ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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第15話:三者三様(前編)

 福島から帰ってきた翌日、マックイーンは慌ただしく登校した。1ヶ月半にもおよぶ合宿の荷物をいれたキャリーケースと共に。

 今年はクラゲの異常発生によって行き先が長野の高原に変更されている。反応はさまざまであった。

テイオーは海に行けないことを嘆き、一方のマヤノは空に近くなることを喜んだ。ネイチャとマックイーンはどちらでもなく、虫よけを大量に買い込んだことが唯一の反応と言えた。

 

「テイオー、酔い止めちゃんと飲んだ? 」

「もっちろん! 昨日はよく寝たし、体調も万全だよー」

「とか言って、去年みたいにダウンしたらダメだよ。膝枕するマックイーンちゃんも大変だったんだから」

「うぅ、その節はお世話になりました」

「ええ、別に構いませんわ。困ったときはお互い様ですもの」

 

 去年の行き先は茨城の海岸であった。所要時間は2時間ほど。あまり長い時間ではなかったが、テイオーはひどい車酔いに襲われた。本来なら前方の席へ行くべきだったが、引率の東条トレーナーを苦手としている彼女は移動しようとはしなかった。結局、3人の友人に介抱されるという事態に陥り、何とも情けない姿を晒してしまったのである。

 今回、長野までは5時間かかる。途中のSAで休憩をとるとはいえ、去年の2倍はバスに乗るので、彼女が耐えられるかはきわめて怪しかった。

 駐車場へ行くと、すでにバスが揃っており、各バスに引率のトレーナーがクリップボード片手に待ち構えている。彼女らの今年の引率は沖野であった。チーム“ベガ”のトレーナーであり、現在高1のナリタタイシンを筆頭にG1勝利を毎年つかむその手腕には定評がある。

 

「やっほー、沖野トレーナー! 今日はよろしくね」

「おおテイオー。と、いつメンか。禁止品は持ってきてないな? 」

「もっちろん! マヤたちはしおりを遵守してるよ」

「そう言って去年浮き輪に包んで花火持ってきたのは、どこの誰だっけか? 」

「マヤは生まれ変わったんだよ! もう悪いことはしないもん! 花火は危ないから持ってきてないに決まってるじゃん」

「去年もそれぐらい聞き分けが良かったら、おハナさんに絞られずに済んだのにな」

 

 マヤノを含めた4人に苦い思い出がよみがえる。同じ部屋だったこともあり、合宿10日目の晩ご飯後に砂浜へ出て花火に興じた。が、発見されないわけもなく、宿舎に戻るとトレーナーの中で最も厳しい東条ハナに叱責を受け、一週間を通して配膳当番を務めるよう言い渡された。思えば、あれ以来仲が深まり、絶対にトウィンクルシリーズで活躍してやろう、と誓い合いあったのであった。

 荷物を置くと、マックイーンはバスを出てトレーナー棟へ向かった。ヤンに出立の挨拶をするためである。彼はトレーナー免許取得のために東京に残るので、今回の合宿は不参加であった。

 

「マックイーンなら、僕がいなくても大丈夫さ。ローエングラムトレーナーに君の面倒を頼んでおいたから、向こうで不自由することはないだろう」

「ええ、それは良いのですが、タキオン先輩は合宿に参加なさらないのですね…」

「何か事情があるに違いない。だが、彼女が僕たちにそれを明かさない以上、こちらからは踏み込みようがない…」

 

 もしこの2人がタキオンの病気のことを知っていれば、おそらく夏合宿やトレーナー免許どころではなかっただろう。しかし、ヤンはこちらの世界でも決して全知たりえなかったし、マックイーンもやはり自分のことに気を取られていた。

 その事情を知る数少ないウマ娘であるルドルフは旧校舎を訪ねていた。目的は言うまでもない。彼女の選抜レース出走を回避するためである。

 

「タキオン、いい加減に君の病気を公表しないか? そうすれば、私と理事長だけで君を庇うこともないだろう」

「いやだ」

「そう言わずに、意地を張っている場合じゃない」

「いやだったら、いやなんだ」

 

 このやり取りは過去にも交わされたことがある。その都度、タキオンは一顧だにしなかった。

 

「どうしてだ!? 公表すれば、少なくとも今度の選抜レースに出ることは免れるだろう! 」

「その後はどうする? トゥインクルシリーズに参加できる特進科から英数科に移るのかい? それとも技術科か? 会長、勘違いしないでもらいたいね。前にも言った通り、私は走りたいからここに入学したんだ。その思いは今も変わっていない。ただ、予定が早まっただけだ」

 

 その思いはルドルフにも痛いほど分かっていた。タキオンが水泳を欠かさずに行い、筋肉を維持していることはよく知っている。その他にも2人で足に衝撃を与えないメニューを考えたこともある。おそらく、最もタキオンに走って欲しいと思っているのは彼女だった。走りさえできれば、このダークブラウンの髪の少女は良きライバルとなり得る存在であったはずである。現に、入学当初の評判はタキオンの方が良く、数多のスカウトを受けていた。結局、彼女はその全てを突き放したが…。

 当時は疑問に思っていたが、事情を聞いたのは昨年度のはじめ、彼女が帰国してしばらくした時のことだった。あの時の衝撃は忘れられない。待ちのぞんでいたライバルが音もなく崩れ去ったのである。他に病気のことを知るのは理事長とその秘書だけで、それ以外の者には決して口外してくれるな、と本人からきつく釘を刺された。なぜ、と問い返せば、もうすぐ走れるようになるから、と答えるのみだった。

 

「走ると言っても、君の脚では100mすら走れないじゃないか! もう…勘弁してくれ…。頼む…。これ以上苦しまないでくれ…」

「できるのは一度きりだが、方法がないことはない」

 

 そう言って彼女は2つのアンプルを取り出した。

ルドルフはそのうちの一つを手に取る。光に透かしてもあまり変化はない。

 

「これは何の薬品だ? 」

「私にとっての救世主さ。父からの誕生日プレゼントと言った方が良いかもしれない」

 

 ルドルフは息を呑んだ。タキオンの父は国立栗東大学医学部の教授でウマ娘の先天性疾患、特に『先天性走行時筋肉硬化症(CoRMS)』研究の第一人者であった。最新の論文ではついに原因物質を突き止めたと発表し、ウマ娘界を賑わせている。

 

「それを打てば、治るのか? 」

「残念ながら、これはそういう魔法の薬ではない。予防薬ってやつだ。打つと5分間症状をブロックする。どうしても走らねばならない時のために持たされた」

 

 父親からは暴漢などに襲われた際に使うように、とキツく言い含められていた。効果時間は5分、わずか300秒。だが、それだけあれば、たとえ長距離レースであっても終わる。

 ルドルフは悟らざるを得なかった。目の前の少女の鋼の意志はすでに散り際を定めている。

 

(なにが全てのウマ娘の幸福だ…)

 

 ルドルフは目を伏せた。床には薬品によって焼かれた痕が所々に見られた。それはタキオンが自らの不条理から逃れるために足掻いた証左でもある。

 

「なぁ、会長、一つ頼まれてくれないか」

 

 科学者にしては珍しく迂遠な物言いだった。

 

「“私のチーム”のマックイーン君を良くしてやってくれ」

 

 ルドルフは首肯した。もう出発まで幾ばくもない。これ以上の議論の余地はなかった。彼女はタキオンの友人であると同時に学園の生徒、それも生徒会長という立場があった。

 彼女が閉めていった扉をタキオンはしばらく眺めていた。

 その扉をくぐって来た者は、秋川理事長、駿川たづな、シンボリルドルフ、マルゼンスキー、エアグルーヴ、マンハッタンカフェ、ダイワスカーレット。そして、ヤン・ウェンリーとメジロマックイーン。

 ルドルフは生徒会長として帰国早々に訪ねて来た。マルゼンスキーとエアグルーヴはその随員として。カフェは静かな場所を求めて忍び込んでいた。ダイワスカーレットは従姉妹としての挨拶に。ヤン・ウェンリーはウマ娘の知識を仕入れに。メジロマックイーンはビーカー入りの紅茶を一目見ようと。

 

(帰国後一年半で随分と縁故を結んだようだ。こんな私だが、物好きはどこにでもいるらしい)

 

 ふと席を立ち、窓を開けてみる。これから合宿へ向かう生徒たちのざわめきが聞こえてきた。

 彼女らは今年も来年も走る。その一方で自身は次のレースが学園における最初で最後の機会だった。なればこそ、示さねばならない。入学以来の4年半は決して無駄ではなかったことを…。




こゑはせで 身をのみこがす 蛍こそ
いふよりまさる 思ひなるらめ
次回、ウマ娘英雄伝説『三者三様(後編)』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。

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