オウマイソン!   作:サイスー

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原作3年前

 怪人の出現率はどこかしこでも上昇の一途をたどっている。友ナシ、金ナシ、玉ナシの多摩無アキラは孤独な(気軽な)独り身生活を送っていた。

 

 そんなある日、俺は黒づくめの男から貰った怪しい薬を自ら服用し、気がつくと――女に変わってしまっていた! 年齢も若返った。頭脳は変わらない。

 

 

 さて、光陰矢の如しというか、本当にあっという間に10年も過ぎてしまった。

 

 戸籍は一応あることにはあるのだが、免許更新は望めない。なんかいろいろ違うからだ。いや待てよ、どうせ怪人に手いっぱいで捕まらないんだからそもそも免許なんて取得している人の方が一部だったりして。

 

 女性の身体に不慣れだったのは最初の1年くらいだったと思う。1か月くらいで若干慣れ始めた。人間ってのは適合能力が高いものだ。

 未だにユニセックスの服が好みではあるが、女性もののシャツやら下着やらも照れなく買えるようになった。今では生理用品買っとかないと、なんて当たり前にストックを気にするレベルだ。もう女性生活何年になるっけ? たぶん10年くらいか。

 

 かつて親友だった男に言われたことがある。「アキラは悩みがなさそうで、羨ましい」影の差した笑顔でそう言われたものだから、否定するのもなんだかな、と思って「前向きだけが俺の取り柄だしな!」と返した。人が大人な対応をしてやったというのに「うらやましいよ」と気障なため息をつかれた。アキラとて言ってやりたかった。こっちはお前の方がうらやましいよ、と。

 そうは見えなくたって悩んでる。ただ常に飄々とした表情が変わらないものだから、クラゲのように自由に生きているように見られるだけだ。

 誰にだって悩みごとはあるのだ。なにも悩んでいない人間なんて、きっと一人もいない。

 あの時彼に「何かあったのか」と訪ねてやってれば、なにか変わっていたのだろうか。閑話休題。

 

 崩れたマンションに住めるはずもなく、近くの安いマンションへと移り住んだ。地価が急激に下がっており、同じ値段でワンルームマンションから1Kバストイレ別の部屋があったのでそこにした。

 住居は変わったが、同じZ市だ。フードの怪人を探してふらふらと町を練り歩くのだが、全然見つからない。人口は年を経るごとに少なくなっている。

 

 ムスコを取り戻すべく10年ものあいだ情報収集をしていると、危ない組織と関わることも少なからずあった。借金取りに追われていた経験を活かして、あまり日の下に出たがらない奴らがよく出没する場所へも赴いた。そこで入院していたときに出会っためちゃくちゃ顔色の悪い男と再会し、甘いミルクセーキで乾杯した。なんでミルクセーキと思わないでもなかったが、彼があまりにも熱心にこれを頼んだらどうか、と勧めてきたので仕方なくだ。彼は自分だけコーヒーを頼んでいた。アキラは本当は酒を飲みたかった。人生最底辺だった頃とは違って金もあれば時間もある、余裕のある生活ができるようになったアキラには人を気遣う心の余裕ができはじめていた。

 仕事中の彼の前で自分だけ酒を飲むわけにもいかないな、と自然に思うくらいには。凄まじい成長である。

 

 喫茶店で話したところ、仕事内容は大っぴらに言えないらしいのだが、情報屋まがいのこともしているという。顔見知りのよしみで、彼からはカフェ代を奢ったり仕事を手伝ったりして情報を貰った。

 男は胸焼けするほどの甘党であった。貧血の症状だろうか。ブラックコーヒーにはどぼどぼと砂糖を入れるし(全然ブラックの意味がない)、照れた彼の代わりに何度も頼まされたミルクセーキは、舌がしびれるほどに甘い。甘い物が苦手なアキラにはただただ苦痛な代物で、最初に一口飲むふりをしてすぐに男のほうへとスライドするのが常だった。それからというもの、喫茶店で話すたびに彼はブラックコーヒー、アキラはミルクセーキを店員に頼んでは交換する、という謎の儀式が行われるようになった。

 彼は顔色こそ死人のように悪いし、とっつきづらい見た目をしているが実に親切な男であった。俺は表の世界では生きていけない、なんてシリアスに顔色の悪い顔で言う男だったが、アキラは純粋に不思議だった。「君みたいにいい人がねぇ」と。

 外では我が物顔でのさばる怪人がいて、なんの害もない青年がただ顔色が悪いというだけで出歩けないのはかわいそうだった。アキラとて変なフェロモンを出して周りに迷惑をかけながらも遠慮なく外に出ている。「もっと肩の力を抜いて、やりたいようにやればいいのにぃ」アキラは心の底からそう思って言った。何故だかありがとうと無表情で言われたが、困ったようにミルクセーキをぐいぐいと飲み干す姿は先ほどよりも雰囲気がやわらかく見えた。

 アキラは青年から様々な話を聞いた。

 趣味で人体実験をしている人間は少数ながらいて、人の倫理に外れた実験ではあるがアキラをもとに戻す方法を知っているかもしれない、と。一も二もなく果敢に突撃した。

 そのうちのひとつに、いかにも怪しい進化の家なるもがあった。とても危険な場所で、見つけるのは困難だと男からは聞いていたのだが、目立つ容姿のおかげで情報収集は難なく行えた。顔バレを一切気にしていないアキラは、男から紹介された裏家業の人間にもすっかり顔を覚えられている。アキラは覚えていないが、情報屋界隈ではすっかり金払いの良いカモとなっているらしく、情報を売りつけようと向こうから寄って来てくれる。

 

 進化の家を見つけ出し赴いたところ、なにがどう進化なのかわからなかったが、変な生き物はいっぱいいた。ゴリラが喋ったり、蚊がボインな娘になっていたり。きっと間違いなくここだと思う。進化といえば進化なのかもしれない。

 進化の家の主である自称天才博士は、堂々と訪問したアキラを快く出迎えてくれた。大抵は手荒い歓迎をされるので、非常に珍しい。

 実に統制の取れた組織となっているらしく、博士から来訪を認められたアキラは実験体から攻撃を加えられることはなかった。

 薬を飲んで身体が変わってしまったはなしをすると、体内で溶けて全身へと運ばれた薬剤の濃度をさげることができればもしかしたら、というような発言をしていた。根本から身体が作り替えられている可能性もゼロではないが、もしそうだとしたら戻るのは困難だとかなんとかかんとか。細胞がなんたらミトコンドリアがなんたら、なんか科学者っぽい答えがずらずらと述べられて呆気にとられたが、1ミリも具体的にどうすればいいのかわからない。で、俺はどうやって男に戻ればいいんだ?

 

 怪しい生物を大量に作り出していた博士であったが、結構親切だった。同じ顔の男もわらわらといて、何人同時に生まれたんだと男の母親を尊敬したが、クローン人間だと教えられた。

 自分のクローンを作り出すって、どんだけ自分が好きなんだ。

 人の形を保ったまま進化が叶った例は少数らしく、彼の実験のなかでそれは、「不死身シリーズ」の実験体サンプル66号だけだという。その実験体は唯一の成功例であったと熱く語られる。若返りだけならばテロメーゼがなんちゃらかんちゃらで博士にとって簡単なことらしい。「きっと君の力になれる」熱くそう言い、手を握られた。マウスでも見るような目で。ぜひとも研究させてくれと詰め寄られて、激しい身の危機を感じた。アキラは慌てて博士を振りほどいて逃げてきた。「気が向いたらいつでも来るといい」と後ろ背に言われたが、それきりそこには近づいていない。

 

 

 もしかして一生女のままなのだろうか、と暗い想いになりつつある。まだ男に戻ることは諦めていない。だが、見通しもなにも立たない状態で10年も女として暮らしていると、なんかこれでもいいかも、と慣れてきてしまった。慣れって怖い。

 

 Z市に現れる怪人を積極的に狩るようになったのは、フラストレーションの捌け口に最適だと気づいてしまったからだ。当初こそ辛勝だったり、逃げ帰ることもあったが、日々身体を鍛えては経験を積み重ねてゆきアキラは怪人バスターの称号を手に入れた、と思っている。

 

 もうすっかり慣れてしまったが、毎日困ることと言えば、アキラの女性化した見た目は途轍もなく男達を刺激するらしいということだ。

 酒を買いに行くたびに目をハート、下半身をテントにした男達がゾンビのようにゆらゆらと歩み寄ってくる。100発100中ではないが、人気のない場所でばったり遭遇した気持ち悪い男は大抵そうなる。これならまだ怪人のほうがマシだ。変な目で見てこないし、遠慮なくぶっ倒せるから。

 

 一見真面目そうな男でも頬を赤らめてテント状態でにじり寄ってくるのだから、変なフェロモンでもでているのかもしれない。ムッツリスケベ怪人ゾンビ、略してゾンビとアキラのなかで呼ばれる男たちは、ものの数秒でアキラに行動不能状態へと追い込まれる。実被害は今のところゼロだ。

 女性になってはじめて気づいたが、女性というのはほんとうに大変だ。女性がアキラほど強いことなど稀だし、集団で襲ってこられればゾンビ映画級のホラーだ。世の女性たちにもっと優しくしておくべきだったと心から悔いる。この謎のフェロモン作用も薬のせいだろうか。

 

 男だったら天国だったろうにな。そう考えてから慌てて首を振る。

 アキラが男のままだったとして、女がゾンビ状態になってにじにじと寄って来ても全然うれしくない。普通に怖い。どっちにしたっていいことなんてひとつもありやしないのだと結論づいた。

 

 対人格闘の経験値がますます高まっていくのは、ちょっと買い物に出かけただけでも男に襲われるからだ。手加減もばっちりである。

 アキラは常に実戦のなかに身を置いている。あ、めっちゃ格好いいこと言えた。

 

 昔のアキラとはすっかり様相が変わったおかげで、偽名を使わずとも日雇いのバイトができるようになったのは唯一の嬉しいことだ。

 以前辞めさせられたときに、多摩無アキラは社長によりブラックリスト入りさせられており、どこへ行っても職が見つからないありさまだったのだ。

 今では同姓同名の別人だと認識されているので、問題なく派遣登録ができる。性別と筋肉のつきづらい体格ゆえに事務職などを勧められることが多かったが、学のないアキラに事務職は難しい。携帯さえも持っていないしパソコンなど生涯で1、2回しか触ったことがない。文字を打ち込むだけで日が暮れる。

 肉体労働にしてくれ、と頼むと「水商売はご紹介しておりません」と笑顔で断られた。もちろんアキラにそんなつもりはなく、言い募ってようやく、渋々といった様子で日雇いの鳶職になった。

 

 働けるのが純粋にうれしくて熱心に働いていたところ、手渡しの給料を貰ってふと気づく。年金や保険金を払おうにも、戸籍があってないようなアキラはもしかして。生きていると知られれば面倒なことになるし、この際いっそのこと余計な問題を起こさないためにもアキラという男が死んだように見せかけるほうが都合がよさそうではなかろうか。

 銀行口座は一切使わず(どうせ金も入っていない)唯一国に納めるのは消費税くらいの生き方をしていると、借金返済もない御蔭でとんとん拍子に金が溜まっていく。手元に金があるというだけでアキラは幸せだった。

 

 肉体労働しかできないアキラが選んだ鳶職は、男社会で上下関係も厳しかった。

 女なんて使いもんにならねえ! と初日は冷遇された。口調も誰に対しても気だるいため口を崩さないところから、干されかけた。だが周りの動きを観察し、率先して誰よりも重い荷物を運び、ひょいひょいと高台を跳び、指示に的確に動くばかりか先読みした行動を見せる。真面目にテキパキと働く姿が認められて、今では男色の親方にもすっかり気に入られていた。10年も働いていれば、それなりの地位も得る。

 初めの数年は毎日休みなく働いていたが、金が溜まってきたこともあり、身体がナマらないようにと週に3日程度の働きとなったが、親方は今でも気に入ってアキラを雇ってくれている。

 

 

 

 そんなこんなで今日も現場に出ており、休憩のためにみんなして地面に座って弁当をかっくらう。身体を動かしたあとの飯はほんとうにうまい。

 じりじりと照り付ける日差しはきつく、現場で働く人間はこんがりときつね色に焼けていた。色白のアキラは日差しで肌が真っ赤に火傷しては皮がめくれて白くなる繰り返しで、他の人間よりもずっと白い。冬になればちょっと焼けた肌も真っ白に戻ってしまう。

 

 アキラは男色の親方の隣をいつも通りキープしている。汗に濡れた上着は皆天日干しをしている。アキラもまたタンクトップで休憩しており、その悩ましい身体のラインをちらちらと見る男は少なくない。ひょろく見える身体だが、実際には固く締まった実用的な筋肉がついている。アキラの密かな自慢である。

 

「おめぇが男だったらなァ! 中身は完璧に男だってのにもったいねえぜ! ガハハハハ!」

「切実にそれぇ……ガハハハハ」

「にしてもおめぇは全然老けねぇなァ! ド綺麗な顔してるし、整形かぁ?」

「自前ぇ」

「幾つになったんだ?」

「んー 今日で40だなぁ」

「ガハハハハハ、相変わらず冗談が好きな奴だ。若ぇのがおめぇを見てだいぶ盛り上がってるみたいだが、いいヤツはまだできねぇか?」

「そだね……男を好きになる趣味はないねぇ」

「苦労してるもんな、おめぇ。そういや今日は昼で上がりだったな。弁当食い終わったらすぐに上がっていいぞ」

「うん。ありがとぉ」

 

 親方はアキラを使って、新人がモノになるかどうかを判断する。

 アキラを一目見てチンコテントのゾンビ状態になれば、雇わない。ならなければ骨のあるやつだ。よし雇ってみよう、といったように。

 ここで働いている人間は皆アキラを見てゾンビになるタイプではない。現場に一般人が入ってくることはないので、安心して仕事ができる。

 

 普段は1日中現場にいるのだが、今日は契約更新のために派遣会社に寄ってくれと言われている。

 半日だと本来なら弁当は支給されないのだが、親方の好意で食べさせてもらえた。アキラが定職についていないこともあり、金欠で碌なものも食べていないのだろうと健康状態を密かに心配してくれているのだ。

 

 黙々と配給された弁当を食べていると、ふっと影が差した。

 

「あのっ、姐(あね)さん!」

「タマナシでいいよぉ。なにぃ?」

 

 何度やめろといっても、すっかり姐さんで定着してしまっている。仕方なしにアキラは一人一人に苗字で呼んでくれとその都度言いまわっている。

 

「その……タマナシさんが好きだ。もしよければ、結婚を前提にお付き合いしてくれないか」

 

 ぺこりと頭を下げられる。アッシュがかった髪色の青年に頭を下げられる。ガタイはよく、女に不自由もしていなさそうだ。真面目な働きぶりで親方が密かに狙っている子のはずだ。

 白いTシャツを着たその青年は期待するようにアキラを見つめている。周りはふぉぉぉ! と高らかに歓声を上げて様子を見ている。

 そもそもこの男前と会話をしたことがあっただろうか、と内心で首を傾げる。

 告白なんて人生で一度たりともされたことがない。40歳になって(かつ女性になって)初めてされた告白は、相手が男ということもあって普通にドキドキしなかった。

 

「ごめんねぇ。恋愛に興味もてないんだぁ」

 

 一刀両断すると、なおも青年は言い募ってきた。

 

「では、まずはお友達から」

「友達いないんだぁ」

「じゃあ最初のお友達に」

「俺イマジナリーフレンドはいっぱいいるからぁ。元気出シテ! アキラ! うん、ありがとぉ」

 

 軽く引いた様子だったが、まだまだ気色悪がられるのには足りなかったらしい。

 

「…………どうすればお友達になってもらえるんだ?」

「んー、もっとタンクトップが似合うようになったら考えるよぉ」

 

(似合う似合わないは俺の主観だからなぁ。

 童貞卒業してぇのに処女喪失しそうだなんて考えるだけだサブイボ立つわぁ。付き合う=セックスだろぉ?)

 

 彼女ができたことのないアキラは、交際とはそういうものだと思っていた。

 

 耳をそばだてて会話を聞いていた男たちは、きらりと目を光らせた。今タンクトップを着ている男はよっしゃ、とガッツポーズをし、Tシャツを着ている男は頭を抱えている。

 まるでまわりの様子を気にせずマイペースに弁当を食らうアキラを困ったように見て、親方はため息混じりに言った。

 

「罪づくりな奴だなぁ。明日から全員タンクトップになるぞ、こりゃあ。

 お前ら! 作業中はもちろん長袖だかんな!」

「はい、親方!」

 

 弁当を食べ終わったアキラは、親方の分のゴミも回収して立ち上がる。貰います! と若い男たちが詰め寄ってきたが「いいよぉ」と間延びした返事でゴミ袋へとシュートする。寸分たがわずホールインされたゴミを確認してアキラはプレハブへと向かう。

 

「タンクトップが似合う男……か。よし、もっと鍛えなければ」

 

 ぼそりと呟いて決意を固める男になどまるで気づいた様子もなく、アキラは声をあげた。

 

「んじゃ、お先に失礼しますぅ」

「さまっしたー!!」

「お疲れさん」

 

 ジーパンにタンクトップという簡単な服装に着替え、仕事着を丸めてリュックに突っ込む。

 

 現場には今のところアキラも含めて(含めたくはないのだが、見てくれが)女性が2人いるため、カーテンで仕切られた簡単な更衣室がある。唯一の女子だったころと比べて華々しい毎日になったかというと、全然そうでもない。照れたように視線を背けられ、ろくな会話をしたことがないのだ。アキラが話しかけても、すぐに逃げられる。耳が赤いし嫌われているのではなく、照れているのだと信じている。信じるを通り越してもはや願っている。一度勇気を出して友達になってくれないか、と恥を忍んで申し出たのだがマスターを差し置いてタマナシさんと友達になんてなれないとバッサリ振られた。誰だよマスターって。バーですか? バーのマスターを差し置くってなんですか? 友達ってマスターに認められないと作れないんですか?

 それからもちょくちょく接触は試みたが、最長二言。世知辛い世の中である。

 

 

 町中を歩いていると、さすがに真昼間に人ごみのなかで襲ってくる男はおらず、これからは昼のうちに買い出しに行こうと決める。

 

(あー酒飲みてぇ)

 

 収入はあるため、ビールも飲めてしまう。安くてすぐに酔えるワンカップ生活から一転、借金取りにも追われることがなくなったアキラはいろいろな酒を買えるようになっていた。といっても貧乏性であるため貯金残高はめきめきと右肩上がりだ。

 安い発泡酒を浴びるように飲んでいる。ワンカップよりも割高な発泡酒を飲んでいるだけでアキラは幸せだった。そのあとなにを飲もうか。

 うきうきと考えつつ、仕方なしに派遣会社へ向かう。とっとと用事を終わらせて家に帰ろう。そうしよう。

 

 とす、と肩があたり「っと……すまん」と頭を下げられる。死んだ魚の目のような男だった。きっちりとスーツを身に着けており、下半身テントにはなっていない。ついつい正気かどうかをチンコ確認する癖はどうにかしたほうがいいかもしれない。まともな人にあたることなど滅多にないが、反省する。

 

 うっかり当たってしまったていでよくよくナンパされていたアキラは、本当に純粋にぶつかられたのは初めてのことだったので、まじまじと男を眺めた。

 彼はまるでアキラには興味のない様子で歩き去っていく。

 

 ぼうっと眺めていると、彼の進む方向には、やたらと赤い大きな物体――おそらくはカニっぽい怪人。

 民家の立ち並ぶ平穏な町のなかで随分異質な雰囲気を漂わせている。

 

「わー!」

「きゃああああああ」

「なんかキモい変なのが出たぞ逃げろおおおお」

 

 普通そうなるわな。なんでこの男は普通に怪人へと歩み寄っていくのだろうか。

 

「ちょっと、そこの――」

 

 お兄さん、とか言ったらナンパだと思われないだろうか。思わず尻すぼみになった言葉尻。一般人は慌てた様子で逃げているというのに、男だけはカニ怪人へと近づいていく。

 

(危機感ゼロかよぉ)

 

「あれれ~? キミは逃げなくてもいいのかな~プクプクプク(笑)」

 

 上半身は確かにカニっぽい。だが左右から生えているはずの足はなく、もっさりブリーフとやたらと太いおっさんの足が甲羅からにょっりと生えている。

 

「プクプク……会社疲れの新人サラリーマンってところか。

 カニを食いすぎて突然変態を起こしたこの俺、カニランテ様を前にして逃げないとは……プクプク」

 

(逃げないねぇ)

 

 ようやくカニランテに気づいた男だったが、まったく逃げる様子がない。

 

「死にたいんだね。そうだろう?」

「一つ……違うな。俺はサラリーマンじゃなく無職。今就職活動中だ。今日も面接だったが見事に落とされたよ」

 

(つらいねぇ)

 

 過去の境遇を思い起こし、アキラは男に同情した。

 

「なんか全部どーでもよくなって。カニランテ様が出現したところで逃げる気分じゃねーや。

 で。逃げなきゃどうなんだ?」

 

(いいことあるよぉ、絶対)

 

「キミは俺様と同じく目が死んでいる。死んだ目のよしみだ。特別に見逃してあげましょう。

 ……それに今は別の獲物を探していてね。アゴの割れたガキを探しているのだよ。見つけたら八つ裂きの刑だ」

 

 カニランテは男を襲うことなく去っていった。おそらくはそのアゴの割れたガキとやらを探して。

 血生臭いことになりそうなら、男を引きずって逃げるつもりであった。大人しめの怪人だったようでよかった。いや、あの男の目が死んでいてよかったのか。

 

 ケツアゴのガキなんてたくさんいるだろうに、どうやって見つけ出すつもりだろうか。

 人の顔の区別がつかないアキラはそう思いつつ、見逃された男を眺める。怪人と出会ったことなどまるで気にした様子もなく歩いていく。神経太いな。

 

 様子を伺っていたアキラはこちらに怪人が近づいてくることに気づき、急いで回れ右をする。少し遠回りで派遣会社に行くことにしたのだ。

 特に時間は決められていないが、駆け足に会社へと向かう。ビルの一角を間借りした小さな事務所だが、受付がある。小さく古ぼけたエレベーターに乗って目的階へたどり着くと、擦りガラスの奥にはすぐ受付がある。

 

 木製の受付台に腰かけた受付嬢が綺麗な笑顔を浮かべ、さりげなくアキラの上から下までをチェックする。

 

「いらっしゃいませ。ご予約はお済ですか?」

「うん、契約更新にぃ」

「畏まりました。お席でお待ちください」

 

 奥のスペースには個別に仕切られた幾つもの席が並んでおり、案内された場所に座っていると茶が用意された。ありがたく飲み干し、少しすると担当のおばちゃんがやってきた。

 

「あらぁ、タマナシさん。相変わらずお若くてうらやましいですわぁ。

 現場からはとても良い評価をいただいていて、ぜひともタマナシさんに続けて欲しいということでした。タマナシさんのように素敵な方に登録していただけて、わが社も鼻高々です。

 契約は更新でよろしいのですね? 前回と同じで3カ月でよろしいですか?」

「うん」

 

 書類を用意するおばちゃんはにこにこと微笑みながら世間話をしだす。いつものことだ。

 

「そういえば先ほど近くにカニランテというカニの怪人が現れたとかニュース速報でやっていましたが、大丈夫でしたか?」

「うん」

「大規模な破壊行動はしていないようですが、この周辺にまだいるとのことなので気をつけてくださいね」

「うん」

「ご無事でよかったです。嫌ですねえ、ほんと。危ない世の中に」

「うん」

「なりま」

「うん」

「したね」

「うん」

「契約書を確認してサインと押印をお願いいたします」

「うん」

 

 小難しい文章はすべて読み飛ばし、サインと押印をする。おばちゃんがにこぉっといびつな笑みを浮かべる。

 

「これで契約更新は終了です。ご足労おかけいたしました」

「うん」

 

 ビルの近くにはそれなりに広い公園がある。子どもたちがよく遊んでおり、そこを突っ切って細道に入るのが家への近道になる。

 早足に道路を歩いていると、公園の奥に再び赤いなにかが見えた。

 

(ってまたカニぃ)

 

 公園には一人でサッカーボールを蹴る子どもがいる。

 怪人はガキを探していると言っていた。

 まさかカニが探している子どもがたまたま目の前にいる子どもだとは限らないだろう。そうは思いつつも、なんとはなしに心配になってその子どもへと近づいていく。

 

「あ!」

 

 声をあげたのはスーツの男だった。アキラと子どもを挟んで奥に位置する道路上にいる。

 心なしか先ほどぶつかった男に似ている気がする。スーツを着た黒髪の男なんて腐るほどにいるから、ただ似ているだけかもしれないが。

 

「ん? 何見てんだよ」

 

 アキラが子どもの顔を確認する前に、子どもはすっかり背を向けてスーツの男へと身体を向けている。生意気そうな口調だ。

 

「おいガキ。お前カニの怪物に何かしてないよな?」

「え? 公園で寝てたからマジックで乳首かいたよ」

 

 声なくアキラは噴出した。ひぃい、と苦しみつつ腹を抱える。

 涙をにじませて笑いを堪えるアキラは、カニランテが着々と近づいていることすら見落としている。

 

「み~っけたぁぁ!!」

 

 殺気にぴしゃんと背筋が伸びる。巨体から繰り出される一撃には手加減などありはしない。

 ハサミとなった腕は子どもに向かって容赦なく振り下ろされている。アキラは一瞬足に力を込めたが、すぐ近くにいる男が動き出したのを冷静に確認する。

 スーツの男は子どもを抱えて危ういながらも回避し、子どもを胸に庇った状態で背中から着地する。すぐに子どもを下ろし、しゃがんだ状態で子どもへ焦った顔を向けている。

 

 アキラはほっと一息つく。よかった、子どもも男も血糊をまき散らすことにならなくて。男が庇った子どもの顔を見て、見事なまでのケツアゴにこれは著しく目立ちすぎているし、見間違えようがないと納得した。

 

「ガキ!! 狙いはお前だ、逃げろ!」

「で……でも……」

「俺に構うな。早く行け!!」

「サッカーボールが……」

 

(ひゃははははははははは! 心配してンじゃなかったのか! やっべ、面白すぎてうごけねぇ……!)

 

「ボールかよ!! いいから早く行けって!! 殺すぞ!」

「キミ~、何のつもりだい。まさかその糞ガキをかばう気かい?」

 

 カニランテが不愉快そうに言う。赤い装甲にぎょろりとした目玉しかないため、その目玉と声色でしか判断できないのだが、たぶんめっちゃ不機嫌だ。

 

「おいまさかとは思うが子どものイタズラごときで殺意を起こしてるのか?」

「プク(笑) もう何人も切り裂いてきたよ。この姿を馬鹿にした奴はもれなくね

 そのガキャア! 俺様のボディに乳首を描きやがったんだ! しかも油性だぞ! この手ではタオルで吹くこともできん! 許すまじ!」

 

(ひっひひひひ、もっ、もうやめてぇ……!!)

 

「ひひっ……!」

 

 耐えきれずに噴出したアキラは、初めてその存在を認識された。

 

「おい、女。笑ったか今?」

「え? いやいや、わ、わらってなぃ……ひひひひひ、あっは、だめだ、ははははははは。本当に黒乳首描かれてんじゃん。あっはっはっはっは!! 腹がよじれる、こっち向くなぁ」

 

 アキラはなぜ男が笑わないのか不思議で仕方がなかったが、くく、と肩を震わせているのを確認した。

 アキラが大笑いしているせいで、すっかり紛れてしまったらしい。

 

「笑うなぁ!」

 

 カニが迫ってきて大ぶりにハサミを横薙ぎにする。ぴょんと後ろへ跳んだアキラのすぐ近くをハサミが通り、風で髪が舞い上がる。

 近くで見ると、黒乳首はぐるぐると適当に塗られているのが鮮明に確認できた。雑な描き方が逆に笑える。

 

「ひゃははははははは、まじ、背中向いてくれぇ……! こっちに乳首向けるなってぇ」

「この糞アマ……! 許すまじ!」

 

 あまりにも面白すぎて腹を抱えて大笑いしているところを、脳天向けてハサミが落ちてくる。笑いながらひょいと避けたアキラは、見ないでおこうと思っているのにデカい黒乳首を見てしまい、カニに似つかわしくない立派な乳首に笑いが止まらない。

 

「お、おいお前……! 笑ってないで逃げろ!!」

「い、いや、ちが、……笑って、逃げれね……」

 

 息も絶え絶えにげらげらと笑い続けるアキラに、男もつられて吹き出した。

 

「くっ……!」

「おい、お前も笑ったな?」

「くくくくく。はっはっはっはっ。あーだめだ、つられちまった。

 なんか思い出した。お前、昔見たアニメの悪役そっくりだわ」

「どいつもこいつも馬鹿にしやがってぇ!!」

 

 激高したカニランテがハサミを横薙ぎに振り回す。ぐるりと回転するような攻撃は単調で、アキラは危うげなく避けたが、男は吹っ飛ばされた。避けたアキラにカニランテが猛攻撃を仕掛けてくるが、男が投げた小石がカニランテの頭に直撃する。

 

 アキラの意識はすっかり笑いへとシフトしていたが、男が吹き飛ばされてようやく思考が切り替わる。

 

 額から血を流し、砂まみれになった男は吹き飛ばされてもなお、立ち上がっている。

 

「また……思い出した。俺、小さい頃ヒーローになりたかった。テメーみたいなあからさまな悪役を一撃でぶっ飛ばすヒーローになりたかったんだよ」

 

 男はしっかりとカニを見据えて挑発した。

 

「就活はやめだ。かかって来いコラ!」

 

 正義感にあふれたその男の姿は、不思議と昔見た少年を思い出させた。

 なんの力もないくせに、ダメなオッサンの自分を助けてくれたあの時の中学生を。

 

 男がカニランテに殴られる寸前でアキラは素早く間に割って入り、ハサミを蹴りでいなす。目では追いつかないスピードで移動したアキラに瞠目した男だったが、すぐに我に返る。

 アキラがカニランテの連続ハサミ攻撃をいなしている間に、ネクタイを引き抜いて跳躍する。男へも攻撃を食らわそうとしていたカニランテだがアキラに妨害されてハサミひとつ出せない状態だ。

 

 男の意図を悟ったアキラはカニの膝に軽く蹴りを食らわせた。がくんと膝を折って低くなったカニランテの目に男がネクタイを引っ掛けて、そのままぶち抜く。汚い叫び声をあげて呆気なくカニランテは撲滅された。

 見事なまでの息の合った連係プレイである。

 

「はっ……ははっ。やった……!」

「あんた、強いねぇ」

「お前の方がずっと強い。ほんとはあんなの一撃でぶっ飛ばせたんだろ?」

「まさかぁ」

 

 ばたりと地面に倒れ込んだ男は達成感に笑みを浮かべていた。ゆっくりと身体を起こした男が座ったままアキラに身体を向ける。

 

「なあ、弟子にしてくれないか?」

「ああ……ぁあ? いや、無理ぃ」

「お前……いや、師匠。お名前はなんていうんだ?」

「誰が師匠だっての。多摩無アキラだ。変な呼び方するなよぉ」

「多摩無アキラ……?」

 

 ぱちぱちと瞬いた男が考え込む。

 

「歩けるかぁ? 無理なら背負ってくけどぉ」

 

 サイタマは目を見開いた。それは奇しくも、苦汁をなめた中学生の頃に出会ったサイタマのヒーローがかけてくれた言葉とまったく同じであったからだ。

 

「……タマナシ……アキラ……! まさか……」

「おーい」

「昔、豚の貯金箱の怪人を倒さなかったか?」

「んー? ………………あぁ! 懐かしいなぁ。ありゃぁ良い臨時収入だったよぉ。あの日が、俺の人生の転機だったなぁ」

「やっぱりな。随分とイメチェンしているが、やっぱりタマナシさんか! 会えて嬉しい。実は、昔タマナシ師匠に救われたことがある。あの時俺は中学生で、豚の貯金バコンにやられて路地裏で倒れてた」

 

 死んだ魚の目だった男が、心なしかきらきらした目をしている。子どもがよく向けてくる視線にそっくりだ。

 いや待て、だから誰が師匠だって。

 いや待て、イメチェンって。

 いや待て、あの時の子か。あの時って、汚い格好はしていたが、まだ男だったような気がする。

 

 目まぐるしくアキラの思考は移り変わる。そうか、あの時の子か。

 人というのはそう簡単に芯というやつは変わらないのだ。

 この男サイタマは、昔からずっと誰よりも己に正直に生きているんだなあ。誰しも人は自分に素直になるよりも、人に魅せることを選んでしまう。自分の価値観ではなく人の価値観を気にして少しずつ芯が隠れていく。だというのに、この男は昔のままだ。

 

「あー……あの時のぉ。その節は世話になったねぇ。大きくなったなぁ」

「覚えていてくれたのか。なあ。タマナシ師匠はどうやって強くなったんだ? 俺は、本気でヒーローになりたい。頼む、弟子にしてくれ」

 

 近所のおばちゃんのように成長を喜んでいたアキラであったが、不穏な言葉を聞き取って我に返る。

 弟子ぃ? ごめんだ、ごめん。

 

「ごめんねぇ」

「頼む」

「君のこともよく知らないしぃ」

「タマガワだ」

「タマガワ……?」

「違う、サイタマだ」

「え、なんで嘘ついたのぉ」

「言い間違えた。タマガワとサイタマ、ぜひタマタマ師弟として」

「俺タマガワじゃねえしぃ」

「タマナシとサイタマか、ぜひタマタマ師弟として」

「なに何事もなかったかのように振る舞おうとしてんのぉ」

「なんかタマタマタマタマわっかりづらくてよ」

「名前も若干被ってるし、諦めてよぉ」

「諦めきれない」

「……諦めて欲しいなぁ」

「そこをなんとか」

「えぇー……そだなあ。腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回……んーあとはランニング10km!

 これを毎日やるんだ。1日でもサボったら終わりだぞぉ。一年続けれたら弟子にしてやるよぉ。くれぐれも言っておくが、1日でもサボったらナシだかんなぁ」

 

 台風が来ても、怪人が来ても走り続けるなど到底不可能である。最初からできないとわかっている条件を提示し、万が一1年後アキラのもとへと訪れたら「1日サボったろ」と言う。そして弟子入りの件はなくす。

 のんべんだらりと休日には一日中酒を飲んで暮らすアキラは、はなから無理だと決めつけた。すっかり自分の価値感で人を計ってしまうようになっていた。

 

「なんだ不満かぁ? じゃあ俺の弟子になるのは諦めるんだなぁ」

「いや、やる。必ずやる。タマナシ師匠、待っていてくれ」

「待ちゃあしねえがぁ……んで、歩けるのぉ?」

「ああ、問題ない」

 

 ふらふらと立ち上がった男――サイタマはえらく体育会系な90度のお辞儀をして去っていった。

 

「変なのぉ~。おっと、酒酒……っと」

 

 すっかり意識を切り替えたアキラはカニランテを見て、今日はカニ鍋にしようと決める。

 冷凍のカニとたんまり酒を買って。夏場の鍋ってのも結構乙なもんだ。冷房をガンガンに効かせて……と考えるだけであまりの贅沢ぶりに涎が出そうだ。

 

「あ、そういや俺今日誕生日ぃ……」

 

 よし、高級な日本酒でお祝いといこう。そだそだ。俺今日誕生日。祝、賢者!

 精霊になる前にぜひとも童貞を卒業したいものだ。

 アキラが脱童貞できる日は、果たしてくるのだろうか。

 男に戻れそうな見通しは、未だに立っていない。

 

 

 

 

 

 




タンクトップマスター
『タンクトップが似合う男になって、もう一度、タマナシさんに告白する……!』
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