『絶望すら果てる場所で』【完結】   作:OKAMEPON

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『温かな絶望を抱き締めて』

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 貸し与えられた家は、古ぼけてはいたものの存外造りはしっかりとしていて、小さいながらも湯槽を備えた風呂場までもが用意されていた。

 長旅ですっかり汚れていただけに、風呂があるのは有り難い。

 空き家とは言っていたが、恐らくは今までも雇入れた傭兵などの住まいとして提供されていたのだろう。

 それなりに最近に人の手が入っていた跡もあって、掃除などは最低限で済んだ。

 

 

「おかーさん、あたまながしてー!」

 

「はいはい、マーク。

 ちゃんと目は閉じていて下さいね」

 

 

 はしゃいだ声を上げるマークの泡だらけの頭を、手桶に汲んだ水で洗い流してやる。

 身体を洗うのに使っているのは粗末な石鹸だが、無いよりはずっとマシだ。

 汚れを落としてスッキリしたのか、マークはパタパタと小さな翼を動かした。

 もう慣れたとは言え、外に居る時は服の下に隠した窮屈な状態のまま翼を全く動かせないのは中々ストレスになるのだろう。

 こうやって二人きりの時には、気兼ねなく翼を晒せるのがマークは嬉しいらしい。

 ルキナの髪色と同じ色の羽に覆われた翼を優しく撫でてやると、マークは擽ったそうに愛らしい笑い声を上げる。

 マークが『人』ではない事を雄弁に示す翼ではあるけれど、ルキナとしては可愛い娘の身体の一部である事には変わらない。

 濡れた髪の間から覗く小さな角も、背中に数枚生えた鱗も。

 どれもが、愛しく思えるものだ。

 

 ……もしそれらが無かったら、と思ってしまった事はある。

 そうならば、例え邪竜の血を引く事に変わりが無いのだとしても、マークも『人』の中で生きやすかっただろうに、と。

 でもだからと言って、マークの角や翼を切り落としたりしてまで『人』に似せようと思った事は一度たりとも無かった。

 娘の身体と心を傷付けてまで、『人』と言う形に固執するべきだとは到底思えなかったのだ。

 

 …………結局の所、マークが何の気兼ねも無しに思うがままに生きられる場所は、この世界にはギムレーのもとにしか無いのだろう……とは、ルキナももう気が付いていた。

 

 だがそれでも、ルキナにとってギムレーは憎悪すべき存在だ。

 両親を奪い、未来を奪い、そしてルキナから愛していた人を奪い……ルキナの愛するものを、ルキナの全てを奪っていった。

 

 ギムレーが居なければ、取るに足らぬ小娘だとルキナを嘲笑っていたあの邪竜が、態々未来からその取るに足らぬ筈のルキナを追い掛けて来ていなければ、と。

「あの日」ギムレーがあの場に居なければ、もしくはルキナ自身がその存在の可能性に気が付いていれば。

 ……一体幾度そう思ったのだろう、自分を責めただろう。

 もう一度時を巻き戻せるのなら、あの日ギムレーの魔の手からクロムとルフレを守れるのにと、幾度考えたのだろう。

 

 憎くて、許せなくて、殺してやりたくて。

 それなのに、ルキナの意志も抵抗も踏み躙られ、邪竜と肌を幾度となく重ねさせられた事が、耐えようも無く辛かった。

 ルフレと同じ顔なのに、ルフレと同じ声なのに、それでも決定的に中身が違う存在。

 ルキナにとっては、愛した男の『紛い物』の様なモノ。

 

 だけれども──

 

 せめてもの矜持としてその首元を噛み千切ろうと全力で抵抗して暴れるルキナの口許を、少し強引ながらも優しく塞いだあの邪竜が、優しい蜂蜜色だったルフレの瞳とは似ても似つかぬ紅い瞳を、何故か哀し気に揺らす度に。

 どうして? と叫びたかった。

 どうしてそんな目をするのだ、どうしてルキナを気遣う様な優しさを垣間見せるのだ、と。

 邪竜からすれば、ファルシオンを持たぬルキナなど何の力も無い小娘であろうに。

 ルキナのその身を蹂躙する事など容易く、そして人の心を顧みる事などある筈も無いだろうに。

 お前は、私の愛した人ではないのに……愛する『ルフレ』を食い潰した只の怪物でしかないのに、どうして、と。

 

 ギムレーは悪だ。

 ルキナから全てを奪った、赦す事など不可能な怨敵だ。

 それなのに、どうして、何故。

『ルフレ』の面影が、そこに重なってしまうのだろう。

 まだ、居るのだろうか? 

 あの邪竜に喰われても尚、その心の何処かに、『彼』の心が……今も消える事なく幽かにでも残されているのだろうか……? 

 何度そう問い掛けそうになった事だろう。

 結局その疑問の答えは、分からないままだった。

 

 ルキナがギムレーを赦す事はないだろう。

 それでも、愛した男の面影を求めて、ほんの僅かな未練とも期待とも付かない感情を、あの邪竜に抱いてしまっている。

 そして……『人』の醜悪さに触れる中で、ルキナが抱いてしまったその感情は少しずつ少しずつ別の『何か』へと芽吹こうとしていて……。

 その『何か』が《何》であるのかを知るのが恐くて、ルキナは己の目をその感情から反らし続けている。

 ギムレーは、憎い仇、憎悪すべき存在。

 自分があの邪竜にそれ以外の感情を抱くなど、有り得ない筈なのだから。

 

 ……しかし、何時までもこうして放浪し続けるのも限界があるのにもルキナは気付いている。

 ウードに見付かってしまった以上、かつての仲間たちにもルキナの生存は直ぐ様伝わってしまうだろう。

 そうなれば、彼等は必ずルキナを探す。

 この世界には最早、ギムレーを討つ術はルキナの手の中にしか無いのだから。

 そうなれば、何時までも逃げ隠れする事は不可能だ。

 早晩、ルキナは仲間達に捕まり王都へと連れ戻されるだろう。

 ルキナを捜そうとする仲間達に悪意は欠片も無く、ただただ人の世を救う為で……《大義》は彼等の側にある。

 しかしその《善意》と《大義》がマークを殺すのならば、ルキナはそれを受け入れる訳にはいかない。

 

 どうするべきなのか、どうしたら良いのか。

 八方塞がりのこの状況を打開する術も策も、ルキナには何一つとして思い付けない。

 ルキナはただこの手の中の命を守りたいだけなのに──

 

「おかーさん……」

 

 濡れた身体を拭いて乾かし寝間着代わりの質素な服を纏ったマークが、ルキナの寝間着の裾を引っ張りながらルキナを見上げてくる。

 その表情は、何処か浮かない。

 

 

「どうかしましたか、マーク?」

 

「あの、ね……おかーさんが、おともだちとケンカしちゃったの、マークのせい……?」

 

 

 そう問うマークはうるうるとその目に涙を浮かべ、背の翼も力無く萎れている。

 そんな様子が痛ましくて、そんな事は無いのだとルキナはマークを抱き締めた。

 

 

「いいえ、マークの所為なんかじゃありません……。

 それに、ウードと私はケンカした訳ではないですよ」

 

「でも、おかーさん、おともだちとおはなししているとき、かなしそうだった……。

 ……いっつも、そう。

 マークがはねとかつのとかみつかっちゃうたびに、おかーさんもひどいめにあう……。

 マークにはねやつのがあるのが、ダメなの? 

 マークは、『いきていてはいけないじゃあくなもの』なの?」

 

 

 ボロボロと涙を溢しながら、マークはルキナへと縋り付いてしゃくり上げる。

 少し前までは優しく接してくれていた人達が恐ろしい何かに刷り変わった様な形相でマークの存在自体を責め立ててくるその光景は、既にマークにとっての根深いトラウマになっていた。

『生きていてはいけない邪悪なモノ』。

 幾度となくそう言った類いの言葉を、マークは容赦なくぶつけられてきた。

 その度にそんな事は無いのだと、そうマークを諭してきたのだけれども……。

 

 

「そんな事は……! 

 そんな事は、有り得ませんっ。

 マークは、私の大切な娘です。

 大事な大事な宝物なんです。

 だから、そんな事は言わないでください……」

 

「でもっ、でも……。

 みんなそういうよ? 

『かいぶつ』だって、『あくま』だって……。

 マークのせいで、おかーさんがせめられるの、やだよ……。

 おかーさんはなにもわるくないのに……。

 わるいのは、マークなのに……」

 

 

 違うのだと、ルキナは叫びたくなった。

 マークがそんな目に遭っているのは、そんな思いをさせられているのは、結局の所ルキナの所為だ。

 ルキナが自分のエゴでマークを連れ出したから……だからこそマークにその様な苦痛を強いてしまった。

 人々の悪意の棘が、幼い心に消えぬ傷痕を付けてしまった。

 

 悪くない、絶対にマークは悪くないのだ。

 

 マークは誓って誰かを傷付けた事は無い、人々の悪意に晒されてはその恐ろしさに縮こまるしか出来ない幼い子供なのだ。

 それなのに、自分の存在を『悪』なのだと、涙ながらにマークは言う。

 その心に刻まれた目に見えぬ傷痕から血を流しながら、自分の所為だと責め立てる。

 その悲痛な姿に、ルキナはもう言葉もなく涙を流すしかない。

 

 一体、何が『悪』だと言うのだろう。

 そもそも、『絶対的な悪』など、何処に存在すると言うのだ。

 ルキナにとっては、こんな子供にすら容赦なく悪意をぶつけ排斥しようとする人々こそが、『怪物』や『悪魔』だった。

 自らの悪性をさも善であるかの如く嘯く彼等の方が、邪悪なモノではないのだろうか? 

 

 

「ごめん、ごめんなさい……マーク……」

 

 

 温かなその身体を抱き締めて、ルキナはマークに謝罪する。

 どうしてあげれば良かったのだろう、どうしてあげれば良いのだろう。

 何処に行けば、マークを『幸せ』にしてやれるのだろう……。

 誰か教えてくれ、とルキナは声無き悲鳴をあげる。

 

 その時だった。

 少々乱暴に家の戸口が叩かれる音がした。

 

 空かさずルキナはマークから手を離し、何があっても良い様に壁に掛けてあったマントを羽織り、腰にファルシオンを佩く。

 そしてマークにもマントを羽織ってフードを被る様に素早く指示を出した。

 泣き腫らした顔でも確りと頷いたマークは、言われた通りにマントを身に付けて顔を隠す。

 それを確認してから、ルキナは慎重に戸を開けた。

 

 

「ああ、夜分遅くにすみませんね。

 少し、お尋ねしたい事がありまして」

 

 

 やって来たのは村長であった。

 だが、何か様子がおかしい。

 相手に気取らぬ様に警戒しつつ、ルキナは決して中には立ち入らせない様にしてその用件を聞く。

 

 

「剣士様のご友人であったのですね。

 もしやとは思いますが、剣士様と一緒に村を離れるおつもりですかな?」

 

「いいえ。彼とは行きません。

 暫くの間は、この村で用心棒をさせて頂きます」

 

 どうやら、折角雇った用心棒が逃げてしまわないかを警戒していたらしい。

 ウードと共に王都へ行くつもりは一切無いので、そう長い間でも無いが暫くはこの村で日々の糧を得るつもりであった。

 

 そう答えると、村長はニッコリと微笑む。

 

 

「成る程、それは重畳。

 ところで、この村はかつてのペレジアとの国境の近くにありましてな、世の中がこの様に変わり果ててからと言うもの、ペレジアの方から流れてくる人も居る訳です。

 特に、この一年程の間でペレジア内の状況は極めて悪化したらしいですからなぁ……。

 かなりの数の人々が、ここに流れて来ました」

 

 

 村長の言いたい事が読めず、ルキナは思わず訝し気に眉を寄せてしまう。

 ペレジアから人々が逃げてくる事自体はそう可笑しくはない事だが、イーリスの村や街に流れ者に食わせてやれる様な余剰分の食料はそう残されてはいない。

 それは特に王都から離れた辺境だと特にそれは顕著だろう。

 用心棒などの様に『有益』と判断された者達ならばともかく、そうで無い限り村や街が流れてきた人々を受け入れる事は無い。

 結局、住んでいた村や街を追われた時点で、その人々が生き抜ける可能性は限り無く低くなるのだ。

 ……そんな人々が流れてきたから、どうだと言うのだろう? 

 ……いや、何かが引っ掛かる。

 だが、その僅かな「引っ掛かり」が何なのかを考えるよりも先に村長が言葉を続け、それに気を取られてしまった。

 

 

「流れてきた人々の中に、奇妙な事を言う者が居ましてな。

 曰く、その者は子連れの女であり、流れの用心棒をしている。

 曰く、女が連れているのは『悪魔』の子である。

 曰く、その『悪魔』の子が、村に屍兵を呼んだのだと──」

 

 

 ゾワリと背筋が粟立った。

 不味い、と反射的にマークを抱き抱えて逃げようとする。

 が、それは戸口や窓を乱暴に蹴破って中に雪崩れ込んできた村の男連中によって阻まれた。

 

 

「おかーさんっ!!」

「マークっ!」

 

 

 男達に乱暴に取り押さえられたマークが、悲鳴を上げて小さな手を精一杯に伸ばしてルキナに助けを求める。

 何とか男達の手からマークを取り返そうとルキナも足掻くが、如何せん多勢に無勢であり、自身も取り押さえられない様にするのが精一杯だった。

 ファルシオンを抜いて斬り捨ててしまえば良いのだろうが、人を相手に剣を向ける事はどうしても僅かに躊躇してしまう。

 そしてその躊躇いを嘲笑うかの様に、男達の無遠慮な手がマークが纏うマントを剥ぎ取り、乱暴に服を引き裂いた。

 途端に顕になるマークの小さな翼と角に、男達の間にどよめきが広がり、そしてそれは直ぐ様凶悪な敵意となる。

 我が子への狼藉に対する剰りの怒りに、ルキナは視界が真っ赤に染まった様にすら感じた。

 

 

「悪魔だ」「化け物だ」

 

 

 そう口々にマークを罵る男共のその口を、ファルシオンで斬り裂いてやりたい衝動にかられる。

 

 

 

「マークを、私の娘からっ! 

 その薄汚い手を離せっ!!」

 

 

 躊躇いをかなぐり捨ててファルシオンを抜き放ってそう吼えたルキナに、村長は悍ましいモノを見る様な目を向けてきた。

 

 

「この様な穢らわしい『化け物』を、この村に居着かせる訳にはいかないのですよ。

 子供の姿だからと言って、『化け物』である以上は油断なりませんからね。

 少々予定よりも早いですが、あなた方には消えて頂いた方が良さそうですね。

 あの王都から来た剣士様と繋がりがあったのは想定外でしたが、何やら訳ありの様子。

 現に、その様な『化け物』を連れ歩いていたのは事実なのですし、問い質された処で幾らでも誤魔化せるでしょう」

 

 

「この村を滅ぼそうとしていたに違いない」「化け物め」

「こんな化け物、処刑するしか無い」 「火炙りだ」

「女も殺せ」「何時もの様に潰して使っちまえ」

 

 

 熱気に浮かされた様にそう口にする男達の姿は、ルキナにとっては理解し難い程に醜悪なモノに見えた。

 いや、真実彼等の方こそ、『化け物』なのだろう。

 その心に、醜悪極まりない『化け物』を飼っているのだ。

 

 ルキナの中で、何かの枷が外れた音がした。

 ああ、一体自分は何を躊躇っていたのだろう。

 今自分の目の前に居るのが、『ヒト』だと言うのだろうか? 

 悍ましく醜悪な心を隠そうともしない汚物が、『ヒト』だと? 

 否、断じて否だ。

 

 視界が切り換わったかの様に、晴れ渡る。

 ルキナには、最早この目の前の存在を、『ヒト』としての『同朋』とはもう認識出来なかった。

 ただただ醜悪なだけの、害虫と同程度にしか思えない。

 だからこそ、今から自らが行う事に何の躊躇いも無かった。

 

 一呼吸で一気に距離を詰め、マークの頭を取り押さえている男の手首を断ち切る。

 そのままの勢いを保ったまま、今度はマークの右肩を押さえる手を肩から切り裂き、マークの左腕を押さえている男の首を刎ねる。

 そして近くに居た男を蹴り倒して、ルキナは漸くマークをその手の中に取り戻した。

 飛び散った鮮血に身体が赤く汚れてしまったマークは、ルキナの腕の中でふるふるとその身体を恐怖で震わせて、必死にルキナの服にしがみついている。

 

 

 ああ、こんなにもマークを怯えさせて──

 

 頭が冴え渡っていく様にすら、ルキナは感じた。

 怒りとも憎悪とも取れぬ感情は止め処無く沸き上がっているのだが、それと同時に目の前の害虫達をどう殺してやれば良いのかが手に取る様に思い浮かぶ。

 元々、歴戦の戦士であるルキナと、戦う力などロクに無い辺境の村人では、そもそも殺し合いにすらならない。

 マークを人質にしてルキナを嬲ろうとしていたのかもしれないが……こうしてマークを取り戻した以上それは不可能だ。

 そして、ルキナには最早この場の村人達を誰一人として生かしておくつもりは欠片も無い。

 村人達に待つのは、逃れる事の出来ぬ一方的な虐殺だ。

 何れ程理不尽な目に遭ってきても、決して力無き人々には剣を向けようとはしなかったルキナの心理的な枷が外れてしまった時点で、最早村人達の未来は決したのだ。

 

 

「ひっ、ヒィィィッ」

「痛いッ、イタイイタイイタイ」

「止めてくれ、助けてくれ!」

 

 

 害虫達が聞くに耐えない雑音を上げて逃げ惑う。

 それらを丁寧に一人一人斬り捨てながら、ルキナは腰を抜かして地面にへたりこんだ村長へとファルシオンを向けた。

 

 

「あっ、あっ」

 

 

 最早命乞いの言葉すら出てこないのだろう。

 村長は意味の無い言葉を漏らしながら、後ろ向きに這う様にしてルキナから逃げ出そうとする。

 その左足を、ファルシオンで地面に縫い止めた。

 

 

「ギャァァァァァァァッッ!!」

 

 

 激痛に絶叫しながら、村長はのたうち回る。

 耳が腐り落ちそうになる程に汚い絶叫だ。

 首を刎ねれば、静かになるだろうか。

 

 そう思ってファルシオンを振りかざす。

 が──

 

 

 

「何をしているんだ、止めろルキナッ!!」

 

 

 男達が虐殺されその絶叫が響き始めてから、漸く隣で起きている異常を認識したのだろう。

 武器を手にしたウードが隣家から飛び出てきて、村長を殺そうとしているルキナを止める。

 ……いや、ウード程の戦士がそんな腑抜けている筈も無い。

 ああ……ウードに一服盛るか何かしたのか、と。

 ルキナは熱を喪った眼差しを、その足元で這うしか出来ない害虫に向けた。

 そして返り血を全身に浴びて紅く染まった凄惨なルキナの姿に、絶句しているウードに、ルキナは首を傾げる。

 

 

「止める? 

 ウード、この男達は、マークを殺そうとしたのですよ? 

 無抵抗のマークを、何もしていないマークを。

 無理矢理に押さえ付けて、乱暴に扱って。

『化け物』だと『怪物』だと『悪魔』だと罵って。

 火炙りにしようと処刑してやろうと……。

 止めると言うのならば、……貴方であっても斬り捨てます。

 それでも、止めますか?」

 

 

 そう訊ねてみると、ウードは言葉を喪ったまま固まる。

 そんなウードに一つルキナは笑いかける。

 

 

「それに……。

 私の勘が外れていないのならば、この村は相当醜悪な方法で存続してきたみたいですよ。

 流れ着いてきたぺレジアの人々をどうしました? 

 以前にこの村に居た傭兵は? 

 身ぐるみを剥いで捨てましたか? 

 それとも殺してその肉を食べましたか? 

 この大地の実りの乏しい時代に村の畑は十分な収穫を得られている様ですが……死体の欠片でも肥しにしましたか? 

 人の骨も細かく砕けば良い肥料になりますしね」

 

 

 どうなのですか? と足元に這う害虫に微笑みながら訪ねる。

 害虫は何も答えなかったが……蒼褪めたその顔が答えだろう。

 

 ……別に、今の滅び行く世界では、食人も村ぐるみの追剥も、多くは無いが決して無い訳ではない。

 この一年程の放浪の中でも、死体を貪り食って命を繋いでいる者達の姿を見た事はあったし、その死体を肥料などに利用している所も見た事はあった。

 だから、別にその事に関して義憤に駆られたり、人倫に悖る行為を糾弾したいと言う訳でもない。

 そもそも、『この世界の未来』よりもたった一人の愛娘を選んでしまっているルキナには、その様な事に憤る資格すらない。

 だから、この村の人々を殺した理由は、マークを傷付けられたからに他ならない。

 そして、今のルキナにとってはただそれだけで十分なのだ。

 

 何も知らずにこの村の畑で獲れたものを口にしていたのか、言葉を喪い口元を覆って吐く様に嘔吐いたウードには、もうルキナを止める意志は無いのだろう。

 ルキナは喚き続けている害虫の首を一刀の下に刎ねた。

 地に落ちた首は、血の糸を引きながら転々と転がって行く。

 最後の害虫の身体が力を喪って地に倒れ伏したのを見届けて、漸くルキナは肩の力を抜いた。

 一先ず襲ってきた村の男達はこれで全員殺したが、まだ他にも居ないとも限らない。

 そうでなくとも、この血生臭い異変には直ぐ様他の村人も気が付くであろう。

 何人何十人と押し寄せてこようがルキナの手に掛かれば鏖殺出来るだろうが、その様なものをマークに見せる趣味は無い。

 早急にこの村を離れる必要があった。

 

 血糊を振り払って落としてからファルシオンを納刀し、ルキナはまだ自分にしがみついているマークの頭を優しく撫でた。

 血が付いた手で撫でてしまったが、取り押さえていた男達の血で既に全身が汚れていたから些末な事であろう。

 村を発つ前に取り敢えず血の汚れは落としておきたいものだ。

 

 

 

「あ……、その……」

 

 

 結局何も吐きはしなかったが、一頻り嘔吐いた為気持ちの整理の様なものは着いたのだろう。

 ルキナを呼び止めようとしたのだろうウードは、しどろもどろになりながら、マークを見詰めていた。

 正確には、無惨に引き裂かれた衣服の背中から飛び出た翼を吸い寄せられる様に見ている。

 

 

「何か?」

 

 

 努めて微笑みを浮かべて、ルキナはウードに訊ねる。

 ウードに何を言われようともどうでも良いが、もしウードがマークを害そうとするならば、例えかつての仲間であるウードであっても一切容赦するつもりは無かった。

 

 マークの姿に、そしてルキナの凶行に、何かしらの事情を悟ったウードは……何かを言おうとして、それを呑み込んだ。

 それでも、ルキナへと手を伸ばそうとする。

 

 

 だが、その手がルキナに触れるよりも先に、ルキナを背後から抱き寄せる手がルキナの身体を拐った。

 

 

 

「虫ケラ如きが、誰の赦しを得て我が妻に触れようとしている」

 

 

 

 静かな怒気を孕んだ声が、周囲を支配する。

 反射的にルキナから距離を取ったウードは、何時でも抜き放てる様に鯉口を切った。

 

 

「貴様は、邪竜ギムレー……! 何故ここにっ!」

 

「何故? 

 我が妻と娘を迎えに来たに決まっているだろう。

 ああ……取るに足らぬ貴様如きを態々始末しに来たとでも? 

 自惚れるなよ、虫ケラ。

 お前達にその様な価値は無い」

 

 

 不愉快そうにウードへと見下した眼差しを向けたギムレーは、そんなウードへの態度とは打って変わってルキナをそっと……いっそ優しさを感じさせる程に柔らかく抱き締める。

 その手付きに優しさに似た『何か』を感じるのは、きっとルキナの気の所為では無いのだろう。

 

 

「……君自身が『僕』を選んでくれる時を待っていたけれど、……もっと早くに君を迎えに行くべきだった。

 今はそう後悔をしている。すまない」

 

 

 そう言いながら、ギムレーは優しくルキナを抱き締めて、血に濡れた額を拭ってそこに口付けを落とした。

 

 ギムレーの出現に何時でも戦える様に警戒していたウードは、そのギムレーの行動に唖然とし、そして混乱した様に呟く。

 

 

「妻? 娘? 

 ……まさか……!?」

 

「ああ、何だ、まだ居たのか。

 折角見逃してやっているんだから、さっさと消えてくれ。

 それとも、ここで無意味に無様に死にたいのかい? 

 別にそれでも良いけど」

 

 

 嘲笑う様にギムレーがその口の端を歪めると、ウードは僅かに逡巡したが、この場は逃げる事にしたのだろう。

 悔しそうに顔を歪め、ルキナへと言葉を投げ掛ける。

 

 

「ルキナっ!!  絶対に、俺達が助け出す! 

 だからっ──」

 

 

 ウードのその先の言葉を聞き届けるよりも前に、ルキナの視界が一変した。

 気が付けば、ギムレーに抱き抱えられたままかつてルキナが囚われていたあの城へと転移していたのだ。

 かつては悍ましさしか感じなかったこの城だが、本当に悍ましいモノを知った今となっては、最早特には何も感じない。

 

 マークを抱き締めたままのルキナを、マークごと抱き締めて。

 ギムレーはルキナの耳元に優しさすら感じる声音で囁く。

 

 

「ルキナ。

 君とマークが僕のもとから去って一年。

 僕はずっと君達を見守っていた。

 君達二人が生きられる場所は、もう僕の傍にしか無いんだと……何時かそう気付くだろうと思っていたから……。

 だけど、君はこの僕の想像を遥かに越えて、この一年間、傷付きながらもずっとマークを守り育ててきた。

 そしてそんな君の姿を見る度に、どうして僕は君の傍に居ないのかと……そう思っていた」

 

 

 そして、とギムレーは言葉を切った。

 真っ直ぐにルキナを見詰めるその眼差しには、あの酷薄な邪竜のモノとは思えない……まるでヒトが持つ感情の様な『何か』が浮かんでいる。

 幾ら姿がそのままであろうとも、ルキナをその手に抱くギムレーは最早『ルフレ』ではない筈なのに。

 それでも、その目が、その眼差しが、ルキナが愛した彼の姿をそこに描き出した。

 

 

「君が、あのナーガの手の者に見付かってしまった時に。

 ……君達を喪ってしまうんじゃないかと、そう恐くなった。

 でも、『今度こそ』、僕は……大切な者を喪わずに済んだ……」

 

 

 良かった、と泣き笑いの様にギムレーは微笑む。

 その表情は、まるで『ルフレ』のそれの様で。

 ギムレーは、ルキナの頬へと手を伸ばした。

 そして、その頬に着いていた血で自身の手が汚れるのも構わずに、そっと壊れ物を扱うように優しく触れる。

 

 ギムレーの中に確かに『ルフレ』が居るのか、それともそれはルキナの願望が見せている錯覚なのか。

 それはもうルキナには分からない。

 だけれども……今ここでルキナを愛しそうに見詰めるこの存在に、憎悪の感情以外も抱いてしまっている事に、ルキナはもう気が付いてしまった。

 

 ルキナから大切なモノを奪っていったギムレーのその所業を、ルキナが赦す事は今後も決してないだろう。

 それでも──

 

 

 

「ルキナ、もう絶対に君を離したりしない。

 絶対に君を逃がさない。

 僕の大切な妻は、君だけだ。

 マークも君も、僕の大切な宝物なんだ。

 愛している、ずっと、今までも、これからも──」

 

 

 

 愛を囁き続ける邪竜の胸にその身を委ね、ルキナはそっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 その後彼らがどうなったのかは語る迄も無いが。

 邪竜がその妻と娘を、その永い生涯に渡って愛し続けたのは確かな事である様だ。

 

 今も尚、邪竜に囚われたかつての王女は、永劫に晴れぬ深い深い絶望の闇の中で、我が子を抱き締めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

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