個人的にアグネスタキオンのトレーナー氏は、文系の人でも面白いなーと思っています。
ハチワンダイバーで一番好きな棋士は二こ神さんです。
それはとある平凡な休日の午後の事だった。
トレセン学園のフリースペースで、パチンパチンと乾いた音が響いている。
「ほいよ、これで詰み」
「あああっーんな所にと金が!」
一際パチンと小気味のいい音が響いて、エアシャカールは頭を抱えた。
彼女の目の前に置かれているのは将棋盤と駒だ。
「にっひっひ。これでアタシの3連勝だな」
そのエアシャカールと盤を挟んで笑っている、芦毛で長身のウマ娘ゴールドシップ。
どうやらエアシャカールと、将棋に興じていたようである。
「なんで、なんで勝てねぇ!将棋の“ロジック”は掴んだはずなのに」
「論理だけじゃ勝てねーんだろうよ。81マスに潜らねーと」
缶の人参ジュースを飲みながら、ゴールドシップは事も無げに言う。
学園きっての秀才、エアシャカールを3タテするとは彼女の実力は中々のようだ。
「何を意味がありそうでない事を、仰ってますのあなたは」
横のテーブルに座っていた、メジロマックイーンが呆れている。
ちなみに彼女もエアシャカールの前に、ゴールドシップに挑戦しあっさりと敗れている。
「はぁ?何言ってんだアンタ、バカにしてんのか?」
「まぁまぁシャカール君、しょせんただのゲームだろう。カリカリするのは止めるんだ」
そう言ってエアシャカールの肩を叩いたのは、アグネスタキオンだった。
「うっせぇなぁ!大体なんでこの将棋ってゲームは取った相手の駒を使えるんだよ。捕虜虐待じゃないのか?」
タキオンの手を払いながら、シャカールは将棋の駒を数枚掴んで嘆く。
「いや、違うぞエアシャカール。かの故升田幸三名人は、GHQ高官に同じような疑問を呈され……」
「あー、いらないいらない。そんな豆知識誰も聞いてやしないよトレーナー君」
なにやら蘊蓄を語ろうとしていた、自分のトレーナーをタキオンは制した。
「文系は話が回りくどくていけない。要するに取った駒を使えるのが将棋と言うゲームの肝って事だろう。そうでなければチェスと大差ないからね」
「…そうやって身も蓋もない言い方で、物事を無味乾燥に捉えるのが理系の悪い癖だ」
「それはアイロニーかい?文系代表のつもりならもっと、ウィットの効いた物言いをしたらどうだい」
「お前ら、うっせえ!揉めてねえで次指せよタキオン!」
「いいぞいいぞー、ゴルちゃん名人は誰の挑戦でも受けるぞ」
ゴールドシップとエアシャカールに、視線を向けられたアグネスタキオンだったが首を横に振った。
「私は実験の合間にここに立ち寄っただけだし、将棋について大した知見もない。ゴールドシップ君の相手にはならないさ」
「なんだよーつまんねーなぁー。タキオンのトレーナーは将棋できねーの?なんだか詳しそうだったじゃん」
「俺か?駒の動かし方ぐらいしか知らないが…」
恥ずかしそうに言うトレーナーと、ため息をつくタキオン。
「そのレベルで蘊蓄を語っていたのかい?恥ずかしくないのか君は」
また2人の間で口論が始まるかと思ったその時、歩み寄る一人のウマ娘がいた。
「へぇー、なんや駒を打つ音が聞こえる思たら、やっぱり将棋かいな。珍しいなぁ」
「タマモクロス先輩」
芦毛の髪に、小さい体。分かりやすいと言えばこれほど分かりやすいシルエットもない。
「将棋、出来るのですか?」
「おうよ。ガキの頃近所のおっちゃん達に、随分仕込まれたもんや」
ずんずんと近づいてきて、駒を拾い上げまじまじと見つめるタマモクロス。
「まあ、こんなええ駒やなかったけどな。もっと汚ったないのでやっとったで」
「へぇ、年季が入ってるんだな。タマちゃん先輩」
そうタマモクロスの顔を見上げながら、言うのはゴールドシップ。
「ちょっとゴールドシップさん!失礼ですわよ」
「まあまあ、アタシの120万ドルの笑顔に免じて許してくれよ。それよりも、タマちゃん先輩暇なら一勝負やろうぜ!」
尻尾を左右に振りながら、笑顔でタマモクロスを誘う。
だがその笑顔はどちらかと言うと、新しい玩具が来て喜んでいる子供の物に近い。
「はっ、相変わらず口の悪いやっちゃなゴルシ。まあええで、相手したるわ」
「よっしゃ。決まり決まりっ」
嬉々として駒を並べ始めるゴールドシップ。しかしその時タキオンはその場に背を向ける。
「ん?タキオン、見ていかないのか?」
「ああ、興味がないわけではないが、実験結果の取りまとめがあるからね。君も気が済んだら戻ってきなさいよ。君がさっき飲んだ薬の評価もしたい」
そう言い残し、アグネスタキオンはフリースペースを後にした。
「よし、準備できたし始めっか」
「あ、ちょい待ちゴルシ」
ゴールドシップを手で制すタマモクロス。
「ん、なんだよ?」
「ただ勝負してもつまらんやろ?いっちょ賭けへんか」
ニヤリと笑ってタマモクロスは言った。
「おい、タマモクロス、ここで賭け事は……」
「ちゃうちゃう、金も物も賭けへんて」
「話が見えませんわね。一体何を賭けますの?」
タマモクロスの真意が分からず皆不思議そうな表情になっている。
「……なるほど、“プライド”を賭けようってのか」
「察しがええなゴルシ。ウチ、あの時の屈辱覚えとるで」
何かが通じ合ったかのように笑い合う2人。
「屈辱?アタシ、タマちゃん先輩に何かしたっけ?」
「とぼけんなや。ウチに幼稚園のスモック着させたくせして!」
あっという声がして、皆の脳裏に浮かんだのは、いつぞやの“金船障害”。
確かにタマモクロスはあの時、ゴールドシップからスモックを着させられた。
「あ~あ、あの事まだ気にしてたのか」
「忘れいでか!あの後なぁ、本物の幼稚園児に『おねえちゃん、わたしたちおんなじだったんだね!』って言われたウチの気持ちが分かるか!」
なんとも微笑ましい光景だなと、その場の皆が思ったが口に出せる者はいない。
「あん時のお返しや!、アンタが負けたらウチと同じスモック着て、アンタのウマチューブチャンネルで配信せい!」
かつてオグリキャップと争った天皇賞もかくや、といった気迫を見せるタマモクロス。
しかしゴールドシップも負けていない。涼しい顔で言い返す。
「良いぜ、タマちゃん先輩が勝ったらな」
「良い度胸や」
「だけどもし、アタシが勝ったら……今度はベビー服を着ておしゃぶりつけて、アタシのチャンネルに出て貰おうか?セリフは『ばぶ~』だけだ」
空気が固まる。タマモクロスの顔から一瞬血の気が引いた。
「ご、ゴールドシップさん!あまりにもそれは…」
「…かまへんよ、メジロマックイーン。いい“返し”やゴルシ、ほな始めようか。この3人が証人や」
タマモクロスが歩を五枚握り、盤上に振り落とす。
と金が3枚。先手はゴールドシップだった。
「「おねがいします」」
2人の張りのある声が響き、対局が開始された。
(どっちもすげえ気合いだ……まるでG1レース並みだぜ)
(レースでもいつもこれぐらい真剣なら、もっと勝てますでしょうに…)
2人の闘志と気迫に、見ている3人はやや圧倒されていた。
「…へぇ、右四間飛車かいな。それもやり慣れとる、得意戦法やな」
序盤の組み立てを見て、タマモクロスが感想を述べる。
「ああ、アタシの好きな手だ」
「イメージ通り攻め将棋って訳やな……でもな…!」
組み上がっていくゴールドシップの攻めの陣形に対し、タマモクロスはそれを受けるべく陣形を組む。
「やり合わないのかよ、タマちゃん先輩」
「ウチは受け将棋が好きでなぁ。受けきって潰したらウチの勝ち、突破したらアンタの勝ち。シンプルでええやん」
共に不敵に笑う。どちらも確かな自信が見て取れる。
「大丈夫ですの?これ、右四間を止める定跡に入ってませんこと?」
「定跡ぃ!?そんなもんかんけーねぇ!定跡で勝てるほどレースも将棋も甘くねぇ!」
定跡破りは得意中の得意。ゴールドシップが力強く駒を盤へと叩きつけるように置いた。
場を切り裂くようにバチィィンと駒音が響いた。
「うぉっ!?」
「すっげぇ音だな。そんなに強く置く必要あんのかよ?」
驚くエアシャカールとアグネスタキオンのトレーナー。
「良い音や。良い音させて指す奴は強い……おっちゃん達は言っとった」
負けじと今度はタマモクロスが強く駒を置く。
「そっちこそいい音だぜ、タマちゃん先輩」
「へっ、おおきにさん」
勝負は序盤戦から中盤戦へと移行していた。
ゴールドシップは得意の右四間飛車の戦形で、タマモクロスの堅陣へと果敢に攻撃を仕掛けていた。
定跡に逆らいつつも、ゴールドシップの攻めは続いていたが、どうにも手ごたえが薄かった。
「やるやん、力将棋って感じで……けど、力押しでウチの玉は捕まらんで?」
そう言いながら、タマモクロスは自身の玉の前の銀を一つ前へ出した。
(早逃げ!?いや、アタシの狙いに気がついている?)
ゴールドシップの狙い。それはタマモクロスの堅陣へ攻撃を仕掛けつつも、角交換を挟み逆方面からの飛車角香を用いた一気寄せ。
しかしタマモクロスの手はその狙いに気がついているような一手だった。
「こっからモノをいうのは、どっちの読みが深いかや」
「くっ!」
バレている恐れがある以上、一気寄せに走るのは危険。そう判断し、ゴールドシップは桂馬を動かす。
「その桂は…甘いで!」
「ぐぅっ!?」
俗に将棋で言う『攻めを責める』一手。タマモクロスが持ち駒の歩を、ゴールドシップの銀の前に打ち込んだ。
それは揺れていた勝負の天秤を、自分の方へと引き寄せる一手であった。
「おぉ~こりゃ、俺でも分かるぞ」
「ああっ、最終コーナー前に、態勢崩れちまったって感じだな」
「どうしますゴールドシップさん、スモックを用意しておきます?」
「う、うっせぇ!まだまだだ!」
闘志はまだ揺るぎないが、盤面ははっきりタマモクロス優位。
ここからの逆転するには、並大抵のことではない。
(くっそ!このままじゃ負ける!読むんだもっと……もっと、深く潜る様に………ん?潜る?)
『81マスに潜らねーと』先程自分が何気なく言った、他愛のない一言。
だがその一言が天啓のように、ゴールドシップの脳内を駆け巡る。
「どうしたんや、早よ指してぇな。それとも投了か?」
「………潜る。この将棋盤の奥の奥まで…!」
その時にゴールドシップには将棋盤がまるで水面のように見えていた。
「ああん?なんやて?」
「……………ダイブ!!!!!」
突如の大声。見ている3人だけでなく、さすがのタマモクロスも驚いて転びそうになった。
「な、なんや一体?突然大声出しおって!」
「ああ、悪りーな。タマちゃん先輩の番だぜ」
ゴールドシップの言うように、既に彼女の手番は終わっている。
(な、なんやこいつ、雰囲気変わったな)
だがこの後輩の奇行などいつもの事。と気にも留めずすぐに目の前の勝負に集中する。
幸い勝ちへの道は見えている。中盤で手にした確かなリード。それを守れば勝てる……筈だった。
勝負を再開して、手番が何度か回った時、タマモクロスは別の違和感を覚えた。
(なんや、この感じ……ゴルシの将棋が…変わった?“攻め”の厚みが、これまでと全然ちゃうやん!)
ゴールドシップの手が伸びる。さながら彼女の得意なレース展開のように。
許したリードを取り返す勢いで、タマモクロスの堅い守りを一つまた一つと剥がしていく。
「…なんやねん、末脚残しとったとでも言うんかいな」
「いや、潜っただけだぜタマちゃん先輩」
そして角が切り込んできた時、明らかに顔色を変えた。
「う、嘘やん!ウチが捕まるっちゅうんか!?」
「途中で勝った気になって読みが浅かったんじゃねーか?タマちゃん先輩、ベビー服が待ってるぜ」
さほど感情をこめずに、ゴールドシップが告げる。
しかしタマモクロスの闘志は、まだ萎えてはいなかった。
「………なめんなや、ウチかて追い込みは得意やっちゅーねん!」
「へへっ、そうこなくちゃな。マックイーンッ!」
ゴールドシップが手元の人参ジュースを飲み干し言う。
「あと10本」
「『あと10本』?」
「人参ジュースを頼む!!」
「…やですわ」
「そうか」
意地と意地とがぶつかり合う最終盤戦。盤面はどちらが勝ってもおかしくない状況。
しかし熱い勝負の横で、一つの異変が起こりつつあった。
「すげえ勝負だ。まるで日本ダービー……ん?」
その異変に最初に気がついたのは、エアシャカールだった。
「お、おいアンタ光ってんぞ?」
隣にいるアグネスタキオンのトレーナーがボンヤリとだが光を放っている。
「んん?ああ、またか」
トレーナーは指摘され自分の体を見るが、さほど気にした風でもない。
自分の体が発光するのに、慣れているとでもいうのだろうか。
「またかって……」
「いつもの事だ。騒いで勝負の邪魔になるのはよそう」
「そ、そうおっしゃいますけど……これは…!」
メジロマックイーンが慌てるのも無理はなかった。
トレーナーの体から発される緑色の光は、徐々にだが確実にその強さを増しているからだ。
「ん、確かにこれはいつもと……!?」
「ヤベぇんじゃないのか?これは」
そう思った時にはもう遅かった。トレーナーから放たれる光は既に目を眩ませるほどになっていたのだ。
勝負に集中していた2人もさすがの事態に気が付くが、光はますます強くなってついには目を開けていられなくなった。
「な、なんやねん!?これは!」
「なにも見えねぇぞ!」
まるで緑の闇に包まれたように、部屋は強い光で満たされている。
「そうか…ウマ娘とは…進化とは…こんな簡単な事だったのか…!」
「何を言ってますの!?ゴールドシップさん」
後のこの事件は『トレセン学園謎の大発光事件』と言われる事となった。
「――それでそれからどうなったんだい?」
「将棋盤はひっくり返るし、他の生徒やトレーナー・職員が入ってきて、もうメチャクチャだった」
「それは騒動だったね」
「簡単に言ってくれるな」
溜息をつきながらトレーナーは答えた。
「ゴールドシップとタマモクロスの決着は、また日を改めてという事になったらしい」
「ふむ、大変興味深いね。いや、将棋じゃないよ。それほどの光が君から発せられるとは……観測しておくべきだったよ。実に惜しい事をした」
本気で悔しがるアグネスタキオンに、トレーナーは苦い顔で告げる。
「残念がるのもいいけどな、タキオンこれを見ろ」
そう言ってトレーナーが2つの書類を取り出した。
「それは?」
「こっちは俺の始末書。それでこっちがお前の反省文。明日まで提出だと」
「……やれやれ、これで通算何枚目かねぇ」
苦笑するアグネスタキオン。
(しかしあの感覚は何だったんだ…?光ってる時の、まるで宇宙の真理を理解したような……忘れてしまったけど)
「どうしたんだい?ボーっとして。早く書いてしまおうよ。君は文系だけあって文章を書くのは、上手いだろう」
「あ…いや…そうだな」
これはアグネスタキオンには言えないなと思いながら、トレーナーは始末書を書きだした。