ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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拙作も息が長く、第二章も残りわずかとなりました。
読者の皆様のおかげです。
これからも読んで頂ければ、幸いです。
感想、ありがとうございます。楽しんで読ませて頂いております。皆様の余韻を尊重するため、最近は返信を控えておりますが、モチベーションとなっています。
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【アンケートについて】
改行した場合の行頭の扱いについて、アンケートを新規作成しました。
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第22話:勧誘(後編)

 ニッと歯を見せ、鏡に映った自分を見る。どうにも愛嬌がない。

 両の口角を指で押し上げ、しばらく止める。顔に対する白の占める割合が増したのみで、笑顔としては及第点にすら程遠い。指を離すと、いつもの気怠さが定位置に処を得る。

 

(上手く行かないものだな…)

 

 タキオンは朝早くから自らの虚像と格闘していた。今のところ戦績は全敗。そもそも笑顔と定義される顔を作れているのかさえ怪しかった。

 三面鏡のそれぞれに映し出される彼女の似姿はどれも表情筋乏しく、3対の瞳が実在の彼女をじっと見つめている。自分の姿を長く見るのは彼女にとってあまり愉快ではない。

 だが、今日の彼女はここで引き下がるわけにはいかなかった。なんとしても、笑顔のコツを掴まねばならぬ。

 それと言うのも、今日の昼に予定されている交流会のためだった。トレーナーにとっては勧誘の場であり、新入生にとっては憧れの先輩ないしトレーナーとお近づきになる機会であった。

 タキオンが所属するチーム、フリープラネッツも参加する。無論、冷やかしではない。新メンバー獲得のためである。

 笑顔の一つや二つ振りまけないようでは、サービスに欠けるのではないか、と思い、告知されてから毎日こっそりと練習している。が、それが実を結ぶ気配は未だ感じられない。

 時刻は6時20分。

 そろそろルームメイトの意識が浮上する頃合いだった。

 最後に、雑誌を繰って、とあるページを開いた。この1週間幾度となく目を通した見開きである。

 

『現役ウマスタグラマー“カレンチャン”に聞く! 〜周囲を魅了する笑顔の作り方編〜』

 

 我ながら似合わぬことをする、と彼女は自嘲を禁じえなかった。

 が、これもチームの、ひいては彼女のトレーナーのためである。

 

『まずは口角を上げよう! カワイイ笑顔は口元から。表情筋を鍛えて常にアップするように意識! 』

 

 出来たのなら、こんなに苦労はしない。

 表情筋の筋トレはそもそもが難しい。どこの誰が口を開け放ったままでいられると言うのか。回遊魚じゃあるまいし…。

 

『次に、歯を見せてキレイを演出! 真っ白な歯はマメなお手入れの証拠。上辺だけじゃないカワイイアピールを忘れずに! 』

 

 自慢ではないが、歯は丈夫である。生まれてこの方虫歯になったことがない。

 口を横に広げ、歯を鏡に映す。

 立派な歯だ。欠けることなく、また歪むことなく生え揃っている。しかし、悲しいかな、見せるだけではダメらしい。検診じゃあるまいし…。

 

『最後に、目尻を下げて笑顔の完成! 笑顔は顔全体で作るもの。目が笑っていないとせっかくのカワイイが台無しに! 』

 

 目尻を下げる。ただそれだけのはずなのに、試行を重ねること数回、やっとの思いで理想に近づいた。

 が、改めて見ると、ただ目を細めているだけである。老眼じゃあるまいし…。

 深く嘆息して雑誌に目を落とす。

 書かれていることの数分の一すらできていない。笑顔に至るまで残り千里、と言ったところか…。

 ふと、目線が遮られた。背後から手で覆われたらしい。

 ルームメイトの息遣いが聞こえる。タキオンが鏡から目を離した一瞬に忍び寄ったようである。

 

「ふふ、だーれだ」

 

 答えは分かりきっていた。つい最近半ば強引にルームメイトとなったウマ娘である。

 

「—— シンボリルドルフ」

「ルナ。だろ?」

「はいはい、ルナ。おはよう」

 

 おはよう、と言ってルドルフは洗面所へ姿を消した。

 彼女がタキオンのルームメイトとなったのには、ちょっとした経緯がある。

 留学によって友人の少ないタキオンはもともと一人で部屋を使っていた。が、選抜レースの日の夜、保健室から帰ると見知らぬ荷物があった。

 —— 誰のだろう?

 と、当然のことながら疑問に思った。

 所有者はすぐに知れた。トレセン学園生徒会長ことシンボリルドルフである。

 彼女は戸惑うタキオンの目の前にパジャマ姿で現れるや、

 

「お風呂は先に入らせてもらったぞ」

 

 と、のたまった。

 訳を聞くと、どうやら幼馴染が心配で居ても立ってもいられず、押しかけたらしい。彼女の制止を振り切って出走したタキオンとしては、無碍にもできず、1週間という期間限定で彼女をルームメイトとして認めた。

 それから早十日。彼女は今や完全に根を張り、期間限定など知らぬ存ぜぬの体で部屋に居座り続けている。一度は寮長のフジキセキに抗議したものの、不発に終わった。

 

「フツーは寮でのことは生徒会の管轄なんだよね。特に部屋替えとかは会長の許可があって初めてできるワケで…。わかるよね? 」

 

 その時、彼女は全てを悟った。ルドルフを追い出す手段など何一つ存在しないことを。

 一応、本人にも苦情を申し立てたが、

 

「足に爆弾を抱える君が一人でいることは非常に危なっかしい。誰かが同室人として側で見守るのが至極当然というものだ」

 

 と、生徒会長の正論でもって封殺された。

 しかし、タキオンは一度では諦めなかった。一人に慣れていた彼女はルームメイトがいる、という状況が落ち着かなかったし、相手が幼馴染だと余計にむず痒かった。

 

「それは確かにそうだが、キミの元ルームメイトに申し訳ないよ。やっぱり、元に戻すべきじゃないかな」

「安心したまえ。マルゼンスキーはこれを機会に一人暮らしを始めた。それに、戻ろうにも前の部屋はもうクリーニングが完了して来年の新入生を待っている。つまり、私はここにしか居場所がないわけだ。君もまさか、そんな私を追い出したりはすまい」

 

 お手上げだった。初めからそのつもりだったのだ。その時のルドルフのしてやったりの表情が忘れられない。背中の一つでも蹴っ飛ばしてやりたかった。

 彼女の名誉のために言っておくと、ルドルフは普段から生徒会長の職務を疎かにしているわけではない。

 例えば、今日の昼休みに催される交流会は彼女の肝煎りイベントであり、第二回を迎える。四月に行われた前回と異なり、今回はチームへの勧誘が主眼に置かれていた。そのため、トレーナーの参加も認められている。

 ビュッフェ形式が採用されており、気になるチームのテーブルでご飯を共にし、雰囲気であったり為人であったりを見定める。移動は自由で、そのままのテーブルで歓談に時を移すもよし、他のチームのテーブルで新たに話に花を咲かせるもよし、はたまた食堂を後にしてもよし。

 勧誘される側に委ねられている部分が多いのが特徴である。

 が、それに伴う問題も発生しており、席順もその一つだった。

 今回の会場はトレーナー用食堂なのだが、出入り口が一ヶ所しかない。自然、奥のテーブルは輪から外され、新入生の足が遠のいてしまう。そればかりは、どうしようもないことである。

 ルドルフが席を決めるにあたって採用したのは不変の平等性を持つ決定法、くじ引きだった。それが今日の朝から行われる。引くのはチームの代表ウマ娘一名。フリープラネッツからはタキオンが参加する。

 

「さてさて、私は良いクジを引き当てることができるかな」

「そればかりは私にもわからん。神のみぞ知る、というやつさ」

 

 

 

***

 

 

 

 結局、良いクジは引けなかった。良いクジどころか、最悪のクジに当たってしまったのである。

 開始まで10分と迫ったが、まだ新入生は一人としてフリープラネッツのテーブルにいない。

 どうやら自分の出番はないらしい、と察したヤンは食堂に面した庭に出て、昼寝を決め込んでいる。人工池の側の木陰は彼に安息の地を提供していた。

 

「おやおやー、まさか先約がいるとは。私の神聖な昼寝スポットの良さに気づく人が増えたようで何より」

 

 目線を上げると、千草色の髪に紺碧の瞳、やや小柄なウマ娘が佇んでいる。

 名はセイウンスカイ。学年は中等部三年で、スペシャルウィークらと同学年である。粒揃い、と称された学年で、去年のクラシック三冠を争うレースでは3つ全てが接戦となり、入着したウマ娘が全て首位と1馬身差以内に収まったという。

 スカイはその熾烈なレースを勝ち抜き、皐月賞と菊花賞の二冠を達成している。それにも関わらず彼女が学年最強の名を手にしていないことからも、他のウマ娘の実力の高さが窺い知れる。

 

「君も惰眠を貪りに来たクチかい? 」

「いやだねー、人のことを昼行灯(ひるあんどん)みたいに。私は次のレースの戦術に考えを巡らせに来たわけで。サボりの方がよっぽどじゃない? 」

「僕も戦術のクチさ。相も変わらず、悪辣なペテンばかり考えている」

「ホントかなー。それにしては結構楽しそうだけどね。もしかして、私と同じ釣り愛好家? 」

「残念ながら、釣りは上手くなくてね。いつも逃げられてばかりさ」

 

 その時、二人の間に硬質的な声が割り込んだ。

 

「代わりに、釣られるのはお上手なようですわね? 」

 

 首を伸ばしてスカイの後ろに目をやると、あじさい色の髪の少女が呆れを含んだ眼差しでヤンを見つめていた。

 用件は聞くまでもないことだったが、ヤンは敢えて尋ねた。

 

「どうしたんだい、マックイーン。もしかして誰か新入生がやって来たのかな」

「残念ながら、誰一人として来ておりませんわ。ですが、そろそろ会長から開会の辞がありますので、お戻りください」

 

 戻ると、食堂は人が盛んだったが、唯一フリープラネッツのテーブルだけが寂しい。

 タキオンが一人寂しく紅茶を啜っている。ヤンの分はマックイーンが自らの分と併せて持ってきた。

 これではトレーナー室で談話しているのと変わらない。

 このまま帰ってしまおうか、と無粋な考えが頭を過った刹那、エアグルーヴがわざとらしく咳き(しわぶき)を響かせた。ヤンの煩悩だけでなく、食堂中の無秩序なざわめきが制される。

 やがてたち起こった細波のようにまばらな拍手が呼び水となり、次第に音量を増した。

 起立したルドルフは拍手に応えつつ、食堂を見渡す。それだけで、皆彼女の声に耳を傾けた。

 

「本日はお集まり頂き、誠に感謝に堪えない。チーム選択というものは、新入生にとって、以降の学園生活を左右する重要な選択だ。一期一会の言葉が茶道にあるように、全ての出会いを大切にしてほしい。それでは、始めようか」

 

 瞬間、生徒たちは一斉に大皿へ向かう。昼食ということで豪華さには欠けるものの、和洋問わず様々な料理が供されている。皆思い思いに皿にとりわけ、元のテーブルに戻っていった。

 人の波が一段落つくと、ヤンら3人も料理を取りに行った。ほとんどの新入生は食より実の方に食いついていたので、大皿の周りは人がまばらである。

 ヤンがビーフシチューを注いでいた時、彼は信じがたい光景を目にした。

 灰白色の髪のウマ娘が小皿にこれでもか、というほど皿うどんの麺を盛り付けている。うず高く積み上がった麺の頂上部を優しくかき分け、凹みを作ると、そこに餡を流し込む。

 が、あたりを見渡すと、困り顔を作った。

 ヤンは思わず傍のマックイーンに質す。

 

「あれは、何だ」

「ああ、皿うどんという料理ですわ。揚げた麺に野菜や海鮮、豚肉の入った餡をかけて食べますの」

「そうじゃなくて、ウマ娘の方だよ」

「オグリキャップ先輩ですわ。今年の夏休み明けに編入生として入学され、ついこの前の選抜レースでレコードを打ち立てておられます」

 

 ヤンが話を聞くと、彼女は山盛りの料理を抱えて席に戻ることに気恥ずかしさを覚えたらしい。

 

「なら、僕たちのチームの机に来ると良い。幸い誰もいないから、遠慮する必要はないよ」

「そうか、助かる。ええと……」

「ヤン。ヤン・ウェンリー。こちらはメジロマックイーン」

 

 紹介されたマックイーンはスカートの裾をつまみ、優雅に挨拶をした。

 

「これはこれは、ご丁寧に」

 

 オグリは軽く頭で会釈を返す。ささやかな動きではあったが、皿うどんの山は揺らぎ、その均衡が危ぶまれた。

 兎にも角にも机まで案内し、難を逃れた。

 手を合わせるや否や、オグリは一心不乱に料理を口に運んだ。あっという間に半分になり、次第に山の体を成さなくなり、ついには一欠片も残すこともなく彼女の胃袋に収まった。

 

「感謝する。おかげで腹の虫が大人しくなった。お礼と言っては何だが、話を聞こうじゃないか」

「そいつは有難い。このまま説明せずに終わるところだった。何が聞きたい? 」

「まずはチームの方針だな。特にトレーニングについて知りたい」

「ウチは基本的にはメンバーとの対話を重視している。目指すレースに合わせたトレーニングを提案したり、逆に鍛えたい項目を提案してもらったり、」

「なるほど、何か強みはあるか」

 

 ヤンは一瞬答えに詰まった。何しろ新設のチームであり、公式戦を経験していない。他のチームならば、毎年G1 において勝利を挙げている、などのアピールポイントがあるものだが…。

 

「ひとつ挙げるなら、専門家がいる」

 

 ほう、とオグリが身を乗り出した。

 先ほどまでの形式的な興味だけではなく、自然発生したものが混じり出している。

 ヤンはタキオンをとなりの席に差し招くと、彼女をウマ娘生理学に通暁した博士である、と紹介した。

 灰白色のウマ娘はかねてより抱いていた疑問について教えを乞うた。

 

「私は……その…食べ過ぎなのだろうか?」

「確かに、食べる量は多いだろうが、今まで何も不便はしなかったのだろう? 」

 

 オグリは首肯する。

 

「それに、編入時に精密検査を受けたはずだ。そこで異常がなければ、太鼓判を押されたことになる。少なくとも、20になるまでは大丈夫だろうさ」

「なるほど…」

 

 しばらく黙った後、彼女は徐に立ち上がった。

 帰ってきた彼女の皿にはフルーツが所狭しと並んでいる。着席すると、ひとつひとつ丁寧に味わい、食し、時たまヤンとタキオンを見やった。彼らはオグリの視線に反応はするものの、それ以上のリアクションは無い。

 彼女は決心した。ヤンのチームへ入る、と。理由はひとえに食事制限を前面に押し出さなかったことである。




勧誘期間が終わりに差しかかり、学園は落ち着きを取り戻し始める。
しかし、それは嵐の前の静けさというべきである。
次回、ウマ娘英雄伝説『長月半ばにして』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。

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