桜花賞、オークス、秋華賞、その三つを勝ち抜く事は、それほど難しい事ではなかったのだ。
「ねぇ、トレーナーさん。私、1番になったよ?」
彼の賞賛の言葉は、虚しく響いた。トレーナーは何かお祝いを準備しようかと提案するが、私は首を横に振る。
「まだ、私が目指しているのは、もっと先だから」
そんな事はない、強がりでもない、トリプルティアラは私の目標だった。私の一番だった。
ーーーただ、彼の一番ではなかったーーー
ただそれだけの事だった。彼の目指しているウマ娘の限界の先は、そこにはなかった。気づいていた。知らないフリをしていた。否、希望に縋りたかったのだ。結果を出せば振り向いてくれるのではないか、と。甘い幻想だ、近づけば近付くほど、張りぼてだと理解してしまう。
「少し休みましょう。レースの後で疲労が溜まっているのかもしれません」
トレーニングも、休みも、彼の言う通りに従った。自分の考えもあったが、彼の提案はそれを含んで尚ウマ娘の能力を最大限に引き出していった。トレーニングが辛くない訳ではない、遊びたくなる欲求が無い訳では無かった。勿論、目標を一つずつこなして結果を積み上げる事に快感を覚えた事も、理由としては存在する。それでも、ただ一つの恐怖に比べたら、些事に過ぎない。
「いい調子ですね、研究の成果が出てます」
彼の興味が尽き、目も向けられなくなることだ。
「当然よ、私を誰だと思ってるの?」
その言葉に、彼は黙って頷く。彼は私の才能に疑いはしていない。だが、唯一とも考えていない。失敗すれば、また違う形で挑戦するのだろう。それが歯痒いのだ。疑うとすれば、可能性にたどり着くかどうか、それだけだ。まだ一番になれる可能性は残されている。彼の一番になるのに、ウマ娘の可能性の先にたどり着くよりも先に、トリプルティアラを手にしてしまった。どうやら、クラシック級は道すがら、程度の事だったようだ。悔しい、悔しいーーー彼と同じ目線で立つ事すら出来ない自分が悔しい。
「まだまだ、こんなものじゃないんだから!」
ここでは、終われない。こんなところで躓くことなんか出来やしない。彼の横に立つまでは、彼の一番になるまでは、ウマ娘の一番になるまでは。
目をくらまし、異次元へと駆け抜けていった粒子に追いつき、追い越してーーーその先で再び彼女と向き合うまでは、走りを緩めることは、許されない。
―――突如、アグネスタキオンの脳裏によぎる、存在しないはずの記憶―――
「先生―! アグネスタキオン先生!」
教え子の一人が、慌てて医務室の扉を開くと、かつての後輩がそこには立っていた。
「やぁ、ダイワスカーレット君、久しぶりだね」
いつものように白衣を着ているアグネスタキオンに向き合う形で座るダイワスカーレット。
「君の活躍は聞いて居るよ。トリプルティアラを手にして、更にG1でも目を見張る活躍、今ではもう現役をしりぞいているが、君を慕うウマ娘も多いだろう?」
淹れたコーヒーをダイワスカーレットの前に置くと、自分も淹れたコーヒーを啜る。
「脚、治ってるの?」
短い質問に、アグネスタキオンは答える。
「勿論、もう日常生活にはなにも問題はないよ」
その言葉に、ダイワスカーレットはアグネスタキオンを睨みつける。
「そうやって、彼を遠ざけて……逃げてきたの?」
ダイワスカーレットが言いたいことは理解している。というよりも、走ることを諦めたアグネスタキオンの前に彼女が現れるとしたら、トレーナーの事以外にないだろう。
「逃げた、か。まぁ、そう表現されても仕方ないかも知れないね。だけど、彼と私、どちらが正常だと思う? 有り得もしない幻想に追いすがる彼の方が正常だと思うかい?」
その姿を見て、ダイワスカーレットが出されたコーヒーにも手をつけずに、端末でニュースを表示させる。
「……トゥインクルシリーズで、賭博容疑で逮捕? なんだこのでたらめは?」
ネットの片隅に小さく載ったニュースは恐らく殆どの人間が知らずに消えていくものだろう。実際、アグネスタキオンですら今この瞬間まで知らずにいたのだから。
「これをでたらめと言い切るんでしょ」
そう言うと、彼が居る留置所まで二人は向かった。
透明なガラスを隔てた面会室にアグネスタキオンが座る。一人ずつの面会ということで、ダイワスカーレットよりも先に彼女が面会することにした。
「……タキオンか?」
現れたのは両手に手錠をつけられ、頬はこけ、目は虚ろに何処を見ているのか分からないような状態だったが、アグネスタキオンの見知っている男性だった。
「トレーナー……なのか?」
だが、彼女の声は、恐らく届いて居ないのだろう。
「ああ、漸く分かったんだ。あの仮説は正しかったんだ、君が見た物は幻覚なんかじゃなかった!」
興奮しだした男性は、暴れない様に看守に抑えられ、無理矢理座らせられる。
「ウマ娘達が見る光、その先にあるものは四足の大型動物だった! ウマ娘以外の要素を取り除いた先に、それがあったんだ!」
ガラス越しに対面している、だが、その瞳は彼女の姿を映していないどころか、最早光を捉えてすら居ない。
「な、何を言っているんだ?」
彼女の言葉はきっと届いて居ない。
「どのウマ娘にも、そこに繋がる! 僕たちはそれを知らなければならなかったんだ! そこにあるはずなんだ! 奇跡が! 可能性が! ウマ娘の神秘が!」
極度の興奮から、突然苦しみだし床に倒れる男性。
「あ……と、とれーなー君?」
床に倒れ込み、口から泡を吹き出して、苦しみだす。だがそれは決して、体の異常から来るものではない。
「すまない、タキオン……俺のせいだ、俺が気付かなかったから……君のせいじゃない。全て、俺の能力が足りないせいで……君の可能性を潰して……すまない、君の光を……すまない、すまな」
懺悔の言葉を幾度となく繰り返すその姿に怯え、現状を理解するまでに時間が掛かる。彼の声が聞こえなくなったとき、漸く彼の死に気付いた。
「あ、あぁ……」
崩れ落ちて、膝を着く。己が失った物を取り戻すことは出来ないことに漸く気付いた彼女は、繰り返す様に呟く。
「違う、違うんだ……悪いのは、可能性を捨てたのは私なんだ」
目を覚ましたのは、研究室の中だった。どうやら、既にトレーナーの姿もダイワスカーレットの姿もない。
「時間は……然程経っていない、か」
それは夢と呼ぶには、鮮烈過ぎた。だが、夢と同じ様に時間がたてば靄がかかり、思い出すことが難しくなっていく。
「これは……なんだ? まさか、未来予知とでも言うのか?」
トレーナーの狂気とも呼べる瞳を見た瞬間、あふれ出た記憶の様な何か。
「プランBの行く末が、これか?」
確かに、それで見た未来は絶望だった。だがしかし、それと同時にアグネスタキオンの目的は達成されていた。彼女が夢見た、光の先が確かにそこには存在していた。
「歓び給えモルモット君、月桂杯に出走するよ」
アグネスタキオンの言葉に、文字通り跳ねる様に喜ぶトレーナー。
そのニュースを聞いて、ダイワスカーレットも喜ぶ。
「また、タキオン先輩の一番を見られるんですね!」
二人の喜ぶ姿に、アグネスタキオンはいつも通りに笑う。
「良いデータが取れそうだ」
マンハッタンカフェがアグネスタキオンのトレーニング姿を見ているのに気づき、アグネスタキオンが近づく。
「やぁ、マンハッタンカフェ君。今日は実に良い実験日和だと思わないかい!?」
両手を挙げて、歓迎するアグネスタキオンを一蹴するマンハッタンカフェ。
「思いません」
表情一つ変えないマンハッタンカフェに、笑顔を作っているものの、どこか奥知れない物を感じさせるアグネスタキオン。この二人が並んでいることに、トレーナーは少し驚きを感じる。
「走り方……変えたんですね」
呟いた事に、二人が驚く。
「……いや、変わっていないさ」
アグネスタキオンが言葉を返すと、トレーナーは疑問を浮かべる。
「アグネスタキオンさん、もしかして体調が悪かったりしますか?」
心配するトレーナーに少し不機嫌そうに返事をする。
「私の走りに、悪いところが見えたかい、モルモット君?」
アグネスタキオンの言葉通り、走りに違和感は感じなかった。むしろ、好調と言ってもいい。トレーニングとレースに制限をかけていた時期よりも、遙かに成長している。
「……それでは」
二人を背にして離れて行くマンハッタンカフェ。
アグネスタキオンは、トレセン学園の敷地内を目的も無く彷徨い歩いていた。
「果たして、プランAとプランB、どちらを選ぶべきか」
呟きながら歩く彼女に、目的地はない。ただ、思考する際に立ち止まっていると落ち着かないだけだ。
「おっ、と。マンハッタンカフェじゃないか。奇遇だね」
「薬は飲みません。怪しい液体も飲みませんよ」
開口一番、積極的にアグネスタキオンを拒絶するマンハッタンカフェ。
「いや、今日は薬を飲んで貰いたい訳じゃないんだ。実験では無い……とは言い切れないが、何も口にする必要はない」
アグネスタキオンのはっきりしない物言いにマンハッタンカフェは違和感を感じた様だ。
「今度は一体、何を考えているんです?」
アグネスタキオンが、一呼吸置いて口を開く。
「考えていることを纏めたいんだけどね。簡単な思考実験、とでも思ってくれたまえ。なんなら、今朝の星占いぐらい信憑性のないものだ」
当たるも八卦、当たらぬも八卦、とアグネスタキオンを呟く。
「正直、あまり気は進みませんが」
普段と違う雰囲気に疑問を持ったのか、無視して去ることはなかった。
「ありがたいねぇ。それでは前提に、二つレースがあるとしよう。そのどちらかに勝利することで君の目的は達成される。レースAは勝てるかどうか分からない、レースBは確実に勝てるとする」
マンハッタンカフェは特に考えることもなく、答える。
「それは勿論、Bのレースに出場するのでは?」
アグネスタキオンはマンハッタンカフェの言葉に頷いた。
「まぁ、そうだろうね。だが君はレースAを選んだ。仮想の話だよ? それは一体何故だろうね?」
マンハッタンカフェは首を傾げる、まるで意味が分からないと言わんばかりに。
「どちらに勝利しても目的は達成されるのでしょう?」
その問いにアグネスタキオンは頷く。
「その通りだ、嚙み砕いて説明すると、絶対に成功する方法を無視して、不確定な方法をとる心理状態を知りたいのさ」
疑問に思いながらも、マンハッタンカフェは律儀に答える。
「そうですね、レースAにそれだけの魅力があったから、ですか」
魅力、その言葉にアグネスタキオンは言葉を繰り返す。そして考え込む。
「もう少し具体的に出来ないかい? 魅力があるという前提で良い、君ならばどんな魅力があれば、そちらを選択する?」
アグネスタキオンの言葉に、マンハッタンカフェは考え、そして、アグネスタキオンの顔を見つめる。
「……どうしたんだい?」
じー、と見つめるマンハッタンカフェは、みるのを止めると、溜息をはいて口を開いた。
「分かりました」
マンハッタンカフェの言葉に、アグネスタキオンは体を跳ね上げる。興奮してそれは何かと尋ねた。
「そのレースのどちらに、トレーナーさんは来ますか?」
逆に問いかけられることに一瞬呆気にとられるアグネスタキオン。
「いや、君の出場するレースに来るだろうね。どちらか片方、という縛りはない」
「では、どちらに出場して欲しいとトレーナーさんは言いますか?」
アグネスタキオンは、少しの間考え込み、答えをだす。
「どちらとも……はないだろうな。メリットは提示するだろうが、積極的に意思を示すことはないだろう」
そこまで聞いて、マンハッタンカフェが更に質問をする。
「そうですね。それが答えです」
それ以上話すことはない、そう言ってマンハッタンカフェが席を立つ。一人残されたアグネスタキオンは、そのまま思考を巡らせる。
「トレーナー君の答えが予測できないこと、か。プランAとBの違い、それが一体何だと言うんだ?」
その後、いつもの三人が集まっているところでアグネスタキオンは問いかけをする。
「ふーむ、レースAをアグネスタキオンさんが望むのなら、そちらで一位を取れる様に全力を尽くしますね」
トレーナーの言葉に、アグネスタキオンは君はそうだろうね、としか返さなかった。
「どうして一番を選ばないの!?」
ダイワスカーレットはテーブルから身を乗り出して話す。その姿に、諭す様にトレーナーは語る。
「自分の中の一番と、レースでの一番、違う事もあるのです。必ずしも一番になることが、自分にとっての一番とは限らない」
トレーナーの言葉をダイワスカーレットは理解出来ず、絶対に一番が良いと主張する。
「トレーナー君、紅茶のおかわりを淹れてくれたまえ。勿論、ダイワスカーレット君の分もだ」
アグネスタキオンの指示のままに、トレーナーはポットの方へと向かう。トレーナーが少し離れたことを見計らって、アグネスタキオンはダイワスカーレットと向き合う。
「自分の一番と一番になること、それらが合致することは、自信を持って良いことだ。とても良いことなんだ、ダイワスカーレット君」
その言葉に、表情を明るくし、嬉しそうにするダイワスカーレット。
トレーニングに励むアグネスタキオンは順調に記録を伸ばしていった。その事の切っ掛けを聞けば、
「なんということはないよ。強いて言えば……選択をしたんだ」
少なくとも彼女に何らかの決意があることは分かった。
「私はウマ娘だが?」
彼女と出会ってから、彼女のレースへの熱意を感じられたのは初めてかも知れない。
「有益なデータをとれる機会だ。手は抜けないだろう?」
そうだ、アグネスタキオンの為に自分ができることを、一つでも多く形にするのだ。
「天候、バ場状態、癖、他の競争相手、彼女達の性格から家族関係、ライバル、得意なコース、苦手なコース……」
準備した資料をアグネスタキオンに手渡すと熱心にそれを読み進めていく。
「一晩でこれを……ということは、君、寝てないな?」
その言葉に苦笑いで返事をする。だが、彼女は月桂杯で役に立つ、と歓びの色を見せる。
「出来る準備は全てしておかねばね!」
そうして、トレーナーが尋ねる。自分に出来る事は他に無いか、と。その言葉に幾つかの無理難題をアグネスタキオンが挙げると、それでもトレーナー迷うこと無く答える。
「いいぞ!」
一瞬呆気にとられたアグネスタキオンが、笑いをこらえられない、といった様子だ。
「流石にそれはヤバいだろう!? 冗談だよ!」
笑いながら前言撤回したが、トレーナーの言葉に疑問を抱いたようで、何故かと言葉にした。トレーナーは答えようとして良い言葉が浮かばなかったのか、前のめりになるだけで、一瞬沈黙する。
「なんだってしてあげたいんだ!」
その言葉に、嘘偽りはない。表情は真剣そのもので、その意思は固い。
「君と一緒に、限界の先に行くためなら」
興奮しているトレーナーに相反して、アグネスタキオンの表情が困惑の色を示す。
「……なんだそれ」
考え込んだ表情が、少し待つと変わる。
「ああ、そうか! 君は変わっていないんだな」
そう口にしたアグネスタキオンは、思い出すように少し俯く。
「俺も、一緒に果てが見たい……そんなことを、私をスカウトした時にも言っていたろう」
それは、彼女が差し出した薬品を、試験管三つ分纏めて飲み干した日のことだった。
「……クク、アハハ! 衝撃的だったな、あれは。大したモルモットだと思った」
細めた目は、何を見るのか。溢す様に呟いた。
「そうだ。あの時、夕日に照らされた君は、随分狂った色の瞳をしていた」
トレーナーを見つめ、のぞき込み、先程の言葉を訂正する。
「いや、君は今も……随分狂った色の瞳をしている」
そうして、理由を告げる事無く、彼女はトレーナーの前から姿を消した。
読了ありがとうございました。
ジェミニ杯は終わった!(オープン一位やったぜ!
艦これイベント甲クリア(涼波はどこ?ココ?
というわけで、ぼちぼち続きを書きたいなって、思いました。
とはいえ、あとちょっとしか考えてないけどね笑
それでは、全世界のモルモットの方々に、宝石(ジュエル)の輝きが降り注ぐことを願って。