神よ賛えよ、我今来たる ─ウマ娘プリティーダービー─ 作:嵐牛
リズミカルな吐息の音に、蓄積しつつある疲労にも淀みなく走る脚。
左回りの第3コーナーを過ぎた緩やかな下り坂、全員がスパートを掛けるタイミングを窺って空気がピリピリと刺すように尖り始める。
自分の位置、これから通るべきルート、そして相手の出方。数瞬の内に全てを判断せねばならない終盤において、1番有利と言っていいのはやはり前の位置で走っているウマ娘だろう。
「ここだっ!」
「行くわよ・・・・・・っ!」
中団のウオッカが仕掛けると同時、先頭を走るダイワスカーレットが仕掛けた。
後続の様子を窺っていたのだ。
コーナーを曲がっている時は列が曲がっているため、首を回さずとも横目で見るだけで後ろにいるウマ娘たちの動きが容易に確認できる。
差しウマ筆頭のウオッカに始まり、いずれも音に聞こえた強者たちの差し足。最大限スタミナの消費を抑えつつ彼女らと距離を保つため、スカーレットは1番初めに仕掛けてきた後続のウマ娘と仕掛けのタイミングを被せたのだ。
そこからレースは一気に加速する。
ウオッカとダイワスカーレットを火種にして火は一気に燃え広がり、全員が勝負を決めにかかるべく動き始めた。
荒れたバ場に捕まらない程度に内側を走り効率よく走る者やバ群に呑まれないよう外を回る者、あるいはバ群から抜け出すルートを必死で考える者など。
先団にいる『彼女』もまた勝負を仕掛けようとしている者だった。自信に満ちた笑顔のウマ娘の額に、白い三日月が跳ねる。
ただしそれはシンボリルドルフのものではない。
奇しくも彼女の容姿に似た特徴を持つ、トウカイテイオーだ。
テイオーの特徴は何と言ってもバネの強さと身体の柔軟性、とりわけ膝と足首の柔らかさにある。
通常よりも高く足を振り上げる特徴的な彼女のフォームはそれにより可能となっている天与の代物であり、かの『皇帝』にすら真似できない彼女の武器。
高く振り上げた脚は地面へ。
地面に触れた力は足首と膝に収斂され、柔らかなそこに収斂された力は正しくバネのように後方へと解き放たれる。
即ち彼女は、
「ボクも───負けないよっっ!!」
弾むような力強さでテイオーは地面を蹴った。
弾力の効いたしなやかな走りは彼女の身体をぐいぐいと前に押し出していき、一気に先頭争いへと躍り出る。
─────仕掛けるならば、今。
前寄りの位置で外目を回っていた4番手のシンボリルドルフはチラリと後ろを見る。
速度を上げてきたウマ娘に抜かされ7番手につけているマツカゼはまだ仕掛ける気配はない。
何かを待つように、何かを狙うように彼女は息を潜めている。
その『何か』が何を示しているのか分からないほどルドルフは察しの悪い方ではなかった。
後ろを見た時、目が合ったからだ。
周囲のウマ娘たちがスパートを掛ける中、未だ後ろでペースを保っているマツカゼ。
大きく開いて8バ身も前を走る自分の背中をじっと見つめる、彼女の双眸と。
彼女の走りの全容は未だ分からない。
しかしその目を見れば分かる。
自分は、探られているのだ。
喧嘩を売った学園の長はここからどんな風に走るのかと、自分が動くその時を、虎視眈々と待っている。
「いいだろう。望まなくとも見せてやる」
皇帝が玉座から腰を上げた。
身体を沈めて、踏み込んだ脚に力を込める。その一瞬の
強すぎてレースがつまらない────彼女がトゥインクルシリーズでそう評されるまでに至った所以。
最終直線に入ったシンボリルドルフが、弾丸のような勢いで加速した。
その直後。
ぞわっっっ!!!と。
ルドルフは自分の背後で、何かが、途方もなく巨大な何かが目を醒ますのを感じた。
シンボリルドルフが仕掛ける。
ルドルフがちらりと背後の自分を確認したのを見たマツカゼはそう判断した。
もう少し他のウマ娘たちが走る様子を見ていたかったが、このレベルの面子が揃っていてはこれ以上の悠長は危険。
マツカゼの中のギアが上がる。
刃のように研がれた瞳は真っ直ぐにルドルフの背中を貫いた。
────いざ、勝負。
まさにスパートを掛けようとする生徒会長に合わせるようにマツカゼが重心を低く落とす。
その途端、バ群の後ろから何かが迫ってきた。
トレーニングで踏み荒らされた内ラチ、誰も走りたがらない不良バ場。
捲られた土を荒海の引き波が如く蹴り上げ、進撃してくる芦毛の戦艦。
最後方にいたはずの彼女は、条件が悪すぎてガラ空きの最短距離を力技で突破していた。
外から見ていた観客たちには、まるで彼女が一番後ろから先団までワープでもしてきたかのように見えただろう。
ただ1人勝負服を着たウマ娘の隣に並んできた彼女は、目を丸くしているマツカゼにニヤリと笑って問いかけた。
「よう。楽しんでるかい?」
誰も彼女の舵を取れない。
走るも走らないも気の向くまま、しかし
気分が乗れば値千金の
「─────ついてく」
べたり、と纏わりつくような気配。
思わず後ろを見たマツカゼのすぐ斜め後ろには、見覚えのある黒鹿毛がいた。
しかし昼時に見た気弱な印象はどこにもない。
そこにいるのは弱音や弱気を削ぎ落とした果てに姿を現した鬼。
・・・・・・・・・近付きたいと思った。
ダメな子の自分に『強さ』を叩きつけたこの人に。
彼女の『強さ』に惹かれた、なりたい自分に。
その変貌は悪夢か、奇跡か。
瞳に青い炎を宿した刺客が、
「ついてく。ついてく。マツカゼさんに─────
真後ろに張り付くライスシャワー。
マツカゼを風除けにしてスリップストリームを利用、体力を温存して最後に交わそうという動きだ。
最初からマツカゼ1人に狙いを絞っている。
ターゲットが先頭にならないと成立しない作戦だが、どうやらマツカゼがゴール前で先頭になる事を確信しているらしい。
激化する先頭争いに不意打ちで先団に躍り出たゴールドシップ、自分を徹底マークするライスシャワー。
そして今、スパートを掛けたシンボリルドルフ。
震えがゾワゾワと背骨を上る。
仕掛けるならばここ。勝負の刻は今。
笑うように歪む口角を必死に抑え、改めてマツカゼはスパートの体勢をとろうとした。
その、瞬間。
「こっちだよ。
すぐ前を走っていたフジキセキが、す、と外側にズレて内側の進路を開ける。
それを見て、彼女の意図を理解した瞬間。
マツカゼの中で、感情が勢いよく弾け飛んだ。
情景が重なる。
今となっては誰が覚えているだろう。
走り続けた果て、全てのウマ娘が自分を倒そうと噛み付いてきたあのレース。
あれ以上の栄光はないと信じていた。
しかしどうやら、同じものがここにある。
色褪せたフィルムが鮮やかに色づくように、蘇った歓喜と誇りが身体の隅々まで満ちていく。
「・・・・・・はは」
笑みが
闘争の最中とはかけ離れた、優しい微笑み。
───
あたしらが必死で耕した土は─────こんなにも立派な花畑になったよ、と。
自分の得意な走りで勝負する。
出走者全員がその方針でいる以上、強豪たちに対する自分の位置取りと進路の確保の重要性は通常のレースよりも跳ね上がる。
ウマ娘たちが他の走者に進路を塞がれるのを防ぐために前が開けた場所についたため、隊列は横に広がっている。
フジキセキはそれを利用した。
最終直前に入る第4コーナー。外側に膨らんで内側を開ける事で不良バ場に誘導しつつ広がったバ群にマツカゼを引っ掛け、なおかつ外を回って
彼女が取ったのは自分の進路を確保した上で標的の足を引っ張る、そういう作戦だった。
無自覚にふっかけたのは自分とはいえ、己を駄バと侮った者への反撃。
その効果の程を知るためにフジキセキはちらりと後ろを振り返る。
自分の左斜め後ろ。
そこに網にかかったマツカゼがいるはずだ。
いるはずだった。
一瞬、思考が空白になる。
そこにいるはずの彼女がいない。
後ろにも前にも、そして横にも。
確かに罠に嵌めたはずの彼女が、絶句しているライスシャワーを残して忽然と─────
(消え──────)
あの時、確かに地面が揺れた。
後にフジキセキは、その時の事をそう語っている。
ドンッッッ!!!!と。
轟音と共に視界の外、
そんなはずはない。フジキセキは一瞬、この現実を拒絶しそうになった。
だってそこは左回りの外側。塞いだはずのルート。
しかし直後、自分の前に躍り出たその背中を見て、もはや認めざるを得なくなる。
今の轟音は彼女が地面を蹴った音なのだと。
自分が講じた策は彼女にとって、濡れ紙ほどの障壁にもならなかったのだと───。
「あーーーーっはっはっはっはっはっは!!!!」
塞がれた外側の、さらに外。
外側の
重心は低く、歩幅を大きく。
芝を噛んだ蹄鉄が彼女の膂力を余さず前進のエネルギーへと変換し、マツカゼは爆発するような勢いで前に出た。
心底楽しそうな高笑いに、地鳴りのような足音を混ぜ合わせながら。
◆
「あーーーーっはっはっはっはっはっは!!!!」
マツカゼの追い上げが始まった。
彼女がその常識外れの足腰を本気で使ったら、一体どれだけの速度が生まれるのか────グラウンドでの彼女の逸話を聞いた者全員が思い、心待ちにしていた光景でもある。
わああああああああっっ!!!と大歓声が上がった。
考えられないルートでフジキセキを抜き去ったことや地面を鳴らすほどの脚力、一瞬の内に始まった超常に全員が仰天、熱狂の叫びを上げる。
しかし冷や汗を掻いた《スピカ》トレーナーの動揺は、ウマ娘の安全を第一とするトレーナーとしての恐怖故か。
彼女の乗った速度域から予想できる最悪の結末に、彼は思わず叫んでいた。
「ちょっとでもヨレたら外
思わず頭を抱えそうになる。
身一つで自動車を優に超える速度を叩き出す彼女らは、柵に軽く当たるだけで大怪我に繋がりかねない。さらにそこで転倒してしまえばどれだけ悲惨な連鎖が発生してしまうか・・・・・・
だが彼女にそれを恐れる気配は一切ない。
大笑いしながら地響きを引き連れ、マツカゼは一気にごぼう抜きにかかる。
しかし当然放置する者はいない。外目を走っていたウマ娘2人が即座に妨害に動いた。
2人は外側へとポジショニングを変更。
進路妨害と判定されないようマツカゼの走る進路を塞ぐのではなく、狭めるような位置につけた。
無理に通ろうとすれば外柵にぶつかる。それを嫌って進路を変えればその分スタミナとスピードは削がれるだろう。
とはいえ疾走中の横移動により自分の体力も削れてしまうが・・・・・・やるしかない。何もしなければ抜き去られて終わるのだ。
そして────来た。
猛追してくるマツカゼが真っ直ぐに、曲がらず、一直線に自分たちが狭めたルートへと─────
「「むっ・・・・・・無理ぃぃぃぃいいい!!!」」
迫り来るマツカゼの圧力に屈したウマ娘たちが、妨害するための位置取りから怯えるように退く。その直後にマツカゼが横を抜き去っていった。
機関車が真横を通ったかのように巻き起こる風に、彼女らは自分の恐怖が正しかったことを確信した。
妨害だと? 冗談じゃない。
あんな暴走機関車に接触でもしようものなら────
最終コーナーから遅すぎるとすら思えたタイミングで仕掛け、出鼻を挫こうとした策を突破し、妨害に至っては何もしないまま退けた。
あまりにも突き抜けたその走りに、見る者全てが息を呑んだ。
─────末脚に優れるウマ娘は、その脚を時に刃物に例えられる。
しかしあれは刀なんて優美なものではない。
カミソリなんて軽いものでもない。
鋭く研がれた極大の力が、常識外れの大外からバ群を撫で切っていく。
その様に飾り気などない。
全ての敵を正面から、力で断ち割る武骨な刃。
そう。あれは───
まるで─────
「な・・・・・・っ!?」
「い゛っっ!?」
「ゔぇえ゛!?!?」
後方からのプレッシャーに思わず振り返ったダイワスカーレットにゴールドシップ、トウカイテイオーが漏らした悲鳴は、シンボリルドルフが差しに来ているという分かりきった展開に対してのものではない。
そのさらに後方から突っ込んできた挑戦者が、スパートを掛けた
上位3人を射程圏内に収めたルドルフ。
3番手のテイオーより後ろにいる彼女が、迫ってくる
彼女の場合は振り向く必要すらなかったのだ。
地鳴りが、来る。
地面を鳴らす脚力が、脅威の源泉を運んでくる。
背後で感じた存在感が徐々に強く、近くに。
運動によるものとは違う種類の汗が肌に滲む。
爆走の代償による疲労か、あるいは剥き出しの闘争心か。埒外の豪脚でここまで上がってきた彼女は今、どんな顔をしているのだろう。
目指すべきゴール板から一瞬だけ目を外し、ちらりと視線を横に向けた。
「並んじゃったねえ」
残り600メートル。
にぃ、と笑うマツカゼの顔が、シンボリルドルフに並びかけてきた。