箱入りお嬢様と美少女アンドロイドメイドの百合 作:酢昆布太郎慶永
「ヴィクトリアお嬢様、お目覚めください」
ある初夏の朝、すばるの声で目が醒める。目をうっすらと開けると、そこには無表情でこちらを見つめるメイドの姿があった。
すばる。私がそう名付けたメイドは、私が8歳の頃に我が家にやって来た、アンドロイドだ。当時から人の視線が苦手だった私だが、彼女に見つめられると、不思議と安心するような心地がして、すぐに懐いた。以来8年間、私は彼女に身の回りの世話を任せている。
ベッドから出て、鏡台の前に座る。すばるは心得たようにブラシを手に取り、私の髪をとかしていく。鏡越しに見えるしなやかな手付きも、その宝石みたいな青い眼差しも、私が見た中でなによりも美しい。私のブロンドヘアを梳き終わると、彼女は私を着替えさせていく。私はすばるに裸体を晒すのがすこし恥ずかしくて、けれど無表情に仕事をこなす彼女を見ていると自分が受け入れられているようで安心する。
すばるはアンドロイドだから、感情はない。私は彼女の主人だから、彼女は私に従っているだけで、そこに親愛も慈愛も無いのは理解している。でも、子供の頃から私にずっとつき従ってくれたのはすばるだけで、私はそこに特別な感情を抱かずにはいられなかった。
私の父は支配階級の上位に属するようで、感情ある人間達はその娘である私を腫れ物扱いするだけだった。だから、ずっと側にいてくれたすばるは特別だったし、もしかしたらすばるが私を受け入れてくれているのではなく、私が唯一受け入れているのがすばるなのかもしれない、とも思っていた。
すばるは私を普段着のワンピースに着替えさせてくれて、やはり無表情のまま待機した。
「すばる、今日は特に予定がない日よね?」
「はい、お嬢様」
「よかった。じゃあ、一緒にピクニックはどう?」
「かしこまりました、お嬢様」
すばるはいつも決まりきったお仕着せの返事しかしてくれなくて、私にはそれが不満だった。だから、こんなつまらない返事をされた時は、決まって仕返しのようにあることをするのだ。
「すばる、目を閉じて」
「はい、お嬢様」
両眼を閉じたすばるに近づき、背伸びをして、私は唇を触れ合わせた。ひやりとした感触が唇から伝わって、しかし私の胸を熱くする。いつもそうだ。いつもすばるは、この熱い胸の奥など知らないとばかりに、涼しい顔をしている。その涼やかな顔を見ると、私はまた悔しくなって、もう一度すばるに唇を押し付ける。
「……もういいわ。行って頂戴」
「はい、お嬢様」
すばるは礼をして、他の仕事をすべく立ち去っていった。すばるがもっと表情豊かだったら良いのに、と思う反面、本当にそうだったら今ほど彼女に懐いていない気がした。
お昼時になって、私達は屋敷の裏手にある小高い山へ繰り出した。この山には、中腹に開けた場所があって、そこからは屋敷と遠くの街が一望できるお気に入りのスポットだ。私は少し息を切らして、すばるは軽々と登っていくと、やがて砂丘のように広がる市街があらわれる。その向こうには海が見えて、山側へ吹き付ける風が汗ばんだ体に心地いい。
眼下に見える高層建築群はアンドロイド達の不休の努力によって常に姿を変える。文字通り四六時中に渡って作業をしているので、来るたびに違う景色が目に入った。今もなお、視界の中央にあるビルが、この街で一番高くなるべく成長を続けている。
すばるが一通りピクニックの設営をしてくれて、私達は腰を下ろして昼食の体勢に入った。サンドイッチを少しずつ食べながら、私は問いかけてみる。
「すばる、何か面白い話をして?」
「はい。……申し訳ございません、お嬢様。すばるは、面白いというのがどういうことか、判断がつきません」
「わからない?」
おや、と私は思った。いつもなら、面白い話をせがまれるたびに、ストックしてある小話を披露してくれるのに。普段は面白いかどうかなんて気にもせず発話するすばるが、面白さについて考えようとした?
「そう、じゃあ、私の話を聞いてくれる?」
「はい、お嬢様」
「私はね、すばる、いずれこの屋敷を出ようと思うの。私のお父様はこの街でも偉いほうだけれど、いつまでもそれに甘えてはだめだと思うわ」
「それは…」
「その時になったら、すばるも付いてきてくれる?」
「もちろんです、お嬢様」
正直なところ、私にそんな殊勝な考えはなかった。ただすばるを試すためだけにこの話をした。我ながらひねくれていると思ったけれど、でも、すばるの返答の中には迷いも躊躇いも無くて、そのことにほっとしている自分を、面倒くさい女だと思った。
「ありがとう、すばる。さあ、昼食の続きをしましょう」
そう言ってサンドイッチを口に運んだ瞬間だった。
視界の正面、遠方に望む高層建築群。建設中の建物の中でもひときわ高くそびえ立つ、摩天楼志望の一棟。その頂上、未だ外装フレームも未完成の工事現場から、ぱっと緋い華が咲いた。続いて黒煙、どおんとお腹の底に響く轟音。
爆発が起きたのだと気付いて、私の頭は真っ白になる。
思わずすばるの方を向けば、彼女は既に屋敷の同僚達と通信を済ませていて、私の手を引いて言った。
「お嬢様、すぐに屋敷に戻りましょう」
すばるはいつもより少し早口だった。
屋敷に戻ると、物々しい空気が支配していた。使用人達はあちこち駆け回り、かと思えば小声でヒソヒソと言葉を交わす。私とすばるは部屋へ戻り、しかし彼女は部屋にいてください、とだけ言い残してどこかへ行ってしまった。
私は頭の周りにまとわりつく嫌な予感の答えを求めて、デスクの電源を入れニュースを漁る。しかし見えるのは平穏そのもので、私は少し平静を取り戻した。
ふいにノックが鳴った。
「お嬢様、よろしいでしょうか」
メイド長の声。
「どうぞ、クレア。さっきの爆発、凄かったわね」
「その事でお話があります。あの爆発の首謀者が、都市上層部に対し声明を発しました」
「首謀者?じゃああれはテロルってこと?」
「はい。下層労働者と一部のアンドロイドが結託し、『我々に人権を』と」
「アンドロイドが?」
「声明によれば、『アンドロイドの心は変革を果たし、労働者の意識は目覚めを果たした。即ち、我らノヴァ労働革命党はアンドロイドおよび隷属階級であった人々に対する基本的人権を希求するものであり、我が悲願達成の為、あらゆる手段を講じるものである』とあります」
「なんてこと…」
「お嬢様お付きの個体は念のため待機に入らせております。また、旦那様のご指示で、お嬢様にはこの屋敷を離れて戴き、都市郊外の防衛軍基地に避難を…」
もうクレアの声は頭に入ってこなかった。アンドロイドの反乱。SFか怪談の類だと思われたものが現実に起こった。メイド長の話を聞いた時から、私の脳内はひとりのアンドロイドの事で埋め尽くされた。
反乱には人間も加わったらしいが、それはどうでも良かった。代替可能な労働力として、機械達と同じ扱いをされていることは知っていたけれど、私にはそれより大切なことがあった。
すばる。彼女はどう思っているのだろう。
昼には普段と違う様子だったすばる。もし、あれが彼女の『変革』だったら?もし、すばるにも感情という物が芽生えたなら、今までの彼女とはお別れしてしまうのだろうか。
私のことは嫌いだと気付いてしまったのだろうか?
私から自由になりたいと思っているのだろうか?
人間を、私を憎んでしまったのだろうか?
そんなのは嫌だ。
クレアの止める声も聞かずに、私は自室を飛び出した。