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ヴァルム帝国との戦争は、父とマークが描いた通りにイーリスとフェリア連合の勝利に終わった。
目論見通り、各地に散らばっていた『宝玉』は、既にギムレー教団の手の内にある『黒炎』以外の四つが聖王の手の内にある。
「運命の時」の目前まで、『宝玉』を聖王の手の内に集めさせておく事が、父の計画であった。
どうせ最後には父の手の内に集まるモノだ。それまで聖王たちに集めさせておく方が、後々の手間も省ける。
「神竜の巫女」が邪竜ギムレーの復活を聖王たちに警告した事は予定外の出来事ではあったが、父がその力の多くを時を超えた影響で喪った事によるものなのか、彼女はこの世界に既にギムレーが存在している事には気付いていない様であり、その事については指摘しなかったのでそう大きな問題では無い。
万が一、父の存在に気付かれでもしていたら計画に大きな狂いが生まれていたかもしれないが、今の所大きな支障も無く事態は推移していた。
「父」を守る為にイーリス軍に潜り込んだマークは、その役目を順調に遂行していた。
戦時中の戦闘で「父」が致命的な負傷をする可能性は全て事前に排除出来ていたし、「父」自身そう易々と死ぬ様な者ではない。
通常の戦闘で起こり得る範囲内では、死に至る可能性も、或いは再起不能になる程に負傷する可能性も存在しないし、万が一が起きてもマークが対処していただろうが幸運な事にそう言った事態も起きていない。
最大の懸念事項であったルキナ王女の影響も、現時点では極力抑える事が出来ていた。
ルキナ王女を初めとした「未来」から来た者達は当初、想定通りにマークへと疑惑の眼差しを向けていた。
だが、彼等がマークに対し決定的な行動が出来なかった間の内に、その心に静かに麻痺毒を流し込む様に少しずつ少しずつ心の隙間を侵し、そして終には彼等全員の心も掌握した。
最もマークの存在を危険視していたルキナ王女ですら、マークの事を「信頼に足る者」と考え接している。
その信頼を逆手に取る様に、ルキナ王女が「父」に向ける疑いの目を鈍らせ、そしてその心に隠し持った覚悟の刃を錆び付かせる様に「情」を以て鈍らへと変えた。
今のルキナ王女にとって、「父」は大切な戦友の一人であり、何時しか「仲間」として認める様になっていた。
もし「父」の正体の全てを知ったとしても、もうそのファルシオンで切り捨てる事は出来ない。
「情」と言う猛毒が「人」の心を壊し殺すには最も効果がある事をよく知っているマークのその策略は、見事にルキナ王女の心を殺しその脅威を削いだのだった。
……そう、マークは己が成すべき事を全て間違いなく実行している。
この先に待つのは、父が望んだ「絶望」の再演である。
ヴァルムとの戦争が終結した今、「運命の時」はもうその足音を高らかに響かせて近付いてきている。
全てが父の思惑通り。そう、その筈だ。
……だけれども。
「ほら、マーク。ここから君はどう動かす?」
盤面を挟んで向かい合った「父」は、マークに次の一手を示す様に促した。
その表情は穏やかで、「娘」に対する思い遣りがそこにある。
盤面上に構築された局面自体は、既に父からありとあらゆる戦術を教え込まれているマークにとっては、眠っていても間違えない程に簡単な局面であるけれど。
マークの年齢などから考えるとこれをスラスラと解くのは確実に不要な疑念を抱かせてしまうだろう。
だから、マークはそれとは悟られぬ様に注意しながらも、考え込む様にして盤面を注視した。
……何故この様な「茶番」に興じているのかと言うと、これが「父」との交流に最適なモノであったからだ。
マークを「娘」であると受け入れた「父」ではあったが、子供など居はしないしそもそも伴侶と定めた相手すら居ない彼にとって、「娘」とどう接してやれば良いのかと言うものは大変な難題であったらしい。
「父」自身は、自分以外に頼れる者が居ないマークの事を心から案じているし、記憶が無い不安を埋めてやれる様に愛情を注いでやりたいと感じている様であったが。
そもそも「子供」と言う存在に触れる機会が余りなく、彼の乏しい触れ合いの経験はこの時代のまだ歩く事も覚束無いルキナ王女である。その経験は残念ながらマークとの関係には活せない。
故に、どうしてやれば良いのかと迷い戸惑っていた「父」に対して、マークの方からそれとなく「戦術」を教えてくれと頼んでみた。
自分の得意とする分野であった事が「父」の緊張を良い具合に解す事が出来たらしく、最初の方は手探りの様であった「父」との時間も、「戦術」を架け橋とする様に次第に打ち解け合える様なモノになって。
そうして「父娘」としての時間を共に過ごしていた。
マークとしても、「戦術」に興味がある事を積極的に「父」に示していたお陰で、然程重要ではない戦闘に関しての戦術会議の場に「見学者」として立ち会う事を許される様になったし、時に「子供の気付き」と言う体で戦術に対し適切に助言出来る様になったのは、役目を遂行する上では大きな利点だ。
だが戦闘に関しては、当然ながらマークの戦闘技術など知る由も無い「父」にとっては、記憶も無いまだ幼い「娘」に人殺しを覚えさせたくは無かったらしく、人と人との戦に出る事は固く禁じられていた。
屍兵の掃討はどうにか許しが出たが、それでも「父」にとっては苦渋の決断であったらしく、余り良い顔はされなかった。
マークとしては、ルキナ王女達からの信頼を得る為に、或いは必要ならば戦場の混乱に乗じて彼等を排除する為にも戦場に立ちたかったのだが、まあこの際は仕方が無い。
ルキナ王女達と違って、マークの年齢が明らかに幼い事も悪い方向に働いてしまったのだろう。
実際、竜の血を引いていると言う事も無く実際の年齢と肉体年齢が乖離している様な事も無いので仕方ないのだが。
「幼さ」を理由に、戦場となるヴァルムではなく「父」にとっては安全な地であるイーリスに置いて行かれる様な事が無くて良かったと思うしかない。
「娘」を演じるマークを疑う事無く、「父」はマークに接していた。
無邪気な笑顔を疑わず、そこにある思惑など知る由も無く。
「人」である彼にとっては破滅と絶望にも等しいのであろう「運命の時」を辿らせている事を悟る事も出来ずに。
愚かとも言えるその様に、マークが思う事は何も無い。
「茶番」の様な戦術の講義の時間にも、何も。
マークがわざと時間を無駄に使ってまで「考え抜いて」みせて導き出した答えに、「父」は嬉しそうにその口の端を僅かに緩める。
「この局面にこの答えが出せるなんて、マークは凄いな」
「えへへ、私は天才軍師の「父さん」の「娘」ですから!
これ位、パパッと解いてみせますよ!」
胸を張る様にしてそう答えたマークに、「父」は優しい眼差しで微笑む。そして。
「そっか……マークは凄いなぁ……。
僕が天才軍師だなんて、過大評価な気もするけど。
これからもマークが誇れる様にもっと頑張らないとね」
そう言いながら、父は優しくマークの頭を撫でる。
それは、幼子を褒める親のそれそのもので。
そして、マークにとってはどうしようも無い程に父の事を思い起こさせる。
頭を優しく撫でるその強さも、少しだけマークの髪を崩すその動きも。
その何れもが、父の手と同じ物であったからだ。
……父と「父」は「同じ」存在であるのだから、そう不思議な事では無いのかも知れないけれど。
だけれども「父」のその手は、何処までも似ているが故に、残酷なまでに父のそれとは異なるものでもあった。
恐らくそれは、そこにある感情……「人」が『愛』と呼ぶそれ故の差であるのだろう。
「父」がマークに向ける全てには、「娘」を想う心が……『愛』と呼ぶべきものが込められていた。
声音にも、眼差しにも、こうして触れる手にも。
それは、父のそれとは全く違うモノであった。
だからこそ、マークは戸惑ってしまう。
マークは、父に自分に対する『愛情』など存在しない事を誰よりも知っている。
そして、それでも構わないのだと、父から『愛』されていなくとも、マークにとって父が唯一の絶対である事には変わらないと、そう思っていた。
それは今も何一つとして変わらない。
『愛』して欲しいなどと、そんな叶いやしない願いなど抱いた事は無く。
ただ自分が父にとって『価値』のある存在であれば……役に立つ駒であれば良いと、そう思っている。
……それでも。
どうしてなのかマーク自身にも分からないのに、「父」のその想いに自分で意識する以上に戸惑ってしまう。
だが、それでマークの中に「父」への『愛』が芽生えたなどと言う事も無い。
マークにとって父はただ一人だ。
「父」がマークにどの様な『愛』を向けているのだとしても、それでも彼は父ではない。
……父でなければ、マークにとっては意味が無い。
それなのに「父」の想いに感情の揺らぎが生まれてしまうその理由がマークには分からなくて。
だからきっと、そうやって自分が揺らいでしまっているのは、きっと父の事が心配だからだろうと、答えが分からないなりにマークはそう結論付けた。
実際、「過去」に来てからの父は少し前とは違っていた。
「過去」に辿り着いた時に、「父」と混ざり合ったのだとそう父は言っていたし、その影響で「父」はそれまでの記憶の全てを喪う事になったのだけれども。
混ざり合ったその時に父から「父」へと力が流れ出た事以外にも、父の方にも恐らく影響が出ていたのだろう。
父は……以前は自分の事を「僕」と称する事は無かった。
今の父の口調は、「父」のそれと混ざったモノになっていて、かつてのそれとは同じでは無い。
元々、邪竜ギムレーとして目覚める前は「父」と同じだった事を考えると、「以前に戻った」と言った方が正しいのかもしれないけれど。
その「変化」は、マークにある種の焦りと不安を抱かせるには十分過ぎた。
……もしこのまま、「運命の時」を迎えて、邪竜ギムレーとして覚醒した「父」と父が一つになったその時に。
果たして父は父のままで居てくれるのだろうか?
「父」の様な……限り無く似通っているけれども、決定的に違う「何か」になってしまうのではないだろうか、と。
そんな不安が静かに心に打ち寄せてくる。
……だが、マークに一体何が出来ると言うのだろう。
父が力を取り戻す為にマークが出来る事は、マークが役に立てる事は、このまま「父」をギムレーへと覚醒させる事しか無いのだ。それに、今更止められる筈も無い。
「運命の時」は、もう目前にまで迫っているのだから。
◆◆◆◆◆
マークは、与えた命を無事に遂行している様だ、と。
ルフレ達を監視させている者達からの報告書に目を通しながら、ギムレーは僅かに目を細めた。
既に内部にマークを潜り込ませている今、ルフレ達の動向を一々監視する意味は薄れているが。それでも、今までにあった監視を急に解く事は、それに彼等が気付いている訳でなくともルフレ達に何か違和感を与えてしまう可能性があった。
そう言った小さな穴から一気に計画が瓦解してしまう可能性もあった為、ギムレーは今もギムレー教団の者達による監視を続行させていた。
今の所、マークは無事に潜り込み、ルフレの「娘」として誰からも違和感を持たれずに振舞い、そしてイーリスの者達に悟られぬ様にルフレの身を守っていた。
ルフレが邪竜ギムレーとして覚醒するその瞬間まで、マークは完璧に「娘」を演じ続けるだろう。
ギムレーがそう教え込んだ通りに、全てを欺きながら、笑顔の下に悍ましい本性を隠して。そう、その筈だ。
しかし、ギムレーは報告書に記されていたマークとルフレとの様子に、僅かながらその胸の奥にインクの染みにも満たぬ程の小さな澱みの様なものをそこに感じ取った。
ルフレは……当初はどうであれ、今は疑う事無くマークを「娘」として受け入れ……そして親子の『愛』を注いでいるのだろう。
最初の内は些か不器用にではあったけれども、それは時間を経るにつれて確かなものとしてそれを見る誰もが感じ取れる程に、ルフレはマークへと『愛』を伝えていた。
……ギムレーに理解出来るものでは無いけれど。
しかし、ギムレーとてかつては「ルフレ」であった者だ。
ルフレならそうするのだろうと言う事位は想像が付く。
ギムレーには、『愛情』など分からない。
ヒトがまるで尊い宝物であるかの様に褒めそやし特別視するその「執着」に何の『価値』も感じられないし、ギムレーがその様な感情を何かに対して抱くと言う事も無い。
恐らく、やろうと思っても難しいものであるのだろう。
『愛情』がさもそこに存在するかの様に振舞う事ならば出来るし、相手が望む様な反応を返してやる事も容易い。
だが、ギムレー自身の感情を何一つとして伴わないそれは、何処まで行っても精巧な「茶番」にしかならないのだ。
ギムレーには対等な関係性を築ける相手などこの世には存在しないし、弱く下等な存在に対する憐憫や庇護欲と言うモノも存在しない。
故に、ギムレーにとって『愛情』とはこの世で最も縁の無い感情であった。
マークを『娘』として育て「親子の情」で縛り、最も忠実な駒として育て上げ使ってきたのではあるけれど。
マークに与えて来たモノには、何一つとして『愛情』など伴っていないのだ。
少なくとも、ヒトが求め欲しているのであろうそれを、真の意味では与えてやれなかった。
『邪竜の娘』として歪に育ち、ヒトのそれを逸脱した価値観を持つマークではあるけれど、その存在がヒトの範疇のものであり、そしてヒト以外の何物でも無い事は、何よりも動かし難い事実である。
何時か訪れる破滅を愉しむ為に態とそう育て上げたのは他ならぬギムレーではあるのだが、それが裏目に出てしまうのではないだろうかと。
そんな疑念が不意に頭を擡げてしまったのだ。
マークが「娘」として接しているのがルフレでなければ、ギムレーはこの様な疑念を抱く事は無かっただろう。
未来でも、マークは幾度と無くヒトの街や村に潜入してきたし、そうした先で実際の年齢からみても幼いマークは人々から親切に接されていた事は数多くあった。
だが、そんな「情」はマークにとって無意味であった。
そう言った価値観になる様に、ギムレーが育て上げて来ていたのだから、それは当然の事である。
……だが、ルフレは違う。
ルフレとギムレーは、覚醒しているかいないかの大きな差はあれども「同じ」存在だ。
だからこそ、「同じ」存在が、マークが潜在的には求めているのであろう『愛情』を与えた時に。マークはギムレーではなくルフレの方を求めるのではないかと、そう考える。
ギムレーの様な空虚な「茶番」ではなく、ルフレは心からマークを想い、『愛情』を持って接しているのだろう。
ギムレーが与えられなかったモノを与えているだろう。
……マークの「演技」が、何時しか演技では無く本心になっていくかもしれない可能性を、ギムレーは否定しきれなかった。
ヒトの心など持たぬ上に理解も出来ないギムレーよりも、同じヒトであるルフレの方を望む。
それを起こり得ないとは、否定出来ない。
いや、そこまでではなくとも、その想いに「揺らぎ」が生じている可能性は十二分にあった。
自分が動かせる駒の中ではマークこそがその役目に最適であった為に、ルフレの「娘」として潜り込ませたが。
しかし、それでマークを喪う可能性に思い至った時。
ギムレーは自分でも想定しなかった程に、それに対して動揺していた。
だけれども、どうしてそこまで動揺するのか、この心に揺らぎが生じるのか、ギムレー自身にも分からなかった。
折角手塩にかけて育てて来た優秀な手駒を喪う事が惜しいのか、或いは矛盾を抱えて破滅するその様を眺められなくなるかもしれない事が惜しいのか。
そんな事を考えてもみたが、そのどれもが当たっている様で、しかし何れもが本質を突いていなかった。
マークを喪ったとしても、確かに優秀な手駒を喪う事は惜しいが、そもそも完全に力を取り戻せばギムレーにとって自分以外の存在の手を借りる必要も無い。
マークが裏切って「運命の時」を変えようとするのならば流石に大きな支障を来すが、それが目前にまで迫った今の段階でもその様な裏切りの徴候は無く、それについては考える必要は無いのだろう。
だから、マークを喪ったとしても、ギムレーにとって大きな不利益がある訳ではない。
万が一手駒が必要になるのだとしても、マーク程の優秀な手駒を手に入れるのには骨が折れるがそれでも他の存在で絶対に代替出来ないと言う程でも無い。その筈だ。
何なら、その辺りに転がっている幼子を攫ってマークと同じ様に育てれば良い。
そうすれば、時間は掛かるがマークと同様に忠実な手駒を手に入れられるだろう。
……だが、ギムレーは分かっていてもそれを実行しようとは思わなかった。
力を取り戻せば、手駒など不要なのだ。不要なモノに労力を使う意味など無い。
それにそもそも、マークがギムレーを裏切ると決まった訳ではない。
故に、マークの代替を用意しようとは思わないのだ。
ギムレーは溜息と共に報告書を閉じ、それを燃やす。
そして、もう目前まで迫った「その時」の足音に耳を澄ませるかの様に、目を閉じギムレーの為だけに誂えられた神座に座したまま僅かに天を仰いだ。
そう、全ての宿命が交差するまで、後僅かだ。
喪った力を取り戻し、今度こそこの世界の悉くを滅ぼし平らかな死と絶望の静謐へと導くのだ。
それこそが、ギムレーの望みだ。
それだけを目的に、幾千の時を存在し続けてきた。
それこそが、ギムレーの望みだ、そうである筈だ。
その破滅の祈りは、もう間もなく叶う。
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