神よ賛えよ、我今来たる ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
人間のそれとは異なる形状の耳と人間には備わっていない流麗な尾を靡かせ、1人の少女が僅かに息を乱しながら学園の廊下を駆けている。
気品あるアイシャドウが目を惹く、凛とした麗しい顔立ちをした黒髪の少女。この学園の生徒会の一員たる彼女にしては拙速な行動のように思えるが、周囲の生徒は忙しそうだと思うだけでそれを見咎めることはない。
なぜなら廊下の駆け足は、何の規則にも違反していないからだ。
『
およそ一般的な学園の校則にしては微妙に違和感のある字面だが、彼女らのような存在、とりわけこの学園に通う生徒───『走り、競う』ことを至上とする彼女らにとってそれはごく自然な文言だ。
速やかに解決せねばならない事案が未だ解決していない。暗に全力疾走を禁じている前述の校則が足枷に感じる位には逼迫した状況下にあった。
「いたか!? ブライアン!!」
「いやいない! エアグルーヴそっちは!?」
「こっちもだ! くそ、何という逃げ足だ。報告を聞いてからすぐに向かったというのに・・・・・・!」
同じ目的で校内を走っていた、木の芽を咥えた生徒会の同輩とエントランスでかち合う。あちらも成果を得られないままだったらしい。段々と苛立ちの中に徒労感が混ざりつつあるのを感じていた時、学内のイントラネットの緊急連絡用のページに新たな書き込みが追加された。
「目撃情報だ! 今度はニンジン畑だ、他の生徒と一緒に草むしりをしているらしい!」
「ええい何を馴染んでいる! 会長は今どこに!?」
「食堂に聞き込みに行っている、私たちが行った方が早い!」
そして2人は走り出した。
校舎の中から出た瞬間、彼女らは一気に加速した。
学園の敷地内にある畑とはいえ、様々な訓練施設を有している学園自体がそもそも馬鹿みたいに広い。訓練したフォームと鍛え抜いた脚、
「私は入口から突入する、ブライアンは出口を抑えろ!」
「また逃げられたらどうする!? ここまで奴が現れていない場所はどこだ!?」
「後はプールだ、ここを逃したら恐らくはそこに現れる! しかしこれ以上、この学園で好き勝手に遊ばせる訳にはいかん───
──────
◆
人間とは少しだけ異なる存在───『ウマ娘』。
時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る運命を背負った少女たち。
そしてここはそんな彼女らが他の誰よりも速くレースを駆け抜けるべく通う、"己の脚を鍛えるために日本各地に存在する学園"・・・・・・その中でも最大規模、およそ2000人超の生徒を擁する『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』、通称『トレセン学園』。
数多くのウマ娘が憧れ、才能を見込まれたウマ娘だけがその門戸を潜り、同じだけの数のウマ娘が夢破れて涙と共に去り─────そして一握りのウマ娘が栄光と威光を掴み取る戦場。
己を磨き、削り、去る友を見送り、・・・・・・自らの夢を叶える脚で誰かの夢を踏みつける。
志を同じくする友らと笑顔で謳歌する青い春に寄り添うように彼女らは闘争を日常としている。太陽の如く煌びやかな栄冠と、去る者が描いた夢の残骸。トレセン学園とは、残酷なまでに交わらないその2つを自らの内に渦巻かせ続ける光と闇の
そんなシリアスな導入をまとめて吹き飛ばすような大声が、ドップラー効果を発生させながら超高速で駆け抜けていった。
「バクシンバクシンバクシーーーーーン!!!」
既にセミの声がうるさい朝の8時半過ぎ。
授業が始まるまでもう間もないこの時刻に校門を潜る生徒はいない事もないが、少なくとも今日はそういう不覚を取る生徒は彼女しかいなかったらしい。
テストで4点というエンピツ転がした方がマシなレベルの点をもぎ取るダイナミックバカにして全生徒の模範を標榜する学級委員長・サクラバクシンオーは、マニフェスト不履行の危機に全速力で脚を回していた。
「おおおおおおっ! トレーナーさんにお渡しする賞状作りで寝坊してしまうなど! 学級委員長一生の!! 不覚ッッッ!!
ですがこの試練を背負って遅刻を回避してこそ! 私は学級委員長として更なる高みへバクシンするでしょう! 流石は! 私ッッ!! 学級委員長ッッッ!! バクシーンッッッ!!」
10秒も経たない内に感情が悔恨から自画自賛に転ずる鬼のポジティブ。レースさながらの真剣な表情が満面の笑みに変わっていく様は
なお遠くから聞こえてくるこの叫びに彼女の在籍するクラスの面々が一様に苦笑いを浮かべていた。
既に自分の栄光を信じて疑わない彼女は、もはやレッドカーペットを歩くような心持ちで校舎へと続く道を走り─────
「ちょわっっ!?」
靴底を削る勢いで急ブレーキをかけた。
視線の先にあるのは、広場の中央に立つトレセン学園の象徴でもある三女神像。それを見上げるように佇んでいる1人の少女だった。
年齢は学園の高等部くらいだろうか、和服に羽織というこの真夏の府中においては余りにもそぐわない格好。
頭頂付近に生えた耳と羽織の裾から覗く尾が、彼女もまたウマ娘である事を語っている。
これから昼にかけて熱を上げ続ける夏の微風に鹿毛の長髪を揺らし、彼女は感慨深そうに微笑んでいた。
この学園の生徒ではない。この時間に制服ではなく私服でここにいる彼女に、サクラバクシンオーは当たり前の判断を下す。
そこからの行動は早かった。
迷う事なく彼女に駆け寄った彼女は、いつも通り快活に語りかけた。
「失礼しますっ! お客様でしょうか!?」
「わあ」
急に近くから聞こえた大声に、実に地味な驚き方をした鹿毛のウマ娘。
これがドッキリの企画ならお蔵入り不可避のリアクションの後、彼女はゆったりとサクラバクシンオーの方を振り向いた。
「吃驚したねえ。ここの生徒かい?」
「そうですともっ! 超模範的学級委員長・サクラバクシンオーと申します! あなたは本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか!?」
「ああ、この学園がどんな所なのか見てみたくてねえ。立派な像だなあって見上げてたんさ」
「そうでしょうとも! なぜならこの三女神様の像は誇りあるこの学園の象徴! この私に勝るとも劣らない生徒たちの心の支えなのですから!!」
反らした胸に手を当ててバベルの塔くらい大きな事を言ったバクシンオーに、鹿毛のウマ娘は、元気な
見た目の年齢の割には老成した反応をしていた彼女だが、続くバクシンオーの質問には僅かに目を丸くした。
「ところで! 学園の見学というお話でしたが、理事長とのお話はお済みでしょうか?」
「んん?」
「本校の見学には情報保護の観点から、理事長との面談と許可が必要なのです。まあ学園ホームページのガイドラインなどにも書いてあるようですし、この辺の説明は無用ですかね!」
ビシッ!と力強い動きと笑顔でバクシンオーは校舎の方を手で指し示す。
「面談の際はご来訪の旨をエントランスの受付にお申し付け下さい! その後お許しが出れば来客用のタグを渡され、晴れてトレセン学園の見学が出来るようになりますので! その際は是非とも私があなたをご案内しましょう!」
「そうかい、親切にありがとねえ。その時は是非ともお嬢さんにお願いするよ」
「もちろんです! 学級委員長ですので! それでは私はこれにて失礼します!」
学級委員長らしいかは分からないが、きちんと生徒の模範らしい対応が出来て上機嫌なのだろう。はっはっはっはー!と高笑いしながらシュターンシュターンと元気な歩幅で歩き去っていくが、そこで自分が遅刻寸前の身であることを思い出したらしい。「ちょわーーーーっっ!?」と悲鳴を上げながら大慌てで走り始めた。
風すら追いつけないスピードで消えていくその背中を眺めながら、鹿毛のウマ娘は感嘆の呟きを溢す。
「成程ねえ、スプリンターかい。ありゃあ大した器だ、短距離なら
いいものを見たと深く頷く彼女だが、やがて自分がどうにもならない問題に突き当たっている事を思い出した。
「・・・・・・そうだよねえ、事前に約束しとかなきゃ駄目なのは当たり前さねぇ・・・・・・。さてどうしようか。手前勝手でもここに来て帰るなんて有り得ないし・・・・・・」
うーーーーん、と空を見上げてしばし考える鹿毛のウマ娘。
完全に無策のまま来てしまった。突然押しかけて見学させて下さいなんて真似がこの規模の組織を相手に通るとも思えない。
しかし時間的に今から申し込んでいては間に合わない。何か解決策はないかと首を捻っていた彼女だが、やがて結論が出たらしい。
「まあいいか。バレたらバレたでなるようになるさ。この季節じゃあたしの一張羅も暑いばかりだし、ついでに服も変えようかね」
顔を手のひらでパタパタと扇ぎつつ、鹿毛のウマ娘はあっさりと不法侵入を決断した。
わーかっちゃいーるけーどやーめらーれない、と遊ぶように歌いながら彼女はバクシンオーが消えていった校舎へと向かって歩き出す。
やかましく蝉の鳴く8月の朝。
しばらく後に学園全てを振り回す大騒動を引き起こす元凶が今、何食わぬ顔でゲートインした。
サクラバクシンオーは遅刻した。
◆
授業合間の休憩時間。束の間の歓談や教室移動でざわめく学園内を、カラコロと口の中のキャンディを鳴らす男とパンツスーツ姿の女性が並んで歩いている。彼らはそれぞれこの学園でウマ娘たちのレースチームを率いている『トレーナー』だ。
生徒たちが座学に勤しんでいる間ならトレーナーはのんびりできるというものでもない。大雑把に分けても担当ウマ娘の訓練の進め方や出場させるレースのスケジュール調整、レースの結果などの反省点のフィードバック・・・・・・細かく言えば彼女らの体調管理に栄養管理など、トレーナーが行うべき事柄は多岐に渡る。
そんな1人分でも常人なら処理能力がパンクしそうなものを『チーム』として全員分担当する事を許されている彼らは学園内のトレーナーの中でも有数と認められた実力者なのだが、纏っている空気は随分と違っていた。
「もうじき夏合宿だなあ」
舌でキャンディを弄んでいた男が、隣のパンツスーツの女性にのんびりとした調子で話しかけた。
「黒沼さんとこも相変わらずスパルタだし、《カノープス》だって伸び盛りみたいだし。てな訳でどう? おハナさん。《
「馬鹿な事を言わないでちょうだい。あなた達にペースを乱されたらたまったものじゃないわ」
「つれないねえ。お互いの為にもたまには協力したっていいんじゃないか? 最近じゃ《シリウス》だって一気に頭角を現してきてる。あの面子が噛み合った時の爆発力はとんでもねえぞ?」
「・・・・・・あの問題児たちね。あそこまで我の強いウマ娘たちがよくチームとして成り立ったものよ・・・・・・新人なのによくまとめてるわ」
おハナさんと呼ばれた女性が唸る。
彼女の率いるチーム《リギル》は名実ともに学園のトップチームだ。合同で訓練をするといっても、生半可なメンバー相手ではペースを落とさざるを得ずチームにとっては逆効果にしかならない。
しかし隣にいる男の率いる《スピカ》・・・・・・自由に走る事をモットーとする彼のチームメンバーの質も総じて高い。チームの方針的にメンバー間でわちゃわちゃする事も多いが、チームの空気が波に乗った時の勢いは正に飛ぶ鳥を落とす。
そうなった《スピカ》となら自分たち相手にも一歩も退かないし、合同訓練で得られるものも多いだろう─────同じようにパワーアップを目論む他のチームもいるし、学園最強とはいえうかうかしてられない状況でもある。
まんまと乗せられているなと自覚しつつ、女性ほやれやれと首を振った。
「皆にも聞いてみるわ。ただし、うちの足を引っ張るようなら即座に解消するわよ。いいかしら」
・・・・・・返事がない。
せっかく提案に乗ってやったのになんだと隣を見れば、そもそも男は隣にいなかった。
どこにいるのかと周りを見れば彼がいたのは掲示板の前。
学内の案内板を見ていた鹿毛の生徒の背後にしゃがみ込み、その脚をペタペタと触っていた。
「んん?」
「・・・・・・・・・・・・、・・・・・・」
背後から何の断りもなく少女の脚を撫で回す成人男性。もしかしなくても事案な光景を周囲の生徒が遠巻きに眺めているが、脚を触られている当のウマ娘に気にしている様子が一切ない。
この人は何をやっているんだろうという顔で真剣な顔で自分の脚を触る男を見下ろしている。
思わず言葉を失っていた女性トレーナーだが、ようやく事態を飲み込んで怒鳴り声と共に男を引き剥がそうとして、
「こらーーーーーーーーっ!!」
「どっへぇ!?!?」
別の生徒が痴漢にジョブチェンジした男性トレーナーを蹴り飛ばした。余裕で高身長の部類に収まる男の身体が軽々と宙を舞う。
「トレーナーさんっ、本当にそれはやめて下さいっ! 私の時もそうでしたけどなんでまず
「だだだだだだだだっっ、スペ、悪かった、悪かったって! 折れる折れる背骨が折れるっつーの!!」
スペ、と呼んだウマ娘にコブラツイストを掛けられ悲鳴を上げる男性トレーナー。ぎりぎりと軟骨か何かが軋む音がし始めた辺りでようやく彼は解放された。喘鳴と共に床に這いつくばったトレーナーを脇に放り捨て、スペ───彼女の本名『スペシャルウィーク』の愛称である───は鹿毛の生徒に深々と頭を下げた。
「本当にごめんなさい! トレーナーさん悪い人ではないんですけど、その、ウマ娘の資質を見るのにまず脚を触っちゃう人で・・・・・・!!」
「あー、そういう事だったんだねえ。昼間っから元気なお兄さんだと思ったよお。あたしので良けりゃあ幾らでも触ってみりゃいいさね」
「ええっ!?」
這いつくばったまま背中を
「やあ助平なお兄さん。女の子に痛い目に合わされてまで触ったあたしの