忘れてはならない。
忘れてはならない。
この光景を。およそ自分達とは関係ない闘争に巻き込まれた哀れなヒトだったモノ達。生活という名の歴史を積み上げてきた無数の残骸。全ては血と硝煙の香りの中、炎に包まれ灰に還ってゆく。
忘れてはならない。
君は踏み越えてきたモノ達に対して、歩み続けるという義務を持っているのだ。
欠けた夢を見ていたようだ。
「――おい、岸波。聞いてるのか?」
声がした方向に顔を向けると、いつものように慎二がどこか尊大な態度で話しかけてきていた。
――すまない、少し眠っていたようだ。
「はぁ? さっきまで普通に話してたのに寝てたとか。お前もしかして病気なんじゃないの。あーやだやだ、病気ならさっさと帰って病院にでも行ってきてくれないかな。うつされる側としてはたまったものじゃないからね」
ツンデレというやつだろうか? そうでないとしたら一見ただの嫌な奴に見えるが、自分は知っている。これもプライドの高い彼なりの優しさなのだ。
大丈夫なことを告げると二三言悪態をついてから慎二はまた今度の連休に遊びに行く計画の話を始めた。
間桐慎二。性格に少々難はあるが、眉目秀麗を地でいく
それなり以上に良い成績に加えて、その整った顔立ちは自然と女子を惹きつける。なにもかもが控えめな自分としては少し羨ましくもある。
そんな対極に存在する自分達が友人となったのはある出来事がきっかけであった。それは忘れもしない去年の…………あれ、なんだったかな。忘れるようなことじゃないんだけど。……えーっとたし
―――――――ッ!
一瞬頭に割れるような衝撃が奔った。そのまま机に突っ伏してしまいそうになる体を思わず手で支える。
「――おい! 本当に大丈夫なのオマエ!?」
にわかに騒ぎ出そうとする慎二を片手で制する。事実さっきの痛みは嘘のようにひいていた。
顔をあげると気付かぬうちにかなり大きな音をたててしまったらしく、ホームルーム中のクラスの注目を集めてしまっていた。
「ちょっと、大丈夫岸波君? あなたすごく顔色が悪いわよ。保健室、行く?」
いつもは騒がしいクラス担任にも心配されてしまっていた。言われてみれば確かにどこか船酔いのような感覚がするが、……まぁ、こんなことは保健室に行くほどのことでもない。
大丈夫です、先生。
「そう? ならいいんだけど。最近欠席も多いし、みんな健康には気をつけるのよー」
あはは、とすぐにいつもの調子に戻った担任、藤村大河はそのまま自分なんて風邪すら引いたことない、と続けた。自分にはどうしてもバカは風邪をなんたら、というやつにしか聞こえなかった。
こうして自分達のなんでもない日常はこれからも回っていく。
今日を安穏と過ごし、また昨日のような明日を迎える。
その大きな流れからすれば、今の違和感のような具合の悪さもなんてことは無い日常のパーツの一部なのだ。
なにもおかしなことなんてない。そう思ってクラスを見まわす。
ほら、いつも通り。
――――――本当に?
少し欠席は多いが/半数以上が欠席した
騒がしくも平和で/昨日と同じ薄っぺらな
みんなが幸せそうに/プログラムされた笑顔を浮かべて
今日も
……やっぱりおかしい。
どういうわけか足元の床すらひどくあやふやなものに感じられ、ふとこの世界が足元から崩れ落ちてしまう錯覚をする。得体の知れない不安から逃れようと意味もなく隣の慎二に声をかけた。
なぁ慎二! なんかおかし
「――そうか、そう。そういうことね。ハハハ、すごいな。さすが
……慎二?
「悪いな岸波、僕は先に行くよ。お前もせいぜい頑張ったら? ……まぁなかなか楽しめたよ。じゃあな」
そう言って何処か様子のおかしな慎二は、ホームルームを無視して教室から出て行ってしまった。
そしてここに来て違和感は余計はっきりする。誰も出て行った慎二に反応しないのだ/それは彼がこの日々のカラクリに気が付いてしまったからだ。
このままでは何もかもが終わってしまう、そんな根拠のない不安に駆られ自分も席を立って慎二を追う。当然のように自分に反応を示す者はいなかった。
廊下に出ると違和感はもはや肌にまとわりつくように感じ取ることができた。確信を持って言える、ここは自分がいていい場所ではない。目に映る何もかもがひどく薄い、作り物めいた異様さを持っている気さえした。
付近に慎二は見当たらなかった。階段までやってきて上に行くべきか下に行くべきか迷っていると、優雅に階段を下って行く鮮やかな金髪が目に入っる。彼もおそらく自分と同じで違和感に気付いたのだろう。その迷いない歩みにつられて、思わず自分も階段も下り始めてしまっていた。
一階に辿り着いたころに金髪の少年に追いついた。階段はまだ地下の購買部まで続いているが、どうやら彼の目的は一階にあるらしい。下駄箱には向かわず倉庫の方向へ歩き始めた。未だにこちらには気が付いていない。
あの、君。
「……おや、ミスター岸波。あなたも気付いたのですね」
……なんと、彼は自分と知り合いらしい。
「もちろん知っていますよ。……というより、いくら仮初だったとはいえ同じクラスだったのですが」
えっ、そうだったのか。こんなキラキラした人がいたら分かると思うんだけど……。申し訳ない。
軽くショックですねーと苦笑する金髪美少年。こんな時にもかかわらず、彼からあふれる圧倒的な余裕を見るに、イロイロと訳知りなのだろう。
なおも歩みを止めずに進む金髪。用務員室の前まできてようやく彼はこちらに向き直った。
整った目鼻立ち、どこか幼さをのこす風貌のなかに力強く光る真っ直ぐな瞳。この世界における明らかな異物であるのに、周囲こそが異常であるとでもいうように全身が強く自己肯定をしている。
動物でたとえるならまさしくライオンといった王者の風格だ。
「それにしても、最後にまた一つ良い経験ができました。友人と廊下を談笑しながら歩く、余分なコトを楽しむという意味が少し分かった気がします。自分には必要のないものでしたが、スクールライフというものはなかなかどうして興味深い。思わすギリギリまで居残ってしまいましたよ」
あはは、と楽しそうに笑う少年。彼が言っていることは正直ちっとも分らなかったが、おそらく非常に稀な彼の年相応の姿を見た気がした。
ひとしきり笑うと彼は元の余裕のある王の佇まいを取り戻す。そし再びこちらの眼を真っ直ぐに見据えて
「それでは、あなたにまた出会えることを祈って。最後に改めて自己紹介をさせてください」
なんて意味の分からない言葉を発した。
もっと文脈を呼んだ話し方をしてほしい。あんまり人と会話とかしたことないのかな、などと失礼なことを考えてしまう。
そんなこちらの思いなど露知らず、彼は名乗りを上げた。
「僕の名前は、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。気軽にレオと呼んでもらって構いません。……ふふ、本当に不思議だ。僕はあなたにまた会えると心の底で信じている、いや期待しているみたいです」
そう面白そうに呟くと、レオは用務員室に向かって歩き始めようとした。
ここで行かせてしまったらもう彼とはしばらく会えないような気がして、その前に聞きたいことを聞いておくことにした。
「おや、まだはっきりとは思い出していないのですか……。今の状況、説明してあげてもよいのですが。はい、やっぱり自分の目ではっきり見定めた方がいいでしょうね。大サービスです。先を譲ってあげましょう」
レオはやおらこちらの手を取ったかと思うと急にグイと引っ張ってきた。突然のことで対応できず、用務員室の扉に倒れ掛かるようにつまずいてしまう。体を支えるために扉につこうとした手は空を切るだけだった。数瞬の後、自分の体が扉を通り抜けていることに気が付いたが、もうなんでもありなんだな、などという間抜けな感想しか出てこなかった。
「――――良い旅を」
一瞬の浮遊感の後、なんのことはなし、自分の体が床に倒れていることに気が付いた。
ゆっくり起き上がって制服の乱れを正す。背後を見やると自分の認識の通り、たった今自分がすり抜けた用務員室の扉が目に入った。試しに扉を開こうとしてみるが、そもそも開くという機能が存在しないとでもいうかのようにビクともしなかった。
前に進むしかないということなのだろう。部屋を見渡してみると、一見自らの記憶にある用務員室と変わりないように見える。使わなくなった跳び箱にマット、掃除用具箱に毛布パソコン袋の空いたポテトチップス。
…………何か一部おかしなところがあった気もするが、それ以上に目を引く部分がある。
奥の壁が光り輝いているのだ。おあつらえ向きなことに、横の壁にはデッサン用と思しき趣味の悪い肌色人形まで立てかけてある。
レオが言う自分で見定めるべき事柄とは十中八九あの壁に関わることだろう。
護身用に転がっていた竹刀を拾って恐る恐る壁に近付く。柄に付いていたブサイクな虎のストラップに気が少し緩んだ。
壁まであと一歩というところまで来たとき、唐突に壁が消え去って代わりに果てしない暗闇が眼前に広がった。
よく見ると足元に光る透明な板のような物が闇の中に続いている。これは道ということなのか……?
これに体重を預けるというのは些か以上に勇気がいる。四つん這いになって手を使って突っついたり少し体重をかけてみたリしたが、どうやら強度は十分にあ――――うわぁあああああああああ!!
気が付くと先程まで存在すら疑っていた前方に続く道を全力疾走していた。
はぁ――――はぁ、――はぁ。
自分はどれだけ走ったのだろうか。膝に手をついて荒い呼吸を整えようとするが、体はもう限界だと言わんばかりに倒れこもうとしている。
知らないうちにすでに通路は通り抜け、開けた円形の部屋に出ていた。壁一面のステンドグラスが目に眩しい。
いや、さっきまで横に立てかけてあったはずの人形がいきなり後ろに立っているんだから、そりゃあ驚くって。……別に泣いてない。汗だよ、長距離を慣れない全力疾走したせいで目尻から汗かいただけ。
……誰に言い訳しているんだろうか。
自分の手は未だに拾った竹刀を強く握りしめている。いざパニックに陥ってみると、使うという発想がまったく出てこなかった自分にとっては無用の長物だが、走るときはしっかり持ってきてしまったらしい。
背後には未だに美術部が使うポーズ用の人形らしき物が着いて来ている。どうやらこちらに害を加えようと意志は無いようだが、不気味なことには違いない。
溜め息を一つついて人形を意識から外す。
改めて部屋を見回してみると本当に豪華な部屋だった。壁のステンドグラスは言わずもがな、床にはモザイク調に色鮮やかなタイルが敷き詰められている。ここだけ見ればどこかの礼拝堂にも思えるが、あなどるなかれ。天井の代わりに広がる底知れない暗闇が、お前はまだ非日常の只中にいるのだと粛々と言い放ってきていた。
唐突に視界の端で何かが動いた。
よく見るとさっきまで後ろにいたはずの人形が部屋の隅からこちらにゆっくり向かってくるところだった。いかにも人形らしいぎこちない歩行は、自分のただでさえ縮み上がっていた神経を刺激する。
大体いつの間にあんなところまで移動していたんだ。まったく、気味が悪いことこの上ない。
……いや、気が付かないなんてことはあるだろうか? あの肌色が前方から向かってくることに驚いたというのに、自分の横を通り抜けたことに反応できないなんてことは考えにくい。きっとみっともなく悲鳴を上げて尻餅をついただろう。
確認をするために背後へ振り返る。案の定というかやっぱりというか、人形は律儀にも立ち止まる自分と同じように直立していた。……怪奇、増える人形。と言ったところだろうか。
まるでB級ホラーだな、などとぼんやり考えながら前に向き直ってみると、同時に言葉を失くした。
視界いっぱいに広がる人体色。それがなんなのか理解するのに数瞬、情けないことに自分の口はみっともなく悲鳴を上げようとする。
――ひ、ひえっ――――――うわ!!
無意識のうちに後ずさろうとして何かに足を引っ掛けたらしい。崩れ落ちる体を自覚すると同時に、頭上を視認できないほどの速度で肌色の何かが通過するのを感じる。
甲高い風切り音、飛来する肌色のナニカ。そしてハラハラ舞い落ちる無数の頭髪。もちろん自分の物だ。
自分の頭があったあたりを目算時速100㎞ほど――根拠はない――で貫いたのは、予想通り前方の人形の腕であった。
……はて、あの腕は何をしようとしたのだろう。もしかしたら握手をしようとして勢い余ったのかもしれない、あははは。
頭では現実逃避をしながら人形の足元から這い出る。突き出された腕は自分の後ろにいた人形の胸に深々と突き刺さっていた。
あの時もし自分が尻餅をついていなかったら。軽く想像してみたがその展開は笑えない結末を迎えた、というかまず顔が無い。つぶれたトマト、という言葉が頭の中に沸いてくる。
逃げようと思いとりあえず立ち上がろうとするが、しかし悲しいことに膝が笑ってしまっていて上手く自立できない。仕方なく手にしている竹刀を支えにしようとしたところで、先程自分がつまずいた、そして自分の命を救ったものに気が付いた。
――――虎竹刀(仮名)! お前だったのか!
まったく、無用の長物などと言ってしまった自分を全力で殴りたくなるほどの活躍だ。愛してるぜ、相棒―――!柄に付いたかわいらしい虎のストラップがウィンクを返してきたように見えた。
右手が握る感触に勇気付けられたのだろうか、気付けば足の震えは止まっている。
人形たちを見ると未だに刺さった腕が抜けないらしく、二体の姿勢は先程から変わっていなかった。
しめた! 今のうちに元来た道から帰ろう!
ステンドグラスの切れ目、元来た暗闇に帰ろうと全速力で駆けだす。
――な、なんでだ……なんでだああああああああ!!
先程までしっかり捉えていたはずの入り口がどこにも見当たらない。これでは逃げられない!
――…………なんでだあああああああああああ!
悲しみと戸惑いの慟哭をあげていると、天の声が聞こえてきた。
『……なに? まだ候補者がいたのか』
――……それでは、あのもう一体の人形を倒せなければ助からないのですか? 神よ。
『そうだ。自分の人形に指示を出してな。さもなければ君は本戦に出るまでもなくここでその短い一生に幕を下ろすことになる』
もう一体の人形を倒さなければここからは出られない、それどころか命を落とすのだ。突如現れた深く渋い天の声は、そんなことをなんでもないことのように語った。
自分の人形に指示を……? そう思って目を向けると、もう一体に胸を貫かれてぐったりしている自分の人形がいた。腕は未だ抜けていない。
恐る恐る近寄って二体を観察する。
――……パンチ! ……パンチパンチ!! キックキック! 右フック、デンプシー!
人形の隣まで行って考え付く技名を命令する。しかし人形は申し訳程度に腕をピクピクさせただけで、それきりついに動かなくなった。
――おい、嘘だろ? 動け……動け、動いてよ、動いてよ!! ねえ! 動いてったら!! 動いてくださいお願いします!!!
首をだらりと下げる人形の肩を掴んでガクガク揺さぶる。しかし変化は訪れなかった。
――神よ! 動かないのですが!!
『なら君は負けだ。残念、君の物語はここで終わってしまった。というやつだ』
――で、でもそれは神がなかなか出てこなかったせいでしょおおお!? なにしてたんですかああ!?
『君は本当にギリギリ予選から滑り込んできたのだよ、だが私も忙しくてね。そうずっとここを覗いているわけにもいかないのだ。別に麻婆を摂取していたなどというわけではない。ああ、断じてないとも』
……なんということだ。自分は麻婆豆腐のために命を落とすらしい。
そろそろ面倒くさいという感情をもろに出してきた天の声に必死で食い下がる。
――そこをなんとか! 予備とか無いんですか!?
『残念ながらそのような物はない。……だが、まぁ同情の余地も無くはない』
絶対にそのような感情を持っていないことが分かる、心底どうでもよさそうな声色であった。
『正直な話、私としては君のことは心底どうでもいいし、今この場で消えてくれてもまた食事に戻るだけなのだが……。なにやらどこかから干渉を受けていてね。君にチャンスを与えるようにうるさいのだ』
……ついに口に出したよコイツ。絶対神なんかじゃない。きっと対極に存在する者だよ、サタンとか最有力候補だわ。
『仕方ない……特例を許そうではないか。どのような形であれ、その状況から敵を打倒してみたまえ。それが出来たら合格点をやろう。……なに、そう難しいことでは無い。敵は動きを封じられているし、何より君は武器を持っている。私なら徒手であろうと三秒で片付けられるがね』
悪魔超人だったか。
しかし希望は現れた。死ぬしかない状況から生存できる可能性が現れたのだ。
悪魔超人の言うとおり自分の右手には武器がある。なら諦めるという選択肢は存在しない!
たとえそれが安っぽい割竹をまとめただけの物でも―――! 何とかして見せる――――!!
右手の竹刀を固く握りしめ、前方の人形をしっかり見据える。
狙うなら、頭だ! 柄にもなく雄叫びを上げながら走り出した。
――うおおおおおおお!!
『走れ少年。――――或いはその身が届くやも知れん』
――どっせええええええええい!!
全力疾走の慣性を殺さず、思いっきり敵の横っ面に竹刀を叩き込む。
ジャストミート!
しかし、敵はビクともしなかった、……なんてことはなかった。
―――――え?
『……なに?』
ポーンという擬音をつけるにふさわしい、きれいな放物線を描いて人形の首が飛んだ。視界の外れで二体の人形が崩れ落ちる。
――…………トンだーーーー!?
『バカな……。貴様、何をした?」
え、……え? 何かやったんですかね?
『…………いやこの場で「何故」という疑問はふさわしくなかったな。おめでとう、君は本戦に進む権利を得たのだ。…………最後の候補者よ。汝、自らの手で以て最強を示したまえ』
――よ、よっしゃあああああ!!
なんか良く分からないが死ななくて済むらしい。思わずガッツポーズを取る。
諦めない姿勢が奇跡を生んだのだ。
……それで、これどういう話なんですか?
▼
聖杯戦争。
あらゆる願いをかなえるという万能の願望器、聖杯を巡って殺し合うなどという……え、本当? そんな物騒な戦いエントリーしてたんですか自分? ……というか、今までの生活が作られたものだっていうのは分かったんですけど、本当の自分というものがまるで思い出せないんですけど。
『それは本戦会場に進めば思い出すだろう』
そこでふと自分が最後の候補者であると言われたことに気が付く。だがそれでは自分を先に行かせたあの少年はどうなってしまうのだろう。万が一、自分を優先してくれたばっかりに彼が予選退場にでもなったら寝覚めが悪いなんてものじゃない。なにしろこのイベントの予選敗退は死を意味するのだから。
――あ、あの! まだ後ろにいるんですけど! レオっていうちょっとこ
『言っただろう、君が最後の候補者だったと。……それに君が言うレオがレオナルド・B・ハーウェイのことなら、彼は全候補者の中で一番最初に本戦出場を決めている』
なんと、奴はただの冷やかしだったというのか。
だが、それでも彼がいなければ自分は本当に何もできないまま消されてしまっていたのかもしれないのだ。そこは感謝するべきなのだろう。
記憶の中の金髪美少年が上品に微笑む。
……それにしても、誰かと殺し合うなんてこと、技能的にも精神的にも自分にはとても出来そうにない。なにより自分には人を殺してまで叶えたい夢というモノがあったのだろうか? それともそれも記憶を取り戻せば分かるのか。自覚していないだけで自分はもしかしたらとんでもない悪人なのかもしれない。
『敵を殺すのは君ではない。君がこれから従えるサーヴァントがその役を果たす……もちろん君が殺っても構わんが。その腕なら造作もないだろう』
本当に出来てしまいそうで恐ろしい。自分にあんな才能があったとは、……もしかしたら忘れてるだけで剣の達人だったとか。
そんなこちらの考えも露知らず、天の声はサーヴァントについての説明を始める。
『サーヴァントとは、まぁ過去の英雄と言って差し支えないだろう』
過去の英雄って言うとヘラクレスとか? でもそんなもの呼び出す能力自分には
『無いだろうな。もちろん大半の参加者にも無い。本来なら自らの人形を媒体に呼び出すことになっているのだが……、君の場合』
言われて自分のモノだったらしい人形を見る。さんざん薄気味悪く感じたヒト型も、胸を貫かれて力なく倒れる姿は少し可哀そうに見えた。
壊れていたら呼び出せないということなんだろうか。
『戦闘におけるある程度の破損ならば問題ない。しかし君のそれは本来なら負けが確定するレベルのダメージだ、人形はすでにその本来の機能を果たすことが出来ない』
――な、ならど
『人形の素体には君のマスターとしてのIDが刻まれている。通常ならそのIDに関連付けてサーヴァントが呼び出されるのだ。しかし先程言ったように人形は本来の役割を果たせない。ならばどうするか、ムーンセルに連絡? バカな。それでは私が業務を怠る
こちらの言葉に耳を傾けようとせず天の声は淡々と言葉を紡ぐ。腹の奥底深くに響くような低い声からは微かに苛立ちのようなものが感じとることが出来た。
……あと今業務を怠ったって自分で言わなかっ
『ならばどうするか、幸い私はこの戦いにおける最高権利を持つ上級AIだ。つまり』
――つ、つまり?
『つまり私が君、いや貴様の対となるサーヴァントを検索、召喚してやっているのだ。まったく以て面倒くさい。……いやはや、目の前で冷めていく麻婆豆腐を眺めているとな、うっかりその場を情報リソースとして分解してしまいそうになる』
ひ、ひぃぃぃぃ。
いよいよ露骨にトゲを感じるようになった天の声。いろいろあった一日だったが、正直今が一番自分の身が危険にさらされている瞬間なのではないだろうか。
『……終わったぞ。すぐにでもその場に現れるだろう』
そう言われたかと思うと、直後に視界が眩いばかりの光に包まれた。
目の前からはいつのまにか現れていた圧倒的な威圧感を感じる。サーヴァントという奴が現れたのだろう。
徐々に収まっていく光に倣うようにゆっくり目を開いていく。
『それが君の命運を預けることになる剣だ』
視界に入ってきたのは長身の男だった。
褐色の肌に色素を失ったかのような白髪。はためく赤い外套もそうだが、なによりその鋭い眼光が目を引く。
「……君が私のマスターかな? 随分とイレギュラーな召喚なようだが、安心したまえ。君は最高のサーヴァントを引いたことを保証しよう」
得意そうな顔をしている長身を見上げる。
この日、自分は運命と出会っ
「ちょおおおおっと待ったあああああ!!」
▼
『ふむ、……つまり君はすでに彼と契約している。そういうことかな?』
「いえーっす! 私と岸波君はもう運命の相手なの、あ、って言っても結婚するとかそういうわけじゃないわよ。あくまでも主従関係の話ねー」
突然何処からともなく沸いて出た女性は、あろうことか自分とすでに契約をしていると主張してきた。
その謎の女性は現在天の声、もとい言峰綺礼という人物の声と会話している。
先程自分が目を奪われたサーヴァント、アーチャーはといえば、なにやら苦虫をかみつぶしたかのような顔をして眉間を押さえている。
もちろん自分にはこの謎の女性、というか藤村大河と契約をした記憶は無い。
……そう、現れたのは藤村大河だった。
2-Aクラス担任であり、英語教師であり、虎。そんな、作られたものだったという記憶の中でも異彩を放っていた彼女だが、今は外見からも違和感が感じ取れる。どういうわけか剣道着なのだ。
いや、藤村先生らしいと言えばそうなのだが、……うん。何もおかしくないな。
「一つ聞きたいのだが、いいかな?」
唐突にアーチャーが声をあげた。眉間には深いしわが刻まれている。
満面の笑みの藤村先生は嬉しそうにアーチャーをビシっと指差した。
「はいそこのお兄さん!」
「監督役の話を聞いた限りでは、岸波のIDが刻まれた人形が監督役の説明不足のために戦闘前に破損してしまった。その失態をムーンセルから隠匿するために言峰綺礼自身が私を召喚した、そういうことでいいかな」
『私の失態ではない、不幸な事故だ』
いえ、言峰の失態です。アーチャーさん。
『貴様……消されたいのか?』
瞬時に場を支配する圧倒的なプレッシャーに思わず変な声を出してしまう。
この言峰という人物は明らかに監督役などで収まる器じゃない、そう痛感した。
にわかに剣呑とした空気が流れ始めたが、そんなことにはまるで気付いていない藤村大河がアーチャーに話を進めるように要求した。
「そこで疑問なのだが、貴女はいつ岸波と契約したのだろうか? 今の話の中に彼がそんなことをしている余裕があったとは思えないのだが。そして、仮にその問題が解決したと仮定したとき、既に契約しているというなら彼の身体の一部には令呪が刻まれているはずだ。……どうだ、心当たりはあるかな?」
そう言ってこちらに視線を投げかけるアーチャーに慌てて首を横に振る。
令呪とかいう紋様の説明は受けていたがそれに該当するような痣は見かけない。なにより、令呪は発生してから常に痛みを伴うものらしいがそんな兆候は一向にないのだ。
「……だそうだが?」
「そーんなことないわよ。令呪だってあるはず、ほんとほんと。タイガ嘘つかない」
顔の前でブンブン手を振る藤村先生。胡散臭いことこの上ない。
ふと言峰が静かになったことに気が付いた。
耳を澄ませてみると、どこからか微かに陶器と陶器が触れ合うカチャカチャという音、そして何かを咀嚼するかのようなもっちゃもっちゃした音が聞こえる。
あぁ……、うん。冷めちゃうもんね。
「その証拠はあるのかね?」
相変わらず苦い顔をしたアーチャーが重ねて尋ねる。
それにしても、もしかして出会った数分ですでに藤村先生を苦手に感じているのかもしれない。……まぁ、確かに常人には扱うのが厳しい生き物であることには賛成する。全力で。
「証拠ならあるわよー」
何!?
「ほう? では見せてもらっていいかな?」
「おっけー。……岸波君ちょっとこっちかもーん!」
そう言って満面の笑みで自分を手招きする藤村大河。果てしなく嫌な予感がしたが、アーチャーもまた視線で従うように促してきていたので仕方なく歩み寄った。
あの、なんでしょうか?
「証拠そのいーち!! それ、私の竹刀」
藤村先生はそう言ってこちらが右手に握る虎竹刀(仮)を指差してきた。柄に名前が書いてあると言われたので半信半疑で確認してみると、本当に「タイガ」という三字がでかでかとか書かれている。今まで握っていたせいで全く気が付かなかった……。
自分の命を二回も救った竹刀と言えど、所詮は拾い物なのだ。持ち主に返すのが筋だろうということで、本当に残念だが藤村先生に竹刀を差し出した。
「証拠そのにー!! 左手の甲に令呪!」
竹刀を受け取った藤村先生は間髪入れずにそう叫んだ。
左手の甲を思わず見るが特にそれらしきものは見当たらない。アーチャーも覗き込んで来るがやはり何もないらしい。こちらに顔を向けて首を振った。
「令呪などどこにも無いが?」
「えーうそー。……ちょっと貸してみて」
手の甲がよく見えるように先生の前に左手を持ち上げる。藤村先生はこちらの手を取ってしばらくまじまじと見つめたかと思うと、やおら先程渡した竹刀を振り上げた。
な、一体何を―――あいててててててててて!!?
「おい! 何をしてるんだ!」
いきなり竹刀をこちらの手にグリグリ押し付けてきた藤村大河をアーチャーが慌てて止める。拘束を解かれた左手をたまらず引っ込めたが、手の甲には変わらず焼けるような痛みが奔っていた。
「いったい何を考えているんだ貴女は!!」
問い詰めるアーチャーの視線から逃れるかのようにそっぽを向く藤村大河。尖らせた唇からは我関せずといった風に調子はずれな口笛が漏れる。
「まったく、貴女という人は。……まったく」
「なによー、私が何かしたって言うの? 令呪が薄ーくなってたからちょろーっと濃く刻み直しただけよー」
慌てて未だに焼けるような痛みを発する左手の甲を凝視する。こすられたせいで腫れたのかと思っていたが、そのなかにうっすらと『虎』という漢字らしき模様が浮かび上がっていた。
特徴だけを見れば自分が聞かされた令呪なるものと一致している。
……あ、ある。
「なに!?」
「魔術にはあまり明るくない私だが、一見それは令呪に見える。……なにより先程までなかった魔力ラインが君達の間に通っている。まぁ、これで正真正銘彼女は君のサーヴァントというわけだ」
良かったな、などと付け加えてこちらの肩を軽く叩くアーチャー。視線で、頑張れよというメッセージが送られてきた気がする。
しかし全然良くない、良くないだろう。
聖杯戦争なるモノは古今東西全ての時代の英雄豪傑が集まるんでしょ? そんな化け物達とこの藤村大河が覇を競い合う? 不可能だ。
しかも負ければ命を落とすなんて質の悪い冗談だ。もしかして自分は遠まわしに死ねと言われているのかもしれない。
「大丈夫よ岸波君! 私剣道五段持ってるし、もう大船に乗った気持ちでいればいいと思うわ!」
……剣道五段か。
どうやら自分は運命にお前はもう死ねと言われていたようだ。
胴着姿の先生は鼻息も荒くえっへんと胸を張る。
溜め息と共に頭を抱えていると、唐突にアーチャーが空に向かって問いを投げかけた。
「それで、監督役よ。
このまま消えたい、そう彼は言った。正直それはすごく勇気のある発言だと思うのだが、自分だけだろうか?
呼び出されたかと思えば、実はすでに用済みで必要ないなどと言われたら、さすがに文句の一つも言いたくなるのが普通だと思う。
それなのに消してくれとは……、もしかすると英雄ってこのぐらい無欲でないと務まらないのかもしれない。
「えー、もったいなーい。アーチャーさんそれでいいのー?」
「別に構わんよ。余分な仕事をしなくて済む分、楽が出来てありがたい」
……ただのものぐさだったか。
『……ふむ。ムーンセルに問い合わせればすぐにでも消去が実行されるだろうが、余分なサーヴァントが生まれた原因究明という形で私に飛び火するかもしれない。なにより、サーヴァントが余るということ自体が極めて稀なのだ。このまま普段通りに戻してしまうのも面白くないだろう』
さりげなく、というかもろに保身と自分のことしか考えていない言峰の言葉。
こんなのが監督役として選ばれている聖杯戦争とやらには、本当にルールが存在するのだろうか? むしろまずはコイツを監督する存在が必要なんじゃないか?
『……そうだな。貴様が私のサーヴァントになるというのはどうだろうか?』
「なに?」
『考えたのだ。私は監督役という権限を持っている割には選べる選択肢が狭すぎる。ただ罰則を与えられるだけでは反省する者などこの世界にありはしない。それでは私がやることは徒労に過ぎないとは思わないかね? ……それならだ、恐怖に陥れてしまえばいい。自らの行いを神に懺悔したくなるような圧倒的恐怖。アリーナ探索中に常に死角から狙撃手に狙われて縮み上がるなんて最高ではないか』
……。
音声だけでも彼が今最高に機嫌が良いのが伝わってくる。
要するに与えられるペナルティを増やして困る参加者を見て楽しみたいと言っているのだろう。
確信した、コイツはゲスだ。
『幸い私には余剰令呪が大量に与えられている。貴様を万全の状態で運用することが出来るが、どうかな?』
「私に断るという選択肢は無いのだろう?」
もちろんだ、と迷いなく言峰は告げる。
やれやれ、といった仕草をしてからアーチャーはその場から姿を消した。言峰の元へ行ったのだろう。
『さて、いろいろ手違いはあったがこれで一段落は着いた。二回目になるがいつもの口上をあげてこの場を閉めるとしよう』
重々しく言峰が前置きをする。
藤村先生がドタドタ近寄ってきてこちらの背中をバシバシ叩いた。
「さー、いっちょやるとしますか! がんばるわよー!」
あ、はい。
『聖杯戦争本戦を開始する。強き者、弱き者、皆等しく自らの大望を以て他人の願いを存分に踏みにじるがいい。――――汝、自らが手で以て最強を示せ』
むしゃくしゃしてやった正直後悔してる