「これはいったい!? アグネスタキオン選手、転倒だ!?」
足を抱えてうずくまる彼女に、いつものような先達の余裕はなかった。徐々に失われていく平衡感覚に自分が立っているのか、座っているのか、倒れているのかすらわからなくなっていく。
病院の廊下で、トレーナーとすれ違う。普段でも、余裕が無いときや、頭部が光っている時(殆ど前が見えないらしい)は気付かれない事もあるが、今は目の前以外何も見えていなかったかもしれない。
「アグネスタキオン先輩、大丈夫かな?」
ようやく意識を取り戻して、面会も出来るようになった。だが、足の状態は良くないとも聞いている。
「また、走っている先輩みたいな……」
お見舞いの品を両手でもって、ゆっくりと病室の扉を開いていく。
「あぁ、ダイワスカーレット君か。格好悪い所を見せてしまったね」
足に包帯を巻き、決して動かないように固められている。それ以外にも傷があるのは、転倒した時のものだろう。
「足、早く良くなると良いですね」
そう呟いた私に、アグネスタキオン先輩は優しくありがとうと答えた。彼女の足が、取り返しのつかない状態になっていることに理解するには、もう少し時間が必要だったのだ。
病室を出ると、少し離れた場所でトレーナーとトレセン学園の職員が話している声が聞こえる。
「少し休んで下さい。あなたまで体調を崩されたら、それこそどうにもならないんですよ?」
職員が必死に訴えているのに対し、頭を下げるが聞く耳も持たないと言った様子だ。
「ショックなのは分かります、だけど、自分自身を傷付ける様なやり方は……」
彼女の言葉を遮るように、トレーナーは首を横に振る。
「もうトレーナーとしての僕は死んだんですよ。月桂杯のあの時から。今の僕は生きているように見えるだけです」
死人が理屈や損得では動かないと答える。それを原動力に出来るのは生きている人間だけだ、と。
「心配してくださって、ありがとうございます」
足早に去るトレーナーを、やるせなく見送る職員。声をかけることも出来ずに、その場を離れることにした。
彼らのその後は、ニュースで知った。研究員になったこと、ウマ娘にとって大切な薬の開発に携わっているということ。そして研究に忙しくなって、会う機会がめっきり減ってしまったこと。
「君も、私の大切な希望の一つなんだ」
彼女の言葉を胸に、一番を目指してトレセン学園中等部へと足を踏み入れる。
皐月賞を勝利し、アグネスタキオンは研究室で一人考える。
「私の目標は、一定の成果を上げた。トレセン学園に入学した時の脚の状態を考えれば、充分だ。およそ四つほどのレースで限界を迎える物を、未だに走れる状態を維持している」
だが、あくまでマシになっているだけであり、完璧な状態にはほど遠い。これでは、ウマ娘の走る世界のその先を目指すというのは、ただの夢想となりはてる。
「そろそろ決断しなければならない、プランBを行うかどうか……」
そう独り言を溢すと、ダイワスカーレットが忘れていた手帳に目がとまる。何の気も無しにそれを開くと、年齢の割には整った文字で練習メニューが事細かに書かれている。
「ふふっ、これはトレーナー君も口出ししているな。彼女に適切な休憩や栄養補給までの知識はないだろうからね……おっと」
一番最初の頁に大きく書かれた文字に、まじまじと見入る。
「一番になる、か」
アグネスタキオン自身に、レースや競技を行う上での順位や他者からの評価は然程興味は無い。研究の一部としてそれらが与える精神状態の変化が良い変化をもたらすかも知れない、という事はあるが。目標自体はそこにはない。あるのは、限界を超えた先の景色なのだから。
トレーナーの側頭部が赤紫色に発光しているにも関わらず、最早意識にも介さなくなったダイワスカーレットがテレビを見て反応する。
「あ、ルドルフ会長だ」
どうやら、ニュースにシンボリルドルフが出ている様だ。当たり障りのない質問を幾つか終えた後、本題と思われる発言をする。
「学園主催のレース、月桂杯の開催を宣言します」
実力者を集めたレース。それはウマ娘としても、ファンやトレーナー達にも衝撃だった。G一からG三まで、重賞と呼ばれるレースは幾つかあり、そのどれであったとしても勝利したウマ娘には、賞賛と羨望が向けられる。勿論、より上位のレースであればあるほど、出走者が実力者であればあるほど、その名声は高まる。現状、トゥインクルシリーズにも発言力のある会長が、公式の場で発言するレースに名誉が付いてこない訳が無い。
「どう、アグネスタキオンは興味ある?」
年齢相応に目を輝かせているダイワスカーレットを横目にトレーナーが尋ねる。
「興味があるかどうかであれば、勿論あるに決まっているさ。実力者が集まるレースであれば、良いデータが手に入るだろうからね」
その言葉で恐らくトレーナーも出走の意思はないと判断したのだろう。それ以上月桂杯について追求する事はなかった。
「さて、そろそろトレーナー君の発光が終わる頃合いだ、トレーニングの休憩としても充分だろう」
アグネスタキオンの言葉通り、トレーナーの発光現象は収まりつつある。
「えー、もうそんな時間?」
ダイワスカーレットが不服そうにしているが、トレーナーが手際よくダイワスカーレットが戻る準備をする。
「はい、忘れ物はない?」
頬を膨らませて、研究室から出て行くダイワスカーレットを見送り、トレーナーが今日のスケジュールを確認する。
「……悪くはない、か」
アグネスタキオンが呟く。
「ん? 調子、それとも研究の進捗?」
トレーナーの言葉に、アグネスタキオンは首を傾げる。
「何でも無い、先にグラウンドでストレッチをしてくる。夕食の準備を忘れないでくれよ、モルモット君」
「分かってる、まだ夜は冷えるだろうから上着も準備しておくよ」
気付けば、三女神像の前に来ていた。
「おっと、研究に夢中でと言うわけでも無さそうだね。夜中にこんな所に来る理由なぞ……デジャブ、じゃないな。確か一年ほど前にも同じ様な事があったような」
そう呟くと、思い出そうと努力するアグネスタキオン。
「そうだ、あれはモルモット君と出会ったぐらいの時期だったな。ということは」
アグネスタキオンが三女神像に向き直る。あの時と状況が同じだというのであれば、再び三女神像呼ばれた、ということになる。
「なんだ……!?」
波打った水面を覗き込んでいる様な感覚に、その先の情報が断片的に彼女の脳内に映し出される。その殆どが不明瞭で、だが不思議と悪くない気分だった。
「あはは、今なら研究が捗りそうだ!」
突然の感覚と、幾つかの思いついたアイデア。早速実行に移そうと思い、研究室に向かおうとした瞬間、見知った姿を見つける。
「こんな夜中にお出かけとは、想像していたよりも大胆な様だ」
そう呟くと、ダイワスカーレットの傍に駆け寄る。
「うん、あれ? アグネスタキオン先輩? あれ、夢かぁ」
そう呟くと、ダイワスカーレットは眠ってしまった。アグネスタキオンの腕の中で心地良さそうに眠るダイワスカーレットを抱えたまま、携帯電話を取り出し、番号をプッシュする。
「ああ、緊急の用が出来てね。最短で研究室に来たまえ。勿論誰にもきづかれないように、だよモルモット君」
心地よさそうに眠る姿とその腕に伝わる温もりに一度だけため息をつき、歩き始めるアグネスタキオン。
トレーナーが研究室に来たのは、十分ほどしてからだった。
「遅いよ、全く何時いかなる時も対応出来る様にしたまえと言っただろう?」
学園から離れていたのに、十分でここに現れるのは異常と言っても良いのだが、それに対してアグネスタキオンが褒めるということはなかった。
「……どうしてダイワスカーレットがここに居るんだ?」
研究室のソファで心地よく寝息を立てている少女に、首を傾げるトレーナー。
「無駄な思考は止めたまえモルモット君、今の君に必要な事は無用なトラブルを避けて、ダイワスカーレット君を家に帰宅させることだ」
アグネスタキオンの言葉に、一切不満を漏らさずトレーナーは携帯電話を取り出す。
「もしもし、私です」
電話口の向こうから、驚いた様な声が響く。話す内容から察するに、ダイワスカーレットの親御さんのようだ。
「はい、学園の方に忘れ物をしていたようです。明日必要なものらしくて……そうですね、寝ぼけてその姿のまま来られてます。はい、大丈夫です、気持ちよさそうに眠っていますので」
どうやら話は付いたらしく、トレーナーが電話を切る。
「あとは僕がダイワスカーレットさんを送れば、問題解決ですね」
アグネスタキオンが驚いた表情でトレーナーを見つめる。
「……そういえば、事務処理とトラブル解決に関しては目を見張る能力があったね、モルモット君」
アグネスタキオンが目を細めると、過去の出来事を話し出す。どうやら、タイキシャトルが学食でハンバーガーを貰いすぎた時の事の様だ。
「あの時、君が色々手を回していたんだろう? 後日、お礼品が届いていたのに、私にはさっぱりだったよ」
「ああ、そんなこともありましたね」
タイキシャトルが大量のハンバーガーを抱えて困っているのを見つけると、アグネスタキオンに迫ってくる。
「助けて下サーイ!」
その気迫に押されたのか、あるいはトレーナーの人の良さからか、ハンバーガーを受け取ってしまったアグネスタキオン。
「ありがとうございマース!」
そういうと、山盛りになったハンバーガーをおいてタイキシャトルは出て行った。優に五十を越えるハンバーガーの山から一つをつまみ、
「ふむ、まぁ、偶に食べるのも悪くない。栄養バランスこそ注意が必要だが」
こういった刺激も必要なのかも知れない、と言い残し、アグネスタキオンは去ってしまった。ハンバーガーの山を目の前にして、残されるトレーナー。
「ふむ、味は悪くないですし……夜食にしましょうか」
そういうと、ハンバーガーの山を抱えて調理場へと場所を移す。パンの部分と野菜、挽肉を分けて、冷凍として保存できる形へと変えていく。
「あっ、トレーナーさん! 何してるんですか?」
スマートファルコンが偶々通りがかって、ハンバーガーの臭いに釣られたらしい。ハンバーガーの山から一つを口にしていると、トレーナーの行動を見ながら話す。
「学食のハンバーガーを夜食用にするなんて、器用ですねー」
慣れた手つきで次々に夜食を作っていくトレーナーを見て、スマートファルコンがメモを取り始めた。
「何してるのですか?」
色鮮やかなペンで描かれているのは、ハンバーガーを夜食用にする工程のようだ。
「えへへ。ハンバーガーが美味しかったので、今度私のトレーナーさんに御願いしようかなぁって。作り方をメモしてたんです」
トレーナーがそのメモを見ると、スマートファルコンに声を掛ける。
「それ、コピーさせて貰っても良いかな?」
「なんだモルモット君。そんなことしてたのかい?」
その後夜食としてアグネスタキオンにハンバーガーを出したはずなのだが、本人は覚えていないらしい。
「食事や栄養管理はトレーナーの仕事だろう?」
自分が記憶していないことは棚に上げて、ふんぞり返るアグネスタキオン。そして、またその時の事を思い出したらしい。
「いやまて、あの時お礼に来たのはスマートファルコンでもそのトレーナーでも無かったはずだ」
トレーナーが休憩室に入ると、先客が座っていた。
「あっ、アグネスタキオンさんのトレーナーさんだ。こんにちは」
にっこりと笑うその姿に、まるで周囲に花が咲いた様に爽やかな雰囲気になる。
「こんにちは、カレンチャンさん」
休憩室のコップにお茶を注ぎ、ソファに座る。
「あ、かわいらしいイラスト! 絵も描けるんですか!?」
ポケットからはみ出していたメモに気付いたカレンチャンは、凄いとトレーナーのことを褒めるが、慌ててトレーナーは事情を説明する。
「へぇ、ハンバーガーをお夜食に? このメモも可愛いし、これはいけるかも?」
その後のカレンチャンの行動は早かった。スマートファルコンにも許可をとり、特徴的なタイトルにして、夜食にハンバーガーを食べるというものをSNS上で拡散した。トレーナー発案ということもあり、栄養バランスを取れる様なアレンジ、そしてかわいらしいイラストも合わさって次の日には話題となった。
「あぁ、思い出した。学食に勤務していた女性からお礼が届いたんだった。私には殆ど関係なかったから、違和感を覚えたんだったか」
そう言うと、トレーナーが言葉を返す。
「そうそう、カレンチャンさんのおかげで、ハンバーガーの誤発注分も全部売り切れたんだって。僕の所に直接作り方を聞きに来る人も居たかな。なんにせよ、問題が解決したみたいでよかったね」
まるで当然の様に笑みをこぼすトレーナーにふと疑問を抱いたアグネスタキオン。
「話を聞く限りでは、君の功績も大きいと思うけどね。もう少し、他者に対して誇っても良いんじゃないかい? それと、少し他人に献身的すぎるきらいがある、何か理由でも?」
単純な好奇心に、アグネスタキオンは言葉を紡ぐ。
「勿論、君の為だよ」
迷い無く言ってのけたトレーナーに、首を傾げるアグネスタキオン。
「ふむ、もう少し説明してもらえるかな?」
「難しい事じゃ無い、他人に好意をもって貰えれば、トレーナーの仕事はやりやすくなる。レースを組むのも、トレーニングに必要な設備の予約も、トレーナー同士の横の繋がりも、学園の偉い人に覚えてもらうのもその一つ」
どうしてもアグネスタキオンの行動は悪目立ちしてしまう、と付け足した。
「なるほど、トレーナーとしての職務の一環と言うことか。他者との関係に依存する以上、確かに一定の効果はありそうだ」
ふと思い返せば、トレーナーと出会う以前よりも、色々と融通が利く様になったとアグネスタキオンも感じていた。トレーナーがいる学園生徒として、期待もあるのかもしれない程度に思っていたが、どうやらトレーナーの行動の恩恵もあったようだ。
「しかし、そのトレーナー業務にそこまで尽くす理由はなんなんだ?」
出会ったばかりのトレーナーにそこまで仕事に対して熱意があったとは思えない。そう口にしたアグネスタキオンにトレーナーは口を開く。
「君の為に、何でもしてあげたいんだ。何が君の為になるかは分からないから、君の為になる可能性があることはなんでもするよ」
そういうと、毛布ごとダイワスカーレットを抱え、研究室から出て行く。その時のトレーナーの瞳は、あの時の、狂気に満ちたその目のままだった。
読了ありがとうございました。
因子継承って、アプリ独自の設定なんですかね?
んにゃぴ、よくわかんないです(思考放棄
次の投稿は日が空くと思います、エアグルーヴパイセンがスピード因子星三だしてくれたら続きを書きます(イベント終わらないぜよ……
それでは、全国のモルモットの皆様方に、宝石の様な輝き(物理)があるように願いまして、ここまでとしますね。