ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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第20話:奔走

 タキオンの故障は学園内外に大きな衝撃を与えた。

 学園内においては、ケガ予防の意識が高まり、近年類を見ない数の生徒が健診、或いはトレーナーとの相談という形で不安の払拭に努めた。ウマ娘は最高時速七〇キロでターフを駆ける。日常生活には支障のない異常であっても、それがレース中の転倒に繋がり、さらには選手生命を絶つ可能性は十分に考えられ、当然の反応と言えた。次に担架で運ばれる者が自分ではない、と言い切ることは誰にもできなかった。

 ヤンの担当するメジロマックイーンもその一人であった。彼女は菊花賞、そして自身の目標である天皇賞・秋と連続して大舞台に挑む計画を胸中に秘めている。が、その二つのレースは合間が1週間しかない上、マックイーンは実績が足りず、それぞれのトライアルレースに出走する必要があった。もしこのプランを敢行するならば、ハードスケジュールの誹りは免れることができない。

 だからこそ、ヤンの反応はトレーナーとしては至極もっともであり、彼女の予想の範疇であった。

 

「それはさすがに無茶じゃないかな、マックイーン」

「無茶は承知の上です。私はジュニア・クラシックでテイオーたちとの決着をつけておかねばなりません」

 

 ヤンには、それがどれほどの重要性を持つのか測りかねた。対決は何も今回に限った話ではない。同学年である以上、同一レースに出走する機会はこの先いくらでもあるはずであった。

 しかし、マックイーンにすれば、菊花賞で対決することに意味があった。菊花賞はクラシック三冠の中で最も距離が長く、ステイヤーの素質のある彼女にとって打って付けであった。そして何より、自分の得意分野を余人に踏み荒らされてたまるものか、という強烈な対抗心が渦巻いている。

 

「ひとまず、タキオンと相談してみる。僕も君の意思をなるべく尊重したいからね」

 

 マックイーンは一礼してその場を辞した。

 トレーナー室の外で待つエアグルーヴと合流し、寮へ向かう。正門を出た瞬間、幾重にも焚かれたフラッシュがマックイーンを怯ませた。

記者たちの出待ちである。

 これが学園外における反作用であった。当初、学園は最低限の説明を行なった後に緘口令を敷き、情報を外部に漏らすことを嫌った。しかし、人の口に戸は立てられない。噂はあっと言う間に広まり、記者たちにとっては格好の的となった。ガラスの脚を圧して出走した悲劇のウマ娘と、それを強要した学園という、構造は非常に明快で、幅広い読者の興味を掻き立てるに十分であった。ヒロインの大役に仕立てられた当のウマ娘は二言ほど文句を垂れるだろうが。

 

「マックイーンさん! アグネスタキオンさんの状態のついて教えてください! 」

「出走を強制されたというのは本当ですか⁉︎ 」

「強権的な姿勢で生徒を虐げる理事会に一言お願いします! 」

 

 エアグルーヴがすかさず一歩前に進み出て、マックイーンの盾となる。後輩を半身で庇いながら、寮へと進む。

 マックイーンも無言を貫くようキツく言い含められており、その点はよく心得ていた。少しでもコメントをすれば、彼らは鬼の首をとったかのように記事に落とし込み、面白おかしく書き立てるのは必定で、それは望ましくない。

 が、次の質問は彼女の堪忍袋の緒を一刀のもとに断ち切った。

 

「新たにアグネスタキオンのトレーナーとなったヤン・ウェンリーなる輩が、自らのチームに引き入れるために彼女を使嗾した、というのは事実ですか⁉︎ 」

 

 マックイーンは紫水晶の瞳で以って発言者を射抜いた。彼は一瞬怯んだが、コメントを引き出すため、カメラを向けた。好機を察したテレビクルーが大きなマイクを彼女に向ける。彼らは少女の口から漏れ出る吐息さえも聞き漏らさないであろう。大量の視線に囲まれて初めて、マックイーンは己の失態を恥じた。顔の紅潮を抑えながら、彼女は記者たちへ優雅な一礼をし、この場を去らんと試みる。

 

「逃げるんですか⁉︎ 」

 

 記者たちは詰め寄った。もう一押し、と感じたのだろう。容赦なく距離を詰めた。

 副会長がマックイーンと記者たちの間に入る。

次の瞬間、鈍い音が全員の耳に届いた。

 

「エアグルーヴ先輩! 」

 

 それは悲鳴とも非難とも取れた。

 エアグルーヴは、こめかみにマイクをぶつけられたようで、少しよろめく。しかし、女帝は両の脚でしっかりと踏ん張り、力強い目で記者たちを制した。

 

「学園の規則に基づき、生徒のメディアへの露出は生徒会が許可を出した場合のみ、と定められております。今日のところはお引き取りください。マイクの痕がついたウマ娘を映すことは、あなた方ジャーナリストのポリシーに反することでしょうから」

 

 面食らった記者たちをかき分け、彼女らはようやく寮へついた。部屋に入るまで油断はできないものの、先ほどのように囲まれる心配はもうない。

 

「先輩、私の部屋に寄って行きませんか? 手当てをしようと思うのですが」

「構わなくて良いぞ。これも生徒会の仕事だからな」

「いえ、私を庇ってケガをされたのですから、処置ぐらいはさせてくださいまし。ここで何もせず帰すほど、私の面の皮は厚くありません」

「なら、お言葉に甘えるとしよう」

 

 

 

***

 

 

 

 同じ頃、ヤンはある理事から呼び出されていた。ノックをして入ると、正面に部屋の主である伊地知はやや持て余し気味の大きな身体をソファに沈めている。

 

「ようこそ、ヤントレーナー。まずはライセンス取得おめでとう」

 

 初対面の相手からの祝辞を素直に受け取るほど、ヤンは殊勝ではない。型通りの礼を言い、用件を尋ねた。

 

「まあ、座りたまえ。いや、なに、難しい話をするつもりはない。君は近々、チームを作るそうだね」

 

 それは周知の事実であった。すでにマックイーンとタキオンから加入届を預かっている。まだチーム創設に踏み切っていないのは、ひとえにチームの名となる星が見当たらないからである。地球から見える恒星の数々はかつて銀河を股にかけたヤンには馴染みがない。

 

「ええ、まあ。そろそろ申請します」

「なるべく早く頼むよ。新しいチームの誕生は新たな競争を生み、停滞を跳ね除けてくれるからな」

 だが、と伊地知は言葉を切った。それまで顔に貼り付けていた笑顔が影を潜める。

 

「あまりに突出した力を持つチームが生まれては、健全な競争が阻害される。君はそこのところをよくよく含んで、身を処すように心がけてもらいたい」

「おっしゃる意味を掴みかねます」

「君はものわかりの悪い男のようだね。つまり、メジロマックイーンという逸材を育てることに集中して欲しいのだよ」

「他のウマ娘を勧誘するな、ということでしょうか」

「いやいや、そこまでは言っていない。ただ、欲をかいて二人も三人も原石を抱え込まないよう、アドバイスをしているんだよ。いくら優れた職人であっても、その腕は二本しかないからね。周囲との協調を重んじ、自分の手の届く範囲の職務をキッチリと果たす。これが大人として必要な態度なのだ」

「なるほど、それは大切ですね」

「だろう、君はまだ話のわかるトレーナーで良かった。ローエングラムトレーナーは最後まで私の忠告を無視したよ。今は学園一のチームを作り上げているが、それがこの先も続くとは限らない。長い目で物事を考えることも、また大人として重要だ。良いかい、ヤン君、忘れてはいけないよ。長い目で考えて、周囲との協調を図る。これが大人である君に求められていることなのだ」

「わかりました。相手が大人である限りは、私も和を乱さぬよう微力を尽くします」

「それは、どういうことかね。ヤン君」

「なに、ひよっこの戯言です。大人の態度でお許しください」

 

 ヤンはそう言い残して部屋を去った。

 入れ違いで、秘書が入ってくる。彼女がもたらした報せに伊地知は自らの勝利を確信した。それは今回の事態の説明を行う記者会見の開催が決定したことを知らせるものだった。

 

(これで首席トレーナーの名に傷がつく。さらには、理事長も何らかの責任を追及されるだろう。そこを私が間に入り、メディア側と話をつけることで、発言力が増す。そうなれば)

 

 彼にとって今回の件は慮外の幸運とも言うべき事態だった。もともとは、OB会の意向を背にじわじわと勢力を広げるつもりであったが、理事長を矢面に立たせるチャンスを逃すべきではない。

 少なくとも、彼はそう思っていた。

 

 

 

***

 

 

「本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます。

 ただいまより、弊学において、さる八月二十六日に行われた選抜レース中に発生した、ある生徒――以降生徒Aと呼ばせて頂きますーー当該ウマ娘の故障について、説明させていただきます。

 申し遅れました。私、本日の司会を務めさせて頂きます、副理事長の桐生院と申します。

 それでは、始めに今回の事態について説明をさせて頂きます。理事長、よろしくお願いします」

「まず、生徒Aは弊学高等部に在籍しており、現在2年生。トゥインクルシリーズのレースへの出走経験はございません。同様に学内の模擬レースおよび選抜レースへの出走経験もありません。しかし、それはやむを得ない事情があったからであって、決して彼女の怠慢ではないことを彼女に代わって明言しておきます。

 我々理事会としては、再三彼女に特進科からの移籍を勧めて参りましたが、彼女が受け入れなかったため、やむなく退学勧告を出すに至りました。書面のコピーをお手元の資料に添付してありますので、ご一読ください」

 

 会場のあちらこちらで記者が紙を繰る。移籍または校内レースへの出走要請に応じない場合、退学に処す、というごく短い文面だった。意味の取り違えようがない。

 

「判断を迫られた彼女はあるトレーナーのチームへ加入することで、退学を回避しようとしましたが、それも理事会によって新しく定められた規則に阻まれ、最終的に出走を選び、今回の故障に繋がった次第です、経緯としては、以上であります」

 

 小柄な理事長はいつにない丁寧な口調で説明を終えた。

 フラッシュが続々と焚かれる。

 

「それでは、質問をお受けします。質問を希望される記者の方は挙手をお願いします。こちらで指名させて頂きますので、指名された方はお近くのマイクへ進んでいただいて、お名前、所属を名乗られた上で、質問してください。なお、勝手ではございますが、質問はお一人につき一件まで、とさせて頂きます」

 

 一斉に手が挙がり、桐生院は誰を指名するか逡巡した。今回の件に対する注目度の高さがうかがえる。兎にも角にも順にやっていくしかない、と観念し、左手の記者から指名していく。

 

「ニュースナインティーンの島村と申します。よろしくお願いします。理事長にお伺いします。生徒Aの抱える事情とは、何だったのでしょうか? 」

「具体的に申し上げることは差し控えさせて頂きますが、レース出走に際して非常に困難を伴う疾患です。その事情を知る者は限られており、選抜レース前の時点で知っていた者は理事会では、私のみです」

「毎週ウォッチウマ娘の橘です。学内では理事長のみが知っておられた、ということですか? だとすれば、生徒に関わる情報を広く共有しなかったのは何故でしょうか? 」

「学内では彼女を除いて四人。私と秘書、生徒会長、そして先の話に出た、あるトレーナー、以上が知っておりました。最後の一人は今年の八月下旬に知りましたが、ほかの3人は入学時から把握しておりました。それを共有しなかったのは、本人の希望によるものです」

「週刊ビビッと! ダービーの白井です。新しく定められた規則とは、どのような内容だったのでしょうか? 」

「選抜レースへの出走義務化を定めたもので、違反すれば、生徒は退学処分というものです」

「それはいささか厳しすぎるように思われるのですが」

「確かに厳しいです。理事会において退学処分を明文化した規則が定められたのは初めてでした」

「月刊トゥインクルの安原です。今回の件を受けて、学園としてどのような対応をとるおつもりでしょうか? 」

「まず、私を含めた理事全員は今後1年間の給与を返上することが決定しております。さらに、再発防止のために、ウマ娘の疾患に通暁した者を招聘し、特別委員会を設置、対策マニュアルを作成する予定となっております」

 

 記者会見が終わり、理事長と副理事長は学園に戻ると、二人して深いため息をついた。ふと顔を見合わせる。お互いに相手の疲れ切った様子に笑いが込み上げた。

 

「慰労! 何とか収束させることができそうだな」

「そうですな、あと一つや二つの不祥事なら、私のクビで収まりましょう。そうならないことを祈るとします」

 

 彼女らは皮張りのソファに身を沈め、テレビを点ける。先ほどまで会見を行っていたホールが映し出されていた。ふと外を見やると、すでに日は沈みかけ、紺色の空がじわじわと夕焼けを侵食するのが見えるのみである。

ドタドタと、ゆっくりと動く風景に似つかぬ慌ただしい足音が廊下から響く。

副理事長は瞼を閉じ、耳を澄ました。

 

「このリズムは秘書殿ですな、吉報だと良いのですが……」

 

 次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。

 緑一色に身を包むたづなが息を切らせて入室する。

 

「理事長! 大変です。伊地知理事が先の理事会で提案を行った際、その見返りとして金銭を受け取っていたことが発覚しました」

 

 桐生院は憮然たる面持ちで天井を見上げた。まさか、この短時間で新たな不祥事が明るみに出るなど、思いもよらなかったのである。

 

 

 

***

 

 

 

 翌日、伊地知は副理事長室に向かっていた。緊急の呼び出しを受けたのである。用件は察しがついていた。おそらく、桐生院が自分に副理事長の座を譲るのだろう。能力を見込んでのことではない。次の秋山までの繋ぎとして、白羽の矢が立ったのだ。しかし、彼にとってはそれで良かった。労せずして役職が手に入る。そのことを思っただけで雀躍りしたくなる。

 しかし、彼の野望は副理事長室の扉を開けるとともに、朝露のごとく消え失せた。

 目の前に座るは桐生院ではなく、秋山であった。秋山がただ座っている。

彼は伊地知の入室に特に反応を示さず、目を伏せたままである。机上には一枚の書類があるが、伏せてあるため、その内容までは窺い知れない。

 

「秋山理事、私は何用で呼び出されたのでしょう? 」

 

秋山は初めて、伊地知を視界に入れた。その黒い瞳は真っ直ぐに来客を射抜いている。彼の形相は憤怒と失望が分け合っていた。その対象は目の前の小太りの男だけでない。彼と仕事を共にした自分をも含んでいる。

 

「……本当に分からないのか、それとも分からないフリをしているのか」

「私には何が何だか、わかりません! 」

 

 ならば教えてやる、と言わんばかりに秋山はいきり立った。伏せてあった書類を裏返し、机の上を滑らせる。

 それは伊地知の口座記録だった。七月末日に大金が振り込まれている。振込人の欄にはOB会役員の名があった。会議が行われたのが七月十日頃であったことを考えると、やや日付をずらすという小細工をしているあたり、卑怯な性根が見え隠れする。

 

「弁明があれば聞こう」

 

 この期に及んで言い逃れはするまいな、という言外のメッセージを伊地知は過不足なく受け取った。

 彼を支えていた大地は一瞬にして崩れ去った。口は言葉を紡ごうとするが、努力が結実する気配は微塵もなく、かろうじて空気を震わせるのみであった。

 呆然と立ち尽くす伊地知に対して秋山の怒りが迸った。その激情を一身に受けたのは伊地知ではなく、もっとも秋山に近い木目調のデスクである。

 

「貴様は、こうだ‼︎ 」

 

 振り下ろされた拳固は天板を叩き割り、粗大ゴミをこの世に産み落とした。

 伊地知の顔から血の気が引いた。が、脚からも血の気が引いたようで、一歩たりとも踏み出すことができない。対照的に血を頭に上らせた秋山は今にも残骸を乗り越え、掴みかからんとしていた。辛うじて彼を押し留めたのは、副理事長としての立場が彼に要求した理性のかけらである。

 

「現時刻を以て貴様を罷免する。さっさと出て行け‼︎ 」

 

 伊地知元理事は弾かれるように部屋を辞した。つい先刻まで彼を祝福していた廊下は今や影も形もない。理事ではない彼を受け入れるほどトレセン学園は広くないのだ。




メジロマックイーン、そしてアグネスタキオン。
二人のウマ娘と共に、ついにヤンのチームが発足する。
初めに門戸を叩いたのは……。
次回、ウマ娘英雄伝説『勧誘』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。

改行した場合の段落はじめについて

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