ぴりついた空気の中でヒッキーを睨みつけるダイワスカーレットちゃん。言うまでもなく他のメンバーの子達も反応は様々だけれども視線は冷たく、好印象とは言い難い。
そんな、ある意味では見慣れた光景の中で未だに変わらない古馴染の“友人”に深く溜息が出るのを止められない。だけれども、私はそんな姿に昔のように戸惑い、俯くだけの少女ではないのだ。
そんな変わらない彼を、支えられるだけの経験と強さを得られたと信じて私は一歩を踏み出し――――持っていたバインダーを彼の頭めがけて思い切り振り抜いた。
「こらっ、やり方も考え方もそんなんじゃ全然分からないしっ! “言わなくても分かる”とかそういうのは“分かるように伝える努力”をしてから、でしょ!?」
「………いでぇ」
快音を響かせ一喝する私に子供みたいにバツが悪そうにそっぽを向く彼と、ソレを叱りつける私に誰もが目を瞬かせる。そうして集まった視線には驚きと困惑が見て取れるけれども怯むことはしない。どんなことだって―――少しずつ伝えて行って、分かり合うようになっていくのだから。
「改めまして、カウンセラー兼マネージャーの“由比ヶ浜 結衣”です。ヒッキー…トレーナーとは昔からの付き合いでココに来ることになりました。えーっと、あんまり偉そうな事が言える身でもないんだけれど―――彼や皆の力になれるようにがんばるね!」
敵意も悪意も無いと伝えるように朗らかに微笑んで、苦し気に蹲るキングヘイローちゃんの背を擦りながら肩を貸してゆっくりと立たせ、ヒッキーをちらりと睨んでやる。
「断りもなく女子に触るのって普通にセクハラだから、ヒッキー。………ほら、もっと分かりやすいように皆に方針とやり方の説明して?」
「……わーったよ」
しばしの間を挟んで諦めたように溜息を吐く彼はなんだか怒られ拗ねた子供のよう。だけれども、いい歳した大人がそんな素振りをしたって可愛くないし、ゆきのんにも甘やかすなと言われてるので厳しめにいくのだ。曰く、甘やかせばつけあがるとの事。
「キングが現時点で平均の最高値を出したとはいっても内輪だけの話で実際のレースでの記録に照らし合わせてみれば全体的に見れたもんじゃない数値だ。
それこそ、“皇帝”ルドルフや現役レースで“最強”と呼ばれるミホノブルボン。ワールドカップに参加が決まっているサイレンススズカ、“リギルのエース”ナリタブライアン、その他の最前線で戦っている奴らがこの計測をやれば話にもならない。
だが、現状での“数値”は出て、“課題”の全ては可視化してやった。―――後はコレを全て叩き直して、ひたすらに引き上げていくだけだ。死ぬほどに苦しい鍛錬の末に、な」
私の発破で長らく考えを纏めていた彼がようやく紡いだ言葉はやっぱり厳しくて辛辣なモノ。それでも―――彼はその分かりにくい愛情をようやく言の葉という形にする努力をしたのだ。
「“お前らならきっと大丈夫“だの、”きっとやれるさ“だのとそんな得体も根拠も知れない言葉、人生を賭けて走るお前らに言えるモノか。言ってたまるモノか。
明確な数値で、確実な根拠で、全てを完璧にして―――そこまでやって勝てないのなら俺を遠慮なくぶっ殺せ。
それが、俺のトレーナーとしての責任だ。
それが、人生を賭けているお前らに差し出せる俺の唯一の対価だ」
“以上、本格的なトレーニングは明日から”、なんて呆然とする皆を置き去りにして去っていく彼の後姿に誰もが声を掛けられなかった。
余りにも重く、過激なその思想と覚悟。
語られなければ誰もが彼を単純に憎んで、嫌って、心置きなく生きていけたはずなのにソレを聞いてしまったが故にもう割り切れなくなってしまう。走るのは自分達で、結果を出すのも自分だというウマ娘のレースの世界で誰もが心の中で抱えてしまうそんな一種の過剰意識にすら割って入る無遠慮な言葉は、何よりも重い枷になるかもしれない。
だけれども、そのフォローこそが私達の出番だろう。
一人でやらなければいけない事は多いけれども。
誰かに託せない想いだって数えきれないけれども。
全てを一人でこなしてゆく必要は―――きっとないから。
「……いや、結局まだなんの説明もしてないまま行っちゃったし」
静まり返ったターフの中で私は静かに苦笑と軽口を零して、皆の緊張を解す。たったそれだけの事でひりついた空気は緩み、各々がようやく肩の力を抜いたのであった。
「由比ヶ浜さん、だったかな。―――ありがとう、助かった」
ウマ娘のみんながそれぞれに軽口を叩き合いつつも眼鏡の持っている機材に集まって自分たちの計測結果を興味深げに眺める中で、凛として落ち着いた声が掛けられる。綺麗な栗毛に三日月の様な白のライン、まっすぐな瞳と綺麗な顔立ちはレースに疎い私でも見た事のある有名人“シンボリルドルフ”さんその人であった。
そんな偉い人の前に立てばどうしたって緊張してしまいそうなモノだけれど、その表情に滲んだ疲れと苦労からなんとなく自分と同じ彼に振り回された同志なのだと直感で感じて不思議と緊張はしない。
「ううん、むしろ初回からでしゃばってごめんなさい。昔からヒッキーってあんな感じで相談も何もしないで進めちゃうから……シンボリルドルフさんも大変だったでしょ?」
「ふふっ、最初の頃は随分と衝突もしたが今は慣れたモノさ。同じチームで堅苦しいのはやめて気さくに“ルナ”と呼んでくれ。親しいモノはそう呼んでくれる」
「うん、私の事も“結衣”ってよんでくれると嬉しいかな―――ルナちゃん」
「―――あぁ、よろしく。 結衣」
お互い微かに微笑み合って手を繋ぐ。
つないだ手は“人”と“ウマ娘”、そんな事はやっぱり関係なんて無いんだと思えるくらいに暖かくて優しいモノ。私は今日、新しい友人を手に入れたのであった。
「おー、なんだ結構いいPC持ってんじゃねーか。貸せよ、ゴルシ様が特製チューンして火星とも交信できるようにしてやるからよ!!」
「「さ、触るな!! あっ、だめっ、やめてーーー!!」」
「…………これが私の現状、か。酷いもんね」
「これ、 いつまでつけてれば、 ぜーっ、ぜーっ」
「ん、今日の練習終了ならみんなこの籠に洗濯モノまとめて入れな。名前は各自必ず書く事。後は今日から飯は私が栄養管理するからソレに従って食べるように。買い食いもその中に含めるから報告する事」
「えーっ、ハチミー今から皆で飲みに行こうと思ったのに~! ぶーぶー」
「あ、あはは、みんなあの測定の後なのに元気だね……。うん、体が冷えてもいけないしクールダウンしてから今日の施術に移ろうかな?」
「むっ、ソレはありがたいな。みな、自分の結果は後で確認するとしてまずはクールダウンに移るぞ―――ゴールドシップ、備品を壊すなよ」
「あれー、なんか八幡氏は普通に去っていったけど……これ我だけで片付けるの? マジ??」
握りあった手の脇からそんな能天気なみんなの声が聞こえて、私達はつい可笑しくて笑い合ってしまい―――ゆっくりとそちらに歩みを向けたのであった。
今はぎこちなくても、きっといいチームになる。そう信じて。
閑話 =密談=
「なんか思ったよりもすっごい熱い人なんだね~、“おねーちゃん”の言ってた通りかも」
「……テイオー、その呼び方は学園内ではやめるように言っただろう。誰が聞いてるか分からないのだから。あと、ノックをして入ってくるように」
あれから皆で壮行会代わりにハチミーを呑みに行ったあと、生徒会室に戻り溜まった執務や懸案事項の精査をしているといつの間にか滑り込んできた“妹”が意地悪気な顔をしながらそんな言葉を投げかけてきたので窘める。
それに分かったのか分からないのか判然としない曖昧な声で答えてソファーに彼女は飛び込んだ。
「えー、別に隠す様な事ではないと思うんだけどなぁ。パパもママ達もみんなうまくやってるんだからとやかく言われる筋合いはないよー」
「世間体、というモノがあるんだ」
「めんどくさーい」
今度こそ厳しめに言えば彼女はそれでも納得はしなかったものの呼び方を“カイチョ―”といういつものモノに戻したので、まあ、今日の所は不問にしよう。
執務をいったん切り上げて構って欲しそうな彼女の隣に腰を下ろしその“自分にそっくりな栗毛と流星をもつ”髪を撫でてやる。それに無邪気に喜ぶその姿はやはり昔から可愛がった妹のそれでつい頬が綻んでしまう。
そう、彼女は間違いなく自分の“妹”なのである―――“腹違い”のという注釈はつくが、な。
世間一般で言えば我が実家のシンボリ家の跡継ぎは私一人という事になっているし、父と母の血を注いでいるのは私だけというのは揺ぎ無い事実。
だが、尊敬する父は実業家としても政界においても間違いなく有能で稀代の逸材なのは間違いないのだがただ一つ欠点をあげるとすれば――――女関係においては実に優柔不断であったのだ。
母が父を仕留める王手をかけた時には既に8人ほどの女性が彼に懸想しており、その誰もが離れる気が無い事が判明してしまった。それこそ母が実家の力を使えば潰せない事も無かったのだが、その誰もが母が認めざる得ない程の“素敵な女性”達であったのが事態をややこしくした。
父を取り合って喧嘩を繰り返していくうちに仲を深めていってしまった母が苦渋に苦渋を重ねて出した結論が―――捻り潰すのは醜聞を晒そうとするコバエたちの方だったという事である。
パパラッチに週刊誌、市役所に敵体企業に議員。その話題に触れそうなモノ全てをいくつも葬っているウチに母が一番最初に私を身ごもった。
そんな流れからシンボリ家長女が相手もいないまま出産するわけにもいかず父と正式に夫婦になったのだが、結局その他の女たちも“愛人”という名目で召し抱え私達、姉妹兄弟は多くの母を持つちょっと変わった形態に相成ったのである。
ただ、誤解のないように言えば―――母たちは皆、有能で良い人達だった。
遊んで暮らせるお金を当家から貰っているにも関わらず自らの職業に邁進しながら子育てを行い、割り当てられた父との“デート”には子供たちも含め愛情をどちらにも目一杯注いで接してくれている。
そんな特殊な家庭なモノだから正月やお盆、夏休みは普通に兄弟姉妹たちで集まって遊んでいたし、いまだにそんな幸せな家庭を隠さねばならない事に疑問を覚える子も多い。
だが、余計な事をすればまた出版社を潰さねばならなくなるので多くの人が路頭に迷ってしまう。ソレは避けねばならないだろう。
……いや、というか、父の事は間違いなく尊敬しているのだがこの女性関係に関しては未だにどうかと思う。
男ならしっかり一人を愛せと苦言がいつも漏れ出そうになるが、可愛い妹弟達を見ているとソレも憚られてもの凄くもんもんするのである。
「というか、その血はバッチリおねーちゃんにも遺伝してると思うなぁ…」
「うぐっ……いや、今だけだから。別の女がちらついてるのは今だけだから」
「シンボリママも似たような事を酔うたびに言ってたよね―――ま、私はおねーちゃんの味方だからまっかせておいて! ばーっちりフォローするよ!!」
「ふふっ、それは頼もしい。後は測定でワザと手を抜かなければなお良いな?」
「あ、やっぱりバレたか」
シレっと悪びれなく舌を出す彼女の頭をこずいて私も苦笑した。
まだ自分が比企谷を信頼しきっていなかった頃にやはり私も似たような事をしたのであまり責める事は出来ないが、あの数値が全力なら本気のお説教をしなければならない所である。
目的も意図も分からぬまま課された試練に全力で臨むのは一部では美徳ではあるが駆け引きにおいては愚か者の所業だ。その試金石が無いのならばともかく、他にサンプルがいるのならば出過ぎず、やり過ぎずに様子を見るのは当たり前の話。
それに恐らく比企谷も気が付いているだろう。
なにせ、それで初期は私と本気で喧嘩をしたほどなのだから。
まあ、ソレも彼には良い経験。私には彼の想いを知るきっかけになったいい思い出。
今回の結果を今頃は夜通し精査してメニューを考えているであろう彼を想ってクスリと笑いながらもう一人そんな小細工をしていた葦毛の彼女に考えを巡らす。
他の誰もが必死になっている中で最後までシレっとした顔で走り抜けた彼女。だが、全力で取り組んでいるかと思えば細かく呼吸やペースを切り替え心拍数まで偽って全力を隠していた。単なる脳筋かと思えば異常なほど回る彼女の頭と私の視線に気が付いて鼻で笑った彼女はもしかしたら一等の“景品”とあのスーツの隠れ機能にも気が付いていたのかも知れない。
自分の膝元でくつろぐ妹や、他の名だたるウマ娘達の最も恐るべき脅威になるのは―――彼女かもしれないな、などと独白を心の中で零して私は静かに笑みを零したのであった。
世界とは、まだまだ未発見の逸材に溢れているものだ。
その事実に私は胸を躍らせたのであった。