合宿も終わりに差し掛かり、最後の夜を迎えた。この日、月はなく、生徒たちの組み上げた井の字型の囲いの中で火柱がさかんにその存在を主張している。
伝統のキャンプファイヤーであった。長く過酷な合宿に耐えきった同胞と互いに称えあう、というのは建前で、実際のところは羽目を外して誰彼構わず騒ぎまわるイベントである。
すでに生徒たちは飲み物片手に生徒会長の開会宣言を待つばかり。ルドルフが壇上に上がると割れんばかりの拍手で迎えられた。
「皆、一か月半よく耐え抜いた。この山紫水明の地での日々が銘々の糧となり、粒々辛苦の意の如く、目指す勝利に結びつくことを願うや切である。
さて、固い話はここまでにして――待ちきれない者もいるようだからな。
みんなコップは持ったな!
今日ばかりは門限なしだ! 思う存分楽しんでくれ!
乾杯! 」
ルドルフがコップを高々と掲げると、生徒たちもそれに応え、宴の中に身を投じた。
たいていのウマ娘がとった行動は空腹を満たすことである。紙皿を持って好みの料理を取り、談笑の輪を広げていく。中には両手を器用に使い四枚もの皿に料理を盛る者がいた。一方で、ハンドリングに自信がないのか、一枚の皿に山盛りの料理を積み上げる者が見られた。スペシャルウィークもその一人である。彼女は人参のローストビーフ巻きをこれでもかというほど分捕り、友人らの輪に交じりに行った。
最初の波が落ち着いた頃、マックイーンは一通りメニューを見てコースを組み立て、列にならんだ。
待つあいだ、彼女に声をかける者がいた。2つ上の学年で“リゲル”に所属するビワハヤヒデである。
「ほう、生野菜から手を付けるとは、大したものだな。巷のデータによれば、食事のはじめに生野菜を食べることは血糖値の急激な上昇を防ぐらしく、広く推奨されているようだ。さすが、復活してなお負け知らずのメジロマックイーンと言ったところか。自己管理を怠らないとは…」
ええ、とマックイーンは曖昧に応じた。なにしろ彼女はハヤヒデとの面識がないのである。相手の真意を掴みかね、怪訝な眼差しを向けた。ボリュームのある灰色の髪の少女も気付いたようで、非礼を謝した。
「復帰早々に勝利を収めたウマ娘に興味があってな。なにかヒントを得られれば、と思ったのだ。私はまだトゥインクルのクラシックで一冠も獲れていないからな…」
マックイーンは得心がいった。現在の高1の代は皐月賞をナリタタイシンが、ダービーをウイニングチケットがそれぞれ制覇し、二強の呼び声が高くなっていた。無論、彼女もその二つのレースで有力候補には挙がっていたものの、敗者の座をあてがわれたことが不満らしい。
「あー!こんなところにいた!ハヤヒデー、あっちにバナナチーズトーストがあったよ。一緒に食べようよ」
「なんだ、ヒデ、後輩に説教垂れてたの?あまりせっかちだと煙たがれるよ」
「そういうのではないさ。ただ、感心していただけだよ。邪魔したな、マックイーン」
友人に連れられ、去っていくハヤヒデの体格は他の二人より大きく、競り合えば劣るはずが無いように思われた。が、彼女の身近にも体格で劣るものの、常に勝利し続けるウマ娘がいる。マックイーンは改めてレースの勝敗を左右する要因の雑多なことに思いを馳せた。
***
宴もたけなわになった頃、マックイーンを含めたいつもの4人は会場からの脱走のタイミングを見計らっていた。行先は10分ほど行ったところにある湖のほとりである。雑誌の『高原の絶景特集』に魅かれたマヤノが先導した。見事に闇にまぎれ森に入ると、そのまま突っ切ってキャンプ場に出た。
彼女らを出迎えたのは満天の星々だった。
目前には雪の帽子をかぶった山脈が連なっており、その稜線は無数の星々によって淡く照らし出されている。そして、凪いだ湖面に星も山も余すところなく映り込んでいた。
4人ともこの光景に声が出ないでいる。
まさかこれほどとは、提案したマヤノですら思いもよらなかったらしい。
沈黙を破ったのは4人の誰でもなかった。マックイーンのポケットから着信音が流れる。画面を見ると、相手はヤンだった。なにか急を要する事態でも起きたのか、といささか慌てて電話に出る。電話口の向こうからは少々間の抜けた声が聞こえてきた。
「もしもし、マックイーンかい?」
「ヤントレーナー!何かあったんですの?」
「いや、んー、あったと言えばあったよ。トレーナー試験に合格したんだ」
ヤンがさも何でもないように言ったからか、それともマックイーンが浮かれていて聴覚情報を処理しきれなかったからかは定かではないが、二人の間をきっちり三拍の沈黙が支配した。
「マックイーン?電波が悪いのかな?」
「いえ、聞こえていますわ。合格された、のですよね。おめでとうございます」
「ありがとう、これでチームを受け持つことができる。タキオンの選抜レースをくぐり抜ける策も思いついたことだし、心配事もしばらくないだろう。我が心、まさにこの夜空のごとし、さ」
「そちらも晴れているのですか?」
「ああ、ビデオをつけるかい?」
「よろしくお願いしますわ」
マックイーンはケータイを耳から離し、スピーカーモードに切り替えた。画面にはヤンが先ほどまで見ていた夜空が表示された。そして、ヤンもこちら側の星空が見えたようで、感嘆の吐息をもらした。
「へえ、地に足をつけてじっくり星を見るのは初めてだが、こんなにも数があるんだね…」
「そちらは都心ですものね。一等星がギリギリ見えるぐらいですか?」
「ああ、そうだな。これはこれで趣がある。とまあ、合格を伝えたかっただけさ。邪魔したみたいだし、これで切るよ。おやすみ、マックイーン」
そう言ってヤンは画面から消えた。
今まで息を潜めていた三人が目で訴えかけてくる。彼女らにサムズアップで応えると、わっと駆け寄ってくる。
「やったね、マックイーンちゃん!」
「これでトレーナー再交代っていう最悪な事態は避けられたねー。めでたしめでたし」
テイオーは後手に持っていた瓶を差し出した。中身はりんごジュースらしい。
「乾杯しよう!ヤントレーナーの合格を祝って!」
「ええ、ですがコップがありませんわ。会場まで戻りませんと」
テイオーは意外そうにまじまじと紫水晶の瞳を覗き込んだ。
「なに言ってんの、直飲みだよ」
ペットボトル以外の飲料容器に口をつけることはおよそ人生で初めてのマックイーンは文化の違いに愕然とした。
「ええ!?そ、それは…」
「じゃあ、マックイーンが最初で良いよ」
あじさい色の髪の少女は促されるままに口をつけた。すっきりとした甘みが口いっぱいに広がる。続いてネイチャ、マヤノ、そして最後にテイオーが一息で飲み干した。
口元を拭いながら、笑みをこぼす。
「みんな、ボクは菊花賞を獲るよ。そして、ジュニア・トゥインクルでクラシック三冠を達成する。そんでもって、常勝を貫いてトゥインクルでもクラシック三冠を獲るよ」
「おおっと、それは聞き捨てなりませんな。私だっていつまでも後ろで控えていませんよ。虎視眈々と差す機会を窺っていることをお忘れなく」
「マヤだって長距離だったら負けないよ。絶対に一着でゴールして見せるもん!あとで吠え面かいても知らないからね!」
「私とて、負けるつもりは毛頭ありませんわ。メジロのステイヤーとしての意地があります。それに三つは欲張り過ぎですわ。一つぐらい他に譲ってはいかが」
「絶対にイヤだね!勝つのはボクさ」
四人は互いに互いを睨みあった。
やがて、誰かは定かではないが、一人が噴出し、それにつられて他も声をあげて笑った。
「とりあえず、誰も負ける気はないってこと?」
「そうゆうこと。まあ、私たち全員が揃うのは次の菊花賞だね。そこで白黒ハッキリつけようじゃないさ」
「賛成!誰が勝っても恨みっこなしだからね!」
「ええ、勝った暁には勝者の特権として慰め会を開いて差し上げますわ」
四人は再び互いの顔を見合った。
空色、翡翠、琥珀色、紫水晶、四対八つの瞳がキラリと光る。
二度目の緊張を解いたのは、あらぬ方向からの呼び声だった。
「熱くなるのも良いが、勝手にどこかに行くのは感心しないな。ポニーちゃん達」
声の主は栗東寮の寮長、フジキセキであった。ジュニア・トゥインクルにおいて朝日杯フェアリーステークス、弥生賞などで四戦全勝し、クラシックでのルドルフとの対決が期待されたが、病のため一線を退いた。その経緯から『皇帝の影の立役者』、『黒子』と一部の心無い者から揶揄されたこともある。再起不能となってからは英数科に転向し、高等部進学と同時に副寮長に就任、今年度寮長に昇格した。その整った顔立ちと立ち振る舞いで学園内では根強い人気がある。
「全く、去年に続いて二回目、常習犯だね。まあ、今日のところは見逃してあげるさ。帰るよ、四人とも」
有無を言わせぬ寮長に連れられ、元の会場に戻った。
既に半分ほどのキャンプファイヤーが燃えつきているが、喧噪の勢いは衰える気配がない。
別れ際、フジキセキはマックイーンの耳元で囁いた。
「もし、元気があったら、早朝同じところに行くと良い。明日も雲ひとつないだろう」
聞き返す間もなく、彼女は去っていった。
***
翌朝、日の出と共に湖のほとりに向かった。森を抜けると、朝靄を破って雪にきらめく山嶺が姿を現した。昨夜とは違って山容のすべてがくっきりと見える。鮮やかな深緑が裾野を埋め尽くし、峰の白さをより際立たせていた。
合宿が終わり、クラシック後半戦が始まる。
彼女は、入学以来はじめてターフに立つ。
それは再現性なき実験の第一歩であった。
次回、ウマ娘英雄伝説『悪魔の証明』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。
改行した場合の段落はじめについて
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一文字下げた方が読みやすい
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一文字下げない方が良い