ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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これから少しシリアスが続きます。
しばらくお付き合いください。



第14話:誰がための悪意

 遡ること半日、まさにヤンらが福島レース場へ向かっているころ、ラインハルトとシンボリルドルフは前日に告知された臨時の理事会へ参考人として出席していた。一人は首席トレーナーとして、また一人は生徒会長として、それぞれ意見を述べるためである。

 定刻5分前である。理事長をのぞいた理事会メンバー6名が長机に向かい合って座っている。左奥の桐生院副理事長、そしてその斜向かいに座る秋山前首席トレーナー以外は皆ラインハルトを大なり小なり厭っている者たちであり、これからの苦労が想像できた。

 どうにもやりにくい、とラインハルトは嫌悪感を隠さないでいた。彼はかつては一国を統べる主導者であり、自己の意志がすなわち国の意志であった。

 

(かつてヤン・ウェンリーが査問会に呼び出された時は、このような気分だったのだろうか…)

 

 まだ学園で言葉を交わしたことのない好敵手を想起せざるを得ない。飲み慣れぬ水は腹を壊す。彼の言葉の意味が今更ながら理解できたのである。

 11時になろうかという時、会議室の扉が開き、若き理事長が入室した。全員が起立して迎え、彼女の着席に続いて再び席につく。

 副理事長が口を開いた。頭髪はすでに灰色になっているが、年齢に似合わぬ鋭い眼光は居並ぶ面々を睨みつけている。

 

「今回の議題は夏休み明けに行われる選抜レースについてにございます。伊地知理事より説明をお願い致します」

 

 丁寧ながらも、やや冷淡な口調であった。彼が熱意を欠いている理由に思い当たるのは、黄金色の髪の若者には容易なことだった。

 一方、指名された伊地知理事はキレの良い返事をすると威勢よく立ち上がった。だらしない腹の前でジャケットのボタンを一つ留める。脂ぎった顔は汗にまみれていた。

 

「はい! この度、私めが提出いたしました案は生徒のチーム加入条件としての選抜レース出走義務化と選抜レース前の勧誘を禁止する内容のものでございます。これは近年、二学期を前にしてチーム加入を決める生徒に増加傾向が見られるからであります。

 まず、5年前のデータをご覧ください。選抜レース前にチーム加入願を提出したものは、全体の1割ほどに過ぎませんでした。しかし、去年はおよそ3割もの生徒がチーム加入願を提出しているのです。

 なお悪いことに、希望が受け入れられなかった生徒の一部がいわゆる選抜浪人をし、彼らの健全な成長の芽を自ら摘んでしまっているのです。

 これは非常に憂慮すべき事態にございます。なぜなら、選に漏れて浪人した生徒は次年度の生徒の枠を圧迫し、そのシワ寄せを受けて希望チームに入ることのできない生徒が見受けられてしまうのです。

 そこで、一部の優秀なトレーナーのチームに希望が集中することを避けるべく、この度の発案に至ったわけにございます」

 

 唾を飛ばしながら一息に言い切ると同時にラインハルトの方へその丸々とした顔を向け、憤然と音を立てて着席した。

 秋山理事が挙手をし、二、三の質問を投げかける。

 

「つまり、君はこの案によって何を是正しようと試みるのかな? 要点を言いたまえ」

 

 淡々とした言葉である。この色白で剽悍な前首席トレーナーはかつてMr.シンプルの名で知られた極端な目的思考型の人間であった。実際、ラインハルトが彼に師事した際、担当するウマ娘に出していたメニューは「坂ダッシュ5本の後に300m走を連続で行うことによってレース終盤の末脚を鍛える」というように内容と目的が短く書かれていた。

 流石の伊地知も秋山の発言を無視するほど面の皮が脂肪で分厚くなってはいない。が、回答は期待に沿ったものではなかった。

 

「ですから! 先ほども申した通り、一部の優秀なトレーナーによる寡占を防ぐため、選抜レースへの出走義務化を定めることによって……」

 

 聞きながらラインハルトは傍らの会長を見やった。彼女は姿勢を正し、真剣に会話に聞き入っている体を前面に押し出している。が、耳はペタンと閉じて情報を拒絶しており、尻尾は荒ぶっていた。

 

「では、実際のトレーナーの意見も聞いてみようではないか。ローエングラムトレーナー、昨日君には前もってトレーナー会議を招集してもらい、その意見をまとめて貰った。その結果を聞きたい」

 

 副理事長から突然の指名を受けたラインハルトだが、すぐさま立ち上がると、資料を見るように面々に促した。

 

「まず、選抜レース前の勧誘禁止については全会一致で賛成。

 次に義務化に関しては60%が賛成を表明。反対したのは東条、沖野、南坂、桐生院、黒沼。残りの数名は修正を求めており、出走をした場合に優先して加入を認める、『優先加入権』を導入することが提案された」

「ほう、つまりは選抜レース前の勧誘については、これを禁止する、ということに異論はないのかな」

「その通りだ」

「ふむ、では、議論は主に出走義務化について行うとしよう。皆様よろしいですかな」

 

 副理事長は出席者を見渡した。異議なし、と声が上がる。

 

「それでは、生徒の実際の意見を聞いてみましょう。シンボリルドルフ君、生徒会長として、また一生徒として、意見を聞かせてもらっても良いかな」

「承知しました。

 生徒会長といたしましては、義務化には反対を表明させていただきます。現状、選抜レースは年に一回しかなく、これを義務化することは怪我や調整不足の生徒たちが不利益を被ることに繋がり兼ねません。

 しかし、私一個人としましては、選抜レースに積極的に参加してもらう仕組みが必要であるかと感じます。先ほど伊地知理事がおっしゃられた通り、ここ数年のあいだに、レースを始める前にチームを決める者が増加しており、選抜レースが形骸化している節があります。ですので、先程ローエングラムトレーナーの報告にございました、代替案の『優先加入権』は魅力的であると思います」

 

 伊地知理事はルドルフの発言中、2回顔色を変えるという忙しいことをやってのけた。そして、彼女の発言が終わるや否や、言葉を継いだ。

 

「いや、まさにその通り! 最近は選抜レースに参加せずにチームへ加入する生徒が多くて困る! 選抜レースは当初、入学して半年が経った新入生のお披露目の意味で設けられた。それが次第にチームへのアピールの場となった。であるのに今や…。私は非常に悲しい! 」

 

 彼の発言には彼の支持母体がトレーナーOB会と学園の中堅トレーナーであることに関係していた。彼らは優秀なウマ娘が新参者のラインハルトらに先んじて取られたことを根に持っている。直近ではメジロマックイーンがヤンに、その前にはトウカイテイオーがラインハルトに、事実はどうであれ、それぞれ奪い取られた。次の新入生が同様の目に遭う前になんとか対策を、と突き上げられていたのである。

 感情豊かな演説を一笑に付した秋山が選抜レースの回数を増やすことを回数制限と共に提案すると、伊地知は案外すんなりと受け入れた。

 その後2時間をかけて詳細が詰められ、採決が執り行われた。

 結果は4対2で可決。賛成が3分の2以上だったため、理事長は拒否権を行使することができなかった。

 ここに選抜レースへの出走がチームの加入条件として追加され、レース前の勧誘の禁止が定められた。さらに秋山理事の意見が容れられ、学期ごとに選抜レースが行われることが決定した。

 次の選抜レースは9月。これは例年通り行われるものである。

 

(すまない、タキオン…)

 

 その日、ルドルフは一人生徒会室に閉じこもり、ひどく慟哭した。扉の外に漏れ聞こえてくる嗚咽はエアグルーヴらの心を締め上げた。

 夏合宿までしばらくの間ギャラクシーは火の消えたように沈黙し、マルゼンスキーは彼女らを励ますためにドライブに連れ出したり、ショッピングに付き合わせて気分転換を図ったが、苦心はどれも無駄に終わった。結局は夏合宿の運営という仕事が再び彼女らに規律を与えたのである。

 

(これが多数決か…)

 

 ラインハルトはかつての銀河の対極で行われていた物の決め方を思い知らされていた。

 結果よりも費やされた労力が身体に堪えたのである。

 秋山理事から酒席に誘われていたため、彼は重たい腰を上げた。その席上において彼は今回の提案がなされた経緯を聞き、激怒のあまりグラスを叩き割った。その経緯だけではなく、その結果として生み落とされた提案の杜撰さに何より憤りを覚えていた。




夏は深まり、蝉時雨が彼らを包む。
飛躍するにせよ、雌伏するにせよ、欠かすべからざる日々が始まった。
次回、ウマ娘英雄伝説『三者三様(前編)』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。

改行した場合の段落はじめについて

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  • 一文字下げない方が良い

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