転生トレーナー~君に祝福を捧ぐ~   作:カナイガワ

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第3話 なりたい私

「……本気で言っているの?」

 

 その静かな問いかけに、トレーナー室の空気が凍りつく。まるでこめかみに銃口を突きつけられているかのような緊張感にソラはごくりと生唾を飲み込んだ。目の前には田芝が鬼の形相で彼女を睨みつけている。噴火寸前の火山のように、怒りがマグマのごとく田芝の中で煮えたぎっているのがわかる。ここまで彼女が怒りを露わにした表情を見せるのは初めてだった。しかし、そうなることも承知の上で、ソラは震える口を開く。

 

「……はい。私はレグルスを抜けて……ライスシャワーのトレーナーになります」

 

「……理解に苦しむわね。私には、この娘にあなたがそこまでする価値があるように思えない」

 

 呆れたようにため息をつきながら、田芝は手元の資料を一瞥する。そこにはソラがまとめたライスシャワーのデータが載っていた。ウマ娘のチームの入団決定権はメイントレーナーにある。いくらサブトレーナーが目を付けても、メイントレーナーが許可しなければウマ娘の入団は認められない。今まで模擬レースにもまともに出たことがないライスシャワーの入団を、田芝は許可しなかった。

 

「……バカなことしてることは百も承知です。けれど、これは私が……いや、きっと私にしかできないことなんです……!」

 

 そう言って、ソラは頭を下げる。本当なら、今すぐ土下座して謝罪したいくらいだが、もしも誰かに見られたら問題になってしまう。田芝にはトレーナーとしていろんなことを教わってきた。厳しい指導も激しい叱責も、全ては自分を一人前のトレーナーにするためのものだと理解もしている。ようやく担当をもたせられるまで認めてもらった矢先にチームを辞めるなんて、大恩を仇で返す行為に他ならない。

 

 けれど、それでも―――

 

「―――どうか、お願いしますっ……!」

 

 ソラは譲れなかった。田芝に縁を切られることも覚悟の上で懇願する。数秒間の沈黙。田芝のため息がそれを破った。

 

「……わかったわ。手続きはこっちでやっておくから」

 

「えっ……!?」

 

 意外にもあっさりと許諾され、ソラは驚いて顔を上げる。一瞬だけ田芝が微笑んでいたように見えたが、おそらく気のせいだろう。田芝は席を立つと、ソラに背を向け窓の外を眺める。

 

「言っておくけど、一度抜けたらもう戻ることは許されないわ。もし上手くいかなくても、このチームにはあなたの居場所はない」

 

「……はい。わかってます」

 

「他のサブトレーナーには私から伝えておくわ。引き継ぎもあるし、最低でもあと2週間はいてもらうわよ。それから、チームの娘たちにもちゃんと挨拶しておきなさい。貴女、けっこう人気あったんだから」

 

「は、はい……」

 

 まるで子供を優しく諭すような口調が逆に怖い。さっきまでの態度はどこへやら、ソラはビクビクしながら扉に手をかけたところで、田芝に呼び止められた。

 

「―――困ったことがあったら、なんでも相談に来なさい。チームを辞めても、貴女が私の後輩であることに、変わりないわ」

 

 その言葉に、ソラは目頭が熱くなる。少しだけ、決意が揺らいでしまった。けれど今更撤回なんてできない。ソラは踵を返し、背を向けたままの田芝に深々と頭を下げる。

 

「―――今まで、大変お世話になりましたっ!」

 

 かちゃんっ。扉を閉める音が冷たく響く。一人になったトレーナー室で、田芝はデスクの一番上の引き出しを開け、一枚の写真を取り出す。そこには涙で顔をグシャグシャにした癖毛の若いトレーナーと、栗色の髪を腰まで伸ばしたウマ娘が目に涙を溜めて困ったように笑っている姿が映っていた。

 

「私にしかできないこと、か……」

 

 まさかね。と、田芝は自分の考えに呆れたような笑みをもらす。写真をまるで宝物のように引き出しにしまったところで、デスクの上の携帯が鳴った。そこに表示された名前を見て少し動揺した田芝は、目元まで伸びた癖毛を指先でいじりながら通話をタップする。

 

「……もしもし? いえ、大丈夫。丁度私も電話しようと思ってたところよ―――」

 

 ふと、鏡に自分の姿が映り、田芝は慌てて部屋の隅へ移動する。今の自分の顔を万が一チームの者に見られては、メイントレーナーとしての威厳が崩壊してしまうと思った。真面目な顔を保とうとしても、電話口から聞こえる優しい声を聞くたびに田芝は相好を崩してしまう。まるで内緒話をしているかのような電話は、夜が明けるまで続いた。

 

 

 ******

 

 その日、新潟競馬場は連日の猛暑をモノともしないほどの活気にあふれていた。本日三つ目に行われている新バ(デビュー)戦。観客たちは未来のスターウマ娘たちに向かって、胸を躍らせながら笑顔で歓声を送っている。しかし、ゼッケンを胸にターフを駆ける10人のウマ娘たちの中に、笑顔を見せる者は1人としていない。誰もが死に物狂いで勝利を目指している。先頭集団が最後のコーナーを抜けたところで、実況の明坂美聡の興奮をはらんだ声が響き渡った。

 

『―――残り200mを切りまして、先頭に立ったのはライスシャワー!! 最後の直線、2番手ダイサンリユモンと熾烈な争いです!』

 

(―――トレーナーの嘘つき野郎(うそひいごろ)っ!!)

 

 先頭集団の一人、ダイサンリユモンは必死に足を動かしながら、レース前にトレーナーに言われたことを思い出していた。

 

『ライスシャワー、このウマ娘は気にすることはない。選抜レースにも怯えて出られない落ちこぼれだ。トレーナーも歴一年未満の新人。お前の敵にはなりえないだろう』

 

(そう()ちょったんに、なんでライスが先頭におっとな!?)

 

 漆黒の髪を靡かせるその小さい体に必死に追いすがる。差は半バ身、いやアタマ差もないほど。しかしどれだけ地面を強く蹴っても、どれだけ足を速く動かしても、そのわずかな差が縮まらない。なんで? 今日のデビュー戦に向けて、たくさん練習してきた。強くてかっこいいウマ娘にあこがれて、自分もそうなるために必死に頑張ってきた! 

 

(こげんところで、負くっわけにはいかんっ……!)

 

「だらぁああああああああっ!」

 

 挫けそうになる心に鞭を打つ。諦めてたまるかっ! 憧れを捨ててたまるかっ!! 己を奮い立たせ、ダイサンユリモンは地面を強く蹴る。

 

「っ……やぁああああああああっ!」

 

 だが、ライスシャワーも譲らない。初めてのレースでの緊張に加え対戦相手達の圧力(プレッシャー)で、練習通りになんて全然走れていない。今自分が何番手なのかもわからないほど、心も体も疲弊し切っている。しかしその瞳は潤みながらも、まっすぐゴールを目指していた。数日前切り株の前で泣きじゃくっていた情けない少女の面影はない。レースを走る一人のウマ娘の姿が、そこにはあった。

 

(―――怖かった。レースに出るのが、『青いバラには絶対なれない』と、わかってしまうのが……)

 

 こんなダメダメな自分がレースに出ても、誰も幸せにできない。この先ずうっと、ダメな自分のままだと、わかってしまうのが怖かった。そう思ったら、怖くて震えが止まらなくて、まるで暗くて冷たい沼のそこに沈んでいくようだった。

 

「―――走れぇーーっ! ライスゥーー!!!」

 

 声が聞こえた。暗闇の中から自分を見つけ、救い上げてくれた人の声。見なくてもわかる。彼女は今きっと観客席の先頭で、柵から身を乗り出して精一杯自分を応援してくれているのだろう。

 

『あなたは、人を不幸にする存在なんかじゃないっ!』

 

『人を絶望の底から救い出して、その名前のように人を幸せにできるような、そんなヒーローみたいなウマ娘にきっと……絶対、なれるっ!』

 

 三日月の夜、手を差し伸べてくれたソラの言葉が、ライスの背中を押す。辛くて止まってしまいそうな自分の心を、励ましてくれる。重たい足を、一歩、また一歩と前に進ませてくれる。

 

(勝ちたいっ、ライスを見つけてくれたトレーナーさんのためにっ! ダメなライスじゃないことを、証明するためにっ!)

 

『残り100m! 果たして最後に制するのは―――!』

 

「私はっ―――」

 

 皆を幸せにする、青いバラ(ヒーロー)に―――

 

「―――なりたい私に、なるんだぁああああああ!!」

 

 限界を超えた決死のスパート。ゴール目前にして、差が1バ身ほど開く。「無理ぃーーー!!」というやけくそ気味のダイサンリユモンの叫びが、誰に届くことなくターフを駆ける風に飲み込まれていく。

 

『ゴォォォオオールッ!! 勝利を手にしたのは、ライスシャワー!! 激しい争いの末、最後に意地を見せましたっ!!』

 

 歓声が晴天に響き渡る。自分が1着だったことに、ライスはゴールしてから気づいた。

 

「いいぞっ、ライスシャワーっ!! 素晴らしいレースだったぞー!!」

 

「ワクワクしちゃった!! また次も観に行くからねーっ!!」

 

「わぁ、っ……!!」

 

 自分を讃えてくれる声が、レースの疲れを吹き飛ばしてしまうようだった。自分が誰かを少しでも幸せにできた実感が胸の中でふくらみ、涙となってあふれ出る。けれど、それ以上に号泣しているソラを見て、ライスは思わず笑ってしまった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃのソラの顔が可笑しかったわけではない。彼女のその涙が、喜びからくるものだとわかったから。ソラがこのレース場の誰よりもライスの勝利を喜んでくれることがうれしくて、ライスは笑顔でソラに駆け寄る。

 

「トレーナーさん……見てて、くれた……?」

 

「っ……う゛んっ! 見でだっ……!」

 

 嗚咽のせいで短い返事しかできないソラ。ハンカチで鼻をかむ彼女を見ながら、ライスは体をもじもじとくねらせる。言うべきか言わないべきか。しかし数日前よりすこしだけ身も心も強くなった彼女は、覚悟を決めて一歩ソラへと踏み出す。

 

「……あのね、いっこ、わがまま言ってもいい……?」

 

「グスッ……わがまま?」

 

「……うん、あの、あのね……?」

 

 ドクン、ドクンと心臓が早鐘を打つ。もしかしたらレースの時よりも緊張しているかもしれない。グッと拳に力をいれて、ライスは潤んだ瞳でソラの顔を見上げた。

 

「トレーナーさんのこと……『お姉さま』……って呼びたいの。だめ、かな……?」

 

 一瞬、ソラの体が凍りついたように見えた。やっぱりおかしいかな、嫌われたかな、そんな不安が胸によぎる。ソラは数秒間固まった後、「あ、その。えっと……ぉ」と目に見えて挙動が不審になる。上を見たり下を見たり、頭を掻いたり首を触ったり。一通り動揺の様子を見せてから、咳払いして背筋をシャンと伸ばす。

 

「ライスがそうしたいなら……その、いい、のでは、ないでしょうか……?」

 

「いいの!? じゃ、じゃあ……!」

 

 震える声で引きつった笑みを見せるソラ。涙も鼻水もすでに引っ込み、耳を真っ赤にさせ、目はあっちこっちに泳いでいる。しかしライスは気にしない。というより、受け入れてくれたことに舞い上がり、ソラが死ぬほど動揺していることに気が付いていない。ライスは胸に手を当ててソラを見つめる。

 

「これからも……よろしくお願いしますっ―――お姉さま!」

 

 そう言って、ライスは笑った。花が咲いたような笑顔だった。これから先この笑顔をもっとずっと咲かせられるように、自分も強くなろう。そう心に誓った。

 

 

 

 そんな二人の様子を少し離れたところで見ていたアグネスデジタルが気を失っていた。それ以降、ソラとライスシャワーがアグネスのネタリストに加わったことは、また別の話である。

 

 




 
―――またデジタル殿が死んでおられるぞ。


☆次回、8月21日午前9時!
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