お祝い……? 珠ちゃんに巻き込まれてもらいましたが、珠ちゃんと若葉お姉さんはけっこういいコンビになる気がするんですよ。
新緑の谷を爽やかな風が吹き抜ける。日下部若葉と脇山珠美の細い脚はそのよく冷えた手に揺らされて、少なからず鳥肌を立てた。
「うえっ、高い」
珠美が口を真横に開いた。二人は吊橋の上にいる。歩道の手すりの、柵が取り払われて開放的になっているところは人気のスポットだ。そこだけ橋の向きと平行に赤い板がとりつけてあって、座る箇所を指示するお尻のマークが白く塗られてある。そのマークにすっぽり収まって二人はいま、細い手すり(橋の手すりの支柱でもある)を握りしめている。頼りなく宙を泳ぐ自分たちの靴のはるか下、山の緑に染まった渓流がとうとうとしぶきを上げるのが見える。二人でピクニックシートを広げてサンドイッチなど食べたらさぞ素敵そうな、平たい大岩は小指の爪よりも小さい。
「す、スタッフさん? 地上何メートルでしたっけ?」
若葉は隣に立つ若いスタッフを見上げた。初夏の真昼の太陽を野球帽がさえぎって、その顔はまったく黒くしか見えない。
「川面から八〇メートルです。主塔のてっぺんが吊橋の橋面から三〇メートル」
さっき見た大岩を八〇メートルの眼下に探して、若葉の重心が揺らぐ。腰掛けている吊橋の橋板を両手でつかみ、のけぞって、少し深く座りなおした。長さ二メートル弱、幅は五〇センチのちょっとしたベッドほどの板の厚みは四センチ。つかんだ指先が不安そうに橋板の裏面を撫でる。
「八〇メートルって私何人ぶんだろう……」
「はちじゅうわるいってんご……えー……いってんご……?」
二人は天を仰いだ。彼女らのふとももよりも太いであろうメインケーブルが青空を端から端へと数学的なカーブをゆるやかに描く。若いトンビだろうか、四角い翼を広げて静かに青空を滑っていくのが見えた。メインケーブルからは等間隔に、重力の向きを示すように、ハンガーケーブルが何本も吊橋の手すりと歩行面へ伸びている。
「四〇倍すると六〇だから~……引くと残りが二〇で」
「一五を引いて残り五、五割る一・五はだいたい三……あわせて三三人ぶんですね!」
から笑いが広い谷に吸われて消える。自分を三三人積み上げたより少し高いその景色を見れば、若葉の声は笑いというよりも溜息に近づいていく。ときわ色の靴のなかで足の指を曲げて伸ばして、口許と太い眉毛を波打たせた。
「く、靴、落っことしちゃいそうで足の裏がムズムズしません?」
口を半開きにトンビの航跡を追っていた珠美が、水を向けられて身を跳ねさせた。
「ぎゃああっ」
おなじ板に座っている若葉のほうがその振動をもろに受け、細い支柱を手首に腱を浮かべて握りしめる。平謝りの珠美も、震える手で支柱をしっかりとつかんで離さない。
「げ、現実味があるんだかないんだか……。ぼうっとしておりました……」
「い、いえ~。私も珠美ちゃんのようすぜんぜん見てなかったから、変なときに声かけちゃって~……」
「ええと? それでなんでしたっけ? 足?」
「そ、そうそう。足がムズムズというか、ソワソワというか~」
「ああ~、たしかに。靴がかかとからスルッと脱げてそのまま……みたいな感じですよね!?」
「そうそうそう、なんか、ねえ~……」
「はいー……」
笑いきれない二人の視線はたがいの鼻先からしだいに重力に引かれていく。陽光を受けて、小石ほどに見える大岩の連なりが白く光る。爪先のしびれのようなものが脛の骨を伝って膝をくすぐる感覚。ただでさえ内股に座っている二人は、それぞれに膝頭を強くすり合わせた。
「ふ、吹割の滝見に行ったときは、こんなに怖くなかったのにな~……」
吹割の滝は若葉の出身、群馬県にある名瀑である。日本では珍しい形状の滝を間近で見られる滝見台やすぐ上流にかかる吊橋など、見ごたえのあるスポットに富む。
「そうだ、珠美ちゃん、クイズ!」
「クイズですか!?」
「クイズ!」
気を紛らわせられればなんでもいい。ふと口からこぼれた名前から、若葉は強引な雑談をはじめた。珠美も渡りに船と……それがどこ行きであろうと、離れて構えるカメラや撮影スタッフたちが撮れ高じゅうぶんと判断してくれるなら、飛び乗るしかなかった。
「吹割の滝には異名があります! なんでしょうかっ」
「ええっ、ひ、ヒントとかありませんかっ!?」
「え、ひ、ひんと? うーんと、ううん、“東洋の”……なに?」
「東洋の!? し、神秘?」
「ブー。じゃあ~、三択にしましょう。東洋の、A.イグアス、B.ビクトリア、C.ナイアガラ」
「習いましたよそれは! 世界三大瀑布ですよね! すごいですね、そんなのになぞらえられるだなんて~」
ただ座っているだけでは絵的に地味だろうと思ったか、珠美は片手を大きく振り、上半身をオーバーに動かす。もう片手はしっかりと支柱を握りしめたまま。それをミラーリングして回答を待つ若葉も、体を左右に揺らして動きを作る。撮っているカメラマンたちは“そんなに怖がらなくてもいいのに”と苦笑いである。
「わかりました! C.のナイアガラ!」
「正解です! 拍手~」
小さい手を三回叩いて、若葉は悲鳴とともにまた手すりにすがりついた。
「危ない、危ない……」
「若葉殿、しっかり、しっかり……」
呼吸を整え、視線が万緑を映す鏡へとまた吸われないうちに、こんどは珠美が指を立ててクイズを出した。
「九州には七つの県があって、真ん中あたりにあるのは熊本県です」
「ふんふん」
「その熊本県とお隣同士じゃない県はどこでしょう!? A.わたくしの佐賀県、あと、B.熊本のライバル・福岡県に、C.芳乃殿ご出身の鹿児島県」
「むむむ~これは難しい……と見せかけて佐賀県!」
「おっと正解! ご存知でしたか」
「うっふっふ、珠美ちゃんが選択肢をいうときちょっと悩んでたから、そっちから推理したんです」
得意げに胸を張っても心の命綱たる直径三センチの鉄の棒は離さない。頭にしまいこんだ知識の海から次のクイズを引き揚げようとする若葉のうしろで、先の野球帽のスタッフが身をかがめた。初夏の陽射しに冷や汗を光らせる二人の背中を彼は検めて、さらにうしろへ合図を送る。
「そろそろいいですかね? 最終チェックOKですー」
「あっ、待って、私って一四八センチだから、三三人ぶんじゃなくてもうちょっと必要かも」
「あ、ああ~……。計算しなおしてみますか?」
突然ですがクイズです。
この小話のオチは?
A.VRだった。
B.プロジェクションマッピングだった。
C.あとでクロマキー合成をするためのセットだった。
「はーいそれでは打ち上がりまーす。いってらっしゃ~い!」
「ギ」
二人の絶叫ははじめの一音だけ橋上に残って、あとは初夏の色彩のなかに吸われていく。正解はD.座った橋板が手すりごとハンガーケーブルに沿って跳ね上がり、川面スレスレへと落ちていく、新しいフリーフォール施設だった。
(了)
※pixivにも同じものを投稿しています。