ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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白熱! ジュニア・トゥインクル
第25話:響け! ファンファーレ


 空がすっかり青さを取り戻し、人々のまばらな生活音が明け方の終わりを告げる頃、マックイーンの意識が現実の淵へと立たされた。しばらくの間まどろみの中で浮かび漂い、ようやく身体に力を込めると、彼女は重たい瞼を擦りながら洗面台までたどり着く。

 毎度のごとく布団に後ろ髪を引かれたが、今日は後輩との朝のジョギングが先約のためその誘惑を振り払い、軽く身支度を整えると寮の入り口へ向かった。

 すでにスカーレットは靴まで履き替えて外へ出ていた。

 

「ごめんなさい、待たせてしまったかしら? 」

「いえ、お気になさらず。アタシもさっき来たところですから」

 

 ウソかホントか判断のつきかねる返答に曖昧に応じると、マックイーンは準備運動を始める。

 

「今日はどこまで行きます? 」

「そうですわね、この前は学園をぐるりと一周しただけでしたから、今日は北に足を伸ばして、公園まで行って見ませんこと? 」

「良いですね、それじゃあ早速行きましょう」

 

 二人は肩を並べて走り出した。もちろん、ペースはゆっくりと。

 方や大きなレースを控えており、方や程々というものを知らないため、ヤンは彼女らが朝ジョグをすると言った当初あまり良い顔をしなかった。が、目的がトレーニングではなく汗を流すことであると知ると、彼は理解できないと顔には書いてあったものの、とりあえず許可は出してくれた。

 時候の挨拶が残暑に切り替わってからしばらく経ち、日中はともかく朝は涼しい。頬を撫でる風を感じつつ、スカーレットは傍らの紫水晶の瞳の少女に問いかける。

 

「そういえば、先輩のデビュー戦ってどんな感じでしたか? 」

「酷いものでしたわ」

 

 と、マックイーンは振り返る。

 選抜レースを終え、ステイヤーとしての素質はピカイチと評された彼女だったが、育成当初は主にメンタル面の弱さに悩まされることが多く、当日は常に腹痛と闘わねばならなかった。場面場面にお手洗いに立つ記憶が挟まっており、特にパドックから引き返して駆け込んだことは実家で今も笑いの種になっている。

 

「それでも、ターフに立つと落ち着きましたわ。お陰様で初戦を勝利で飾りましたし、ライブではセンターに立つことが叶いました」

 

 初めてのウイニングライブは今でも鮮明に思い出せる。(すぼ)まった喉からなんとか捻り出した声は無事に観客席へと届き、彼らは新しい星の誕生を祝った。

 

「不思議なことに、レースを終えた後の方が記憶に残っていますわ」

 

 そう言うと、マックイーンはころころと笑う。

 終わってみれば全てが滑稽に思えるのだろう。たかが一年ではあるが、歴然とした差が二人の間にあった。ゼロは何をしてもそのままなのである。

 

「アタシ、チームに合流して一週間も経っていないのにデビューだなんて…」

「あら、緊張しているのかしら? 」

「そうですよ、流石に無茶がすぎると思いませんか…」

「いくら渋っても、後回しになるだけのことなのですから、思い切って飛び込んでみるべきですわ。それに…」

 

 スカーレットは目を輝かせて先を促す。

 

「緊張は努力の裏付けのようなものですわ。それが報われるか否かの分水嶺に立たされて初めて人は不安に駆られるのですから」

 

 ほうほう、と彼女は真紅の毛束を揺らして感心する。思ったよりも実のある返答が得られたため、その瞳の奥に尊敬の念が垣間見えた。

 慌ててマックイーンは付け加える。

 

「まあ、今のはほとんどヤントレーナーからの受け売りですわ。メンタルケアの腕といい、トレーナーとしての采配といい、類稀な才をお持ちのようです」

 

 マックイーンのヤン評を聞いたスカーレットは意外の念を隠せない。

 彼の温かな包容力は激発した彼女自身を宥めすかしたことから明らかであったが、それは年齢に起因するもので、トレーナーとしての彼の力量に関しては頭から疑ってかかっていた。加入以来一週間、ヤンが彼女に課したメニューはフォームを調整するためのものが多く、負荷が足りないように感じられることも彼女の中におけるヤンの印象を形成するのに一役買っている。

 

「そうですか? アタシはそろそろラダーを卒業したいです。なんであんなに繰り返してやるんだか…。しかも練習の初めと真ん中と終わりの三回も」

 

 確かに、ヤンは執拗なまでに基礎トレを重視しており、それは翌日の練習でも変わらなかった。スカーレットに課されたのはラダー、追い抜き走、ラダー、体幹トレーニング、インターバル走、坂道ダッシュ、ラダートラックであり、例に漏れずラダーが三つのメニューに組み込まれていた。

 

「ホントにあり得ない。何を考えてるのかしらアイツは? 」

 

 トラックを流しながら彼女は声を潜めて独語する。ラダーを通してフォームを確認し、その感触が残ったままトラックを走ることは理にかなっている。理屈の上ではわかっているのだ。しかし、それが今の自分に必要であるとは到底思えなかった。

 彼女が荒む感情を御し得ているのは、前回の反省からくる自制とライバルの言葉による抑止力の影響が大きい。彼女の予想に反して、ウオッカは不満を一つも抱かずにトレーニングと向き合っていたのである。

 昨夜、寮にて遠回しにラダーばかりの練習に辟易していることを伝えると、彼女は目を丸くした後不器用ながらもスカーレットを励ました。

 

「お前の言う通りラダーはつまんねーかもしれねえけど、デビュー戦前にあれこれ手ぇ出して失敗するよりはよっぽどマシなんじゃねーか?」

 

 これにはスカーレットも頷かざるを得ない。つい先日も自らを追い込み、精神に不調をきたした彼女である。もう二度とあのような醜態を晒すつもりはなかった。

 それに、とウオッカが付け加える。

 

「特別なメニューを組まないってことは、オレ達ならそんなことをしなくても勝てるって信頼の証じゃねーの」

 

 緋色の瞳が見開かれた。彼女には無い視点からの意見だったのである。素直にルームメイトのことを見直していると、メッシュの入った黒髪のウマ娘は言わずでものことを口走り、高騰した株を墜落させた。

 

「ま、オレ達は同じレースに出るから、どっちかは負けるんだけどな! 」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 練習後、マックイーンは食堂へ向かうと、テイオーらと合流しテーブルを囲んだ。話題はもっぱら今週末のウオッカとスカーレットのデビュー戦のことについてである。

 ギャラクシーとカノープスには一年生がおらず、マヤノを担当する桐生院 葵はそもそも専属トレーナーであるため、チームを組んでいない。必然的に身近な後輩というとフリープラネッツの一年生ということになり、三人は彼女らに透明な同情を寄せていた。

 

「んで、正直なところどうなのさ、マックイーンの後輩達、勝てそう? 」

「そうですわね。何事もなければ、どちらかが勝利を収めると思いますわ」

「どっちか片方が負けるってとこが先輩としては辛いよね! マヤはどっちにも勝って欲しいなー」

「ボクとしては、この前ウチに入ろうとした勇敢な後輩に勝利を飾ってもらいたいね。そのぐらいの意地は見せてもらわないと」

「もう、二人とも勝手なんだからー」

「そういうネイチャはどちらに勝って欲しいんですの? やはり髪の色繋がりでスカーレットでしょうか? 」

「マックイーンまで…」

 

 その時、食堂の出入り口が俄かに騒がしくなった。ふと見やると、人だかりができている。彼女らは散るどころか新たに人数を加え、集団は膨れ上がっていった。

 四人とも野次馬根性を抑えきれずに席を立つ。

 衆目の向く方へ目を凝らすと、掲示板に明日のデビュー戦の出走表が確認できた。

 

 

 

メイクデビュー戦:於 東京レース・芝1,600m

 

1枠1 番 ネクロシスター

2枠2 番 ウオッカ

3枠3 番 ダイワスカーレット

4枠4 番 イデア

5枠5 番 ハニカホップ

6枠6 番 フラワーシード

7枠7 番 ロサリベンジャー

  8 番 ミアスマキレート

8枠9 番 タタラボーシスト

  10番 ポルデマッコンキー

                  以上10名。

 

 

 

 

 

 同時刻、ヤンのトレーナー室にも同じ物が届けられた。

 部屋にはヤンとタキオンのみで、何をするでもなく紅茶を嗜んでいるだけであったため、机の上を手早く片付けるとベルノお手製の東京レース場ミニチュアが置かれた。

 ヤンが封を切り、枠順を読み上げる。

 タキオンはそれをホワイトボードへ書きつけていく。作業を終えると、どちらからともなく苦笑を浮かべた。

 

「どうやら、二人とも楽には勝てなさそうだ」

「そのようだね。最後の直線が400mもあるから有利なのは差しが得意のウオッカ君だが、内枠なのがネックだね。人数が少ないのがまだ救いか」

「一方のスカーレットは有利な要素が見当たらない。距離が短いから、初っ端から飛ばしていくのもアリか」

 

 ヤンは棋を一つ前に進める。

 が、タキオンがすぐに二つの棋を外から回り込ませた。

 

「コーナーは緩やかでスピードを乗せやすい。末脚の具合次第だね」

 

 見ものだな、とヤンは指を唇に当てる。

 彼にしてみれば、このレースは勝利を目指すものではなく、むしろ彼女らが大舞台を前にどのような行動を取るかを観察する場である。

 二人の研究者の影は夜更けまで窓に映し出されていた。

 

 

 

***

 

 

 

 スカーレットが体操服に袖を通すと、出走を目前に控えている現状が厳然たる事実として双肩にのしかかってきた。

 唾を飲み込み、深呼吸を一つ。

 マックイーンの言葉を反芻し、ただただ歩を進める。

 地下道は薄暗く、出口から射し込む光が彼女らを出迎えた。

 

「全員揃いましたね。では、パドックへ向かってください」

 

 案内に従って光に身を晒す。瞬間、歓声の雨が初めて彼女らに降り注いだ。数人の肩が跳ね上がり、両手で自身を抱えて自衛する者もいる。観客の声援に応えられる者は誰一人としていない。

 ツルツル滑る時間が流れ、気がつけばゲートの前に立っていた。

 ファンファーレが鳴り響き、彼女らに心の準備を迫る。

 

「緊張は…努力の裏付け…! 」

 

 マックイーンの言葉を一つ念仏のように唱えてスカーレットは枠に入る。

 遅れてウオッカも収まった。流石の彼女も緊張と無縁のままではいられなかったようで、額を拭い、無い汗を振り払った。

 永遠と称すには程遠く、一瞬と称すにはあまりにも長い。

 ゲートが開け放たれた。

 10名のウマ娘が我先にと飛び出す。彼女たちのジュニア・トゥインクルが狼煙をあげた。

 

「ちょっとバラけたスタートになったでしょうか。出遅れたのはダイワスカーレット! ここから巻き返すのは難しいぞ」

 

 心の中で実況に対して舌を鳴らしつつ、スカーレットはペースを上げた。

 当初の予定では、逃げウマ娘の後にピッタリと尾けて最後の直線で勝負をかけるつもりであったが、もはや叶わない。ならば、と集団の半ばあたりを横目に外側から追走する。

 ウオッカは周囲に流されるまま、直線を行き、第三コーナーへ入る。彼女も勝負を仕掛けるのは最終コーナーを曲がり終え、馬群が散ってからと決めていた。

 先頭のイデアが第三コーナーに入る。一身差を離されてハニカホップ、ミアスマキレート、さらに蹄を高鳴らしつつ後続が追う。

 第三コーナーを越え、第四コーナーに差し掛かるあたりでスカーレットはようやく二位集団の外につけ、先頭を狙える位置に出た。

 

「さあ、大欅を越えて直線に入る。先頭はイデア、続いてダイワスカーレット、ハニカホップ。まだ直線が残っている。虎視眈々と先頭を狙っているぞ! 」

 

 最初に異変に気づいたのは誰だったのか。観客だったかもしれない。あるいはレースに参加していたウマ娘の内の一人だったかもしれない。しかし、その全員が実況の声によって展開を否応なしに理解させられ、目を疑った。群の前方がバラけていないのである。

 その状況を作り出したのは真紅の毛束を揺らしながら群の先頭を外から抑えているスカーレットである。。彼女を抜くならば、その外を進まなければならない。内から抜けば二着は可能だろう。しかし、イデアが前を塞いでいるために先頭は狙えない。彼女の位置どりは一着への道筋と後方の妨害を両立させている点で、絶妙と言える。(たが)嵌めという戦法であった。

 イデアが力尽き、速度が鈍った。

 スカーレットが代わって先頭に立つと、気力も尽きたのか、イデアはみるみる後方に下がり、群に呑み込まれた。まるで、彼女が起爆剤になったかのように他の8人は思い思いの進路をとる。

 ついに、バラけた。

 ウオッカは巧みにその間を縫いに縫い、集団を抜け出した。スカーレットとの差は縮まっている。

 が、手が届きそうな距離に迫った瞬間、真紅のウマ娘が一歩遠のいた。根性で再度スパートをかけたのである。それは最後の足掻き以外に形容の仕様がない。しかし、勝敗を分けるには充分であった。

 ウオッカはクビ差で敗北した。




その一門はウマ娘界屈指の名家である。
彼女らは使命を帯びてトゥインクルシリーズに臨む。
求められているのは、ただ勝つことではない。
その先の栄光である。
次回、ウマ娘英雄伝説『メジロの人々』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。
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