「ここはもうダメだろうな。にしても派手にやったな」
飛び散ったガラスの破片を踏みしめる音。
「まあいきなり噛みつかれそうになった時は何かと思ったけどな。まさか、そんなはずはねーけど念の為だな」
振り向きぺっと吐いた吸い殻が正面玄関の冷たいガラスにタッチする音。
「多分医者の連中は全滅だろうな。俺はさ、長年交番勤務で前年奇跡的に昇進したけどもう次はないと思ってたよ。今日まではな」
「看護師が何人生き残ってるかだな。お前さ、考えたことあるか? 映画がリアルになるって」
「あるわけねー。同期のお前や死んだあいつは昔から映画好きだったから気づくのが早かったな。あの薄気味悪いのがアレだって」
「今どき気づかねー方がどうかしてる。映画も漫画もアニメも小説でさえ氾濫してマンネリ化してる王道中の王道だろ。俺はここの受付が急に変な受け答えになってからだ。気付いたのは。お前は?」
「いーだろどっちでも」
「教えろよ」
2人の警官の足音が静かな病院内に響き渡る。
「最初に患者の1人が医務室で騒ぎを起こした。あの駆け付けた時からだよ。まさかもう」
苦虫を噛み潰す音。
「ああ、ほぼ全員感染してたなんてな」
「俺たちはどうだ? 俺の何かに異常はないか?」
「噛まれてねーだろ。でも早かったなあいつ」
「ああ。ヒョウみたいだった。撃ち抜いたのが頭じゃなかったら今頃俺は」
「外部の連中はもう気付いてるだろうな。あれからだいぶ経つし、さっきからメガホンがうるせえ。おかげで何人か逃がした。どうするよ? 外の奴らに投げるかアレ?」
頬を張る音。
「舐めるなよ。俺たちはこれでも警察官だ。ここで食い止めたら俺達は時代に名を残す英雄だよ。弾は幾つある?」
「あと2発ってとこだ。そっちは?」
ハンカチで汗を拭いている。
「……同じだよ。おい、今聞こえたか」
「何」
直後、ぎゃあああああああ、と喉が壊れんばかりの悲鳴が轟く。
「来たな。最後の1人かもしれん。抜かるなよ」
「わかって……お、おい!?」
複数。かなりの数の足音が階段を降りてくる。
「やべえな。どうする」
「逃げねーんだろ。さっきメスを持ってきた。こいつなら弾切れはねえ」
「あ、ああ。おい。わかってるな」
溜め息が連鎖する。
「わかってるよ。仕方ねーよ。こうなったらな」
直後凄い勢いで玄関周りの備品が次々と床に投げられていった、音がした。
「やべえ」
異常知覚は全てを捉えていたが、しかし厳密に何がどうやばいのか。言葉にできない。
機動隊が焦れて声を張り上げた。電信は不通なのだろう。
『ただいまより、最後の応答がなければそちらに強行突入する。これが最後の質問になる。そちらで何が起こっているか、迅速に!』
直後だ。また例の獣の雄叫びの様な声が轟いて、ついでに男の悲鳴が数回に分けて響き渡る。
外の方がむしろ静かだ。出方を伺うように、見守っていたが、やがて中も静かになった。
俺はその間に裏手に回れないかと反対側を覗き込もうとしたが、建物に阻まれているうえに裏は庭に沿う様にそれなりの高さのある崖になっていたのを思いだす。
「俺帰るわ。飽きた」
「あたしも」
「帰って洋画でもみるわ」
あくびをかきながら帰り出す野次馬もいたが、それでもまだそれ以上の数が様子を伺っている。警官ももう大分長い様で、何人かはパトカーで別の事件現場に引き上げて行ったが、それでも多い。
俺は迷って、少し遠巻きに彼らを眺めることにした。
ガードレールに手をついて、道の端ギリギリで観測する。
何故みていたのか。ただの野次馬じゃない。
無関係ではないと思った。
泥棒の件もそうだ。しかし少し前に俺が告白した合コンの彼女。途中から様子が変だった。酒も飲んでないのにふらついて言葉が変でそのまま倒れて救急車だ。
名前は覚えてない。でも別の名前なら覚えている。丁度連れて行かれたのがこの病院の名前だった気がした。
思い出したのだ。あの時、俺は彼女の食いかけの食事やドリンクを。
不意に顔を上げる。悲鳴。
何かと思うや、機動隊が突入したらしい。
しばらく眺めていたが発砲音が何度か鳴り響き、残りの警官も中に入っていく。
『多分大丈夫だろう。いつまでもここにいても仕方がない』
俺は観測を止めて帰宅した。
色々あり過ぎたからかもしれない。帰りの街の風景がややくすんで見えた。
帰ってすぐにテレビをつけたら、ニュースであの事件の続報がやっていて、暴れていた医療従事者他患者や警備員、駆け付けた警察官の鎮圧に成功したと話していた。
しかしどうにも説得が難しい程の何らかの薬物かウイルスが彼らに作用して拘束に命の危険があるとみたらしく非合法的に動物に使う麻酔銃を人間に使ったそうだ。
たかが素人が暴れている程度で、とも思ったが。
俺は携帯の暗い画面に映り込んだ自分の姿を見ながら、かぶりを振った。
その日は夜になってカップラーメンを食べてそのまま死ぬように寝た。