呪いと呼ばれるものの多くは単なる魔法でしかないことを、イデア・シュラウドは知っている。けれど歴史を紐解けば中には極僅か、魔力を必要とすることのない真正の呪いが存在することが分かる。必要なのは枠を整える術者と届けるための経路、一人が抱えるには大きすぎる感情と、それに大量のブロット。
ブロットは魔法石を大量に用意すればなんとでもなる。集めた
原初の呪いに、難しい術式は必要ない。面倒な儀式も必要ない。ただ感情の向くままに、望みの末路を提示してやればいい。叶わなくても死ぬだけだ。
溜め込むための器は用意した。後は、呪いの矛先に邪魔されないようにして必要なだけのエネルギーを掻き集めるだけだ。何年かかっったっていい。
「神殺し、なんて。まるでゲームだね」
ラスボスであることと好きなキャラであることは矛盾しない。そう言ってイデアは[Enter]のキーを押した。もう一度オルト・シュラウドに会うためならば、イデアはなんだってできた。
エミリア・ソマーズがそのサイトを知ったのは、もう二年も前のことだった。
エミリアは薔薇の王国では珍しい「ちゃんとした」魔法士の家系*1で、自身も大手の建設会社で上がってきた図面が魔法的に問題無いか確認する仕事に就いている。
いかんせん薔薇の王国は半端に魔法が使える者が多いため、同僚はともかくとして他部署になると碌でもないオカルト*2を試す輩も少なくない。顧客だってそうだ。折角問題が起きないよう図面を変えさせても、入居者の方で降霊術擬きなどやられてはエミリアには何もできないというのに。
特に営業のヨシュア・ニールなどは最悪で、碌でもないウェブサイトだか噂話だかに引っ掛かっては自分で試し、到底手に負えなくなってから同期というだけのエミリアのところに駆け込んでくる。いい加減それに腹が立って、他の人間、具体的にはオカルト被害専門家に駆け込むように言ったのだ。それだというのにヨシュアはどうも、適当に言った前置きの方を本気にしたらしい。
「じゃあ、次からは良さそうなのを見つけたらエミリアにも教えるよ」
その戯言に対してエミリアはかなり本気で蹴りを入れたのだが、ヨシュアの外営業で鍛えた脚にはこれっぽっちも響かなかったらしい。
そのやりとりの二週間ほど後だったか、ヨシュアから私用のアドレスの方にメールが届いた。そのメールに載っていたURLが、そのサイト「おまじないあつめ」だ。もう名前からして胡散臭い。
その「おまじないあつめ」が他のサイトと違っていたのは、魔法的に効果のある儀式はその一切が廃されていることだった。これでもかというくらいに丁寧に、少なくとも儀式を改変したりしないできちんと完遂すれば、効果は打ち消し合ってゼロになるよう計算されていた。
エミリアはそれがわざとだという確信があったので、きちんとヨシュアには「本物の魔法士が監修していると思う」と伝えてあげた。効果の有無は教えていないが、駆け込んでくることが滅多になくなったので順調に「おまじないあつめ」を試したのだろう。翌年度末付けでヨシュアが転勤になったためその後のことは知ったことではないが、死んだとは聞いていないので無事だと思う。
各「おまじない」のページにはそれぞれメールフォームがあって、実践した手順と何が起きたかを「今後の参考までに」送って欲しいと書かれていた。
エミリアは勿論試しこそしなかったが、丁寧に魔法効果を計算した上で「何も起こらなかった」と書いて送った。少し紙が濡れるとか微風が僅かに吹くとかその程度のことが起きるよう、わざと手順を変えた上でそう送ったこともある。
四つほど送った後、「おまじないあつめ管理人」を名乗るフリーメールアドレスから、エミリアのパソコンにメールが届いた。エミリアは深く考えもせずに開いて、少し──いや、かなり後悔した。
「はじめまして、エミリア・ソマーズさん」
とんでもない話だった。エミリアのハンドルネームは
メールの内容は、魔法陣や儀式手順の検証をしているメンバー専用サイト、言ってしまえば「おまじないあつめ」の新作をつくる方に参加しないか、という誘いだった。正直に言えば面白そうなので、本名宛てでなければ参加したかもしれない。
エミリアが暫くその誘いを、警察に届けようかどうしようか迷いながら放置していると、今度は別のアドレスから連絡が来た。エミリアはそのメールアドレスを一回検索エンジンの窓に放り込んで、公式なものと変わりないことを確認してからやっと、仕方なしに件名をクリックした。
二通目のメールは、イデア・シュラウドからだった。
とはいえエミリアがイデア・シュラウドの名をきちんと認識したのはこれが初めてのことだったが、それでも
魔導エネルギー収束ビームの効率化はおかげで携行サイズの無火花切断機を実現したし、重力制御機構の小型化がこのまま進めばひょっとしてエミリアが車を買う頃には四輪も空を飛ぶのが標準になっているかもしれない。そんな大天才がまさかあの無害であること以外には特筆するようなものでもないオカルトサイトに携わっていたとは夢にも思わなかった。
エミリアは少しの間どこで情報を手に入れたのかとかまあ予想はつくけれどハッキングは犯罪だとか考えていたが、もうどうでも良くなって「サイト関係全部忘れたいなら」と書かれている添付のPDFファイルを横目にリンクを踏んだ。
それから、一年半。イデア・シュラウドが求める内容は分かりやすかった。プラシーボ程度で構わない範囲か、逆にでたらめでも何でもいいくらいになりふり構わないもの(これは「おまじないあつめ」とは別のサイトがあるようだった)。これそのものが遠大な実証実験なのだ、と彼は言っていた。
実証実験。取るに足らないまじないが本物になるための?それとももっとえげつないものだろうか。答えとなるニュースがエミリアのところに届くのは、イデアからのメールが届かなくなって(元々最低限しか送ってこない人ではあった)、半年も経ってからになる。
それから三日後には、エミリア側のメールもメモも、「おまじないあつめ」にかかる全てが綺麗さっぱり消えてしまうだろう。あれ自体、一つのオカルトだったかのように。
個人サイト、掲示板、SNS。とかく顔の見えない場所では言動も欲望も加速する。フィクションが対象なら尚更に。それをかすめ取るように、というのも変だがともかく種々の方法でイデアやシュラウド家、はたまた《死者の国の王》へ感情を向けさせ、画面越しに回収して魔法石の中のブロットに溜めこむ。
家の倉から魔法石を持ち出したのはとっくにバレているだろうが、さしもの両親もイデアが何をしたいのかまでは知らないだろう。知っていたら間違いなく止める。イデアでもそうする。
「いやはや、便利な世の中になったものですな」
人を蘇らせるのは禁忌でも、二次元ならばそうではない。実は生きていた、なんて展開はありきたりでさえある。作者の指先一つで神だって死ぬ。それが紙と電子の世界、イデアの手の届く場所。非実体のキーボードを叩いて、イデアはにたりと唇を歪めた。本人は笑ったつもりである。
丸三年かかって、イデアはなんとか必要だと思うだけのエネルギーを掻き集めることができた。こういうものは多ければ多いほどいいかと言えば、そうでもない。イデアがコントロールできないのは論外であるし、それ以上に「
「ん、」
ぐっと伸びを一つ、腕を両方ぐるっと回す。いつものTシャツトランクスのままだが、別にそれでいい。格好なんてどうでも。凝った魔法陣やなんかも必要ない。長ったらしい呪文も、星々の配置さえ関係ない。ただ、経路になるこの身一つがあれば、それで。
「古来より神を殺すのは人であると相場が決まっておりますゆえ、うん」
工具箱、に見せかけた魔法石保管箱に手早くパスワードを入力する。箱ごとひっくり返してざらざらボウルに広げた二十個近い魔法石は、どれも飽和逆流ぎりぎりまで溜まったブロットで真っ黒だ。そのブロットに見合うだけの感情が溜まっていれば、それ一つで人を殺せる呪いになる。所持者自身に降りかかったそれが
感情とブロットの詰まった魔法石、煮沸消毒した小刀。それにたっぷりの殺意。部屋の鍵は閉まっている。準備は万全。
「痛くないって言っても比較的、の話だからなぁ。え、麻痺魔法とか掛ける……?」
万全……?
ボウルの上に右手を広げて、左手で小刀を手に取る。殺意や覚悟とは無関係に痛いのは嫌だし怖いものは怖い。
「ええい、ままよ」
目を瞑って、右手の甲にナイフを振り下ろす。
「痛っ!?……う、やっぱ注射器にすればよかったな」
それなりの量がいるから、ぼたぼた血を流す傷口を小刀で抉って開く。流れる血でなければ意味が薄くなるのでこうするしかなかったが、それはそれとして痛いものは痛い。自分で選んだとはいえ愚痴の一つも言いたくなる。
どれくらい時間が経ったのかは分からないが、黒い魔法石が全て血に触れるまで血を絞り出す。マグカップ一杯分くらいか。献血にも満たない量だが、成長期に入ったばかりのイデアからすれば十二分に大量だ。
祈り。願い。呪い。それらは全て同じものだ。叶えるものが神か妖精かそれ以外のもっと漠然とした何かか、それだけ。イデア・シュラウドが神に祈る日は二度と来ない。冥府の王は今日のこの日に死ぬからだ。
傷ついた静脈から流れ出す血は、ボウルを埋める魔法石の色と部屋を薄く照らす青色光とが相まって、インクのように真っ黒に見えた。その黒を辿って、ブロットに染まった感情を送る。嫉妬を、憤懣を、憐憫を、恐怖を、憎悪を、侮蔑を、羨望を、殺意を。
鋭く尖らせたナイフのように。身の内に染みこむ猛毒のように。罪人を焼く火刑の炎のように。城塞を打ち崩す雷霆のように、地震のように。イデア・シュラウドの血に繋がる全てのものへ呪詛を。夫婦の寝室で休んでいるだろう父母にも、島の東に居を構えるおばあさまと呼び慕った
遠く遠く地下の奥底に座する、偉大な七の一つにも。
もっと早くこうするべきだったのだ。
あの呪詛はイデアの祖先を殺すものだから、当然のように叔父夫婦は生き残り、当然のようにシュラウド家を襲名した。イデアの方もようやっと本腰を入れられる魔導工学の研究ができるだけの金があれば煩わしい業務など願い下げだったのでwin-winというやつだろう。
弟が生きていた頃、両親は間違いなく弟と同じくらい大切な家族だった。同じくらいと言うのは言いすぎにしても、両親と弟、あとついでに
「地下には何もないし、神は死んだ。これでもう、魂がどうのなんて言わせない」
送りっぱなしの呪いが届いたのかなんて知らないけれど、イデアがまだ生きているのだから冥府の王はもういないに違いない。それならもう誰にも、オルトがオルトであることを証明できはしない。
これでようやく、オルト・シュラウドに会うための準備が整った。少しずつ少しずつ、イデアの記憶から抽出した経験を与えて育ててきた人工知能は、そろそろちゃんとした会話らしいものができるようになってきたところだ。オルトがまだ上手く歩けなかった頃に戻ったみたいで楽しい。
「待っててね、オルト。今度は空だって飛べるようにしたげるから」
名前は同じ、記憶は──少なくともイデアが思い出せる限りでは同じ。性格も同じようにするし、それならきっとイデアの弟で間違いないだろう。神話の時代、神様が無敵のものだった時代なんてとうに終わっていたのだから、魂の連続性なんてのは時代遅れだ。それで、今度は歩けなくたって空が飛べて、点滴なんて必要なくって、イデアよりうんと力持ちで、それで。
こんな寂しい思いはしないで済むように、イデアと一緒に死ぬんだ。今度こそ。