享楽、懊悩。メンヘラおじさん 作:ちりぬる男
くたくたの帰路。歩くとき手にぶら下がる鞄がやけに重く感じる。帰りにビールを買おうかと思い悩むけど、そういえばもう金がやばいことを思い出してため息をつく。
「はぁ、はよ帰ったら寝よ」
寝る前に風呂とかご飯とか色々あることを考えると全部億劫になる。ほんっとめんどくせーや、やることなすこと。
電車に乗って一息つきつつスマホでも見てるとツイのDM通知が来ていた。さほどおれのツイにDMなんてこないし、来ても冷やかしが多い。とりわけイラつくのは捨て垢みたいなやつからの「おい落伍者」みたいなその語彙がありそうな感じも出せつつやっぱりダサいワードチョイスはなんなのか問い詰めてやりたいくそメール。いっとき粘着されてめっちゃウザかった。
そういうわけでまだ文面にはほとんど目を通していないけど、この人はやけに礼儀正しいんだなってことは一目で分かった。です、ます、なんてつけてくる人は、今の俺のところにはそうそう来ない。
「んで、用件はっと」
見たこともないユーザー名だった。お久しぶりです、から始まるメール。
少なくとも心安らぐものではないことは確かだった。
カランコロンとその喧騒には似つかわしくないほど優しい音を立てながら居酒屋に入る。むかしはよくここに来たもんだ。ちょっとした感傷に耽っていると、店員さんがこちらまで歩み寄ってきていた。
「いらっしゃいませ。何名さまですか?」
「えっと、二人です。一人先に来てると思うんですけど……」
きょろきょろとあたりを見回すと「おーい、こっちだよ、ガンジくん」と大きな声でおれを呼びかける声がした。
いや、ガンジて。
ちょっと汗をかきそうになりつつ、「あの人です」と言いながら少しだけ頭を下げてその人のいる席に向かう。
「どうも、タンマさん」
「や、久しぶりだね、ガンジくん?」
「驚きましたよ、突然知らない人からDMが来るんですもん。ほんとにタンマさんなのかも確証が持てないままここに来ましたけど、ようやく安心できました」
「ま、無理はないよね。だからすごく畏まった文面にしてみたんだけど、とりあえず。最初にビールと……あとなにを頼もうかな」
「おれはとりあえず枝豆と唐揚げにします」
「じゃあ、僕も最初はそれと焼き鳥にしようかな」
「あ、そういえばここの焼き鳥ってうまかったっだった。俺も頼みますね」
ワイヤレスチャイムを俺が先んじて押すと、遠くの方から、はぁい、と快活そうな声が聞こえてきて、それから軽やかな足音とともに店員さんがやってきた。
「中ジョッキ、枝豆、唐揚げ、焼き鳥をそれぞれ2つずつでお願いします」
タンマさんが俺の代わりに言ってくれて、タンマさんが礼儀正しくもちょこんと頭を下げるのに続くように俺も下げた。
「かしこまりましたー」
注文の確認の後で店員さんはじっと用紙を見つめながら厨房へと、さっきよりは重い足取りで戻っていった。
「引退して、実況もさっぱりやめてからあまりこちらの世界は覗かないようにしてたからさ。てっきりガンジくんも引退したもんだと思ってたから配信を不定期でしてるって聞いたときずいぶん驚いたよ」
「はは、まぁ、気まぐれみたいなやつですよ。えと、誰から聞いたんですか?」
「ハッちゃんだよ」
「……ハッちゃんさんですか。っていうかおれの配信見てくれてたんですね、ハッちゃんさんも」
「時間が合うときは見てるらしいよ。なんだかんだで落ち着くんだって。でも時折不安になるらしい」
「不安、ですか?」
「こんな生活がガンジくんにいいとは思ないって。……僕もそう思うよ」
店員さんが中ジョッキと枝豆を先んじて持ってきてくれたようで、机から鈍い音が4回鳴った。
それに対してプログラムでもされたみたいな機械的な動きで俺とタンマさんは礼をした。
「……どういう、ことですか?」
「やめてからわかったんだ、あの場所はちょっと普通じゃない。人との関わり方もそうだと思う。それに幸せになれる人となれない人で極端な場所だ。実力があるからと言って流れに乗れなければ停滞を続けるし、なんでこんな人がっていう人が短期間で登録者数が10万を超えてたり」
「……おれは幸せじゃない、と?」
「そういうことを言いたいわけじゃないけど、まさか自分のことを幸せな人間だと思ってるわけじゃないだろう?」
「久しぶりなのに辛辣っすね」
「僕もそう思う、ごめんね?でもガンジくんに選択権はあるにしても誰かがこのことを伝えなきゃいけないと思った。今のガンジくんの人間関係なんてそりゃあ僕がわかるわけはないけど、もし言うなら僕しかいないんじゃないかって。なんとなくだけどね?」
むかしのタンマさんはお世辞にも人の良いキャラで売っていたわけではなかった。誰かが変なことをやったと聞けば生配信でそいつを叩きまくる。そういうやつらの中でも急先鋒と言っていい立ち位置だった。だから配信者やそのファンからタンマさんは蛇蝎の如く嫌われていた。ただ、自分なりの正義感に従ってやっているようだとは思っていた。
かつて何回か会って話をしたときは、今みたいにもはやサンドペーパーでも意味がないほど角が削られたようではなかったが、それでもあんな配信してるってことが信じられない程こちら側に気を遣ってくれる人だった。
根っこが善人で、言いたいことはズバズバと言ってくる。この人は何年も前からそんな人だった。
「そうですか…。でもおれもどうすればいいのかわからなくなってるのは、まぁ確かだと思います。でもネットじゃない、現実でも幸せになれる気がしないんなら、結局ココしかないんじゃないかって俺は思うんです」
「……。僕も8年前そう思ってた。まだあのときは大学生だったかな。君より一個上だったから僕は大学4年か。はは、そんな年齢のくせにあんな配信やってたんだから、自分でも子どもだなって今でも思い出すことがある。あのときやめたのは間違ってなかったと思う。やめるときは結構惜しんだものだけど」
「一応僕もそれくらいで一回引退してるんですけどね。……それでなんでか戻ってきた」
「確かに。君と僕とは環境が違うかもしれない。僕は個人でやってた。君は基本グループでやってた。……やめたのは、もしかして?」
「違います。おれの勝手です。どうしてもやめる……やめなきゃいけない理由ができたんですよ」
「そうか、申し訳ないね」
しばらくタンマさんは考えこんで、その様子を俺はチラチラと中ジョッキ片手に観察していた。
「……どうしても、っていうのが味噌だったのかもね。自分の意思でやめようと思ったわけではない。完全に忘れることができなかった。だからこそ……。そうだね。僕がガンジくんだったらきっと今のガンジくんみたいになってた気がするよ。不躾なことをいってごめんね」
「……。タンマさんは、今、どう幸せなんですか?」
「それガンジくんの話の後では話しにくくないかい?」
「嫌味だなんて思ったりしませんし大丈夫ですよ。なんでも言っちゃってください」
努めて笑顔をつくった。それも見て一瞬、タンマさんはこいつ大丈夫か?というような顔をしつつも
「えーと。実はなんだけど。ハッちゃんと結婚したんだ」
という衝撃的な事実を告げてくれた。
「結婚?!!ハッちゃんさんとですか?!」
「そう。驚くだろ?」
「ていうかハッちゃんさんって女性だったんですか?!」
「あれ知らなかったの?そうか、会ったことないんだっけ」
「はい。中性ボイスなんでてっきり男が声つくってるのかぐらいに思ってたんですけど……」
「いやー。それ本人に言ったら傷つくぞ〜。確かに声を多少はつくってたみたいだけどね。女だと舐められるから、って言って男みたいに」
「うわぁ、まんまと騙されたってことではあるんですね。そうか、うん。でも、別に俺ごときで傷つかないでしょ」
「いやぁ。そうでもないと思うよ。ハッちゃんこの世界に入ったのガンジくんに憧れて、らしいし」
「あ、そ、そうなんですか」
初耳だった。
「憧れの実況者なんだよ、ガンジくんは。ハッちゃんだけじゃない、多分他にもいっぱいいる。胸張りなよ。誰かの背中に君はなれてるんだ。……っと、話がそれたね。えーっと、結婚して、子供もできてね。おかげさまで幸せだよ」
「子供?!情報の洪水ですね……」
「そうだろ?二人目もお腹の中にいる。ま、幸せだよ。もうハッちゃん含めて配信なんてほとんど見てなかったんだけど、こっそり君のことだけはハッちゃん、復活したときから見てたみたい。あんまりこそこそ見てるからSNSを使って浮気でもしてるのかって疑っちゃったよ」
「そんな隠れて見るもんなんですかね、おれの配信って」
わざとらしく落ち込んでみせる。
「そうじゃないんだけど、どうもむかしからガンジくんガンジくんって言い続けてたから、もし今も追いかけてるって僕にバレたら妬かれるんじゃないかって少しヒヤヒヤしてたらしい。まったく……。そんなことないのにね?」
「その結果浮気を疑われるっていうのも皮肉ですね」
「あはは。ま、何はともあれ、だ。ちゃんと外を見れば幸せは転がってるかもしれない。いつまでもおんなじ場所ばかり見つめていたところで始まるものも始まらないよ、ってことを言いたかったんだ。僕なんかには自分の物差しでしか君のことを想像できないけどさ」
ほんとうにずけずけ言ってくる人だと思った。でもこれくらいの人じゃないと、俺に会おうなんて思う人いないっていうことは確かだと思う。
「そうですね……。もうちょっとだけ考えてみようと思います」
タンマさんのその熱意に免じてだなんていう上から目線じゃないけど、ここまで言われて耳を貸さないなんてことできるはずもない。それに誰かに言ってほしかったのかもしれない。
「うん。別に僕の話を聞いたからと言って配信を控えなきゃいけないとかは考えなくていいからね?ただガンジくんの幸せが、灯台下暗しとも言うけど、画面の向こうなんて見なくたって側にこっそり落ちてる可能性があるってことは胸に留めておいてもらいたかった、それだけなんだ」
もう少ししか残っていないジョッキを最後にぐいっと喉に送り込んで、空っぽのジョッキを机に置いた。手の甲で、雑に飲んだせいで口元を垂れるビールを大袈裟に拭き取る。
「じゃあ、明日配信やります」
「ははっ。そう。その意気だ。ハッちゃんも、僕も喜ぶよ、変な話だけど。……よし!ビールおかわりしようかな?」
うまそうに焼き鳥を食べるタンマさんを見ながら、自分が頼んだ焼き鳥の串を持って口に運ぶ。
「じゃあ、もっかい俺焼き鳥頼みます。それと……もういっぱいビールと、ナポリタンにしよ」
選択をすることを必要以上に恐れていた。そんな気がする。
ナポリタンもそうだ。居酒屋まで来てナポリタン?とか思って、頼んだこともなかった。
そうやって少しずつジョッキが積み重なったり退けてもらったり、また積み重なったりした。
「えっ?!今何杯目ですか?!」
「まだ、5杯目で少ないぞ」
「いやいや、量じゃなくて。ペース早くないですか?!」
「ガンジくんも飲もう!奢るぞ!」
「って、うぇ。えっ、っちょぉお!」