんですけどねぇ」
「南坂先輩はともかく、あんな不自然な白色に髪染めてるんだもの、こっちは引いちゃうよ」
「成績も控えめに言って良い方じゃないし、桐生院さんが彼と交友ある事自体が割と意外なレベルだよ?」
…と、いう事だそうだ。
でも実際に彼は頼りになるし良い人だし、何より私をここまで外の世界に適応させてくれた人なのだ。彼・彼女らも、面と向かって話し合えば分かってくれると思いたい。
この人達だって、最初に私がつるんでた人達と違って真っ当に勉学に励む良い人達なんだ。そんな人達と一緒に机に向かうのは、牧路先輩や南坂先輩と行動を共にするのとはまた違った楽しさがあって、大切にしたい時間になっている。
……でも、躓きは進む道の各所で待ち構えている。楽しさにかまけて、私はその事を忘れていた。
それは、数日後の同科目の講義中での事。
「このように、ウマ娘育成において重要なのは情に揺れて妥協をしない事だ。生活の中心にトレーニングを据え、外出などにかまけている暇は無い」
先生が持論を展開し、板書に記していく。納得いかないながらも拾える部分を拾うべく、私はノートに書き込んでいった。
…だが、どうにも無意識の内に疑問と懸念が限界ギリギリまで溜まっていたようで。
「好調不調は気に留めるな、ウマ娘側の甘えに過ぎない。いずれ練習メニューに適応すれば、それが普通となり好調になる。全ては基礎的な能力を高め、レースの勝利のみを目指す事こそが最善に帰結する」
ここで、とうとう我慢が出来なかった。
「先生」
「…どうした、桐生院」
気付いたら挙手していた自分に、自分自身でも驚く。でも言い出してしまった以上は止められない。
「申し訳ありませんが、その理論は生体力学者ロマノフ=ウマーマンの論文によって否定されていた筈です。絶好調時と絶不調時で最大40%の効率差が生じるのは流石に無視出来ないのでは」
「…つまり、何が言いたい」
「生活の中心にトレーニングを据えるのは特に否定しませんが、外出などでウマ娘側に配慮する事は必要だと思います」
その一言を告げた瞬間、先生の表情が変わった。少なくとも、正面から見ていた私はそう捉えた。
「……君は、桐生院巌の息女だったな」
その日、結局私の問いに先生は答えなかった。代わりに返答はまた別の形で来た。
まず、課題の量が増えた。総量、そして解くのにかかる時間を踏まえると総計3割増し。この事に際し、私は他の受講者に謝って回った。
そして私の提出した物だけが、必ずと言って良いほど再提出の烙印を押される。課題に関わる時間が加速度的に増え、生活を圧迫する。
「おかしいって。桐生院さんこれマジで訴えた方が良いよ。謝罪行脚した時だって、他の皆も桐生院さんに同情的なんだしさぁ」
「いえ。これは…私と彼の問題なので」
「でもアイツ、あれから葵ちゃんにだけ一言も口利いてくれてないじゃん」
友人の言う通り、先生はあれから私と面と向かってくれない。教員室のドアを叩いても、応答は無かった。
だから今は我慢の時だ。彼がお父様の名前を出した以上、そこにはお父様に帰結するなんらかの原因がある。桐生院の名を継ぐ者として、父祖の栄光を継ぐ者として、そしてお父様を尊敬する者として、その訳を彼自身からハッキリと聞き出したい。誰の手も介さない、“巌の娘”であり、かつ“一人前の個人である葵という女性”として。
先生との駆け引きは3ヶ月にも及んだ。いつの間にか噂が校内に広まっていて私も、そして恐らく先生もお互いに居心地が悪くなってくる頃合い。牧路先輩や南坂先輩も心配されたが、大丈夫ですと断り続けている内に看過され始めた頃合い。
事態が動いたのは、ある試験結果が返却された時の事だった。
「……嘘」
前と同じように、理不尽な減点が為されている答案。
前と違うのは、それが成績に直接影響する物だという事。
「えぇ……」
「乱心したのか先生」
「これは洒落にならないぞ」
周囲の声が私に突き付ける。先生は、もう私との議論のテーブルに就くつもりは無いのだと。
所詮一学生が対等の位置につこうと思う事自体が誤りだったのか。でも、だとしても、この仕打ちはあんまりではないか。今までこんな致命的な事をしなかったのは、最後の一線は弁えている事の証明だと思っていたのに。
「桐生院さん…これもう無理だと思う」
「…うん。ただ、少し1人にさせてください」
周囲からの注目を背に浴びながら、1人教室を出る。先に出て行った先生の姿はもう廊下に無い。
「……はぁ」
あまりにも滑稽な結果に、自嘲のため息が漏れた。友人が前に勧めてくれたように、これはもう学生部などに不服を訴えるしか無いだろう。もしそうしなくても、いずれ噂が駆け巡ってお父様の耳にも届いてしまう。
もちろん、そうなれば隠しようの無い大事になる。私は結局ただの生徒ではなく桐生院家の娘であり、そんな生徒の待遇を意図的に疎かにしたとなれば、先生の処遇は厳しい物になるだろう。きっとお父様は彼を許さない。
だから、一生徒の領分で済む内に一定の決着と和解を図りたかった。
「……身の程を弁えるべきでした」
どう足掻いても、私は桐生院の権威の庇護に守られてしまう。これで独り立ちなど、あまりにも遠い夢物語だったという事か。
こうなるならば、最初からあんな質問しなければ……
「…っ、」
途端、目が眩む。動悸した鼓動が脳に伝わり、視界が黒に染まる。
(あぁ…ーーーそういえば、最近また眠ってなかったっけ)
また先輩達に怒られてしまうな。そう思いながら、せめて怪我しないように手を前にして倒れ込んだ。
「相変わらずバカの極みだなぁ、お前は」
あ、牧路先輩。
ごめんなさい、私ーーー
「黙って寝てろ。後は、」
俺が収めとくから。