オウマイソン!   作:サイスー

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原作1年前

 ある冬のことだった。アキラの住む町に凄まじい寒波が訪れて、普段雪の降らないZ市にも牡丹雪が降り注いだ。雪とともに吹きすさぶ風は冷たい。往来を歩く人はほとんどおらず、建物の屋根や地面は雪化粧が施されている。

 

『緊急避難警報! ただいまZ市に怪人が出現しました。災害レベルは「鬼」です。付近の住民は直ちに屋内に避難し、絶対に外に――ピー……』

 

 町中で鳴り響く緊急警報がぷつりと途切れる。

 

 マンションから転がるように飛び出てきたのは、華奢な若い女性だ。恵まれた体型に控えめにいっても整った顔立ちをしたその女性は、ロングダウンを慌てて羽織ながら切羽詰まった形相で一目散に走りだす。おおよそ常人では考えられない短距離走の選手のような速度で走っていたが、その異様な光景はただ一人にしか見られていなかった。

 

「師匠。どこ行くんだ?」

 

 背後で聞こえる声を置き去りにして、アキラは走っていた。店は軒並みシャッターが降りている。雪だからだろうか。

 

 

(昨日までは、あった)

 

 それは、突然のことであった。

 サイタマの髪が、綺麗になくなった。毛根すらも死滅したつるつるの頭でいつも通り部屋を訪れたサイタマにアキラは絶句した。

 

「起きたら枕にどっさり髪の毛が散らばっててさ。

 なんかハゲた。

 どうしようかと思ったぜ」

 

(な ん か ハ ゲ た ぁ ? !)

 

 軽い調子でサイタマは言っていたが、同じ男だ。彼の隠した涙は痛いほどよくわかった。顔は笑っているし声の調子も軽いものだが、心のなかで大号泣しているに違いなかった。

 

 責任を感じたアキラは吹きすさぶ暴風に逆らってドラッグストアを目指していた。毛生え薬でどうにかなるものでもないかもしれないが、何事も試してみなければ。金に糸目を付けずに毛生え薬を揃えようと決意していた。

 はげる前にもっと注意喚起をすればよかったろうか。否、うっすらと彼の髪が減りつつあるのを悟ってどうして声をかけられようか。

 アキラはハゲにハゲという勇気は持ち合わせていなかった。

 

「なぁ師匠」

「なんだぁ」

「どこ行くんだ?」

「ドラッグストアだ……ってサイタマくぅん?! ちょ、なんでついてきたのぉ! ンな寒そうな格好でよく出てきたなぁ!」

 

 長袖のTシャツにズボン。ただそれだけだ。彼の表情から寒さは読み取れない。吹きすさぶ風にもなんのその、間の抜けた表情をしている。ぴったりとアキラの横を走っている。気配も足音もありはしなかった。アキラは必死な形相で走っていたのだが、サイタマは常と変わらない無表情で息も乱していない。

 

「別についてこなくていいし!」

「いや、突然出ていくから。師匠寒いの嫌いだから全然外に出ないのに。

 俺は1年中冷暖房はつけないようにしてるから、別にそこまで寒くないぞ」

「普通は寒いんだってぇ!」

「ふぅん。じゃあ、コタツのなかから滅多にでない師匠よりは寒くない」

「それは間違いない」

 

 アキラは暑さにはそこそこ強いのだが、寒さにめっきり弱かった。

 冬に差し掛かってきた頃、毎日していた修行は3日に1回まで落ちて、最近では全くしていない。

 

 サイタマは半年前から毎日アキラの家に通っていた。毎日会っていれば変化に気づかないというが、明らかに気づくレベルでサイタマは人間を辞めていく。

 

 アキラの教えを忠実に守って日々のトレーニングを欠かさないうえに、サイタマは自主的に怪人退治をも行っていたと聞く。怪人と戦い怪我をしてアキラの家に転がり込むこともざらにあったが、その後始末をすることはそういえば彼が毎日アキラの家を訪れるようになって1か月もしないうちになくなっていた。日に日にサイタマが怪我をする頻度は落ちていき、最近は飯を食いに来ていただけだ。

 

 人としての成長曲線などまるで無視した力の上がり具合であった。アキラは命の危機を感じて、サイタマの師匠面をするべく身体を動かすようになった。なにせ彼の作る飯はうまい。家事全般を当たり前のようにこなしてくれるサイタマはアキラにとって欠かせない人物になっていた。よい舎弟をなくしたくないがゆえに仕方なく本格的に身体を鍛え始めたのだ。サイタマによりもたらされた快適な生活をなくすことはできなくなっていた。

 だが人外のスピードで成長していくサイタマには敵わない。

 

 アキラが師匠面して教えたのは簡単なパンチとキック、あとは関節技や投げ技くらいのものであった。サイタマほどの身体能力であればすぐにものになるだろうと楽観視していたが、パンチとキックと足払いくらいしかものにならなかった。彼は壊滅的なまでに覚えが悪かった。

 

 いつからか純粋にサイタマの攻撃力を、特別製のパンチミット越しにも受け止めきれなくなってきた。どこぞの博士が発明してくれた凄いやつのはずなのだが。クーリングオフしたい。

 アキラは途轍もないパンチを受けるふりして力を逃がすことが得意になり、ついつい攻撃を避ける(というか避けないと死ぬ)ことに躍起になっていると、アキラは攻撃をいなす達人レベルにまでなっていた。「なんかあんまり手応えないんだよな」と首を傾げるサイタマに、アキラは冷や汗をかきながら「そ、そうぅ?」なんて震えた声で答えた。アキラの修行みたいになっている。

 隙を見て攻撃すると、フェイントすら使っていないのにボコスカとサイタマは殴られる。あれこれと攻撃を読むことはどうやら苦手らしいので、せめてもの攻撃を逃がす技術面を教えようとした。懇切丁寧に説明し、やってみせ、やらせてみたのだがサイタマはまるで理解ができない様子であった。山本五十六に文句を言いたい。

 防御は稀にしか成功せず、基本やられ散らかしている。ハゲ散らかしてはいなかった。まだこの時は髪の毛があった。

 

 いつになっても防御がものにならないものだから可哀そうになって「打たれ強けりゃなんとかなるさぁ」とアキラは言った。サイタマは適当な慰めを本気でとられて、殴られても、蹴られても、打たれ強けりゃなんとかなると自ら車にひかれにいくくらいになっていた。ひいた人間が可哀そうだとアキラが引きながら訴えると、じゃあ師匠が殴ってくれと爽やかに言われて「絶対に反撃しない」と言質を取って、泣く泣くサイタマをぼこぼこにした。

 報復されたら死ぬぞ、これ。そんな危機感を常に抱きながら涙を堪えつつサイタマを殴っていた。

 

 サイタマの攻撃力に申し分はない。だが死にたくないアキラは必死になってサイタマの攻撃をいなす。「なかなか師匠に一発をいれられない」と落ち込むサイタマに、そりゃいれられたら死ぬからなと思いつつもアキラは愚直に努力を続ける青年が可哀そうになった。努力は人一倍しているのだが物にならないのが哀れで「しょっぱな一撃素早く相手に叩きこんでKOすりゃ、なんの問題もねぇさぁ」と適当な慰めを言った。それを本気にしたサイタマはストレートを極めるようになった。今じゃあ壁に穴をあけるなんて当たり前だ。風圧で人を殺せるレベルだ。

 

 アキラの動体視力は40を過ぎてめきめきと上がっていたのだが、それでも見えない拳が飛んでくるのが多くなって、第六感が凄まじい勢いで磨かれた。見えないところから飛んでくる攻撃には人一倍敏感といっても過言ではない。人間死と隣り合わせだとめきめきと上達するもんだ。

 

 いつからかサイタマは車よりも早く、呼吸すら乱さずに走れるようになっていた。

 アキラが言ったキロ30秒を達成したとにこやかに報告されたときは、ショックでアルコールを飲む気さえ失せた。

 適当な発言を真摯に受け止めていたサイタマはアキラの言葉を信じて自分を追い込み続けたのだ。キロ30秒は時速にして200kmほどだという。サイタマはスポーツカーばりの走りを軽々とするようになってしまったのだ。

 

 災害レベル鬼の怪人をワンパンで倒したと聞いた時には、とうとうこいつも人間やめたなと、ミットうちの稽古は禁止にした。アキラの身体と心がもたないので、謹んでやめさせていただいたとも言う。

 

 災害レベル竜の怪人を倒したと聞いた時、アキラは珍しくもキリッとした本気の表情で、正座して言った。「もう免許皆伝だ。お前は俺より強い。マジで」と。

 これ以上練習につき合わされるのも、きらきらとした目で師匠凄い! と訴えられるのも辛くなっていたのだ。語尾も伸ばさない本気の物言いだったのだが「まだ師匠から1本も取れてない。まだ弟子として学ばせてくれ」といやに謙虚な姿勢でサイタマはアキラの家へと通い続けた。もうやめてくれ、とアキラは泣きたい思いであった。

 

 あのな……一本取られたら、俺は死ぬんだぁ。

 

 

 

 アキラはサイタマに勝てやしない。なにがどう転んでも絶対無理だ。人外を極めたサイタマと違ってアキラは人間であった。己の限界を超えて磨かれたのはシックスセンスくらいのものだ。

 

 手合わせは本気で拒否するし、殴ってくれと言われてももう絶対に殴らない。「頼む、反撃しないから」と言い募られても断固として拒否だ。

 

 つまらなそうに口を尖らせるサイタマに、俺のパンチなんか痛くもかゆくもないだろうと落ち込みながら「これが本当に俺の本気なんだ」と足腰を使って全身を鞭のようにしならせた強烈なビンタを食らわせる。正真正銘の本気を出すことで、サイタマにもわかってもらおうと思ったのだ。ビュォンと飛んでいったサイタマが瓦礫のなかへと突っ込んでいく。

 やつはあれでもケガひとつないのだ。なにせ災害レベル竜の怪人にしこたまやられても怪我はないし、ワンパンで倒す男なのだから。

 そう悟りつつサイタマが戻ってくるのを待つと、右頬からでろでろと血を流しているのにも関わらず、にこにこと笑いながら「やっぱ師匠は強ぇなぁ」と砂まみれで近づいてくる。

 重ねて言う。アキラはサイタマに傷をつけることはできない。

 よく見ると、ビンタをしたのに若干切り傷のようになっている。アキラの顔を立てるために自分で自分に爪を立てた違いなかった。どんだけリスペクトされてんだ。なんで顔を立てようとしてくるんだ。怖い。まじで怖いわ。

 奇声を挙げて救急箱を取りに行ったアキラは、慌ててサイタマの怪我の治療をした。「すまん、ごめんなさい、本当に申し訳ございません。自虐行為はだめだよ? マジで」とぺこぺこと頭を下げながら。

 自虐事件が昨日のことだ。

 

 

 そして今日、サイタマの髪の毛が消えた。

 人外の強さを得た引き換えに、サイタマは若くして髪を失ってしまったのだ。そうなった一端はアキラにないでもない。

 人っ子一人歩いていない道路で、寒さに凍えながらアキラはサイタマを見あげた。すっかり立ち止まり、サイタマのつるりとした頭に雪が積もっている。間抜けた表情も相まって実にコミカルであった。

 ぬぺんとした間抜けな顔を見ていると、なんだかどうでもよくなってくる。

 

「うーん……あのさ、慰めじゃなくてさぁ、いいと思うよ、その頭ぁ。俺は全然嫌いじゃないよぉ。嫌いっつか結構好きだぞぉ」

「そうか?」

 

 どことなく嬉しそうにつるつると頭を撫でるサイタマに涙が禁じえない。

 

「……帰ろっかぁ」

「おう」

 

 アキラのなかでは既にどうすれば男に戻れるかというよりも、どうすればサイタマの師匠を辞められるかのほうが問題となっていた。

 こんな人間核爆弾にふとした拍子に殴られたら、木っ端みじんに身体が吹き飛んでしまう。

 なにも言わずに消えるのは、自分がされて辛かったからしない。

 だが彼への良い別れの言葉を考えているうちに、なにも言わずに消えていった彼らの気持ちを理解した。

 だって相手が納得できる言葉が思いつかない。でも逃げたい、消えたい。

 そんな気持ちが積もり積もって、たくさんの言葉は彼らの心のなかに降り積もっていったのだろうが言葉にならずに終わったに違いない。

 

 シークくんは一発殴ってやろうと思っていたが、彼も彼なりに悩んでいたのだ。責めてやったらかわいそうだ。

 そう思えるようになったアキラは少しだけ大人になった。

 

「あーサイタマくん? 言い辛いんだけどぉ、もう免許皆伝もとっくにしたわけだしぃ、もう修行はつけられないからぁ、そう毎日通わなくていいんだぞぉ?」

「でももう日課になってる」

「日課なんてのは、3日継続すりゃあ日課だぁ。俺の家に3日通わなければ、そりゃもう立派な日課になるんだぁ」

「俺が来るのが迷惑か?」

「めめめめめめ迷惑なわけがあるかぁ!!」

 

 はい、迷惑です。

 ……とはどうしても言えなかった。

 

「迷惑とかじゃなくて、ほらぁ。大変だろぉ?」

「全然。俺、このマンションに住んでるからそう手間でもないぞ」

「え? いつから?」

「半年前」

 

(知らなかったぁぁぁぁぁあ! だからやけに遭遇率が高かったのか! スーパーでもなんか見るなぁとは思ってたんだよぉ)

 

 週1ペースのバイトの日には、サイタマは飯を作って待ってくれていた。それ以外は毎日飯時に現れてはアキラの家で自炊し、タダ飯を食っていた。金はたんまりとため込んでいたため、未だ引き出しに詰め込まれているので問題ないどころか、いつも家事をこなしてくれていてありがたい。

 サイタマはアキラの金の収納場所ももちろん知っており、食事代はそこから取ってくれと言っている。

 飯の時間には必ずいるため、半分同居みたいなものだ。日に2回も通うの面倒じゃないのかな、などと思いつつも特に気にしたことはなかったが、そういうことだったのか。

 

「師匠ん家ってテレビ置いてないから、怪人のことわからないし、ずっと居座れないんだよな」

 

(絶対テレビは置かないでおこぉ……)

 

「なんでテレビ置かないんだ?」

「ああ……ちょっとねぇ……なんつーか電磁波アレルギーみたいなぁ?」

「そうだったのか。だから携帯も持ってないんだな。大変だなー」

 

 電磁波アレルギーってなんだ。あったらとっくに死んでるだろう。

 アキラは心のなかで自分に突っ込んだが、サイタマは素直に受け取った。サイタマはアキラが師匠というだけでなにやらめっちゃ凄い人のように思っている節がある。なにを言っても素直に受け取ってくれるのはありがたくもあり心苦しくもある。

 

「そういや、鍋に火かけっぱなしだ。先戻ってるな」

 

 バビュンと走っていくサイタマをアキラは力の抜けた笑みで見送った。

 夜逃げしようかな、と本気で思った。

 引っ越してすぐにアキラの場所を突き止めたサイタマのことだ。きっと地の果てでも追いかけてくるに違いない。地球にアキラの逃げ場所なんてない。

 絶望した。

 帰りたいけど帰りたくない。だけど帰るところは1つしかない。とぼとぼと歩くアキラは珍しくもすさまじい落ち込みっぷりであった。

 徐々に身体が冷えてきてはやく帰りたかったのだが、足先が冷たくなってもなおアキラはぼんやりとゆっくり歩いていた。

 帰りたい。帰りたいのに帰れない~。虫コ〇ーズでも置かれているようなものだった。

 

 

 

「あらぁ、綺麗な人ね」

 

 上から声が降ってくる。ちらつく雪から手で目を護りながら見あげると、上空に女性がホバリングしていた。どうやって飛んでるんだろう。

 

 すっとアキラの隣に下りて来たのは、白い着物に白い髪をした綺麗な女性である。目尻は吊り上がり、赤いアイラインと口紅以外に色はない。

 

「私は雪女のユキオナ」

「どうもご丁寧にぃ。俺はタマナシと申しますぅ」

 

 ぺこりと頭を下げて家へ向かう。

 

「なに家に帰ろうとしているのよ! 帰さない! 私より綺麗な女は全員凍らせてやるわ……!」

 

 近所のご近所さん風に挨拶を交わして去る作戦は通用しなかった。

 

「ちょっさむさむさむさむさむっ!!!! やめろってぇ! なんの嫌がらせぇ?!」

 

 局所的に吹雪く。ユキオナの仕業に違いなかろう。慌ててダウンのボタンを閉じようとするが、指がかじかんで動かない。

 あばばばばばばと身体を震わせるアキラは、クマに遭遇したときのようにユキオナから目を離さぬままじりじりと後退していく。

 

「あら、まだ動けるのね。あなたのまわりの温度は、普通の人間なら動けなくなるはずだけれど」

「いや、も……まじ、げんかぃ」

 

 口すら寒さに凍えて動かなくなってきた。身体の熱はすっかり奪われてがちがちと歯の根が音を立てる。アキラのまわりだけすさまじい勢いで吹雪いているらしい。その証拠に雪の飛礫の隙間から見えるユキオナは風にあおられていない。

 

「俺はC級ヒーローミズデッポウ! 食らえ! ミズデッポウぅぉぁぁぁぁ! 凍って出ねぇぇぇ!!!」

「そこまでだ怪人! 俺はC級ヒーロークロコダイルン! ワニの噛む力を知ってるか? ワニはなぁっ……(凍)」

 

 ミズデッポウは凍り付き、クロコダイルンはユキオナに近づく前に氷漬けにされていた。

 ワニはなんだ。なんなんだ。

 

「おっほっほっほっほ! 弱いヒーローなんて敵ではないわ!」

 

 艶やかな笑みを浮かべる雪女が、突如として飛んできたなにかにぶつかって近くの家の塀へと突っ込んでいった。ドガシャァンと塀は潰れて吹雪がわずかにおさまる。

 

「大丈夫か!」

 

 冷たい風がなにかに遮られる。

 

(サイタマ……? じゃ、ない)

 

 氷漬けの男が2名いるのだが、真っすぐにアキラへと駆け寄ってきたのは、紺のタンクトップをぴっちりと着こなした筋肉隆々の男だ。その巨体で風を遮ってくれているらしかった。上半身も下半身も凄い筋肉に覆われているのだが随分と寒そうな格好をしている。アキラよりも俄然寒そうである。見た目が寒い。見てるだけで寒い。

 しかし壁のように大きな男のおかげで、風が遮られて驚くほどに暖かい。いや、寒いんだけど、めちゃくちゃマシだ。

 

「タマナシさん……?」

「ん……?」

 

 なぜ名前を知っているのか。そう一瞬思ったが、身体の危機のほうが先立つ。風向きが変わり、思考が寒さに染められていく。

 

「やはり、タマナシさんか! タンクトップを着ていなくてもすぐにわかった。

 そんなに震えて……よほど怖かったんだな。安心しろ。俺が来たからには、もう大丈夫だ」

 

 アキラと男の隙間は、静かに詰められた。アキラと男はほぼ密着するほどに近づいている。アキラは全然気付いていない。

 下を向いて自分の身体を抱きしめながらガチガチと震えるアキラを、筋骨隆々の丸太のような腕がぎこちなくも、そっと包み込む。

 

(……あれぇ? なんかめちゃくちゃあったかいぃ……)

 

 あまりの寒さに、アキラは男に抱きしめられている状況を露とも気にしていなかった。男の身長があまりにもデカすぎて、アキラの頭は男の胸にも届かない。吹雪のなかで女を抱きしめる男の図は絵になった。

 

 傷まみれになりながら瓦礫から飛び出てきた雪女は瞳を悪魔のように吊り上げて「イチャイチャしてんじゃないわよ!」と再び暴風まじりの雪をお見舞いしてくる。

 

「これを着ておくといい。すこし、離れるぞ」

 

 名残惜しそうに身体が離され、手渡されたのはタンクトップ。

 

(アホかぁぁぁ!!! こんなんで寒さしのげるわけがねぇだろぉ!)

 

 妙に柔軟剤のいい香りがするそれを文句を言いながらかじかむ指先でぎこちなく首に巻き付けた。なにせ寒かったのだ。

 

「タンクトップパンチ!」

 

 巨体に似合わぬ俊敏さでタンクトップがユキオナを殴りつける。避けることもできずに吹き飛んだユキオナは、再び塀へと突っ込んだ。傷だらけで蛇行しながら、よろよろと上空へと飛び上がってユキオナが両腕を掲げる。小林〇子ばりのド派手さでぱたぱたと着物の袖をはためかせつつ、ますます吹雪を強める。

 

「ハートにタンクトップを着込んだ俺にはこのような吹雪通用せん!」

「おほほほほほ! 貴方は大丈夫かもしれないけれど、そこの女はどうかしら?

 人間は飛べなくて不便ねぇ。さあ、どうするのかしら」

 

(さ、ささささささささみぃぃぃぃぃぃぃいいいいい!! おこたに入って鍋くいてぇぇぇぇぇぇ!!!!)

 

 自分の身を護るべく、アキラは三角ずわりのような体勢で地面で丸まった。足先は凍えて、もう満足に動かない。走って家まで帰ろうと思っていたのだが、アキラだけを狙った吹雪の体感温度は-50℃にも達していた。走ったら死ぬ。

 

「舐めるな!」

 

 上半身裸の男は地面がめり込むほどの跳躍をし、一瞬にしてユキオナのもとまでたどり着き、くるりと空中で身体を捻ってユキオナを蹴り落とす。すさまじい勢いで地面へ吸い込まれるように飛んでいくユキオナ。

 

「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁ、おのれっ、おのれぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 凄まじいクレーターを作って地面に打ち付けられたユキオナは、それでもまだ息がある。再び飛び上がろうとしたところを、落ちてきた男が「タンクトップパンチ!」と顔面に拳が打ち付ける。

 唐突に吹雪が止んだ。

 アキラは意識もうろうとしながらも、その様子をぼんやりと眺めていた。

 

「タマナシさん! 無事か!」

 

 駆け寄ってきた男が地面に座り込んだアキラの前に片膝をつく。それでもなお大きい。ぎこちない動作で背とひざ裏に腕が差し込まれ、ひょいっと抱きかかえた。軽々と持ち上げられ、俗にいうお姫様抱っこの状態になっていたのだが、アキラはなんの反応もしない。あまりの寒さに意識が飛びかけていたのだ。

 

 普段のアキラならば絶対に許さない行動であった。腕の位置を変え、片手で楽々とアキラを抱きかかえたまま男はどこかに電話をし始めた。

 

「ああ、俺だ。Z市の怪人は倒した。死体の回収を頼む。巻き込まれたヒーローと一般人がいる。救急車の手配も頼んだ」

 

 病院。

 その単語を聞いてアキラは慌ててもがいた。

 

「動くな。落としてしまうだろう」

「病院は、ダメだぁ……」

 

 もぞもぞと身動きすると、両腕でがっちりと抱きかかえられる。凄まじいホールド力に全然動けない。アキラは厚い筋肉に身体を押し付けられ、唯一自由な片腕を動かす。もぞもぞと動いていると、人肌に温められ、寒さが和らいだこともあって徐々に身体に力が入るようになってくる。

 

「病院が嫌いなのか。可愛らしい一面もあるんだな。……なら、俺の家に来るか?」

 

 アキラに自分が女だと思われている意識は低い。なにせよくつるむのがサイタマだ。腹を出して寝ていても、なんなら全裸で寝ていてもなにも気にしない男と半ば同棲生活をしていれば危機感は薄れていく一方である。そういった情緒を培ってこなかったアキラは、なにも思わず言った。

 

「いや、俺の家のほうが近いしぃ」

「まだZ市に住んでいたんだな。家はどこだ? 送って行こう」

 

 しっかりとアキラを抱きかかえたまま男が言う。今更ながらに男にぴったりと密着している状態に気づいたアキラは、げぇっと顔を歪ませた。いつからこんな体勢になってたんだ? びっくりしたわ。

 

「おろせぇ。もう歩けるぅ」

「無理はするな」

「無理じゃないぃ、マジ下ろしてぇ。頼むからぁ」

 

 若干半泣きで懇願され、名残惜しそうにそっとアキラを下ろした男は、改めて見てもめちゃくちゃデカい。

 ところで何故この男は自分の名前を知っていたのだろうと内心で首を傾げる。

 

「ずっと会いたかった。タマナシさんに似合うタンクトップマスターになれただろうか」

 

(なに言ってんだ、こいつぅ?)

 

 助けられたためにアキラは暴言を控えたが、内心では疑問符の嵐だ。

 

「タンクトップマスター……?」

「ああ」

「さぁ、なったんじゃないぃ?」

「そうか! ならば、俺と友達になってくれるか!」

 

(接続詞おかしくないぃ?)

 

 タンクトップが似合う → 友達

 繋がりがよくわからない。

 

 アキラは自分が告白されたことなどすっかり記憶から消していた。

 告白をすげなく断り、それならまずはお友達からと言われて、タンクトップが似合う男になったらと言ったこともすっかり忘れていた。

 そんな奇天烈な発言を自分がしていたなど露とも思わず、なにが"ならば"なのだろうと疑問を覚えていた。

 

 アキラは友達に飢えていた。あの時はすげなく断ったが、今はすっかり告白されたことを忘れていたため、友達欲しいなぁと普通に頷いた。

 

「うん」

「そうか!」

 

 喜ぶ半裸の男の背後に「おー、生きてたか」と凄まじいスピードで走ってくるハゲ頭。差し込む陽光が反射してめちゃくちゃ眩しい。

 

「あんまり遅いから寒さで動けなくなってんのかと思った」

「迎えに来てくれたのぉ?」

「師匠寒いの苦手だろ? 歩くの諦めてんのかと思ってな。……知り合いか?」

 

 半裸の男へ目を向けるサイタマ。

 

「うん。さっき友達になったぁ」

「なんで裸なんだ?」

 

 心底不思議そうサイタマが言い、アキラは借りパクしかけていたタンクトップの存在を思い出した。

 

「ああ、忘れてたぁ。返すねぇ。寒かったから借りてたんだったぁ」

「タンクトップ一枚の友達から服をはぎ取ったのか。鬼か」

 

 いや、有無を言わさず貸してくれたし。そう思いつつ、アキラは首に巻き付けていたタンクトップを返した。

 男はアキラから渡されたタンクトップを手に取り、なんとも表情の読めない顔で見つめている。

 

「温かい……」

「悪かったねぇ」

 

 タンクトップ1枚でそんなに変わるものだろうか。そんなに温かくもなかったが。

 

「いや、謝罪など--」

 

 ピリリリリリリと電子音が響く。タンクトップがポケットから携帯を取り出す。

 彼はなにやら真剣な顔をして淡々と返事している。

 

「近くでまた怪人が現れたようだ。後ろ髪引かれる思いだが、行かねばならん」

「大変だねぇ。いってらぁ~」

「ああ、行ってくる」

「あ、助けてくれてありがとねぇ」

「礼を言われることではない。急がねばならん。……また会おう」

 

 タンクトップもまた、サイタマを彷彿させる人外のスピードで走って消えていく。

 

「なあ。助けられたって、師匠が?」

「うん~死ぬかと思ったぁ~」

「師匠が死にかける? 寒くてか」

「それもあるけど、普通に怪人にやられそうになってたぁ」

「え、師匠が? ……ねぇわ」

 

 嘘つけ、みたいな感じで言われたが生死の境をさまよっていたアキラとしては納得がいかない。

 

「認めろぉ、サイタマくん。俺は一般人だぁ。ワンパンで敵は倒せないし、防御力も弱いぃ」

 

 スパンと見えないところから飛んできた拳をかわす。風切り音が遅れて聞こえてくる。

 

「ほら、嘘だ。これで大抵の怪人は死んでるぞ」

「ちょっおまっまっまっ……なにするのぉ!!!」

「師匠なら避けると思って。避けたし」

「っっっざけんなよぉ!!」

 

 足払いをかけ、サイタマを蹴飛ばしたアキラは恐怖と怒りと今生きていることへの感謝でぐちゃぐちゃになりながら家へ向かった。

 

 分厚い曇天の切れ間からはすっかり太陽が顔を覗かせ、凍った世界をじんわりと温めだした。

 

 




誰得タンクトップマスタータイム

タンクトップマスター
『ようやく友達になれた。次会う時には恋人か。結納はいつにするべきだろうか……』

その時のアキラ
「あれ? なんかめっちゃ悪寒がする」
サイタマ
「風邪の引き始めじゃねえか? 普段しないことするからだろ。ほら、葛根湯」
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