『再会の祈り』
◆◆◆◆◆
目を閉じれば、何時だって鮮やかな程に彼の……ルフレの姿がそこに浮かぶ。
意志の焔が揺らめく様に秘められた、その穏やかながらも真っ直ぐな眼差しも。戦場で共に戦った時の頼もしいその背中も。ルキナの名を呼ぶその優しい声音も。手を触れ合わせた時のその温もりも。
忘れる事なんて決して出来ないその何もかもが。
思い出と呼ぶには剰りにも色鮮やかな質感を伴って、ルキナの心に深く刻み込まれていた。
優しい……とても優しい人だった。
何れ程傷付き苦しんだとしても仲間を慈しむ事を忘れず、その身の全てを擲ってでも友の為に尽くしていた。
優しいからこそ、犯してもいない『自分』の罪への呵責に、その心を追い詰めて。
……殺される為に、ルキナの傍に居てくれた。
そして……ルキナの手に掛けられる結末を望んでいたのに、何処までもルキナの心に寄り添おうとしてくれた。
……『生きていても良い』と願う事すら、自分に赦そうとは出来ない人だったけれども。
それでも、その心は何時だって本当は、『共に生きていたい』と叫んでいた。
……優しい人だった。
だからこそ、自分の全てを捧げて、折角手に出来た『共に生きる』と言う願いを手離してまで、『皆の為に』、その憂いを取り除く事を選んでしまったのだろう。
……誰一人として、彼に死んで欲しいなどと、その身を犠牲にしてまで「災厄」を討って欲しいとは、願っていなかった事を、彼自身が誰よりも理解した上で。
そこまでいけば、優しいと言うよりは「身勝手」やら「強情」やらと言っても良いのかもしれないけれども。
……いや、やはり彼が優しかったからこそなのだろう。
その選択の先に『死』……或いは『消滅』と言う結末が待つ事を、きっと彼は誰よりも理解していた筈だ。
『生きたい』と、あんなにも涙を流しながらルキナにそう答えた彼は……それなのに誰にも打ち明ける事無く、自身の『命の使い方』を決めてしまっていた。
そして、己の命の終わりを見据えてすら、彼の意志は僅かたりとも揺らぐ事は無かった。
それどころか、その身が消えていく中で彼が浮かべていたのは、恐怖でも哀しみでもなくて、僅かな寂しさと痛みと……そしてそれ以上の『幸せ』や『喜び』が混ざりあった穏やかな笑顔であった。
あの笑顔を思い出す度にルキナは、胸が抉られる様な「あの日」の絶望と哀しみも……思い出してしまう。
愛する人の消え行く間際にすら何も出来ずに、ただそれを見送るしか出来無かった事への無力感。一筋の髪すらも遺さず、この世から最愛の人が消失した事への絶望感。もっと前にルキナが何かを出来ていればあんな選択をさせずに済んだのではないのかと言う後悔と自責の念。
それらが沸き起こるのを、どうしても止められない。
ルフレ自身の意思で、その結末をも受け入れた上でそれを自ら選び取ったのだと言う事は理解しているのだ。
しかしどうしても、自分の所為でその道を「選ばせて」しまったのでは、と言う思いは拭いきれない。
『生きたい』と、あんなにもそう願っていたのに。
それでも自らの身を犠牲にする道を選んでしまったのは、その心を縛り続けていた枷をルキナが解く事が出来なかったからなのではないかと……そう思ってしまう。
自分を責め続けるその心のまま、その命を捧げる事を選んでしまったのなら…………。
……それは、覚悟と共にその道を選んだルフレの想いを、侮辱するかの様な考えであるのかもしれない。
しかし、そう思わずには居られないのである。
それは、『もしかしたらもっと何か、彼の為に出来たのでは』と言う、そんな思いからなのだろう。
実際そんな可能性など無いのだとしても……。
いや、そうであるならばこそ余計に、ルキナは自分を責めずには居られない。
……『死』と言うものは、何も特別なものではない。
誰にでも必ず訪れる『終わり』であり『別れ』だ。
ルフレが自ら選び取ったそれですら、この世界にとっては何て事も無いものであるのだろう。
ルフレがギムレーと共に消滅しても、夜明けは変わらず訪れ、時は止まる事も戻る事も……ルキナ達の悲しみに寄り添う事も無く、ルフレを『過去』へと残して進む。
ギムレーによる後の世の終焉が未来永劫に渡って完全に回避された……そんなこの世界にとって限り無い「祝福」が訪れてすら、今日と言う日は何も変わらない。
間違いなく「世界を救った」ルフレが、未来永劫に渡り英雄として讃えられるのだとしても。
この世界の「明日」が輝かしいものだとしても。
そんな事よりもただ……、ルキナ達は。
ルフレに生きていて欲しかったのだ、共に生きたかったのだ。
何時か必ず『死』と言う別れが訪れるのだとしても、それはずっと先の事であって欲しいと、そう思っていた。
それでもルフレは『死』を選び、そして後にはルフレだけが居ない世界のみが残されたのだ。
……時は等しく、全てを過去へと連れていく。
あの日時を止めたルフレと、今もその時の針を動かし続けるルキナ達の時間は離れていくばかりなのであろう。
ルキナ達に唯一遺された『記憶』と言う形の彼との縁ですら、優しくも残酷で平等な時の流れの中で、少しずつ薄れ行き、何時か彼を『過去』にしてしまうのだろう。
それは、耐え難い哀しみであると共に、『忘却』と言う名の残酷な「救い」の形であるのかもしれない。
その「救い」に身と心を委ねて忘れていく事もまた、一つの生き方ではあるのは間違いない。
人は優しい忘却の中に、大切な人との別離の苦しみを置いて……だからこそ生きていけるのだから。
……それでも。
ルキナには、どうしてもルフレに伝えたい事がある。
伝えたい想いが、伝えたい言葉が、この両手では抱えきれない程に残されている。
だからこそ、ルフレと繋いだ『絆』が、何時か奇跡を起こす事を信じて。
それが、何年、何十年と先の「未来」であるのだとしても、その「未来」に届ける為に。
ルキナは、ルフレに再び巡り逢える「未来」を信じて。
ルフレだけが居ない残酷な「今日」を、生きていた。
◆◆◆◆◆
ルフレがギムレーと共にこの世から消滅して、既に凡そ三年の時が過ぎていた。
三年の月日とは決して短いものではなく、まだ歩く事もままならなかった赤子が一人で立派に立ち跳ね回る様になる程の時の流れではあるのだ。
人は皆が多かれ少なかれ時の流れの中で変わっていく。
……それは「あの日」からずっと心の時の針を押し留め続けているルキナであっても、例外ではないのだろう。
あの日ギムレーとの決戦の為に集っていた仲間達、は各々自らの居場所へと戻り各地へ散っていた。
ルキナはと言うと、最初の一年は主にイーリスに……クロムの傍に留まり彼を待ち続けていたのだが。
二年が過ぎた頃から、ルフレと共に過ごしたその旅路を辿るかの様に、各地を旅していた。
初めて出会ったイーリスの森から始まり、フェリア、ペレジア、ヴァルムと、その足跡を辿っていく。
……戦いばかりの日々であったけれども、そんな日々ですら思い返せばルフレと過ごした時間は愛しくて。
何れも、宝物の様な『思い出』であった。
ルフレと共に過ごしてきたその『記憶』の足跡を辿り始めた事に、深い理由は特には無かった。
当初は、ルフレの事を忘れたりしない様に思い出す為、とか……そんな目的であったと思う。
しかし、旅を続けていく内に。
この旅路を行けば、その先の何時か何処かで、ルフレに再び巡り逢える様な……そんな気になり始めていた。
各地を巡りながら、あの戦いを共にした仲間達を訪ね、そして彼等と共にルフレの話をする。
そうする事で、少しでも早く。この世界から消えてしまったルフレを、仲間達と繋いできた『絆』が手繰りよせてくれるのではないかと……そう思うのだ。
ルキナは、例え何年でも何十年でも、この命ある限りルフレを待ち続けようと決めていた。
あの日の覚悟は、その決意は、今も全く変わらない。
この世に不変のものなど存在し得ないけれど、きっとこの想いは限りなく『永遠』に近いものであるのだ。
そして、願い信じて待つだけの日々であっても、それは決して『不幸せ』と言う訳でもなくて。
寧ろルフレを想う事が出来る事は、ルキナにとっては『幸い』な事でもあった。
それでも時々、訳も無く胸が締め付けられるように、声を上げて泣き出してしまいたくなる程に哀しくなる。
涙を零すのはルフレに再び巡り逢えたその時だと決めたから、何れ程哀しくても決して涙を流す事は無いけど。
それでも、どうしようもなく逢いたくて、寂しくて。
無性に哀しくなる瞬間は、まるで引いては打ち寄せてくる波の様に、静かに幾度と無く訪れるのだ。
「……ルフレさん……、逢いたいです、また……」
ポツリと呟かれたその言葉を耳にする者は居ない。
また、逢いたい。
もう一度、あの優しい微笑みに巡り逢いたい。
そして今度こそ……『共に生きたい』と言う……彼のその優しく切実な願いを、叶えたいのだ。
それは途方もない「奇跡」の果てにしか叶わない事で。
……それでも何時か必ず叶うと、ルキナは信じている。
何故ならば、ルフレは確かに『生きたい』と願っていた、『また逢いたい』と……最後にそう想っていたのだ。
例え自ら命を捧げる道を選んだのだとしても、その想いが最後まであったのなら。ルキナ達へ向かう想いの糸があるのなら、『未練』と言う名の『希望』があるのなら。
きっとそれを手繰る様に、ルフレは再びこの世界へと帰って来れるるのではないかと……そうルキナは想う。
ルキナがルフレに出来る事は、信じる事と、想う事。
……そして、決して忘れない事しかない。
こうも想い続けてしまうのは、きっとどうしようもなくルフレの事を『愛している』からこそで、故にただそれだけの事に、ここまでも執着し願ってしまうのだろう。
そこに『愛』が、『絆』が、『想い』があっても。
どうにもならぬ事など幾らでもあるのだろうけれど。
それでも、この願いだけは……その果てに訪れるであろう「奇跡」だけは、必ず叶うと信じていたい。
何時かの未来、遠くない明日に。
大切な人に「おはよう」と言える日が、この手の中にその温もりを確かめられるその時が、必ず来るのだと。
それは叶うとしても、ルキナがうんと歳を取り、もう余命幾許も無いような老婆になる頃にやっと叶うのかもしれないような「奇跡」であるのかもしれないけれど。
それでも、願わくは。
二人で一緒に歳を重ねていける様に……。
優しい彼が誰かに置いて逝かれる悲しみに……そして独り残される苦しみを少しでも味わう事の無い様に。
二人の時間がこれ以上引き裂かれる事の無い様に。
……少しでも早く帰って来て欲しいと、そう願う。
だからその日を少しでも早くに手繰り寄せる為にも、今日もルキナはルフレを想うのだ。
◆◆◆◆◆
結局の所、それは自分の我が儘にしかならないのだろうと言う事は十分に理解していた。
皆を苦しめる事を、悲しませる事を……。誰よりも大切な存在であるルキナに、絶望を与えてしまった事を。
どんな言い訳を並べ立てるのだとしても、それを正当化する事など出来る筈もない。
ギムレーを完全に滅ぼして千年先へと禍根を残さない為にとは言え、その千年先の為に、「今」何よりも大切な存在達の心を傷付ける様な道を選んでしまったのだ。
例え誰にその選択を肯定されるのだとしても、ルフレ自身だけは、絶対にその選択を赦してはならない。
ルキナ達と共に生きて、そして同じ時の流れの中で共に死ぬ未来も確かに在った筈なのだ。
それなのに、その全てを投げ棄てるかの様に、ギムレーを討つ事を選んでしまった。
それを選んだ理由もまた、我が儘なものでしかない。
遠い未来の破滅の所為でルキナの笑顔を曇らせたくないと言うその選択は、余りにも矛盾に満ちていて。
もっと直接的な悲しみを、ルキナに与えてしまった。
何時かルキナ達ならば、『死』の離別の苦しみや哀しみを乗り越えられるからと、そう思ってはいたけれど。
その思い自体が酷く傲慢なものであるのだろう。
悲しみを乗り越えられるのか否か、或いはその方法すら、人は其々違うのだから。
乗り越えてくれると言う『期待』……いや傲慢な『過信』は、結果として大切な皆に、取り返しの付かない苦しみと傷を与えてしまっただけであるのかもしれない。
それでも……ルフレは選んだのだ。
その先の結末も、自らに訪れる終わりも、全て見据えて納得して受け入れた上で。
ルキナによって心の呪縛からは解き放たれていたけど。
それでもやはり、ギムレーの存在に、その行いには、ルフレ自らが果たさねばならない責務というものがあり。
同時に、この世でただ一人。
それこそ過去未来全てに至って唯一かもしれない程の奇跡の様な可能性の果てに。ルフレの手にはこの世の「在り方」を一つ決定付けられる力が与えられていたのだ。
千年先の未来が必ず滅びると決まった訳ではない。
しかし、逆に言えば滅びないと断言する事も出来ない。
そうでなくとも、千年毎に訪れる『滅び』の何処かでは、ギムレーによって何も出来ないままに完全に世界が滅ぼし尽くされてしまう事も有り得るのだろう。
未来は未確定だからこそ、その可能性を否定出来ない。
無論、千年の繰り返しの何処かで、ギムレーとは全く関係無い要因によって、あっさりとこの世界が滅びてしまう事もあるのかもしれない。
ギムレーの復活とは全く無関係に、戦争を繰り返しては互いに相手を殺し合う事を止めなかった人々ならば、ギムレー以外の要因で滅びの運命を辿る事も、そう有り得ない話でも無い様に思える。
それでもやはり、「自分自身」ともいえるギムレーの手でこの世界が滅びるのは、ルフレにとっては到底承服し難い程に耐えられない事であったのだ。
しかし、それを自分自身で選んだ筈なのに。
ルフレにはどうしても最後まで捨てきれなかった想い、……『未練』と呼ぶべきモノがあった。
愛する人と……ルキナと、共に生きたいと言う願い。
ルキナに伝えたい言葉が……伝えなくてはならない『想い』が、まだ沢山あったのだとう言う『後悔』。
そして……もう一度巡り逢いたいと言う……そんな途方もない願いが、最後までこの胸の中に残っている。
もう、自分は消滅するのを待つだけの身であるけれど。
それでもこの想いが叶うなら、この願いが届くなら。
もう一度…………──
消えゆく意識の片隅で。
蒼く輝く蝶が、何かを導く様に舞ったのを目にして。
最早「意識だけ」の存在であった筈のルフレは。
それでも言葉に出来ぬ『何か』に突き動かされる様に。
その蒼く輝く蝶へと、静かに手を伸ばした──
◆◆◆◆◆