レースにはスタートとゴールがある。スタートダッシュの時点で1位でもゴールした時にはどうなっているか分からない。それは逆も然り。スタートダッシュで出遅れても、最終直線において誰よりも前に早く走っている時もある。
結果を重視するか、過程を重視するかでレースでの作戦は決まるのか。否である。レースで走るのは選手であり、ウマ娘たちだ。彼女たちの持つ脚質によって、レース展開は先行、逃げ、追い込み、差しに分けられる。トレーナーの指示によってはレース状況に合わせて自在といったものも存在する。
では、どのレース展開が1番勝利に近いのか、それはウマ娘の実力やコンディション、天候、バ場といったさまざまな要素に左右されるため、誰にも分からない。明確な正解がないということは、どのような選択肢をとっても正確になるということなのである。
逆説的に、自分にとって確固たる正解を持ち、それを信じて突き進む信念がなければ勝ちは拾えないのだ。だからこそ、先頭の景色は譲らないとされる逃げのサイレンススズカは誰になんと言われてようとも自分の信じた走法と技術を信じていた。しかし、独学では限界があることを彼女は知っている。
「わぁ! やっぱり速いですね!」
「あぁ、間違いねぇ。あのスピードはウマ娘の中でもトップクラスだ」
「けど、トレーナーが居ないんじゃな。宝の持ち腐れだろ」
「学生のうちはウマ娘1人じゃレースに出れないもんなぁ」
無口で物静かな雰囲気を纏った、不思議な透明感とどこか影のある憂いを秘めたクールな美少女がトレセン学園のグラウンドを駆けている。空を瞬く間に駆ける流星のように、スレンダーな体型で他の追従を許さない走りを見せる彼女に心を奪われる者は多かった。
走ることだけを生き甲斐に大地を踏みしめる彼女へのトレーナーや世間、さらにはウマ娘達からの羨望、嫉妬、尊敬、期待は大きく、まさにウマ娘界のレジェンドに名を連ねる日も近いと謳われていた。
だが、そんな彼女にも悩みの種というものはある。それはトレーナー不在のためにレースに出ることが出来ないからというものではなく、非常に単純かつ明快なものであった。
「タイムが縮まらない……!」
他のウマ娘の倍近く練習しているというのに依然として変わらないタイムに彼女は憤りを感じていた。やはり、トレーナーがいなければ変われないのだろうかという焦りも出始めていた。このままでは、レースに出られるようになったとしても先頭の景色を独占することは出来ないとスズカは肩を落とす。
自分に合う、というよりは合わせてくれるトレーナーが見つからず、来年になるまで新しいトレーナーが来ないうちはレースに出ることが出来ないだろうと判断したスズカは1人で練習メニューを組み立て、実行しているが、どうにも結果に結びつかない。
練習でこのタイムだと、他のウマ娘も走っている実際のレースではもっとタイムが伸びてしまうのでは? そんな不安がスズカの脳裏を過ぎる。どうすればと落ち込みながら歩いていると、寮の横に掲示されたポスターに目が止まる。
「肉のお兄さんによる、悩み相談室……?」
そのポスターには、おそらく学園の理事長秘書である駿川たづなが書いたのであろうポップな字と先日新しくやってきた肉のお兄さんことトレーナーがかなりムキムキに誇張されて描かれている。壇上に上がっていた街雄と紹介されていたトレーナーは顔はポスターの絵通りだが、こんなに筋肉質ではなかったはずだとスズカは首を傾げた。
多分、みんなの興味を引くための表現なのだろうが、まるで世界最高峰のボディービルダーの身体に街雄鳴造の顔だけをくっつけたようなアンバランスで非現実な絵にスズカは困惑した。
しかし、ウマ娘を誰よりも愛した理事長が自分たちのために呼び寄せた男だ。何かしら今の自分の悩みを解決する手立てか、あるいはきっかけを与えてくれるかもしれないと考えたスズカはすぐに訪れることにした。
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「なるほど! 話はわかったよ!」
そうと決まれば、すぐに実行するタイプのスズカは鳴造のいるトレーニングルーム(一応教室)に行き、彼と出会うと自分に専属のトレーナーがいないということは伏せて、自分の抱えている悩みを吐露した。
「今よりもっと足を速くしたいんだね」
「はい、何か方法はありますか?」
「うん、そうだね。それじゃあ、レッグカールをやってみようか」
「レッグカール?」
聞き慣れないトレーニングにスズカは聞き返すと、鳴造は彼女をレッグカールマシンの方へと案内した。
「これが……足を速くするトレーニング?」
「そう、これはライイングレッグカール用のマシーンだね」
スズカと鳴造が見つめるその先には人、1人が寝ころべる位の黒い板が屈折した形で複数の鉄の棒に支えられており、側面にはブロック状の重りが見られる。頭が来る方向にはゴムグリップのついたハンドルがあり、足を置く方にはトイレットペーパーのような形をしたスポンジが取り付けられている。
「レッグカールっていうのはウェイトトレーニングの基本的種目の一つなんだ」
と、筋トレ講座に入る前に鳴造はどうしてレッグカールをやるのかという説明に入った。
「人間の筋肉において、走る時に最も重要な筋肉はハムストリングス。通称アクセル筋だね」
「アクセル筋?」
ここの部分だねとスズカの太もも裏を指した鳴造はどこからかホワイトボードを持ってくると説明を続ける。
「アクセル筋は大腿二頭筋、半膜様筋、半腱様筋といった身体を前方に進めるために重要な筋肉なんだ」
「し、知りませんでした……」
「脚の筋肉というと、スクワットで徹底的に鍛えるのが正解って思われがちなんだけど、実は違うんだ」
ハムストリングスとおなじく、スクワットで鍛えられる大腿四頭筋は「ブレーキ筋」と呼ばれ、身体を前へと進めるアクセル筋とは逆に、身体を後ろへ下がらせる筋肉である。いくらアクセル筋を鍛えても、同じだけブレーキ筋も鍛えてしまっては効率が悪い。
ウマ娘のトレーニングメニューにはスクワットは組み込まれているものの、レッグカールは組み込まれていない。そのため、アクセル筋よりもブレーキ筋の方が鍛えられているので、ここでアクセル筋の方を鍛えようというのが鳴造の狙いであった。
「百聞は一見にしかず。やってみようか!」
「……はいっ!」
街雄の筋肉講座〜♪
「えっ?」
やぁ、みんな! 肉のお兄さんだよ! 今日はレッグカールのトレーニングだ!
レッグカールはさっきも言ったようにウェイトトレーニングの基本的種目の1つ。道具として専用のレッグカールマシンやトレーニングチューブ、アンクルウエイトなどを使うよ。今回はライイングレッグカールのやり方を学んでいこう!
「急になんですか?」
さぁ、この台にうつ伏せに寝転んで。シートにお腹は付けずに体は真っ直ぐ伸ばしましょう。
「え、えっと……こ、こうですか?」
基本姿勢は股関節を軽く伸ばすイメージで、おしりには力を入れましょう。ふくらはぎをパッド(スポンジ)の下に入れてこれが定位置です。
次に腰が浮かないように気をつけながら足を上げましょう。パッドがおしりにつくまでしっかりと足を曲げて、ゆっくりと戻しましょう!
1セット15回程度こなせるよう重量で行うと効果的です。極端に重くする必要はありません。
ハムストリングスを鍛えると、ヒップアップ効果があるから、理想の体型が手に入り、足も速くなる。まさに一石二鳥のトレーニングなんだ!
「んっ、くっ、んっ、これっ、結構っ、きっ、きますっ、ねっ!」
見た目よりもかなりきついトレーニングにスズカは汗を垂らすもその汗に不純なものは無い。走りが速くなるならこれくらいと、淡々と1セットこなす。
「それっ! それっ!」
初めは煩わしいかったガシャッ、ガシャッとパッドを往復させる度に響く音も、アクセル筋がつくことを考えると次第に快感へと変わってきたスズカはレッグカールで自身のスピードの限界を越えようと、トレーニングを続けていく。
そして、スズカ自身が設定した20回3セットを終えると、気持ちのいい汗が滴っており、こんなに充実したトレーニングはいつ以来だったかと鳴造に感謝すべく彼の方を見た。
「グッドマッスル! ナイスバルク!! デッカくなーれッ! デッカくなーれッッッ!!! 」
見れば先程まで青いジャージを着て、どこにでもいる細身の体型をしていた鳴造が信じられない姿になっていた。パンツ以外を脱ぎ捨てたのか、あるいは彼の周辺に散った布切れを見るに筋肉隆起により、弾き飛ばしたのか。見ていなかったため、よく分からなかったが、ボディービルダーの筋肉隆々の身体へと変わっていた。爽やかな顔はそのままに。
「……?」
スズカはぱちくりと瞬きを繰り返し、目を擦るが、鳴造の変化は真実であり、本当のことであった。何がどうなったのか全く見当のつかない彼女だったが、唯一分かったことがあった。たづなさんが描いたあの絵は事実であり、一切の誇張表現はなかったということである。
しかし、鳴造はかなり奇妙な人間ではあるがトレーナーとしての知識は確かで、今回のトレーニングについての説明も分かりやすかった。どうしてハムストリングスを鍛えるのか。そのためにどんなトレーニングをすればいいのかも明確に示してくれた鳴造にスズカは最後の一場面を除いては、感謝の気持ちしかなかった。
「あの、ありがとうございました」
「どういたしまして!」
頭を下げた先にはこれまたいつの間に服を着たのか、元の姿に戻った鳴造がおり、この世の物理法則は当てにならないのでしょうかとスズカは困惑したが、街雄さんなら自分を先頭の景色を独占するという夢を叶えさせてくれるかもしれない。そう思ったら自然と言葉は出ていた。
「あ、あの、私の、トレーナーに……」
なってくださいませんかと言う前に言葉は途切れた。理事長やたづなさんが言っていた言葉を思い出したからだ。鳴造はあくまで全体のサポートでチームはおろか専属でのコーチは出来ないと。しかし、途中まで出てしまった言葉は引っ込みがつかないし、なんでもないと言ってもしこりになる。なので、
「いえ……これからもまた、ここに来てもいいですか?」
鳴造の教室は悩みがある者なら誰が使ってもいいというルールがある。無論、冷やかしや遊ぶためというのはたづなから雷が落ちるので出来ないが、そんな気は微塵もないスズカは自分のさらなる速さを追い求めるためにこの場所を使いたい。そして、鳴造にもっともっと色々なトレーニングを教えて欲しいと思った。
「もちろん、大歓迎だよ!」
その願いを聞き届けないはずがない鳴造は笑顔で親指を立てた。この日からより速さに磨きをかけた少女が夕方になると、フラッといなくなるという噂が流れたのはまた別の話である。
サイレンススズカ の スピード が 20 上がった!
お出かけ で 街雄鳴造 と 練習できるようになった!
3人目の来訪者はサイレンススズカでした。スズカには怪我をしにくいトレーニングの回でも登場してもらう予定です。
なお、スズカにトレーナーがいない設定はオリジナル設定です。あの子に「俺の言うことを聞かないウマ娘なんていらない!」と言っている奴がいて、それをスーパートレーナー達が聞いたら「おめぇだけは絶てぇ許さねぇ!! バカヤロ────ッ!!!」案件ですしね。
誰か鳴造さんによって鍛えられてスピードの上がった逃げのスズカのトレーナーになってあげてくださいませ。
次回はナリタタイシンかライスシャワー、ミークの指導に悩む桐生院Tの誰かにしようと思います。プロットは出来てますが、明日は用事があるので土日のどちらかに出しますね〜!
あと、プロフィールに掲載してたTwitter IDミスってました
@ouruehu でした。特に呟いてませんが、ハーメルン内で出来ないアンケートを実施する際に活用するかもしれないので。
また使う時はいつものように後書きが活動報告に掲載しますので良しなに。
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