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剣道場。木の香りと汗の匂い。床を擦る音。忘れもしない感覚と痛み。
「ハルカ様。太刀筋が曲がっております」
竹刀を握るのは、ハルカの剣術の師匠だ。この家の武道教育はスパルタだが、この白髭を蓄えた師匠は、修練の時間以外はハルカ達に優しく接することを心掛けており、人格者として他の従者からも人気があった。ハルカにとっても、思い入れのある人物である。
「今日はこのくらいにしておきましょう」
「はぁ……はぁ……」
疲れ果て、背筋を伸ばす事すらままならない程身体を酷使した。内容は、当然12歳の少女がこなせるような練習メニューではない。
「ハルカ様。お茶を淹れます。どうぞ座ってゆっくりなさってください」
言われるがまま、道場壁際の椅子に腰を掛ける。自ら鍛錬を志願したが、道のりは想像以上に厳しかった。まだ到底兄達に追い付けるレベルではないし、それどころか一人前にすら程遠い。師匠が、お茶とお菓子を持って、「失礼します」と隣に腰掛けた。師匠はもう七十を過ぎているはずだが、長時間の鍛錬に付き合っても息が乱れない。
「…………師匠」
「何でしょう?」
「今更……やめられないよね」
12歳ともなれば、多感な思春期だ。周りの友達の趣味が気になるし、流行に敏感になる。ハルカも例外ではなかった。年頃の少女が打ち込むには、この修行は少々過酷だったようだ。
「…………」
師匠は、言葉を選んでいるのか、しばしの黙考の後、口を開く。
「ハルカ様は、なぜ剣を握ろうと思ったのですか?」
「それは…………姉様や兄様達みたいに強くなりたいから」
「強くなって、何をしたいのですか?」
「うーん…………」
強くなったその先なんて、考えてない。
「ははは。少し難しうございましたかな」
「師匠いじわる」
「これは失礼。では、視点を変えてみましょう。ハルカ様は、今まで読んだ漫画で誰が一番好きですか?」
「『期末の付け焼き刃』に出てくる富他儀勇が好き!いつも無口でクールだけど、仲間想いで優しいから!」
「あの人気キャラですな。なるほど、良い目をお持ちだ」
師匠は、漫画のキャラにも造詣が深かった。この家のしきたりに合わせているのだと思う。
「彼みたいになってみたい、という想いはございませんか?」
「……漫画のキャラになりたいってこと?」
「本人そのものにはなれません。ただ、"憧れ"として見ることは出来るでしょう。ハルカ様が強さを手にして、何をするか。その答えは"憧れ"にあるのではないかと、私は思うのです」
「憧れて、なれるものなの?」
「それはやってみないことには。ただ、マサツグ様やホツカ様は、二人とも憧れている対象があるのは確かでございます」
「そうなの?」
「マサツグ様は『SUN BIZER』のドロ、ホツカ様は『DREATH』のメロンに憧れを抱いております」
「ほぇ〜、そうだったんだ」
兄達の意外な素性を知る事が出来た。
「親方様が漫画だけは許している理由の一つとして、強さの根源が"非日常への憧れ"にあると捉えているからでは、と私は考えております。日本の文化を今昔問わず活用するのは、優秀な親方様らしいアイデアだと思いますね」
「ふーん…………」
自分は、富他儀勇のようになれるだろうか。少々不安を覚えていた。でも、確かに。良いアイデアだ。推しについて考えながら修行するなら、やる気も出るだろう。
「師匠!儀勇の技試してみたい!」
「ははは!では、少しやってみましょうか」
こんな遊びのような修行でも、師匠は常に付き合ってくれる。ハルカにとって、師匠は人生の恩師でもあったのだ。
師匠は、ハルカが14の時に亡くなった。後になって屋敷の従者から耳にした情報だが、師匠は数年前から末期の癌に冒されていたらしい。最後に師匠から貰った言葉は、今でもはっきりと思い出せる。
「きっと、大切な人を護る素敵な剣士になりますよ」
あぁ、なんて美しい呪いなんだろう。私は、この呪いを抱え、己の憧れで生きていく。そして、ようやく出逢えた大切な人を、命を賭してでも護り抜く。私はそうありたい。そう、生きていたい──────。
〜〜
瞼が重い。少しずつ意識が覚醒するにつれて、全身が軋むような痛みに苛まれている事を自覚する。それでもまだ朦朧とした意識では、呻き声のようなものしか出せない。
「ハルカさん!?良かった!!目が覚めたんですね!!本当に良かったぁぁぁぁ!!!」
フイミの安堵する声が聞こえる。空間に広がる独特な香りとタイヤがアスファルトの上を転がる音で、状況を把握する。ハルカは今、フイミの運転する車の後部座席で、応急処置を受けて横たわっている。
「ん〜……」
「ダメですよ動いちゃ!とりあえず病院着いてから様子見です!」
なぜこんな事になっているのか、痛む頭で思い返す。ハセクだ。本気でケンカ出来ると調子に乗ったハセクにボコボコに殴られ、投げられ、落とされたのだ。
「むぅ……」
「なんか不満そうですね!?大人しくしないと傷開いちゃいますよ!!」
今すぐケイに逢いたい。そうだ、ケイは!?!?
「ケイ……」
「ケイ卿は、その…………」
フイミは、急に暗いトーンでケイに関する発言を渋る。
「連れ去られてしまいました……フイミももう少し警戒すべきでした」
「…………」
"連れ去られた"──────という言葉が、脳内で反響する。あの屋敷に誘拐されて、自力で生きて戻ってくる事は難しいだろう。その事実が、ハルカの心に重い霧を発生させる。鬱屈とした感情が、ハルカの身体から力を奪っていく。ハルカは目を閉じた。何も見たくない。何も聞きたくない。
「ハルカさん……」
フイミが、後方をバックミラーで確認しながら、絞るような声を出す。
「すみません、結構揺れるかもです……!」
フイミがステアリングを握り締める。フイミの運転する灰色のランドクルーザーのエンジン音が、一気に上がっていく。後方から、荷台のある黒い乗用車が2台接近していた。どちらも運転席と助手席に、怪しい男達の影が見える。
「たぶん、ハルカさんを回収しに来た部隊です!」
片手でスマホを弄ると、フイミはアクセルを力強く踏んだ。それに合わせ、2台の車も速度を上げる。峠道はまだまだ長い。フイミの握るステアリングは忙しなく左右に回転し、それに合わせて車体も大きく振動する。アスファルトの上でタイヤを切りつけられながら、暗闇を走り抜けていく。
「…………」
ハルカは、ソファから揺れる車内の床に右腕を垂らす。まだ軋む腕に力は入らない。しかし、その指先には触れ慣れた感触がある。師匠から譲ってもらった遺品で、円卓所属後も手入れしながら少しずつレベルアップした"愛刀"がそこにあった。
大切な人を護る素敵な剣士になれ───。
ハルカは自分に言い聞かせる。呪いの言葉を反芻し、力に変える。今はこれしか無い。ハルカの指が愛刀の柄を持ち上げると、重い金属音が車内に鳴り響いた。
「…………ハルカさん」
フイミが口を開いた。エンジン音、タイヤの音の中でも、不思議と彼女の声が聞こえた。
「フイミは、今までずっと、ケイ卿やハルカさん達に助けられてきました」
あるいは、もっと前から。
「円卓でフイミは、いつも助けられてばかりです」
だから。
「だから、今は───」
フイミの言葉に、熱が迸る。
「今は、フイミを信じて下さい!ハルカさん達が護ってくれたフイミを、どうか信じてくれますか!!」
疑問にはなってない。尋ねる気もない。望む答えは一つだけ。ハルカは、数刻の沈黙の後、ゆっくりと答えた。
「……………………わかった。信じる」
ハルカの手から、愛刀の柄が滑り落ちた。フイミは、ステアリングを右手のみで操り、左手首に嵌めた機械のダイヤルを、歯で回した。
追跡車の一台が、フイミのランドクルーザーの横に迫る。追跡者の助手席の窓が開く。サングラスを掛けた男が身を乗り出してきた。
「ハルカ様を渡せ!そうすれば、命は助けてやる!」
フイミは、運転席の窓を開けると、即座に左手を追跡車の方に突き出した。瞬間、手首に嵌められた機械から、指向性の高い超音波が炸裂した。
「ぐわぁぁっ!?」
超音波は、直線上にいた助手席の男と運転手に直撃した。その特殊な周波数は、脳の平衡感覚を司る三半規管内部に共振を起こす。平衡感覚が乱れ、二人はパニックに陥った。運転手のステアリングは制御を失い、車体が道路脇の崖を擦る。フイミは加速して、速度を落とした追跡車からすぐさま距離を取ると、追跡車は崖に当たった衝撃で反対側のガードレールへ突っ込んだ。長い車体が横転し、道幅の半分以上を塞いだ。
「っしゃあ!!上手くいきましたよ!!」
喜ぶフイミは運転席で踊る。しかしバックミラーには、遮る車体を押し除けて追いかけて来るもう1台が映った。
「うーん……このための2台体制だったんですかね」
もう同じ技は通用しないだろう。もう1台の追跡車は、フイミ達の車の右斜め後方に陣取る。すると、フイミのすぐ右側のサイドミラーが、短い破裂音を立てて砕けた。
「発砲っ!?」
最早力づくで取り戻すつもりなのだろう。追跡車は、後方から少しずつ距離を詰めていく。弾丸が運転手のフイミに当たれば致命傷、タイヤに当たれば走れなくなる。いずれにしても、捕まるのは時間の問題だ。フイミは、ステアリングと脳をフル回転させて、打開策を探す。嫌な発想しか思い付かない。でも、今は。
「ハルカさん、めちゃくちゃ揺れます」
「フイミを信じてる」
フイミは、直線の道路でアクセルを踏み締める。その先には、峠道特有のヘアピンカーブがあった。後続の追跡車との距離が離れていく。それもそうだ。この速度でこんな急カーブに突っ込めば、曲がりきれなくなる。
「ランクルの耐久力と運に、賭けます!!!」
フイミ達のランクルはカーブを曲がる事なく、美しいジャンプを見せた。
ジャンプ台があるわけではないので、すぐに地面と接し、衝撃が伝わる。ここは角度の緩い斜面になっているのだ。峠道を走っている間に、周辺の地形の様子も把握しておいて正解だったようだ。といっても、一定の間隔でスギの木々が生い茂る人工林なので、ギリギリで木を交わしながら広い道に出ることを祈る。所々ぶつかりながらも人工林を抜けると、線路が現れた。フイミは南下する形で、線路の上を走る。線路上に生えた草の様子からして、おそらく廃線だろう。ランクルが徐々に遅くなっている。車体が限界かもしれない。廃線を外れ、脇にあった広い駐車場にランクルを停車させた。他の車は、白いキャンピングカーが一台のみ停まっているだけだ。
「ふぅ〜…………」
フイミは大きな溜息をつくと、後部座席のハルカを確認した。ハルカは、あれだけの運転だったにもかかわらず、すやすやと寝息を立てている。身体を少しでも早く回復させたいのだろう。フイミは、緊張した身体をほぐすため、運転席から外に出た。深呼吸しながら伸びをしていると、キャンピングカーから人が降りてくるのが見えた。
「よくやったな」
「どちら様で………………あ、あ、ああああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
キャンピングカーから降りてきた男の顔に、フイミは見覚えがあった。否、見覚えがあるどころの話ではない。フイミがずっと追い続けた、フイミの憧れ。円卓を出て消息不明だったその男、"アイラ・ラプレイス"だった──────。
キャンピングカーの中は、思っていたより狭かった。小さなテーブルとソファ、そして流し台。ソファ奥側には、大きなデスクトップPCがファンの音を響かせながら鎮座しており、その縁は青色に光っている。メガネを掛けた紺色の短髪の女が、お茶を持ってきてくれた。
「とりま、これ飲んでください。そこのPCには絶対に触らないでくださいね。たとえ地球が滅びても絶対に」
「キャンピングカーにデスクトップはヤバいのでは……?」
「ご安心を。振動に耐えうるよう多少弄ってます」
短髪の女は、リュンシーと名乗った。機械全般に強いらしく、「アンタの愛車の様子を見てきます」と言って、フイミのランクルの整備に向かってくれた。隣に、茶髪の巻き毛を揺らして別の女が座ってきた。
「貴方は?」
「…………」
巻き毛の女は、タブレット端末に文字を書き、こちらに見せてきた。
〔ゼノ。よろしく〕
「こちらこそ。フイミって言います」
〔名前かわいい〕
「ほんとですか?ありがとうございます!」
ゼノと名乗る少女は声を出さない。しかし、液晶画面に映る手書きの文字からは、感情が直に伝わってくるかのようだ。表情も愛らしい。
〔アイラとどういう関係?〕
「えっ、元部下と言いますか……」
〔円卓にいた時の?〕
「そうです!アーサー王の直属の騎士として、素晴らしい活躍っぷりだったんですよ!」
〔ゼノの知らないアイラがいる……〕
だんだんと目からハイライトが失われていくゼノをよそに、フイミは"王子様"を待ち侘びる。ドアが開き、また一人入ってきた。ゼノが勢いよく立ち上がり、ドアの方へ小走りに向かって行った。"王子様"の降臨だ。
「ハルカの容態は安定している。しばらくはうちの医者に預からせてもらう」
アイラは、メガネを指で少し弄ると、フイミに向き直った。
「ここまでご苦労様だった。こっからは、俺らの作戦に合わせてくれれば良い」
「は……はいっ……!」
アイラは、淡々と作戦内容を伝える。指揮系統、連絡手段、鳳龍の一族の屋敷内部及び周辺の見取り図、一族の人物、現在の一族サイドの動向について、情報を共有した。フイミは一言一句残さずメモを取る。
「つまり、今回の作戦で、アイラさん達が屋敷の制圧に入るんですね!」
「まあ、そんなところだ」
「では、私はハルカさんの護衛に努めます!」
「よろしく頼むよ」
「はい!頑張ります!」
アイラからの信頼で疲れも吹き飛んだフイミは、上機嫌な反応を返す。アイラは、「最終調整をしてくるから、車内で待ってて」と言って、車を出て行った。
〔がんばって〕
ゼノが隣で液晶画面に文字を書き込む。
「ありがとう!」
フイミの無邪気な反応に、ゼノは冷たい視線を送る。
アイラは、キャンピングカーにあったミネラルウォーターを取り、フイミのランドクルーザーの元へ向かった。
「走れそうか?」
「余裕ですね。さすがランクルって感じです。うちらも買いませんか?」
「金が無い。買うなら中古かな」
「何言ってんですか。アンタの自腹で新車購入です」
「却下」
アイラの背後から、背の高い女が近づいてきた。アイラは、足音と気配で気付き、彼女に話しかける。
「ルリア。ハルカの容態は?」
"ルリア"と呼ばれた彼女は、ワインレッドのロングヘアを靡かせ、アイラからペットボトルを奪った。
「正直、手の施しようが無い」
「どういう意味だ?」
「身体構造は人間そのもの。あの怪我で全快は基本無理。でもあの女騎士の再生能力は確かなようだね」
「はっ。やっぱり、『鳳龍の冥加』ってやつか」
「アタシが下手に弄れないという意味で、と、さっきの問いに返しておくよ」
「どれくらい掛かる?」
「あのペースじゃ早くて半日」
「長いな」
「何があったらああなるんだかね」
ルリアは、半分まで減ったペットボトルのキャップ部分を指先でつまみ、クルクルと回す。
「アイラ。あの運転手には何て伝えた?」
「フイミのことか。まあ、"作戦"をそのまま」
「なるほど。かつての部下も騙すのはお前らしいな」
「この作戦に、円卓の騎士を介入させるつもりは無い。フイミには、ここでハルカを見ていてもらう」
キャンピングカーから、ゼノが降りてきた。アイラは、ルリアが弄り回していたペットボトルを奪い取り、もう半分を飲み干す。
「ここまで予定通り。クオンと俺が予想した展開をなぞっている」
「平然と間接キスするの、同じパーティーでも許されないと思うな」
「最低ですね、アイラ」
「いででででででで!!!悪かったって!!!ま、まあ、クオンが言う通りなら、俺らは準備を済ませて、そろそろ屋敷付近に辿り着く"アイツ"を迎え討つだけだ」
アイラは、ルリアに捻られそうになっている手で握っていた白いメダルを輝かせる。決戦を前に、武者震いが走る。ゼノが〔がんばって〕と書かれた画面を、アイラに向けた。頭上では、欠けた満月が雲に隠れようとしていた。
「俺は今宵、"アーサー王"を討ち取る──────」