転生トレーナー~君に祝福を捧ぐ~   作:カナイガワ

5 / 5
第4話 不沈艦の襲撃

 桜も散り、新緑が実り始める五月の半ば。爽やかな風が吹きすさぶトレセン学園。ウマ娘たちがトレーニングに励み活気にあふれるグラウンドとは正反対に、トレーナー室は陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 

「―――はぁ~~~~~~~~~~…………」

 

 ソラは長く、長く息を吐く。肺の中の空気が空っぽになっても、鬱屈とした気分は胸の中に残ったままだった。1人しかいないだだっ広い部屋に、かすれた声が反響する。それがまた彼女の気分とやる気を低下させた。悪い夢から覚めるかのように一度目を強く閉じてからゆっくりと開ける。しかし目の前の資料に乗っている数字が変化することはない。

 

「……スプリングステークス4着、皐月賞8着、NHK杯8着……」

 

 それはここ数か月のライスシャワーの出走レースと着順だった。口に出したことで体が机の中に沈んでいくような気分に陥る。

 

 デビュー戦からおよそ半年以上の月日が流れている。デビュー戦こそ華々しく飾ったものの、それ以降の成績はお世辞にも良いとは言えなかった。前世に見たライスシャワーも勝てない時期は確かにあった。そのたびに黒沢米子は涙を流しながらも、次に勝てることを信じて奮起していた。だが、西宮ソラは違う。トレーナーである彼女にとって、ライスシャワーの勝敗の責任は自分にある。日々の業務に一切手は抜いていない。しかしだからこそ、ライスを勝たせてやれない自分が情けない。

 

 もし自分がもっと経験を積んだトレーナーだったら、ライスはもっと勝てるのだろうか。そんな考えと、負けるたびに悲しそうな顔をするライスの姿が脳内でいっぱいになる。

 

「……ごめんね」

 

 いったい誰に向けての、なんのための謝罪なのかもわからない言葉がこぼれる。やっぱり、デネブに残って経験を積むべきだったのだろうか。そんな考えが脳裏に浮かんだ時、扉をノックする音が響いた。

 

「―――お姉様、ちょっといい?」

 

 遠慮がちに開く扉から、ライスシャワーの顔がのぞく。ソラは瞬時に体を起こしてノートパソコンに手を添え、いかにも「仕事していました」風を装う。トレーナーとして、ライスに落ち込んでいる姿を見せるわけにはいかなかった。それはソラに負けず劣らずネガティブなライスに心配をかけたいためでもあるが、「トレーナーたるもの、常に毅然とするべし」という田芝からの教えでもあった。なんでもないように「こんにちは」と挨拶するソラに、ライスももじもじしながら返す。

 

「どうしたの? 今日はウララやロブロイと遊ぶ予定だって聞いたけど……」

 

「うん。あ、あのね……実は今日、三人でクッキーを作ってたの。それで……お姉様にも食べてほしくって……いつも、ライスのために頑張ってくれるお礼に……」

 

 おずおずと、ライスは鞄から取り出した花柄の袋をソラに差し出す。ソラは驚愕で目を丸くしたまま、壊れ物を扱うようにその袋を受け取った。

 

「本当は、もっと早く渡したかったんだけど、失敗ばっかりで……それで今日、二人と一緒に作ったら、美味しくできたと、思うから、その……」

 

 ごにょごにょと真っ赤な顔で話すライスを見ていると、先ほどまで沈んでいたのが嘘のように、胸の内が暖かくなるようだった。

 

「……ありがと、ライス。仕事が終わったら、いただくね」

 

「え、えっと……その、一つだけでも、今食べてほしいんだけど……だめ、かな?」

 

 たぶんソラはこれを口にすれば、嬉しさのあまりだらしなく笑ってしまうと思い、一人の時に食べようと考えた。しかし、潤んだ瞳で見つめてくるライスシャワーの願いを断れる人類がこの世に存在するだろうか? 秒で「わかった」とうなずくと封を開け、クッキーを一枚取り出す。手のひらに収まるサイズのそれは、三日月の形をしていた。黄色いコーティングから黄色い光沢を放つコーティングからレモンの香りがする。ソラにはそれがまるで黄金のような輝きを放っているように見えた。

 

「お姉様、覚えてる? ライスをスカウトしてくれたあの日も、三日月だったこと」

 

 忘れるわけがない。今でもソラはあの日のことを鮮明に覚えている。泣きじゃくるライスの姿に失望し、彼女をあのライスシャワーのように強くすると宣言したこと。クッキーを口に放り込む。噛むたびに砂糖の甘みが広がると同時に、爽やかなレモンの香りが鼻から抜ける。それを飲み込むと、チリチリと小さな火種と化していたあの時の決意が、再び燃え上がるのを感じた。

 

「……すっごい美味しい。なんかめちゃくちゃ元気出てきたよっ!」

 

「よかったっ! ……あのねお姉様、ライス頑張るから。 次こそ、一着でゴールするとこ、お姉様に見せられるように、いっぱいいっぱい頑張るから」

 

 胸に手を当て、真っ直ぐと見つめてくるライスの瞳には、強い光が宿っていた。そこには続く敗北に屈しないという強い意志のようなものが見える。強くなったね。と、ソラは心の中で思う。このクッキーもきっと、お裾分けだけが理由じゃないはずだ。きっとライス自身より落ち込んでいたソラを励ますつもりで作ったに違いない。まったく、担当ウマ娘に余計な気を遣わせてどうするんだ。自分への情けなさとライスの優しさに目頭が熱くなるのをグッとこらえ、ソラは笑ってみせる。

 

「―――ありがとう、ライス。私も頑張るよっ! 絶対ライスを、すごいウマ娘にしてみせるっ!」

 

「うんっ! えっと……じゃあ、門限があるから……ライスは帰るね」

 

 ライスはまだなにか言いたそうだったが、時計を見ると慌てて部屋を出ようとする。おやすみなさい。と小さく手を振りながら扉を閉めるライスにソラも手を振りかえした。扉が閉まると、背もたれに大きく寄りかかり天井を仰ぎ、熱を持つ顔を両手で押さえバタバタともだえる。

 

 ―――ああーーーーーもう可愛すぎかよっ!! 

 

 今すぐ窓を開けてライスの可愛さを全世界に向けて叫びたい気持ちを何とかこらえる。心の栄養剤を注入され、元気いっぱいになったソラはその後、夢中で仕事に取り組んだ。

 

 

 

 ☆☆☆☆☆☆

 

 

 

「うわっ、もう真っ暗……」

 

 事務作業に没頭してしまい、気づけば時刻は深夜二時を回ろうとしていた。今夜はトレーナー室に泊まることを決め、こんなこともあろうかと用意していた寝袋をクローゼットから取り出す。服を着替えようとシャツのボタンに手をかけたところで、腹の虫が鳴った。夕食からかなり時間が経っているし、当然と言えば当然だ。最近腰回りが気になる身としてはクッキーで腹を満たすことは避けたい。仕方なく財布を手に持ち、近くのコンビニでサラダでも買おうと学園の外に出た。

 

 夜空はうっすらと雲がかかり、うすら笑いのような三日月がぼんやりと見える。最近買った新品の電動自転車を漕ぎながら、ソラは道を間違えたと後悔していた。普段コンビニに向かう道。明るいうちは気づかなかったが、街灯が少なく道沿いに並ぶ高い針葉樹が月明かりを遮っている。風が強いわけでもないのに木々はさわさわと囁くような音を立て、薄気味悪い雰囲気を放っていた。

 

「~~~ララララーラーラーラーっ! ララララーララーラーラー!」

 

 雰囲気にのまれないよう、大声で歌いながらペダルを全力で漕ぐ。その声は小さく震え、更にソラは無自覚だがかなり音痴で音が外れまくっているため、はたから見れば女性が競輪選手ばりに自転車を漕ぎながら呪いの歌を歌っているという、都市伝説になりそうな光景になっていた。しかし当の本人はそんなこともつゆ知らず、アシストのパワーも全開にしてひたすらコンビニを目指す。

 

「ララララララーララー! ララーらぁっ!!?」

 

 あと少し先の角を曲がれば到着するというところで、ソラはブレーキを強く握りしめた。そこそこのスピードで走っていた車体は急ブレーキにより後輪がすこし浮き上がる。キュキュッと甲高い音を立てて自転車が止まると、ソラは舗道の奥の茂みにおそるおそる目を向けた。

 

 間違いなく、茂みが不自然に動いた。反射的にブレーキを握ってしまったのが運のつき、いそいでペダルに足をかけた瞬間―――。

 

「―――だりゃあああああああああ!!」

 

 巨大な影が茂みから飛び出し、ミサイルよろしくソラに突進してきた。

 

「ぎょええええええええええ!!??」

 

 とても20代女性が出すものとは思えない叫び声を上げ、自転車と共にソラはひっくりかえる。影はソラの上を飛びこえると、ちょうど街灯の下に軽やかな音を立てて道路に着地した。

 

 キラキラと光を反射する長い芦毛。頭の上にある細長い耳からウマ娘であることがわかる。その影はふりむき、地面にあおむけに転がっているソラをみるとため息をついた。

 

「なぁんだソラじゃねぇか。おどかすなよ~」

 

「驚いたのはこっちよ! ってかこんな時間に何してんのよゴルシ!!」

 

 少ない街灯の光がスポットライトのように彼女に集中しているように思えるほどの存在感を放ちながら、そのウマ娘―――ゴルシことゴールドシップは、ソラに怒鳴られてなお平然とした顔で口を開く。

 

「決まってんだろ。野良ツチノコを探してるんだよ!」

 

「……は???」

 

「やつらは主にこの時間帯に活性化するんだ。そこをゴルシちゃんがドロップキックで仕留めて、動物園に売ればお金がガッポガッポ―――」

 

 ……やばい、めんどくさい時のゴルシだ。こういう場合、相手にしないほうが身のためだとソラは悟り、無言で自転車に跨る。

 

「おーいソラ。どこ行くんだよ?」

 

「コンビニ。ちょっと小腹が空いたから、なんか買ってこようかなって」

 

「マジ? そんじゃあアタシも行く! なんか奢ってくれよー!」

 

「はぁ? なんであたしが! ってかツチノコはいいの?」

 

「ツチノコ? なんだそれ。わけわかんねーこと言ってねーでレッツゴー!」

 

 横乗りで荷台に飛び乗り、前方を指さすゴールドシップ。あまりにも傍若無人な振る舞いに、しかしソラはそれ以上文句を口にすることはなく、ペダルをこぎ始めた。こういう時のゴールドシップに反抗するだけ無駄なことは、たった数ヶ月の付き合いだがソラにとって義務教育並みの常識になりつつある。ご機嫌なゴールドシップの鼻歌をBGMに、ソラは足を動かす。自然と口元が緩んでいることに、彼女は気づかない。不思議とさっきよりも道が明るく感じられた。

 

 

 




―――それは、煩わしくも心地よく……

☆次回、11月6日午前9時!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。