長くなってしまったので、急遽前後編に分けます。
「会わせたいウマ娘がいる」
と、タキオンから聞いていた。名前はダイワスカーレット。タキオンの従妹で、今年の新入生の中では一、二を争う素質の持ち主らしい。
ヤンとしては、有力なウマ娘の情報を仕入れるネットワークが確立しておらず、こういった個人的な伝手に頼るしかないのが現状である。
放課後、トレーナー室に連れられてきた。
身長はタキオンよりもやや高く、体格は良い。何よりも特徴的なのは、彼女の髪だった。毛量豊かな真紅の髪を二つに結び、左右に分けてある。その先が膝にかかるほどに長い。
彼女は真紅の毛束を揺らしながら部屋に進み入る。指の先までピンと伸ばした所作は見ているヤンの方が窮屈に感じるほどだった。
「初めまして。ヤントレーナー。私はダイワスカーレットと言います。今日はタキオン先輩の紹介でこちらに伺いました」
「ああ、初めまして。来てもらったのはね、チームの説明を聞いてもらおうと思ったんだ」
予想通り、とスカーレットは上機嫌だった。彼女は先日の選抜レースで勝利を収めており、今年の注目株である。こうした内々の誘いが来るのは当然の帰結であった。一つ不満があるとすれば、『唯一』の注目株ではないことである。
新入生トップの座を分け合った相手はウオッカ。寮の同室で、近しい仲だけに彼女の才能を身近に感じざるを得ない。スカーレットは今回の選抜レースで白黒ハッキリさせる腹づもりであった。が、結果は二人してずば抜けた走りを見せつけ、今年の一年生の代はこの二人、という印象を与えてしまった。
真紅の髪の少女にとって、この上ない屈辱である。彼女は人後に落ちること、そして並び称されることが我慢ならない。その感情は激しく、選抜レースの夜、自室において癇癪を起こしては地団駄を踏み、ついには床を蹴破ってしまった。
彼女にとって目標は一番であり、それも何者も及ばない絶対的な一番であった。ある意味では、トレセン学園の校訓を最も意識している生徒と言うことができるかもしれない。ルドルフは鼻で笑うだろうが。
内に渦巻く激情とは裏腹に、外気に接するスカーレットは常に優等生たらんと振る舞っている。この時も例に漏れず、実に模範的な返答をした。
「申し訳ありませんが、他の方からも同様に声をかけてもらっています。どれも魅力的ですので、しばらく悩ませて頂けませんか」
本音を言うと、スカーレットはあまり乗り気ではなかった。まだ名前すら未定の新参チームはお呼びではない。本来ならば、訪ねることすら丁重に断るところである。それを曲げたのは、ひとえに紹介者の面目を保つためで、それ以上の理由はなかった。
「大いに悩んでくれ。ところで、第一希望はどこなのかな?」
「ギャラクシーです」
即答だった。
おやおや、とヤンは頭をかく。銀河一のハンサムは学園においても健在らしい。
失礼します、と一礼してスカーレットは辞した。
部屋に残された二人は目を合わせ、しばしの沈黙のあと破顔した。
「見事にフラれたな、ウェンリー君」
「参ったな、タキオンが紹介できる子は彼女以外にいるかい?」
ダークブラウンの頭が左右に振られた。彼女も顔が広い方ではない。話す仲で新入生あるいは編入生となると、スカーレットぐらいのものである。
マックイーンもその方面では力になれず、歯痒い思いをしている。その代わり、チーム名を決めることに関しては精力的に働いた。
天体に関する書籍を図書室でいくつか見繕い、ヤンに薦めていた。さらに、ヤンがそれらに目を通すどころか、机の片隅に追いやっているのを見るや、縁起の良い星をピックアップして付箋に書きつけている。その数も既に十を超そうとしていたが、反応ははかばかしくない。
「何か腹案がおありなのでしょうか?」
と、尋ねてみても、唸るばかりである。
堪りかねたマックイーンがヤンに詰め寄ると、彼は軍用ベレーを遊ばせながら、思うところを語り始めた。
「候補は一つあるんだ」
「ならば、それにすればよろしいのでは?」
「そう簡単にはいかないんだよ。この名前は、僕のエゴみたいになってしまう」
「とりあえず、その名前を教えてくれたまえ。聞かないことには判断のしようが無い」
「フリープラネッツ、という名前さ」
「――自由な惑星たち。良いではありませんか。チーム名の基準には抵触しませんし、下手にあれこれ迷っても埒が明きません。もう決まりにしませんこと?」
「私も特に異存はないよ」
二人があっさり承知したので、ヤンは言い出すタイミングを逃した。
ヤンは再び同じ名前を背負うことになった。
この世界では、果たして…。
***
チーム名が決まると、あとは坂を下るように簡単だった。
エンブレムはヤンの艦隊章――黄色のYにとぐろを巻く龍の意匠ーーを採用し、ISELRONE GARRISON FLEET の代わりにTRAINING CENTER SCHOOL の文字が入れられた。
ここに新たなチームの設立が認められ、メンバー募集のポスターが学内掲示板に貼り出された。当初、ヤンら3人はこのポスターによって見学希望者が少しは増えるだろう、という程度の期待しかしていなかった。
しかし、思わぬ釣果があがった。翌朝、あるウマ娘が加入届を携えて部屋を訪れたのである。彼女の名はウオッカ。スカーレットと共に一年生のホープと目されているウマ娘であった。
「チームに入ります! これからよろしくお願いします」
開口一番に彼女は宣言し、ヤンを面食らわせた。タキオンも同様で、まだ来客用の紅茶すら出していない。
マックイーンが二人の心中を代弁する。
「なぜ、昨日の今日で加入を決断したのですか?」
「エンブレムがイカしてたからです」
即答だった。
エメラルドの瞳は輝き、真っ直ぐにヤンを見ている。軍人だった頃に数多く味わった、苦手な目線だった。
「まあ、理由は人それぞれだ。とやかく言うつもりはないよ」
ウオッカは踊るような足取りで部屋を去った。同室のスカーレットに倣って早起きした甲斐あって、無事加入に漕ぎつけた。
教室までの道中、様々な将来像が去来する。
無名のチームに入り、ひたすらに邁進する自分。
満員のレース場で大歓声に迎えられながら一着でゴールする自分。
ウイニングライブでセンターを務める自分。
綺羅星のごとく輝かしい幻想に酔いしれながら、ウオッカは教室に入った。瞬間、現実に引きもどされる。原因は中央の机で沈んでいるスカーレットだった。寝ているわけではなく、その証拠に目が開いている。しかし、眉間には深いシワが刻まれており、どこか虚ろだった。
「おい、お前どうしたんだ、腹でも痛いのか?」
「別に、大した問題じゃないわ」
真紅の彼女はいつも通りの強がりを見せた。が、その瞳は今にも泣き出しそうである。今朝、何かあったことは明白であった。
ウオッカはスカーレットを連れ出し、共用練習場前の自販機までやってきた。いつも通りであれば、素直についてくることは天地が逆立ちしてもありえないが、今日はされるがままである。
メッシュの入った黒髪のウマ娘は、ますます不審に思った。
「何があったんだ? お前がそんなに落ち込むなんて、らしくないぞ」
「登校前に、ローエングラムトレーナーのところに行ったのよ。ギャラクシーに入りたいです、って言ったら、今はメンバーを増やすつもりはないって」
一度断られたが、スカーレットは諦めきれなかったらしい。自分はギャラクシーに入るに足る存在である、と力説した。
「そこまで言うならば、見せてもらおうではないか」
ラインハルトが用意したのは、テイオーとの一騎打ちだった。スカーレットが勝てば加入を認める、という条件を提示され、スカーレットは一二もなく飛びついた。
ジャージに着替えてターフに出ると、相手は既にスタート位置にいた。
「キミがウチに入りたい新入生?」
空色の瞳が頭の天辺から足の爪先までじっくりと見定める。その視線がこそばかった。
テイオーの内心を窺い知ることはできないが、スカーレットは彼女と初めて対面して、意外と小さい、と拍子抜けした。
テイオーの背はスカーレットよりだいぶ低く、体格も劣っている。目の前のウマ娘がジュニア・トゥインクルにおいてクラシック三冠を有力視されている、とは俄には信じがたい。
「さっさと済ませちゃおうよ、朝の時間は貴重なんだから」
負けることなど、露ほども考えていない口調である。
当然ながら、スカーレットの癇に障った。
「ええ、先輩の胸を借りるつもりで挑ませていただきます」
距離は2,000。
二人がスタート位置に着くと、ラインハルトが手を挙げた。掛け声と共に振り下ろす。それを合図に共に駆け出した。
スタートはスカーレットがやや有利。ぴったりと内につけ,最初のコーナーに入る。
テイオーの足音はさほど離れていない。どうやら、終盤までは後ろに尾ける作戦を取ったようである。
第二コーナーから直線にかけて、スカーレットはペースを上げ、突き放しにかかる。が、いまだにテイオーの位置は変わらない。
第三コーナーに差し掛かり、息が乱れ始め、スカーレットは焦りを隠せなくなった。テイオーの息遣いは依然としてリズミカルで、疲れた様子はない。このままでは、競り負ける。
最終コーナー、テイオーが息を吐き出し、大きく吸い込んだ。
音の発生源が外に動き、影がスカーレットの足元に重なる。ここから、一気に追い抜くつもりらしい。
そうはさせまい、とスカーレットも外に膨らむ。決してテイオーの進路には出ない。しかし、抜かすためには一歩外を通る必要がある。テイオーがより外に進路を取るのに合わせてスカーレットも外に寄せる。
延翼という手口であった。相手の進路を脅かすことで両者が外へ内へと繰り返すうちに疲弊し、ついには相手のスタミナと根気を奪ってしまう。この戦術の要諦は相手の進路を視覚以外で察知することにある。足音、息遣い、匂い。それらを感じ取るセンスがスカーレットには天性豊かに備わっていた。
テイオーが今度は内に踏み出す。しかし、スカーレットのやることは変わらない。内へ。
身体を傾けた瞬間、視界に影が映り込んだ。テイオーは外から追い抜かさんとしている。訳もわからず再び外へ。その時、影が消えた。
「こっちだよ♪ 新入生」
並んでいる。それも一瞬のことで、テイオーの背中が見え、小さくなっていく。差し返す脚も残っておらず、ただ見送るのみであった。
スカーレットはレース中にも関わらず、寒気を覚えた。今まで延翼を真正面から突破したウマ娘はいなかった。だからこそ、この戦法に自信を持ってテイオーにぶつけたのである。それが悠々と躱された。
タイムの差は1秒。馬身に換算すると、約五馬身。決して小さな差ではない。しかし、実際はそれ以上の重みがスカーレットにのしかかる。
思わず、膝をつく。心身共に打ちのめされていた。勝てるビジョンが思い浮かばない。圧倒的なまでの実力を見せつけられたのである。
「キミ、大丈夫?」
空色の瞳がスカーレットを覗き込んだ。その顔には余裕が見てとれる。せめて、少しは顔を歪めていれば、相手の敗北感も幾らか和らげられたに違いない。が、そうはならなかった。
さらに、ラインハルトの一言が彼女のなけなしのプライドにとどめを刺した。
「最初から相手に合わせて作戦を練るウマ娘に興味はない。私のチームに入りたければ、誰にも負けない武器を持って来るが良い」
真紅の瞳が見開かれた。その言葉は彼女の心を抉るのに十分である。
スカーレットは一番に憧れ、一番を追い求め、一番たろうとしているが、それはあくまで総合的な実力の話である。スピードはウオッカに劣る。スタミナもパワーも秀でてはいるものの、ずば抜けてはいない。唯一、負けん気のみが他のウマ娘と比べて大層強い。しかし、その気持ちの強さはハナ差を詰めるのに役立ったとしても、馬身をひっくり返すことは叶わない。
スカーレットは一礼して去った。その背中がひどく小さい。
「閣下、何もあそこまで言う必要はなかったんじゃないですか? せっかく入ってくれそうだったのに」
「彼女には悪いが、今の私は会長とグラス、そしてお前の仕上げで手一杯だ。流石にこれ以上は構いきれん」
「そんなこと言ってると、またマルゼン先輩がヤキモチ焼きますよ」
「ヤツは手がかからんからな。つい放置してしまう。それはそれとして、だ。テイオー、貴様はレースまで先が長い。あまり根を詰めると後に響く。朝トレは許可したが、放課後の自主トレは引き続き禁ずる。いいな」
テイオーは首肯した。ラインハルトの言う通り、焦る必要はない。彼女は賞金面での出走条件はクリアしており、菊花賞、秋の天皇賞ともにトライアルレースを経ずに挑むことができる。その点では彼女のライバルよりも圧倒的に有利なのは誰の目にも明らかだった。だが、テイオーの中で拭い去れない焦燥感が常に燻っている。その原因もまた明らかであった。
「……マックイーン」
ライバルの名を呟くと、テイオーは更衣室へ向かった。ふと視線を上げると、
残り一ヶ月。それを思うだけで彼女の心臓は高鳴った。
勧誘も大詰めを迎え、生徒会の主催するランチ交流会に参加するヤンらフリープラネッツ。
次回、ウマ娘英雄伝説『勧誘(後編)』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。
改行した場合の段落はじめについて
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一文字下げない方が良い