蒼穹の果てと水平線の交わる所に、まだ見ぬ世界の乗った大陸が見えてくる光景を船首に立って眺めている二人の少女がいた。
「カイチョ―、これからいよいよボク達の異世界ダービーが始まるんだね」
黒髪よりもほの明るい鹿毛色の髪をなびかせ、トウカイテイオーは白い勝負服に身を包みながら、ワクワクする心地を押さえられないように隣に立つシンボリルドルフへ話しかけた。
「異世界ダービーとは言い得て妙だな。確かに私達の知らない事ばかりの世界だそうだ。魔法があって、ドラゴンがいて、犬や猫の耳を持った人がいるらしい」
「楽しみだなぁ~♪ けど、どこに行ってもボク達のやる事は変わらないよね」
「ああ、その通りだ。走って走って、死力を尽くして、見ている人達を魅了する、そんなウマ娘になる為の旅をまた一から始める事になる。トゥインクルシリーズでファンを集めて自らの足に合ったレースを選ぶ生活に逆戻りだ。うんざりかな、テイオー」
「ぜーんぜん! テイオー伝説ランドソル編が始まるかって思うとワクワクしてるよ! あっちで皇帝っていったらボクの事になっても泣かないでよね」
「私もむざむざ負けてやるつもりはない。伊達や酔狂で皇帝などと呼ばれていないからな」
「えへへ。じゃ、乗り込んで最初のレースで白黒つけようよ!」
「いいだろう」
「ダ メ で す。
そもそもなんですかウマ娘って。異国の地に私どもの知らない種族がいるのはいいんですがなぜ競馬場を貸さなければならないのです?あなた方の国がどうかは存じ上げませんが競馬場は王家の管轄にあってしっかりとした保護の下に……」
…………
「もー! なんなのさー! 何でこっちにはウマ娘がいないの! そして馬って何!? 全然知らない生き物がボク達みたいな事してるんだけど! ワケワカンナイヨー!」
トウカイテイオーの叫びが夕刻の港町に響き渡った。
ぷんすか怒った様子で大皿のパエリアをかきこむ姿は少し行儀が宜しくないが、シンボリルドルフも似たような気持ちだったので小言を言う気にもなれない。
「参ったな。まさかトゥインクルシリーズのような興行が無い世界だったとは。競馬と言う物はあるそうだが……」
「異世界すぎるにもほどがあるよ! どーすんのボク達!」
「トレーナー達はとりあえず前もって設立していたギルドを訪ねるらしい。しかしまさしく前途多難。ターフに立てない私達はどうするべきか……」
長い船旅も終わりを告げ、トレセン学園代表として学長と共に船を受け入れてくれた港湾都市の貴族と会った二人を待っていたのはとんだ地獄だった。
何と言っても競バ場が使えないのだそうだ。これはウマ娘として生まれた自分達にとって生まれた意味を奪われたに等しく、さすがの皇帝も、そもそも走れないという事態を想定していなかったようで頭を抱えるほどだ。
「む。ルドルフ、テイオー。二人ともどうかしたのか?」
「オグリン……着いて早々買い食い?」
ぽつりと愚痴るような響きでテイオーは先輩であるオグリキャップに零した。
葦毛の銀髪が美しい、あちらでは全国民に知らぬ者はいないと言われたスーパースターウマ娘だが、イカ焼き片手に頬っぺたにご飯粒を付けているその姿は、なんとも朴訥とした田舎娘にしか見えない。そこが良いと言われればそうなのだけれど。
「オグリンは止めてくれ。ここには知らない食べ物が沢山あるからな。トレーナーに少しばかりお金を貰って買い物をしていたんだ。そうしていたら、気落ちしているように見えた二人がいたから。困っているなら相談くらいには乗りたいが」
「あぁー、そうだねえ…………」
「一つ聞きたいオグリキャップ」
「何だ?」
「今日からターフで走れない、となったら君はどうする」
かなり直接的な質問なんじゃないの、とテイオーは思ったがルドルフもそれは分かっている。とはいえオグリキャップはレース以外では闘争心を露わにしない落ち着いたウマ娘だから聞いたのであって、これが別の葦毛のウマ娘であったら絶対に聞かなかっただろう。
鯖を捕まえてきて『こいつ私達より足が速いんだぜ』とか訳の分からない事を言い出したあげく貴族を海苔巻きにしかねない。
「……? それは隣に聞けばいいんじゃないか?」
「カイチョ―の隣……」
こてん、とオグリキャップの言葉に可愛らしく小首を傾げたテイオーは、しかしルドルフの隣に自分以外が座っていない事を確かめて手を打った。
確かに幾たびも『もう走れない』と言われるほどの怪我を乗り越えてきたテイオー以上に、質問の回答者はいないように思われた。
「いや違うよ、ボクみたいな怪我でどうこうじゃなくて、何て言うのかな、もっと大きな物のせいでっていうか。貴族って人のせいでターフがうみゃうみゃ……」
「いまいち話が分からないが……」
「まあそう言わずに答えてよ」
「そうだな……身体のせいで走れないんじゃないなら、私は走るのを止めないと思う」
「ほう」
「ターフじゃなくても走れる場所はあるだろう? それこそ河川敷とか、山とか、そう言った所で私は走ってきた。だから、走れないと言われても関係ない」
あっけらかんとオグリキャップは言う。
それはただただ単純な、ウマ娘なら誰もが持っている走りたいという欲求で、
「テイオー、どうやら我々は恵まれた環境に慣れ切ってしまっていたらしい。ターフでなくても走れる場所はある。なるほど。真理だ」
当たり前のようにトゥインクルシリーズという舞台に立つ事を前提に生きて来た二人にとっては、忘れかけていた単純な輝きだ。
「けど皆の前で走りたいよー」
「それもまた私たちの真理である所が悩ましい所だな」
「む……これが故郷なら応援してくれる皆のおかげでターフに立てたが……」
「あ! それだよ!」
「どれだ?」
テイオーはピョコンと耳を高々と掲げた。
それと同時に上げた顔には、困難を前に輝く挑戦者の瞳が宿って、星のようにキラキラ輝いている。
「皆に応援してもらって、貴族の人も無視できないくらいボク達が大きくなればいいんだよ! 地方で勝ち続けたオグリンを中央が無視できなくなったみたいにさ!」
勢いよくテイオーは立ち上がると、高らかに宣言するように人差し指を立てて大きく腕を振り上げた。
背筋を伸ばした佇まい。勝負服の赤マントがはためく立ち姿はまさしく帝王らしい尊大さがどこか感じられたが、その意識に追いつくほどの才能に溢れている彼女は、自信という炎に燃えて仕方がないのだ。
つまりあのお堅そうな貴族に、いつか自分達のレースを見せてやるという気持ち。
「そうと決まったら早速行こっか」
待て、と言うルドルフの声も聞かず、テイオーは騒がしい店内に入って行った。良く知らない異国の音楽にのって歌いだす酔っ払いと、エイシンフラッシュが着ているような服で給仕する女性がいる。
時折爆発するような大きな笑い声が響き渡る賑やかな店内に、テイオーは満足そうに頷いた。
「こんなに人がいるならいいかな。噂も広がりそうだね」
「テイオー……何を」
もっともな疑問を抱いたオグリキャップに一瞬だけ顔を向けると、二ッと少年っぽさのある中性的な顔立ちを笑みに変えて返事にした。
それにどんな意味が込められた分かったルドルフは、
「好きにしたらいい」
鷹揚にに頷いて彼女のする事に賛同するのだった。
「さあ! テイオー伝説ランドソル編、はっじまるよー!」