話が進みません
噂というものはなかなか面白い性質を持っていると思う。
人から人へ。時には予期せぬ形で広まっていくソレは、伝えられているという事実一点においては、確かに民衆の心を射止め興味を引く要素が存在することを示している。
ところが、噂は拡散する過程でとんでもない誤解を生んだり最終的にはまったく違う話になっていたりと、発生源の人物に、本当に伝える気があったのか疑問に思わされこともしばしばある。
所詮は人づて、出来の悪い伝言ゲーム。
もしかしたら噂に出来る時点で、その話題は大した問題ではないのかもしれない。
しかし、今回は違った。
恐怖と混乱のなか、それでも彼らの間で即座に広まったこの噂は一切正確性を欠くことなく伝えられていく。
「おい、聞いたか? 実は――」
「ああ、聞いたよ。いや、でも本当なのか? 俺にはとても信じられない」
「本当よ! 私見たもの!」
形のみとはいえ、魂をデザインされている彼らが驚き怯えることは機能上何もおかしな点は無い。
「バカな! そんなことムーンセルが許すはずがない!」
「ええ、でも見たのは私以外にもいっぱいいるわ」
「上級AIの桜さんや言峰さんはすでにコンタクトを取ったらしい」
「な、それなら何故すぐに
一人のNPCが悲痛そうに叫ぶ。それを見ても周りのNPC達は悔しそうに目を伏せるしかない。
この光景は朝から至る所で目にすることが出来た。
噂という形態を保ちながらも、この情報は正確、迅速を体現するかのように広まった。それは彼らがムーンセルオートマトンという規格外のシステムに創造された完全なる情報生命体だからか、それともヒューマンエラーを起こす余地も無いほどの恐怖の情報だからか。
自分には想像することしかできないが、それでも彼らの気持ちは痛いほど理解できた。
なにせ、
「藤村大河が二人もいるなんて! 今回の聖杯戦争はお終いだ!!!」
▼
ことの発端は朝、朝食を取りに食堂へ行こうとしたときのことである。
「ちょ、ちょっと岸波君!」
一階と二階を繋ぐ階段の踊り場。また一歩階段を降りようとしたときだった。
頼むから霊体化してくれと口を酸っぱくして言ったこちらの嘆願も聞き入れず、後ろをひょこひょこ着いて来たサーヴァント藤村が、珍しく緊張した声で服の裾を引っ張ってきた。
何か問題が発生したのかと思って後ろを振り向くと、先生は階段の下を指差しながらこう言った。
「あ、あそこに」
ん? あそこ?
「あそこにもんのすげー美人がいる!!」
反射的にばっと階段下に振り向く。そして固まった。
美人がいたからではない。ありえない人間がいたのだ。
そう、言うなれば一頭の虎。まさしく藤村大河その人であった。
その時の自分の気持ちをどう表現するべきなのか自分には分からなかった。きっと記憶が在ってもなくても、自分は同じ反応しかできなかっただろう。
しかし階段下の人物を見ても、自分はかえって冷静に状況を分析することが出来た。
そう、可能性は3つ。
一つ、あれは藤村ではない。
一つ、自分が振り向く瞬間、藤村は一瞬で胴着から私服に着替えて階段を駆け降りた。もしくはワープした。
一つ、もう一人の藤村が現れた。
自分としては二つ目が最有力候補だと思った。
一つ目を否定したのは、あれはもうどう見ても藤村大河だったからだ。
見覚えのある虎柄長袖に、高原でハイジとコサックダンスでも踊り出しそうな緑色のワンピース。背を向けてても分かる、横に少しはねた茶色のくせっ毛。そして滲み出す圧倒的能天気オーラ。
たとえあれが藤村大河本人ではなくても、それはそれで新たなクリーチャー登場というわけだ。何も救いがない。
三つ目を否定したのは、それがあってはならないことだからだ。これが事実なら宇宙の熱量死は近い。
そんなこんなで消去法的に二つ目を選んだわけだが、結構現実味があると思う。
早着替えじゃなくて、脱皮かもしれないし、なにより先生ならワープ程度容易いだろう。
「挨拶しに行きましょうよ。私あの方とお知り合いになりたい」
背後から響く声に冷や汗を流す。
……やるな。
後ろにスピーカーを置いていくことを忘れないとは。
そんな精一杯の現実逃避も、空しく現実の前に敗れ去った。
当然のように後ろから現れた胴着姿の藤村大河。どうやら今のは提案ではなく強制だったらしく、自分は抵抗する暇もなく学生服の襟をつかまれて階段をズルズル引きずられて行ってしまった。
「へえー。貴女も藤村大河って言うの?
おっどろき~。私も藤村大河って言うの。よろしくね」
「よろしく、言われてみれば私達少し似てるかも」
「本当だ。あ、もしかして!
生き別れた姉妹!?」
「……ふっ、気付いてしまったのね妹よ。
そう、私達は双子。あの冷たい雨が降りしきる十年前のあの日」
へえー。下駄箱にもしっかり一つ一つ靴が入ってるのか。芸が細かいなムーンセル。
あ、そうそうこれ自分の下駄箱だ。うわ、上履きに名前まで入ってるよ。すごいなー。
「そう、柿を無くしちゃったの。ダンボールごと」
「あら、大変。でもちょうど私柿を持ってるのよ。ダンボールごと。少しお裾分けしてあげる」
「本当!? ありがとう!
もー、岸波くん。あなたのサーヴァント大当りじゃない? 美人で器量良し、もうお嫁さんにもらっちゃった方がいいわよ」
「誉めてもなにもでないわよー。あ、でも柿ならでるかも」
「「あははははははは!!」」
思わず目の前の慎二の下駄箱にヘッドバッドをお見舞いしてしまった。
どうやらこの茶番は、彼女達がお互いを同一個体だと認識出来ていないことが原因らしい。どんなに容姿、発言、思考が同じでも、自分は自分相手は相手。心の奥底に確たる自分を持っているがゆえ、自他の境界がうんざりするほどはっきりしている。
だからどんなに目の前の人物が、鏡写しのように自らに似通っていたとしても、それで戸惑う何てことは天地がひっくり返ってもありえないんだろう。
おお、なんという唯我独尊。少し使い方が違うかも知れないが、そんなことはどうでもいい。
誰か、誰でもいい。助けてくれ。
「やっぱり白無垢もいいけど、ウエディングドレスもいいわよねー」
「ん~、でも一生に一度のことだからなー。ここは日本人らしくビシッと決めたい気もするわねー」
「「岸波くんはどっちがいい?」」
本日二回目のヘッドバッド。慎二の下駄箱は二度と開かなくなる。
救いを求めて周囲を見回すと、昇降口前で腰を抜かしている女生徒がいた。黒い制服から、彼女が運営NPCだと判断する。
ちょうどいい、あれを何とかしてくれ。
そう言おうと口を開きかけた時だった。
「た」
た?
「大変だーーーー!!」
あーおいちょっと待ってくださーーい!
▼
というのが今朝あったこと。
そこからはもうてんやわんやの騒ぎだった。
地獄の釜を開けたかのように、わらわらとNPCが校舎を駆け回り、それを見て参加者達も何か問題でも発生したのかと右往左往し始める。
おそらく『バカな!』『ムーンセルに問い合わせろ』『何てことだ!』が今日の流行語大賞を受賞することは間違い無いだろう。
昨日の今日で早速橙子さんに相談しに行くと、つまらんことを聞くなと追い返されそうになった。何故だ。
代わりに答えてくれた青子さんによると、なんでも一部の上級AIは現実にいた人物の再現なんだそうだ。つまり、階段下にいたタイガーBは現実にいたタイガーAのコピーということであり、自分のサーヴァントは予選で担任をしてくれていた人ではなかったのだ。
道理で話が少し噛み合わない訳だ。
……いや、どちらにせよ合わないか。
地下一回、購買部の前に広がる飲食スペースで昼食を摂る。安っぽいテーブルクロスのかかった四人がけの机に先生と向き合って座っていると、どういうわけか先生が食事に手をつけていない。
病気か?
「これ、もうちょっとなんとかならなかったのかしら……?」
苦笑いを浮かべながら、手元の皿を指差す先生。彼女が何を言いたいか理解して、笑顔で返事をした。
ええ、なりませんでした。
「そ、そう。ならいいわ。
味も悪くないし、うん。この際私の昼食が具なしサンドイッチで、岸波くんの昼食がまぐろ丼なのは気にしない!」
そうでしょうそうでしょう?
ただの注文ミスです。夕飯にはレタスだけじゃなく、ハムも挟まってますよ。
「やったー、ハムサンドーー。……とでも言うと思ったかー!! 私の昼ごはん、これもうサンドイッチじゃなくて切れ目の入ったフランスパンよね!?
おのれKISHINAMI! タイガは激怒した!! この圧政者に断罪を!
というかなんでこんなことするのよー」
自分の胸に聞いてください。
「ブーブー。我待遇ノ改善ヲ求ムー!」
そう言って使われることのなかったマイ箸で食器をチンチン叩く藤村大河。下品この上ない。
虎柄の箸を掴んで品の無い演奏を止めると、どうやら合奏だったらしく隣から変わらずチンチン音がしていた。
どうやら知らないうちに隣に人がいたらしい。
食堂の小さな四人がけテーブルで相席をして気付かない、なんてことあるんだろうか。
見ればまぐろ丼を口に掻き込む藤村大河のとなりにも人がいる。
欧風の整った顔立ちに似合わない陰鬱そうな表情で、ひたすら蕎麦を啜っている。目の前にいる人物に目を合わせないようにめんつゆだけを覗き込んでいるようにも見える。
――チンチン!
場違いな白いランニングシャツから、屈強とはいえ無いまでもほどよく筋肉がついた、これまた白い腕が伸びている。適音に設定されているはずのSE.RA.PH内であるのに、ひどく汗をかいていた。
―――チンチンチンチン!
……それにしても、何で藤村大河はまぐろ丼を食べているんだろうか。一体どこから……?
いや分かっている。あれは自分のまぐろ丼だ。問題なのはいつか
――――チンチンチンチンチン!
うるせえええええええ!!
「ひょわああ! いきなり大声出すなよー!」
あまりのやかましさに思わず席を立ってしまうと、それに驚いた隣の下品な人Bもまた立ち上がる。Aが誰かは言わずもがな、こちらの大声も完全スルーでまぐろ丼を口に頬張る奴のことだ。
隣の人と向き合ってみると、驚いたことに女性、いや少女だった。学生服に金、と言うより黄色い長髪を腰まで伸ばしている。悪戯っ子のような好奇心が強そうな瞳に、絵にかいたような鋭い八重歯。見た瞬間から自分は彼女が藤村に連なる者だと悟ってしまう。
関わるのは早計に過ぎたか……!
「よーよー兄ちゃんよー。アタシのらーんちたいむをよくもまあ邪魔してくれやがってよー」
ヤクザみたいな物言いをして突っかかってくる少女。一言発するごとに登頂部でアホ毛がピョコピョコ揺れる。
「おいおいシカトかああーん?」
制服も月海原学園のものでは無い。濃紺を基調としたミッション系のセーラー服。アバターをカスタムしているということは、彼女もかなりの腕前のウィザードなんだろう。
「な、なあ。おい聞いてる?
あの、ほらアタシも今のは冗談ていうか……」
急におどおどし始める少女。おそらく今までのは演技だったんだろう。
救いを求めるように向かいに座っていた男をチラチラ見るが、男は湯呑み片手にこちらを観察するだけだ。
「あ、そうだ。アタシの名前は須方スナオっていうんだ。あはは。ヨロシクじゃん!
…………あ、あの」
思い出したかのように名乗りを上げる須方スナオを、無言でじっと眺める。
数瞬後、沈黙に耐えられなくなったらしい須方スナオが、気まずそうに口を開いた。
「その、……すみませんでした」
よい、許す。
「ありがたきお言葉!」
素直に頭を下げる須方スナオ。
まさしくこちらの完全勝利だった。この手の人種はスルーが一番効果的なのだと最近身をもって学習したおかげだ。
しかし、同時にその切り返しから、彼女もまた藤村流の後継者の一人であると思い知らされる。まぁ、空気を読んで謝ってくる分開祖よりは数段ましだろう。
向かいに座っている男に目を向けると、相変わらず幽鬼のような無表情を浮かべていたが、湯呑みを握っていた手がサムズアップに変わっていた。
「それで、何であんなことしたの? ダメよー、女の子があんなコトしちゃ」
口を開いたのは藤村大河だった。空の丼を脇においやり、隣のランニングシャツの青年と同じように煎茶を啜ってくつろいでいる。
珍しく常識的な発言をしたようにも見えるが、そもそも箸で食器を叩き始めたのはこの人である。
「そ、それはそこにいるソイツのせいなんだ! アタシは悪くない」
そう言って彼女が指差したのは、目の前にいる青年だった。
思わず彼の顔をまじまじと見る。
同じ境遇の被害者だと思ったのだが、違うんだろうか?
「どういうことなのスナオちゃん?」
「実はアタシ、とあるものが無いと食事出来ない体質じゃん」
アレルギーみたいなものなのか?
「アレルギー? え? あ、そうそうそんな感じ」
微妙な間と共に慌てて頷く須方スナオ。これを見て、自分は元凶がコイツであると半ば確信する。
今のは藤村大河がごまかす時の仕草に大変よく似ていた。
「へえ~。大変なのねスナオちゃん。私なんて何でもバリバリ食べちゃえるからなー」
そうですね。他人のまぐろ丼とかもバリバリいきますもんね。
「な、何のことかしらーあははは」
目を泳がせてしらを切る藤村大河。
決めた。夕食はパンの耳だ。
「そ、それよりスナオちゃん。そのあるものがどうかしたの?」
「あ、そうそう。そのあるものをこの男が奪ったせいでご飯食べられなかったじゃん!」
そうして再び目の前の男に指を突きつけるスナオ。確かに彼女の前には、手をつけられていない盛り蕎麦が鎮座している。それを見て自分と藤村大河の視線が一斉に彼へと向けられた。
男はさも面倒臭そうに湯呑みをおくと、ようやく口を開いた。
「彼女が言ったことは、全て嘘だ」
「ええーー!」
大仰に驚く先生を横目にやっぱりかと頷く。彼女の扱いは藤村先生と同じでいいなと思った。
しかしスナオも負けじと食い下がる。
「そ、そんなこと無いしー。……大体シ――」
彼女は最後まで言葉を続けることが出来なかった。
ダン! ダン! と続けざまに響いた大きな音に遮られたのだ。
音の発生源は例の男。机の下から幾つもの瓶を取り出して順繰りに机の上に並べていっている。その鬼気迫る繰り返し作業に、自分と先生はただただ見守ることしか出来なかった。
……あの。
「これで最後だ」
そしてひときわ大きいガロン瓶のような物を机の中心に置いて、息をつく。
目の前には大小さまざまな赤い瓶。これは、…………タバスコですね。
それを見て自分でもなんとなく話の流れが掴めてしまう。
「まだ付き合いはそんなに長くないが、彼女はなんでもかんでもタバスコ浸けにしないと気が済まないらしくてな。食べ物は全て血の池地獄、見ているこちらとしては大変気分を害される。
しかもそれを他人にも強要する。はっきり言って最悪だ」
須方スナオはそっぽを向いて口笛を吹く。
「そんなわけで私が取り上げて隠したんだが、なにやら下品な抗議の仕方を覚えてしまったらしく、貴方達に大変迷惑をかけた。すまない」
あ、そうですか。こちらこそすみません……。というより元凶の一端がこちらにいますね。本当に申し訳ないです。
藤村大河はそっぽを向いて口笛を吹く。
「ああ、大変迷惑をかけられた。だがまあ世の中にはどうしようもないことなど多々ある。今回もそのうちの一つだと思って私も気にはしていない。
さて――」
そうして机に手をついて立ち上がる青年。相も変わらず無表情だったが、その立ち上がった姿を見てさらに驚かされた。
正直須方スナオと大して変わらないのではないかと思うぐらい背が小さい、というところも驚くがそこではない。大真面目な顔をしている彼は、しかしズボンを履いていなかったのだ。
なんだこれは、まともな人間はいないのか……。
青の縦じまトランクスと白いランニングシャツ姿が、絶望的なまでに休日のおじさんだった。
「主が去ったからには私も追わなくてはならないのでな。ここで失礼する」
「え? 本当だ、全然気が付かなかったわ……」
見れば須方スナオは全力で階段を駆け上がっていくところだった。背中には大きな風呂敷包み。いつの間にかテーブルの上の劇物を回収していたらしい。
いや、注目するべき点はそこではない。
今この男は、須方スナオのことを主と言った。ということは、
「……サーヴァントね」
去っていく下着姿の男を見つめながらぽつんと呟く藤村大河。
確かに普通サーヴァントは霊体化させて連れ歩くモノという定石に反してはいたが、それでいいのか藤村大河。言われるまで相手がサーヴァントだと気付かないって、ちょっとどころじゃなく問題なんじゃないか……?
自分の安全が予想以上に危険にさらされている可能性があることを知って、背筋がうすら寒くなる。
しかしそれは別にしても、サーヴァントを実体化させていたというのはどういうことなのだろう。
他に実体化させている主従と言えば、レオとガウェイン。そして岸波白野と藤村大河。
自分達は、というより自分の場合はサーヴァントが言うことを聞いていないだけだ。それについては非常に遺憾なのだが、霊体化させておく必要がないのも事実だ。通常気にするべき真名の隠匿を自分達は気にしなくていいからだ。
いや、まあ精神衛生上霊体化していてほしいというのが本音だが。
レオとガウェインの場合は非常に珍しい。真名を隠すどころか、自分で教えて回っている。レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイという人物を自分はまだ詳しく知っているわけではないが、きっと彼の場合は圧倒的自信が理由だろう。たとえどんな対策を取られようが正面から叩きつぶす。目をつぶりたくなるような傲慢にもとれるが、彼としてはそれを当然のこととして受け止めているように見える。
情けないことに自分も、それが虚栄でもなんでもない純粋な実力に感じていた。正直彼らが目の前に立っているだけで気おされているような錯覚をしてしまうのだ。
では須方スナオの場合は?
圧倒的実力に対する自負か、それとも真名漏えいの心配が無いからか。
個人的には後者のような気もするが、分からない。
「たぶん何にも考えてないと思うなー先生。正直スナオちゃんにはシンパシーを感じたもん」
あ、やっぱりそうですか。
というか今の発言は、同時に自分が何も考えていないということを宣言していたようなものですよ先生。
……いやまあ知っていたけど。
知らず涙が頬を伝ったような気がした。
▼
食堂を出て、マイルームに戻ろうと、地下から一階への階段に足をかけようとしたときのことだ。
桜にもらった端末が軽快に電子音を発した。
見れば月想海がどうとか、暗号鍵がどうとか表示されている。正直まったく意味が分からない。
「それが戦場へのチケットだ」
うわああああ!
「アリーナ各階層に一つずつ。決戦日に計二つの
説明は以上だ」
後ろから気配を絶って話しかけてきたのは言峰綺礼であった。振り返った時にはすでにこちらに背を向けて、食堂内に戻っていく。
言いたいこともするべきことも伝わったが、それにしたってあまりにも適当過ぎないか今のは。いや、別にコミュニケ―ションを取りたいというわけでもないからいいんだけどさ……。
去っていく背中を眺めていると、驚いたことに言峰は飲食スペースの一席に腰を掛ける。そして手に持っていたものを机の上に置いて、満足気に頷いてから食事を始めた。
遠目にも分かる圧倒的赤色。口に運ぶのはレンゲ。考えるまでもない。あれは予選の時自分の命を脅かした、麻婆豆腐という料理だ。
正直食品としてあってはならない色をしているが、彼はあくまでも真顔のまま、しかし戦いに赴く戦士のような気迫で食事を続けている。
もしかしたら須方スナオと気が合うかもしれないな、なんて思った時だった。唐突に彼が顔を上げる。咄嗟のことで顔を逸らすことが出来ずに目があってしまう。
不審そうな顔を浮かべる言峰にあいまいな笑顔を作って答える。非常に気まずい沈黙が流れた。
顔を逸らすタイミングを窺っていると、言峰がふと、得心がいったという顔をして手元の皿に視線を落とす。すぐに再び顔を上げて、こちらの眼を真っ直ぐ見据えてくる。
そして最後に、乾杯、とでもいうように持ち上げられたレンゲは確かにこう言っていた。
――――――――食うか?
食いません。
迷うことなく踵を返した自分は、背中に突き刺さる怒気に怯えながら一階への階段に足をかけた。
▼
薄気味悪いところだ、というのがアリーナに入って最初に感じたことだった。
半透明な通路だけが暗闇の中浮かび上がり、どこか粘つくような嫌な気配が漂う。この空間の中では、いつ、どこであっても、自分は命を落とし得るのだ。それはまだ見ぬ
あまり認めたくはないが、正直背後で鼻歌を唄っている先生が心の支えである。…………というかこの空気に何も感じないのかこの人は? 本当に空気を読めないのか?
「むっ、敵発見。どうする隊長?」
唐突に先生が声をあげる。思わず振り返ると、同時に胴着姿の藤村大河が風のように隣を走り抜けた。
「というか私が隊長だーーーー! 藤村隊、突撃ーー!」
奇声を上げながらも、ものすごい速度で駆けて行く先生を慌てて追いかける。五十メートルほど走ってようやく追いついた。見れば先生は竹刀を両手で構え何かと対峙している。
先生の背中越しに敵を見定めようと横から顔を出すと、前方には宙に浮かぶ蜂のような物体がいた。動きや形はまさしく蜂そのものだったが、半透明に透けていてガラス細工のような異様な姿。無機的な体躯に反したあまりにも器用すぎる挙動を見て、得も言われぬ恐怖心をあおられる。
「…………来る!」
藤村大河がそうつぶやくが早いか、敵性プログラムが突進を仕掛ける。反射的に目をつぶってしまうと同時に、尻餅をついてしまった。
数秒後に訪れるであろう痛みに備えていても、いつまでたってもその時が来ない。恐る恐る目を開くと、目の前にはやけに頼りがいのある大きな背中が広がっていた。
「ちょっと、岸波、君。女の子にっ、大きな背中、っていうのは、っふ。失礼じゃない?」
す、すみません。
ゆっくり立ち上がると、驚いたことに藤村大河はまともに戦っていた。
剣道、と聞いて誰もが思い浮かべるような基本の構えを崩さず、一進一退しつつも見事に敵の突進を捌ききっている。
「っよっと、ほっ、せい!」
気が抜けるような声と共に竹刀を振る姿に思わず感心してしまう。目にも留まらないスピード、変則的な動きで舞う蜂にも焦らず柔軟に対処している。初心者目からしても、余裕のある各上の闘いを繰り広げているように見えた。
時間と共に、徐々に敵の動きが鈍くなっていく。
払い、切り上げ、突きから振り下ろす。基礎を忠実に行っているだけに見えるが、確かに技量としては敵を圧倒していた。
ただ――。
「ほい、終わり」
最後に致命的な隙を見せる敵に、容赦なく竹刀を振り下ろす先生。宣言通りに敵はあっけなく霧散した。
「どうよ? やればできる子でしょ私?」
藤村大河は竹刀をくるくる振り回しながらこちらを振り向く。息ひとつ切れることなく得意そうな顔をしていた。
「岸波君がなーんか私の実力疑ってるみたいだったからねー。ちゃんと見えるように戦ってあげたのよー。本当はもっと楽にやれるわ」
驚いたことにあれでも手を抜いていたらしい。
腰に手をあてて胸を張る先生を見て、少し見直してしまった。今までことごとくマイナスイメージを植え付けられていたので、今回の事は正直感動した。
「おっ! その目は感心してるな。
それで、感想は?」
喜色満面に尋ねてくる先生に、仕方ないとかぶりを振ってから、今回ばかりは素直な感想を口にした。
――――なんというか、地味でした。
「なにいいい!」
その後の探索はいたって快調に進んだ。
先程のこちらの発言を聞いた先生は、余計やる気を出してしまったらしく、次々と現れる大小さまざまな敵を竹刀の一振り二振りでなぎ倒してしまう。
その道中、しきりに『やっぱり、奥義とか必要かしら』と呟いていた。
いい加減敵も打ち止めなのか、めっきり姿を見なくなった。特にすることも無くなった自分達は、適当に話しながらアリーナを進む。
「私、剣道は好きだけど、あの打ち込みの時の叫ぶ奴はどーしても好きになれなかったわー。
きええええ、とか。ひょわあああああ、とか。確かに力はでるんだけどさ、あれを女の子にもやらせるのはちょっとねー」
でもあれって声出さないと判定入らないんですよね?
「そうなの。おかげで高校時代は鬼とか虎とか酷いこと言われたわ」
え、でも好きですよね。虎。
「そうね、なんというか。憎み切れない親の仇? 仲間なんだけどラスボス? みたいな感じ」
切りたくても切れないし、かといって切ろうとも思わない縁。という感じですかね。
「おっそんな感じそんな感じ。私達通じ合ってきたんじゃない?」
……………はは、まさか。
「ちぇー、つれませんね。
っと、あれじゃない? とりがー」
唐突に斜め前方を指差す先生。透明な壁の向こうに、確かに緑色のデータボックスが見えた。
……待った。誰かいる。
「あ、昨日の無礼者と海賊さん」
その言い方はどうかと思うが、先生の言うとおり、データボックスの周りにいたのは慎二とそのサーヴァント、ライダーだった。
あの場に行くべきか考えあぐねていると、向こうからこちらの通りに出てきた。当然のように慎二と目が合う。
「き、岸波!? よ、よう。お前もトリガー取りに来たのかよ?」
そうだけど、どうかしたのかお前?
「別にどうもしてないよ! いや、むしろお前が……くそ、なんでもないよ。
とにかく、僕はもう行くから! じゃあな」
お、おい!
慎二はこちらの顔を見ようともせずに背を向けて、迷宮の奥に向かって走り去ってしまった。
「ったく。悪党の割には肝っ玉が小さすぎるのがいけないね。聞きゃいいってのに。
……そんじゃ、アタシも失礼するよ」
ライダーもまた、一言こちらに投げかけてから慎二を追って居なくなってしまう。
いったい何だったんだろうか。
こちらを見た慎二は何やら怯えていたように見えた。突っ込まれると思った先生の事すらスルーして、だ。
「とりがーあったわよー」
こちらの疑問も知ったことかと能天気な声が浴びせかけられる。
いつの間にやらデータボックスを調べてきたらしい藤村大河がこちらに向かって走ってきていた。
『トリガーコードアルファ』と書いてあるカードキーのような物を受け取って一つ溜め息をついた。
こんな小さなものにすら、今の自分の命は左右されてしまうのだ。先行きの暗さに自分でも呆れかえってしまう。
「さ、今日はもう帰りましょ。
私の夕飯が待っているわ」
スナオちゃんはいてもおかしくありません。
EXTRAのドラマCDにもでています。おかしくありません。
誰か分からない人も、大丈夫なように書こうと思うのであんまり心配せずに見て下さい。
サーヴァントは、あんまオリキャラは出したくなかったんですが、最初で最後のオリです。許して。