「もうすぐ、もうすぐ私達の目標に届く」
研究は大詰めに向かっていて、後は実証実験で結果さえ出れば、多くの人が彼女の、アグネスタキオンの事を研究者として認めることになるだろう。
「……そうだね」
湧かしたお湯ポットに一度淹れ、適度な温度にしてから紅茶を作るとティーカップを出して、テーブルに用意する。
「……んっ」
袖が余った白衣で何かしら指示を出す。特に深い意味はないが、もう長い付き合いになったトレーナーには理解出来る様だ。
「砂糖だろ? ちょっと待ってくれ」
角砂糖を入れた容器をテーブルに置くと、アグネスタキオンは無造作に砂糖を掴んではコップの中に入れていく。それ以上溶けることはないだろう、という量をいれたあとトレーナーがスプーンでかき混ぜるが、やはりティーカップの底ではジャリジャリと砂糖とスプーンが擦れ合う音は無くならない。
「どうぞ」
手渡したティーカップから、砂糖なのか紅茶なのか区別の付かないそれを喉に流すと、上機嫌になるアグネスタキオン。研究室における助手としての役割は、半分以上果たして手持ち無沙汰になるトレーナーが、呟いた。
「そういえば、このU=ma2ってなんだ?」
がたっ、と大きな音を立ててアグネスタキオンがトレーナーの顔をまじまじと見つめる。
「……驚いた。それを理解していないまま研究に協力していたのかい?」
驚いた表情の彼女は珍しいかも知れない、そんな見当違いなことを考えていると、丁度彼女の時間が出来たのか、口を開く。
「当然の様に知っておくべきことだと思うのだけど、一応説明しておくよ。まず第一に、Uとは、アンヒューマニティ。要するにウマ娘としての要素の事を指す」
タキオンの言葉に、トレーナーは耳や尻尾の事かと問う。
「違う、もっと広義的なものだ。ウマ娘をたらしめるもの、その全てだ。強靱な脚力やそれに耐えうる肉体、長距離を掛けるスタミナも……私の脚を壊した因子も、全てだ」
もう一度ティーカップに口をつけ、話を続ける。
「イコールは、言うまでもないな。先にaを説明しよう。アビリティ、つまりは先天的なものを指す。これに二乗が掛かっているのは、ウマ娘たる能力については、生まれ持ったものを変えることは難しい、ということ」
その理屈だと、トレーナーは不要だな、と冗談を溢す。
「それは少し気が早いよ。走り方や息の入れ方、競技として1600や3000mを走ろうと思えば、トレーニングが不要とはならない。だが、走れるかどうかは、やはり先天的なものに縛られることになるだろうね」
それでは、mとは何か、そこに疑問が繋がっていく。
「それこそが私の研究の主目的だ。mはマッドネス、熱狂、とでも言えばいいかな。まぁ、どうすれば後天的にウマ娘の才能を引き出せるか、それが私の……プランBだ」
ティーカップに移っているはずの彼女の表情はトレーナーからは見えなかった。そこに移るのは、目標達成の歓びか、それに阻まれた彼女の肉体への妄執か。
「それが実現するなら、まさしく君はマッドサイエンティスト、ってことだな」
茶化す様にトレーナーが呟くと、アグネスタキオンがくすりと笑う。
「私達が、マッドサイエンティスト、さ」
一通り欲しい買い物を終えて、フードコーナーで席に着く三人。
「ふゥン、色々とあるものだね。ダイワスカーレット君は何が良い?」
それを聞くと、色々と目移りして中々決めかねている様だ。待ち呆けるのも考えものなので、トレーナーが一先ず飲み物を買ってくることにした。
「それじゃあ、一緒に行って選んできたまえ。私はここで見張りをしているよ」
アグネスタキオンはトレーナーが決めたモノで良いと言う。勿論飲み物は紅茶だが。
「一番美味しい物、探してきますっ!」
勢いよく席を立つダイワスカーレットが、トレーナーの手を引く様に歩いて行く。
食事を終えた三人は、荷物を横に置いてゆっくりと休んでいる。
「そういえば、プランBってなんだったんですか?」
ダイワスカーレットが首を傾げてアグネスタキオンに尋ねる。
「まさか……トレーナー君?」
疑う様な瞳をトレーナーに向けるが、首を横に振る。
「違いますよ。どういう物かは、私も聞いて居ませんし、偶にダイワスカーレットさんがいるところでも呟いていましたよ?」
そう言われれば、そうだったかもしれない。研究に熱心になっている時は、余り周りに目が向けられていない事に対し、デメリットを感じたのは初めてかも知れない。
「その、菊花賞の時の……トレーナーさんの様子がちょっと変だったので」
その言葉に、アグネスタキオンが呆気にとられた顔をしていた。
「レース前に投薬していたかな? 何色だったか、覚えているかい?」
トレーナーが可笑しい、ということは体の一部発光させることだということが、最早アグネスタキオンにとって常識になっていることに疑いを掛けることもないのは、他の二人も毒されているのだろう。
「その時は光ってなかったんですけど、走り出した所ぐらいから、泣き出して……最終コーナーから珍しく大きな声で応援してて。なんていうか、プランB? が関係しているのかと思って」
確かに、アグネスタキオンにとって菊花賞は特別なレースだった。思いを掛けるに足る、重賞であり、G1レースであり、クラシック三冠の最後の一戦であり、今後の進退を決める運命のレースだった。
「あぁ、そう言えば珍しくあの時は声援が大きく聞こえた気がしたが、プランBはそれとは余り関係ない……はずだよ。それは私個人の事情だ」
トレーナーの様子がおかしかった、というのはアグネスタキオンにも記憶になかった。少なくとも体調を崩していたり、薬によって異変が起きていたのであれば、彼女が把握していないということはないはずだ。
「初耳だよ、何が起こったのか聞かせてくれるかい、トレーナー君?」
アグネスタキオンとダイワスカーレットがトレーナーのほうを見ている。まるで異変が起こっていることを見つめる様に、疑う様な、一つ一つつぶさに観察する様に。
「申し訳ありませんが、あの時起こったことが何なのか、はっきりと言葉に出来るかは分かりません」
そう前提にして話し始めた。
「違和感があったのは、タキオンさんを控え室から送り出してからです。普段からオカルトな事は信じない質なので、何がという訳ではないのですが、嫌な予感がして。いや、違いますね、嫌なイメージばかりが頭に浮かんできたのです」
それは、アグネスタキオンの故障する姿、ターフに転がり脚を抑えている。蹲り、呻き、駆け寄ったところで、何も出来ない自分の姿を、何故か自分が遠くから見ている、そんなイメージ。
「前兆はなかったのかい? 細かな違いでも構わない、教えてくれないかい?」
アグネスタキオンの言葉に首を横に振る。
「それじゃあ、本当に急に? そんなことあります?」
ダイワスカーレットの言葉に、その通りだと言うトレーナー。今までそんな経験もなければ、繰り返すと言うことも無い。もしかすれば、緊張の余りに産み出した幻覚ということでトレーナーなりに納得していたのだが。
「そんな悪いイメージも、タキオンさんが走り出したら浮かばなくなりました。それどころか、その姿に……感動したんです」
「まぁ、クラシック三冠、G1のレースだから、ねぇ」
並のトレーナーやウマ娘であれば、その舞台に立つだけで涙する、ということは珍しい話では無い。デビュー戦を勝ち抜き、戦績を上げ、その先のG1となれば、極一握りのスターにしかたどり着けない場所ではある。
「だが、それにしても様子は普通じゃなかった、ということだろう、ダイワスカーレット君?」
ダイワスカーレットは頷く。
「確かに、凄いことなんですけど。そういうことで泣いてる所を見たことがなかったというか、そもそも泣いてる所なんて見たこと無かったんですけど」
トレーナーが泣いていることを咎めるということはない。悔し涙なら兎も角、歓びの感情であるならば問う必要もないのだろうが。
「それが、分からないんです。どうしてでしょうか、タキオンさんの走りを見ることが、嬉しかった。まるで、随分と長い間待ちわびていた様な……そんな気分でした」
いつも練習で見ているじゃない、とダイワスカーレットが茶化す。考え込むアグネスタキオンが頷き、席を立つ。
「トレーナー君、前に話した事を覚えているかい? 夏合宿の時の話だ」
トレーナーは覚えていると答える。
「話す時期が来たのかも知れない。とはいえ、ダイワスカーレット君には……まだ少し早い」
ダイワスカーレットは仲間はずれにされていると訴えるが、珍しく彼女の意見を拒否する。
「ダイワスカーレット君には……そう、君がデビューするまでは話せない。別に悪い話じゃないんだが、実感するまでは理解出来ない内容なんだ。いずれ話すよ」
そういうと、フードコーナーを離れていくアグネスタキオン。急いで荷物を纏めるトレーナーと少しすねた様に頬を膨らませるダイワスカーレットが帰路につく。
ある日、トレーニングを終えたトレーナーとアグネスタキオンが研究室に腰を下ろす。
「あぁ、今日はダイワスカーレット君は居ないんだね」
トレーニング等は一緒に行うとしても、所属は初等部のままだ。トレーニング用品はこの研究室に置いてあったとしても、それ以外は初等部に置いてあるし、そちらでの用事もある。今日はこちらに尋ねてくることはないとトレーナーが答える。
「そうか、好都合だな。君にもプランBについて伝えておこう」
トレーナーが驚くと、真剣な表情になる。プランBとは何か、それは月桂杯を辞退する要因になった物で、恐らくはウマ娘の限界に到達するための実験のはずだから。
「まず前提として、私の脚の事について説明しないとな。ウマ娘の因子については、少しは理解があるかな?」
トレーナーは、少しだけと答える。人間と違う部分、耳や尻尾にも現れているが、ウマ娘をウマ娘たらしめる要素、と言い換えても良い。
「君も知っている様に、私は早く走れる。生まれ持っての才能に因るものだ。だが、残念なことに、その速度に耐えられるだけの丈夫さはなかった。積んでいるエンジンに対して、体は想像以上に脆かったのさ」
その言葉に、嘘偽りはなかった。そもそも、時速五十キロを越える速度に人体は耐えることは出来ない。地面からの反力は脚を砕き、砂埃でさえ皮膚を傷つけ、高速で稼働し続ける走りは筋肉を常に引きちぎり続けるはずだ。
「そして、限界が来た時に訪れる肉体の崩壊、それもまた最初から定められているのさ」
アグネスタキオンの言葉にトレーナーに冷や汗が出る。その言葉と共に思い出したのは月桂杯、そして菊花賞。
「それを知るための研究がプランB、月桂杯でその正体の仮説を証明する……はずだったんだけどねぇ」
君の狂気に、狂わされた。そうアグネスタキオンは呟いた。
「仮説を証明した上で、それを克服する研究をする。肉体を破壊する因子の研究を促進するためのプランBは私の脚でウマ娘の限界、光の先を目指すプランAと相反するものだったのさ」
月桂杯に参加すると表明したあの日、確かにアグネスタキオンはプランAを諦めた。そうしてトレーニングに励んでいる様子をトレーナーは知っていた。
「私はそれでも構わなかった。いや、プランAの研究が芳しくなかった為の苦肉の策とはいえ、目算が立っているのは魅力的でね」
それで良いと思っていたし、実際にプランBを進めていた。だが、結局のところ、成功するか分からないプランAを取った。
「思い出してしまったのさ、私が限界の先を目指し始めた時の感情を。君の目に映る狂気が、失敗を恐れてつかみ取れる物などないのだ、と唆されてしまったわけだ」
こんな話は、ダイワスカーレットにはまだ早い、と呟いた。ただでさえオーバーワークが癖になる様なウマ娘だ。この話を聞けば、少しでも早くなるために無茶しかねない。
「まだ検証段階で、実証に至る研究も山積みだが……アグネスタキオンの脚は、破壊の因子を克服した。この結果は大きい、それに貢献したモルモット君には、礼を言わないといけないかな」
トレーナーは、君が走り続けてくれるのであれば、何も必要ない、そう言った。
「はははっ、そうだな。君はまだ、あの時のまま、狂気を孕んだ瞳のままだっ!」
ケタケタと笑い、一息ついてトレーナーの方を向いて口を開く。
「それじゃあ、ウマ娘の限界に至る研究の合間に、幾つかの勝利を君に与えよう。シニア級でも、トレーナーとしての名誉となる賞を君に」
そうして、少しの間をおいて続ける。
「そうだな、それだけでは少し足りないかも知れない。トレセン学園の一番上に立つ皇帝を出し抜いた杯も、君に渡そう。光速のその先までの駄賃としては、妥当な所だろう?」
トレーナーは、アグネスタキオンの前に膝を付き、頭を垂れる。
「光の先までの道程に、お供させて頂ける事に感謝を」
満足そうにアグネスタキオンが頷く。
「さぁ、話は終わりだ。また明日から研究が忙しくなるぞ! ゆっくり休んで英気を養おう」
二人は目標を新たにして、歩みを共にする。
読了ありがとうございました。
おかしい、おかしいぞ!
俺は確かに書き始めはロリダスカとタキオンのてぇてぇ日常を書くつもりでいたはずだ!
なのにどうして、きづいたらあと一年で中等部ってところになっているんだ!?
何を言ってるのか分からねぇと思うが、俺も(ry
それはそれとして
キャンサー杯始まりましたね。
今回も今回とてタキオンさんが頑張ってくれてます。
思ったよりカレンチャンさんも頑張ってます。
ススズさんは、うん、まぁ……そうね。
固有発動して最後に抜かれるのはどうしてなんだろうね?
スタミナ足りてない?
まぁ、オープンだし、多少はね?
と言うわけで、ここまでよんでくださったモルモットの皆様方に、栄光と言う名の輝きが在らんことを願いまして。