アキラはその日、バイトであった。朝早くから身支度をし、仕事着をリュックに詰め込んで職場へと向かう。もちろんサングラスは300円の傷だらけの代物を使っている。高価なものでもないのに随分と物持ちがいい。
鳶職からはすっかり離れたが、ゆるく長く運送会社でバイトを続けていた。
アキラが勤めているST運送会社は深刻な人手不足らしく、出勤するたびにバイトを増やさないかとか、いい条件で社員にするよ、と勧誘を受ける。アキラはしがらみなく働きたいのだ。どれほどの好条件を提示されようが、アキラが首を縦に振ることはない。
定時にあがる度にじっとりとした目で睨まれるのにもすっかり慣れていた。
呪詛のように、顔を合わせるたびに
もっと勤務を増やさないか? とか正社員登用制度があるんだが、とか特別にボーナスを支給するとか、すぐにベテランとして登用するとか、社長はあの手この手でアキラを正社員に引き込もうとしてくる。ガン無視だ。
当たり前のことができないアキラではあるが、自分がやるべきことはきっちりとこなす一面もあった。
アキラはすっぱりと残業は断っているが、配達地域を広げたのと、CMをするくらいまで会社の知名度が高まったことから、一人当たりの仕事量が増えた正社員は目の下を真っ黒にして社畜として会社に奉仕している。その分給料の支払いは良いらしいが、果たしてブラックなのかホワイトなのか。間のグレーくらいだろうか。
怪人が現れるとどうしても荷物が遅延するのはどこの運送会社でも同じことだ。遅延どころか車ごと荷物もなくなることだってある。
この前だって突然現れた巨人によってB市が壊滅したばかりだ。市が1日にしてきえる世の中なのだから、荷物が消えることだって当たり前。
配達員はよくよく大けがを負って病院へ運ばれているが、そんなこと顧客は知ったことじゃない。
鳴りやまぬクレームの嵐に事務員は必死に謝り倒して就業時間が終了する。17時を過ぎれば電話は自動的にすべて転送されるので、そこから社員たちは残業という名の通常業務が始まる。
金が払われているだけ救いだが、怪人め……と充血した目で愚痴る彼らの顔は昏い。
主に怪人騒動のせいで休みなく運び続ける配達員。休憩時間以外はすべて配達のため、過酷な業務内容にバイトは短期間でころころと人が変わる。残った人間は社員登用試験を受ける者が多い。仕事は過酷だが、人はいいのだ。アキラのようにバイトだけの人間は稀であった。きっとこの職場よりも楽に稼げるバイトはあるのだろうが、それなりにST運送のことを気に入っていた。
近場の荷物をチャリで運ぶだけのアキラは、事務作業は一切できないし、電話対応すらできない。間延びした口調が顧客を苛立たせてさらなるクレームへとつながることから、タマナシくんは電話は取らなくていいぞ、と社長直々に言われていた。そんなアキラでも雇ってくれるどころか正社員に誘ってくれるのだ。
アキラが社長に気に入られている理由はこれだ。
一度として無断欠勤や遅刻をしないこと、担当した荷物を必ず届けることで評価されていたからであった。特に後者が大きい。いつも問題なし、と短時間で颯爽と帰ってくるアキラは(何度もチャリを破壊しているが)めちゃくちゃ運がいいと思われていた。実際は怪人と遭遇しても撃退するか逃走しているだけなのだが、華奢な見てくれからそうは思われない。
運転免許証をもっていないことになっているので(色々バレたら困るし、写真が違いすぎる)近場ばかりであるが、怪人は時間も場所も選ばずに出現する。徒歩圏内での配達であっても、怪人に襲われるときはある。だがそれは、他の市を跨いで中距離輸送する時よりもずっとマシだ。
会社で金を出すから免許を取ってくれ。なんならバイトの時間に免許を取りにいってくれてもいいから頼む、とまで言われているのだが、のらりくらりとかわし続けている。
アキラは新規免許取得ではなく再交付になる。今まで多摩無アキラの戸籍を捨てるようにして借金取りから逃れていたのに、今更ハチの巣をつつくような真似はしたくない。
今日もまた目の回るような忙しさのようだった。
出勤するなりいつも欠かさない朝礼もなしで配達に行かされた。
たんまりと持たされた荷物をすっかり届け終わり、戻ってきたアキラの前を随分とゆっくりと蛇行運転する車が。でかでかとST運送と書かれている。めちゃくちゃ斜め駐車をし、降りてきた配達員は、重い足取りで事務所へと入り、ホワイトボードに張りつけられた彼宛てのメモ書きを手に取り膝から崩れ落ちた。
事務員でさえも至急の荷物――この会社ではST至急荷物という――を抱えて走って出て行く。
怪人が現れたせいで、事務所はてんやわんやの状態だった。電話はうるさく鳴り響いており、事務所に残った人間は皆一様に受話器を耳にあてて「申し訳ございません」と姿も見えないのにぺこぺこ頭を下げている。
ドライバーに遅れて事務所へ戻ったアキラは、前で崩れた男をひょいと身軽に避けて事務所に入る。
最近よくあることだったので、慣れた。大丈夫? との声がけすらしない。しばらく死体のように床に臥せっていたが、震える両手を地面につけてよろよろと立ち上がった男は、配達する荷物を仕分けしているアキラに音もなく近寄ってきて、囁くように言った。
「タマナシさん、本当に言い辛いんだが、お願いがあるんだ」
「なにぃ?」
「しーっ! 静かに。
これを大至急届けてほしい。午前中に絶対届けなければならない、ST緊急荷物なんだ。本当はバイトに任せちゃダメなんだけど、この数年間配達率100%の君なら信用できる。万が一バレても社長なら許してくれると思う。
免許持ってないんだったな……タクシー代は出せないが……。チャリで行けない距離でもない。いや、でも時間がヤバイか。
すまん、今日だけだ、頼まれてくれないか!!」
何日も寝てない顔で、風呂にも入れていないらしく薄汚れている。震える手で渡されたのは会社の軽トラのキーだ。アキラが無免許だと知らない社員はいない。しっかり犯罪である。
ST荷物は運送会社のなかでも最上位の優先度である。その中でもさらにトップレベルなのがST緊急荷物、続いて至急、通常となる。
特別な顧客から高額な配達料金で依頼された荷物だという。ST運送ならではのシステムだが、知る人ぞ知る有名なシステムである。
社員のなかでもベテランのみが配達することを許されたその荷物は、何年勤めていてもバイトであるアキラに運ぶ権限はない。
顧客が限定されているうえに、配達するだけとは思えない高額料金なのだが、怪獣騒動が起きるとST荷物が増える。
「もし乗れるなら、乗っていってくれてもいい! 乗れなければ諦めてくれ。できれば午前中に、ダッシュで頼む! チャリ……チャリでもきっとタマナシさんの脚力ならダッシュしたらきっと午前中にはつく。きっと!!」
「ほぼ願望じゃん~」
「俺はタマナシさんの脚を信じてる! 荷物はそれで、住所はこれ。ついでに他の荷物も届けてほしいが、この段ボールだけは必ず午前中にこの住所に届けてくれ。
あ、この順番で回れば楽だと思う。本っ当に申し訳ない! もう君しか、いないんだ……ほんとうにすまないけど……頼んだ!!
埋め合わせは必ずする。俺はチャリでこのST荷物を届けてくる」
そう言ってST緊急! と黄色い付箋紙を張り付けられた段ボールを押し付けられ、台車が指し示される。
男はすさまじい音を立てていろいろなところにぶつかりながら、自分のデスクに座る。血眼になってカタカタとパソコンになにかを入力している。鳴った電話を反射的に取り、電話対応をしながら器用に受話器を肩に挟んでカタカタカタカタパソコン作業をしている。彼の机の上にはST至急と四方に張り付けられた荷物が山積みになっている。
誰もアキラに注目しておらず、各々の作業に没頭していた。
キーをポケットに突っ込んで台車を駐車場へと運ぶ。無免許運送する気満々であった。
台車3つ分の荷物をぽいぽいと車に乗せて、運転席に乗り込みエンジンをかける。キーを捻ってもかからない。あれぇ?
サイドにはギアとサイドブレーキがあり、ようやくアキラは気づいた。
「ってミッションかぁ。なるほどねぇ、だから乗れたら乗ってもいいって。なるほどねぇ。
だからミッション車導入か。なるほどねぇ」
警察は日々現れる怪人騒ぎでてんやわんや。万引きやスピード違反といった事件性の低い犯罪にはすっかり手が回らなくなった。ネズミ捕りなんてここ何年も見ていない。
免許確認を滅多にされないことから、無免許運転でオートマを乗り回す若者が警察に捕まりまくっていた。主に自損事故やらで。自損でもなんでも事故を起こせば報告の義務こそあれど、無免許運転をする人間がわざわざ警察に報告するはずなどない。町中に設置された監視カメラであったり、ヒーロー稼業の人間であったりが警察の助けとして働いているとかなんとか。
車を使う企業のなかでも、特に接客を伴わない業種(例えば長距離運送であったり、配達業が主だ)は政府から全車ミッション車に変更せよ、とお達しがあったらしい。タクシー運転手ともなれば免許を持っていない人間はいないのだが、ちょっとした配達に車を使っての事故が近年激増しているからだ。怪人騒動をのぞくと、無免許運転がかなりの割合を占めるという。
無免許でオートマは乗れても、無免許でミッションは敷居が高い。
しばらく乗っていなくても拒否感がでるし、事故発生率を減らしたい政府の政策の意図がわからないでもない。
義務ではないが、全車ミッションにすることで助成金が出たり、怪人に襲われたときに補償金が出たりすると配達員の一人が言っていた。
アキラの勤めるST運送はもともとオートマ車ではなかったため、申請するだけで金が入って社長は万々歳だったという。その時には社員の給料にも色がつき、みんな喜んでいた。アキラの時給は変わらなかったが、気のいい社長がバイトを集めて焼肉を奢ってくれた。食べ放題の焼肉屋であったが、非常に美味かった。
10数年ぶりのミッション車の運転だ。アキラがまだ男だったころ、バイトで長距離運送をしているときにトラックに乗っていたので、さほど戸惑いはない。
クラッチとブレーキを踏んでエンジンをかけた。セルモーターの駆動音はするのだが、かからない。
「あ、ギアかぁ」
ギアをニュートラルにし、再びキーを捻る。かかった。うぉー懐かしい。
半クラでアクセルを踏みながらギアを2速にいれると、車はゆるゆると走り出した。基本トラックは2速発進だ。軽トラは知らないけど、まあ大丈夫だろう。ギアを丁寧につなぎ、すぐに3速にいれる。10数年ぶりとは思えないスムーズなシフトアップであった。
「忘れてるもんだなぁ」
言いながら、久しぶりの運転にアキラはにやにやと笑っていた。無免許運転である認識などすっかり意識の彼方へ飛んでいっている。
怪人出現の余波で車は渋滞していたが、Z市を抜けると流れもスムーズになった。当初こそついついオートマの癖でブレーキを踏み、カタカタとノック音がしてクラッチの存在を思い出すアキラだったが、5分もしないうちに慣れた。地図には強い方なため、ナビがなくともそれなりに走れる。目的の場所に近いところまでたどり着き、細部の経路を確認するべくハザードをたいて路駐していると、前方からウサギの被り物が近づいてきた。頭だけファンシーなウサギで、身体はオッサンだ。白いブリーフがもっこりしていて気持ち悪い。むぅ、と眉間に皺を寄せたアキラが車外へと出る。
「俺はウサギの被り物が脱げなくなってヒブェッ!!」
自己紹介をさせることなくスパンと殴り、倒れたウサギの被りもの怪人を足蹴りでズリズリと道端に寄せておく。
経路の確認を終わらせ、再び車に乗り込んだ。アキラは脳内に描いた地図の経路どおりに車を走らせ、狭い路地もすいすいと抜けていく。車幅感覚は抜群に良く、細道を通り抜けたこともあって1時間もせずにたどり着いた。
随分と立派なビルで、駐車場もある。あいにくと駐車場がいっぱいだったため、道路の端ギリギリまで寄せて荷物を持って降りた。
「どもぉ。ST運送ですぅ」
入り口に立つ警備員へと挨拶する。
入り口を通せんぼするように立った彼らのうちの一人が、インカムで連絡している。
「--ST運送さんがいらっしゃいました。午前中の来訪の連絡あり。畏まりました。
お待たせいたしました、確認が取れました。申し訳ございませんが、帽子とサングラスを外していただいても?」
S 死んでも T 届ける 運送。
大層な名前の由来ではあるが、届かなかった荷物ももちろんある。それほど大きな会社ではなかったが、こつこつと積み重ねてきた信頼で仕事は目が回るほどに忙しくなった。
この分だと会社の規模が大きくなるのも時間の問題だろう。人員不足に悩まされてはいるようだが、バイトから正社員になった者も随分いる。アキラよりも後にバイトで入った子が社員となり、敬語を使ってくれるものだから、週に1度の勤務でもアキラの存在感はそれなりに大きい。
職場に存在感があるというのは、いいことだ。色々な無理が通りやすいから。
帽子を取ると、肩に届くほどまでに伸びた鬱陶しい髪がぱらりと落ちる。毛先は肩にあたって少し跳ねている。
サングラスを外すと、ビルへの入場を許された。
ビルの1階には立派な受付があって、綺麗なお姉さんが何人も並んでいる。手空きのお姉さんがさっと手を挙げてくれたので、進んでいく。
「ST運送さんですね。社員証のご提示をお願いいただけますか?」
首からぶら下げていたST会社の社員証(社員とバイトの違いはカードの色だけだ)を渡す。
セキュリティが厳しいとは入口でも思ったが、アキラの社員証を受け取った受付嬢が、社員証と顔と何度も見比べてしっかりと確認している。名前や社員番号も控えられる。電話番号は暗記した会社の固定番号をすらすらと述べる。
「はい。結構です」
てきぱきと受付作業を済ませてくれて、ポンと受領印が押される。
「私御影が承りました。至急の配達誠にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそぉ……ですぅ」
自動扉を抜けてビルから出ると、きゃあきゃあと黄色い歓声があがっている。何事だ。
耳をつんざくほどの大人数の歓声に思わずその方向を見やると、車から降りてきた金髪の男性が幾人もの女性に取り囲まれていた。お付きらしい黒スーツが、押し寄せる人並みからのバリケード役をしている。爽やかな笑顔で女性(が多いが男性もいる)たちへと手を振るその男は、アキラもテレビで見たことがある。好感度が高いヒーローなんちゃら特集だ。モテる男の特集なんか見る趣味はない。アキラは面白くない思いでチャンネルを替えたが、その男は色々なテレビ番組で取り上げられており、世間の事情に疎いアキラでさえしっかり認知してしまっていた。
なんだったっけか。なんちゃらマスク。イケメン仮面? そんな感じだったと思う。テレビでチャンネルをまわせば彼の顔が出てくるし、バイト先でも女性陣がきゃあきゃあ言っている。
「きゃぁぁぁぁアマイさま~!」
「こっち向いてぇぇぇ!! きゃああああ」
「格好いい……!!」
そうそう、アマイマスク。女性たちの歓声でちょっとすっきりした。
(うわー芸能人初めて見たぁ)
さすがは好感度ナンバーワン、遠くから手を振るファンにも愛想よく手を振り返している。アキラはなんとなく嫌いだったアマイマスクの印象が、初めて芸能人を見たことと、人聞きの良い笑顔を振りまいていたことからなんとなく良いやつに違いない、と評価を改めた。
帰ったらアマイマスク生で見た、って他の奴らに自慢してやろ。
アイドルが出入りする会社だからめちゃくちゃセキュリティがしっかりしているのか、と今更ながらに納得した。なんか変な名前の会社だな、とは思っていた。
いや〜生芸能人初めて見たなぁ。なんか嬉しいなぁ。
バイト先の女の子と喋る切っ掛けになりそうなのは間違いないけど、今は忙しいからそれどころじゃないかもな。落ち着いたら絶対喋ろ。
少しくらいならお近づきになれるかもしれない。
「……っと、配達配達ぅ」
帽子を被り、サングラスをかける。
路駐していた車に乗り込み、次の住所を頭のなかに叩きこんで車を発進させた。
ST運送とデカデカと書かれたトラックが転回するのをアマイは遠目に観察していた。
「どうかされましたか?」
「いや、ちょっとね」
いつもファンの前では笑顔を絶やさないアマイが真剣な顔で見ていた先を、黒服の男もまたみやる。怪人がいるのかと身を震わせながら辺りを探すが、特に異常は見受けられない。
怪人には容赦のないアマイの姿を、付き添いの男はよく知っていた。黒服は、芸能活動の時にしかアマイと行動をともにしないが、ライブ会場やテレビ局への移動途中に怪人騒動に巻き込まれることもあり、爽やかな見た目から想像も出来ない、あまりにも一方的で残虐な殺し方を見たことがあった。
怪人ではありませんように。そう願いながら辺りを見回すが、そこには走り去っていくトラックとアマイへと手を振るファンしかおらず、首を傾げた。
いつもは受付を素通りするのに、アマイがカウンターへと直行したのにも驚いた。
「忙しいところごめんね。ちょっと聞きたいんだけど、さっきST運送が来てたよね」
「きゃっ! アマイ様……! ええ、はい! 来ておりました!」
「配達員の名前、わかるかな?」
「えぇ?! もしかして、アマイ様のお知り合いの方ですか?」
「僕が探している人に少し似ていたんだ」
「そうだったんですね! お名前はたしかに控えて……至急配達の荷物だからもう持っていって……あっ、そこの荷物ちょっと待って!!」
受付嬢により荷物が呼び止められる。黒服はますます首を傾げた。
受付嬢たちはきゃっきゃと盛り上がっている。
声は潜めているものの、アマイの優秀な聴覚は受付嬢たちの囁くような喋り声をしっかりと聞いていた。
「ねえアマイ様のお知り合いらしいわよ、さっきのSTの人!」
「あ、すっごく綺麗な女性だったわよね」
「そう! 芸能人が来たんだと思っていたから、運送会社? ってかなり驚いたわ。対応してたからあんまりまじまじ見れなかったけど、悔しさも覚えないレベルで綺麗だったわよね」
「凄かったわよ……わたしは写真と見比べてすんごく念入りにみたわ。
近くで見たからわかるけど、あの人化粧してなかったわよ」
「すっぴんでアレ?! 信じられない……!」
「気だるい話し方をされていて、驚いてしまったけれど。アマイ様のお知り合いだというなら納得だわ」
「やっぱりアマイ様のお知り合いともなると、あのレベルがごろごろいるのね……」
「よく見たらSTの作業服を着てたのに、アイドル会社の方かと思わせるレベルだもの」
手空きになったこともあり話し続ける受付嬢たち。
受付嬢によって引き留められた男は、段ボールを持っていて、アマイは早足にその男のもとへと歩み寄っていく。
可愛らしい受付嬢の会話に耳を傾けすぎていた黒服は慌ててアマイのもとへと近寄る。
段ボールには伝票が貼り付けられており、社内で新たにつけられた伝票には、あて先と送付元、それに運送会社と届けた人間、届けられた時間と対応した受付嬢の名前がかかれている。
「多摩無アキラ……。ああ、呼び止めてごめんね。ありがとう」
「いえ! では自分はこれで失礼いたします」
「キミもありがとう。助かったよ」
「とんでもないことでございます! 受付にもいつでもお顔を見せに来てくださいね! アマイ様!」
「そうだな。次はキミたちの顔を見にくるよ」
「きゃあああああ!」
語尾にハートマークでもつきそうな受付嬢たちに爽やかに笑顔を向けて、アマイは長い足ですたすたと歩き出す。
なんだったのだろう。お付きの男は滅多にない彼の姿に、内心で激しく首を傾げていた。
それからの配達はとてもスムーズであった。小回りはきかないため細い路地裏は通れないが、自転車で配達するよりも何倍も楽だし早い。
就業時間が終わるまでに運送会社に戻ってこれた。駐車し、事務所へ戻ると、時間が経って少しは落ち着いたらしい。事務所に事務員は戻ってきており、いつも通り電話対応や事務作業をテキパキとこなしている。
「タマナシさん、随分たくさん荷物を届けてくれたんですね。遠いところまで……よくこの時間に戻れましたね」
鳴りやまぬ電話地獄から解放された事務員の女性は疲れた顔でアキラを労った。長く会社に勤めているベテラン事務員で、配達員をすることもある。彼女こそ労われるべき人であるが、できた人である。
「お昼ご飯も食べてないし、休憩も取っていないと高倉から聞いています。社長が終礼はでなくていいと仰っていましたので、今日はもう上がってください」
ここで遠慮したら残業コースになることは目に見えていたので、アキラは少しばかり申し訳ない気持ちになりながらも「どもぉ、お先ですぅ」と更衣室へ向かった。
手早く服を着替えて、帰路につく。家からなるべく近いところで、人間関係が良好な肉体労働となると、Z市にはなかったので隣の市まで通っていた。自転車は飲酒運転になるため持っていない。アキラが飲んでいない日など滅多にないからだ。同じ理由で車やバイクも。
徒歩で自宅へ戻る途中、どこかしこでも人々は騒いでいた。
「ニュース見た? A市に現れた怪人が倒されたそうよ!」
「見た見た。最近B市も怪人が倒れたせいで壊滅したばかりなのにね」
「本当物騒な世の中になったわよねえ……」
会話を盗み聞きしつつ、渋滞に巻き込まれなくてよかったと心底思った。
マンションに着くと、既に家の電気は点いていた。
部屋では浮かない顔したサイタマがポテトサラダをかき混ぜている。
ここ最近彼は無表情だ。すべての感情を消し去り、達観した僧侶の如く(おっと頭で判断してしまった)ぼんやりと料理していることが多い。
放っておけば納豆なんかいつまでもねりねりねりねりしている。
「ただいまぁ」
声をかけると、はっと意識を取り戻したサイタマが「お帰り、師匠」とテーブルに晩御飯を並べていく。
「なんかA市でおっきい怪人騒ぎがあったみたいだねぇ」
「師匠が知ってるなんて珍しいな。俺もニュース見てA市まで行ってきたんだけどよ、またワンパンで終わっちまった」
帰路についていた際に井戸端会議していたおばちゃんの会話が頭のなかで再生される。B市怪獣が倒れて崩壊とか言ってたよな。そこまで言わなくてよかった……。
「サイタマくんの仕業だったんだねぇ」
「しわざ? なんでだろな。強くなりたかったはずなのに、最近全部ワンパンで終わるのが……」
つまらなそうにサイタマは言いかけたが、途中でやめた。
次の日、昼飯時に訪れたサイタマは、ヒーロースーツを身に着けたまま浮かない顔でハンバーグをこねている。こねこねこねこね止めるまで永遠にこねてそうだ。
「……おーい」
「はっ」
「随分最近うかない様子だねぇ」
「ああ……今日D市に行ってきたんだが、またワンパンで終わっちまってな」
「おうふ。最近ほんとよく出るねぇ、怪人」
「そりゃ別にいーんだけど、なんつーか……昔ほどの胸の高鳴りがないというか物足りないというか。
圧倒的な力ってのはつまらないもんだ」
よく中二病をこじらせた男子が似たような発言をするが、サイタマの場合はマジだ。からかいようもなく、アキラは目を逸らして言った。
「弱いよかいいんじゃなぁい~?」
次の日、途轍もない轟音にアキラは起こされた。地響きで建物全体が揺れる。飛び起きたアキラは、家のなかのなにもかもが振動の余波で細かく揺れていることに気づく。
夢じゃない。
「ふはははは。地上は我々地底人がいただいた。地上人には死んでもらう」
外から邪悪な声が町一杯に響き渡っている。途轍もない声量である。アキラが窓から顔を出して様子を伺うと、腕の4本生えた黒い怪物がそれぞれの腕に大きなナイフを持って地底から現れるところであった。
なにもこのマンションの近くに現れなくても。とアキラは地底人の未来を憐れむ。ご愁傷様。
「地上人ども!! 覚悟し--」
マンションから飛び降りたらしく、空からモグラたたきの要領でサイタマが地底王なるものを地下へ押し込めている。
「地上は俺が守る!」
「!?」
いつになく意気込みたっぷりの嬉しそうな笑顔だ。
「さあ、やろうか!! ……あれ……」
穴からひょっこりと現れたのは白旗。すいませんでしたと書かれた白旗がバタバタと風にあおられている。
アキラは一部始終を見届けてから大きく欠伸し、二度寝した。
賢い選択だと思うよ、地底人。
アキラはその日、モグラ叩きのようにさまざまな穴から出てくるサイタマを永遠に叩き続けなければ殺されるゲームをする夢を見た。
次の日、部屋に飛び込んできたサイタマが床で寝こけていたアキラを大声で起こした。
「師匠! 大変だ。Z市に大量の蚊の群れが向かっているらしい。窓閉めるぞ!!」
「うぅ~ん、なにぃ~?」
サイタマは小脇にテレビを抱えており、ごすんと床にテレビを置いて家じゅうの窓を閉めていく。すべての部屋の窓を閉めてから、テレビの電源を入れて点けた。
アキラは眠気眼をこすりながら、点けられたテレビを見た。
なんでテレビ持ってきた? 自宅で見ろよ。
パン! とサイタマが空を叩いている。蚊でもいたのだろう。最近多いし。
「繰り返します。Z市に大量の蚊の群れが向かっています! 住民は絶対に外に出ないようにしてください」
空をうねるのは砂嵐のように大量の黒い影だ。
ドン! とサイタマが壁を叩く。穴は空いてない、よかった。
「やっべぇことになってるじゃん~これ蚊ァ?」
「そうらしい、なッッッッ!!」
スパァン! と手が打ち鳴らされる。
「ちゃんとテレビ持って帰ってよぉ?」
「師匠の電磁波アレルギー、あれ多分違うぞ。そんなアレルギーねえらしい。
なんかガラガラで当たったけどうちテレビあるから、これはやる、よッッッッ!!!」
ズガァッ!!!!!
おおよそ蚊を殺すとは思えない勢いで両手を合掌するサイタマは額に青筋を幾つも浮かべて血走った目をしていた。
電磁波アレルギーってなんだ? アキラは首を傾げている。
「やったか!?」
ぷ~~~~んと蚊が逃げていく。
ピキピキと米神に浮かぶ青筋を引き攣らせるサイタマ。
なに遊んでるんだ。蚊ごとき秒殺できるだろう。何匹殺してるのかと思ったが、1匹に弄ばれているっぽいぞ。
的が小さいから当たらないのか?
今度から家に殺虫剤置いとこう。サイタマに家を壊されたらたまったもんじゃない。
テレビでは新種の蚊であり、群れに接触したら確実に死亡すると報道されている。実際に襲われた家畜がミイラ化した映像が流れている。全身の血液やら水分をすべて吸い尽くされてカピカピになったグロい映像にうげぇとアキラは顔を歪めた。
「災害レベル鬼。Z市の住民はくれぐれも外に出ないように。扉や窓は閉めて、絶対に外に出ないでください」
サイタマが入ってきた玄関が開けっ放しになっていることに気づき、アキラはよっこらしょと腰を上げる。
ぷぅんと耳の横を蚊が通り過ぎる。ぶんぶんと首を振ると、猛烈な勢いでサイタマがアキラの横を走り抜けた。
「待てコルァーーーー!!!」
「うぉおい?! 君が待てぇぇぇぇ!!!」
蚊を追うサイタマ。サイタマを追うアキラ。通常の蚊ならざるスピードで飛んでいく蚊にだだだだだとすさまじい足音を立てながら爆走するサイタマに、必死で足を動かしても追いつかない。ぐんぐん引き離されていく。
「おぉーーーい!! サイタマくぅんやぁーい!!! 戻っておいでぇー!!」
アキラが叫びつつ走るが、蚊に集中したサイタマの耳には届いていない。
走る音が遠く離れていく。
しんと静まり返った街中、かなり遠いところでサイタマの声がかすかに聞こえる。
「無視か! 虫だけに無視ってか!! 待てっつってんだろぉが!!」
「サイタマくぅーん、君も無視してるよぉ〜」
全然うまくないことをデカい声で叫びながら爆走していくサイタマ。
そもそもなんで蚊に話しかけてるんだ。怪人をワンパンで倒す男が、なんで蚊1匹にそこまで熱くなれるんだ。
スケール違いすぎるだろう。
放っておいても生きているだろうが、蚊に血を吸われていたところを見ると、サイタマとて群れに接触すればミイラ化する可能性はある。あのミイラ映像を見ていなかったのだろうか。
見ていなかったのだろうな。蚊をつぶすことに必死になっていたし。
30秒は経っているから、1キロは進んでいるだろう。声もさっきの時点でめちゃくちゃ遠かったし。静かじゃなかったら絶対に聞こえていない。
さて、方角は……あれだな。途轍もない蚊の群れが空中でぐねぐねと蠢くのが見える。それらは一纏まりになり意志を持って地上へ向かっていった。
方向を変えて走り出したアキラは、眩しい閃光に目を細める。球体に膨れ上がる炎が広範囲に炎を巻き散らかしている。
世紀末かよ、大爆発じゃん。
一瞬足を止める。球は収まり、ゴオゴオと燃え盛る炎を残すのみとなった。いくらZ市の人口が少ないからって、そりゃあやりすぎというものだろう。
アキラはその方向へと足を進めつつ、建物が幾つも倒壊して炎をあげているのを引いた目で見た。
(サイタマ……とうとう炎まで出せるようになったのかぁ……)
人間辞めているとは常々思っていたが、超能力まで身に着けるのか。どんだけ強くなったら気が済むんだ。
アキラはこれ以上建物の崩壊をしてくれるなと願いながらサイタマがいるであろう場所へと走った。
いくつもの市を壊滅させてきたのは、なにも怪物だけではない。もとはといえば怪物のせいではあるが、サイタマのまわりを憚らない倒し方にも問題がある。この調子でアキラのマンションまでやられたら、住む場所も金もなくなってしまう。切実に困る。
「サイタマくぅん!!!」
「ほっほっほっ脆いわねー。次、頭捕ったげる」
ビュンビュンと動く黒い物体。あれは、ボインな……蚊?
なす術もなくボロボロになっていくのはサイボーグっぽい子だ。まだあどけない顔立ちをしており、20そこそこであろう。一般人(人でいいのか?)しっかり巻き込んでるじゃねーか。
止めを刺すべくサイボーグへ突進する蚊娘に、バチンとサイタマがビンタする。蚊娘は凄まじい勢いで飛ばされた。
遠くの建物が倒壊したところを見るに、遠方まで飛んでもなお衝撃が殺されていないらしい。
「蚊…………うぜぇ」
パンパンと手をはたくサイタマは裸体である。服1つ残っていないが、身体に煤がついているところを見るに、先ほどの爆発のせいだろう。いくらサイタマが常人とはかけ離れた強さの持ち主でも、服はそうはいかない。似たような服がいくつもサイタマの家にストックされている。
その隣で倒れるサイボーグは服を着ている。
となると、サイタマではなくサイボーグがビームを出したのだろうな。
「おぉ〜いサイタマくぅん」
「あ、師匠。なんかあったか?」
「なんかあったかじゃないよぉ。まあいいやぁ、帰ろぉ」
「おう」
どことなくスッキリした顔をしているので、きっと蚊を潰せて満足しているのだろう。
「ちょっとそこのハ……ダカの人、待った!!」
(絶対ハゲって言おうとしたなぁ)
「ん?」
「俺は単独で正義活動をしているサイボーグ、ジェノスという者だ!
ぜひ名前を教えてほしい!」
「え、サイタマだけど?」
「弟子にしていただきたい!」
「あ……うん。……え?」
「え?」
アキラもまた言った。
このサイボーグくんはサイタマの弟子になりたがっている。
アキラはサイタマの師匠を辞めたい。
もしかしてこれは、サイタマが弟子をとって師匠降板ルートではないか。大チャンス到来か。
アキラはベッタリと貼り付けた笑顔でサイタマの肩を叩く。
「いいじゃないのぉ、弟子。悪くないもんだよぉ?」
「いやでも師匠……」
「そちらの方は、サイタマ師匠の師匠……?」
「しれっと俺のこと師匠って呼ぶのやめてくれる?」
「サイタマ先生!」
「いや、呼び方だけの問題じゃなくて。
俺だってまだ師匠から一本も取れてないし」
「免許皆伝してるからぁ。
俺から一本取ることはスパッ!! と潔く諦めてさぁ。弟子にしてやったらどぉ?
人に教えて得るものも大きいよぉ?」
「うーん……」
「まぁ今日のところはサイボーグくんも傷だらけだしさぁ、後日改めてサイタマくんのとこ行きなよぉ」
「すぐにパーツを修理してお伺いします!」
あ、そうだ。住所教えてやらないと。
アキラは倒れたサイボーグにマンションの住所と、サイタマの部屋番号を伝えた。普段のアキラらしからぬ細やかな気配りであった。気色悪そうにサイタマがアキラを横目で見ている。
「ご飯時以外はいるからぁ」
「サイタマ先生の師匠、ありがとうございます!」
「じゃぁねぇ〜」
るんるん気分で歩いていると「なんでそんなに乗り気なんだ?」とサイタマがぼやいている。
アキラはなにも答えず、ふふんと笑うだけであった。
弟子を取れば、師匠である己に割く時間は嫌でも短くなることだろう。不意打ちで攻撃される恐怖から逃れられるのだ。笑わずにはいられない。
ありがとう、名も知らぬサイボーグくん。
アキラはにやにやと笑いながら廃墟のように静まり返った街中をサイタマとともに帰路についた。
アマイマスク「これであの人の名前がわかった……」
住所を調べて贈り物をして、それから劇的な再会だ。
まだ彼女は俺のことを覚えてくれているだろうか……。
※ 不定期更新のため一旦完結とします。
書き溜めたネタはあるので、また気が向いた時に執筆したいと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。