それは、トレセン学園の生徒会や目まぐるしい予定に忙殺される日常の中でふと息を吐いて窓の外に視線を走らせた時の事である。
厳しい冬も抜けてすっかりと春めいて、学園の桜の蕾も今にも咲きほこらんという柔らかな景色の中でとある男が目に付いたのだ。
気だるげな猫背に真っ黒な鴉の様な髪に一本だけ跳ねて春風に揺らされるアホ毛。それこそは自分のトレーナーであり、この“皇帝”シンボリルドルフを入学一年目にして史上初の偉業の達成へと押し上げた立役者で、自分の野望を共にする契約を果たした“盟約者”。
ひねくれて素直ではないが、思いのほか誠実で有能な盟友“比企谷”に普段なら手でも振って声を掛けるのだが―――上げかけた手は彼が別のウマ娘と何かを話しているのを見てビキリと固まってしまった。
おい、誰だ、そいつは?
君は、普段から気味悪がられて声もかけられないだろうに―――随分と熱烈に頬を染めた乙女を隣に侍らせているなんて正に驚天動地、遺憾千万の限りだよ。
「会長? 次の議題ですが……」
「ん? あぁ、すまない。――――主だったモノは片付いたようだし残りは副会長と君たちに一任しよう。あまり私の判断に偏るのも今後の運営に差しさわりが出るだろうからね。結果は後日に簡易の報告書を貰えれば問題ないよ」
行き場を失った手がなんとは無しに握った机の淵がミチリと嫌な音を立てた所で掛けられた書記の娘にそういって私は席を立っておもむろに友人であり頼れる副会長である“エアグルーヴ”に微笑みかけた。
一瞬だけ眉根を寄せて反論の口を開きかけた彼女は窓から見える光景を眺めてしばし、ふかーい溜息を吐いて私を追い払うように手を振って送り出す。
「蹴飛ばされては敵いませんからね。さっさと行ってください」
「ああ、すまないが後は宜しく頼むよ」
友人としても、相棒としても、申し分ないチームメイトの彼女だが何よりもこういう所で機転を利かせてくれる彼女がいてくれたというのは私の学園生活が幸運に恵まれていたと思える何よりもの証左だと思うのだ。
人の恋路を邪魔する奴は、ウマ娘に蹴り殺される。
うむ、実に至言である。
危うく私は掛買いの無い友人を蹴り飛ばさなければならないところだった。
そんな独白を心の中で呟きながらもツカツカと足音も高く生徒会室を後にした。
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春の匂いが濃くなってきた時分の事。“春眠暁を覚えず”の精神でのんびりと惰眠を貪ろうとしたのだが世の社会人というのはそうもいかないモノらしく、担当ウマ娘が一人しかいない暇人をほおっておいてはくれないモノらしい。
これって俺の仕事かしらと思わざる得ない様な理事長やたづなさんの書類を手伝わされたり、授業の補助に駆り出されたりと実にこき使われていクタクタになった虎の刻。いわゆるオヤツ時である。
中庭でクソ甘いお気に入りのコーヒーを呑んでいると見知らぬ生徒に声を掛けられた。
「アンタが“皇帝”を作ったトレーナー?」
「んあ?」
制服に身を包んだ赤毛の少女。不躾で高圧的な声音と品定めするような遠慮のない視線で要領を得ない事を俺に問うてくるもんで変な声が漏れてしまった。
いや、今現在で“皇帝”なんて呼び名を持つのは自分の担当ウマ娘だけであるので他に心当たりは無いのだが――“作った”と言われると反応に困る。
「ふん、腹芸は随分と手慣れてるみたいね。喜びなさい、私もアンタにコーチングされてあげる。明日からこの施設に毎日通うように」
「………色々とツッコミどころはあるけれど、何でここじゃないんだ?」
「決まってるでしょ。こんな古臭い建物で使い込まれた設備で効果なんて出る訳ないじゃない。今までは我慢してあげてたけど1年ちょっとやって効果が出ないなら私のプライベート用の最新鋭の機器でやった方がいいに決まってる。貴方は他の使えないトレーナーとは違うって事をココで示して頂戴?」
その後も聞いても無い実家の裕福さや、ここの悪口やら、取っても無い皮算用の将来設計なんかをベラベラ喋る彼女に圧倒されつつも出された紙の内容をペラペラ。
自分なんかでも聞いた事のある大手メーカーの銘が打たれたラベルと家名に、写真で見るだけで分かる海外なんかでも取り入れられている最新機材がズラリとした施設。それに莫大な初期報酬に実績に応じた成功報酬にその後の雇用プラン。
どうにも、上手くいけばトレセン学園に対抗できる第二の育成施設にしていく計画でこの子を勝たせればソコのトップにもしてくれるとの事。
なんともまあ―――――「ご苦労な事だね」
俺の紡ぎかけた言葉を、聞きなれた堂々たる声が代弁した。
固まる見知らぬお嬢様と、読んでいた紙をすっぱ抜かれた俺。そんな二人を睥睨するようににこやかな微笑みを浮かべる担当ウマ娘である彼女“ルナ”。世間一般で言う“シンボリルドルフ”様がそこに立っていた。
「今日は会議で遅れるんじゃなかったか?」
「下のモノに采配を任せるのも指導者の器という奴さ」
世の中、それで沢山の悲鳴があがってるんだよなぁ……なんて漏らせば面倒な持論が広がるのが分かっているので肩を竦めるだけで答え、急に静かになってしまったお嬢様に視線を戻した。
あれだけ饒舌だった口は唖然と開かれ、バラ色だった頬は真っ青になっている。
そんな彼女に、無慈悲に微笑みを浮かべたルナが資料をペラペラ弄びながら歩み寄っていく。
「ふむ、君は“ライナーグループ”のご息女だったか。ああ、いや、君の陳情は良く分かるよ? 確かに最新鋭の海外のトレーニング機器にアンテナを張り巡らせる能力は必要だし、そういう面では一歩だけ我が校も後れを取ってしまっているのは事実。君のコノ“陳情”に応えられるように我々“生徒会”としても全力で取り組むことをココに誓おうじゃないか。どうしたのかね? 随分と顔色が悪い。もし必要なら保健室まで送ろう。君は少々居心地の悪い古びた場所だが衛生面では折り紙つきさ。遠慮することは無い、さあ、肩を貸すよ。――――――――――成金風情が思いあがるな。貴様らの家なんて明日には取り潰せる、身の程を知れ。今度、君が私の男に近づいてみろ。……容赦は、しないぞ?」
「ひっ」
にこやかに近づいて行ったルナが肩を貸した瞬間にお嬢様っぽい少女は本当に死にそうなくらい真っ白な顔で駆け出した。目で追うまでもなくあっという間に消えていってしまった彼女の足を見ていると割かし冗談でもなく優勝を目指せそうだと思ってしまうのはトレーナーの性か否か悩みどころである。
そんなどうでもいい事を考えていると戻ってきたルナが普段よりも荒く腰を隣に下ろした。
「あんな調子じゃ生徒たちと打ち解けられるのも随分先だな」
「アレは例外だからいいのさ」
いや、隣に座るのはいいんだけど……いつもより近くない?というか、ずりずり寄ってくんな。せまいせまい狭いっ!
ベンチに座ってから圧迫するように俺の隣に寄り添った彼女は俺の肩をがっちりと掴んで何を想ったか俺の頭のアホ毛に噛みついてきた。何なになになに?? 今まで1年ちょっとの付き合いで無かった出来事に普通にビビる。何してんのコイツ???
「なに?なになになに? 普通に怖いんだけど???」
「君は――――私が来なければ、あの誘いに乗ったのかい?」
いつものじゃれ合いの延長で聞いたのだが思いのほかに重たい声が返ってきた。
人のアホ毛をしゃぶりつつもなんとなく弱々しいその声になんと答えるべきか少しだけ悩んだ俺は―――いつもの様に答えた。
「“皇帝”がそんな簡単に作れるなら俺がききてぇよ。――――にわかの俺が言うのもあれだけど、“王者”ってのは生まれた時から決まってる。だから、俺程度じゃ機材が揃おうが、金があろうが、作れないんだからある方にすり寄った方がいいに決まってる」
「…………ふふっ、君は変わらないな」
聞きようによっては、酷い言葉だ。
努力なんて意味がなく、生まれながらに結果は決まっている。
そんな、無慈悲な言葉。
だが、コイツのトレーナーになってから1年余りたっても思う。
あの日、あの会場で、誰よりも輝いていた彼女だけを引き寄せた。
コイツが勝たないなら他のどれだって駄目だろうと素直に引きこもろうと思った。
その結果、ルナは―――――“皇帝”へと至った。
おかげで俺は未だに惰眠を貪れることも無く、こうして忙しない日々を送っている。
恨めばいいのか、喜べばいいのか複雑な所ではあるが、まぁ、彼女の行く末を楽しみにしている時点で俺の負けなのだろう。そんな俺の独白を知ってか知らずか、日は暮れてゆくのであった。
「ずっと――――私だけをみていてくれ」
「いや、普通に無理だけど」
そんな他愛の無い応酬の果てにアホ毛を引きちぎられた男がいたとかいないとか。
ちゃんちゃん♪
=蛇足という名の予告=
「ん、じゃ、お前とのトレーナー契約更新も―――これで最後だな」
「―――――へ?」