沙都子が長い眠りについてしまった日を私は今でも鮮明に思い出せる。
魅音の運転する車に乗り、久しぶりの雛見沢を訪れ、久しぶりの分校に着いた。
待っていた圭一もレナも素敵な大人になっていて、それでも変わらない温かみに溢れていた。
久々の部活はルチーアでは味わえない高揚感とついついと笑ってしまう愉快な皆、主に圭一のあの姿は本当に面白かった。
その後、エンジェルモートで詩音と合流して、食事をする流れになった。
その時に、沙都子は雛見沢を見て回りたいと言った。
……今にして思えば、ここが最後のチャンスだったのだ。
沙都子に間違いを起こさせない最後の。
それでも私は置いていってしまった。
待ってるなんて言って。
自分から沙都子の方に行こうともせずに。
エンジェルモートに着いてからしばらくは皆で談笑した。
沙都子のことには触れずに。
夜も更けてきた頃、沙都子からの連絡はいまだこなかった。
皆は心配して、雛見沢に探しに戻ることになった。
私も大きな不安を感じていた。
いや、本当はエンジェルモートに着いた辺りからには感じていた。
底知れない不安。
日常が壊れるような予感。
それは、あの惨劇の日々の中で感じていたものだった。
けど、私はその不安を気のせいだと打ち消した。
私はあの惨劇の日々を乗り越えたのだと。
もう、あんなことは起こらないのだと。
今思えば、笑いものだ。
あの惨劇は特別なものじゃない。
鷹野の存在はともかく、皆が起こした惨劇は全て些細なすれ違いが原因だったというのに。
雛見沢に戻り、皆で沙都子を探した。
分校、水車小屋、古手神社、そして私たちの家の跡地。
私たちの知る雛見沢は徐々にその姿を失っていた。
それは仕方のないことだと分かっているけれど、それでも寂しく思わずにはいられなかった。
詩音も含めて皆で探して、残った心辺りは祭具殿だけだった。
皆で祭具殿に来て倒れている沙都子を見た時、頭が真っ白になった。
身動きも取れずに、ただ自分の呼吸が荒れていることしか分からなかった。
最初に沙都子に駆け寄ったのは詩音だった。
何を言っていたかは分からない。
離れていたからじゃない。
私自身の意識がどこか遠くにあるようだった。
次に駆け寄ったのはレナだった。
まるで叫ぶような、いや実際に叫んでいたのだろう詩音を抑えて、沙都子の様子を見ていた。
その後、圭一と魅音に声を掛けたこと位しか私には分からなかった。
今考えれば、沙都子を診療所に運ぶ為に魅音に連絡を頼み、圭一に沙都子を運ぶように頼んでいたのだろう。
そこから先はまともな記憶もない。
ただ、誰かに、恐らくはレナに手を引かれて、いつの間にか魅音の車に乗っていて、気がつけば診療所に居た。
診察が終わるまでの間、圭一とレナは歯を食いしばるように体を震わせ、魅音と詩音は祈るように手を重ねて診察室を見ていた。
遥か遠くに感じるほどの時間が過ぎ去った頃、入江は姿を現した。
詩音はすぐさま、入江に駆け寄ると、
『監督!沙都子はっ、沙都子はどうなったんですか!』
『……ひとまずは命の危機からは脱しました』
その言葉に皆の肩の力が抜けるのが分かった。
私も安堵のため息をついた。
でも、次の瞬間には胸が刺されたような感じがした。
『ただ、今でも危険な状態であることは変わりありません』
『え……?』
『監督、沙都子ちゃんの症状はもしかして……』
『……はい。雛見沢症候群の末期症状です』
入江は重苦しい雰囲気で、残酷な事実を断言した。
『うそ、嘘ですよね。だって、雛見沢症候群は完治したって……!』
『その筈でした。ですが、沙都子ちゃんは再びあの病にかかってしまっています。正直、今の段階ではまともに意識が戻るかさえも分かりません』
『それはつまり……、悟志くんと同じ状態ということですか?』
『………はい』
入江のその言葉に詩音は泣き崩れた。
いや、詩音だけではない。
圭一も、レナも、魅音も、皆が皆、涙を流していた。
私の目からも涙が流れた。
入江は何も言えずに悔やむように下を向いていた。
絶望だけがそこにあった。
『あなた達!しっかりしなさい!』
そこに一つの怒声が響いた。
その声の主は鷹野だった。
『沙都子ちゃんが死んだ訳じゃないわ。治る希望はある。なのに、あなた達がそんな顔をしていたら沙都子ちゃんも戻ってはこないわ。入江所長、すぐに治療薬の準備を。梨花ちゃんは後で少し検査させて貰うわ。女王感染者の方で何か変化があるかもしれない』
鷹野のそのハキハキとした様子にみんなの涙が引っ込んだ。
『これが私に出来る、せめてもの罪滅ぼし。もうおじいちゃんの研究で誰かが悲しまないように、そして、今まで迷惑をかけたあなた達に出来る精一杯。この程度じゃ、足りないかもしれないけど、それでも出来る最大限の努力をするわ』
そこに居た鷹野はかつて、この村を滅ぼそうとしていた時の鷹野とは違う。
幾度の後悔を重ねて、それでも前に進む大人の女性の姿だった。
『その通りですね、鷹野さん。すぐに準備します。鷹野さんは梨花さんの検査の準備をお願いします』
『ええ、分かりました』
そうして、二人はそれぞれの仕事場に戻っていた。
『治療に関してはあの二人に頼るしかないね』
『でも、俺たちにも出来ることはあるだろ』
『そうだね。沙都子ちゃんがどうしてまた雛見沢症候群にかかってしまったのか。それを解明することは出来る筈』
レナのその言葉でみんなの目線は私に向けた。
それはそうだろう。
雛見沢に居る間、沙都子がそうなっている様子はなかった。
ならば、雛見沢に出た後、聖ルチーアに行ってからと考えるのは当たり前だ。
いや、そうでなくとも沙都子に一番近しいのは私、ということになるのだ。
まずは私の意見を聞くことに間違いはない。
『梨花ちゃん、聖ルチーアでの友人の話はしていたけど、沙都子ちゃんの話はしてなかった。それはどうしてなの?』
『……私と沙都子はここ一年ほど疎遠の状態でした。沙都子は聖ルチーアには馴染めていませんでした。朝の挨拶はおはようで、服装もあまり整えている様子はなく、勉強も上手くいってるようではありませんでした。一度、沙都子に勉強を教えようかと言ったことがありました。その時は沙都子から拒否されました。そこから数ヶ月した時に私の夢に付き合ったのにどうして?と問われて、その時は登校中で周りに人も居たから、厳しくいつまでも分校気分でいないでルチーアに合わせなさいと言いました。その次の日に、沙都子はシャンデリアにタライのトラップを仕掛けて、でもそれで私の友人が怪我をしました。その後、数ヶ月位沙都子は教室に居なくて。2年になった時には別のクラスでまともに顔も合わせていないのです。だから、多分沙都子はルチーアの環境が合わずに…っ!』
壁に叩きつけられて、息を思い切り吐き出す。
『どうして!どうして沙都子を一人にしたんですか!』
『ちょっと、詩音っ!』
『沙都子は助けを求めていたのに!どうして……!』
詩音は今にも私の首を締めるように壁に縛り付けられる。
『そ、そんなこと、私は沙都子にちゃんと手を差し伸べて』
『勉強を教えようと言ったことですか?それは一体どこで言ったんですか?』
『きょ、教室』
『じゃあ、その時にアンタの友人はどんな顔をしてた!?』
詩音のその問いに私は答えを持っていなかった。
だって、そんなの気にしていなかったから。
『きっと、みんな沙都子のことを邪魔者みたいに見てましたよ。こっちに来るなってそう思ってましたよ』
『そ、そんなことは』
『ないなんて言えないでしょ!沙都子はこの村の村八分で特にそういう悪意には敏感です。そんな中で手を差し伸べた?そんなの起きてるライオンの頭から宝石を取れって言っているようなものですよ!』
『おい、詩音!』
圭一が詩音を引き離して、私は咳き込む。
レナは私の背中をさすってくれてる。
『詩音、落ち着きなよ』
『これが落ち着いていられますか!沙都子は言ったんですよね、アンタの夢に付き合ったのにどうしてって。アンタは周りの視線に気づいて気を遣ったつもりかもしれないけど、まともに人の目も気にすることも出来ない位に辛いって分からなかったんですか!トラップを仕掛けた?それは古手梨花に雛見沢の頃の古手梨花に戻って、助けて欲しかったんじゃないですか!』
『そんなの……』
『なんですか』
『そんなの言ってくれなきゃ分からないわよ』
私のその言葉で詩音は脱力した。
分かってくれたのかとも思ったけど、そこにあった目は本気で軽蔑している目だった。
『……一度、沙都子と進路の話をした時に私言ったんですよ。”ルチーアは止めておけ”って。私自身、ルチーアが嫌になって脱走した人間ですから。あそこはですね、合う人は楽しいでしょうけど、合わない人には洗脳されるか発狂するかの2つに1つの施設なんですよ。沙都子は後者側の人間なのは分かっていますから、止めたんです。そしたら、沙都子は何を言ったと思います?』
『…………』
『”梨花が一緒に来て欲しいと言ったんですわ。私と一緒に行くのが夢だって。親友の夢を応援するのは当たり前ではございませんの。それに例えどんな困難があっても梨花と一緒なら大丈夫ですわ”ですよ。沙都子はただ古手梨花の夢を応援する。それだけの為に頑張ってきたんですよ。別に聖ルチーアでの生活に憧れてた訳でもしたいことがあった訳でもない。あなたの為に尽くそうってだけで入ったんですよ。そして、古手梨花とならどんな困難でも乗り越えられるって信じてたんですよ。なのに、アンタはそんな信頼なんて知らない、沙都子が悪いんだって押し付けたんですよ』
詩音はまるで仇を憎むかのように、いや実際に仇として私を睨んでいたのだろう。
刺々しく私を言葉で刺した。
『アンタは沙都子の親友なんかじゃない。あの子の気持ちを利用するだけして利用した詐欺師だ』
魅音のビンタが飛ぶ。
詩音は叩かれた頬を抑える。
『詩音、落ち着きな。流石に言い過ぎだよ』
『当然の言葉だ。沙都子をあんな目に合わせておいて、自分は言い訳して逃げるなんて』
『……詩音、ちょっと疲れてるだよ。ひとまずは沙都子に命の危険はない。今日は休もう』
『……うん』
詩音は魅音の言葉で少し冷静になったのか、大人しく頷いた。
『それじゃあ、圭ちゃん、レナ、梨花ちゃん。今日はもう遅いし園崎本家に行こう』
『それもそうだな』
『ごめん魅ぃちゃん。私と梨花ちゃんは診療所に居た方が良いと思う。今の詩ぃちゃんと梨花ちゃんを同じ家に置くのは不味いし、それに梨花ちゃんの方も』
『ああ、そうだね。レナ、お願い』
『じゃあ、レナ、おやすみ』
『うん、おやすみ』
そう言って、圭一と魅音と詩音は診療所から出ていった。
ただその様子を私は呆然と見ていた。
頭の中で詩音の言葉がリフレインする。
アンタは沙都子の親友なんかじゃない
あの子の気持ちを利用するだけ利用した詐欺師だ
詐欺師。
言われてみれば確かにそうだった。
私はただ悟志の抜けた穴に入り込んできただけ。
あの惨劇の渦の中であの子の明るさに甘えていただけ。
親友なら分かってくれると言っているだけ。
親友なら分かってくれる?
確かに沙都子は私の気持ちを分かってくれていた。
でも、私は沙都子の気持ちを分かってあげられていた?
答えはNOだ。
それは今のこの状況が分かりやすすぎる位に示している。
あそこを夢の場所だと言った私に付き合っただけ。
その為に沙都子は幾つの自分の願望を捨ててきたんだろう。
部活をしたかった。
遊びがしたかった。
もっと色んなことがしたかった。
それらの全てを私が嫌いな勉強の時間に変えてしまったのだとしたら。
その上で、沙都子には何の楽しみのないルチーアの環境。
ただ嫌いな勉強だけの日々。
助けを求められるのも私だけ。
その沙都子の手を私は気づかずに振り払ってしまった。
それは沙都子にとってどれだけ辛かったのだろう。
『梨花さん。検査をしたいのですが……、どうかしました?』
『なんでもないのです。早く検査をしましょうなのです』
入江の言葉に反応した私は無理やり表情を取り繕う。
きっと入江なら、私のことを気を遣って明日にしてくれるだろう。
でも、今は私よりも沙都子だ。
『梨花ちゃん……』
『レナ。ボクは大丈夫なのですよ』
心配するレナに一言だけそう言って入江からの検査を受けた。
とはいえ、すぐに出来る検査も限られていて、そう時間はかからなかった。
『これで一通りの検査は終了です。梨花さん、体調の方は大丈夫ですか?』
『私は大丈夫。それよりも沙都子は……』
『沙都子ちゃんはなんとしても治してみせます。完治を診断しておきながら、こうして沙都子ちゃんが再発したことは私の医者としての大きな落ち度です。その責任は必ず取ります』
その入江の目はさっき詩音に詰められていた時の目じゃない。
既に沙都子を助けると決意を秘めた目をしていた。
私と違って。
『さっきの検査中にレナさんに言われて、ベットの用意はしましたからそこで休んでください』
『……ありがとうなのです』
扉を開けて、部屋から出る直前、
『梨花さん。責任の所在は誰か一人にあるものではありません。私にも責任はありますし、きっと沙都子ちゃん自身にも責任はあります。だから、貴方一人が抱える必要はありませんよ』
そんなことを言ってくれた。
入江のその気持ちは嬉しい。
だけれど、私が沙都子を追い詰めたことは変わらない。
私が彼女をああいう風にしたんだ。
ずっとそのことが頭を支配する。
体がフラフラとして、真っ直ぐに歩けない。
不安と罪悪感がずっと体を縛り付けてくる。
どうにか入江の用意してくれた部屋に着いた時、レナが船を漕ぎながら待っていた。
時間は深夜の2時過ぎ。
沙都子が倒れていたときも冷静な対応をしてくれたレナだけれど、疲れも溜まっている筈だ。
『あっ、梨花ちゃん』
『レナ、無理しなくてしなくていいのです。今日はもう寝ましょう』
『うん、そうだね。もう寝る。でも、これだけは今梨花ちゃんに言わなきゃだから』
『……なに?』
レナは私の肩を掴んで目線を合わせる。
眠気に囚われながらも、レナの目はあの頃と変わらない冷静で明確な強い眼だ。
『正直、詩ぃちゃんが言ったことは私も思ったの。元々沙都子ちゃんは悟志くんのこともあって、人に頼るのが苦手だから。でも梨花ちゃんの気持ちも分かる。新しい環境で楽しく過ごせるのは素晴らしいことだから。どっちにも非はあるし、私たちも沙都子ちゃんの様子に気づいてあげられなかった悪い所もある。でも、だからってその罪悪感で立ち止まることは違う。罪の意識を感じるなら、その罪を洗い流したいのなら、沙都子ちゃんの為に前を向いて変わっていくしかないんだよ』
『鷹野も入江も、みんなそう言ってくれた。でも、私は、私はそんなに強くないの』
今までは羽入が居たから、何度もやり直せた。
でも、今はやり直しなんてきかない。
巻き戻りはしない。
その中で私は弱い。
取り返しのつかないことなんてなかったから、取り返しがつかなくなった時にどうすればいいのかを知らない。
きっと、みんなはそれを知っている。
だから、みんなは強い。
『私は、弱い』
『うん。それなら、沙都子ちゃんを見習えばいいんだよ』
『沙都子を?』
『うん。悟志くんが居なくなってから、自分を反省して悟志くんに誇れるように強くなろうとした沙都子ちゃんを。だって、その沙都子ちゃんを一番に眺めていたのは梨花ちゃんだもん。きっと、梨花ちゃんにも出来る』
そうだ。
悟志が失踪して、村八分を受けて、それでも負けずに闘ったのが沙都子だ。
そんな強い姿に私は励まされていた。
なら、今度は私がその強さを受け継がないといけない。
笑って、沙都子を迎える為に。
『ありがとう、レナ』
『うん。頑張ろう梨花ちゃん』
『ファイト!オー!なのです』
そうして、私は一度聖ルチーアに戻り、雛見沢症候群や東京と言った隠さなければならないことは隠しつつ、事情を説明した。
その後、学校の生活の中で私と疎遠になった後の沙都子がどうであったかを調べた。
先生達は情報を出し渋っていたけれど、他の生徒達からおおよそは掴めた。
1年の初め頃、受験で既に疲れ果てていて、成績が伸びなかったこと。
沙都子がクラスに居なかった間、どこでどうしていたこと。
そして、クラスが離れた後のこと。
そう、沙都子にとっては聖ルチーアは昔の雛見沢と変わらない、ただ苦しいだけの箱庭なのだと。
いや、逃げる場所も助けを求める場所もないのだから雛見沢よりも辛いのだと。
そんなことが簡単に分かってしまった。
結局、私は沙都子と向き合うことから逃げていたのだと痛感した。
でも、もう逃げない。
私は沙都子と向き合う。
私は聖ルチーアに停学届けを出した。
入江にももっと詳しい検査をする為に数日間滞在して欲しいと言われていたし、何より今の沙都子を放って、私だけが夢を見るのは間違いだ。
今度こそ、
そうして雛見沢に戻ってきた。
部屋は入江診療所の一室を貸してもらった。
流石にただで貸して貰う訳にはいかないので、診療所の食事をさせて貰った。
勉強は週に1回送られてくるルチーアからの課題をしている。
そして、それ以外の時間は沙都子の看病をしている。
沙都子は手足を縛らている。
レベル5発症者が暴走し、他人や自分を傷つけるの止める為だ。
沙都子はいつも苦しそうな顔をしていた。
それを見る度に心が締め付けられた。
みんなも頻繁に顔を出していた。
中でも特に頻度が高いのは、詩音だ。
他のみんなとは会う度に話すけれど、詩音との間に会話はない。
詩音は私が沙都子の隣で見ていることを止めることはしなかった。
ただ、黙って沙都子の様子を見ていた。
そんな日々が一ヶ月続いた。
***
そして、現在。
「これで完成ですわね」
「綺麗なオルゴールね」
沙都子は今、診療所で治療生活を送っている。
沙都子がネジを回すと綺麗な音色が聞こえてきた。
「それにしても、沙都子がこんなものを作れるようになっているなんてね」
「これも魂理としたトラップ研究の一環ですわ」
沙都子がここで眠っている間、私と同じ繰り返すものになっていたらしい。
状態としては、あの夏の日、羽入が見せたあの理想的な雛見沢に近いのだろう。
そこで沙都子は川叶魂理という人物と出会ったらしい。
オヤシロ様の孫は二人居て、姉の方が私の代までに続く古手家の家系。
そしてもう一人の孫に当たる妹の系譜に位置するのがその彼らしい。
その家系の役割はオヤシロ様伝説における最も重要な意味を持つ剣である、鬼狩柳桜に対するセーフティなんだそうだ。
そこから先は沙都子にもどういうことなのかがよく分からないままの説明だったらしい。
『まぁ、魂理にもう一度会えば、梨花にも全部をちゃんと説明してくれますわ』
と、沙都子は言っていたけれど。
沙都子はその彼の話をするとき、とても楽しそうに話す。
彼女が繰り返すようになってから、途中で一緒に繰り返すようになったらしいけれど、それでも100年以上の時間を共に過ごしていたらしい。
「でもオルゴールなんて、何に使うのよ」
「時間式のトラップですわ。今作ったのはオルゴールですけど、トラップとして使う際にはネジの動きだけを使って、ネジが抜けた時にトラップが起動しますわ」
「それだけなら、別にオルゴールを作る必要なんてなくない?明らかにその仕組みを作る方が大変そうだけど」
「そうですわね。でも、これもトラップや実生活の役に立つと魂理は言っていましたわ。トラップを作るときにただ感覚で作るのではなく、何がどう動いてそうなるのか。何が抜けると致命的なのか。それが分かるとトラップの成功率は格段に上がると。そしてそれらを養う為には機械の類が一番分かりやすいと言いましたわ」
懐かしむようにオルゴールのネジを回しながら沙都子は話す。
その様子がチクリと胸が痛くなった。
「そう言えば、こうして勉強を再開した時には数学と物理は特に苦もなくこなしてたわね」
「随分とみっちりと学びましたもの。お陰でトラップ技術は結構進歩しましたわ」
それだけじゃなく、地理も歴史も化学も生物も教えれば、スムーズに入っていった。
古文や英語は苦手としているけど、これは単語なんかの純粋に覚えるものが多いからで十分に克服出来る。
きっと、その繰り返しの中で考えるための基礎を構築していたのだろう。
私自身はそうはならなかったから、きっとそれは沙都子の言う彼のお陰なのだと思う。
また胸にチクリと指す痛みを感じた。
「でも、私はまだ貴方の成長したトラップは見てないわ」
「ここは診療所ですのよ?精密機械もありますし静かにしなければならない。トラップを仕掛ける場ではないでございますわ」
「確かにね」
「それに、私はトラップだけじゃなくてモノを作るのが好きだって気づきましたの。今はそれをしていたいですわ」
沙都子ははっきりとした目でそう笑った。
沙都子は目標を持った。
きっと、この沙都子ならどこまでも進んでいけるだろう。
……私が居なくても。
「……梨花。暗い顔になっていますわよ」
「え?」
表情に出したつもりはないのに。
沙都子は呆れたような顔で言う。
「私はもう梨花の嘘には騙されませんわ。私が理由なんでございましょう。言ってくださいな」
「……沙都子は本当に強くなったわ。私なんか必要としない位。今度はちゃんと沙都子を支えようと思ったのに、沙都子は一人で立てる。そして、それは私が何かをした訳じゃない。それが寂しくて悔しくて」
胸が苦しかった。
沙都子の方から甘えてくることを期待していた自分に落胆した。
結局、私が沙都子を必要としていて、でも私から求めたことにしたくないだけ。
あの頃と変わらない。
そんな自分が嫌になった。
「梨花」
「!沙都子……!」
沙都子にぎゅっと抱きしめられる。
「梨花。別に私は強くなんてありませんわ。悪夢を見て体が震えることも、罪悪感で押しつぶされそうになることもあるんですの。でも、梨花が居るから私は今強くいられるですわ。だから、自分が必要ないなんていわないで。今、梨花が居なくなったら、今度こそ私は死ぬ」
「沙都子、それはシャレにならないわよ」
「だったら、シャレで済むようにしてくださいませ」
「仕方ないわね」
そう言って、沙都子を抱きしめ返す。
実際に沙都子が本気でそう思っているかは分からない。
でも、私を必要としてくれているのは確かだ。
これで乗せられるなんて、私はちょろいわね。
苦笑いが浮かぶけど、悪い気はしない。
「ところでそろそろお腹が空きましたわ。私、まだ料理は上手くないんですの。梨花に作って欲しいですわ」
「本当に沙都子は仕方ないのです。すぐに作るので待っていて欲しいのです」
そうして、背中に羽が生えそうな気分で厨房に向かう。
でも、私にはもう1つ心に残っているささくれがあった。
「結局、魂理って沙都子にとってのなんなのかしら?」
やっぱり、後日談系でやるのって難しいな。