神よ賛えよ、我今来たる ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第10話

 シンボリルドルフの凄まじい加速力のタネは、走る際の歩幅(ストライド)の広さにある。

 彼女はスパートを掛けた時の一歩で進む距離が、他のウマ娘たちの平均と比べてかなり大きいのだ。

 原理は簡単だが、その走法は彼女自身の強靭な肉体があって可能なもの。その点で言えばトウカイテイオーと同じ天賦のフォームと言えるかもしれない。

 しかし対するマツカゼはもっと簡単だ。

 フォームが正しい。足腰が有り得ないほど強い。

 それだけ。

 ルドルフの走りが特別な機構で大出力を叩き出すジェットエンジンとするのなら、マツカゼのそれは変わらない機構で基本性能を極限まで高めた大型船のエンジンと言えるだろう。

 そんな特別仕様の動力機関を搭載した2人の競り合いは、まず前を走っていた2人を呑み込んだ。

 

 スカーレットとテイオーだ。

 

 歯を食いしばって差し返そうと力を振り絞る2人だが、ルドルフとマツカゼとの差は開いていく。

 両者とも卓越した才能を持つとはいえ、まだ中等部。身体がまだ未完成という弱点が出てきた形だ。

 普通にレースをする分には問題なくとも、この2人に喰らいつくには力とスタミナが足りないのだ。

 その点、体格に優れるとはいえゴールドシップは恐るべき粘り強さでトップスピードを維持しているが・・・・・・そのトップスピードでやや負けている。

 おいおいヤベーよ、と汗の伝う笑みで疾走する彼女だが、だんだんと差を詰められていた。

 ───あたしも本気で走ってっけどよ。

 なんか会長、すげえマジじゃん。

 横を追い越していった2人をみて、ゴールドシップは口笛を吹いた。

 

 駆け引きの段階はとうに過ぎている。

 最終直線、組み立ててきたレースの総決算。

 残した脚とスタミナを全て燃やし尽くして刻む、最速の残り600メートル(上がり3ハロン)

 肩を並べた2つの弾丸が、他の誰よりも疾く駆け抜けていく。

 

 「はっ、はっ、はっ、・・・・・・っ・・・・・・ッッッ!!」

 

 テイオーとの模擬レースでも疲労を見せなかったシンボリルドルフが、鬼気迫る表情で芝を蹴る。

 もはや横目で横の彼女を確認する余裕もない。土まで揺るがすその足音に心臓の拍動が狂わされているとすら感じた。

 息が切れる。

 上体が上がりそうになる。

 いつものフォームが辛い。

 普段なら問題なく最後まで走り抜けられる第4コーナー終わりの上り坂が、途方も無く長く感じる。

 たったの200メートル足らずでごっそりと削られていた。物理的な圧すら錯覚するプレッシャーがルドルフのペースを狂わせる。

 それに対してマツカゼはこの上り坂にあっても、聞こえてくる息遣いや足音のペースに一切の乱れが無い。

 

 ただ並ばれただけならここまで消耗はしない。

 全力で走っても引き剥がせない。

 振り絞っている自分に対して、向こうは余裕綽々に笑いかけてくるだけのゆとりがあるのが精神を圧迫してくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが彼女を余計に焦燥させている。

 

 かつて居ただろうか。

 これほどの敵が。

 競り合ってきた誰よりも強く、競り合ってきた誰よりも深い。ただ隣を走っているだけで、全力を振り絞ってなお対岸が見えない広大な海を泳いでいるような疲労感。

 手足に絡みつく重たい水の正体は、間違いなく敗北へのプレッシャーで・・・・・・・・・

 そこで彼女は、ふと気付く。

 

 ─────焦燥。重圧。

 ───恐れているのか、私は。

 走る事のみにリソースを割いた脳が出力した、単純なシグナル。

 己の心に滲み出てきた感情の正体を自覚したルドルフは一瞬、その意識がレースではなく己自身に向けられた。

 

 

 

 『勝利よりたった3度の敗北を語りたくなる』。

 人々にそう言わしめる程に勝利を重ねてきた自分がその感覚を味わったのはいつ以来か。

 勝って当然というある種身勝手とすら言える期待に応え続け、いつしか『皇帝』の名を戴くまでに何度味わった感覚だったか。

 重ねた勝利に埋もれて忘れていたのだろうか?

 ・・・・・・否。忘れられるはずがない。

 ぞわりと心臓を舐める敗北への恐怖。背中から詰めてくる執念の重圧。

 己を奈落へと追い立てる追跡者たちの息遣いは、最前線からは身を引いた今も生々しく自分の背中に貼りついている。

 恐怖も、焦燥も、初めてではない。

 強者として向けられる敵意の矛の数と質は、他の誰よりも多かったという自負がある。────無論、輝きを増す栄光の裏で色濃くなっていく、期待と言う名の重圧の影も。

 

 

 では何故、自分は今この場所にいる?

 決まっている。それら全てを捻じ伏せたからだ。

 

 

 (ああ───)

 

 身体が軽い。呼吸ができる。

 知らず知らずの内についていた贅肉を削ぎ落とされていくような、そんな身軽さ。鉛のようだった脚が、飛んでいくように前へと進む。

 この感覚は知っている。

 負けられない理由。自分が走る理由。爆発する想いの全てを鍵として開く、()()()()()()()()()

 窮地に削られ剥き出しになった己の中心は、ただ1つの目的に向けて不要なもの全てを切り捨てていく。

 

 ふと可笑しく思う。

 因縁の好敵手という訳でもなく、討ち果たすべき敵というには余りにも憎めない彼女に、なぜ自分はこんなにも勝利を熱望しているのだろう。

 ─────()()()()

 その理由を探ることに意味はない、と彼女の無意識は切り捨てる。

 

 マツカゼ。君に礼を言おう。

 予想だにしなかった君の強さが私に、私自身の強さと、最高の走りを思い出させてくれた。

 全力で駆ける歓喜の礼は、勝利を以て示そうか。

 

 

 

 「さあ。『絶対』を見せてやる」

 

 

 

 そうして彼女の世界から、一切の音が消え去った。

 

 

 

 最終直線の上り坂の終わり、残り400メートル地点。平坦な路に入ったマツカゼが一瞬(ほう)ける。

 苦しそうな顔で隣を走っていた相手が瞬間移動してしまったからだ。

 彼女は前に出ている。

 その背中を見ているのは、自分。

 

 全ての楔を引き千切ったシンボリルドルフが、マツカゼを一気に後方へと置き去った。

 

 ─────時代を創るウマ娘がいる。

 そんなウマ娘が必ず至る"場所"がある。

 限界の先の先。己すら知らない己の豪脚。自分以外の全てを排した、どこまでも静かな1人だけの世界。

 

 誰がその場所をそう名付けたのかは分からない。

 

 

 ただ自らが至った別世界のようなその場所を、彼女らは"領域(ゾーン)"と呼んでいた。

 

 

 

 

 

 何も聴こえない。

 風の音や歓声、自分の足音。暴れる心臓の拍動も。

 極限の集中力がそう感じさせる、まるで世界が自分1人だけになったような感覚。

 全身に漲る力が淀みなく流れ、一歩一歩が走るのではなく飛ぶ。走ることを至上とする者が渇望して止まない境地にも心が波立つことはない。何故ならそれは奇跡ではなく、己の中にあって当然の力だからだ。

 自分の前には何もない。

 自分の周囲にも何もない。

 ただ300メートルという僅かな先に、自分が1番に超えるべきゴールラインがあるべき結末を受け入れるように横たわっている。

 

 自分が勝つ。

 願うまでもない、そんな確信。

 誰より静かに、しかし何よりも疾く。真に疾風と化したルドルフは、音に届くような速度で栄光へ至らんと駆け抜ける。

 その様には観客どころか、他の出走者すらも彼女の勝利を確信しただろう。

 あの場所に没入(はい)った皇帝に追いつける者など誰もいない事を、彼女は勝利で示し続けてきたのだから。

 

 

 時代を創るウマ娘がいる。

 そんなウマ娘が必ず至る"領域"がある。

 

 

 

 ならば。

 

 

 

 その"領域"すら侵す者は一体、何を創ったウマ娘なのだろう。

 

 

 

 どん、と小さな音が聴こえた。

 無音なはずのルドルフの世界に混ざった、ほんの僅かなノイズ。

 走ることと勝利すること、それ以外の全てを排された領域になぜそんなものが混ざったのだろう。

 しかし、どん、どん、ドン、ドン、と繰り返される音は、そんな疑問を抱く暇もなく大きくなっていく。

 大きくなっていく? 違う。

 近付いてきているのだ。

 他の全てを廃する集中力に割り込む程の、異形とすら言える存在が。

 もはや無視はできない。

 自分以外は誰もいないはずの静かな領域に、確かに彼女は割り込んできた。

 

 ─────並んだ!! マツカゼが並んできた!!!

 

 誰かがそう叫んだのが、薄らと聴こえてきた。

 

 

 そしてルドルフの領域は、地響きと共に砕かれた。

 果たして自分は何と走っているのだろう。そんな疑問がどこか他人事のように脳裏に浮かぶ。

 昇りゆく陽。(はし)る山。その存在感を言葉にするならばどんな表現が適切だろうか。

 ウマ娘が走っているのではなく、まるで『勝利』がウマ娘の形をして走っているかのような。

 彼女の横を走っているのは、そういう現象だった。

 

 

 ゴール板まで残り200メートル。

 先の先に至った怪物2匹が、ハナを争い鎬を削る。

 皇帝が無名の化物を討ち果たすか。

 無名の化物が皇帝を捩じ伏せるか。

 10秒足らずの一騎打ちが、始まる。

 

 渦巻く声の大群も、今の2人には届かない。彼女らはもう隣を確認する事も、まして後ろを見る事もなかった。

 ただ我武者羅(がむしゃら)に前へ、前へ。

 隣から鳴り響いてくる地鳴りのような足音ももう意識に入らない。

 マツカゼのプレッシャーに乱された極限の集中力は、再びゴールのみへと向けられた。

 肉体が軋むのが理解(わか)る。

 食いしばった奥歯から鉄の味が滲んできた。

 畳みかけるように襲ってくる限界の代償を、ルドルフは『だからどうした』と切り捨てた。

 挑戦者を迎え撃つ。学園の矜持を示す。勝負に臨むために並べた建前のそれら全てがどうでもいい。

 ─────吼えた。

 勝ちたい。勝ちたい。何としても。

 明日。いや1週間、いや1ヶ月。向こう数ヶ月は足腰立たなくなってもいい!

 ただこの一時(ひととき)! この瞬間!!

 己の何を代償にしてでも、彼女1人を上回るだけの力を!!!

 

 

 「はぁぁぁああああ───ッッッ!!!」

 

 「カァァァァアアアアアッッッ !!!

 

 

 

 

 

 

 残り100メートル。

 

 横に並んでいた2人のうち、片方が前に出た。

 

 抜き去られた方も負けじと脚を回すが、離された差は縮まらない。相手の背中は少しずつ、しかし着実に自分から遠ざかっていく。

 

 それでも走る。勝つために走る。

 最後まで自分の勝利を信じて、ごく僅かに残った距離を全力で駆けていく。

 

 絶対に勝ちたいと願った勝負をここまで来て諦めるなど、今まで築いた誇りと矜持が絶対に有り得ないと叫んでいるのだから。

 

 

 そして残り50メートル。

 やがて10メートル。

 起こり得た可能性が1つに収束し、間もなく全てが終わる頃。

 

 (・・・・・・ああ、そうだ。この走りは─────)

 

 

 己の前を走る背中。

 

 彼女が背負った御仏(みほとけ)の姿に、ルドルフは己の抱いていた疑念の全てが氷解した。

 

 

 

 

 

 

 そしてその時は訪れる。

 

 

 先頭を走っていた者が1番にゴールラインを通過し、1秒程の間もなく2番手が通過した。

 錚々たる面子が揃う中で1着を獲った彼女はゴールを通った瞬間にスッと力を抜き、緩やかに減速。そして誰よりも早く脚を止めて後ろを振り向いた。

 

 続けてゴールを通過し、全力疾走の勢いのままオーバーランする者。

 必死の形相で走り、今まさにゴールした者。

 着外が確定して、それでもなお全力でゴールを目指す者。

 

 誰も彼もが強く、愛おしい。

 込み上げてくる喜びにいっそ全員を抱き締めたくなるが、今はただ空に掲げよう。

 全てを蹴散らし勝ち取った、気高き栄誉と栄光を。

 

 誰よりも先を走った勝者は己の後ろに向けて、ただ真っ直ぐに握り拳を天に突き上げた。

 

 

 「─────ゴールイン!! ()()()()()()!!

 ()()()()()()ッッ!!!

 ()()()()()()()()()()──────ッ!!!」

 

 

 ゴールラインに立っていたトレーナーが叫ぶ。

 直後に爆発した熱狂の大歓声が、曇天の空を震わせて轟いた。

 彼女に遅れてゴールし悔しさを滲ませる者たちも、彼女の顔を見て思わず笑いが漏れてしまう。

 

 拳を突き上げたマツカゼは何よりも明るく力強い、太陽のような笑顔だった。

 




 次回、最終回。
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