神よ賛えよ、我今来たる ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第12話

 風が吹き始めた。

 夏の夕方、曇天に蒸された気温が肌を撫でる。

 ざわりと揺れる周囲。静かに見据える一部の者。

 ほらなこうなったろ!?と騒ぐトレーナーが強制的に黙らされた。

 目を丸くするマツカゼを、ルドルフは駆け引き無しの直球で口説き落としにかかる。

 

 「その力は学園に是が非でも欲しい。君ならば特待生として(ぐう)される事も容易いし、それに異を唱える者はいないだろう。君は間違いなくそれに足る実力を示してみせた」

 

 「ルドルフちゃん」

 

 「強者は君に挑み、君にあてられた者はさらに研鑽を積む。君の心を燃やすだけの勝負は保証しよう。

 それに私も、君とはもっと個人的に話したいんだ。()()()()()()()()()()()()()()()。そして、・・・・・・・・・()()()()()()()()()()()()()()

 

 マツカゼの言葉が止まり、そしてルドルフの生徒会長としての顔はそこで崩れた。

 差し出した手の指は鉤爪に、口元から覗く歯は牙に変わる。

 マツカゼを射抜く薄紫色の瞳に燃える光は、そう錯覚させるには充分な熱量だった。

 

 「悪いが選択の余地は与えない。どうやってでも君にはこちらに来てもらうぞ。君を倒さずには終われん。勝ち逃げなど許さんと私が、いや、()()()そう言っているんだ・・・・・・!!」

 

 ビリビリと刺すような気迫を放つのは彼女だけではない。

 このレースを走った者たち全てが圧倒的な力にも怯まずに闘争心を眼光に乗せてマツカゼを貫く。観客席にいるナリタブライアンなどは殺気すら放っていた。

 シンボリルドルフは猛る彼女らの代弁者であり、同時に自らもまた再戦を望む者だった。

 剥がされた皇帝の品格の下から現れた、牙を剥くような獅子の本性。

 この手を取れ、さもなくば喉笛を噛み千切る。

 マツカゼに差し出されたルドルフの手は握手ではなく、復讐の牙がずらりと並んだ虎口に手招きする修羅の誘いである。

 

 「いいねえ。そりゃ素敵なお誘いだあ」

 

 風が少し強くなった。

 踊る空気に自らの鹿毛を舞わせ、ふふ、とマツカゼは目を伏せて笑う。

 

 「ここまでの名誉はそうそう無い。自分に勝ちたい奴らに求められた場所で鍛えて、競って、走って笑う。・・・・・・そいつはどんなに楽しい事だろうねえ」

 

 そう言ってマツカゼは差し出された手に応えた。

 即ち、肯定。ルドルフの誘いに乗るという意思表示。

 同じように差し出された手がルドルフの手と重なり、結ばれようとする。

 偉大なる両雄が互いの手を握り、新たな怪物が全国に名乗りを上げるという事。張り詰めていた空気が大歓声で弾けようとする。

 

 その瞬間。

 

 ルドルフが歓喜の目で見つめていた彼女は、寂しげに笑っていた。

 

 

 

 

 「─────ああ。でも、残念。時間切れ」

 

 

 

 

 (とお)り抜けた。

 

 

 差し出された手を握ろうとしたシンボリルドルフの右手が、マツカゼの手をすり抜ける。

 

 

 あるはずの肉体に触れた感触がない。

 

 それどころかルドルフの手が通過したマツカゼの手が小さな光の粒子となって、風に吹かれた綿毛のように散ってしまった。

 

 

 脳の処理が追いつかない。

 あるべき質量が存在せず、有り得ざるべき現象が発生した。

 立体映像のような映像技術か。何とか納得のいく説明をつけようとしても、持っている知識はついさっき大地を抉って走っていた彼女に対して何ら説得力を持ってくれない。

 自分の手首に集まって何とか手の形を保とうとする光の群れを眺めつつ、マツカゼは大きく溜め息を吐いた。

 

 「お釈迦様も殺生だあ、『名前がバレたらおしまい』だなんてねえ。どうせ長くても3日程度しか居られないんだから、そのくらい融通してくれてもいいじゃないか」

 

 「なに、を、言って───・・・・・・?」

 

 「走りと勝負服を受け継いだ者ねえ。なかなかロマンチックな推測をしてくれたみたいだけど? 残念ながらそりゃ間違いだ。あたしが受け継いだんじゃない。あたしがみんなに託したのさ」

 

 「まて、説明を」

 

 「ところでどうだい、あたしと走って学ぶところはあったかい? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、分かりませんじゃあ承知しないよう」

 

 そう話している間にも、マツカゼの身体は段々と光の粒子に置き換わっていく。

 観客たちも何か異常な現象が起きていることを理解し始めていた。戸惑うようにどよめく声がびゅうびゅうと鳴る風音に混ざる。

 バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

 そこにいたのは観客席から大慌てで降りてきたトレセン学園理事長とその秘書だ。

 取り乱していた理事長の目の焦点が定まっている。心の動揺は収まっていないが、いま目の前で起きている現実を受け止めた顔だ。

 口から飛び出したのは如何なる感情か、秋川やよいは体躯に似合わぬ大声を張り上げる。

 

 「傾注ーーーーーーッ!! そのウマ娘は、いや、()()()()()()()()()()()()()()()()ッッッ!!!」

 

 「ああ、理事長さんが見破ったのかい。ちびっ子は純粋だねえ。理屈で考えれば有り得ないって思ってくれると思ってたんだけど、そうはいかなかったかあ。

 ──────でも、あたしはもう満足したよ」

 

 

 「待て! では君は、()()()、まさか────」

 

 

 問おうとした口は塞がれた。

 人差し指でそれ以降の言葉を遮ったマツカゼは、そっとルドルフを抱き締めた。

 今や全身が光の粒子となって(ほど)けつつある彼女の身体からはやはりあるべき質量を感じず、重さどころか触れられている感触もない。

 しかし、確かにルドルフは感じた。

 抱き締めてくる彼女の、強く温かく包み込んでくるような、まるで母親のような温もりを。

 

 「ルドルフちゃん、これからもしっかりね。あんたみたいな娘がいるなら安心だ。立派な次の世代の担い手を、きっと育てておくれよ」

 

 「──────、」

 

 「みんなみんな立派だった。あたし達がやってきた事は無駄じゃなかったんだ。もう思い遺す事はない。

 本当はルドルフちゃんと、もっとみんなと走りたかったけど・・・・・・・・・これであたしも、安心してうちに還れるってもんだよ」

 

 そう語る声は少しだけ震えていた。

 抱き締めていた手を解いてルドルフから離れ、俯いていた顔を上げ毅然として前を向く。

 指で目尻に浮かんでいた煌めきを飛ばし、腰に手を当てて『彼女』は大きく胸を張った。

 ルドルフに。出走者たちに。ここにいる全ての人間とウマ娘たちに。

 力強い笑みを満面に浮かべた『彼女』は、これで最期だと朗々と大声を張り上げた。

 

 「さあ! 最期の言葉だ後輩共!!

 

 努々(ゆめゆめ)忘れるんじゃないよ!!!

 

 これを聞いている誰でもいい!! 走り続けたその果てで、この老骨を超えたと言わせてみせろ!!

 

 トレーナーに教師共!! あたしの走りに震えたのなら、そんな英雄をお前達の手で育ててみせろ!!

 

 燦然と輝く勝利の果てで、皆の歴史からあたしの存在を忘れさせてみせろ!!

 

 お前達ならそれが出来る!!

 

 何故なら今日、お前達が作り上げたレースにあたしの心は震えたからだ!!

 

 

 以上!!

 全幅の信頼を預け、名前を告げてあたしは還る!!

 

 今日の出来事は夢じゃない!

 あたしは確かにここにいた!!

 

 その胸と記憶にしっかり焼き付けな──────

 

 

 

 あたしの名は──────

 

 

 

 

 

  ───── 『シンザン』!!!!」

 

 

 

 

 

 

 ゴウッッッッ!!!と猛烈な烈風が吹き荒んだ。

 捲れた芝や土を派手に巻き込んだ大気のうねりが一帯を席巻、目も開けられない暴風に全員が顔を庇う。

 やがて少しずつ風は止み、恐る恐る目を開けて目の前の光景を見た。

 

 

 そこに彼女はもういなかった。

 

 影も形も、光の残滓も。

 まるで彼女の存在そのものが風に掻き消されたかのようなコースの頭上から、眩い光が薄暗い曇りの空模様に灯る。

 

 

 夕陽だ。

 

 

 空に厚く垂れ込めていた雲が割れ、顔を出した鮮やかな太陽。

 

 朱色に輝く日輪が空を赤く染め上げ、雲の隙間から地上へと光を落とす。

 

 熱戦の跡に差し込んだ、橙色の一条の光。

 それは雲が晴れるにつれ強く大きくなり、やがてはコースすべてを覆う。

 

 ─────彼女はここを昇っていったのだろうか。

 

 天から降ろされた梯子のような光の道に、そんな事を考えた。

 

 食堂での芦毛たちのやりとりをふと思い出す。

 

 

 ぞくり、と身体の芯から震えが起きた。

 恐怖ではない。ただただ、畏怖。そして高揚。あるいはそう表現できる感情の昂り。

 自分たちに降ってきた有り得ざる奇跡と胸に沸き上がる想いを表現するには、言葉というものは余りにも貧弱だった。

 

 彼女は2代目のようなものなのだと、シンボリルドルフはそう思っていた。

 

 『あの方』の教えを受け、その走りを受け継いだ者なのだと。

 持っていた才能と身に付けた実力を認められ、彼女の服を託されたのだと。顔が瓜二つなのは血縁者だからだと─────そう思っていた。

 ロマンチックな推測? そう思うのが自然だろう。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 「貴女の名前を歴史から忘れさせろ、か」

 

 見送るように空を仰ぐルドルフが独り()ちる。

 ─────日本の競走バの始まりにして頂点。

 『全てのウマ娘が幸せに暮らせる世を創る』。

 その生涯の目標を自分よりも先に掲げ、そして自分が目指すその世界の土台を創り上げた者。

 偉大なる先達、そして自分の憧れ。

 歴史の創始者から任された『宿題』の重さに、もはや彼女は笑う他なかった。

 

 「・・・・・・・・・無理を仰るな。まったく」

 

 

 そして、全員が理解する。

 

 

 自分たちは今日、神話を目撃し、伝説と共に走ったのだと。

 

 

 

 

 

 

 この日、マツカゼを名乗るウマ娘は消えた。

 

 ターフの上からだけではない。

 

 レースを撮影した映像や学園の監視カメラ、一緒に写ったスマートフォンの写真に至るまで、彼女の姿はどこにも残っていない。

 

 まるでそんなウマ娘など、最初から存在していなかったかのように。

 

 だけど、確かに彼女はここにいた。

 

 抉れた芝が、贈られた言葉が、目に焼き付いたその走りが、彼女の存在を示す何よりの証明。

 

 胸に刻み込まれた夏の日の奇跡の中で、今も彼女は笑いながら走り続けている。

 

 

 『神様が降りた日』。

 

 

 記録に残らないこの一幕はそんな名前の伝説として、トレセン学園の生徒たちに永く語り継がれていく事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『シンザン』。

 

 (生)1961年4月2日 。

 (没)1996年7月13日。

 

 幼名を『松風』。

 

 まだGIII〜GIの国際的な格付けが導入されていなかった時代に皐月賞・日本ダービー・菊花賞のクラシック三冠に加え、天皇賞(秋)と有馬記念、そして宝塚記念を制覇。

 戦後日本初の三冠馬にして、八大競走の勝利数から日本競馬史上初の『五冠馬』の称号を与えられた競走馬である。

 

 天皇賞が勝ち抜け制でジャパンカップも存在しなかった当時、牡馬が出場可能だった全てのGI級レースを制し、出場するレースが無くなって引退。

 強すぎる踏み込みから自らの脚を守るために作られた、通常の2倍以上の重量を持つ蹄鉄『シンザン鉄』をレース外で常用しながら一切の故障なく競走馬を全うし、東京と京都で史上初となる2度の引退式を終えて種牡馬入りした。

 

 種牡馬となってからはスガノホマレやシルバーランドなど複数の重賞を獲得する産駒を多数送り出し、後年には菊花賞を制したミナガワマンナや、皐月賞と菊花賞、天皇賞(春)を勝利した代表産駒の二冠馬ミホシンザンを輩出。

 それによって外国産馬が持て囃され冷遇されていた内国産の種牡馬の地位を底上げし、後の内国産馬の活躍に大きく貢献した。

 

 そして1996年、日本最長寿記録を打ち立てて永眠。NHKのニュースにて「シンザンがお亡くなりになりました」と報じられる。

 戦後日本の競馬界に長く影響を与え続けた功績の大きさを讃え、『神馬』と呼ばれるようになった。

 

 そして彼の後から20年。

 日本競馬を引っ張り続けてきた「シンザンを超えろ」というスローガンは、シンボリルドルフの七冠達成により役目を終えた。

 

 『ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンと全ての三冠馬を見ているが、シンザンを超えた馬はいない』─────

 JRAの雑誌でそう答えた、かつてミハルカスなどの鞍上でシンザンと対決した加賀武見騎手のその言葉が真実なのかどうかは分からない。

 ただシンザンが日本ダービーで息も乱さず叩き出した記録は、後に三冠を達成するミスターシービーやシンボリルドルフを確かに上回っていた。

 

 

 『皇帝』シンボリルドルフに『英雄』ディープインパクト。

 シンザンの登場から40年、冠の数でシンザンを上回った稀代の優駿は確かに出現した。

 

 しかしてその戦績、19戦15勝───2着4回。

 

 かの神馬が打ち立てた連続連対数19回にして連対率100%という数字は、今もなお中央競馬のトップレコードに燦然と輝いている。

 

 

 

 

 

 

 【終わり】

 




 次ページ、後書きとなります。
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