「オイオイオイオイオイぃぃいぃぃ!!! いるのはわかってんだぜェ、オッサンよォォォォ!! さっさと400万きっちり揃えて返しなァ!!!」
ドンドンガスガスゴンゴンガンガン……
(ここは工事現場かってんだ)
荒れ果てた6畳1間のワンルーム汚部屋で片腕をついて寝そべった無精髭の男がくあぁと大きなあくびをする。いたるところに酒瓶やスナック菓子のゴミ、コンビニの袋や弁当の殻が散らばっている。手の届くところにはワンカップが開けられており、朝っぱらから酒を飲んでいることがわかる。
どこからどう見ても立派なダメ人間であった。
「すみませ~ん、静かにしてもらえますぅ? 近所迷惑なんでぇ……ヒック」
寝そべったまま気だるい声をあげる男に、扉の向こうの男達がさらにいきり立つ。
「居留守使ってんじゃねーぞ!! コラァ、出てきやがれ!!」
「居留守っつーか――動きたくないだけですぅ」
「鍵開けろやコラ!! ぶっ壊すぞ!! タマナシさんよォ!!」
「タマありますぅ。サオもついてますぅ」
「馬鹿にしてんじゃねえぞ!! 早く開けろやコラ!! マジでぶっ壊すかンな!!」
割られた窓ガラス、一度ならず二度三度と潰された扉。その修理費はもちろん男――30歳無職多摩無アキラ持ちである。
こう何度も扉を壊されると修理費が馬鹿にならない。
「はいはい、今開けるからおとなしくしててね、っと……あーだりぃ……」
よっこらしょ、とオッサン臭い掛け声とともにようやく起き上がる。足の踏み場もないため、適当にごみを蹴りながら進んでカギを開ける。
勢いよく開かれた扉はアキラの眼前でビュオンと風を起こす。黒服に身を包んだ没個性的な男達が3人。どいつもこいつも眉頭を立て、目を吊り上げて口をひん曲げアキラを睨みつけている。
3種3用のそのファニーフェイスを見たアキラは腹を抱えて笑い出した。
「ひゃっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!! こりゃァいい!! お前ら揃いも揃って福笑いに失敗したような顔面しやがって! 朝から最高に笑えるぜ!」
「うるせェ! ってゆーかクッセ!! てめェ、風呂にも入ってねえのか!!」
アキラに近づいた男が鼻をつまみ、距離を取る。酒とオッサンと獣臭が入り混じりアキラの半径5mにはすさまじい異臭が漂う。
「借金してる分際で朝から酒たァいいご身分じゃねーか! 腐ったその性根、叩き潰してやンよ」
「やンよ? なにその語尾、かわいいネー。ひゃひゃひゃひゃひゃ」
もともと酒気を帯びていたが、笑いすぎで顔面から耳まで真っ赤に紅潮させ、涙を浮かべてばしばしとひざを叩くアキラに、男たちは怒髪天を突く。
びゅんっと素早い風切り音とともに繰り出された右ストレートが、酒でおぼつかない足取りでよろめいたアキラの顔の横を通り抜ける。パラパラと数本の髪の毛が散る。
「んー? おま、いきなりあぶねえだろぉ。ヤクザかよぉ。あ、ヤクザかぁ」
当てるつもりの一撃を運よく躱され、よろめいた黒服の股間をアキラが偶然のようによろめいて、近くにあった木製バットに手をついた。もちろんそれは支えにはならず、壁に手をつき勢いで持ち上げたバットが黒服の股間に直撃する。
「ぐぁぅおぉぉっっっっ!!!!!!」
チンコを抑えて内股に震える黒服その1。見ていた黒服が仲間の復讐のために「このクソおやじがぁぁぁぁ!」威勢よくアキラに殴りかかる。玄関に落ちていたバナナの皮に気づかず。踏み込みをバナナの皮で思い切り滑らせた黒服その2は体勢を崩して起き上がろうとするアキラの足に引っ掛けられて、ずべしゃァと地面へと顔面から落ちた。
「て、てめぇ……!」
その2が転がっているため、よっこいしょと跨ごうとしている間にアキラは、うーんと考えてから卑怯にもその2の股間を蹴り上げた。
「おっふぅぉぁぁぁぁぁぁっ……!」
「あーもう、こんなに散らかしちゃってもう。片付けといてよねぇ」
腰に手をあてて、どこかのおかんのように起こっているが、部屋の惨状は黒服が来る前にアキラが着々と作り出したものである。
全員をぽいぽいとゴミのように部屋の中へと放り込み、扉を閉める。近くに置いてあった段ボールやら消火器やら廃材やらでしっかりと扉を固定し、再び大あくびをしてから歩き出した。
「オイコラ開けろぉぉぉぉ!!! ざけんじゃねえぞ!! クソおやじ!!!!」
「近所迷惑だなぁ、もうー」
耳糞を小指でほじりながら下駄でカンカンと音を立ててぼろいマンションの階段を下りる。
ここのところ怪人の出現率が高まってきたこともあり、じわじわと住民たちは他の町へと移動を始めている。それなりに人口も多く、賑わっていた町だったのだが、最近では引っ越し業者のトラックがぶんぶんと行きかっている。おかげで家賃滞納していてもすぐには放り出されないのでありがたい。怪人サマサマである。
「あー……久しぶりに太陽なんて見たなぁ」
分厚いカーテンで閉ざされた室内。電気は止められているので太陽が出ているあいだはうっすらと明るいが、夜になると街灯の明かりしか入らない。
さんさんと降り注ぐ陽光に、鬱陶しそうに目を細めて気だるく足を引きずるように歩いている。
毎日毎日酒を飲んでは寝る、飲んでは寝る、飲んでは寝る。駄目なおっさんの休日が永遠と続いている。
アキラのここ数日は同じことの繰り返しであった。
「なんかおもしれぇことでも起きんかなぁ」
若いアキラには夢があった。あの時は目標もあって、毎日が楽しかった。日々コツコツと努力をするだなんて今のアキラからは考えられないが、苦難を厭わない熱い青年時代を過ごしていた。
それが今ではこのザマだ。
無職で朝から晩まで酒を飲んで寝るだけの生活。ブラックリスト入りを果たしたアキラに金を貸してくれるのはヤのつく自由業の人たちだけ。借金は、今では400万にもなっているらしい。今朝知った。働こうにも派遣会社にすらアキラの名前はでまわっており、学のないアキラが正社員になれるはずもない。
「アディ〇レに相談だな。あ、んな金もねえやぁ」
死んだ魚の目をした汚いオッサンに、すれ違う通行人があからさまに距離を置く。数日風呂にも入っておらず、ぼりぼりと頭を掻くと白いフケが肩に積もった。そんなことはまるで気にしないアキラは、ズボンのポケットでチャラチャラと音を立てる小銭を取り出す。
10円玉が7枚に、5円玉が4枚、1円玉が3枚。
「ワンカップがぎりぎり買えねえ……」
道行く自販機の小銭返却口をあさりながらぼんやりと歩いていた。
清浄な光をこれでもかとアキラにまで差し伸べてくる太陽が鬱陶しくて、アキラは自然と路地裏へ足を向けていた。
(俺は綺麗な光なんか求めてないのぉ)
腐り切った人間にとって、太陽すらも辛い。
(はぁ……なにか面白いことでも起きねえかなあ)
ポケットに手を突っ込み当てもなくぶらぶらと歩いていたアキラに向かって、背後から猛然と突っ込んできたなにかが体当たりしようとする。
「100円みーっけ。らっきぃ~……ん?」
気だるそうな動きからは想像も出来ない俊敏な動作で地面に落ちていた小銭を拾ったアキラは、愛らしい顔をしたドデカイ豚の貯金箱がいることに気づく。貯金箱にはオッサンのような手足が生えており、どうやら4足歩行するらしい。
「ん~? 変わった生き物だねぇ。最近じゃ猫みたいに当たり前にいんのかなぁ」
いるはずがない。
だがアキラにツッコミを入れる者はおらず、豚の貯金箱は足で立ち、大きな影を作り出す。大柄な体躯に見下され、影の差した明るいベビーフェイスはホラー映画のように不気味だ。
「小銭を出せ! 小銭! 小銭入れさせろ!」
「しゃべるんだ。小銭ぃ? 俺のもんだぁ」
「突進すれば小銭が落ちる! うおお小銭い!」
ぼんやりとした顔のアキラが首が痛えなあ、なんて思いながら豚の貯金箱を見あげていると、その貯金箱の巨体へと向けて突進する小さな人影。
学ランだ。中学生っぽい。だけど随分とボロッボロである。
世紀末を意識したファッションでも流行っているのだろうか。たしかにここのところ怪人騒ぎが続いていて、世紀末みたいなものだし。
「最近の中学生はマセてんなぁ」
「オッサン!! 逃げろ!! ここは俺が食い止める!」
「え……」
小さな背中に庇われる。肩でギザギザに斬られた袖口からは細っこい腕が伸びており、まだ身体の成長も完璧ではない。驚くほどに小さく、眩しいその背に護られてアキラはぽかんと口を開いた。
その中学生は豚の貯金箱に突進され、あっけなく伸びた。
壁には大きなクレーターができ、ずるずると地面へ滑り落ちた中学生の意識はすっかりない。目をつむって気絶する少年の表情に恐怖の色は感じられない。
「強いなぁ……あんた。
おーい、大丈夫かぁ?」
(逃げろ、なんて立派な少年だなぁ。俺だったからこんな汚ねえオッサン無視して逃げるのになぁ)
自分でも自覚はあったらしい。
ぼりぼりと頬を掻いたアキラは、眩しい若者の姿に少しばかり恥じ入った。己のこの体たらくと比べて、なんて眩しいんだろうか。眩しすぎて苦しくなってしまう。
「小銭! 小銭!」
「なんも感じねえのぉ? この姿にぃ。
……駄目なオッサンでもちょぴっと心を動かされたぞぉ。柄じゃねえがぁ……お返しはさせてもらうぜぇ」
先ほどの気だるそうな猫背から一転、体幹の通った鋭い構えへと体勢を変える。
男の身体から立ち上る気は先ほどのダメダメなオッサンからは想像できないほどの強者である。
怪人・豚の貯金バコンは野生の勘で怯えた。己では敵わない相手に恐喝しようとしていたと察知し、一目散に逃げようとする。
「……はぁ……こンの恐喝貯金箱がァ!!」
一瞬にして目つきを鋭くしたアキラが目にもとまらぬ速さで貯金箱を蹴りつける。轟音を立てて足先は貯金箱のケツにぶち当たり、激しい音を立てて愛らしい貯金箱は割れた。中からじゃらじゃらと小銭があふれ出てくる。鋭い目つきは、潰れて動かない貯金箱を確認して、周囲を警戒する。汚らしさはまるで変わらないというのに、すっと背筋を伸ばしたアキラは先ほどとまるで別人であった。
アキラは倒れた少年の前に屈み、首筋に手をあてて脈を確認した。
「お~い、大丈夫かぁ?」
衣服はズタボロで打撲や多少の流血はあるが、脈も呼吸もしっかりしている。熱もない。
でろんと表情筋を崩壊させたアキラがぺちぺちと少年の頬を叩くと、額から滴る血液で片方の目を塞がれつつも意識を取り戻した。
「おっ、よかったよかったぁ。歩けるかぁ?」
「あ……コイツは……え、お前が?」
「お前ってぇ」
少年は中身を撒き散らかして死んだ怪人を眺めている。アキラは中学生にお前と言われて少し落ち込んでいる。
まあ確かに、自分のようなダメ人間よりも、この少年の方がずっと立派な心意気をしている。アキラは敬わなければならない人間には到底見えないし、お前と言われるのも納得だと考え直す。
「オッサン……強いんだな……名前は?」
「つよかねえよぉ、ダメ人間代表だぁ。
俺は多摩無アキラ。怪しいもんじゃねえよぉ。んで、歩けるかぁ? 無理なら背負ってくけどぉ」
「大丈夫だ……です。あ、俺はサイタマ、です」
「はは、別に俺なんかに無理して敬語なんざ使わなくていいよぉ。んじゃあな。病院行けよぉ」
ひらひらと後ろ手に歩きだしたアキラは、大量に転がる小銭のなかから500円玉を選んで回収していく。後ろの中学生は「職員室行かなきゃ……」と小さくつぶやいて歩き出した。あの分なら大丈夫そうだ、と小さく笑みを浮かべる。普通これだけの大きな出来事があれば、警察に通報しそうなものだが、職員室とは。おかしな子どもだなあ。
「おぉ……札もあんじゃん。らっきぃ~」
思わぬ臨時収入に、コンビニでしこたま酒を買い込むことを決めた。その金は人から強奪されたものに違いなかったが、アキラは退治報酬としてありがたくいただくことに決めた。
家の近くのコンビニで100円のワンカップを棚からざらざらと買い物カゴのなかに入れて、袋一杯にぶら下げて歩く。
るんるん気分で歩いていたが、家にはもしかするとまだ黒服が滞在しているかもしれないと気づく。助けを呼んで出ていっているとは思うが、報復も面倒くさい。働いて金を返すのはもっと面倒くさい。っていうか借金なんてそもそも返すつもりがない。返済できないのではなく、返済するつもりがないのだ。
アキラがヤクザに追われているのは、友人の連帯保証人となってしまったが為であった。共に道場を経営しようと、彼の名義で金を借りたのだが、金をそのまま持って消えてしまったのだ。幼い頃からの友人で気の置けない仲であると思っていた。悩み事があればまず真っ先に彼に相談したし、彼もまたなにかあればすぐにアキラに話してくれた。友人から結婚する、と報告を受けたときは自分のことのように嬉しかった。めちゃくちゃ美人な彼女を紹介され、若干妬ましい気持ちはあったが、アキラはこの友情がきっと永遠に続くものだと信じていた。
彼が消えたという話を聞かされたとき、信じられなかった。10年経った今でも彼がひょっこりと帰ってきて、冗談だったんだ、お前を裏切るはずがないだろう? なんて夢に見るほどだった。
彼が消えると同時に、アキラの情熱もまた消えた。唯一無二の親友に騙され、一文無しどころか借金をこさえたアキラがまともに働こうにも職がない。
怪人が次から次へと現れるせいで世の中はすさまじいまでの不景気であった。日雇いのバイトを幾つも掛け持ちして働き続け、なんとか捻出した金を借金返済にあてていたのだが、利子が膨れ上がったとさらに倍額を請求される。借りていた200万とその時にみた契約書どおりの利子をきっちりと返済してからは借金取りを相手にしなくなった。
がれき撤去のバイトは1日中働いても5000円に届かない。嫌ならやめてもらっていいんだよ、と嫌味な社長に不満のはけ口にされながらなんとか毎日働き続けていたが、数日前に不当解雇された。
休み時間もなく働いていたというのに、事務所に置いてあった金を盗ったと濡れ衣を着せられた。警察沙汰にしない代わりに辞めろと脅されて、なす術もなく職を失ったのだ。
不景気だから仕方がない、なんてすべてを失ったアキラには思えなかった。生きていく気力さえなくし、自死を選ぶこともできずにだらだらと暮らしている。
青春時代は夢に費やし、青年時代は借金返済に明け暮れた。そんなアキラに恋愛をする時間などまるでなく、30歳童貞の魔法使いになってしまった。
今のアキラに彼女などできるはずもない。あーあ、彼女欲しいなぁなんてさほど本気度のないままに王子に焦がれる乙女の心境でぼんやりと考えるだけだ。30歳で魔法使い、40になれば賢者、50になったら……なんだろう、精霊かな。
ワンカップをぐびぐびと飲みながら歩いていく。
アキラが向かっているのは墓場であった。空はすっかり茜色に染まり、カラスが泣いている。
「カラスが泣いたら帰りましょお~♪」
袋一杯に買い込んだワンカップを引っ提げて、ぼちぼちと歩いたアキラがたどり着いたのは墓場だ。共同墓地になっており、名前も知らない人たちが冥福を祈られている。
ワンカップを墓石の前に供える。アキラなりの基準があるようで少し歩いてはまた墓石の前にワンカップを置き、とすべての墓石には置いていない。
「おすそ分けですよぉ……っとぉ。さーて帰るかぁ」
夢だ。夢が必要だ。今更自分の道場が欲しいとは思わない。子どもたちに教えるには性格がひん曲がりすぎてしまったし、熱意もない。
あ、そうだ。仕事仲間がこぞって通っていたソープに行ってみるのもいいかもしれない。目標は脱童貞だ。しかしながら最近朝勃ちすらしてくれない。アキラの息子は使われることなく没してしまったのかもしれない。ソープに行って勃たないなんて、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。
(ハ〇イアグラ買いに行こぉ)
仕事仲間が、正規の店ではないが変わった薬が取り揃えられている露店が稀にこの辺りに現れると話していた。
同僚は怪しい若返り薬なるものの試供品を飲み、次の日から出社しなくなった。社長に申し付けられて様子を見に行くと、家には小学生にまで縮んだ仕事仲間がいた。だぼだぼのシャツだけを身に着け「助けてくれ」と必死に泣きつかれて、仕方なしにその露店へ行って老け薬なるものを貰ってきた。
その露店を探すのに随分と苦労したことを思い出す。仕事帰りでへとへとの状態で露店を探して歩き回った。別にその同僚に特別の恩を感じているわけでもなかったが、困った人を自分の力量内で助けられるのならば助けてやりたいと思ったのだ。
正規品は20万もしたため、試供品を貰って仕事仲間の家まで届けてやった。
その店主は黒いフードをすっぽりと被り、やたらと顔色の悪い顎先しか見えない、身体のラインもわからない真っ黒いマントのようなものを身体に巻き付けていた。
ちょうど、あんな感じだ。
「あ」
あれじゃん。
「おや、お兄さん。珍しいですねえ。このお店を2度も見つけるだなんて。老け薬はどうでしたか?」
男か女かわからない中途半端な声色。抑揚がまるでなく、人間味が感じられない。
「同僚は元に戻ったよぉ。随分久しぶりだなぁ」
「そうですね。このお店を2度も見つけられるなんて、お兄さんは本当に運が良い」
運が良いと思ったことは1度もないが、人からそう言われて悪い気はしない。
「せっかく出会えたのですから、今日はなにか買っていかれますか? そろそろ店じまいをして星へ帰ろうと思っているんですよ」
「んー? あんたは地球人じゃないのかぁ。
俺なぁ、一度も付き合ったことがなくてなぁ。ちんこが勃つか心配でよぉ」
「なるほど。丁度良い薬がありますよ。正規品だと50万、試供品もございますが……まあ、効果は様々で自己責任となりますのでオススメはいたしませんが」
若返り薬を飲んで小学生となってしまった同僚は老け薬を飲んで元に戻った。すこしばかり薬が効きすぎるきらいはあるようだが、特に問題はないだろう。
「試供品でいいやぁ」
「畏まりました。二度も出会えた奇跡に、とっておきの試供品をプレゼントいたします。若返りの効能もあるのですよ」
「俺そんな老けてるかぁ? ま、ありがとよぉ。これ、やるよぉ」
なにもなしに貰うのもなんだとワンカップを手渡し、錠剤を貰う。
「お元気で。楽しい性生活をお過ごしください」
「ひゃははははは、なんだそりゃぁ」
上機嫌のアキラは貰った錠剤をその場で含み、酒で流し込む。
「お酒で薬を飲むと危険ですよ……聞こえていませんか。あらまあ……」
背後で異星人は忠告していたが、珍しくアキラは気分よく酔っており、囁くような忠告が聞こえていない。
すぐにでも吐き出せば、きっとアキラの人生は変わっていただろう。
アキラはスキップでもする勢いで家路へと歩いていたが、突如心臓が激しく痛み、胸を押さえて膝をついた。
「なんだ……?」
視界が揺れて、景色が絵具が溶かされるようにぐるぐると入り混じっていく。拍動の度に頭までもが痛み、胸が割れそうに痛い。
(あー……死ぬ、のか)
ほんと、つまんない人生だった。誰の役にも立たず、生きがいもないクソみたいな人生。
(おさらばえ~)
なんの未練もないアキラは、苦しみのなかで意識を失った。
ゆっくりと重い瞼を持ち上げると、白い清潔な天井がぼやけて見えた。何度か瞬くと、視界が正常になる。
白いカーテンに閉ざされているが、室内は明るい。顔を動かすと、点滴の管に繋がれているのがわかった。健康だけが取り柄で一度も病気をしたことなどなかったが、すぐにここが病院であると悟る。
(生きてたのかぁ……)
不思議と残念なような、生きていてよかったような。複雑な気持ちで身体を起こす。
シャァっとカーテンが開かれ、女性の看護師がアキラを見て目を見開いた。大きな瞳が零れ落ちそうなほどに見開かれて、わなわなと唇を震わせている。
「せ、せ、せ、先生!!! 起きました!! 運ばれてきた患者さんが!! せんせぇぇぇぇぇぇい!!」
(うっるせぇ……古典的な呼び方だなぁ)
ナースコールを使えばいいのに。慌てふためく看護師はぱたぱたと走り去っていく。
どうやら大部屋のようだが、アキラの他にもう一人誰かいる気配がする。開かれたカーテンの奥にはつけっぱなしの大きなテレビがあり、瓦礫を映し出している。
テレビに映し出されているのはアキラの済むZ市だ。おそらくは怪人に破壊された場所の速報でもされているのだろう。最近のニュースはこんなのばっかりだ。テレビなんてものはアキラの部屋に置かれていないが、バイト先の事務所にあるテレビはいつもニュースが垂れ流しになっていた。
早足に部屋へ歩いてきたのは先ほどの看護師と、綺麗な女医だ。きつめの顔立ちをしたエリートウーマンって感じか。
「お名前は?」
「多摩無アキラ」
「年齢はわかりますか?」
「30」
「30……? 冗談でなくおいくつですか?」
「だから、30だってぇ……」
「はあ。ここはZ市にあるクリニックです。あなたは道端で倒れているのを通報により運ばれたのですよ。お住まいは?」
「Z市〇〇13-41…………げ、病院代」
保険に入っていないアキラにとって医療費はとんでもなく高額なものとなる。慌ててポケットに突っ込んでいるであろう札を探り出そうとしたが、身体を起こして視線を落とし、絶句した。
「で……でぶ……ってるぅ?」
着せられた入院着からこぼれんばかりの乳が。
そういえば、声も変だ。妙にいつもよりも高い。
「むしろ痩せ気味です。栄養失調のようでしたから、点滴をしています。服はそちらに。鞄は貴重品入れに。カギはこちらです」
女医がそう言い、看護師がカギを渡してくれる。受け取る自分の腕が妙に白く細っこい。まるで女みたいに。
(ええええぇー……?)
「お金は心配なさらずとも、通りすがりの通報した方が全額お支払いくださいましたよ」
「な、なにその通りすがりぃ……」
「名刺を置いていかれました。お礼は必要ないと仰っていました」
「なにその通りすがりぃ……」
差し出された名刺には、なにやらずらずらと様々な会社やら役職やらが書かれており、とりあえず偉いんだろうな、とはわかった。
名前はアゴーニ。
アゴーニ。
すごい名前だ。アゴーニ、アゴーニ、アゴーニ……。
「誰ぇ……?」
道端で倒れている人にぽんと金を差し出して消えていく人間なんてこの世に存在するのか。
「ご存じありませんか? 大富豪としてよくテレビにも出られている方ですよ」
「知らねぇ……なんでそんな大富豪がこの町にぃ? いやンなことより、俺、男だよねぇ?」
あははは、と高らかに笑い声をあげたのは看護師だった。
「なにを仰っているんですか。お着換えをさせてもらいましたけど、上から下まで綺麗なプロポーションの女性ですよ」
「んな馬鹿なあ……」
乳……でかい。チンコ……ない。……ない!!!!!!
触って確かめ、アキラは頭を抱えて突っ伏した。
「なんでぇ……!」
脱童貞するつもりだった。楽しい性生活どころか、大事な息子がいなくなってしまった。
(オウマイソン……どこへ行ったんだぁ。一度も使うことがなかったから、グレて家出しちまったのか。頼むから帰ってきてくれぇ)
熟年離婚を回避するべく必死に妻を引き留める夫のごとく必死に内心で言い募るが、息子は消えたままだ。
(俺を捨てないでくれぇぇぇ)
これから使うつもりだったんだ。本当に。
ぼろぼろと大粒の涙をこぼすアキラにぎょっとした様子の女医。隣に置いてあった椅子に腰かけてアキラの背中を撫でつつ、優しく微笑んでいる。
「まだ起きたばかりで混乱されているんですね。それもそのはずです……あなたは1週間も寝たきりでしたから。親御さんに連絡したいんですが、電話番号はわかりますか?」
「とっくにいねぇよぉ……」
「それは……申し訳ありません」
「ひっく、息子もなくなるしぃ……」
「息子?! ず、随分お若く子どもを産んだんですね……。では旦那様の電話番号は」
「もともといねぇよぉ、んなもん! いてたまるか!」
「いてたまるか?! そんな酷い男の子どもを……お一人で産まれたんですか……! 御親戚は……?」
「借金の連帯保証人になってからすっかり縁を切られて連絡先なんて知らねえよぉ」
「なんて……なんて惨い……! すみません、取り乱しました。本当はお幾つなんですか? 見たところまだ10代のように見えますが」
泣き止んだアキラの代わりに、女医の方が瞳を潤ませている。なんで泣きそうになってるんだ? この人は。
「ンなわけあるかぁ。更新切れの免許証なら家に帰ればあるかもぉ……」
アキラの身分を保証するものなど、現時点ではなかった。
「世話になったぁ……」
点滴を引き抜こうとするアキラに慌てた様子で女医と看護師が引き留める。
「たっぷり1カ月は入院できるだけのお金を頂戴していますから、安静になさってください」
「いや、でもぉ」
アキラとしては1週間も放置しているらしい家が気になっていた。
「もうすぐこの病院も他の町に移転することになっています。今お二人入院されているのですが、御一方はもうすぐ退院されますので、あなたが最後の患者さんになるでしょうね」
Z市の怪人出現率は他の町よりも随分と多いと聞く。大きな病院はすっかり移転しているから、このクリニックは長くとどまってくれていたほうであろう。怪我人が運ばれる先がなくなれば、いよいよZ市のゴーストタウン化は免れないだろう。賃貸料金も値下げされないかな、と淡い期待を抱く。
「あら、また怪人……本当に物騒な世の中になりましたね」
小さな音量でつけっぱなしだったテレビにZ市の様子が映し出されている。真剣な顔をしたレポーターがぱくぱくと忙しなく口を動かして辺りを指し示している。
「あ、俺のマンション……」
ぼろい鉄骨マンション2階建て。無残にも崩れ果てているが、見間違えるはずもない。
「……」
「……」
女医と看護師が顔を見合わせている。
「お気を強く。人生底辺まで落ちてしまえば、あとは上がるだけですよ」
「誰が底辺だぁ。………………俺かぁ」
「ちょっ菅原さん! 落ち込ませてどうするんです!」
「じゃあ先生が声かけてくださいよぉ!」
「ま、まさか息子さんが亡くなったって……この1週間前の怪人の仕業で……?!」
凄まじい勘違いをされているなか、アキラは1週間前のことを思い出していた。
怪しい試供品を貰って、倒れた。まず間違いなくあの薬が原因で自分の身体がこうなってしまったのだろう。もう一度あの露店を探して、薬を貰わなければならない。
しかしながら、故郷に帰るとかなんとか言っていたような。
露店を探しつつ、息子(ナニ)を取り戻すために他の方法も考えていかなければならないということか。
アキラは今まで当たり前のように男として生きてきた。夢をなくし、友をなくし、金をなくし、息子をなくした。それらはすべてなくなってしまってから、あったときの幸せを実感した。あるときにもっと感謝していれば、当たり前のようにその日々を享受していなければ、もっと幸せな記憶が多かっただろうか。幸せな人生だったろうか。
今あるものはなんだ。五体満足の身体がある。そのことだけにでも感謝をして、生きねばならないのだ。
「ってンなことできるかぁ! 息子を返せぇぇぇぇ……!」
聖人君子のような思考をうがぁぁあああ! と叫んで消し、再び女医と看護師に二人掛かりで抑えつけられる。
「落ち着いて! 落ち着きなさい!
息子さんが亡くなったのは……本当に残念です。ですが、あなたはまだお若い。まだまだやりなおせるんです」
「息子が無くなった気持ちがわかるのかよぉ!」
「生憎と私に息子はいませんのでわかりませんが」
「そりゃいねぇだろうよぉ!!」
「ど、どういう意味です、タマナシさん」
「誰がタマ無しだ!! あ……タマもサオもないんだった。俺も息子と一緒にイきたかった……!!」
「い、いけません! 生きていれば、いいことはあるんです。生きていれば、道は見つかるんです。生きてさえいれば、あの時死ななくてよかったとそう思う日が必ず来るんです」
「……死なねえけどさぁ」
しゅんとうなだれたアキラに、ようやく落ち着いたと拘束が緩められる。
「とりあえずはゆっくり休んでください。まずは身体を治すことに専念しましょう」
ぽんと身体を押される。抵抗する気のないアキラはぽふりとベッドに埋もれた。布団がかけられる。女医と看護師は始終穏やかな笑顔を崩さないままに部屋を退出した。
アキラはしばらく天井を眺めていたが、1週間も眠っていれば眠気など起きようはずもない。
むくりと起き上がり、右隣りのカーテンをシュッと開いた。
隣のベッドでは死人のような顔色の男が目をガン開きにして天井を見つめている。蝋人形みたいだ。目めっちゃ赤いし。え、こっわ。瞬きすればいいのに。
割と精悍な顔立ちをしていた青年なのだが感情が一切読み取れない。もしかして死んでいる? 微動だにしないぞ。
「あんたは……なにぃ? プール入りすぎて低体温症で運ばれた人ぉ? めっちゃ顔色悪いよぉ」
「……」
「死人寸前……というか寸後っていうかぁ。え、大丈夫ぅ? 人呼ぶぅ?」
「……悪いが、静かにしてもらえないだろうか。禁煙症状でイライラしているんだ」
「え、煙草吸ってるの……その顔色でぇ? 余計血の気がなくなっちゃうよぉ」
若干声のボリュームは抑えられたが、男にしてみれば黙ってくれ、と言ったつもりであった。大きさは問題ではない。
だが医者との会話を聞いていると、邪険にしてやるのもかわいそうな気がして、男は天井を見つめたまま思案していた。
「……」
「貧血ぅ? ほんと顔色悪いね君ぃ」
「……いろいろあってな。そういう顔色になった」
「マジぃ? 気をつけた方がいいよぉ。貧血は癖になるからぁ。禁煙で入院ー? 大変だな、あんたもぉ」
「……心配痛み入る」
男は禁煙目的で入院したのではもちろんなかったが、アキラの身の上に免じてなにも言わなかった。
それからアキラはべらべらと楽しそうに話すのを静かに聞いてやり、しばらくしてアキラが再び眠りに就くまで辛抱強く耐えた。
とある雑貨店でのサイタマ少年
『あ、これあの時の豚の貯金箱そっくりだな……。多摩無アキラさん、か。格好よかったな。記念に買っとこ』