ウマ娘を背中に乗せて走りたいだけの人生だった   作:観測者と語り部

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BNWのバナナ、ニンジン、リンゴの話をすると言ったな。
あれはもうちょっと後だ。


ナリタタイシンは気分転換に触れ合いたい

 トレセン学園の片隅にある厩舎は、今日も今日とて静かである。

 

 厩舎の中は広々としていて大きい。ひとつひとつの馬房も、馬一頭が余裕で歩き回れるくらいには広い。

 

 他の『馬』が居れば顔を出したり、嘶きあったりして、お互いの様子を確かめ合う姿が見えるのかもしれないが。今のところヘータローという馬が一頭だけなので、物静かだ。

 

 大抵は小さな白毛のウマ娘がブラシで一生懸命、厩舎を掃除する音が響くだけである。

 

 

 意外かもしれないが、この厩舎に立ち寄るウマ娘は少ない。

 

 『馬』という生き物は、この世界では大変珍しい存在であるが、同時に恐れ多い存在であると信じられているからだ。

 

 三女神の使いとまで呼ばれている彼らは神聖な生き物として扱われるから、最初は誰もがおっかなびっくり接してしまう。慣れてしまえば、その力強い馬体と、騎乗した時の楽しさが忘れられなくなって虜になってしまうのだが、大抵は御利益があればいいなくらいの感覚で遠巻きに見られるだけなのだ。

 

 あと、『馬』は臆病な性格なので、大勢で押し掛けたりとか、五月蝿い騒音とかを嫌う習性があるのも大きい。だから、厩舎で騒ぐのは厳禁というのも理由のひとつかもしれない。

 

 そういうのもあって、ほとんどのウマ娘は、偶に運動に連れ出されるヘータローを、こっそりトレーニングの合間に見守るくらいであった。

 

 トレセン学園で授業を行い、みんなでトレーニングをして、さらにウイニングライブの練習までしている彼女たちウマ娘。時に忙しいけれど充実した学園生活を送っているのが、厩舎に居ても分かるくらいだ。だから、『馬』に会いに来る余裕がないともいう。

 

 大抵のウマ娘は、そのまま飯食って、お風呂に入って、宿題やって、寝てしまうのが大半。そうして、学友たちと偶の気分転換に遊びに出かけてゆく。

 

 例外なのは毎朝、様子を見に来るスペシャルウィークと、休日のお昼に散歩に来るグラスワンダーくらいだろう。

 

 彼女たちは、お世話係のブランと一緒にヘータローとお茶をしたり、お昼寝したりすることが多い。

 

 そこに釣られてセイウンスカイがやってくることもあるし、空中散歩の帰りに遊びに来た鷹のマンボと、そんな相棒を連れ戻しに来たエルコンドルパサーが慌てて追いかけてくることもある。

 

 ヘータローの最近の記憶だと、物怖じせずに毎日遊びに来るハルウララが記憶に新しいかもしれない。

 

 もちろん、キングヘイローが門限の時間までに、ハルウララを連れ戻しに来るまでがセットである。

 

 ヘータローの居る馬房の中で、柔らかい藁に包まれて眠るハルウララ。それを座りながら優しく見守るヘータロー。そして、あまりの微笑ましさに起こすに起こせないと内心で葛藤するキングヘイロー。

 

 つい此間の出来事である。

 

 

"ひひ~~ん"

 

 ヘータローは馬房の中で、元気無さそうに嘶いた。

 

 今は一人さびしくお留守番している最中なので、他に考える余裕がないとも言う。

 

 いつも一緒に居てくれるブランも、おやつのにんじんを取りに行ってしまい。厩舎でヘータローはひとりぼっちだ。周りに友達もいないので、しょんぼりヘータローである。

 

 

 "彼"はウマ娘が好きである。

 

 特に名のあるウマ娘が相手だと、どこか既視感を感じるのか、初対面でもとても懐く。

 

 誘導馬としての在りし日の記憶がそうさせるのかもしれない。

 

 

 最近は、桐生院の家のところの娘さんがちょっと気になる様子。ヘータローを拾ってくれたじいちゃんと、同じ匂いがする。

 

 彼女はウマ娘ではなく、ヒトではあるのだが、ヘータローと一緒に馬術大会に出たこともあるアオイさんと雰囲気が一緒なのだ。

 

 このまえ、うまぴょい伝説のダンスレッスンをしてる所を近寄って行ったらとても困った顔をされてしまった。

 

 なんとなく"おぼえていないの~~?"って鼻面を押し寄せたら。柔らかい自慢の鼻をぷにぷにしてくれた。

 

 うれしくて、いっぱい甘えた。

 

 

 鷹のマンボとは何となく友達で。背中に乗ってくる理事長の猫には愛嬌◎。

 

 というか、猫全般は鼻を近づけるくらいには、好きだ。

 

 この前、背中に乗せて歩いていたら「驚愕!? というか、猫取られた~~」って泣きそうな顔をされたので思わず近寄って擦り寄ったら、いっぱい撫でまわされた。ついでに背中の上の猫は、いつの間にか小さな理事長の頭の上に居た。

 

 ほんとにいつの間に。

 

 そんな風に思う。午後の時間。

 

 厩舎に誰か来た。

 

「へぇ、ここが噂の厩舎か。結構広いじゃん」

 

 ヘータローの前に現れた少女は、ジャージ姿のナリタタイシンだった。

 

 彼女は、いつものトレーニングが終わって、これからお気に入りのお昼寝スポットで涼もうとしていたのだ。けれど、先客の猫に場所を取られてしまったので、仕方なく新たなお昼寝スポットを探して厩舎に寄った次第である。

 

 噂の『馬』が住んでいるという厩舎の中なら、誰とも会わないんじゃないかと――

 

 

"見て、あの小さいウマ娘――"

"あんなので、ほんとに選抜レースを走り抜けるの?"

 

"アタシ知ってる。アイツ、すっごく態度が悪くて、生意気で、そのくせ規則を破ってばっからしいよ"

 

"門限ギリギリまで帰ってこないとかさ"

 

"うわっ、サイアク。寮長のフジキセキ先輩に迷惑かけんなっての"

 

"ほんと、実力も無い癖に中央に来る奴は、これだから――"

 

 

 頭に響くのはくだらない雑音。聞きたくない残響(ノイズ)の数々。

 

「くっそ……っ!!」

 

 タイシンは頭に浮かび上がった残響(ノイズ)を振り払う。

 今は誰とも会いたくない気分だった。だから、気分転換にいつものお昼寝スポットで精神(こころ)を落ち着かせようとしたのだ。

 

 このままじゃ心配して探しに来たチケットや、ハヤヒデに心無い言葉をぶつけてしまいそうだったから。

 

 このままじゃいられなかった。バカにしてる奴ら全員を見返して、こんな自分でも親友だと思ってくれているチケットやハヤヒデに胸を張れるような自分にならないといけないのに。

 

 そして、トゥインクルシリーズにいつか一緒に出て、クラシック三冠を競い合うまで実力を高めて、自分が三冠を……

 

"ひ~~ん?"

「てっ……うわあ!!?」

 

 いつの間にか、目の前に自分を見つめる『馬』の顔があって、タイシンは思わず尻餅をついてしまった。

 

 すごくびっくりした。

 

 どうやら、この『馬』は自分の厩舎の中入ってきて、頭で後ろ手を組みながら考え事をしていたタイシンをじっと見ていたらしい。ヘータローは尻餅をついた彼女を"だいじょ~ぶ~?"とでも言いたそうに、馬房から首を伸ばして見つめていた。

 

「なんだよ。オマエ。驚かせやがって」

 

 それに対して、ナリタタイシンの口から出てきたのは思わずといった風な悪態。

 

 だけど、次の瞬間には「いや、アタシが悪いんだけどさ」と彼女はバツが悪そうに顔を逸らした。

 

「その、ごめん……」

 

 小さく謝れば、なぐさめるようにヘータローの鼻面を押し付けられた。しおしおと元気無く垂れていたタイシンの長いウマ耳が、くすぐったそうに跳ねる。そうして、興味深そうにヘータローに向けて耳が立てられた。

 

 改めてヘータローを見つめるタイシン。目の前にはとってもおっきなお顔。優しそうなつぶらな瞳。

 

 目の前でテイオーに、はちみーを美味しそうに飲まれて。ぼくにもちょうだいって顔を寄せたら。生意気そうないたずら声で、あげないよ~~ってされた時に見せたアッシュゴールドな顔をする馬とはとても思えない。

 

 すごく表情豊かなヘータローくんである。

 

 ちなみにステゴ一族、へんな顔、で検索してはいけない。

 ゴルシちゃんとの約束だ。

 

 なんで、あの一族ってそろいもそろってヤベー顔するんだろうね。

 

「……それにしても、オマエって、本当にでかいね」

 

 少しくらいその大きさを分けてほしいと思うタイシンと、そんな彼女をじっと見つめて不思議そうにしているヘータロー。改めて立ち上がって見てみるとヘータローは本当に大きかった。

 

 自分というウマ娘が小さいのもあるだろうが、それ以上に"彼"はすごく大きく感じるのだ。

 

 500kg近い馬体は、こうしてタイシンが立ち上がって見みても、思わず圧倒されるくらいの大きさだ。

 

 馬房と厩舎の通路を閂で遮られてなかったら、こんな風に呑気に見つめるという事も出来なかっただろう。

 

 それでいてウマ娘と同じくらいかそれ以上のスピードでターフを駆けるのだ。小回りは断然ウマ娘の方が優れているが、パワーは向こうが上かもしれない。目に見えて分かるくらい体格と体重差は違いすぎるし。急に近づいてきたりしたら、蹄に轢かれてしまうんじゃないかと思うのも無理はなかった。

 

(だ、大丈夫、だよな?)

 

 内心ではちょっと、おっかなびっくりなタイシンである。

 

 馬の顔だけでタイシンの胴体半分くらいはありそうなほどデカイ。思わずハヤヒデの顔が浮かんで――

 

"――誰の顔がでかいって?"

 

 思わず、その考えを振り払った。

 

 

 ハヤヒデは、そういう話題に妙にカンがいい。その話題に対して地獄ウマ耳と思えるくらい敏感だ。いつの間にか、デカイと呟いた相手の後ろに居たって不思議じゃなかった。

 

(不思議じゃないよな?)

 

 思わず後ろを振り返るタイシンである。

 ちなみに誰もいない。

 

"ぷるるっ、ぶるるっ"

 

 安堵して振り返る。目の前にはおっきな馬の優しげな顔。尾花栗毛の黄金のたてがみがとっても綺麗だ。

 

 そうして、あらためてヘータローを見つめる。

 

 そうだ。目と鼻の先。手を伸ばせば触れ合える距離にヘータローはいる。

 

 鼻がひくひくと動いており、"なにか持ってないの~~?"とでも言いたげな様子。いつも来るウマ娘たちに餌付けされているので、彼がそう思うのも仕方がない。ちょっと食い意地が張っているヘータローくんである。

 

(うっ、噛みついたりしないよな。でも、触ってみたいし……なら、ちょっとだけ、ちょっとだけなら……)

 

 幸いというべきか、タイシンを咎める相手も、止める相手もいない。

 

 この不思議な馬を相手に、慣れないことをしようとしているタイシンを見ている相手はいないのだ。

 

 見られたらきっと恥ずかしさで俯く自信がある。ついでにバカにされる。

 

 そんなのはゴメンだ。

 

 だけど……

 

 ちょっとだけなら。

 

 そっと手を伸ばす。

 

 顔から、鼻先にかけて触れてみる。

 

(ちょっ撫で心地良いかも……)

 

 それがヘータローに触れているタイシンの率直な感想。

 

 温かい。鼻先がひくひく動いてる。手に掛かる鼻息はぶおってくらいすごい勢いで。手入れされているのか毛並みは滑らかな感触がした。高級絨毯みたいな毛先の感触だ。思わずずっと撫でていたくなる。癖になりそうだった。

 

(確か、遠目で見ただけだけど、こうやって撫でてて、それから――)

 

 いつか、誰かがやっていたようにヘータローの首筋をなでなですると、黄金色のたてがみを持つ『馬』は気持ちよさそうに目を細めた。ついでに、すりすりとタイシンの手に顔をすり寄せてくる。

 

(わぁ、なんか、かわいいな)

 

 その様子にタイシンの顔がほころんでいく。頬は桜色に染まり、気分は絶不調から好調気味に推移していく。

 

 特に鼻の感触がいい。馬がそうなのか、ヘータローがそうなのかタイシンには分からないが、馬の鼻先はとてもぷにぷにしていて弾力があるのだ。思わずずっと撫でていたくなるくらい気持ちよくて、ついついぷにぷにしてしまった。

 

 誰かの心無い噂や、かつてのクラスメイトにバカにされて。内心で苛立ち、ささくれ立っていたタイシンの心が癒されていくのを感じる。

 

 気分はすっかりお気に入りの動物に魅了された子供のようだ。調子は鰻上り、おまけに気分は絶不調から絶好調まで早変わりである。

 

 ついでに体力が30も回復したような気がした。

 

"ヒヒンっ? ヒヒ~~ン♪"

「わわっ、気に障ったか!? その、謝るから怒らないでくれ」

 

 タイシンがヘータローの首筋を撫でていると、思わずといった風に彼は首を振った。

 

 それにびっくりした様子で手を引っ込めたタイシンだったが、ヘータローからは不思議そうな目で見つめられた。"もっと撫でてくれないの~~?"という感じだ。

 

 もしかしたら、ちょっと、くすぐったかったのかもしれない。

 

(よ~し、それなら……)

 

 だから、場慣れならぬ馬慣れしたタイシンは、ヘータローに触り続け、気が付けば馬房の仕切りの下をくぐって中に入っていた。もっと近くで触れてみたいと、そう思ったからだ。

 

 ちなみに危険だから、厩務員以外の人は馬房の中に入ってはいけない。

 

 馬の蹴りは、時に百獣の王を殺す威力があるのだ。特に尻尾にリボンをしている奴は要注意である。そいつは着飾ってるんじゃない。猛馬だから目印を付けているだけだ。気性も荒いし、プライドが高いから人間が気安く触れるんじゃねえぞというやつである。

 

 もしも、ウマ耳をぺたんと後ろに倒してるやつがいたら、そいつは特に機嫌が悪いという事だ。思わずアッシュゴールド顔で睨んでくるかもしれない。在りし日の"メジロマックイーン"もそれはもう、不機嫌そうにかっこよく写真写りしていたくらいである。

 

 だから、牧場には係員の指示に従って見学する事。事前に予約するのも忘れずに。

 

 ゴルシちゃんとの約束だぞ。

 

 

 閑話休題。

 

 

 さらに近寄ってみると、ヘータローの馬体はやはり大きかった。

 

 タイシンが立ったままでも、腕を伸ばさなければ手が届かないくらい背丈が大きいのだ。

 

 そのまま両手を広げてみても、ヘータローの首筋から後ろの脚の方まで、タイシンの手が届きそうになかった。

 

 何より、近くで見るとより伝わってくる迫力がある。

 

 ついでに、彼が大きく息を吸うたびに聞こえてくるヘータローの息遣い、肺の辺りから馬体がゆっくり上下する。

 

 綺麗な金色のたてがみは触れるとサラサラで、同じく綺麗な金色の尻尾はススキのように揺れている。彼のとっても機嫌が良さそうだった。肌に触れれば、その栗毛の毛並みはやっぱり艶々でさらさら。しかもすべり心地が良くて、人肌よりもあったかい。

 

 馬の体温というのは人間よりも高く、寒さに強い動物なので人肌よりも温かく感じるという。逆に彼らは夏の暑さが苦手なので、日本の夏場だと北海道の避暑地で過ごすのが大半だった。熱中症は馬にとっても天敵だ。

 

 服を着ている馬のミホノブルボン?あ、あれは虫よけだから。 ごろごろしているのは、服を脱ごうとしているんじゃなくて、彼ら"馬"は砂遊びが好きなだけだから。

 

 ついでに面倒見がいいメジロドーベルは、自分で砂遊びを実践して、やり方を教えてあげる良いお母さんだったりする。スーパークリーク? あ、あれは屋根の人がクリークに向かってでちゅね遊びを……げふんげふん…… 

 

「……よし」

 

 意を決したナリタタイシン。今度は、ヘータローの馬体にそっとウマ耳を寄せた。

 

 こう、顔を近づけて、扉に耳ぴとするグラスワンダーのように顔を押し付けたのである。ちなみに、担当のウマ娘と温泉に行き、そこでかけがいのないひと時を過ごした一部のトレーナーさんが、彼女らによって背中に耳ピトされる事案が発生し、とても悶絶したそうなのだが、その先がどうなったのか誰も知らない。

 

 耳ピトは好意を向ける相手や、気になる相手への意思表示(うまぴょい)なのかもしれない。

 

 だから、鋼の意志はトレーナーさんの必修科目なのである。

 

 それはそれとして。

 

 頬ずりしてみると、うっとりしてしまいそうな程の感触で癖になりそうだった。聴力が優れているウマ娘の耳には、ヘータローの息遣いと、ゆっくりと力強い鼓動の音がドクンっ、ドクンっ脈打っているのを感じる。

 

 それを聞いていると、なんだか安心した。

 

 やがて、ヘータローが身動ぎしたので、タイシンは馬体に寄せていた身体をそっと離した。

 

「わっ、どうしたんだ?」

 

 思わず不思議そうにしていると、ヘータローはゆっくりと馬房の中で座り込んだ。藁が敷き詰められた床は、馬でも寝転がれそうな程広くて、ヘータローも思わず横になってしまったようだった。

 

 というよりも、じっとタイシンを見つめて、それから自分のお腹の辺りを見つめているを繰り返している。どうやら、"こっちに来て寝っころがれ~~"とでも言うらしかった。

 

 彼は、いつもセイウンスカイの枕にされているから、いつもの癖でそうしているのかもしれないが。

 

 既に馬としての臆病な本能は、有馬の彼方に吹き飛んでいるヘータローくんである。

 

 人馴れしすぎたんだ。野性を失ってやがる。

 

「えっと、いいの?」

 

 タイシンが恐る恐る聞けば、頷くように動く仕草で迎えてくれる。そうして、首を柔らかい藁が敷かれた床に降ろしてお昼寝する格好になった。

 

 だから、タイシンも、ゆっくりと横這いになった馬体に近寄ると、そっとヘータローのお腹に頭を寄せた。

 

(これ、すごいかも……)

 

 お腹のあたりを枕にして寝転んでみると、不思議な感覚がする。

 

 ヘータローが大きく息を吸うたびに、上下するお腹に、タイシンの小さな身体が揺れ動く。なのに、顔に感じる毛並みの感触は気持ちよくて、頬ずりしていたくなる。

 

 大きな息遣いと、静かな馬房という空間に、なんだか安心感さえ覚えてしまいそうだった。

 

 思い浮かべるのは、自分の父の姿かもしれない。

 

 タイシンよりもずっと大きくて、ごつごつした大きな手で何度も頭を撫でてくれた幼き日の記憶のような。

 

 そんな父性にも似た感傷を、この馬に対して抱いてしまうような。思わず安心しきってしまって、このまま目を閉じてしまおうかなんて考えて。きっと一緒にお昼寝したりしたら最高かもしれないと。

 

 そんな風に馬房の中はとても落ち着くようで、安心する。

 

 遠い遠い魂の記憶が、在りし日の"ナリタタイシン"を思い浮かばせるような気がした。

 

 昔は、こうして"タイシン"も。

 

 在りし日の記憶。何となく微睡に包まれて眠ってしまいそうな午後である。

 

 そのままタイシンは思わず居眠りしようとして――

 

「……ウマ娘のおねえちゃん、何してるの?」

 

 

 様子を見に来た世話係の小さな白いウマ娘に話しかけられた。

 

 

「てっ、うわあ!? 違うんだ。これには、その深い訳があって、えっと……」

 

 内心で自分でも深い訳ってなんだ!?と自問自答するくらい慌てたタイシンは、ヘータローから飛び跳ねるようにして距離を取る。

 

 というか、考えが纏まらない。らしくないところを見られてしまい、恥ずかしくて動揺しているというのも大きい。これがチケットとかハヤヒデだったら、絶対微笑ましいものを見る目で見つめられるに決まってる。

 

 そんな事になったら、恥ずかしさのあまり、タイシンは悶絶してしまう自信があった。

 

 いや、まだ見られたのは、このウマ娘の子だけだから。そうだ。何とかして誰にも言わないように説得しないと。だから、口止め料に、この前発売したとても美味しくて甘いキャロット味の栄養食ゼリー(レースポイントが5も回復)とかどうだろう。あとで飲もうとしてたお気に入りの奴だけど、それで手を打ってくれるならタイシンとしては差し出すのもやぶさかじゃな……

 

「――乗ってみる?」

「えっ……」

「タロ兄の背中」

 

 そんな風に頭の中で掛かり気味になっていたタイシンに、世話係のウマ娘は小さな白い手を差し出して、おまけに片方の手でヘータローの背中を指し示すのだった。

 

"ふっひ~ん?"

 

 ……本人ならぬ本馬は、首を上げてそんな二人を見つめながら。何もわかって無さそうな様子で馬体を寝転ばせていたけれど。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

"ねえ、あれってタイシンじゃない"

"ほんとだ。何してるんだろうね?"

 

 どこかの誰か。つまり他のウマ娘の生徒が、タイシンを指さした気がした。

 

 ああ……きっと馬鹿にされてるに違いない。けれど、ウマ耳を塞ごうにもしっかりと手綱を握ってなきゃいけないし、そもそも馬に乗るのなんて初めての経験で、走らせ方も全然わかんない。自分の脚で逃げ出そうにも、自分よりもずっと大きな背中に乗っているせいで、足は宙に浮いたままだ。

 

"ねえ、すごくない。あれって噂の学園に住んでる『馬』だよね"

"いいなぁ~~、あたしも乗ってみたい"

 

"馬って、理事長とか生徒会の肝入りでしょう? 目を付けられて機嫌を損ねたりしたらヤバイって。噂じゃ、認められたウマ娘以外は背中に乗せないって話じゃんか"

 

"でも、乗ってみたいよ~~"

 

 だけど、聞こえてくるのは羨ましがるような声ばかりだった。

 

 誰もタイシンをバカになどしていない。というよりも、ヘータローの姿に魅せられて乗っているウマ娘など気にするそぶりも無いようだった。

 

 気になったタイシンは、ヘータローの前で引き紐を引いてくれている、小さな白毛のウマ娘に聞いてみることにした。

 

「なぁ、ほんとなのか。理事長とか生徒会のお気に入りって」

「……ん、気にかけて貰ってるのは確か。でも、ウマ娘を選んだりはしてない」

「えっ?」

「タロ兄はウマ娘がお願いすればだれでも乗せてくれる」

 

 さすがに太り気味の子は遠慮してるけど……そんな静かな呟きが革紐を引っ張る小さな白毛のウマ娘から聞こえてきて、思わずなにそれってタイシンは笑ってしまった。

 

 ぱからっ、ぱからとヘータローの小気味よい蹄の音が鳴り響く。

 

 手を伸ばして、首筋のたてがみを撫でてやると、彼はちょっとだけタイシンに振り向いて、それからまた前を向いて歩きだした。

 

「おっ、ヘータローか。元気そうじゃん。あとでまた髪を切ってあげるから、今度乗せてよ」

"ふっひ~ん"

「ヘータロー、お疲れ様、だよっ」

"ひひん"

「にしし、ヘータロー。あとでニンジン一緒に食べようね~~」

"ひん!"

「今日のおやつは三度までですわよ!?」

"ひひん?"

 

 すれ違うウマ娘たちがヘータローに挨拶すると、ヘータローも律儀に挨拶を返しているかのようだった。

 

 ときどき、背中のタイシンが落ちたりしないように気を遣いながら、ゆっくりと学園の舗装された道を歩くヘータロー。彼はウマ娘たちのことを見ながら歩いているようで、耳もせわしなく動いている。そのたびに、お世話係のブランが大丈夫だよ、とたしなめていた。

 

 彼は、まるで、レースに向けてトレーニングを頑張る彼女たちを、優しく見守っているかのようだった。

 

 時間は既に日が暮れ始めて夕方になっているころ。タイシンも、何かと断って自分のトレーニングに行きたいと思うのだが、どうにも乗せてもらった手前。別れるのもなんだかなぁという気分だった。

 

 夕方のヘータローはよくこうして、ウマ娘たちの様子を見るように、お世話係のウマ娘に連れられて散歩をすることが多いんだそうだ。

 

 それから要望があれば、その背中に誰かを乗せて、自身に与えられたトラックの芝コースを軽く一周、二周と回ってくれる。

 

 だんだんと、タイシンの心の内も、親友のチケットみたいに感動で溢れつつあった。

 

 なんというか、馬ってすごいのだ。

 

 とにかく、すごい

 

(うわああぁぁぁっ、視点が高い。学園の向こうが良く見える。人も、ウマ娘も、景色が流れていくみたい)

 

 今日の鞍上はタイシンの専用席。馬上に跨ると、嫌でも自分の視点が高くなるから、いつもは見上げるばかりだった相手の事を上から見下ろすようになってしまって、なんだか変な気分になるタイシンである。

 

 そうして学園を軽く見まわりながら、時に花壇の近くで小さな左耳飾りのウマ娘に、食べちゃダメです!!って必死に花々をガードされたり、バクシンバクシ~~ンと駆けて行ったウマ娘を見送ったりしながら。ヘータローとタイシンは、轡から伸びる紐を引いてくれる、小さな白いウマ娘と共に学園の敷地を歩いていく。

 

 それから聞こえてくるのは、学園の生徒たちの声と、ヘータローが歩くたびに鳴り響く蹄の音だ。

 

 ぱからっ。ぱからっ。

 

 ケエエエエエエェェェェッ!?

 

 猫ちゃん。にゃんにゃん~~♪ ごろごろ~~ですよ~~♪

 にゃにゃ~~ん?

 

 救いはないのですか~~!?

 メェエエエエエエ!!

 

 ひいいいいぃぃっ!! ごめんなさいいぃぃぃ~~~!!

 

 ウマ娘が"馬"の上に跨ったら何事も旨くいった。ふふっ、何事もうまく、ふふふっ。

 

 どこかで怪鳥が鳴いて、ノーザンなテーストの上にいた猫が鳴いて、掃除をしていたドドウが転び、何故かいる羊が鳴き、傍にいた祝福のウマ娘が自分のせいだと勘違いして謝り、ヘータローを生徒会室から見ていた会長が今日も笑っていた。

 

"おお~~いっ! タイシ~~~~~ン!!!!"

"あれは、馬か? そうか、タイシンが――珍しい事もあるものだな。それはそれとして私の顔はデカくない"

 

 遠くでやかましいくらいのチケットの叫び声が聞こえた。その傍らにはハヤヒデが居て、メガネをクイッと押し上げながら、微笑ましそうにタイシンとヘータローの様子を見守っている。

 

 だから、馬上のタイシンも。

 

「お~~い!! チケット~~!! ハヤヒデ~~!!」

 

 彼女は、とても機嫌が良さそうに、嬉しそうに笑って、ヘータローの上で大きく手を振った。

 

 いつもはそんな気分じゃないけれど。

 

 何となく今日くらいはそっけない態度をやめて、手くらい振ってみてもいいかなって、そう思ったのだ。

 

 これは、そんなある日の、タイシンの一日。

 




それは、ある競走馬との出会いと別れの物語。
たった一日だけの夢のような出来事。

「あなた、は……」
「生きていて、下さったの、ですね……」
「良かった。ほんとうに、良かった――」

サイボークと評された事もあるそのウマ娘は、その姿を見て安堵を覚えるあまり涙を流した。

「あぁ、あああ……っ」
「■■■■、さん……?」

後に祝福の青いバラとも謳われるウマ娘は、その姿を見て涙した。
あまりにも年老いて、すでにかつての全盛期を失った姿だったから。

だけど二人は覚えている。たとえ誰が忘れようとも。
あの日、誰よりも前を走り、誰よりも先に勝ちに行こうとした"馬"のことを。

「ねえねえ、この子ってすごいの~~?」
「そうだよ。ウララちゃん」

「この子は誰よりもずっと早く前に駆けだしたの」
「そうなんだ~~。じゃあ、すっごく強いんだね~~すごいんだね~~」

「■■■■ちゃんは、すっごくがんばったんだね~~」

春も麗らかな陽気を思わせる、桜色の小柄なウマ娘が元気よくその馬の前を歩いた。
いつの間にか彼の周りには多くのウマ娘たちが居て、その中には彼と一番を競い合った子と似ている気配がするウマ娘もいた。


みんなで一緒にターフの上をゆっくり歩いただけの、そんな日の出来事。

「うん、うんっ……!!」
「ライス、たくさん、たくさん走るね」
「いつまでも、元気よく。それからいっぱい長生きするから」

「だから、■■■■さんもお元気で」

彼は別れ際に、どうか元気で長生きしてねとそう言った気がした。
もう、同じ世代で生きているのは彼だけになってしまったから。

それに応えるように、ライスも涙を流して手を振り、駆けていく彼を見送った。
きっとそれは夢のような出来事。一日を過ぎればきっと忘れてしまうのかもしれない。

それでも、会えたことを。あの日、誰よりも早く一番先に駆け抜けたキミのことを、彼女たちはきっと忘れはしないだろう。
心の奥底でいつまでも覚えている。

"ずっとここにいていいんだよ?"
"うん、だけどボクには帰るべき場所があるんだ"

優しく呼んでいる人の声がする。優しく声を掛けてくれる人がいてくれる。
だから、走る。走る。光の先の、その向こう側へ。

声が聞こえる。

「坊ちゃん。いつまでも元気で居てね」

彼はきっと覚えている。

今も自分のことを支えてくれる優しい人がいる事を。

あの日、自分を拾ってくれて、ずっと支えてくれた人がいることを。

だから。

"ボクはここに居ていいんだ"

彼は今日もここにいる。

次回、番外編。

その馬の名は―――
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