今日は一日中気分が悪かった。同級生の行方不明から連想される様々な可能性に振り回されて、かなり精神が摩耗していた。深夜の学校徘徊も身体が動くのを拒否しているので今夜は諦めた。アンちゃんがずっと「大丈夫?」と声を掛けてくれていたのが唯一の救いだった。自分の仕事もあるのに。
翌日、重い足を何とか前に進めて登校する。教室に着き、荷物を整理して机に顔を埋めていると、男子が近づいてきた。
「すまん、シャトー。少し話がしたい」
「…………」
攻撃を仕掛けてくる事は無さそうだ。だが、今は人の話を聞く余裕も無い。出来ればこのまま返事もせずに再び顔を沈めていたいと思った。
「いいけど、今日怠いから短めでお願い出来る?」
「分かった」
自分の意思を他者に伝えるのは難しい。そう思いつつ連れて来られたのは、学校の階段の屋上に繋がる踊り場。うちの学校は屋上が完全閉鎖されてるので、ここなら確かに誰も来ないだろう。
「悪いな。埃っぽい場所で」
「…………うん」
改めて、彼の顔をじっくり確認する。誰だったっけ?「エノキ」って名前だった気がする。少しずつ思い出してきた。このクラスの副学級委員長で、アンちゃん曰く「姉が二人いる」とか。短い銀髪が綺麗で羨ましい。
「短めに済ませるために端的に話す。先日の教室荒らしについて、シャトーが関わってるのでは、と噂になっている。何か心当たりがあるのか?」
「…………………………無い」
「…………本当に?」
「無いって」
「目ぇ逸らすなよ」
「!?」
静かだが何か核心を突くようなその物言いに若干怯んでしまう。人間は嘘をつくと行動にそのサインが出ると聞いた事がある。私の嘘を見破るつもりなのだろうか。加速していく脈動に止まらない汗。目頭が熱い。それでも、ちゃんと相手の目を見なければ……!
「…………私は、知らない……!」
「……………………」
「……………………」
「……………………はぁ、分かった。これ以上言及するとシャトーが倒れそうだからやめておく」
バレたかもしれない。でも、今はとりあえず解放されてほっとする。
「嘘をつくのは、自分を不幸にする」
「……………………」
「シャトーには、俺の姉ちゃん達みたくなってほしくない。苦しくなったら、いつでも俺に相談しろよ。それじゃ、今日は付き合わせて悪かった」
エノキは階段を降りていった。彼は何かに気付いたようだが、どうやら嘘をつく事の苦しみから解放させてあげようとしているだけらしい。思わぬ優しさを感じたためか、それとも尋問が終わったためか、頬を伝う滴の感触を覚え、慌ててハンカチで拭き取った。
その手は、震えていた───────。
「シャトー、おはよ」
「うん、おはよ」
アンちゃんだ。その顔を見るだけで、その声を聞くだけで、私の心にあった不安が少しずつ解けていく。だが、すぐに違和感に気付いた。
「何かあった?」
「ん?特に無いけど……?」
そっか。気のせいか。でも、目の下のくまといつもより控えめな声のトーンが妙に引っかかっていた。
そこからの記憶はほとんど無い。途中から保健室で寝ていて、気付いたら帰宅していた。保健室の先生に「不安が収まるまでは早退しても良いわよ」と言われた気がする。荷物を置いて手を洗い、リビングに入ると母がTVを見ていた。予め学校の電話で早退と自力で帰宅する旨を伝えてあるので、決して娘の状態を無視して娯楽に耽っている訳ではない。
「おかえり、シャトー。お菓子食べる?」
「うん、いただきます」
親子揃ってお菓子好き。好みの風味も母とそっくりだ。今手元にあるのは袋詰めされたストロベリーチョコレートで安物ではあるが、毎日食べられる上にそこそこ美味しいという点で都合が良い。
「宿題は?」
「アンちゃんから連絡待ち」
「なるほどねぇ。シャトー、明日からの3連休にちょっと出掛けない?」
「旅行?」
「そう。パパも仕事無いって言うし、家族3人で出掛けて気分転換しようかなって思うんだけど」
「いいね!行きたい!」
「だよねぇ〜!パパにメッセージ入れとくね!」
ここ最近色々あって、3連休がある事をすっかり忘れていた。家族旅行は久々だ。私の心の不安もかなり解消出来るかもしれない。期待に胸を膨らませながら、母の旅行先候補の話を聞いていた。
「あっ、もうこんな時間。晩ご飯作っちゃうから。テーブルの上片付けといて」
「はーい」
楽しみが増えるっていいな。私はお菓子を棚に戻し、テーブルの上にあったリモコンを移動させようと持ち上げた。
「あっ」
リモコンが手から滑り落ち、机の角に当たって床に着地する。ボタンが押されたのか、TV画面は再放送ドラマからニュースに変わっていた。普段あまり見ない真っ赤なフォントの「速報」の文字と、切迫した声色のアナウンサーが映し出される。
「行方不明の小6少女」
「遺体で発見」
「近くにいた同級生男子 軽傷」
「犯人依然逃走中」
「連続殺人及び殺人未遂として厳戒態勢敷かれる」
「シャトー!!電話!!アンちゃんからじゃない??」
母の声と電話の着信音で我に返る。固定電話を手に取り、食い気味に応答する。
「はい。ソリック(あんまり使わないけど一応うちのファミリーネーム)です」
「………………」
「あの、もしもし?」
「シャトー…………!!」
「アンちゃん?」
「お願い…………助けてっ!!」
住宅街の外れに、古い工場跡地がある。金属加工などに使われたであろうこの大きな建物は、階段を登って上から見下ろす事が出来るようになっている。上手く説明出来ないが、2階に観覧席がある体育館みたいなものだと思ってくれていい。だいぶ錆びついた階段を一段ずつ登っていく。金属の橋のようになっている通路の先に、藤色の髪をした彼女はいた。
「シャトー……来てくれたんだ…………」
「……………………」
警察ではなく私に助けを求めた時点で、今回の一連の事件の第二被害者と犯人に大方察しが付いた。第二被害者である小6男子はおそらくエノキだ。彼は不安を抱える同級生を放っておけない。何らかの経緯で犯人と接触し、口封じのために襲われたのだろう。最初の犠牲者も加えた被害者の面々と電話の件から導き出されるその犯人は───────
「アンちゃん…………」
「私、こんなつもりじゃなかった……」
完璧な少女から漏れ出た、似つかわしくない程に弱々しい声。目元が腫れている。枯れるほどに涙を流したのだろう。震えるその身体を、私はどうしてあげたら良いのか。
隙間風が入り込む工場内で、アンちゃんから事情を聞いた。私を蹴飛ばしたあの生徒に呼び出され、人気の無い場所に連れ出されて「委員長だからって調子乗んなよ」とか言われたらしい。普通に聞き逃して帰ろうとしたが、その生徒はあろう事か傍に廃棄されていた鉄パイプを手に取った。かなり激情に駆られているようだった。今回のいじめと暴力の件が学校にバレるのを恐れ、脅迫で何とか黙らせるようにしたかったのだろう。アンちゃんが宥め落ち着かせようとしたその時、生徒の持っていた鉄パイプが立て掛けられていた金属の棒に偶然当たり、生徒の頭上へ倒れ込んできた。不幸な事故だったのだ。衝撃の瞬間を目の当たりにしたアンちゃんは、すぐさま救急車を呼ぼうとする。しかし、そこで手が止まった。この生徒は、救うに値する人間なのか、と。再び誰かに危害を加える位なら、ここで地獄に落ちてしまえば良いのではないか、と。アンちゃんは、生徒を見捨ててその場を立ち去った。翌日、エノキと一緒に仕事をしていた時に、アンちゃんの様子がいつもと違う事を指摘された。自分でも気付かなかった言動の些細な変化を察知したエノキを恐れ、その次の日に「行方不明の彼女のキーホルダーが落ちてた。この近くにいるかもしれないから探すの手伝って」とエノキを事故現場へ呼び出し、エノキが遺体に気を取られてる隙に背後から鉄パイプで殴った。頭を狙うつもりだったが、彼が屈んでいたために背中に直撃し、正体を隠す事を優先してその場を立ち去ったのだった。だが、未だにニュースでは「連続殺人犯」と表記され、誰もアンちゃんを疑っていないのは、事情聴取を受けているであろうエノキがまだ犯人の正体を掴めていないか、或いは─────。
「シャトぉ……私、どうしたら…………」
ボロボロと泣き出す親友を前に、私は返す言葉を探していた。正義を貫き、完璧であり続けた彼女が、取り返しのつかない失敗をした。
「もう二度と……シャトーとスイーツ巡り出来ないのかな…………」
「そんな事ないっ!!また行こうよ……!」
それでも、私は彼女が悪人だなんて思わない。アンちゃんは私のかけがえのない親友だ。今ならまだ、アンちゃんを無関係な一般市民に戻す事が出来るかもしれない。考えろ。考えて考えて考えて。咄嗟に思いついた案を口に出そうとしたその時だった。
「シャトー…………後ろ………………!」
背後から青緑色の何かが迫ってきた。驚いて振り返ると、そこに居たのは小さなリバイバーだった。二足歩行だが後ろ足にとりわけ目立つ鉤爪があるわけではない。何も考えていないような間抜けな表情とトサカで、何となくどんなリバイバーかは分かった。野良リバイバーはこの辺りでは珍しいが、一見して害は無さそうだ。
「アンちゃん。これはアンちゃんとエノキ君と私だけの秘密にしよう。エノキ君もきっと分かってくれてるから嘘をついてるんだよ」
「そんな…………無理だよ。エノキにはもうどんな顔して接すればいいのか分からない…………警察も優秀だから、そのうち私の元に辿り着く。そしたら……もう二度と…………えふっ、ぅぁあああああああああ!!!」
「アンちゃん!泣かないで!落ち着こう!」
大丈夫。きっと何とかなる。不安で自暴自棄になっている親友に、私は駆け寄って手を差し伸べた。瞬間、金属の軋む音共にアンちゃんの身体が急速に沈んだ。
「きゃあっ!!!」
「アンちゃんっ!!!!!!」
まだ届く。血の気が引いたアンちゃんの顔を横目に、私はギリギリで彼女の手を掴み取った。しかし突如、脳内に「ヴィジョン」が浮かんできた。アンちゃんの腕を掴んだ事でシャトーの足元に負荷が掛かり、足場が崩れてシャトーもまた落下する光景が、一瞬かつ鮮明に浮かんできた。落下する際の生々しい感覚に身体が強張る。
「………………………………あ」
意識が戻る。私の伸ばした手は、何も掴んでいなかった。いや、違う。掴んだのに離した違うこれは私の意志では決してなくて眼下に見える藤色の何かは決してアンちゃ「えっ、何で」んではなく「嫌っ、違うの!」て私は決して離し「アンちゃ」てなんていな「何で」くて「私」アンちゃんはきっとど「何でっ!!」こかに生き「嫌っ、嫌ぁぁぁぁぁ」て───────。
〜〜
工場に差し込んでいた夕日は沈み、代わりに窓からは近くの街灯の光が差し込んできた。煌びやかな赤紫色をした巨大な塊が視界の端に映ったが、『アタシ』が今気にするのはそこではない。1階に降り、「落とし物」を確認しようとする。視界の端にいた巨大な塊はアタシよりも先にその「落とし物」の元に赴いた。塊には大きな頭があって、しばらくその「落とし物」を観察した後にアタシにその顔を向けた。まるで「もう手遅れだ」と訴えるかのように。
「そう………………」
頬の熱さも湿り気も忘れて、工場を後にする。呼応するように後ろから付いてきた巨大な塊は、アタシが振り向くと同時にメダルとなって掌に収まった。何となく縁を感じて、それをポケットにしまう。来ていたリバーシブルのトップスを裏返し、赤紫色に染まったその髪を月光で照らす。帰宅すると、母が勢いよく駆け寄ってきた。
「シャトーっ!大丈夫だった…………って、その髪、どうしたの………………?」
「気にしないで。体質みたいなものだから」
「そんな体質聞いた事ないけど…………ねぇ、アンちゃんから連絡あったんでしょ?突然家を飛び出してったから何かあったんじゃないかって心配だったんだけど」
「何も無かったよ」
「そ、そう。とりあえず、夕飯食べちゃいな。パパももうじき帰って来るから」
「それじゃ、いただくよ」
「………………」
美味しそうだ。野菜炒めだろうか。香ばしい匂いが部屋を包み込んでいる。手を洗ったアタシは食卓に着き、箸を手に持つ。食材を口に運ぼうとするが、手が止まった。
「シャトー?」
「………………ごめんなさい。また後で食べるから」
「えっ?シャトー!?」
自室の扉を閉め、鍵を掛ける。扉の前で膝を抱える。
「アタシに全部押し付けて、いいご身分ね。『私』」
その日の夜は、パトカーや救急車のサイレンで終始騒がしかった。
〜〜
日も暮れてそろそろ夕飯を作る時間だ。長女は自室療養中。次女は家出中。父はもうすぐ会社から帰って来るだろう。ここで、家のチャイムが鳴る。応じられるのは自分しかいない。
「はい…………って、シャトー!?」
「短く済ませる」
玄関の扉を開けると、バリアフリーのスロープの向こうにシャトーがいた。髪を染めたのか、見た事のない赤紫色をしている。
「こんな時間にどうしたんだよ」
「エノキ。貴方は学級委員長」
「えっ、いや何を言って」
「アンズという女も、シャトーという女も、貴方の知り合いには居なかった。貴方の周りで変わった事は何も無い。変わらぬものだけ考えていれば良い」
「変わらぬもの……」
「これは『私』からの伝言だ。『巻き込んでごめんなさい』」
「……どういう事だ?」
「話は以上だ」
そう言って踵を返すシャトーの姿を、我慢出来ずに追った。
「おい待てシャトー(Château)!」
「今のアタシは『シャトー(Château)』じゃない」
そのシャトーと思わしき少女は振り返り、冷酷な瞳をこちらに向けた。
「『シャトー(Schatten)』だから」
次は、楽器篇かもしれないけど確実に長くなるので考え中