茶柱先生が去って行ってから、綾小路君と志村君は2人とも無言だった。特に志村君なんかは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「じゃ帰るか。早く帰って寝たい」
「ああ同感だな」
「待って」
2人は帰ろうとするが、私は2人に聞かなければならないことがある。
「何だ?堀北。俺は今、お前と話したい気分じゃないぞ」
「あなた本当に志村君?さっきまでと口調とか雰囲気が全然違うけど」
私がそう言うと、どことなく彼の顔に陰がさした気がした。
「気のせいだろ」
それだけ言うと、志村君は帰ってしまった。残っているのは綾小路君だけ。
「...彼の口調が変わったのって、茶柱先生が『志村孝和』って人の名前を口にしてからよね?息子って言ってたけど...」
「知っているのか?」
「どこかで聞いたことがあるような気がするのだけれど、思い出せないわ。そんなことより、あなたはどうしてあんなことをしたの?」
「あんなことって?」
「とぼけないで。テストの点数のことよ」
「だからあれは偶然だ。根拠も何もないだろ」
「根拠はないけれど...綾小路君、よく分からないところあるし。それに、Aクラスにも興味なさそうだし」
「そう言うお前は、本気でAクラスを目指すつもりか?」
「ええもちろんよ。まずは学校側に真意を確かめるつもりだけれど、もし本当に私がDという判断をされたのなら、私はAクラスを目指す、いえ必ず上がってみせる」
ええそう。私はAクラスに上がらなければならない。絶対に。
「そこで...綾小路君に協力をお願いしたいの」
「協力ぅ?」
彼は露骨に嫌そうな顔をするが、敢えて無視する。
「断りたいの?」
「俺に協力出来ることがあるとは思えないけどな」
「大丈夫。あなたが頭を使うことはないから。私が作戦を練るから、あなたは身体を使ってくれればいい」
「どんな策があるか知らないが、俺以外に頼れるようになれよ。ほら、平田とかいるだろ」
「彼ではダメね。確かに一定の才能はあるけれど、私がそれを受け入れられない」
「悪いがやっぱり断る。俺には出来そうにもない」
「考えがまとまったら、連絡するから」
あとは志村君ね。彼にも言っとかないと。
今日は散々だった。早く帰って寝て、このストレスを浄化したい。寝らずに無心で算盤弾くのもいいな。思いついたらちょっと楽になってきた。うむ、いいことを思いついた。
しかし、俺はともかく綾小路は何であんなことしたんだ?全教科50点で調整するなんて、普通できないぞ。
水泳の授業の時から、只者では無いことは察していたが、ここまでとは思ってなかった。何か秘密でもあるのだろうか?
それと気になるのが茶柱先生。何故俺の父さんが『志村孝和』であることをバラしたのか...堀北は『志村孝和』に心当たりがなさそうだったが、調べられたら1発でアウト。もうあの場で名前を出された時点で、手遅れだった。もうあの二人の前で繕っても意味が無いだろう。
「くそっなんでこんなことに...ん?」
1人の女子生徒がうずくまっている。時折しゃくりあげているから、泣いているのか?いけないところを見てしまった気分だ。ここは見て見ぬふりをした方がいいだろうか...
「ひっく、うー...あ」
まずい。目があった気がする。思わず大きく目を逸らしてしまった。
「あの、もしかして見てました?」
もしかせずとも見てました。ハイ。
「いや、それはまあ、えーっと...すんませんでしたっ!」
「いえ、いいんですけどね...すみません。お恥ずかしい所をお見せして」
「いやこちらこそ、盗み見るような真似してしまって...」
「いや、それはいいんです。私がこんなところで泣いてるのが悪いんですから」
「何かあったんですか?」
「いえ、ちょっと仕事で失敗をしてしまいまして、また会長に迷惑を...」
仕事?会長?ああなるほど。
「生徒会の方だったんですか」
「はい。私は生徒会書記、3年Aクラスの橘茜です」
「3年生だったんですか。俺は1年Dクラスの志村豊です。それより橘先輩は仕事の途中だったんですか?」
「え?あ、はいこの書類を運んでまして...」
「この量をですか...運ぶの手伝いましょうか」
「え、そんな、悪いですよ」
「どうせ暇なので。それに仕事でもして、憂さ晴らしでもしたい気分だったんです。よっこらせっと」
やはり意外と重い。細いのに意外と腕力あるのかなこの先輩。
「これをどこに運ぶんですか?」
「あ、えっと生徒会室です」
「了解しましたー。で、生徒会室ってどこですか?」
「あ、1年生ですもんね。こっちですよ」
橘先輩の案内で、生徒会室に向かう。
意外と距離があり、荷物もそこそこ重かったので、結構疲れてしまった。
「この角を右に曲がったとこです。すぐそこですよ」
「橘、遅かったな」
「せ、生徒会長。すみません遅くなりました」
橘先輩が生徒会長と呼んだ人はメガネをかけた、いかにも優秀そうな男だった。
「いや大丈夫だ。問題ない。それよりそこの生徒は?」
「か、彼は1年Dクラスの志村豊君です。書類を運ぶのを手伝ってくれていたんです」
「ほー1年Dクラスのね。お前、名前は?」
「はあ、志村豊ですが。会長さんのお名前は何でしたかね」
「生徒会長の名前を知らないんですか!?」
橘先輩が驚いている。すみませんね。興味なかったんですよ。
「俺は堀北学だ」
「そうですか。堀北ね...」
「なんだ、どうかしたか?」
「いえ、なんでも。では書類も運び終わったんで、俺はこれで失礼します。橘先輩お疲れ様でした」
「あ、うん今日はありがとう。助かりました。今後学校生活で、困ったら遠慮なく声をかけてくださいね。今日のお礼に、連絡先でも交換しておきましょうか?」
「え、いいんですか?じゃあ遠慮なく貰います」
橘先輩と連絡先を交換した。上級生とのパイプができるのはいいことだ。
「では失礼します」
「うん、またね」
さーて善行もした事だし、帰って寝ますかね。今日は本当に疲れた。
5月に入ってから、すでに1週間が経った。現在日本史の授業中。Ms.茶柱のご講義の最中である。5月初日はあんなこともあったが、案外穏やかな生活が送れている。
「たうわ!」
急に叫び声が左から聞こえた。何だ?と思って見てみると綾小路君が右腕をさすっている。
「どうした、綾小路急に叫び声をあげて。反抗期か?」
「いえすみません。急に目にゴミが入りまして...」
目にゴミが入って叫び声をあげたのか?あの、綾小路君がねえ。ん、堀北さんなんかコンパス持ってない?え嘘だよね?本当だったら怖すぎるんだけど。
現在Dクラスは、クラスポイントが0ポイントなこともあって、ポイントを落としかねないことに敏感だ。よって、綾小路君も、数人の生徒に睨まれている。、堀北さん鬼だな...
昼休みになった。さて、パンでも買ってこようか。
「志村君、お昼暇?もし良かったら、一緒に食べない?」
「え、堀北さん?もちろんいいけど、なんか怖いな。何も企んでないよね?」
「企んでないわよ。何か奢ってあげるから、好きな物食べていいわよ」
「山菜定食とか言わないよな?」
「そんなことしないわよ。人の好意を素直に受け取れなくなったら、人間おしまいよ」
「そ、そう。じゃあお言葉に甘えて頂こうかな」
タダで貰えるなら貰っておこう。俺は堀北さんと食堂にやってきた。ちょっと気が引けるが、スペシャル定食を食べてやろうではないか!
ほくほく顔でスペシャル定食を両手に持ち、席に着くと堀北さんがこちらをじっと見ている。なんだ?やっぱり惜しくなったか?やらないぞ。
「どしたの堀北さん。食べたいの?」
「違うわよ、死にたいの?」
「ごめんなさい、まだ生きていたいです」
普通に怒られてしまった。
「それより志村君!あなたこの前の時の口調の方が話しやすいわ。戻して」
「え?この前の口調って何のこと、堀北さん」
「つべこべ言わずに戻しなさい」
「...いやごめん、あれ無意識だから」
戻すも何も意識的になるものでは無い。そう言うと堀北さんはニヤッとした。
「じゃあ、『志村孝和』って言えば、戻るのかしら?」
「...やめろ。その名前は俺の前では禁句だ」
「ほら、できた。そっちの方がいいわよ」
「お前、俺を脅すつもりか?」
「何のことかしら」
こいつ、十中八九調べたな。知っているのに素知らぬ振りをしている。
「で?こうやって餌付けして、脅して俺に何をさせるつもりだ?」
「話が早くていいわね。彼とは大違いだわ」
「彼って誰だよ」
「綾小路君」
綾小路?何故?
「私は必ずAクラスに上がらなければならない。そのために綾小路君に協力してもらうのだけれど、彼だけじゃ心もとないから、あなたにも協力をお願いしたいの」
「はあ、協力ねえ。俺なんかが協力しても、何の役にも立たないと思うけどね」
「大丈夫よ、考えるのは私。あなたと綾小路君には足を動かして貰えればいいから」
「わかったよ」
そもそも弱みを握られている時点で断れない。
「じゃあこれからよろしく。何をするかは追って連絡するから」
「連絡って言っても、俺はお前の連絡先知らないぞ」
「そうね。じゃあ仕方がないから交換しましょう」
ついに堀北の連絡先をゲットしてしまった。とても不本意な形で。
その後、会話も程々に、昼休みは終わった。