『遠く時の環の接する処で』【完結】   作:OKAMEPON

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『戦乱』

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 圧倒的に不利で絶望的な状況に、ルキナは既に慣れきっていた。

 物資の補給も儘ならず援軍などやって来る筈もなく、狼の大群に成す術もなく食い殺される羊の様な、そんな誰にもどうする事も出来ない様な絶望的な戦場で、戦い続けてきたのだから。

 

 が、しかし。不利な戦況、絶望的な状況、と言うものには慣れてはいたけれども、それはあくまでも屍兵を相手にしての話。

 属するものが異なる人と人同士が血に狂う様に殺し合う戦争には慣れてはいなかった。

 そもそも、ルキナが剣を手に取れる様になった頃には最早人間には『戦争』なんて起こせる様な余力が存在しなかったので、人同士の戦争に慣れる機会などある筈も無かったのであるが。

 と言っても、戦場において敵である人間の命を奪う事を躊躇している訳ではない。

 戦争には慣れていなくとも、ルキナの手は既に血で汚れていた。

 あの『未来』でどうやっても助けられない命を少しでも早く苦痛から解放してやる為にその胸に剣を突き立ててやった事は何度もあったし、この『過去』に来てからは傭兵の様に暮らしていた事もあって戦いの中で既に幾人もの命を奪っている。

 生きる為に、何時しかこの手は汚れ切っていたのだ。

 今更綺麗事でその事実から目を反らすつもりも無いし、それはルキナの矜持が許さない。

 しかし、剣を握る手や向ける切っ先に躊躇いは無いのだとしても、それでもやはり命を奪う苦しみは消える事など無かった。

 

 ルキナにとって、人間は全て等しく守るべき対象であった。

 あの『絶望の未来』では、生き残っていたのはその多くはイーリスの民であったとは言え、国を問わず様々な人々がイーリスの地を最後の生存圏として必死に生き延びようとしていたのだ。

 それを殺さねばらなぬ苦痛は、筆舌に尽くし難いものがあった。

 更には、ギムレーと言う人間ではどうする事も出来ない『絶望』その物を知っているだけに、こうして人間同士で相争いお互いを殺し合う戦争に意味など見出だせなかった事も大きいのであろう。

 ギムレーが甦ってしまえばこうして戦う者達も全て等しく死んでしまうと言うのに、そしてそのギムレーの復活はそう遠くは無いと言うのに。それでも、その事実を知らぬ人々は互いの命を貪り食らおうとする事を止めはしない。それが余りにも苦しかった。

 

 人馬の悲鳴が響き渡り血と泥が混ざった様な戦場を一迅の疾風の様に駆け抜けながら、ルキナはヴァルム兵達を斬り捨ててゆく。

 まるで壁の様に押し寄せてくるヴァルムの兵に対し、イーリスとフェリアの兵はそもそも数からして圧倒的に不足している。

 イーリスから遠く離れた大陸で、当然の如く地の利は相手側にあり、補給線を維持する事すら儘ならず、腹に二物も三物も抱えた南部諸国からの援助が生命線の一つ。

 不利なんて言葉では片付けられないこの状況で、どうにか勝ち続けていられるのはやはりルフレの力が大きいのだろう。

 イーリスの力を値踏みする様な南部諸国との交渉にも尽力し彼等から物資を引き出して軍を維持し、 ヴァルムが誇る騎馬隊などがその真価を発揮出来ない様な戦場を用意して策の力でヴァルム兵の暴威を殺ぐ。そうやって何とか勝ちを拾い続けていた。

 勿論ルフレ一人で軍を支えている訳ではないのだけれど、彼無くしてとてもでは無いがこの戦争に勝利する事は出来ないだろう。

『未来』に於いてイーリス側が勝つと言う結果を知っているルキナですら、いざこうして共に戦場に身を投じていると、今よりも遥かにイーリスが置かれていた状況が過酷だったあの『未来』でもヴァルム帝国相手にイーリスが勝てた事が信じ難い程だ。

『ルフレ』の存在の大きさを、ルキナは肌で直接感じていた。

 だからこそ、ルキナは『ルフレ』を許し難いのだ。

 クロムを裏切り殺した事がその最たる理由ではあるが、それだけではない。もし彼が裏切る事なくクロムの『半身』で在り続けていたのなら、ギムレーが甦ろうともあんな『絶望の未来』にはならなかったのではないかと。

 ルキナでは手に入らなかった世界を救えるかも知れない様な力を持ちながら、世界を『絶望の未来』に突き落とした事が。

 それは剰りにも罪深い事の様にルキナには思えるのだ。

 

 しかしそれと同時に、ルフレの傍に居る事で自分が知る『彼』の姿とはまた別に見えてきたものもあった。

 皆を死なせない為に何夜も徹して、まさに己が身を顧みずその命を削る様にして策を練り続ける姿も。

 兵力的に厳しいイーリスを支える為に、軍師でありながらも戦士として戦場に立ち、戦況を支え時に不利な戦局を自ら覆す姿も。

 それらは、ルキナが知る『彼』の姿には無かったものであった。

 そうしたルフレの姿を見ていると、何故彼がクロムを裏切り殺したのかが益々分からなくなってくる。

 

 それら全てが演技だと言ってしまえばそれまでなのだろう。

 だが、演技なのだとしたら逆に不自然な程にルフレは皆の為に一生懸命であった。文字通り自らの命を捧げる様にして、仲間をクロムを守る様に戦い続けているのだ。最初からクロムを裏切り殺すつもりだけであるなら、果たしてそこまでするのだろうか? 

 信頼させる為の演技、と言う可能性は否定は出来ない。

 しかし、信頼を勝ち取る為であるにしてはその献身は過剰と言えるだろう。だからこそ、時々。

 もしかして、ルフレは本当に心の底からクロム達を守ろうとしているのではないか、と思ってしまうのだ。

 ルフレが裏切り者であると言う、純然たる事実を知りながら。

 

 それこそが、ルキナにとっては何よりも恐ろしい事であった。

 

『その時』に確実に殺す為、ルフレの傍を離れる訳にいかない。

 だがこのままルフレの傍に居続けて彼の事を知っていった時。

 この手は迷い無くその首を刎ねる事が出来るのだろうか……。

 

 ルキナの胸の内に絶える事無く渦巻き続けていた復讐心に落とされたほんの一滴の迷いは、自分でも気付けない程静かにその波紋を広げていたのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

『未来』を『知っている』と言ってもルキナ自身がそれを体験した訳ではなく、人伝の話の中で得た知識でしかない。

 結局の所自らの血肉となった訳では無いそれらは、細かく歯が欠けてしまった櫛の様に不完全なものとしか言いようが無いものであった。だからこそ、取り零してしまったものは剰りにも多い。

『過去』に強く干渉してでも『未来』を変えようと決意して、こうして共に戦う事を選んでも、それで何処まで『未来』を変えられているのかは分からない。

 その結末を『知っていた』筈なのに助ける事が叶わなかった命があった。何も出来ずに卑劣な敵の策略により身内で喰らい合わせてしまった命があった。

 今更それを『もっとよく知っていれば変えられたのに』と無闇に嘆く程、ルキナの心に余裕がある訳でもない。

 本来人間が手を出す事など赦されぬ『やり直し』を選んでしまった自分には、嘆き立ち止まる事など赦される筈もなかった。

 自分が無力である事も、無知である事も、それは誰に言われずとも痛い程に分かっている。

 自分ならば思うがまま『過去』を変えて全てを救えるなどと、神をも恐れぬ自惚れを抱く事など、最初から出来る訳もない。

 ルキナの手は、何もその手では守れないのではないかと自分を疑ってしまう程に剰りにも小さい。

 そして、ルキナが掬い上げたいものは、剰りにも多く大きい。

 だからこそ一つ一つ天秤に掛けては、どうしても諦められないもの以外の全てを血を吐く様な想いで切り捨ててきた。それでも。

 それを止める事が出来なかったのは、ルキナが無力ながらもその身の程を弁えられぬ程に強欲で傲慢であったからであろう。

 

 そして、その傲慢さを貫き通したからなのか、ルキナはこうしてこの戦争の終末へと辿り着こうとしていた。

 伝聞でしか『知らなかった』戦争へと身を投じて、父とその仲間と……そして誰よりも憎い筈の人と共に戦場を駆け抜けて。

 決して少なくなど無い血を流しながら、ヴァルム帝国本土にまで乗り込み、そして覇王とまで称された皇帝ヴァルハルトをヴァルム城まで撤退させる事に成功した。

 最早戦争の趨勢は決し、帝都を幾重にも包囲されたヴァルハルトが戦況を引っくり返す目などある筈もなく。

 しかしそれでも、ヴァルハルトただ一人となろうとも、彼の皇帝さえ健在ならば、何れ程の劣勢でも打ち砕き、そして自らの覇を貫き通してしまえそうな……そんな圧倒的な覇気が彼の皇帝にはあった。

 だからこそ、彼の皇帝が降伏を選ぶ事など有り得ず、ヴァルハルトを討つ以外にこの戦争を終結させる術など無い。

 

 良くも悪くもヴァルハルトの圧倒的なカリスマ性を持つ覇道の下にヴァルム大陸の勢力図が支えられていた分、彼の皇帝が討たれた後にこの大陸に吹き荒れるであろう混乱を思うと、その選択はきっと最善の道ではないのだろう。

『未来』でのヴァルム大陸の政情はルキナには全く分からない事ではあったが、精強な軍勢を多く抱えていた筈のこの大陸がイーリスよりも遥かに早くにギムレーの手の内に陥落してしまったのは、戦争による軍の損耗と、その後に起こった政治的な混乱などがその要因となってしまったのではないかと、ルキナは今になってそう思う。

 

 ヴァルハルト自身は世界に混乱を撒き散らしたかった訳ではなく、彼は彼なりの信念信条に従って、自らの覇の下に成り立つ平等と平和を実現させたかったのだろう。

 その為に起こされた侵略戦争と、そこで流された血を思えば彼の皇帝の行為を是とする事は出来ない。

 しかし、ヴァルハルト自身としても、自分の信念に従って起こした戦争の結果がギムレーによる世界の破滅を後押ししてしまった事は、決して望む所では無かったであろう。

 ヴァルハルト自身が掲げていた信念が、『神に依らぬ人間による人間の為の統治』であったからこそ、尚の事。

 それを思うと、人の世の儘ならなさは本当に残酷なものである。

 人の世を想って為した行動が、結果としてギムレーと言う神の如き存在による世界の滅びへと結び付いてしまったのだから。

 

 ヴァルハルトが掲げる信念の良し悪しはルキナが判断する様なものではない。

 ルキナ自身は神竜ナーガを神として祀るイーリスに生を受けてそしてそこで育ってきた。

 神を信じ神に祈る事自体に疑問など持つ事もなく、ルキナは今日まで生きている。

 神竜ナーガは実体としてこの世に存在するのであるし、ルキナが時を超えた事も彼の竜の御業によるものだ。

 だがしかしそれと同時に、神竜ナーガが決して全知全能なる存在ではなく、また人が祈り望む程には人の世に干渉出来る様な存在ではない事も知っている。

 結局、人の世を支え動かせるのは神ではなく人自身だ。

 心の安寧の拠り所として『神』があるのだとしても、『神』に世界を明け渡してしまってはそこはもう人が生きる世ではなくなってしまうのかもしれない。

 神などと呼ぼうとは到底思えない程に邪悪な存在であったとは言え、ギムレーもまた『神』として祀られし存在だ。

 彼の邪竜を甦らせたのはギムレー教団であるらしいが、彼等が『神』に世界を明け渡してしまったからこそ、『未来』はああなってしまったのかもしれない。

 そんな『未来』は、ヴァルハルトにとっては最も否定しなければならない世界であっただろうに。

 ……もし何かの歯車が掛け違っていれば、もしヴァルハルトがフェリアへと侵攻しようとするのをもう少し遅らせていれば。

 甦ったギムレーに対して、聖王と覇王が手を取り合って立ち向かう様な……そんな可能性もあったのかもしれない。

 しかしそれは今となっては有り得ぬ夢物語だ。

 誰もが望まぬ結末へと進み行こうとするこの世界を止める為には、何を差し置いてもこの戦争をイーリスの勝利に終わらせなければならない。

 

 クロムの号令を合図に、イーリス・フェリア連合軍は雪崩れ込む様にしてヴァルム城へと突撃した。

 固く閉ざされた城門も瞬く間に破城槌と魔道士達の魔法の前に破られ、城内で待ち構えていたヴァルム兵達と激突する。

 ヴァルム側の勝ち目などもう無いこの戦闘でも、ヴァルハルトと死の運命を共にする覚悟に満ちた兵士達だ。

 その士気は恐ろしく高く、あの覇王が決戦の死地と定めたこの城を離れるなど殆ど有り得はしないだろうが、万が一にも退却し形勢を立て直す事を選ぶのだとすれば、誰もが捨て奸へと志願する事を厭わないであろう。

 ここまでの圧倒的な忠誠を兵達から得ている時点で、あの覇王は決して残虐な侵略者と言うだけの人物などではない事が分かる。

 彼の覇王もまた、時代に強い輝きを齎し人々を導く巨星であったのだ。

 それでも、互いに譲る事など出来ぬ信念と正義がぶつかってしまった以上は、どちらかを屈服させるまでは終われない。

 それこそが、戦争と言う人の業なのだろう。

 

 ルキナは先陣を切って敵陣へと切り込んで行く。

 一体何れ程斬り捨ててきたのかは途中から数える事を放棄してしまったので分からない。

 神竜の牙は扱う人を選ぶが、決してその切れ味が落ちる事などは無い事がとても有り難い。

 遥か古より連綿と続く長い歴史を物語るかの様にその威容を見せ付けていたであろうヴァルム城は、今や血の臭いで噎せ返りそうな程の狂乱の宴の場となっていた。

 ヴァルムの兵達は一人でも多くのイーリス兵を道連れにする事で主君への忠節を示そうと、文字通り命を捨てて襲ってくる。

 倒れた戦友の屍を厭わず踏み砕きながら迫るその姿には、戦場の悪魔が乗り移ったかの様である。

 しかし、そんな決死のヴァルム兵達でも、ルフレの策に守られたイーリスとフェリアの兵達に大きな損害は与えられない。

 あれ程までに分厚く行く手を遮っていた人の壁が、気が付けばいつの間にか薄くなっていた。伏兵も尽く排除して、少しずつ前線は城の奥へ奥へと押し込まれていく。

 

 その立場を考慮すれば本来ならば本陣で待機するべきなのであろうクロムやルフレも、前線に程近い所で指示を飛ばしながら道を切り開いていた。

 クロムがこうして出てきたのは、ヴァルハルトと完全なる『決着』を付ける為だ。

 生き残ったヴァルム兵に降伏を促す為には、自らの武の力で覇王となったヴァルハルトに、自らの力で相対せねばならない。

 そうでなければ、ヴァルム兵が本当の意味でこの戦争の終わりを受け入れられない。

 イーリス軍が去った後のこの地の事は、イーリスが口を差し挟める様なものではないけれど。

 それでも、一つの大陸を支配していたと言っても過言ではない偉大なる皇帝を討ち取ると言う事には、それ相応の責任と覚悟が必要であるのだ。

 しかし、ヴァルハルトは強い。

 数多の強者を見てきたルキナにとっても、あれ程までに一個人で完成された『武』と言うものは初めてだ。

 単純な武力とその研鑽と言う意味でなら、今のこの世にはヴァルハルトに比肩する様な者は片手で数える程居るかどうか。

 ルキナが知る最も偉大な剣の使い手であるクロムであっても、ヴァルハルトを相手にすれば勝てるかどうかの保証はない。

 

 しかし、元より個で完結するのではなく、仲間と共に力を合わせより大きな力と成す事を是とするクロムが独りでヴァルハルトと立ち向かう必要もない。

 これは、クロムとヴァルハルトの信念の戦いでもあるのだ。

 そして、クロムはその聖王と覇王の戦いを共にする者として、ルフレを選んでいた。イーリス軍の中で最もクロムを理解しクロムの力を引き出す事に長け、自らと力を合わせる事でその力を何倍にも引き出せるのは、間違いなくルフレである。

『半身』とすら呼ばれるその関係性は、決して伊達や誇張などでは無いのだ。

 自分では決して得る事は出来ないであろう類いの『信頼』をそこに見て、ルキナの胸は痛む。

 

 ルキナが『知る』『未来』でも、クロムとルフレは共に力を合わせてヴァルハルトを討ち取る事に成功した。

 だから、戦いの結末を心配していると言う訳では余りない。

 ……だけれども。ヴァルハルトを討ち、この戦争が終わると言う事は。

『その時』が。ルフレがクロムを裏切り殺す瞬間が、迫ってきていると言う事でもある。

 

 ペレジアにある『竜の祭壇』。

 そこに赴いたきり二人ともイーリスに帰ってくる事はなかった。

 帰ってきたのは父の手に最期まで在った筈のファルシオンだけ。

 クロムが誰よりも信頼していた者に裏切り殺された事を知ったのは、それから随分と後になっての事であった。

 …………少なくとも、そこに至るまでには。

 ルフレを、殺さなければならない。

 この手で、その命を断ち切らねばならない。

 待ち望んでいた筈の瞬間がもう間も無く訪れようとしているのに、ルキナの心は復讐を果たせるドス黒い喜びではなく、何故か重く苦しい痛みを訴える。

 

 二人で肩を並べる様にして強大なヴァルハルトに立ち向かう姿は、まるで英雄譚として語り継がれてきた場面であるかの様な錯覚すらルキナは感じた。

 三人の戦いはこの場の誰もが手出しを出来ぬ聖域の様でもあり、先程まではあれ程に死に物狂いでイーリス軍をヴァルハルトへと近付けまいと戦っていたヴァルム兵も、そして玉座の間に雪崩れ込んだイーリス兵もフェリア兵も、まるで痺れた様に三人の戦いを見守っていた。

 ルキナは、どのヴァルム兵達よりも近くで三人の戦いを見守る。

 無論、ルキナにその戦いに手出ししようなどと言う意図はない。

 元よりルキナ自身は『本来はそこに居てはならない者』だ。

 こんな、後世にまで語り継がれる様な戦いに加わる訳にはいかないのだから。

 純粋に、先陣を切っていた結果この玉座の間に飛び込むのが早かっただけでしかない。

 だが、そんな事情を知らぬ者にとって、誰よりも戦いの近くに佇み武器を手にしているイーリス軍の者はどう見えているのかは、ルキナの頭からは失念していた。

 

 

「ルキナっ! 後ろだ!!」

 

 

 まるで英雄譚の一幕の様な三人の戦いに思わず魅入られていた中で、まるで叫び声の様な切羽詰まったルフレの声がルキナの耳朶を打ち、ルキナは咄嗟に身を捻る。

 後ろから突き出された槍の穂は辛うじて避ける事が出来たが、如何せん体勢が悪い。

 返す様に振り払われる刃先を完全に避ける事は出来そうにない。

 剣を持つ利き腕だけは死守する様にして、腕一本を犠牲にしてどうにかその一撃を凌ごうとしたが。

 振り払われるその槍の切っ先がルキナの身を裂くよりも遥かに速く、後方から空を切る様に走った一条の雷撃が槍を振るうヴァルム兵の身を穿ち、大きく後方へと吹き飛ばす。

 ルキナを救ったその雷撃の元を辿ろうと、振り返ったそこには。

 

 ルキナの方へと行使した魔法の残滓の様な小さく弾ける雷を僅かに纏わり付かせた手を伸ばしていたルフレの無防備な背を狙って、ヴァルハルトが斧の一撃を振り下ろした光景があった。

 

 肉を叩き割り骨を砕いた音が響き、ルフレの身体はまるで紙屑の様に吹き飛ばされる。

 血を撒き散らしながら床に転がったルフレは、受け身を取る事も出来ずに床に叩き付けられた瞬間に衝撃に息を詰まらせ、咳き込む様にして荒く息をした。

 本当にギリギリの所で身を捻り致命的な部分からは攻撃を反らす事に成功していたが、それでももうヴァルハルトと対峙出来る様な状態ではない。

 即座に命に関わる状態ではなくとも、それでも早急に治療の杖で傷口を塞がなければ命を落とす危険性もあるだろう。

 

 

「ルフレ!!」

 

「僕の事は、良い!

 クロム、今は、君が成すべき事を!!」

 

 

 思わずと言った様に声を上げたクロムを、苦し気ながらも空かさずルフレは制す。

 ヴァルハルトはルフレの事に気を取られながら戦って勝てる様な相手ではない。

 ルフレの意思を汲んだクロムは唇を強く噛み締めながら、ヴァルハルトと相対した。

 

 一刻も早くルフレに治療を施さねばならぬからこそ、ルフレを救いたいならばヴァルハルトは少しでも早く倒さねばらない。

 ヴァルハルトの方は最早無力化したと言っても過言ではない状態のルフレに追撃を加えるつもりは無いらしく、もしそうだとしてもルフレの方へと気を向ければ直ぐ様クロムの剣がその胸を貫くであろうからどの道ルフレに止めを刺す事は難しい。

 しかし、この戦いの最中にイーリスの者がルフレへと治療を施そうとすれば、直ぐ様ルフレを殺すだろう。

 戦いに決着が着くまでは、誰も手を出す事は許されない。

 

 倒れたルフレを立ち竦む様に見詰めるルキナは、その指先一つ凍り付いてしまったかの様に動かす事が出来なかった。

 混乱の極みにあるその思考を支配するのは、『何故?』『どうして?』の言葉のみ。

 音として言葉にはならない乱雑な思考が、出口を失って意味もなく巡り続けていた。

 

 どうして、ヴァルハルトとの戦いよりもルキナの事などを優先したのか。どうして、自らの命を投げ棄てる様な真似をしてまでルキナを助けたのか。

 あのルフレが、ヴァルハルトと対峙する最中にあんな隙を見せればどうなるのかなど分かっていない筈がない。

 それに、ルフレが負傷すればその分クロムが不利になるのだ。

 クロムよりもルキナを優先したと言うのか……? 

 そんな、まさか……。

 万が一ルフレが本当に親愛の情をルキナに対して懐いているのだとしても、それでもルフレにとってクロムよりも優先されるなんて、そんな事が有り得るのであろうか? 

 ルキナは燃え滾る憎悪と殺意を研ぎ澄ませながらルフレの傍に居たと言うのに。

 自分を殺そうする相手を助けて、自分を死の危険に曝すなんて。

 それでは、剰りにも……。

 

 意味の無い疑問だけが後から後から湧いてくる。

 その疑問の答えは、ルフレにしか分からないと言うのに。

 それでも、今この場に於いては、ルキナは考える事しか出来なかった。

 倒れ伏したルフレの姿と、床を静かに汚していく赤い命の雫が、ルキナの目を捉えて離さない。

 名を呼び掛ける事すら出来なかった。

 きっと、今何か言葉を発しようとしたら、きっと意味の通らない程に混乱した音の羅列にしかならないだろうから。

 

 床に倒れるルフレを庇う様にして背にし、クロムはヴァルハルトと斬り結ぶ。

 ヴァルハルトの豪腕から繰り出される一撃一撃の重さは尋常ではなく、膂力には優れているクロムでさえほんの少しでも力を弛めればその攻撃を受け止め続けているファルシオンは弾き飛ばされてしまうだろう。

 歯を喰い縛りながら、クロムは必死に触れるだけでも即死に等しい攻撃を捌いていく。

 何とか繰り出した攻撃も、ヴァルハルトの堅牢な鎧に阻まれてしまい中々有効打とは成り得なかった。

 戦況としては追い詰められているのは間違いなくヴァルハルトである筈なのに、クロムを相手に一歩も引かない所か圧倒すらしてみせるヴァルハルトは、まさに覇王たる風格に満ち溢れていた。

 忠誠を捧げている主君の、まさに神話の英雄であるかの様な勇姿と鮮烈な戦いに、ヴァルム兵達は皆陶酔した様に絶対なる皇帝の姿を目に焼き付けている。

 

 

「どうした聖王を継ぐ者、『神』に選ばれし『英雄』よ! 

 軍師を喪った程度でその体たらくなのか? 

 その程度で我が覇道を破ろうなどと笑止! 

 所詮、貴様も『神』などと言う不純物無くしては何も成せぬ愚物であると言う事か!」

 

 

 吼えるヴァルハルトのその言葉には、彼の生き様その物の重みが籠められていた。

『神』の存在に縛られ己れを見失う人々の為に、自ら『神』をも超える覇王となって神を討ち、その覇道の下に人の為の世を作ろうとしているヴァルハルトの、信念そのものである。

 他を認めた上で自らの信念を貫き通し続けてきたその言葉は、例えその信念の為に夥しい程の血を流しているのだとしても、誰の心にも鮮烈な『何か』を残す強さがあった。

 それでも、クロムは自らの信念を貫く為にも、ヴァルハルトの覇道を受け入れる事は出来ない。

 

 

「いいや、『神』など関係無い! 

 俺は俺の意志でこの場に立ち、お前を討つ! 

 お前の覇道によって切り捨てられ様としている多くのものの為に、無辜の人々の願いの為に! 

 俺は、お前の覇道を受け入れる訳にはいかない!!」

 

「その意志や善し! 

 さあ、人の王よ、聖王を継ぐ者よ! 

 その信念が我が覇道に勝るかどうか、その力で示してみよ!」

 

 

 問答の直後、激しさを増した斬擊の応酬が玉座の間を揺らす。

 クロム達が勝ったと言う『未来』は知ってはいるが、果たして再びそうなるのかはルキナには分からないし保証など出来ない。

 この場にルキナが居た所為でルフレが倒れた事が、本来なら有り得なかったであろう筈の事が、何れ程この戦いの結末へ影響を与えるのかは未知数である。

 この場でルキナに許されているのは、戦いの結末を見守る事だけでしかなかった。

 

 幾合も打ち合い、その度に剣華を散らし。

 斬り結ぶその様は、一つ一つの動作の流れが絡み合ってまるで一つの舞を共に舞っているかの様ですらある。

 剣と戦斧の一撃一撃が大気を切り裂き、その激しい衝突の余波がビリビリと肌を震わせる程に強く伝わってくる。

 燃え盛る炎よりも尚激しく燃える二人の熱が伝わってくるかの様で、息をする事すらももどかしい。

 そんな中、もう幾度目かも分からない打ち合いで。

 ヴァルハルトが横薙ぎに左から振り払ったその一撃を、クロムはファルシオンの腹で受け止めた。

 が、少し受けた時の角度が悪く、衝撃を受け流し切れずにクロムは僅かに体勢を崩してしまう。

 その隙を逃さずに、ヴァルハルトは斬り上げる様にしてクロムの脇を狙おうとする。

 

 が、ヴァルハルトの刃がクロムの身に届くよりも先に、轟く様な雷鳴と共に強烈な雷の一撃がヴァルハルトを襲った。

 

 咄嗟に空いた腕を盾にしたヴァルハルトであったが、強力な電撃はそれでは防ぎ切れず、鎧を伝う様にしてヴァルハルトの全身を食らう。

 肉が焦げる様な臭いと共に鎧の隙間から白煙を上げたヴァルハルトであったが、それで強烈な闘志が潰える様な事もなくあれ程の衝撃を受けてさえも武器を手放す事はなかった。

 そしてヴァルハルトのギラギラと燃える鋭い眼光が、床に転がっているルフレへと射抜く様に向けられる。

 血溜まりの中に倒れ伏していた筈のルフレは、僅かに身体をもたげてその眼光を恐れる事無く見返す。

 そして、苦し気に咳き込みながらも、その名を叫んだ。

 

 

「クロ、ム──!!」

 

 

 大怪我を負い身動きすら儘ならなくなってすらも、逆転の一撃を与える機会を窺い続けていた軍師の、その努力と執念は今その瞬間に成った。

 裂帛の気合と共に斜めに斬り下げたファルシオンの一撃は、痺れた身体で迎え撃とうとしたヴァルハルトの武器を鎧諸共に砕きその下にある堅牢な肉体を深く切り裂く。

 そして続けざまに横薙ぎに振るわれた一撃は、ヴァルハルトの腰を叩き折り致命的な一撃を与えた。

 

 さしものヴァルハルトも、ルフレの雷擊によって既に内臓にまで大きなダメージを受けていた事もあって、クロムの二連擊によって崩れる様に仰向けに倒れ伏す。

 そして、自らの死を前にして、ヴァルハルトは己れの敗北を受け入れた。

 

 

 

「我が覇道を破るか……。見事なり、聖王を継ぐ者よ……そして……その精強なる兵たちよ……。

 我が覇道…………ここに尽きたり!!」

 

 

 

 怨みを述べるでもなく、唯々己れを打ち破る程の力を見せたクロムと、そして彼の仲間たちへの称賛を口にして。

 偉大なる覇王は、覇道に生きたその生涯の幕を閉じた。

 ここに一つの英雄の物語が、終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

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